岩手県山田町の生活支援情報をまとめます。

※報道された日順

2011年8月8日掲載

【山田】店舗再開で町にぎわい びはんストアプラザ店

山田町のびはん(間瀬半蔵社長)は7日、同町中央町に「びはんストアプラザ店」をオープンした。津波による被災から復活した店舗に大勢の買い物客が詰め掛けた。
 店内は肉や魚などの生鮮品を中心に豊富な品ぞろえ。併設したプレハブ建ての「スマイルガーデン」には、飲食店や鮮魚店など6店舗が入居し、町中心部ににぎわいが戻った。
 津波で被災したプラザ店は、約5カ月をかけ修復。同社は震災後、テント販売や旧県立山田病院店で営業していたが、本格店舗での営業は初めてとなった。

参照元:岩手日報・被災地ニュース 【山田】店舗再開で町にぎわい びはんストアプラザ店 (2011.8.8)

2011年8月7日掲載

津波で被災したスーパー再開 岩手・山田町

 東日本大震災による津波で被災した岩手・山田町のスーパーが7日、約5か月ぶりに営業を再開した。
 震災後、約5か月ぶりの再開となった山田町の「びはんストア」プラザ店では、朝から新鮮な野菜や魚介類を買い求める人たちでにぎわった。
 びはんは、津波で町内にあった2店舗が被災。震災後は青空市や県立病院内の仮設店舗で営業を続けてきたが、この度、被災した店舗の補修工事が完了し、一時解雇した従業員を再雇用し、営業が再開された。
 また、被災した町内の飲食店など6店舗が入った施設も7日にオープンした。
2011年8月7日 17:47

参照元:日テレNEWS24 津波で被災したスーパー再開 岩手・山田町 (2011.8.7)

浮き玉3600個を発送 三重水産協が震災岩手の漁協へ

 東日本大震災で被災したカキ養殖業者を支援しようと、県内の漁業関係団体でつくる三重水産協議会は6日、養殖に使う浮き玉約3600個を岩手県山田町の三陸やまだ漁協へ向けて発送した。
 同協議会は、漁業者から中古漁船を募り、東北地方に贈る活動を継続。被災した漁業者は漁船以外に漁具も津波で失っていることから、第7便の今回は、初めて浮き玉を送ることにした。
 協力者を募り、志摩市内で真珠養殖を営む山崎千秋さん、大東千秋さん、大東惣一郎さんの3人から中古の浮き玉の提供を受けることになった。
 積み込み作業は志摩市阿児町の神明漁港で実施し、関係者約100人が参加。飛び入りで持ち込む人もいて、トラック3台で載せきれないほどのプラスチック製の浮き玉が集まった。このほか、協議会が買い取った中古船2隻も、別の1台のトラックに積んで送った。
 協議会の永富洋一代表(68)は「被災地では漁船だけでなく、あらゆるものが不足している。公的な支援が遅れている中、漁業者が仕事を再開するか迷っているという話も聞く。微々たるものだが、これで1人でも再開しようという気持ちになってくれれば」と話している。
2011年8月7日

参照元:中日新聞 CHUNICHI Web 浮き玉3600個を発送 三重水産協が震災岩手の漁協へ (2011.8.7)

2011年8月5日掲載

【山田】かき小屋復活へ 移転し10月末目指す

山田町と町観光協会(大杉繁雄会長)は、津波被災した「かき小屋」の10月末の営業再開を計画している。「復興かき小屋」と銘打ち、山田湾産のカキ料理を提供したい考え。津波で多くが流失したカキの確保という難問を抱えるが、観光復興のシンボルとして関係者の期待は大きい。
 被災前、かき小屋は、同町大沢の町水産センターで営業。新鮮な殻付きカキの蒸し焼きが食べ放題で、人気を集めていたが、津波で全壊した。
 新たなかき小屋は、同町船越の浦の浜海水浴場付近にある町有地に立地予定。震災で湾内の養殖カキは数多く流失したが、地元漁協の協力を得てカキの確保を目指す。
 食べ放題の維持は難しいとみられるが、カキの量り売りやカキの一品料理提供の検討が進められており、通年型の観光拠点として期待される。
 大杉会長は「来場客も順調に伸び、これからが本番という時に津波がきた。少しずつ復興を進めなければならず、漁業者や地域住民の協力を得ながら山田のカキを振る舞いたい」と意気込む。
 県内で初めて2009年2月に開業したかき小屋は年々、来場客を拡大。1季目(09年2月〜5月)に2千人台だった来場客数は2季目(09年12月〜10年5月)で4700人余りになった。10年10月からの3季目は、震災前までに約5千人が来場していた。

参照元:岩手日報・被災地ニュース 【山田】かき小屋復活へ 移転し10月末目指す (2011.8.5)

2011年8月4日掲載

ねぶた祭に岩手・山田町の被災者招待「元気もらいました」

 ねぶた祭などに沸く青森県内各地に東日本大震災の被災者が招待されている。青森ねぶた祭では岩手県山田町の被災者が祭りを楽しんだ。「感動しました」−。桟敷席でねぶた祭の熱気を肌で感じ、復興に向け気持ちを新たにしている。
 青森ねぶた祭には3日夜、青森県が吉本興業などと連携して実施した「東北の元気を青森から〜ねぶたプロジェクト」で岩手県山田町の被災者19人が招待された。
 津波で自宅が全壊した沼崎迥(とおる)さん(80)は、出陣するねぶたを紹介したパンフレットを眺めながら開始を待ちきれない様子。
 いざ始まると「初めて見たが、感動しました。元気をもらいました」と満面に笑みを浮かべていた。沼崎さんは地震後、すぐに102歳の母親と妻の3人で高台に避難して難を逃れた。4カ月以上の避難所生活を経て、今月1日から仮設住宅に入居。「仮設に入れてひと安心。自宅に帰っておふくろと家内にねぶたの話をして、復興に向けてまた頑張ります」と話していた。
 また、震災で夫を亡くし、自宅も全壊した女性(66)は、今も避難所生活を余儀なくされているが「勇気をもらうために来ました。できれば夫と一緒に見たかったのですが、感激しました」と目を潤ませながらも、勇壮なねぶたに時折、身を乗り出して盛んに拍手を送っていた。
 青森県内ではねぶた祭のほかにも、弘前市のねぷたまつりや五所川原市の立(たち)佞武多(ねぶた)などに被災者を招待している。(福田徳行)

参照元:産経ニュース ねぶた祭に岩手・山田町の被災者招待「元気もらいました」 (2011.8.4 21:11)


2011年8月2日掲載

東日本大震災:未当選者限定で仮設3次募集 岩手・山田町

 東日本大震災の仮設住宅入居募集で、岩手県山田町は、4日から抽選を行う3次募集については、一度も当選していない被災者だけを対象にする。1、2次募集では当選後、「場所が不便」などとキャンセルして次の抽選に参加することも可能だった。このため、複数回当たる人がいる一方、一度も当たらない人もおり、対策を求める声が上がっていた。
 山田町は最終的に約1900戸の仮設住宅を整備する計画。これまでの抽選では第3希望まで出すことができ、1次で当選した物件をキャンセルして、2次に応募することも可能だった。町建設課は「2回の抽選で入居者733人分のキャンセルがあった」とする。
 一方で、1、2次で希望した計6件とも外れてしまった人も。
 そうした一人、佐藤寛さん(64)は、津波とともに発生した火災で自宅が焼失、近くの小学校に避難した。しかし、100人超の集団生活でほとんど眠れず、妻を避難所に残し、一人「脱走した」。自宅跡地にテントを張り、トイレや風呂は近所の友人宅で借り、食事はコンビニ弁当やがれき脇に植えたトマトやキュウリでしのいできた。「1カ月ぐらいの辛抱だ」と考えていたというが、そんなテント暮らしも3カ月以上。「早く畳の上で寝転びたいよ。もう限界だ」と訴える。
 町によると、佐藤さんのように入居先が決まっていない仮設住宅入居希望者は約200世帯。これまでの抽選では、倍率33倍の物件がある一方、希望者の少ない物件もあった。3次抽選では、第7希望まで出してもらい、地区別に第1希望から抽選を繰り返す方式にした。担当者は「8月中に全員入居させたい」と話している。
 1、2次とも落選した男性(56)は「これまでは、落選者に結果の連絡すらなかった。最初からきちんとやっていれば長引かなかった」とため息をついた。【金子淳】

参照元:毎日新聞ウェブサイト 毎日jp 東日本大震災:未当選者限定で仮設3次募集 岩手・山田町 (2011年8月2日 12時12分 更新:8月2日 13時4分)

2011年7月31日掲載

義援金、自治体が独自基準で配分へ…直接分を

 東日本大震災の義援金が被災者のもとに行き渡らない中で、被災自治体が「国の支給対象者などが地域の実情に合っていない」と、自治体に直接届いた義援金を独自基準で配分する動きが出ている。
 岩手県山田町は、職場が被災した住民にも手を差し伸べる必要があると、事業主や従業員、漁具を失った漁師らも対象にするよう国に求めてきた。国は配分対象は変えられないとしており、町に寄せられた約1億6000万円の義援金を国の支給対象から漏れた被災者に配ることを決めた。
 沼崎喜一町長は「金額は少ないが、職場の被災者も、全国の人々が寄せた支援の対象だということを示したい」と話す。同県大船渡市も独自支給を検討している。

参照元:読売新聞 YOMIURI ONLINE 義援金、自治体が独自基準で配分へ…直接分を (2011.7.31)

【山田】笑いの力で職員元気 久本雅美さんら訪問

 タレントの久本雅美さんらワハハ本舗のメンバーは30日、山田町船越の町ボランティアセンター(山田海洋センター)を訪れ、被災者を支える町社会福祉協議会職員やボランティアらを笑いで激励した。
 2人組のキャラメルマシーンのマジックや梅垣義明さんの客席を巻き込んだショーが繰り広げられ、約100人の観衆は笑顔に包まれた。
 ワハハ本舗一行が訪れたのは、同協議会職員が届けた一通の手紙がきっかけ。職員数人で6月の盛岡市公演を観る予定だったが、東日本大震災の影響で断念し「山田町に来てください」と呼び掛けた。
 町のイベントで毎年、寸劇を披露している職員は笑いの勉強をしようと、初めての観劇を楽しみにしていた。しかし、被災者を支え、中には肉親を失った職員も。手紙で事情を知った久本さんは「手紙は楽屋に貼って、見るたびに泣いていた。(職員の)思いが胸に響いた」と来町の理由を語る。
 手紙を届けた堀合佳寿子(かじゅこ)主任ホームヘルパーは「本当に来てくれるとは思わなかった。また頑張っていける」と涙を流して感激した。

参照元:岩手日報・被災地ニュース 【山田】笑いの力で職員元気 久本雅美さんら訪問 (2011.7.31)

2011年7月30日掲載

山田町のさんさが盛岡さんさ出演へ

あさってから始まる「盛岡さんさ踊り」に沿岸、山田町に伝わるさんさが特別出演することになり今、追い込みの練習が行われています。
特別出演するのは山田町の「大浦さんさ踊り」です。大浦さんさは山田町大浦地区で100年ほど前から舞い継がれていて、ルーツは盛岡さんさと考えられていますが、盛岡とは笛のメロディー、太鼓、踊り方など全てが異なります。かけ声も盛岡さんさが「さっこら、ちょいわやっせ」なのに対し、大浦さんさは「さっこら、こらやのやっせ」です。大浦さんさと盛岡さんさはこれまで、交流はありませんでしたが、震災で各地から支援をしてもらったお礼と元気を見せようと今回初めて、盛岡さんさ踊りへの参加を申し出ました。大浦さんさはまつり2日目の来週火曜日、パレードのトップを切って登場します。

参照元:IBCニュースウェブサイトニュースエコー 山田町のさんさが盛岡さんさ出演へ (2011年07月30日 10:31 更新)

2011年7月27日掲載

東日本大震災:ホテル経営・千束さん、バス改装し移動販売−−宮古 /岩手

 宮古市鍬ケ崎上町でホテルを経営する千束諭さん(59)が26日、送迎用の中型バスを改装して食料品を積み込み、仮設住宅を巡回する移動販売を始めた。ホテルは震災で水につかり一時は廃業も考えたが、「買い物で不自由な暮らしを続けている被災者の助けになりたい」と元気よく発車の合図を送った。
 山田町の町民グラウンドに建つ仮設住宅。「バストア maido(まいど)」と名付けた販売車が「ピーヒャラピーヒャラ」と音楽を流して横付けした。車内には野菜、果物、イカやサンマの鮮魚、肉、卵、花などがいっぱい。チラシを配っていたこともあり、170戸のあちこちから買い物袋を手にした女性たちが現れ、身動きできないほどになった。年配の女性は「自転車で遠くまで買い物に出るが、帰りは汗だく。助かります」と袋をかざして見せた。
 運転手の関係で運行するのは当面3台。北は野田村から南は釜石市まで、1カ所の仮設住宅を週3回巡回する。千束さんは「仮設住宅は高台にあるため買い物に不自由している。復興の手助けをしたい」と自らハンドルを握った。【鬼山親芳】

参照元:毎日新聞ウェブサイト 毎日jp 東日本大震災:ホテル経営・千束さん、バス改装し移動販売−−宮古 /岩手 (毎日新聞 2011年7月27日 地方版)

がれきから芽出した「ど根性米」、8月にも収穫

 東日本大震災で津波をかぶりながら、がれきの中から芽を出した稲が、岩手県山田町大沢の漁業福士新一郎さん(74)の田んぼで元気に育っている。
 「ど根性米」と呼んで大切に世話をし、収穫したら近所の子どもたちに配ることにしている。
 福士さんは妻の玲子さん(69)と高台へ避難し、震災から1週間ほど同県宮古市内の体育館で避難生活をした。自宅は津波で1階部分の外壁がなくなった。漁業の傍ら米も作っていたが、育てていた種もみは倉庫ごと流された。
 「自分で作った米はもう食べられないな」と諦めていたところ、震災から約2か月後、車や家財道具などで埋め尽くされた庭で、稲が顔を出しているのを見つけた。福士さんは「光がほしくて、がれきの間から一生懸命葉を伸ばしていた。この稲をだめにしたら一生悔いが残る気がした」と6月下旬、家族で自宅から約1キロ離れた約100平方メートルの田に植え替えた。
 稲はこの1か月でぐんぐん成長、8月下旬にも収穫できるという。

参照元:読売新聞YOMIURI ONLINE がれきから芽出した「ど根性米」、8月にも収穫 (2011年7月27日11時45分 読売新聞)

【山田】秋祭り収録のDVDを再発売 町商工会

 山田町商工会(阿部幸栄会長)は27日、同町の秋祭りを収録したDVD2種類を復刻し、再発売する。数多くの郷土芸能とともに、津波で失われた当時の街並みも記録されている。
 DVDは2008年製作で「山田まつり」と「山田祭」の2種類。「山田まつり」は、第1部が1990年〜92年の白山神社、関口神社、魚賀波間(なかはま)神社、田の浜八幡宮の祭りを収録し、第2部は97年の山田八幡宮と大杉神社の両神幸祭を収めた。
 「山田祭」は06年、08年の山田八幡宮と大杉神社の両神幸祭が題材。境田虎舞や関口剣舞などの郷土芸能、街中を勇壮に練り歩くみこし行列の模様や、被災前の町のにぎわいが映し出される。
 佐藤信逸専務理事は「昔の街並みや津波で亡くなった方も映像には残っている。仮設住宅でゆったりと思い出に浸り、心の癒やしにつながってほしい」と話す。
 価格は各千円(税込み)で、同町長崎の町商工会館で販売。売り上げの一部は義援金に充てる。
 問い合わせは同商工会(0193・82・2515)へ。

参照元:岩手日報ウェブニュース 【山田】秋祭り収録のDVDを再発売 町商工会 (2011.7.27)

2011年7月23日掲載

【山田】漁師へ恩返し 熊本の男性がトラックなど寄贈

 熊本県玉名市の運転代行業岡崎豊さん(32)は、山田町の三陸やまだ漁協に2トントラックなどを寄贈した。旅の途中で世話になった漁師に恩返しをするため、約1800キロの道のりを経て、駆け付けた。
 岡崎さんは寄贈するトラックで熊本を出発し、2日間かけて20日、山田町入り。トラックや扇風機50台、蚊取り線香などを届けた。
 岡崎さんは十数年前、北海道から放浪の旅の途中、同町を訪ねた。同町八幡町の山田八幡宮で野宿しようとしたところ、地元の飯岡浦漁船団の漁師が家へ招き、宿を提供した。
 当時、同神社では漁船団の漁師らが秋祭りの準備中。意気投合した岡崎さんは祭りのみこしも担ぎ、忘れられない思い出になったという。
 22日に帰路に就いた岡崎さん。「昔のご恩を返すために来た。皆さんに喜んでもらい感無量だった」と見送りの漁師たちとの別れを惜しんだ。
 当時、宿を提供した同町飯岡の佐々木友彦さん(36)は「連絡が来た時は気持ちだけでいいと言ったのに、まさか来てくれるとは。本当にありがたい」と感謝した。

参照元:岩手日報・被災地ニュース 【山田】漁師へ恩返し 熊本の男性がトラックなど寄贈

2011年7月21日掲載

クジラ骨格標本 保存に向け修復

津波で被害を受けた世界最大級のマッコウクジラの骨格標本について保存に向けた専門家による補修と調査がきょう山田町で行われました。山田町船越の鯨と海の科学館に展示しているクジラの骨格標本は、昭和62年、釜石沖で捕獲された全長17・6メートルのマッコウクジラで、世界最大級です。しかし、隣にあるミンククジラの標本と共に津波で浸水し、被害を受けました。きょうは東京海洋大学の加藤秀弘教授ら10人が町の教育委員会の立会いの下、被害を受けた箇所の補修をしたり津波によってずれた骨の位置を直したりしました。このマッコウクジラは標本としては珍しく49歳と高齢で、後頭部の骨が世界的にも類を見ない形をしているなど、鯨の成長過程を知るうえで貴重な資料です。加藤秀弘教授は「これだけのものですので、名実共に最大級になると思います。研究はある程度メドがつきますのでこれをずっと維持して復興のシンボルはもちろん兼ねてずっと保存して行って欲しい。」と話してました。山田町ではこのマッコウクジラの骨格標本を保存していく意向ですが、展示施設そのものが大きな被害を受けていることから保存の仕方など今後の検討課題となっています。

参照元:IBC岩手放送ウェブサイト IBCニュースエコー クジラ骨格標本 保存に向け修復 (2011年07月21日 19:13 更新)

2011年7月20日掲載

全国乾椎茸品評会2年連続農林水産大臣賞受賞

山田町の椎茸生産者の梅木達也さんが、全国乾椎茸品評会(茶花どんこの部)で農林水産大臣賞を平成22年に引き続き、2年連続で受賞しました。
今年は、震災時の津波で、梅木さんをはじめ、岩手県沿岸の椎茸生産者の方々も家屋や生産施設が被災を受けました。
幸いにも、4月初めの低温によって、椎茸の発生が遅れたこともあり、椎茸の乾燥に必要な電気・燃料等が何とか間に合い、品評会に出品できた数少ない出品物の中から農林水産大臣賞を受賞することができました。
岩手県の宮古地方(山田町、宮古市、岩泉町、田野畑村)の乾椎茸は、品質・味が抜群にいいですし、ビタミンD、食物繊維、β−Dグルカンやエリタデニンなど健康に良い成分も含まれております。
また、被災地の生産物をご購入いただければ、被災地復興の手助けとなりますので、多くの方々にご賞味いただきたいと思います。

参照元:岩手県ウェブサイト 全国乾椎茸品評会2年連続農林水産大臣賞受賞 (2011年07月20日)


2011年7月15日掲載

東日本大震災:イカ釣り親子船、漁再開…岩手・山田町

岩手県山田町で津波の被害をまぬがれたイカ釣り船「大杉丸」(9.7トン)が15日午前5時すぎ、今季初めての漁から戻った。船を操るのは同町の佐々木八郎さん(66)と隆美さん(39)。21年目だという親子の漁を再開させた。スルメイカを積んで宮古漁港に着いた隆美さんは「親子で漁ができるのは幸せだ」と話した。

東日本大震災で、山田町に約10隻あったイカ釣り船は津波の被害を受け、ほとんどが漁に出られないという。

八郎さんは地震直後に自宅から自転車で港に駆けつけ、船を沖に出した。船上で「家は残ってないだろうか」と案じたが、津波で全壊していた。一方、夜に町外から戻った隆美さんは翌朝、連絡の取れない八郎さんを高台から捜した。「船が見えなきゃ、終わりだ」。そのとき、沖に大杉丸が動いている姿が目に飛び込んだ。

2人が山田漁港を出たのは14日午後3時半。翌朝、港に戻った隆美さんは「心を込めて釣ることができた」と振り返り、予想を上回る漁獲量にほっとした表情を見せた。「父様が助けてくれた船。父の体が続く限り、2人で頑張っていきたい」。親子は台風の時期や市場の休業日などを除き、来年1月まで毎日、漁に出るつもりだという。

参照元:毎日新聞社ウェブサイト 毎日jp 東日本大震災:イカ釣り親子船、漁再開…岩手・山田町 (2011年7月15日 11時48分 更新:7月15日 12時13分)

清水エスパルスが復興アシスト 監督と選手らが岩手県山田町を訪問、義援金贈る

 清水エスパルスのゴトビ監督夫妻、小野伸二、高原直泰両選手らが14日、東日本大震災の被災地岩手県山田町を訪れ、町へ義援金を贈るとともに、地元中高生のサッカー部員50人を激励した。
 同町役場で、ゴトビ監督が沼崎喜一町長に「復興に役立ててください」と、自身と選手会からの義援金を手渡し、感謝された。このあと小野、高原両選手が、近くの町立山田中体育館で、同中学と県立山田高校のサッカー部員らにユニホーム、ボール100個などをプレゼント。パスプレーで交流した。
 山田町は沿岸部が津波で壊滅的な被害を受け、約850人の死者、行方不明者が出ている。エスパルス一行は、静岡県社会福祉協議会が同町を被災地支援している縁で、J1リーグ戦が行われた仙台市から、約3時間半かけて訪問した。

参照元:中日新聞ウェブサイト 清水エスパルスが復興アシスト 監督と選手らが岩手県山田町を訪問、義援金贈る (2011年7月15日)

2011年7月14日掲載

清水エスパルスの小野選手らが山田町訪問

サッカーJ1、清水エスパルスの監督と選手がきょう津波で大きな被害を受けた山田町を訪れ、中学校と高校のサッカー部員にボールなどをプレゼントしました。山田中学校を訪れたのは清水エスパルスのアフシン・ゴドビ監督と小野伸二選手、高原直泰選手です。小野選手と高原選手は集まった山田中学校と山田高校のサッカー部員に義援金のほかユニフォームやサッカーボールなどを贈りました。そして、リフティングでプロの技を披露しました。サッカー部員たちは小野選手、高原選手と一緒に練習。サッカーを通じて楽しいひとときを過ごしていました。また、高原選手は、きょう集まったサッカー部員たちを「ホームグラウンドの試合に招待する」と約束していました。

参照元:IBCニュースウェブサイトニュースエコー 清水エスパルスの小野選手らが山田町訪問 (2011年07月14日 19:22 更新)

2011年7月13日掲載

船越小再建、現在地か移転か 山田で住民懇談会

 山田町教委は12日、津波で被災した山田町船越の船越小(佐々木道雄校長、児童160人)の復旧について、現在地そばにある山を切り開いて校舎を建て、1階を吹き抜けとする案など3案を保護者や地域住民に提示した。保護者からは現在地から離れた場所に移転を望む声も強く、結論を先送りした。
 船越湾の近くにある同校は2階まで浸水。校舎は使用不能となり現在、児童は同町の陸中海岸青少年の家で授業を受けている。
 同町織笠の山田中で64人が出席して開かれた懇談会で説明が行われた。町教委は復旧事業案として▽児童を近隣の学校に通学させる▽学校そばの山を切り崩して校舎を建て、3階建て校舎1階を吹き抜けとする▽現在地以外の高台に再建―の3案を提示した。
 学校そばに校舎を再建する案は、町有地に当たる校舎の裏山を切り崩して校舎を建設。今回の浸水地点よりも高く盛り土する。3階建ての校舎1階部分は吹き抜けにして減災を図り、屋上から避難する道路も整備する。
 この案について町教委は、最短で2012年度内に校舎再建が可能とする。現在地以外の案では、用地確保の難航が予想されることから、新築まで5年以上かかるという見通しを示した。保護者からは「子どもが海を怖がっている。現在地以外に建設してほしい」「保護者同士でもう少し話し合う場を設けるべき」などの声が上がり、結論を先送りした。

参照元:岩手日報ウェブサイト船越小再建、現在地か移転か 山田で住民懇談会(2011/07/13)

2011年7月8日掲載

山田町でわかめ養殖再開へ準備開始

山田町では津波で壊滅的な被害を受けたわかめの養殖漁家たちが、種付にむけた準備を共同で始めました。わかめの種付準備に立ち上がったのは三陸やまだ漁協大浦支所の養殖漁家、11人です。きょうは朝8時から支所に集まり、わかめの種をつけるためのロープづくりを行いました。漁家たちは津波で船や養殖設備を全て流され、震災後、高齢者を中心に半数以上の仲間がわかめ養殖を辞めてしまったということです。復活を目指す浜の男たちはたくさんの釘を打ち込んだ木の枠を使って、まるで織物を作るように200メートルのロープを組み上げます。震災前は個人で行っていた作業ですが、今は全員協力して漁具の復旧を急いでいます。資材や船の不足は深刻で、養殖再開にはまだ険しい道のりが続きますが、今月中には、ロープにわかめの胞子をつける、「種付」を行いたいとしています。

参照元:IBCニュースウェブサイトニュースエコー 山田町でわかめ養殖再開へ準備開始 (2011年07月08日 18:57 更新)

2011年7月5日掲載

ローソン:東日本大震災の被災地に仮設店舗3店をオープン、山田町と大槌町、食品や日用品の販売行う

【7月5日、さくらフィナンシャルニュース=東京】ローソン(東:2651)は、東日本大震災の津波で被害を受けた岩手県の山田町、大槌町にプレハブ式の仮設店舗3店舗を順次オープンする、と発表した。

今回営業を開始するのは7月7日オープンの「山田町長崎店」、7月19日オープンの「大槌町吉里吉里店」、7月21日オープンの「山田町大沢店」。いずれの地域においても、食品や日用品などの生活必需の入手が困難な状況が続いていることから、短期間で設営が可能な仮設店舗で営業を開始することとなった。 今回の3店舗オープンにより、被災地でローソンが運営する仮設店舗は合計5店舗となる。

ローソンは被災地において地域の生活基盤を再興する一助になりたいと考え、被災したローソン店舗の復旧を進めるとともに、新たな施設としての仮設店舗の開設、移動販売車「モバイルローソン号」での営業などを行ってきた。これまでにオープンした仮設店舗は、プレハブを利用した初めての仮設店舗「陸前高田鳴石店」(4月21日オープン)、倉庫を改装した「南三陸エムズ店」(5月15日オープン)で、ともに被災した住民や、復興作業を行う人などが利用している。

〈仮設店舗の詳細は以下の通り〉

店名:ローソン山田町長崎店
住所:岩手県下閉伊郡山田町長崎2-7-5
(避難所及び仮設住宅地の町立山田南小学校から約200mの遊休地にプレハブを設置)
営業開始:2011年7月7日(木)午前7時
営業時間:7:00〜21:00(14時間)
面積:店舗面積 105.12平方メートル(31.8坪)、売場面積 87.45平方メートル(26.5坪)、駐車場11台

店名:ローソン大槌町吉里吉里店
住所:岩手県下閉伊郡大槌町吉里吉里1-122-1
(仮設住宅地の町立吉里吉里中学校から約500mの旧ローソン吉里吉里店敷地内にプレハブを設置)
営業開始:2011年7月19日(火)午前7時
営業時間:7:00〜21:00(14時間)予定
面積:店舗面積 118.40平方メートル(35.8坪)、売場面積 90.53平方メートル(27.4坪)、駐車場12台

店名:ローソン山田町大沢店
住所:岩手県下閉伊郡山田町大沢第6地割7-5
(避難所及び仮設住宅地の町立大沢小学校から約500mの旧ローソン山田大沢店敷地内にプレハブを設置)
営業開始:2011年7月21日(木)午前7時
営業時間:7:00〜21:00(14時間)予定
面積:店舗面積 118.40平方メートル(35.8坪)、売場面積 90.53メートル(27.4坪)、駐車場12台【了】

参照元:livedoorニュース ローソン:東日本大震災の被災地に仮設店舗3店をオープン、山田町と大槌町、食品や日用品の販売行う (2011年07月05日15時10分)

2011年7月1日掲載

山田町震災復興ビジョン発表

山田町は復興に向けたまちづくりのより具体的なイメージを示した「復興ビジョン」をきょう発表しました。
これはきょうの町議会全員協議会で町が示したものです。町では今年中の復興計画策定に向けて5月末に基本方針を公表しましたが、今回の復興ビジョンではより分かりやすいように町全体の復興イメージと10年間での到達目標を示しました。
町が示した図では高台には道路を整備し、漁業などの産業施設は湾内の海岸沿いへ集中と、ある程度地理的なイメージを盛り込みましたが肝心の居住地の再編については、被災地のかさ上げ・高台への移転、両方に対応した区分けにとどまりました。
住宅地の復興方法について沼崎町長は「住民の意向や国の支援を見定めながら復興計画の策定までに判断したい」としています。

参照元:IBCニュースウェブサイトニュースエコー 山田町震災復興ビジョン発表 (2011年07月01日 18:56 更新)

2011年6月28日掲載

岩手・山田町の土俵修復へ 力士会が支援金

 大相撲の十両以上の関取で構成する「力士会」が28日、名古屋市中区の愛知県体育館で開かれ、東日本大震災の支援金として約100万円を集めた。津波で被害を受けた岩手県山田町の土俵修復が目的で、力士会会長の横綱白鵬は「まず、できることからやっていきたい」と話した。
 修復費用が不足した場合は白鵬が、獲得した懸賞から寄付するという。山田町の土俵は津波で流され、日本相撲協会が今月4日に被災地慰問した際には、小学校の昇降口で横綱土俵入りを行っていた。【鈴木英世】

参照元:毎日新聞 毎日jp東日本大震災:岩手・山田町の土俵修復へ 力士会が支援金 2011年6月28日 17時29分


2011年6月25日掲載

全国80万人の山田さん!山田町救いませんか

 東日本大震災の津波で被害を受けた岩手県山田町を支援しようと、同県出身の女性が、「山田」姓の人たちに寄付の呼びかけを始めた。
 全国に80万人以上いるとされる「山田さん」から月1000円の寄付を募り、街路灯の復旧や地元企業への無利子融資などに役立てる計画だ。
 寄付を呼びかけているのは、東京都港区のプログラマー高松洋子さん(35)。盛岡市生まれで、山田姓でもないが、名前の「洋子」は山田町に縁がある。海が好きで、山田湾をたびたび訪れていた祖父が、「海のように澄んだ女性に育ってほしい」と太平洋から「洋」の文字を取った。高松さん自身も家族と一緒に何度も遊びに訪れた。
 5月初旬、高松さんはボランティアで同町を訪れ、あまりの被害に声を失った。その後も時間があれば現地を訪れ、がれき撤去などにあたる一方、5月下旬には「山田町応援団」と題したホームページを開設。全国の山田さんへの寄付の呼びかけを思いついた。

参照元:読売新聞 YOMIURI ONLINE全国80万人の山田さん!山田町救いませんか
2011年6月25日

2011年6月9日掲載

東日本大震災 相続放棄、手続き期間を延長へ

 民主党は8日、東日本大震災で死亡した人の遺族が相続を放棄するための検討期間を11月30日まで延長する方針を固めた。手続きをせず借金まで相続してしまう被災者を救済するため、相続を知ってから3カ月以内とする現行法の規定を被災地に限って延長する。近く民法の特例法案を議員立法で提出する。
 民法は、親の死亡など相続開始を知って3カ月以内に相続放棄しなければ相続を承認したとみなし、資産も負債も相続する。家裁に期間延長を申し立てる制度はあるが、民主党は「相続人も被災者であり、規定を知らない被災者も多数いる」と判断した。
 震災から3カ月となる11日までの法施行は事実上困難だが、同党は「3カ月経過後の施行でも、さかのぼって適用できる」とする。震災のために手続きできなかった被災者にも配慮し、昨年12月11日以降に相続開始を知った人を対象とする。

参照元:毎日新聞 毎日jpファイル:東日本大震災 相続放棄、手続き期間を延長へ
2011年6月9日

2011年6月8日掲載

岩手県が復興基本計画案 太陽光発電の促進など盛り込む

 岩手県東日本大震災津波復興委員会は7日、今後8年間で多重防災型のまちづくりに取り組むことを掲げた復興基本計画案をまとめた。長期的な復興策は「三陸創造プロジェクト」と名付け、太陽光発電など再生エネルギーの促進などを盛り込んだ。
 当初は「復興ビジョン」を策定する予定だったが、総花的な政策で87ページにふくらみ、「基本計画」に衣替えした。9日に正式決定して、沿岸市町村に説明。8月には工程表にあたる実施計画をまとめ、9月定例議会に諮る。
 基本計画は、「安全の確保」「暮らしの再建」「なりわいの再生」を3原則に掲げ、「再び人命を失わない」ことをまちづくりの基本方針に据えた。ただ、防潮堤などのハード対策だけでは防御が困難だとして、整備目標は明治三陸地震(1896年)など「百数十年程度で起こりうる津波」にとどめ、ソフト対策も組みあわせた「多重防災型まちづくりと防災文化の醸成」を目標にした。
 一方、長期的な復興策にあたる三陸創造プロジェクトとして掲げた政策は、海の資源を活用する海洋研究拠点の形成▽津波資料館を拠点にした津波災害の記録収集、展示▽三陸復興国立公園の創設と体験型観光▽平泉の世界遺産登録をきっかけにした地域作り――など具体性に乏しい事例が並んだ。復興に必要な財源についても8月にまとめる実施計画に先送りした。
 達増拓也知事は「被災者に計画の全貌(ぜんぼう)が分かることに意義がある」と話した。(山下剛)

参照元:朝日新聞asahi.com岩手県が復興基本計画案 太陽光発電の促進など盛り込む

2011年5月29日掲載

5月末で在宅避難者へ配給終了 山田町、不安の声も

 山田町は今月末で、町内7カ所で実施していた在宅避難者に対する食料の配給を終了する。ライフラインの回復や、義援金の支給などで購入可能となるため。来月中旬まで申し込み制で弁当の配給を実施するが、一部の住民からは不安の声も聞かれる。

 同町は東日本大震災で多くの商店が被災し、買い物環境が整わなかったため毎日、町内7カ所の避難所などで食料を配給していた。

 電気や水道などのライフラインが寸断されていたこともあり、被災者であるかどうか厳密な区分は設けずに配給を実施していた。

 現在、ライフラインはほぼ復旧し、商店も仮設店舗や訪問販売で営業再開する動きをみせている。また、義援金の支給が6月3日から開始され、順次被災者に行き渡る見込みとなったことから、配給の終了を決めた。

 被災した自宅や親戚宅などに避難する被災者に対しては来月中旬まで、町内8地区を対象に弁当を配給する。沼崎喜一町長は「インフラがほぼ元の状態に戻っており、商業の再開、復興の見地からも決断した」と述べた。

 配給終了について、同町大沢の親戚宅に避難する白野久美子さん(53)は「家と自営の商店も流されて生活の糧がない状態。配給がなくなれば義援金を充てるしかない。今後の生活に使いたいのだけれど」と不安げに話した。

 県によると24日現在、自宅や親戚宅などから避難所に通い食事や物資の提供を受けているのは宮古市以南6市町の1万5440人。うち山田町は957人。4月上旬の約2万4千人をピークに、ライフライン復旧や物流の回復などに伴い減少傾向にあるという。

参照元:岩手日報5月末で在宅避難者へ配給終了 山田町、不安の声も

2011年5月26日掲載

秋篠宮ご夫妻、山田町役場屋上で被災地に黙礼

 東日本大震災の被災地お見舞いのために岩手県入りした秋篠宮ご夫妻は26日、571人が死亡、296人が行方不明となっている山田町を訪問された。
 ご夫妻は同町役場の屋上で、沼崎喜一町長から被災状況の説明を受けられた。ご夫妻は被災地に向かって黙礼された。続いて訪れた同町立大沢小学校では、授業などを見た後、88人が避難している同小の教室で、被災者を励まされた。
 肺気腫のため酸素吸入器を使っている佐藤正孝さん(76)が、自分の病気や震災で妹を亡くしたことなどを伝えると、ご夫妻はうなずきながら耳を傾けられたという。佐藤さんは「ご夫妻の優しい人柄を感じた。力がわいた」と話した。
 ご夫妻は午後からは大槌町で、避難所になっている郷土芸能の鹿子(しし)踊りの保存会の施設や、希少魚「淡水型イトヨ」が生息する源水地区に足を運ばれた。
参照元:読売新聞秋篠宮ご夫妻、山田町役場屋上で被災地に黙礼

上演、是か否か…苦悩 岩手・山田大沢小の「海よ光れ」

 東日本大震災の津波で大きな被害を受けた岩手県山田町の大沢小(児童93人)が、全校児童で毎年秋に上演する表現劇「海よ光れ」を今年も実施するかどうか頭を悩ませている。劇中に明治三陸大津波(1896年)の恐ろしさを表現する場面があり、児童への精神的な影響などを懸念しているためだ。学校は今後、保護者や地域住民らと相談し、結論を出すという。

 劇は、大沢地区を舞台に、漁業の盛衰など古里の歴史や文化を描く。約1時間で、元漁師の祖父が孫に大沢の歴史を語り継ぐやりとりを軸に、明治から昭和にかけてのスルメイカの豊漁や水揚げの様子などを表現する。
 6年生が祖父や孫など主要な役を務め、下級生は全身を使って波を演じる。地域に根ざした表現活動として1988年に始まり、毎年、多くの地域住民が観賞する。99年に東京で開かれた全国漁港大会で上演するなど、各地の漁業関係者や教育関係者からも高い評価を受けている。
 劇は大沢地区の住民が海と共に生きてきたことを方言交じりで伝え、明治三陸大津波のシーンでは海の怖さも臨場感たっぷりに再現する。
 その場面は、住民役の十数人が地震を受け、潮が引いた海の様子を見に集まるという設定で始まる。住民が「なんだ、あれ」と騒ぐ中、年寄り役が「津波が来るかもしれねえ」と叫ぶ。すると津波が襲来。住民役の十数人の児童が舞台上で叫びながら駆け回り、その場で倒れる内容だ。
 今回の震災で、同小の当時の児童123人は全員無事だったが、大沢地区では甚大な被害が出た。児童の約6割は自宅が全半壊の被害に遭い、家族を失った子どももいるという。
 学校は現在、普段通りの生活を心掛け、精神的な負担の軽減に努めている。大久保裕明校長は「本校にとって表現劇はとても重要な行事。地域感情もあり、いろいろな方から話を聞かなくてはいけない。いずれにしろ苦渋の決断となる」と話している。(鈴木拓也)
参照元:河北新報上演、是か否か…苦悩 岩手・山田大沢小の「海よ光れ」

2011年5月24日掲載

山田町が高台移転を検討 27日から住民懇

 山田町は23日、復興計画策定に向けた基本方針を示した。津波浸水被害を受けた地域の住居については、高台移転や地盤のかさ上げなどの対策を検討。町内の海岸線沿いを走る国道45号をかさ上げし、防潮堤と共に津波からの「防衛線」とする案も検討する。 基本方針は同日開かれた町議会議員全員協議会で町が説明。基本理念として▽津波から命を守るまちづくり▽産業の早期復旧と再生・発展▽住民が主体となった地域づくり−の3点を掲げた。

 被災した居住地域については、高台移転や地盤のかさ上げなどの対策を講じ、それらが困難な地区は産業関連施設や農地、公園などへの活用を検討する。現段階では、被災地域での居住自粛を呼び掛ける。

 企業活動は被災地域内であっても堤防の応急復旧や近隣の高台などへの避難を明確化し、当面の営業再開を可能とする手法を検討する。

 町は6月末をめどに復興ビジョンをまとめ、年内に復興計画を策定する。今月27日から住民懇談会を開催するほか、住民アンケートも実施し計画策定に役立てる。

 沼崎喜一町長は「二度と津波で犠牲者を出すわけにはいかない。高台移転等を一つの基本としながら住民に説明したい」と語った。

 住民懇談会の日程は次の通り。

 ▽27日 関口児童館 山田北小 中央コミュニティーセンター 山田南小
 ▽28日 織笠小 山田高 大沢ふるさとセンター 大沢小
 ▽29日 長林コミュニティーセンター 田の浜第2分団屯所 陸中海岸青少年の家 船越防災センター
 ▽30日 豊間根中 豊間根生活改善センター 大浦漁村センター
 ▽31日 雫石プリンスホテル 鶯宿温泉長栄館 ホテル森の風鶯宿 つなぎ温泉清温荘
(2011/05/24)
参照元:岩手日報山田町が高台移転を検討 27日から住民懇

2011年5月21日掲載

【山田】友好の炊き出し熱く 千葉・香取市が振る舞う

千葉県香取市と同市の農事組合法人和郷園(木内博一代表理事)は20日、山田町八幡町の町保健センターで、同県産野菜が入った豚汁うどんを被災者に振る舞った。

 同市は2006年に千葉県の旧山田町と合併。旧山田町と本県の山田町は同じ町名ということから交流が始まり、合併後も同市のイベントに山田の海産物が並ぶなど友好関係が続いている。

 同日は旧山田町の元町長高岡顕尚さん(69)や市職員ら約15人が来町。ニンジンや大根などがたっぷり入ったうどん1200食を提供したほか、市民から募った義援金を町に寄付した。

 同市は東日本大震災の影響で、土地が液状化するなどの被害を受けた。そんな状況の中、高岡さんは「千葉山田の熱い思いを岩手山田に伝えたい」と話し、木内代表理事(43)は「復興しない災害はない。一日も早い復興へお手伝いしたい」と熱く語った。

【写真=山田町同士の交流を継続し炊き出し支援をする香取市民ら】(2011.5.21)

参照元:岩手日報【山田】友好の炊き出し熱く 千葉・香取市が振る舞う

2011年5月20日掲載

<東日本大震災>白鵬らが来月、被災地を慰問へ 

毎日新聞 5月20日(金)20時14分配信
 日本相撲協会は20日、技量審査場所後に計画していた、力士による東日本大震災の被災地慰問の日程を発表した。慰問は6月4〜8日の5日間で、岩手県から南下し東北3県の計10カ所の避難所を訪れる。白鵬や大関陣など幕内上位の計20人が参加する。慰問先ではちゃんこ鍋の炊き出しや横綱土俵入りを行う。日程は次の通り。
 4日=岩手県山田町、大槌町▽5日=大船渡市、陸前高田市▽6日=宮城県気仙沼市、南三陸町▽7日=女川町、仙台市宮城野区▽8日=山元町、福島県新地町
参照元:毎日新聞 <東日本大震災>白鵬らが来月、被災地を慰問へ

2011年5月19日掲載

高校野球 被災の山田高が元気な姿…積極打撃及ばず敗退

 東日本大震災で被害の大きかった岩手県沿岸部に位置する県立山田高校(山田町)の球児が19日、高校野球の春季岩手県大会に姿を見せた。昨夏の甲子園出場校の一関学院に0−7(七回コールド)で敗れはしたが、序盤から積極的な打撃を見せて球場を沸かせた。

 県大会は18日に開会式を行い、試合はこの日からスタート。好天に恵まれた花巻球場(花巻市)では、震災後に山田町が製作した「一歩ずつ前へ」とののぼりが掲げられ、観客席からの声援が風に乗って響き渡った。山田高の部員は18人と少ないものの、うち16人が同じ中学の出身で互いに気心知れた仲が最大の強みだ。

 学校は避難所になっている。小山健人監督(24)によると、グラウンドの中堅から左翼方向に自衛隊のテントが設営され、本格的な打撃練習はできないという。部員の半数近くは自宅が被害を受け、現在も5人程度が避難所生活を続ける。練習量は大幅に減ったが、短い距離でセンター返しを心掛ける「ハーフバッティング」を徹底。この日は7安打を放ち、得点圏に何度も走者を進めた。

 「十分戦える手応えはつかめた」と小山監督。倉本弘樹主将も「地震でさらに心が通じ合うようになった。もう一回頑張りたい」と、今夏の岩手大会に思いをはせた。【田原和宏】
参照元:高校野球 被災の山田高が元気な姿…積極打撃及ばず敗退

2011年5月18日掲載

東日本大震災:県の仮設住宅、許可得られず119戸着工中止−−山田と釜石で /岩手

 県は17日、山田町と釜石市で予定していた仮設住宅計119戸の着工を中止したと発表した。いずれも民有地で、最終的に地権者の許可を得られなかったという。山田町は町内の別の2カ所で計100戸を追加着工した。
 県は7月上旬までに1万4000戸を完成させると掲げている。そのうち23日までに約3割にあたる計3922戸が完成の予定。【狩野智彦】
参照元:毎日新聞 東日本大震災:県の仮設住宅、許可得られず119戸着工中止−−山田と釜石で

東日本大震災:一人で患者49人…医療過疎の町を奔走

 大津波で甚大な被害を受けた岩手県山田町の唯一の総合病院、県立山田病院副院長の平泉宣さん(53)が、「医療過疎」のまちで続けてきた訪問診療に震災後も力を注いでいる。一人で受け持つ患者は現在49人。「医療は現場こそが大切」と連日、高齢者の待つ避難所や家々に足を運ぶ。
◇「現場こそ大切」…山田病院副院長
 「山田病院の先生ですよ」。今月12日、平泉さんが姿を見せると、大沢地区の鈴木コヨシさん(96)は自宅の布団の上で目をしばたたいた。
 娘のなよさん(62)夫婦が近所の人や日本赤十字社の助けを借りて介護してきたが、水しか受け付けないほど衰弱したため、4月下旬に訪問診療を依頼した。なよさんが「震災がなかったらもっと元気だったかも」と嘆くと、平泉さんは「いい親孝行をしていますよ」とねぎらった。
 2日後、コヨシさんは容体が急変した。駆け付けた平泉さんの診察を受けながら亡くなった。なよさんは「平泉先生に最期をみとられて良かった」と涙をぬぐった。
 平泉さんは秋田県出身で、元はがん治療が専門の外科医。米国などで最先端医療に従事したが、「最先端よりも最前線の医療をやりたい」と7年前、赴任した。震災前、訪問診療をしていた患者は88人。震災で、このうち16人が死亡し、9人が行方不明になった。一時は28人に減ったが、震災1カ月を境に依頼が増えた。「環境の変化や疲れで症状が悪化するケースが多い」と話す。
 病院の常勤医は、平泉さんと及川修次院長の2人。外来のあった1階が浸水し、検査機器やカルテを失った。当時42人いた入院患者は、ライフラインが途絶えたため全員施設などへ避難させた。今は入院患者のいた2階を外来に使っている。
 午後1時、平泉さんは外来診療を終えると買い物かごに医薬品を詰め、車を運転して診療に向かう。「医療の原点は困っている人を助けること。それは震災前も後も全く変わりません」【山本愛】

参照元:毎日新聞 東日本大震災:岩手・山田町に教育基金設立 住民有志、寄付活用し遺児支援
2011年5月18日 10時45分(最終更新 5月18日 12時39分)

2011年5月14日掲載

東日本大震災:岩手・山田町に教育基金設立 住民有志、寄付活用し遺児支援

 東日本大震災で親を失った子どもを支援するため、岩手県山田町の住民が寄付金などを活用して独自の基金を設立した。震災遺児支援では、同県など行政が基金をつくる動きがあるが、山田町の基金は「将来の地域を背負う子どもを育てたい」という住民有志で運営する。

 震災後、山田町で訪問診療に取り組む県立山田病院副院長の平泉宣さん(53)の活動を報道で知った京都市の会社役員、加地保裕さん(62)から、3月下旬に「活動に役立てて」と義援金が送られてきた。平泉さんが有効な活用法を町の教育関係者らに相談したところ「人を育てるために使おう」という声が高まった。4月中旬に基金を設立。その後、町と交流がある台湾の代表的書家、朱振南さんも町を訪れ趣旨に賛同し約300万円を贈った。

 基金は当面、親を失った同町の小中高校生を対象に、学業などを評価した上で月3万円を1年間貸与する。返済は無期限・無利子。母子家庭で母親を亡くした同町出身の高校1年の男子生徒を第1号に選んだ。生徒は現在、同県一関市内の高校で寮生活を送っている。

 代表の元町教育長、松尾光信さん(73)は「町を背負う子どもの豊かな才能を震災でつぶさず、伸ばしていく助けとなれば」と話している。【山本愛】

参照元:毎日新聞 東日本大震災:岩手・山田町に教育基金設立 住民有志、寄付活用し遺児支援

2011年5月13日掲載

東日本大震災:親族DNA採取場所を一部訂正 行方不明者、身元特定で県警 /岩手

 県警は12日、東日本大震災で犠牲になった遺体の身元特定を進めるため、行方不明者の親族のDNA採取場所(11日発表)を一部訂正した。
 ◇資料採取の日時・場所
 13〜22日。いずれも午前10時から午後4時まで
 大船渡市民体育館▽旧矢作小学校(陸前高田市)▽旧小佐野中学校(釜石市)▽紀州造林(同)▽宮古警察署▽山田町役場。遠隔地に住んでいて来るのが困難な場合は、県警本部刑事部鑑識課電話019・653・0110まで。【安藤いく子】5月13日(金)13時15分配信
参照元:毎日新聞 東日本大震災:親族DNA採取場所を一部訂正 行方不明者、身元特定で県警 /岩手

2011年5月12日掲載

東日本大震災 あの時から2カ月…大沢小・子供たちの日記

 東日本大震災の発生時に岩手県山田町の町立大沢小学校に通っていた子供たちは、あのとき以来、自らの思いを「震災日記」につづっている。毎日小学生新聞に「大沢からの報告」として随時掲載されている日記からは、震災2カ月の暮らしぶりや心情が浮かぶ。(原文のまま)

 ◇「母の日なのでひさしぶりに家族でたこやきを食べました

   ■4月11日 あの大震災から1か月。私は宮古にいた。午後2時46分。サイレンが鳴り、もくとう。いろいろな思いが頭の中に……。私は、これからがんばろう!と思った。命をなくした人の分まで。そして津波のことを思い出した。(武藤<ぶとう>愛・中1)

 今日で1か月になる。8日にも大きな地震があったように、余震はまだ続いているみたいだ。電気もいきなり消えるし……。世の中一体どうなっているのだろうか。おかしくなった。自然災害……。人間はこれには勝てないのかもしれない。(中村奈緒・中1)

   ■4月13日 今日はガレキの片付け。自分の部屋を片付けた。頑張ったから、今日の夜はねむたかった。ふとんの中に入って、ぐっすりねた。でも、ねてるとなんか目がさめる。(鈴木暖<のん>・中1)

   ■4月15日 お父さんたちが話していた。「津波で大沢の家が(約4キロ離れた)織笠まで流れていた」。本当にすごかった津波なんだとあらためて知った。もう前みたいな津波はこないだろう。そう思っても、何回も大きな地震がくる。津波なんかこないでくれと心の中でさけんでいる毎日。少しの地震でもあの事を思い出して苦しくなる。(大川海渡<かいと>・中1)

 学校に行った。最初に目に付いたのは、被災者のみなさんへと書かれた手紙だった。一枚一枚見るたびに勇気がわいてきた。さらにおどろいた事があった。アメリカの子どもたちからの手紙があった。世界中の人たちもぼくたちのことを応援してくれて、本当にうれしかった。(大川海成<かいせい>・中1)

   ■4月20日 かわいい1年生が11人、入学しました。こまったことがあったら、たすけてあげたいです。その夜、(お湯をわかすための)火の番をしていたら、けいさつの人が、せいふくをきさせてくれました。(福士悠太・小6)

   ■4月26日 28日がおじいちゃんのおそう式に決まった。今日はお墓のそうじをした。家にさいていたスミレの花を置いてあげた。

 おばあちゃんが早くみつかって、顔を見たい。

 お父さんをなくしたぼくのお母さんは一番悲しくて、つらいと思うので、これからも手伝いをして、役に立ちたい。(大川海成)

   ■4月27日 中学校で授業。私は1年1組。中学校生活がはじまってすぐ、私のクラスで転校する子がいた。一人でも少なくなると、すごくさびしくなるようだ。帰りの時間には、クラス全員で写真をとった。でも、ここでくじけてはいけない!と思った。(武藤愛)

   ■5月6日 学校に行きました。学校組織を決めました。私は、副委員長に立候補しました。午後は、くもんに行きました。たくさん勉強できるというのは、あたり前のことでしたが、今になると、とても幸せなことだと思います。今日は地震が多かったです。大きい地震が来るかもと予想して、まくら元に着がえを置きました。(中村奈緒)

   ■5月8日 「母の日」なので、ひさしぶりに家族でたこやきを食べました。

 ご飯のあと、お母さんに「いつもありがとう」と言いました。(福士悠太)
参照元:毎日新聞 東日本大震災 あの時から2カ月…大沢小・子供たちの日記

東日本大震災:巨大テントで共同店舗 来月4日オープン−−山田町商工会 /岩手

 ◇支援物資を活用
 東日本大震災による津波で中心部が壊滅状態となった山田町の町商工会(阿部幸栄会長)が、支援物資のテントを活用した共同店舗をオープンする。設置場所は、今も多くのがれきが周囲に残る町役場近くの公園。町と商工会は「復興の足がかりに」と期待を込める。
 商工会に加盟する約500事業所のうち、8割の約400事業所が店舗を失った。高齢化と後継難もあって、全事業所のうち1割が既に震災後の廃業を決め、見えない復興の道筋に、無力感さえ広がっていた。
 だが、国連世界食糧計画(WFP)から240平方メートルの巨大な食糧備蓄用テントを貸与されたことが、商店主らに新たなアイデアを思いつかせた。4月中旬、共同店舗として使う提案があり、出店を募ったところ、定数の4倍近い35店舗から応募があった。抽選で食料・雑貨店▽洋服店▽文具店▽洋菓子店など9店が決まった。テント内に間仕切りを設置。賃料無料で、6月4日にオープンする予定。
 「冷蔵庫の熱も出る。空調は?」「知り合いに中古のクーラーがないか聞いてみる」
 「床に敷く物は?」「町のイベント用のステージが使える」
 今月10日の会議では、出店者の話し合いに町職員が加わる形で、設備や店割りを決めた。手探りでの準備だが、商工会の阿部会長は「すべてを失った今、可能性があるものはやるしかない。成功すれば、復興のシンボルになれるかもしれない」と話している。【釣田祐喜】
5月12日朝刊
参照元:毎日新聞 東日本大震災:巨大テントで共同店舗 来月4日オープン−−山田町商工会 岩手

2011年5月11日掲載

アディダス、震災支援を中間報告−物資寄贈は8万点超える 東京

 アディダス ジャパン(新宿区矢来町)は5月9日、東日本大震災に対する支援内容の中間報告を発表した。(市ケ谷経済新聞)

【画像】 岩手県山田町立山田中学校の生徒たち

 同社は震災発生翌週の3月17日、防寒具やジャージー上下、Tシャツ、下着などアディダスグループの商品約10万点、約5億円相当分の物資提供による支援を発表。全国の直営店舗、神楽坂本社などでの義援金募金活動、チャリティー商品の販売と収益の寄付などの取り組みを行っている。

 4月末までに、パートナー企業から提供されたものを含む約8万点の物資を福島県相馬市、同新地町、同田村市、岩手県災害対策本部、岩手県山田町、同陸前高田市、宮城県南三陸町へ寄贈。津波により制服が流されてしまった生徒も多かったという岩手県山田町立山田中学校では、新1年生156人全員にジャージー上下、エナメルバッグ、Tシャツ、中ズックが配布された。

 「東北地方太平洋沖地震復興支援チャリティーマッチ」に合わせて販売したサッカー日本代表ユニホームのレプリカジャージーの収益金は3,649万9,535円、4月16日に第1弾、同28日に第2弾を発売したチャリティーTシャツの売上金は約1,220万円(5月8日時点)に上り、直営店舗などで現在も継続している募金活動には100万9,718円(4月30日時点)の義援金が寄せられている。

 同社は今月10日、震災で被災し営業を停止していた「アディダス パフォーマンスセンター 仙台」「アディダス オリジナルスショップ 仙台」の営業を約2カ月ぶりに再開。「アディダス ファクトリーアウトレット 仙台泉」は6月17日、「アディダス ファクトリーアウトレット 仙台港」は6月中旬の営業再開に向けて準備を進めている。
参照元:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110511-0000005...?

2011年5日10日掲載

山田町、当面建築制限せず 住民判断での自粛促す

 山田町東日本大震災津波復興本部会議の初会合は9日、町役場で開かれた。浸水地域の住宅の建築制限について沼崎喜一町長は「当面は条例などで制限しない」と述べ、住民の判断で自粛してもらう考えを示した。
 沼崎町長は「町が復興の方針やビジョンなどを示さないで町民の理解は得られない」と述べ、まちづくりの具体的な方向性が固まるまでは建築制限は導入しない考え。ただ防潮堤がない地域もあり、住民と危険地域の認識を共有する意向だ。
 会合では、「津波被害の大きさを重視する」(沼崎町長)との理由で復興本部会議の名称に「津波」の文字を入れることを決定。今月中旬に復興基本方針、来月下旬までに復興ビジョン決定を目指すことも確認した。
(2011/05/10)

参照元:岩手日報ウェブサイト 山田町、当面建築制限せず 住民判断での自粛促す

久しぶり「おかわり」 小中学校で弁当給食

 山田町の小中学校で9日、被災して弁当を持参できない児童と生徒のために弁当の配布が始まり、奥州市の給食センターで調理された約1450食が届けられた。教室では「おいしい」「おかわり」と子どもたちの歓声が響いた。
 午前11時半ごろ、同町大沢の大沢小に約100食が到着。焼き魚やギョーザにコンブ、ご飯とバランスが取れた弁当で味も上々。4年生の福士遥奈さん(9)は「普段はしないけど、きょうは食べられる」とご飯をおかわり。大久保裕明校長は「温かい弁当を全員で食べられて良かった。非常に助かる」と喜んだ。
 町内には、もともと学校給食を実施していない小中学校が10校あり、児童生徒は弁当を持参していた。
 震災後は弁当を作れない家庭も多く、災害救助法の支援物資として「弁当給食」が行われた。
(2011.5.10)

参照元:岩手日報ウェブサイト 久しぶり「おかわり」 小中学校で弁当給食

2011年5日9日掲載

全仮設住宅群に診療所 厚労省が整備方針

 厚生労働省は8日、東日本大震災で甚大な被害を受けた岩手、宮城、福島の3県に建設する仮設住宅群すべてに原則、仮設の診療所を整備する方針を固めた。診療に当たる医師や看護師らも被災地だけでは足りないことから、日本医師会などに中・長期の派遣を要請。常時、千人程度の応援を送り込む。
 震災で被災地の地域医療は大きな被害を受けた。もともと医療過疎地だっただけに再建には数年以上かかるとみられ、仮設診療所での医療支援で「空白を埋める」(厚労省幹部)のが狙いだ。
 避難生活の長期化で、避難所では体調を崩す高齢者が増加、深夜に肺炎などで救急搬送される例も少なくない。仮設診療所では風邪から高血圧症の治療など地域の診療所で受けられるような初期医療を提供、感染症予防にも当たる計画だ。
 阪神大震災の際も十数カ所で仮設診療所が設けられたが、地域医療が徐々に回復したため、医療支援は医師や保健師の巡回が中心だった。
 厚労省では、近くに病院や診療所があるケース以外は、仮設住宅群に診療所を設置。近所に診療所があっても大規模な仮設住宅群には診療所を設け、すべての入居者が診療を受けられるようにする。
 厚労省は第1次補正予算で被災地への仮設診療所約30カ所の建設費として約10億円を計上したが、避難所周辺への設置が中心で、仮設住宅への本格的な整備は第2次補正予算からになる見通し。
 被災3県には5月2日現在で日本医師会の災害医療チーム(JMAT)や日本赤十字社の応援医師、看護師、保健師ら約1100人が展開。厚労省では「今後数年は現在の応援人員ぐらいは必要」としている。

 仮設診療所とは 大規模災害により地域の医療機関が被災した際、医師や看護師らが常駐、住民に初期医療を提供する施設。プレハブ造りが主流だが組み立て式のものもある。阪神大震災時にも仮設住宅に併設された。東日本大震災で厚生労働省が計画しているのは、エックス線などの検査室なども備えた本格的なもので、1カ所につき3千万〜4千万円程度の費用が必要となる。
(2011/05/09)

参照元:岩手日報ウェブサイト 全仮設住宅群に診療所 厚労省が整備方針

防潮堤64%が損壊 県内漁港海岸の被害状況

 県は8日、東日本大震災による県内の漁港海岸(水産庁所管の海岸)の防災施設の被害状況を公表した。防潮堤は津波のために総延長39・4キロメートルの約64%に当たる25・3キロメートルが損壊。一方で、シミュレーションに基づき、防災施設が津波の高さを抑制するなど一定の効果を果たしたことを説明した。
 漁港海岸の防災施設被害は、同日に盛岡市内で開かれた第2回県津波防災技術専門委(委員長・堺茂樹岩手大工学部長、委員8人)で県が提示した。
 被害が顕著だった山田町の船越漁港海岸の防潮堤は浦の浜、船越南両地区で計510メートル、田の浜地区で計230メートルが全壊。大船渡市の越喜来地区の3海岸では計600メートル、大槌町の吉里吉里漁港海岸では計240メートルが全壊した。
 被災のメカニズムも示され、押し波による破損や陸側への倒壊に加え、防潮堤を越えた津波の引き波によって、基礎部分の盛り土が浸食され海側に倒壊したケースもあった。
 水門は142基中52基、門扉は331基のうち137基で被害が確認された。
 県は防災施設の有無による津波の最大水位と流速、到着時間を比較したシミュレーション結果を公表した。
 宮古市の田老地区は、防災施設有りの場合が堤防背後の最大水位で3・1メートル低く、津波の到着時間も7分遅かった。
 委員は今回のシミュレーションで対象となった沿岸9地点について、防潮堤などに一定の効果があったと判断。詳細な検討に必要なデータを加え、今後追加の計算をしていくことを県に求めた。
 次回は23日に開催予定。同専門委は、県復興委が6月上旬までにまとめる復興ビジョンの素案に議論を反映させる。
(2011/05/09)
参照元:岩手日報ウェブサイト 防潮堤64%が損壊 県内漁港海岸の被害状況

2011年5日8日掲載

東日本大震災:ありがとう…母の日のカーネーション

 「母の日」の8日、津波で全壊した岩手県山田町の中村生花店では、色とりどりのカーネーションが並んだ。被災した人のためにと、白いカーネーションもそろえられた。店主の中村勇二さん(49)は「早く店を再開してほしい」という要望を受け先月、駐車場にテントを張っただけの店を再開させた。【三浦博之】

参照元:毎日.jp 東日本大震災:ありがとう…母の日のカーネーション

2011年5日7日掲載

浅草の人力車夫走る 岩手県山田町 粋なボランティア

 こどもの日の五日、東日本大震災の被災地・岩手県山田町で、こいのぼりをたなびかせた人力車が子どもたちの笑顔を乗せて、がれきの町を走った。車をひいたのは、台東区浅草を拠点に営業している人力車夫、岡崎屋惣次郎さん(44)と、梅村武之さん(26)だ。 (丹治早智子)
 震災後、岡崎屋さんが山田町を訪れたのは二回目。最初は先月一日から十日間で、友人が所属するボランティア団体に協力、ボランティアセンターの立ち上げや炊き出し場の確保、現地のニーズ調査、遺体捜索などに加わった。この時、本業の人力車でのボランティアを思い立った。
 五日は、辛うじて被災を免れた山田町役場隣の八幡宮で、こどもの日のイベントが開催された。本の読み聞かせや歌謡ショーなどが特設舞台で行われた会場に、岡崎屋さんの人力車が登場。たちまち子どもたちが囲んだ。
 町役場周辺は津波のほか火災にも見舞われ、周囲は今もがれきの山。パンクの危険もあったが、四十組計約百人の子どもたちを乗せて走った。初めて乗る人力車に、歓声をあげて喜んだという。
 苦境でも笑顔を絶やさない子どもたちに、「けなげさとたくましさ、たくさんの希望を感じた」と岡崎屋さん。梅村さんは本業を休業、引き続き現地に残ってボランティア活動するという。

参照元:東京新聞 浅草の人力車夫走る 岩手県山田町 粋なボランティア

2011年5日5日掲載

平塚共済病院の山崎啓一医師、岩手・山田町で医療支援

◇被災の古里に恩返し
 平塚共済病院(平塚市追分)の山崎啓一医師(62)=同市=が、東日本大震災で大きな被害を受けた岩手県山田町で医療支援に当たっている。同町は生まれ育った古里。「地元出身の強みですぐ打ち解けられる。復興の一助となりたい」と避難所を奔走し、地元への恩返しに励む。
 カキ養殖などが盛んな同町は津波で4割以上の家屋が全壊し、人口1万9270人のうち581人が死亡し、現在も378人が行方不明のまま。山崎さんは既に両親を亡くしていたが、中学まで過ごした生家には盆や年末年始に帰省していた。
 震災後の3月下旬、夜行バスで同町に向かうと、町内を流れる織笠川の河口付近にあった生家は流されて跡形もなかった。「泣いてしまうと思ったが、悲しすぎるのか涙も出なかった」。親類や同級生も亡くした。
 同病院では呼吸器内科部長を務めるが、災害派遣を申し出て休暇を取った。4月中旬の5日間に続いて、今回は4月29日から被災者の健康管理に携わって5日まで滞在する。
 看護師や他の医師とチームを組み、自分で乗用車を運転しながら町内に約20カ所ある避難所を1日5カ所ほど巡回する。
 病院勤務と違い、被災者を回って自ら声をかけ、「その後変わりない? 夜眠れている?」と体調を気遣う。
 「神奈川から来た」と言うと「遠いところご苦労様です」とねぎらわれる。だが「実は織笠出身です」と生家の地区名を持ち出すと、両親を知っている人たちに会うことも多く、会話が弾む。被災者には遠慮なく不安や悲しみをはき出してもらえるよう、世間話も含めたやり取りを大切にしている。
 当初は寒さやストレスで体調を崩す人、家族を失った悲しみや自責の念で泣いてばかりの人もいたが、最近は笑顔も見えるようになったという。仮設店舗で商店を再開する動きもある。山崎さんは「復興の機運は感じられる」と、明るい兆しに希望を託している。【山田麻未、写真も】5月5日朝刊
参照元:毎日.jp 平塚共済病院の山崎啓一医師、岩手・山田町で医療支援

両親死亡、不明の子供少なくとも132人に

 東日本大震災で両親が亡くなったり行方不明になっている高校生までの子供は、岩手、宮城、福島の被災3県で少なくとも132人に上ることが4日までの毎日新聞の調べで分かった。判明している大半は、親戚などに保護されているが、両親のどちらかを亡くした子供も加えるとその数は大幅に増えるとみられ、就学や進学、経済的な支援も含めた対応が早急に求められている。【宇多川はるか、山中章子、種市房子】
【ぼくも流されて、ママに会いたいなあ。波になりたい】
 被災3県に、両親が死亡または行方不明になっている子供の数を聞いたところ、岩手県では山田町などで18歳未満が少なくとも57人、宮城県も女川町や東松島市などで同じく57人、福島県では相馬市やいわき市などで18人(4〜18歳)だった。
 子供たちは、「大半は親族が世話をしているが知人宅にいるケースもある」(岩手)▽「57人中55人は県内外の親戚に保護され、2人は県内の児童養護施設に入所している」(宮城)▽「ほぼ親戚などに保護されている」(福島)となっており、ほとんどが身内の家庭に引き取られている。
 3県とも児童相談所の職員が、避難所などを訪問して子供の様子や今後の養育について聞き取り調査を実施中で、可能な限り親族のもとで養育してもらうよう勧めている。福島県は、東京電力福島第1原発事故の対応などで、実態把握が遅れ気味という。
 宮城県は「3親等以内の親族が育てる『親族里親制度』(生活費などの手当が出る)の活用を勧めている。親族が見つからない場合は児童養護施設に入所してもらった上で、親族以外が育てる『養育里親制度』(同)を利用してもらうか調整する」と話している。
 阪神大震災では、兵庫県内で両親ともあるいは父母のどちらかを亡くし保護者がいなくなった子供が68人報告されている。東日本大震災の死者・行方不明者数は2万5056人(4日現在)で、阪神大震災の6437人を大幅に上回っており、保護者を亡くした子供の数はさらに増えるとみられる。
参照元:毎日.jp 両親死亡、不明の子供少なくとも132人に

2011年5月4日掲載

<サポート情報>イベント…4日現在

<岩手県>
 ■ユニセフこどもバス遠足
 日本ユニセフ協会は7、8の両日、県沿岸地域の未就学児から中学生までを対象に、動物園などで遊ぶ昼食付きの無料バス遠足を実施する。6日までに事前申し込みが必要。それぞれ定員40人で先着順。受け付けは岩手県北バス(電話0120・183・705)で10〜17時。小学3年以下は保護者が同伴する。各コースは次の通り。

 ◆陸前高田市=米崎小前▽高田小▽旧矢作中を出発し、7日は遠野ふるさと村、8日は宮沢賢治童話村へ◆大船渡市=8日に大船渡中前▽大船渡北小入り口(上山交差点)▽大船渡市役所入り口▽猪川小前を出発し、宮沢賢治童話村へ◆大槌町=吉里吉里小▽大槌バイパス北小前を出発し、7日は遠野ふるさと村、8日は宮沢賢治童話村へ

 ◆釜石市=8日に釜石駅前▽ジョイフルタウン前▽小佐野駅向かい▽甲子中前を出発し、宮沢賢治童話村へ◆宮古市=グリーンピア田老▽田老第一小▽宮古駅を出発し、7日は遠野ふるさと村、8日は盛岡市動物公園へ◆山田町=7日は豊間根R45JA支所前▽大沢川向▽道の駅山田を出発し、遠野ふるさと村へ。8日は道の駅山田▽大沢川向▽豊間根R45JA支所を出発し、盛岡市動物公園へ

 ◆普代村・田野畑村=8日に田野畑村役場▽普代村役場を出発し、いわて子どもの森へ◆岩泉町=8日に小本駅▽岩泉竜泉洞温泉ホテル▽岩泉駅を出発し、いわて子どもの森へ◆野田村=7日に野田駅▽野田村役場前を出発し、盛岡市動物公園へ◆久慈市=7、8日とも侍浜小▽夏井駅前バス停▽久慈駅を出発し、いわて子どもの森へ
参照元:毎日新聞 サポート情報イベント…4日現在

<サポート情報>労働・雇用…4日現在

 被災者を対象とした出張相談が避難所などで開かれている。労働基準監督署やハローワークなどの職員が雇用や賃金、労災保険などの相談に応じている。
 <岩手県>
 10日=大槌町中央公民館(10〜15時)▽11日=山田町商工会、野田村役場村民ホール(いずれも10〜15時)▽12日=陸前高田商工会仮事務所(11〜14時)
5月4日(水)19時19分配信
参照元:毎日新聞 サポート情報 労働・雇用…4日現在

2011年5月3日掲載

70代女性2人 仮設で「離れたくない」

 岩手県山田町の避難所に身を寄せる2人の女性が「もう姉妹のようには暮らせないかもしれない」と、仮設住宅への入居に不安を募らせている。2人は70代。津波で自宅が押し流されるまで互いの家を行き来し、肩を寄せ合って生きてきた。ところが、この町の地形では集落単位での入居は難しく、抽選の結果次第では離ればなれになる可能性がある。【平川哲也】
 4月29日、避難先の学校体育館。仮設住宅の申込受付票を手に、皆野川(みなのかわ)美喜さん(70)は、つぶやいた。「あの時、拾ってもらわねば、今の自分はない。少しでも近くにいて恩返ししたい」。涙がほおをつたった。
 9年前の冬の夕暮れ。JR陸中山田駅(同町)のホームだった。皆野川さんは夫の振る舞いに耐えかね、離別の覚悟を胸に、着の身着のまま家を飛び出した。
 ぽつんとたたずむホームに、山田湾の波音がした。心は押しつぶされそうだった。「どうかしたの?」。掛けられた声の先に、見ず知らずの女性の笑顔があった。川崎スミさん(76)だった。
 ぽつりぽつりと身の上を打ち明けると、川崎さんはこう持ち掛けてくれた。「私も独り身なの。寂しいから、泊まりに来ない?」。離婚を経験し、子どもたちもとうに独立したと話した。どこか似た境遇の2人だった。
 それからの約3カ月、川崎さんとの暮らしは夢のようだった。料理をつくり合い、枕を並べて眠った。「血のつながりはないけど、姉妹みたいね」。そう言って笑う川崎さん宅のそばに家を借りた。
 3月11日、穏やかだった暮らしが一変した。強い揺れに、川崎さんが皆野川さん宅に駆けつけ、玄関をたたいた。皆野川さんは、右腎臓を摘出した川崎さんの体をおもんぱかり、足取りを合わせて高台を目指した。
 石段に足がかかった時だった。「早く!」。きびすを返し、2人の背後からこう叫んでくれた女性の車に飛び乗った。間もなく津波が襲い、一帯をすべてのみ込んだ。
 出会ったばかりのころのように、布団を並べて寝る避難所で、皆野川さんは川崎さんの体を気遣う。代わりに配給品を受け取ったり、散歩に誘ったり。
 でも、いつまで一緒にいられるのか−−。皆野川さんは話す。「自炊して温かいものを一緒に食べたい。離れたくねんだ。まだ恩返しが足らねえもの」
 厚生労働省は被災6県に仮設住宅について通知し、「コミュニティー単位での入居方法」を検討するよう求めた。4月28日現在、2813人が避難している山田町は32カ所に2000戸弱を建てる予定だが、建設に適した高台は町内には少ない。町の担当者は「1カ所にまとめて建てるのは難しく、国の感覚は現場からはほど遠い」と嘆く。
 被災から間もなく2カ月がたつが、仮設入居の抽選の日取りはまだ決まらない。皆野川さんと川崎さんは2人がこれからどうなるのか、気をもんでいる。避難所でも床を並べ、姉妹のように生活する川崎スミさん(左)と皆野川美喜さん=岩手県山田町で、平川哲也撮影 5月3日(火)11時23分配信
参照元:毎日.jp 70代女性2人 仮設で「離れたくない」

避難所運営を支援、和歌山県内の行政職員 被災地ルポ

 被災した岩手県山田町の避難所運営を支援する和歌山県と市町村職員の第1陣19人が4月30日昼前、同町に到着。13カ所の避難所で活動を始めた。その模様を報告する。 (湯川優史、中陽一)
 「もう一度、復習しましょう」。午後3時ごろ、県立山田高校の体育館の舞台上。避難所運営本部で、和歌山県水産局漁業調整班長の狭間弘学さん(48)と和歌山市、高野町の職員の3人が座り込み、秋田県の職員から説明を受けた引き継ぎ事項の確認を始めた。同校には、町内で最も多い避難者約380人が生活する。
 スケジュールには「朝4時半、起きて新聞をとる」「6時58分、マイクで日付と、地震から何日たったかを伝える」「7時、ラジオ体操」などと役割が並ぶ。
 この日、夕食の時間まで決まった活動のない職員は、体育館入り口に設置したごみ袋の取り換え作業を始めた。
 午後4時半前になると、地元の人たちと協力しながら紙皿の用意をしたり、夕食を配るための準備にかかり、避難者に配るのを手伝う。自衛隊から朝と夕、食事の提供がある。シチューやおにぎり、キウイなどが運ばれる。当初は1日に1人おにぎり1個しかなかったという
 避難所本部スタッフの民間代表、三田地諭さん(62)は、牛乳販売店を営んでいたが被災し、家と店を失った。「このような状況では商売はなかなか復活できない。不安はあるが、いまはボランティアに集中すべき時。自分でそう決めている」と語る。 避難所内では掃除などの係を一応決めてはいるが、皆が自主的にさまざまな仕事を分担しているという。
 舞台の上では、看護学生(18)がポットのそばに座り、こまめにお湯の追加をしていた。「何もしていないより、何かをしていた方がいい」と学生。周りの家が被災する中、家は奇跡的に残り、両親が家に戻ったが、余震が続くため祖母と弟との3人でこの避難所で生活し、弟はここから高校に通っている。自宅で生活する時期については見通しが立たず「また津波がいつ来るか分からないし…」と不安そうに語った。
 消灯時間の午後9時前。通路の所々にストーブがともる。狭間さんは「当初、千人もここに避難したと聞いたが、住民や自治会の人らが協力し合って組織をつくって生活していることに感銘を受けた。和歌山で東南海・南海地震が起きた時、こういうことがやっていけるのだろうか。ここで目にすることがすべてためになると思います」。そう、体育館を見渡しながら語った。
■折り鶴に思い込めて
避難所体育館に3千羽
 「これやってると無心になれるし、気晴らしにもなるんです。同級生4人も亡くなってるもんだから」。1日午後5時半ごろ、山田高校の体育館。舞台のすぐそばの毛布の上で、武藤小夜子さん(65)は折り鶴に糸を通して連ねる作業に没頭していた。
 避難所にいる何人かの女性らが折ったのを武藤さんが糸で連ねている。「いま3千羽はあると思う」。体育館の壁には、赤や青、緑、黄色とさまざまな色のたくさんの折り鶴の連なりが何本もつるされていた。
 その中に1本、黒と白、灰色だけの折り鶴でできた連なり。「亡くなった方々のことを思って、そういう色でまとめてみました」
 これからのことを尋ねると「正直、何からやっていいのか。何をどう進めればいいか分からない。なるべく先のことは考えないようにしています。めいってしまうから」とつぶやいた。「でもここには大勢いるので心強い」とも語った。
5月2日(月)17時3分配信
参照元:紀伊民報 避難所運営を支援、和歌山県内の行政職員 被災地ルポ

2011年5月2日掲載

【山田】保育所に手作りバッグ 出身の吉田さん寄贈

 山田町豊間根出身で川崎市高津区在住の主婦吉田里嘉子さん(38)は30日、同町後楽町の町第一保育所(阿部哲雄所長、園児79人)に主婦仲間で手作りしたバッグなどをプレゼントした。
 同保育所は津波で園舎1階が浸水。自宅が流された園児も多く、登園に必要なバッグなどが不足していた。友人を通じて古里の窮状を知った吉田さんは、近所の主婦仲間に呼び掛けて、登園用バッグや手提げ袋などを手作りした。
 当初、バッグ30個の予定だった物資は共感の輪が広がり、女児向けの髪飾りや巾着袋など500点以上に。吉田さんが物資を携えて来園すると、園児はバッグなどを広げて「かわいい」「お母さんにプレゼントしたい」などと声を上げて喜んだ。
 自身も3歳の娘がいる吉田さんは「津波が来た日はどんなに心配だっただろう」と園児と保護者の心を気遣いながら、「子どもたちが喜んでくれて、たくさんの物を持ってきたかいがあった」と話した。
【写真=手作りバッグを広げて喜ぶ園児の姿に、ほほ笑む吉田里嘉子さん(中央)】(2011.5.1)
参照元:岩手日報 【山田】保育所に手作りバッグ 出身の吉田さん寄贈

5年生が臨時バスの「案内課長」

 大震災の避難所になっている岩手県山田町の町立山田北小で、5年生の野崎勇輝君(10)が「バス課長」として、避難所の運営に活躍している。自宅が津波で流され、避難所で祖母、母、妹と4人で過ごしながら、自衛隊の仮設風呂行きの臨時バスを案内し、率先して大人を手伝う。「子どもがこれだけ頑張ってるんだから頑張ろう」。大人も野崎君に元気をもらっている。【大沢瑞季】
 ◇「お風呂行き、ご乗車の方はどうぞ」
 「お風呂行きバスが来ました。ご乗車の方はどうぞ」。野崎君は拡声機を手に体育館に避難中の約150人に呼びかける。タオルなどを持った数人がバスに乗り込むと運転手に敬礼し、「それでは、よろしくお願いします」と声を掛け、バスを見送った。
 臨時バスは岩手県北バス(盛岡市)が運行する。バスや電車が大好きな野崎君は「山田北小バス課長」を自ら名乗る。避難所の机に自分のスペースも設けて「岩手県北バス」と書いた紙も張った。ノートに営業日誌もつけ、4月25日は「今後の営業方針 頑張る」「反省点 問い合わせに応じられるようになる」と書き込んでいた。「避難所生活は大変だけどみんな頑張ってる。だから手伝いたかった」と話し、弁当を配ったり、支援物資も運んでいる。
 震災時、野崎君は山田北小の教室にいた。校舎裏の高台に避難すると、黒い津波がほこりを巻き上げ、家々をのみ込んでいく様子が見えた。同小のグラウンドにも押し寄せ、鉄棒やブランコも破壊した。2日後、海岸近くの自宅に母節子さん(44)と行くと土台だけになっていた。野崎君は何も言わず、皿や電子レンジなどを見つけては「お母さん、これうちのだよ」と拾った。勉強机などは見つからなかった。
 4月中旬、避難所で流行した胃腸炎にかかり、救急車で病院に運ばれ、2日間入院したことがあった。退院後も手伝う姿に、住民代表として避難所を運営している小成孝也さん(48)は「野崎君が手伝っているとみんな笑顔で声を掛ける。子どもの頑張りに大人が勇気づけられている」と話す。
敬礼してバスを見送る、「バス課長」の野崎勇輝君(左)=岩手県山田町で2011年5月1日、大沢瑞季撮影
参照元:毎日.jp5年生が臨時バスの「案内課長」5月2日(月)11時37分配信

2011年5月1日掲載

大工道具、全国から続々…ツイッターで支援の輪

 東日本大震災で津波に遭い、大工道具を失った岩手県釜石市の大工を応援しようと、簡易投稿サイト「ツイッター」で呼びかけたところ、全国から大工道具が続々と寄せられている。
 提供を受けた同市箱崎町の荒屋安男さん(68)は「こんなことがあるのかとたまげている。元気づけられる」と話し、同じく被災した同県大槌町や山田町などの仲間にも道具を配り、被災地の復興に向け、決意を新たにしている。
 荒屋さんは津波で自宅が全壊し、仕事道具すべてを流された。4月中旬、友人宅で、仕事をやめる決心をしたと告げたところ、ボランティア作業のため友人宅に宿泊していた女性(36)が窮状をツイッターで発信。道具の受け入れ先として友人宅を記すと、電動ノコギリやカンナ、脚立などが大阪市の建築家でつくるボランティア団体などから続々と届けられるようになった。
最終更新:5月1日(日)0時46分
参照元:読売新聞 大工道具、全国から続々…ツイッターで支援の輪

そばで被災者応援 新十津川の同好会員ら−−岩手

 ◇打ちたて振る舞う
 ソバの産地、新十津川町のそば打ち愛好家でつくる「新十津川そば同好会」のメンバーが29、30の両日、東日本大震災の被災地、岩手県山田町の避難者に打ちたてのそばを振る舞った。
 「自慢のそばで応援しよう」と計画。ボランティア活動で現地入りしている町職員、大山幸成さん(38)が連絡調整にあたった。新十津川そば同好会と交流している青森県東北町のそば同好会9人も加わり、19人が参加した。
 大山さんによると、29日は144人が避難している町立山田北小で、夕食時にかけそば280食を提供。温かいそばを受け取った野崎勇輝君(10)は「すごくおいしかった。遠くから来てくれてありがとう」と笑顔を見せた。安藤マキさん(75)も「おいしい。ありがとうござんす」と喜んだ。新十津川そば同好会の渡辺清会長(57)が「今はつらいけど、前向きに生きてください」とあいさつすると大きな拍手がわいた。
 30日は昼食時に山田町保健センター前で1300食を提供した。【西端栄一郎】5月1日朝刊
参照元:毎日.jp そばで被災者応援 新十津川の同好会員ら−−岩手

東日本大震災:被災地を取材して 復興への思い強く=片平知宏

 ◆岩手県山田町
 震災から1カ月以上たっても、街にはがれきが残り、磯の香りが鼻についた。4月20〜28日、東日本大震災で被災した岩手県山田町などを取材した。泥をかぶったおもちゃのピアノ、ちゃんちゃんこ……。木ぎれやコンクリート片に混ざって目に留まる品々が、人の営みを巨大津波が一瞬で奪い去ったことを物語っていた。
 被災者から話を聞くために、避難所を回った。県立山田高の避難所では、化粧セットが無料で配られていた。「お化粧ができるのはうれしい」と笑顔を見せていた五十嵐久美子さん(35)を写真に収めた。
 だが、被災体験を聞くと「私と別の場所にいた母は駄目でした」。頭を殴られたような衝撃で言葉が出てこなかった。それ以上何も聞けなかった。
 カメラを向けると笑顔を見せてくれる被災者たち。その笑顔と、抱えている悲惨な体験との果てしないギャップに、話を聞くのが怖くなった。
 風呂を借りに山田高を訪れていた今野貴子さん(42)
は、毎日新聞の腕章を見て話しかけてくれた。夫は養殖業をしていたが津波ですべて流され収入を断たれたという。宮古市内の進学校に通う高2の娘(16)の交通費がいかに負担になるかを切々と語ってくれた。
 「無職になったのと同じなのに、支援がない。漁師の子は進学校には通っちゃ駄目、と言われているみたい。記事にはならなくてもいい。ただ、こうした現状を知ってほしい」
 避難所に向かう途中、山田町で真新しい看板の造船所を見つけた。津波で壊れた船が10隻以上並び、忙しそうに修理している。海沿いにあった元の造船所が流され、場所を借りての再開だという。
 船大工の前山峯雄さん(67)は、自宅が全壊した。「がれきが沈んでるから、秋ごろまでは漁は無理だな」と手を休めずに話す。よく見ると大きい穴が何カ所も開いた船もあり「これって直るんですか」と間の抜けた質問が口をついた。「直るか直らないかじゃねぇんだ。直すんだよ」
 学校が再開し、被災地も日常を徐々に取り戻しつつある。しかし大切な家族や友人、住む家をなくし、復興などと考えられない人も大勢いるのが現実だ。そんな中、前山さんの職人らしい、ぶっきらぼうだが力強い言葉に、復興にかける思いの強さを感じた。
 「北海道から来た」と話すたびに「遠い所からご苦労さまです。ありがとう」とお年寄りが深く深く頭を下げてくれる。わずか1週間程度の取材で被災者の心の痛みが分かるのか、本音を聞けるのか、被災した人のために何ができるのか。「ありがとう」と言われるほどの事など何もできていない自分が、いたたまれず苦しかった。感謝にどうすれば報いることができるのか、考え続けたい。(北海道報道部)5月1日朝刊
参照元:毎日.jp 被災地を取材して 復興への思い強く=片平知宏 /北海道

2011年4月30日掲載

被災行楽地ひっそり 家族ら往来で道路渋滞も

 市街地のあちこちでがれきが山積みとなったままの被災地。大型連休を迎えたが、例年はにぎわっていた行楽地に観光客の姿はない。避難生活を送る住民たちは「震災がなければ出掛けたはずが…」「連休の雰囲気なんてない」と寂しげ。一方で休日を利用して被災者の家族が行き来したりボランティアが多く詰め掛けるなど一部の道路は「渋滞」した。
 宮古市の浄土ケ浜は29日午前、ひっそりと静まり返り、観光客の安全祈願が規模縮小して行われた。岩場の絶景を見渡せる遊歩道は落石や無数の陥没で通行できないまま。
 宮古観光協会の沢田克司会長は「こんな寂しいゴールデンウイークは初めてだ」と海を見つめ「浄土ケ浜は陸中海岸のシンボル。ここが復興しないと沿岸の観光振興はあり得ない」と再起を期した。
 大船渡市末崎町の名勝「碁石海岸」。周辺の桜は見ごろを迎えたが、観光客の姿はほとんどなかった。連休終盤の碁石海岸観光まつりも中止に。レストハウスを運営する小川の小川広文社長は「観光客が見込めないのはしょうがない」と半ば諦め気味に語った。
 久慈市中町のやませ土風館近くの巽山公園は家族連れの姿が目立ったが、他県ナンバーの車や観光バスがないのが例年との違い。市観光物産協会の中塚勝則事務局長は「自粛するだけでなく継続できるものはやっていきたい」と前を向く。
 陸前高田市では連休を利用して訪れた他県ナンバーの車も目立ち、変貌した古里に言葉を失いながら家屋跡などに花束を供える人の姿があった。
 5月に高田高に入学する菅野万惟さんは「いつもなら買い物とか花見とかしていたが、今年はそんな感じではない」、同級生の金野聖実(きよみ)さんは「学校が始まっていないので毎日が休み」と自嘲気味に話した。
 大槌町吉里吉里の吉里吉里小では、避難している子どもたちが校庭でブランコ遊びをしたり、室内でテレビゲームをして静かに過ごしていた。避難生活を送る田中千代子さん(60)は「いつもなら孫と近くの海へ出掛ける。泊めてあげる家も無くなってしまった」とぽつり。
 山田町船越の山崎修さん(34)は津波で工場が流され会社を解雇されたが「山田は店もなくなって買い物も満足にできなかった。娘に好きな物を買わせてあげたい」と盛岡市への家族1泊旅行を計画中だ。
【写真=観光シーズンを前に行われる浄土ケ浜の子安地蔵尊安全祈願祭。例年のような観光客の姿はない=29日、宮古市】(2011/04/30)
参照元:岩手日報 被災行楽地ひっそり 家族ら往来で道路渋滞も

災害ボランティア現地入り 「1日も早く普通の生活を」

 東日本大震災を受け、「みえ災害ボランティア支援センター」が公募した災害ボランティア20人でつくる「みえ発! ボラパック(災害ボランティアバスパック)」が、29日から5月3日までの予定で、被災地の岩手県山田町の災害ボランティア支援センター入りした。
 3月14日に阪神淡路大震災などでボランティア活動をしていた人たちで同支援センターを設立。先遣隊が東日本の被災地入りしてニーズを探ったほか、被災者らと協議し、同センターとして同町を重点支援地域として決定。今回の第1便に続き5月2日から8日まで、交代要員の第2便20人を同町に送る。
 現地入りした第1便は学生や会社員の男性14人、女性6人。20歳代から62歳までで、ボランティア経験が豊かな人が多く、ゴールデンウイークで集中する一般ボランティアのコーディネートを担当。炊き出しや物資調整担当などを手際よく振り分ける仕事に携わる。
 現地入りに先立ち、28日午後に県庁で出発式が行われ、リーダーの川瀬みち代さん(62)が「被災者が1日も早く普通の生活ができるように支援していきたい」と述べ、鈴木英敬知事が「誇りをもって支援に携わってください」と激励した。
 同支援センターでは、当面第5便までの派遣を計画しており、大学生以上のボランティアを募集している。問い合わせは津駅前にあるアスト津3階の同センター((電)059・226・6916)へ。4月30日(土)
参照元:産経新聞 災害ボランティア現地入り 「1日も早く普通の生活を」三重

「街の音」消えた 被災地ルポ

 巨大な堤防が壊され、陸側は一面、がれきが広がる―。東日本大震災の被災地に入って2日目の29日、私たちは宮城県から東北自動車道を北上し、岩手県山田町を訪れた。漁業が主な産業で、海の恩恵を受けて発展してきた町だが津波で大きな被害を受けていた。 (湯川優史、中陽一)
 午後1時50分、町役場に着いた。まちの中心部、海岸から500メートルほど離れた山際にあり、被災をまぬがれていた。屋上から街並みを見る。悲惨な状況を目の当たりにすると同時に、異様な静けさにも気付いた。
 耳に入ってきたのは、車が走る音と、時折上空を飛ぶ自衛隊のヘリコプターの音。カラスの鳴き声。「街の音」がまったく聞こえなかった。
 役場を出て周辺を歩く。自衛隊員が消石灰をまいている。車は通れるようになっているが、建物があった場所は、がれきの山。粉じんが舞ってマスクなしでは歩けない。
 震災前は、どんな街並みだったのか。
 「ここは商店街。向こう側は、漁師が集まる飲み屋街があったんだ」。そう教えてくれたのは、仮設の派出所の建設作業中だった佐々木明さん(42)。辺りでは火災も発生したが、消火活動ができず、まちは1週間近く燃え続けたという。
 海の方に向かうと、高さ4、5メートルはある堤防が破壊され、すぐ前の建物をつぶしていた。陸には、打ち上がった漁船が数隻あった。
 役場近くで民宿を営んでいた山根勝郎さん(69)は、間一髪で津波をまぬがれた当時の様子を振り返った。「自宅前の通りに出ると、海の方から建物が丸ごと波に押し流されて来るのが見えた。何も持たず、とにかく走って逃げた」。想像しただけで、恐怖心が体中を駆け巡った。
 役場に戻ると、罹災(りさい)証明や仮設住宅の申し込みなどの手続きで訪れた町民で混雑していた。
 ロビーには、伝言板があった。「どこにひなんしているの」「連絡待ってます」。家族や知人の安否を気遣う気持ちが、ひしひしと伝わる。
 午後3時半。役場隣の保健センターでは、パンや牛乳、カップ麺などの配布が始まるのを待つ町民が、数百メートルの長い列をつくっていた。
●和歌山の医師が活躍 
 役場から車で内陸に走り約20分。和歌山県医師会のチームが27日から30日まで支援に来ている避難所の豊間根中学校を訪ねた。多くの人が避難生活を送る体育館のそばを抜けると、「相談室」と札のかかった部屋が仮の診療所となっていた。避難所が開設されて以降、県内の医療機関が引き継ぎながら運営してきた。同チームは医師2人のほか、看護師、薬剤師など計10人で運営にあたった。
 そのなかに田辺市から来た医師の水本博章さん(62)の姿があった。外来は毎日20人ぐらいいて、往診もある。大けが、大きな病気というのではなく、これまで飲んでいた薬がなくなった、処方してほしいという求めや、避難している人たちの健康上の問題などに対応しているという。「もともと地区には医療機関がなく、受診に来た人の『ありがとう、ご苦労さんですね』という言葉が印象的です」と語る。
 この診療所も30日には閉め、その後は訪問診療に移るという。水本さんは「実際現場に来ると、うなるしかない。医療も社会基盤がある程度整っていてできるもの。地元の医師の中には、亡くなられた人もいるが、最近になって少しずつ日常の診療も再開されてきた。これからは、地元の医師に診てもらえるように、側面から応援していく方向になる」と話した。

 町によると28日現在、収容した遺体は580体。378人の行方が分かっていない。31カ所の避難所で、計約2800人が生活している
参照元:紀伊民報 「街の音」消えた 被災地ルポ 4月30日(土)

200匹の“こいのぼり”岩手県山田町を泳ぐ 静岡県など全国から寄贈

 青空の下を泳ぐ、200匹のこいのぼり。揚げるのを手伝った子どもたちが笑顔で駆け回った。震災で大きな被害を受けた岩手県山田町の「鯨と海の科学館」で29日、全国から集まったこいのぼりが舞った。
 「元気をなくした子どもたちを喜ばせたい」と動き始めた地元住民に、町観光協会が協力してインターネットで呼び掛け、全国から100匹が集まったほか、静岡県が200匹を寄贈した。
 揚げられたのは、このうち200匹。黙とうの後、30人の子どもたちがロープに取り付け、自衛隊の協力で掲揚した。
 長さ100メートル以上のロープにつるされたこいのぼりが、風を受けて元気よく泳ぐ姿に、大きな拍手がわいた。
 参加した小学5年佐々木那緒登君(10)は「今年は無理だと思っていたからうれしい。歌を歌いたい気分だ」とご機嫌だった。
 静岡県は、阪神大震災の後にもこいのぼりを贈っている。29日の掲揚に駆け付けた同県職員の小川幸弘さんは「静岡も大地震を想定しており、人ごとと思えない。精いっぱい協力したい」と話していた。

参照元:中日新聞 CHUNICHI Web200匹の“こいのぼり”岩手県山田町を泳ぐ 静岡県など全国から寄贈(写真掲載あり)
2011年4月30日

2011年4月29日掲載

ボランティア充足地域も 大型連休中の被災地

 県内の被災地では、大型連休中にボランティア希望者が大勢訪れることが予想される。しかし、被災した市町村の災害ボランティアセンターでは連休前に、地域の需要と人員の調整を終えており、既に受け入れを締め切ったところもある。関係者は「役に立ちたいという気持ちはありがたいが突然訪れても作業がない場合もある」と、被災地の状況を把握してから訪れることを呼び掛けている。
 宮古市災害ボランティアセンターでは、地域からの依頼と派遣する人の調整が済み、連休中のボランティア受け付けを終了した。陸前高田市のセンターも連休中のボランティアは充足している状態だという。
 大槌町のセンターでは、5人以上のグループを対象に受け入れている。30日は500人程度が作業する。
 山田町のセンターも5人以上の団体を受け入れており「ニーズとの調整ができるか確認するため事前の問い合わせが必要」とする。
 県災害ボランティアセンターを運営する県社会福祉協議会ボランティア・市民活動センターの根田秋雄所長は「ボランティア数が充足しているところもあり、足を運んですぐ作業が決まらないこともある」とする。沿岸広域振興局は「復旧作業に支障がでる懸念もあるので急を要しない一般車両の乗り入れを控えてほしい」と訴えている。問い合わせは、県災害ボランティアセンター(019・637・7594)へ。(2011/04/29)
参照元:岩手日報 ボランティア充足地域も 大型連休中の被災地

阿智建築組合が住宅見本を岩手県山田町に

 阿智村の建築業者9社でつくる阿智建築組合(原田富治雄組合長)は、木造在来工法の建築デモンストレーションに使っていた住宅見本を、東日本大震災で被害を被った岩手県山田町に贈る。約10人が現地に出向いて部材を組み立て、避難所の支援物資などを保管する倉庫や事務所として活用してもらう計画だ。
「組合として復興を支援しよう」と山田町と連絡を取り合う中で、各地から届いた貴重な支援物資が盗難に遭っていることを知った組合員たちは、県内外の展示会やイベントで建築デモに使っている住宅構造材に必要な部材を付け、倉庫にする構想を提案。「ぜひ欲しい」との声に応え、提供を決めた。
 デモ用住宅は地元産材を使った「切妻造(づくり」の4畳半で、中2階付き。27日には組合員が旧清内路中の体育館駐車場に集まり、屋根や壁などの製作や構造材の手直しなどを行った。
 原田組合長らは「大工だからこそできる、身の丈に合った応援をしようということで意見がまとまった」と話し、作業に励んでいた。
 一行は6日に村を発ち、現地で組み立て作業を行うほか、村が託す義援金50万円を町長に渡して8日までに戻る予定。

参照元:南信州新聞社阿智建築組合が住宅見本を岩手県山田町に

2011年4月28日掲載

災害ボランティア 第1陣53人が岩手へ出発

 県社会福祉協議会が募集した一般県民と学生による災害ボランティアの第1陣53人が27日、本県が支援する岩手県へ向かった。同県山田町を中心に5月4日まで活動する。同協議会は5月下旬の第6陣まで一般の派遣を計画している。
 災害ボランティアは宿泊先や食料を自ら手配し、保険に加入することが条件。宮城県と岩手県の一部では、条件付きで県外ボランティアの募集も開始。県社会福祉協議会は「希望者は個人で対応せず、まず県や社会福祉協議会に相談してほしい」と話している。4月28日(木)
参照元:産経新聞災害ボランティア 第1陣53人が岩手へ出発

震災孤児支援へ 和歌山市が“ホストファミリー”事業 /和歌山

 和歌山市は27日、東日本大震災で身寄りを亡くした子どもを一時的に受け入れられる世帯を「ホストファミリー」として認定する事業を始めると発表した。受け入れ期間は原則半年で、最長1年間。心のケアなどの専門研修を受けたうえで、子どもを迎える。
 大橋建一市長が定例会見で明らかにした。対象は18歳未満。震災後、同市が職員を派遣した岩手県山田町などで呼びかける。同市でのホームステイを希望する被災者の申し込みは、5月23日〜来年3月末まで。
 ホストファミリーは約10世帯を想定し、市は養育費などの支援を検討している。認定の条件は特に設けず、担当職員が家庭を訪問し、面接して決める。子育て経験の有無は問わない。認定後の研修で、子どもへの声のかけ方などの専門知識を学ぶ。生活にかかわる支援窓口なども紹介する。
 市は今月25日から、受け入れを希望する世帯を対象にした説明会を実施している。大橋市長は会見で、「多くの人にホストファミリーになってもらい、被災した子どもを迎えたい」と述べた。
 問い合わせは和歌山市こども総合支援センター(073・402・7830)。【藤顕一郎】4月28日朝刊
参照元:毎日.jp 震災孤児支援へ 和歌山市が“ホストファミリー”事業 /和歌山

2011年4月27日掲載

家族の思い受け、自衛隊集中捜索 山田

 山田町で26日、航空、陸上自衛隊約1100人が東日本大震災による行方不明者の集中捜索を行った。今回は町を通じて町民らから要望を受けた場所が重点。「一日も早く家族を見つけて」。立ち会いの家族の悲痛な声に何とか応えようとがれきとの格闘が続いた。
 同町織笠の三陸縦貫道山田道路織笠高架橋西側。海よりの住宅地から流されたがれきが水田地帯を覆う。ここ数日の雨でできた大きな水たまりとがれきの中で航空自衛隊員が懸命に活動した。
 一帯の捜索を依頼した福士稔さん(43)は、付近で震災1週間後に兄嫁、3週間後に父庸悦郎さん(76)が遺体で見つかったが、母正子さん(71)は行方不明のままという。
 福士さん自身、急きょ東京から古里に戻って家族の捜索を続けてきた。毎日、実家が流された織笠川沿いを歩き回り、がれきの中を何度も何度も往復した。
 26日も捜索隊とは別に、がれきに足を踏み入れた。ようやく思い出のアルバムだけが見つかった。あの日から40日余りがたつが「家族にとってはまだ終わりじゃない」。震災数日前に電話で聞いた正子さんの声が耳に残る。
 町によると、町民らからの重点捜索要望は約70カ所。自衛隊は27日も千人以上の態勢で集中捜索し、写真など貴重品も回収する。
 航空自衛隊山田分屯基地の成田益己副隊長は「住民の方々の思いを受け止め、一人でも多くの発見に努めたい」と誓う。
 自衛隊のほか在日米軍、海上保安庁、警察などは26日まで2日間、本県、宮城、福島各県で集中捜索を行った。
 自衛隊はこれまでで最大の約2万4800人を投入し、防衛省によると2日間で94人を収容した。
【写真=がれきを取りのけながら懸命に行方不明者を捜索する自衛隊員=26日、山田町織笠】(2011/04/27)
参照元:岩手日報 家族の思い受け、自衛隊集中捜索 山田

<サポート情報>仮設住宅の着工状況 27日現在

■仮設住宅の着工状況
 (国土交通省まとめ。27日午前10時現在)
*市町村は建設地で、他自治体の住民用に使われる場合もある。カッコ内は着工済みの地区数。戸数は着工予定と着工済みの合計。
 市町村  地区数     戸数
<岩手県>
陸前高田市 21(11) 1274
釜石市   16(12) 1666
大船渡市  15(12) 1094
宮古市   24(17) 1188
久慈市    1( 1)   10
大槌町   15( 9) 1251
山田町   14( 7)  858
岩泉町    3( 3)  143
洋野町    1( 1)    5
田野畑村   2( 2)  144
野田村    1( 1)  128
住田町    3( 3)   93
岩手県計 116(79) 7854

参照元:毎日.jp <サポート情報>仮設住宅の着工状況 27日現在

記者が見た被災地:東日本大震災の現場から がれき分け、悲痛な思い

 ◇ひ孫の行方、宮大工の彫刻刀、家族のアルバム…
 「出てこーい」。男性が何度も声を張り上げていた。押しつぶされた家の屋根をのこぎりで切り、がれきをかき分ける。その必死な表情を前に、なかなか声を掛けられなかった。この男性は、孫娘(20)がひ孫(1)を右腕でしっかりと抱き、2人で横たわる遺体を屋根の中から自分で見つけた。生後約1週間のもう一人のひ孫は行方が分かっていない。「きっと近くにいるはずだ」。そう信じる男性はまた、のこぎりを握った。
 たくさんの人が愛する家族を、大切な思い出を探していた。岩手県東部の山田町。地震発生2日後の3月13日から約1週間、現地に入った。防波堤はなぎ倒され、家屋や車はほとんど原型をとどめていなかった。町中心部の山田地区では津波襲来後のガス爆発などにより、至るところで火災が起きた。街が黒く焼けていた。
 基礎部分だけが残った家の跡に座る男性がいた。沿岸部が壊滅的な被害を受けた織笠地区の稲川茂作さん(75)は、全国の寺や神社などで腕をならした宮大工だ。仕事道具を探しに自宅に戻ったが、見つかったのはバールが数本だけ。「彫刻刀が全部なくなった。それが一番悔しいんです」と背中を丸めた。
 田の浜地区の主婦、浜登延子さん(63)は「逃げろー」という叫び声を聞き、仏壇に手を合わせた後、山手に逃げた。家はもうないが、夫と家族の「思い出」を探している。「せめてアルバムだけでもと思ったけれど……。命があって良かったが、すべてがなくなり、これから生き地獄です」。声を振り絞った。
 「もう元通りにはならない」。多くの被災者がつぶやくのを何度も聞いた。がれきの山を歩き、電気のない夜の暗闇に立つと、正直言って「復興」の2文字はまだ頭に浮かばなかった。ただ、悲しみを抱えながらも、一日一日を一生懸命生きる被災者の姿があった。
 秋田から飛行機に乗り、大阪に戻った。着陸直前、窓から見える関西の夜景が輝いていた。阪神大震災の苦しみを乗り越えて生まれた光。山田町の人々にも、きっと温かい光が差す時が来ると信じたい。【服部陽】4月27日朝刊
参照元:毎日.jp 記者が見た被災地:東日本大震災の現場から がれき分け、悲痛な思い

大型テントで仮設商店街=「町の復興シンボルに」―岩手

 東日本大震災で大きな被害を受けた岩手県山田町で、救援物資の大型テントを活用して仮設商店街を設置する計画が進められている。既に予定の3倍近い35 業者から出店の申し込みがあり、山田町商工会(阿部幸栄会長)が月末までに選定した上で、6月初めの「開店」を目指すという。
 名乗りを上げているのは、飲食店のほか、食料品や文房具を扱う店舗など。同商工会は、多くの町民に利用してもらえるよう幅広い業種をそろえる考えだ。
 海岸から約800メートルの位置にある児童公園に、世界食糧計画(WFP)から救援物資として送られたテント(縦10メートル、横24メートル)を設営し、仮設商店街をつくる。津波で浸水した地域だが、電気や水道も無事で、下水道を整備してトイレも設置する。 4月27日(水)
参照元:時事通信 大型テントで仮設商店街=「町の復興シンボルに」―岩手

東日本大震災:山田町の11小中学校、昼食格差くっきり /岩手

 ◇炊き出し提供/給食なく授業打ち切り
 大震災の被災地にある小中学校で相次いで新学期が始まる中、給食のめどが立たない学校では午前中で授業を打ち切りにする学校が出てきた。同じ施設を間借りして授業を受けている2校のうち1校だけが給食なしになるケースもあり、子供の成長を支える食の場で「昼食格差」が顕在化している。
 山田町では25日までに全11小中学校が始業した。同町の小中は給食でなく弁当昼食だが、町教委によると、被災程度が少ない4校は従来通りの弁当持参が始まった。6校は弁当を持たせられない家庭が多いなどの理由で昼食なしとし、午前中で授業を切り上げているが、町立大沢小は“炊き出し給食”を実施している。
 同小が新学期前に保護者アンケートをしたところ、約半数が「弁当を持たせられない」と答えた。「弁当を準備できる」とした保護者からも「みんなで同じものを食べさせたい」との要望があった。同小は避難所になっていて、家庭科調理室では毎日炊き出しがあり、学校側の求めで児童らは当面昼食を食べられるようになった。大久保裕明校長は「地域の方々のご好意のおかげ」と感謝する。25日の昼食メニューは煮卵とサラダスパゲティ、ミニトマト、いなり、おにぎり、バナナ、牛乳−−。6年生の福士美咲さん(11)は「作ってくれてうれしい」と食べていた。
 ただ、同じ施設内で学ぶ子でも昼食のあるなしが分かれてしまうケースがある。山田町の「陸中海岸青少年の家」には校舎が被災した山田町立船越小、隣町の大槌町立大槌小の2校が同居している。もともと給食センター方式だった大槌小では給食が運ばれ、午後まで授業をするが、船越小は当面、午前中授業で切り上げている。2校の「昼食格差」について山田町教委の芳賀道行・施設係長は「被災した学校を再開することが第一で、昼食の違いまでは調整できなかった。これからは子供の気持ちを考え、昼食を含めて違いがないよう調整していく」と説明する。山田町は県の災害支援によって、5月9日から3カ月間、弁当が配られるめどが立ったが、その後も保護者が子供に弁当を持たせられるかどうかは不透明だ。
 県によると、被災した沿岸13市町村のうち、山田町を含む3市町で給食が実施できていない。釜石市は給食センターが地震で損壊したため、パンと牛乳程度の食事で、陸前高田市では給食センターが災害対策本部になっているため、仕出し弁当を配達してもらっているという。【古賀亮至、写真も】4月27日朝刊
参照元:毎日.jp東日本大震災:山田町の11小中学校、昼食格差くっきり

こいのぼり約2千匹、県庁出発 被災地へ

 ■「上を向いてもらいたい」
 県が東日本大震災の被災地に送るために募集したこいのぼり約2千匹を載せたトラックが25日、静岡県庁を出発した。岩手県山田町の「鯨と海の科学館」に200匹運ばれるほか、小中学校、子供のいる避難所に届けられる。同科学館では29日に、子供らによって掲揚される予定。
 県は、阪神大震災で被災した兵庫県西宮市の小学校に毎年こいのぼりを贈っており、今回も同様の“心の支援”を行うことにした。県の小林佐登志危機管理監は「こいのぼりをみて、上を向いてもらいたい」と狙いを説明している。
 21日までに5884匹が集まっており、今回の輸送は第1弾。今後は、福島や宮城、茨城といったほかの被災県や、希望する個人などにも配る方針だ。4月27日(水)
参照元:産経新聞 いのぼり約2千匹、県庁出発 被災地へ

多機能携帯端末で感染症対策 岩手で開始

 東日本大震災の被災地で、スマートフォン(多機能携帯端末)を使ってインフルエンザなど感染症の蔓延(まんえん)を防ぐ取り組みを岩手県が始めた。沿岸部の避難所から毎日寄せられる症状別の患者数を内陸の中核医療機関で収集、流行の早期発見や封じ込めにつなげる狙い。ファクスやパソコンと比べ通信回線の制約が少なく、既にインフルエンザの早期収束に成功したケースも出ている。
 密閉された空間で多くの人が暮らす避難所は、感染症が発生しやすく、被災者の間で集団発生が懸念される。従来は、医療機関や学校を通じパソコンなどを使って感染症情報を集約していた。しかし、多数の医療機関が被災し、学校も避難所になるなど、把握が困難な状況に陥った。
 県は4月に入り、携帯電話会社の協力を得て、タブレット型と呼ばれる新書判ほどの大きさの端末50台を、200人以上が暮らす避難所を中心に無償で配布。加来浩器・防衛医大准教授が開発したシステムを利用し、インターネットで情報収集を始めた。避難所で治療に当たる医師や保健師が1日1回、避難者数とせきや下痢、発疹などの症状(8項目)がある患者の人数を入力。集約した情報は、関係者間で共有し、動向を監視している。
 岩手医大感染症対策室の桜井滋准教授によると、4月初め、避難所となっている同県山田町の高校で、体温が38度以上ある患者が急増。保健所や避難所の医師らと連携して患者の隔離や濃厚接触者へのインフルエンザ治療薬投与などを支援、感染の拡大を防いだ。
 桜井准教授は「このシステムを利用すれば、離れた場所からでもほぼリアルタイムに全体の動向や避難所ごとの状況を確認でき、早期に必要な支援が可能。さらに多くの避難所に協力を求めていきたい」としている。【林由紀子、清藤天】4月27日(水)
参照元:毎日.jp 多機能携帯端末で感染症対策 岩手で開始

2011年4月26日掲載

小中学校に「昼食格差」 炊き出し給食も

 東日本大震災の被災地にある小中学校で相次いで新学期が始まる中、給食のめどが立たない学校では午前中で授業を打ち切りにする学校が出てきた。同じ施設を間借りして授業を受けている2校のうち1校だけが給食なしになるケースもあり、子どもの成長を支える食の場で「昼食格差」が顕在化している。
 岩手県山田町では25日までに全11小中学校が始業した。同町の小中は給食でなく弁当昼食だが、町教委によると、被災程度が少ない4校は従来通りの弁当持参が始まった。6校は弁当を持たせられない家庭が多いなどの理由で昼食なしとし、午前中で授業を切り上げているが、町立大沢小は“炊き出し給食”を実施している。
 同小が新学期前に保護者アンケートをしたところ、約半数が「弁当を持たせられない」と答えた。「弁当を準備できる」とした保護者からも「みんなで同じものを食べさせたい」との要望があった。同小は避難所になっていて、家庭科調理室では毎日炊き出しがあり、学校側の求めで児童らは当面昼食を食べられるようになった。大久保裕明校長は「地域の方々のご好意のおかげ」と感謝する。25日の昼食メニューは煮卵とサラダスパゲティ、ミニトマト、いなり、おにぎり、バナナ、牛乳−−。6年生の福士美咲さん(11)は「作ってくれてうれしい」と食べていた。
 ただ、同じ施設内で学ぶ子でも昼食のあるなしが分かれてしまうケースがある。山田町の「陸中海岸青少年の家」には校舎が被災した山田町立船越小、隣町の大槌町立大槌小の2校が同居している。もともと給食センター方式だった大槌小では給食が運ばれ、午後まで授業をするが、船越小は当面、午前中授業で切り上げている。2校の「昼食格差」について山田町教委の芳賀道行・施設係長は「被災した学校を再開することが第一で、昼食の違いまでは調整できなかった。これからは子供の気持ちを考え、昼食を含めて違いがないよう調整していく」と説明する。山田町は県の災害支援によって、5月9日から3カ月間、弁当が配られるめどが立ったが、その後も保護者が子どもに弁当を持たせられるかどうかは不透明だ。
 岩手県によると、被災した沿岸13市町村のうち、山田町を含む3市町で給食が実施できていない。釜石市は給食センターが地震で損壊したため、パンと牛乳程度の食事で、陸前高田市では給食センターが災害対策本部になっているため、仕出し弁当を配達してもらっているという。【古賀亮至】
遅れて始まった新学期。炊き出しの昼食を食べる大沢小の6年生=2011年4月25日、古賀亮至撮影 4月26日(火)
参照元:毎日.jp 小中学校に「昼食格差」 炊き出し給食も

山田復興の複合拠点に スーパーびはん26日開店

 山田町内でスーパーを経営し、東日本大震災で被災したびはんコーポレーション(間瀬半蔵社長)は26日、同町八幡町の旧県立山田病院内に「びはん旧山田病院店」をオープンする。院内には銀行や郵便局なども入居を予定しており、復興の核施設となりそうだ。
 びはんは震災で町内のスーパー2店舗が被災。震災後は同町中央町のびはんプラザ店の駐車場に大型テントを張り、「青空販売」を続けてきた。
 新店舗は同病院1階に開店。食品や雑貨など約300点の商品をそろえる。旧山田病院は今震災の被害を免れたため、院内は通電済みで冷蔵施設も使える。これまで販売できなかった魚や肉、冷凍食品も販売する。
 元CT室は「おしゃれのびはん」と銘打ち、化粧品を取り扱うフロアにする予定だ。
 商品陳列など開店準備に当たったのは、同社が先月末で解雇した元従業員たち。「いつか店で働きたい」「従業員同士のつながりを大切にしたい」と自然発生的に集まり、ボランティアで作業した。
 商品棚も交流のある県内外のスーパーが無償で提供したもので、山田の復興を後押しする。びはんコーポレーションの間瀬慶蔵専務は「経済を回すことが町の早期復興につながる。多くのお客さんに来ていただきたい」と期待を込める。
 院内には、町内の「近藤医院」が既に入居し診療を開始しているほか、銀行や郵便局なども入居を予定。いずれも今回被災した事業所で緊急避難的措置となるが、複合テナント施設として町民の利便性が高まりそうだ。
 びはん旧山田病院店の開店時間は午前10時〜午後4時。プラザ店の営業も続ける。
【写真=旧県立山田病院内で商品の陳列に追われる、びはんの元従業員】(2011/04/26)
参照元:岩手日報 山田復興の複合拠点に スーパーびはん26日開店

2011年4月25日掲載

山田町が730人雇用へ 被災者を対象に

 山田町は東日本大震災の町内被災者を対象に総勢730人の雇用の場を確保する緊急雇用関連事業案をまとめた。総額は1億5900万円で国の財源などを活用したい考えだ。
 同事業案は、町役場に避難所の代表者を集めた24日の会議で示した。内容は▽役場臨時職員(募集人員4人、日額賃金5500円)▽山田の漁業復興対策支援事業(同500人、3千円)▽町道環境美化事業(同210人、6千円)▽下水道施設の不明水防止対策(点検)事業(同6人、6千円)▽避難所環境衛生対策事業(同10人、7400円)―の五つ。
 漁業復興対策支援事業は漁協組合員が対象で、状況により准組合員も可能。海上のがれきや漂流物の片付けなどを午前8時半〜午後0時半の間実施する。
 避難所環境衛生対策事業は看護師、准看護師の有資格者が対象で、避難所の感染症対策や清掃指導を担う。
 雇用期間は20日間程度から来年3月末まで職種により異なる。28日〜5月6日までに避難所、町役場町民課、町役場各支所に備え付けの履歴書で申し込む。
 24日の会議では、津波災害義援金交付と被災者生活再建支援制度の申請受け付けを5月6日に開始する案も示した。案は27日の町議会議員全員協議会で議論した上で実施する。(2011/04/25)
参照元:岩手日報 山田町が730人雇用へ 被災者を対象に

自衛隊が大規模捜索、原発20〜30キロ圏も

自衛隊は25日、岩手、宮城、福島県の沿岸部などで3回目となる行方不明者の集中捜索を開始した。
 捜索には、自衛隊員約2万4800人と、航空機約90機、艦艇約50隻を投入し、米軍のヘリ2機、海上保安庁と警察も参加。集中捜索は3回目だが、自衛隊の人員規模としては最大となる。
 過去2回の集中捜索では実施しなかった東京電力福島第一原子力発電所の半径20〜30キロ圏内でも、陸と空から捜索。警察は20キロ圏内での活動を担う。地上部ではがれきの下のほか、捜索が難航している冠水地域や沼地を中心に部隊を投入し、洋上部では航空機や艦艇が捜索にあたった。
 児童108人中65人が死亡し、現在も9人が行方不明となっている宮城県石巻市の市立大川小周辺では、陸上自衛隊と警察、消防計約650人態勢で捜索。学校周辺の冠水した田畑や土砂で埋まった住宅地で、隊員らが一列になって丁寧に手がかりを捜した。陸自第14旅団の菅野茂・幕僚長は「保護者の思いも強い。可能性がある限り丁寧に捜索を続ける」と話した。
地元住民の話を聞く自衛隊員ら(岩手県・山田町で)=立石紀和撮影
参照元:読売新聞 自衛隊が大規模捜索、原発20〜30キロ圏も 4月25日(月)14時52分

山田の産直施設、被災者らに人気 /岩手

 山田町豊間根の国道45号沿いで、農家の母ちゃんらが運営する産直施設「よっておでんせ市」が、東日本大震災の津波で被災した人たちから「新鮮な野菜が買い出しできる」と喜ばれている=写真。
 壊滅的な被害を受けた山田町で、青果物を本格的に扱う店は高台にある「道の駅やまだ」を除いてなくなった。産直施設は峠を越えた所にあるため、被害を免れた。避難所で共同炊き出しする人たちがホウレンソウやダイコン、キャベツなどを買いに来るほか、近くの小中学校などで避難生活を送る被災者も団子やリンゴ、漬物などを求めて訪れる。
 「『助かります』と喜んでくれるのがうれしい。少しでも役立ちたい」と母ちゃんたちは朝採りに励む。24戸の農家で「豊間根地区産直販売組合」(佐々木清治代表)をつくって開設したのが03年。毎週土、日曜日に店を開けている。【鬼山親芳】4月25日朝刊
参照元:毎日.jp 山田の産直施設、被災者らに人気 /岩手

「顔が水より冷たく…」 被災児童が日記

 「お父さんが軽トラでもどっていった姿を見ました。津波にのみ込まれませんように。そう祈っていました」。巨大地震と大津波が東日本を襲ったあの日、子供たちは何を見、その後をどう生きたのか。岩手県山田町の町立大沢小学校を3月に卒業した箱石佑太君(12)が毎日小学生新聞に寄せた体験日記には震災と向き合う姿が率直につづられていた。〜
参照元:毎日.jp 山田の産直施設、被災者らに人気 /岩手4月25日(月)14時42分

2011年4月24日掲載

【山田】心を込め熱々提供 盛岡の焼き鳥店

 山田町織笠の避難所・織笠コミュニティセンターで23日、「焼き鳥1000本 お届けプロジェクト」(アジア航測盛岡支店など共催)が行われ、避難者は本職の焼き鳥店主が焼き上げた焼き鳥を味わった。
 同センター前のテントでは、盛岡市の焼き鳥店「鳥正」の中田広店主がスタッフ13人の協力を得ながら一本一本心を込めて焼き上げ避難者に振る舞った。
 同センターに避難している福士謙一さん(63)は「雨の中よく焼いてくれた。震災以来初の焼き鳥。すごくおいしい」と喜んでいた。
 同プロジェクトは、同盛岡支店(菅原脩支店長)と鳥正、同市のNPO法人アイディング(藤枝薫代表理事)の共催。宮城県東松島市出身の菅原支店長がよく訪れる鳥正店主に被災者支援を相談したことからスタート。アイディングが会場選定などに協力し実現した。
【写真=一本一本心を込めて焼き鳥を焼くスタッフたち=山田町織笠】(2011.4.24)
参照元:岩手日報 心を込め熱々提供 盛岡の焼き鳥店

内陸部県営住宅の一時利用募集 被災者対象に無料で

 県は、東日本大震災の被災者を対象に、内陸部の県営住宅150戸の一時利用者募集を開始した。仮設住宅など新たな住居が確保できるまでの一時避難先として、家賃無料で最長6カ月間提供する。
 対象は県内で避難所生活を送る人で▽住宅が損壊し自己資金で住宅を得られない、または引き続き居住が難しい▽仮設住宅を申し込み済みか予定している、または自宅修理のため避難が必要▽2人以上で同居−の要件を全て満たす世帯。仮設住宅への入居が決まれば転居できる。
 募集住戸は地区別に盛岡100戸、花巻21戸、北上9戸、奥州11戸、一関8戸、二戸1戸。申し込みの際に地区を選択する。希望者が戸数を上回る場合は高齢者や障害者、ひとり親世帯を優先する形で抽選を行う。
 期間は6カ月以内。仮設住宅への入居が決まるか自宅などの修理が完了するまでの間とする。家賃無料だが光熱費などは自己負担。ペットの飼育はできない。
 申込期限は5月2日。各避難所と各広域振興局、県建築住宅センターで申込用紙を配付し受け付ける。県土整備部建築住宅課(〒020−8570、盛岡市内丸10の1)への郵送(期間内必着)とファクス(019・651・4160)でも申し込み可能。
 入居者の決定は5月中旬ごろの予定。問い合わせは同課(019・629・5931)へ。(2011/04/24)
参照元:岩手日報 内陸部県営住宅の一時利用募集 被災者対象に無料で

EPA看護師、被災地入り 誓う恩返し

 東日本大震災の被災地・岩手県山田町に24日、スマトラ沖大地震の救援活動も体験したインドネシア人の女性看護師が日本赤十字社兵庫県支部の救護班員として派遣され、同日夕、現地入りした。
 派遣されたのはスワルティさん(32)。経済連携協定(EPA)に基づく外国人看護師候補者として08年に来日し、姫路赤十字病院(兵庫県姫路市)で看護助手として働きながら勉強。今年3月、合格率4%の看護師国家試験を突破した。試験合格後、救護活動に参加できるよう院長に涙ながらに懇願し、派遣が実現した。
 スワルティさんは「スマトラ島では医療が発達しておらず、感染症がまん延した。日本の人たちにはスマトラ沖大地震の時にサポートしてもらい感謝している。小さい力だが活動させてほしい」と恩返しを誓っていた。28日まで巡回しながら健康状態を聞いたり、心のケアにあたる。【片平知宏】4月24日(日)23時42分配信
参照元:毎日.jp EPA看護師、被災地入り 誓う恩返し

沿岸8市町村の企業、津波で67%被災 748社が全壊 /岩手

 東日本大震災で甚大な被害を受けた田野畑村以南の沿岸8市町村に本社を置く主要企業2769社のうち1857社(67・06%)が津波の直接被害を受け、うち748社の社屋は全壊したことが東京商工リサーチ盛岡支店のまとめで分かった。
 対象は宮古、釜石、大船渡、陸前高田の4市と下閉伊郡(田野畑村、岩泉、山田町)、上閉伊郡(大槌町)。国土地理院などがまとめた被害状況や現地調査に基づき、主要企業の本社所在地から算出した。
 市郡別では、陸前高田市、上閉伊郡、下閉伊郡で主要企業の8〜9割が被災。上閉伊郡、陸前高田市では5割超の社屋が全壊した。
 主要企業全体の売上高5507億円のうち、被災企業は計3892億円(70・67%)を占める。うち全壊した企業の売上高は計1934億円で、陸前高田、大船渡、釜石の3市では、市全体の5〜6割を超えた。【山口圭一】4月24日朝刊
参照元:毎日.jp 沿岸8市町村の企業、津波で67%被災 748社が全壊 /岩手

2011年4月23日掲載

東日本大震災 岩手の避難所に巡回の歯医者さん

岩手県の避難所では、県歯科医師会が県内外の歯科医師や歯科衛生士らの協力を得て巡回診療をしている。23日には同県山田町の大沢小学校で、佐々木陽那(はるな)ちゃん(3)が母あかりさん(39)に見守られながら診察を受けた。
 診察室は学校の保健室で、ベッド代わりに机の上に毛布を敷いた。陽那ちゃんは被災後、奥歯の虫歯が悪化したが、かかりつけの歯科が津波の被害に遭い、通院できずにいた。治療を終えた陽那ちゃんは「ちょっと痛かったけど、歯磨き頑張る」と笑顔を見せた。【後藤由耶】
参照元:毎日.jp 東日本大震災 岩手の避難所に巡回の歯医者さん4月23日(土)

仮設商店街を開設へ 山田、公園に大型テント

 山田町商工会(阿部幸栄会長)は、同町長崎3丁目のなかよし公園に大型テントを活用した仮設商店街を5月中にも開設する。町内で被災した小規模事業者の支援と地域経済の復活を目的に最大15の仮店舗を提供。被災者の利便性も考え、物販から飲食まで幅広い業種が出店する。
 同商工会によると、仮設商店街構想は、世界食糧計画(WFP)から町に寄付された縦10メートル、横24メートルの大型テントを活用。町有地の公園で意欲ある事業者に生活再建の第一歩を踏み出してもらい、被災者も含め地域の経済活動を再始動させる。
 当初計画では、二つのテントで10〜15区画を準備。出店を募ったところ食料品や衣料品販売、理容店、飲食店、酒店など30事業者が手を挙げた。今月中に出店者を決める。
 同公園近くには仮設住宅の建設が進むが、津波や火災で町内の小売店や飲食店約350店舗の9割が被災。一部小売店を除いて営業再開のめどが立っていない。今後、出店希望者がさらに増えた場合はプレハブ方式などで店舗増設も検討する。
 同商工会の小林剛士事務局長は「1カ所で生活用品の大半がそろい、一つの商店街として成り立つような形にしたい」と準備を進める。問い合わせは同商工会(0193・82・2515)へ。
参照元:岩手日報 仮設商店街を開設へ 山田、公園に大型テント
(2011/04/23)

津波直撃の臥竜梅が満開 山田、1週間遅れで

東日本大震災で津波が直撃した山田町大沢で、県指定天然記念物の臥竜梅(がりょうばい)が満開となり、被災者に希望を与えている。
 山田湾から約200メートル、周囲の住宅地より約3メートル高台の福士弥兵衛さん(80)方に根を下ろす樹齢300年の臥竜梅。竜が寝ているような樹形が特徴だ。
 木の半分の高さまで津波を受けたが、福士さんが井戸水と木酢液をかけ続けたところ、例年より1週間程度遅れて見事に花を咲かせた。
 福士さんは「すごい生命力だ。これからも生き続けてほしい」と目を細めている。
【写真=津波に耐え、今年もピンク色の花が満開になった臥竜梅=22日、山田町大沢】
参照元:岩手日報 津波直撃の臥竜梅が満開 山田、1週間遅れで(2011/04/23)

避難所救急出動1500件 被災3県沿岸部

 東日本大震災で特に大きな被害を受けた岩手、宮城、福島3県沿岸部の自治体で、震災後1カ月間(3月11日〜4月10日)の避難所への救急搬送の出動件数が少なくとも計1556件に上ることが、各消防本部・消防局への取材で分かった。避難所への出動が全体の6割を占めた自治体もある。避難所生活で体調を崩して死亡する被災者も出ており、専門家は「仮設住宅への早期の移転が必要だ」と指摘している。【関谷俊介、樋岡徹也】
 3県沿岸部の計37市町村のうち避難所への出動件数が不明の自治体や原発事故で避難中の自治体を除く20市町村で集計。1カ月間の出動件数は計1万505件で昨年1年間の月平均件数の約2倍に上る。うち避難所への出動は15%を占めた。
 岩手県山田町では、震災後1カ月間の出動287件のうち167件(58%)が避難所への出動だった。管轄する宮古地区広域行政組合消防本部によると、震災2週間後くらいに避難所生活の疲れから脱水症状などで搬送される人が多かった。同消防本部は「避難所生活が長期化した場合、再びピークが来るのでは」と懸念する。
参照元:毎日新聞社ウェブサイト 避難所救急出動1500件 被災3県沿岸部
4月23日(土)

2011年4月22日掲載

仮設住宅の着工状況 22日現在

 国土交通省まとめ。22日午前10時現在
*市町村は建設地で、他自治体の住民用に使われる場合もある。カッコ内は着工済みの地区数。戸数は着工予定と着工済みの合計。

市町村  地区数 戸数
<岩手県>
陸前高田市 11(11)  852
釜石市   12(12) 1253
大船渡市  12(12)  979
宮古市   17(17)  960
久慈市   1(1)   10
大槌町   9(9)  779
山田町   7(7)  512
岩泉町   3(3)  143
洋野町   1(1)    5
田野畑村  2(2)  140
野田村   1(1)  128
岩手県計  76(76) 5761
参照元:毎日.jp 仮設住宅の着工状況 22日現在
4月22日(金)18時9分

東日本大震災:岩手・山田町を継続支援 知事「1カ月間に職員130人」/和歌山

 仁坂吉伸知事は21日の会見で、東日本大震災で被災した岩手県山田町の避難所に、県内の自治体職員を約1カ月にわたって継続的に派遣すると発表した。
 同県の要請に基づき、29日から5月22日の予定で、県と市町村の職員ら計約130人を派遣する。避難所24カ所のうち18〜19カ所に、職員を1班当たり5泊6日、7班体制で派遣する。食事や風呂の準備、車の誘導、物資の仕分けなどを担い、同町職員には行政システムの復旧など本業に専念してもらう。

情報元:毎日jp(毎日新聞) - 和歌山 東日本大震災:岩手・山田町を継続支援 知事「1カ月間に職員130人」 毎日新聞 2011年4月22日 地方版

NTT東のケーブルが損傷、岩手県沿岸エリアで加入電話7万3200回線など不通

NTT東日本岩手支店は22日、岩手県沿岸地域の一部において、同日9時50分ごろから加入電話やフレッツ光など同社の回線が利用できない状況になっていると発表した。原因は同社以外の工事によるケーブルの損傷だとしており、同日11時現在、回復の見込みは未定となっている。
 影響エリアは、普代村、田野畑村、岩泉町、宮古市、山田町、大槌町、釜石市、大船渡市、陸前高田市、住田町。影響を受けるサービスおよび想定規模は、加入電話が約7万3200回線、ISDNが約4800回線、フレッツ光が約1万1000回線(うち、ひかり電話が約8800回線)。このほか、企業などの専用線も影響を受けている可能性があるという。
情報元:INTERNET Watch NTT東のケーブルが損傷、岩手県沿岸エリアで加入電話7万3200回線など不通4月22日(金)15時0分

ママ友の力で被災地支援、手作りバッグなど40セットを岩手・山田町の保育所に届けよう

東日本大震災に伴う津波で壊滅的な被害を受けた岩手県山田町の出身で川崎市高津区の主婦と“ママ友”たちが、山田町の保育園に手作りの園児用バッグを届けようと作業を進めている。
 この主婦は18歳まで山田町で過ごした吉田里嘉子さん(38)。実家が高台にあったために両親は無事で、建物にも大きな被害はなかったという。
 しかし、3月下旬に実家に帰った際は「自分が育った町がなくなっていてショックだった」と吉田さん。現地の友人からは「津波被害で園児用のバッグがなくなってしまった家庭も多い」と聞いた。
 これを受けて近所のママ友たちと「自分たちで手助けできないか」とバッグの作製を決めた。手芸が得意なママ友が中心となって今月8日ごろから手製のバッグ作りをスタート。取り組みは友人の友人へと広がりを見せ、約40人が肩掛けのバッグや手提げバッグ、ヘアーアクセサリーなどを作製した。
 21日現在で33人分のセットが完成。今月末に吉田さんが故郷を再び訪れ、山田町第一保育所に40人分を届ける。3歳の長女が通うリトミック教室で合唱した応援ソングとメッセージを収録したDVDも一緒に手渡す予定だ。
 吉田さんは「山田町とは関係のない人たちにも協力してもらえて本当にうれしい。早く届けて子どもたちの喜ぶ顔が見たい」と話している。
参照元:神奈川新聞 ママ友の力で被災地支援、手作りバッグなど40セットを岩手・山田町の保育所に届けよう4月22日(金)11時0分

2011年4月21日掲載

被災漁師500人を緊急雇用へ…岩手・山田町

東日本大震災による津波で壊滅的な被害を受けた岩手県山田町は21日、国の緊急雇用創出事業の基金を活用し、漁協組合員約500人を緊急雇用すると発表した。
 同町によると、対象となるのは「三陸やまだ漁協」「船越湾漁協」の組合員の3割程度で、雇用期間は5月から3か月間。午前中の4時間、漁港の岸壁に打ち寄せられた土砂やがれきを取り除く作業に従事する。日当は3000円で、予算は約1億円を見込んでいる。
 同町はカキ養殖の生産量で県内一だが、津波で五つの漁港施設が破壊され、漁船約2140隻のうちの8割が失われた。
最終更新:4月21日(木)20時43分
参照元:読売新聞被災漁師500人を緊急雇用へ

絵で心のケア、小学校巡る=岩手県山田町 山田南小

色彩心理インストラクターの資格を持つ岩手県山田町の元保健師宇沢美知子さんは、被災した子供に自由に絵を描いてもらう取り組みを進めている。写真は避難所になっている山田南小で絵を描く子供たち(宇沢さん提供)4月21日(木)18時13分配信
参照元:時事通信絵で心のケア、小学校巡る=岩手県

被災地から:東日本大震災 記者・現場ルポ/下 「泣いていいんだよ」

◇耐える人々、心の傷深く 誇りの海取り戻そう
 「子供がもう宮古には帰りたくないって。どうしたらいいのか分かりません」「避難所で夜になると大声を上げてしまう。周りに申し訳なくて居場所がない」
 岩手県宮古市の精神科医、及川暁さん(43)の病院には被災後、子供の変化に戸惑う親たちからの相談が相次いでいる。
 30代の母親は小学生の子供と内陸部の避難所に暮らす。昼には元気に友達と遊ぶようになったが、夜になると「海はいや。一歩も近づきたくない」。津波に押し流される人や遺体を目にした子も少なくない。及川さんは「まずお母さんが子供の前で泣いて下さい。泣く親を見て、自分も泣いていいんだと安心します」と伝えている。
 「粘り強く耐える東北の被災者」。地震後に何度となくマスコミで流されたフレーズ。整然と配給の列に並び、黙々とがれきの撤去を始める姿は確かにそのイメージに沿う。だが、ある沿岸市町村の首長は「求められるだけ頑張ってしまうのが岩手人。持ち上げられ続け、プツンと切れるのが怖い」と話す。〜
参照元:毎日新聞社ウェブサイト 被災地から:東日本大震災 記者・現場ルポ 下
4月21日(木)

2011年4月20日掲載

被災地から:東日本大震災 記者・現場ルポ/上

 ◇児童ら卒業式での再会に抱き合う 「皆さんは歴史の語り部」
 高さ8・35メートルもある堤防が、まるでおもちゃのように転がっていた。多くの被災者が「映画のワンシーンのような」と表現した巨大津波の仕業だ。3月末の2週間、岩手県山田町に入った。船越湾を臨む同町・田ノ浜地区にある堤防は、過去に経験したのと同規模の大津波でも耐えられる設計のはずだった。
 そばにある町立船越小学校(児童数173人)。地震直後に海を見張った校務員の田代修三さん(55)は、湾全体が盛り上がるような津波に「ただごとではない」と身震いした。
 「津波が来たら1メートルでも高いところへ逃げろ」。1933年の大津波を経験した父から、子供のころに教わった教訓だ。児童は校庭に避難していたが、裏山へ登らせるよう佐々木道雄校長に進言。全員が上がりきった直後、津波が校舎1階と校庭を襲った。
    ◇
 同地区の漁業、糠盛(ぬかもり)祐一さん(47)は自宅も漁船も失った。津波の後、消防団員として火災の消火作業に追われた。防火水槽だけでは足りず、がれきに阻まれ海からも水を採れないため、わずかな沢水をためて使った。火は山から避難所にも迫り、住民はスコップで土をかけて防いだ。
 糠盛さんが長男で同小6年の要誠(ようせい)君(12)に会えたのは津波の5日後。抱き合って無事を喜んだ。だが、糠盛さんはがれきの撤去作業のため消防団の屯所(詰め所)に泊まり込んでおり、避難所暮らしの要誠君とは離れ離れの生活が続いた。
    ◇
 3月25日、卒業式は近くの高台にある船越保育園で行われた。「おお、要誠!」。久しぶりに会った子供たちが抱き合う。小学校の校舎に届くようにと、子供たちは声を張り上げて校歌を斉唱。佐々木校長は急きょ作った卒業証書を手渡し、祝辞を贈った。
 「皆さんは歴史の語り部となる運命を担わされた。見たこと聞いたことを語り継ぐ役割があります。今日は卒業式よりも、もっと意味がある場です」
 担任の片桐啓一教諭は「校舎は流されたが君たちの思い出は消えない。アルバムは津波に流されたが(データがあるので)また作ってもらう」と約束。「思い出は作り返す必要はない」と述べた。
 「命を守っていただき、ありがとうございました」。卒業生の保護者を代表してあいさつした船越富子さん(36)は教職員に頭を下げ、泣いた。
 花束を受け取り、保護者らが腕で作ったトンネルをくぐる卒業生たち。子供たちが被災地の「希望」そのものに見えた。【熊谷豪】
参照元:毎日新聞社ウェブサイト 被災地から:東日本大震災 記者・現場ルポ 上
2011/4/20

「復興」の色紙掲げ始業式−−山田・大沢小/岩手

東日本大震災で新学期の開始が遅れた山田町の9小学校のうち、大沢、荒川両小で19日、始業式があった。
 児童6人の家族に死者、行方不明者が出た大沢小(児童93人)の始業式は、犠牲者への黙とうで始まった。大久保裕明校長(53)が「復興」の色紙を掲げ、「いつまでも悲しんでいられません。みなさんから元気になりましょう」と呼び掛けた。6年生の古久保優希菜さん(11)が「先生方と、また笑顔あふれる学校にしたい」とあいさつした。
 各教室で新担任と初めての「学級の時間」もあった。3年生は金崎恵理教諭(36)の指導で自己紹介する個人新聞を作った。3月11日の避難から学校に置いたままだったランドセルを新しいロッカーに整理した。箱石桃香さん(8)は「みんなと仲良く遊び、勉強したい」と笑顔を見せた。【古賀亮至】
参照元:毎日新聞社ウェブサイト 復興」の色紙掲げ始業式−−山田・大沢小/岩手
2011年4月20日

ドラム缶のかまど 大沢小

ドラム缶を半分に切って煙突を付けた自家製のふたつのかまど。避難所となっている大沢小では、震災の2日目に作って以来ずっと使われている。水と電気は復旧しているが、みそ汁用のお湯を沸かしたり、寒い日には暖を取ったりと今も活躍している。火は交代で管理している=岩手県山田町で20日午前4時59分、小関勉撮影
参照元:毎日新聞社ウェブサイト 被災地の朝
2011年4月20日

サヘル・ローズさんら炊き出し 岩手県山田

東日本大震災の被災地、岩手県山田町で20日、駐日イラン大使館員とイラン人女優、サヘル・ローズさんがイラン料理「鶏肉ののトマトシチュー」の炊き出しをした。
参照元:毎日新聞社ウェブサイト サヘル・ローズさんら炊き出し 岩手県山田
2011年4月20日

臨時園舎で5月から保育再開 応援物資届く

東日本大震災で園舎が全壊した山田町船越のわかき保育園(柏谷千代子園長)は、5月1日から旧タブの木荘を臨時園舎に保育を再開する。おもちゃなども全て流失したが、ユニセフや自治体などから応援物資が届いた。新年度の園児は17人。職員らは「子どもたちの笑顔が楽しみだ」と準備に励んでいる。
 旧タブの木荘は船越地区の高台にあり、所有する瑞然寺の佐々木瑞英(ずいえい)住職が提供した。調理室があり、給食も可能。自然に恵まれた環境で、柏谷園長は「伸び伸びと遊ばせたい」と考える。
 地震発生時、同園には1〜5歳児の園児27人と柏谷園長ら4人の職員がいた。すぐ高台に避難し、全員無事だったが、多くの思い出が詰まった赤い屋根の園舎は一瞬で津波にのみ込まれた。
 3月30日には、瑞然寺所有の施設で卒園式を行い、11人を無事送り出した。その後、保護者や地域住民の再開を求める声を受け臨時園舎での保育を決めた。
 保育士の山崎千年(ちとせ)さん(37)は「子どもたちも楽しみだと思う。その表情を思い浮かべながら準備している」と喜ぶ。佐々木住職は「このような時だからこそ、将来を支える子どもたちを育てていかなければならない」と思いを語る。
 柏谷園長は「全て失ったが、多くの支援と思いのおかげで再開できる。子どもたちの内面をしっかりと受け止めながら保育していきたい」と決意する。

参照元:岩手日報被災地ニュース 【山田】臨時園舎で5月から保育再開 応援物資届く
(2011.4.20)

2011年4月19日掲載

【山田】はさみ手に誓う再起 同業者が理容道具支援

 55年間続けた理容店を津波で失ったが、今後もお得意さんの髪を切って回ろうと心に決めた姿が報じられた山田町の佐藤司さん(74)に、山形県と山梨県の同業関係者からそれぞれ理容道具が届いた。「本当にありがたい。これで何とかなる」。佐藤さんは久しぶりに握るはさみの感触を確かめ、再起の決意を新たにした。
 送られてきた段ボ−ル箱の中を、津波を免れた自宅でのぞき込んだ瞬間、顔がほころんだ。旧式の手動バリカン。「ずっと電動を使っていたから腕が鈍っているかもな」「大丈夫なの?」。家族の笑い声に包まれた。
 その輪の中に、跡取り息子の学さん(44)の姿はない。震災の日、JR陸中山田駅近くにあった店を出て離れ離れになり、行方不明のままだ。「まだ気持ちの整理がつかない」。気晴らしの散歩でも、店の跡地に自然と足が向かう。
 はさみ、かみそり、せっけん、刃の研ぎ石…。届いた箱の中は必需品ばかりだ。山形県鶴岡市の進藤今朝雄さん(61)からの手紙には「理容店を切り盛りしてきたのは自分も同じ。腕があればまた仕事ができる」。以前、父親が経営する理容店で働いていた山梨県韮崎市の篠原茂子さん(65)は「必要なものがあれば、また送ります」。2人とも新聞記事で佐藤さんを知った。
 佐藤さんの当面の目標は自宅脇にある小屋を仮の「理容サトウ」にすること。インタ−ネットで理容用いすの中古品を1脚、手ごろな値段で予約した。「やる気が出てきた」。開店準備ができたらまず、震災に耐えた同級生を呼ぶつもりだ。(2011.4.19)
参照元:岩手日報 はさみ手に誓う再起 同業者が理容道具支援

一日も早い漁業再開で生活の糧を 漁船など共同利用 /岩手

◇各漁協で広がる取り組み 県漁連も支援
 東日本大震災の津波によって大きな被害を受けた県内の漁協で、残った漁船や養殖施設を組合員で共同利用しようという動きが広まっている。完全に復旧するまでには数年かかるため、少しでも早く漁業を再開させ生活の糧にするのが狙い。県漁連も各漁協の取り組みを支えようと新船を一括発注し、漁協の規模に合わせて配分する方針を決めた。
 県によると、13日時点で漁協事務所は24カ所のうち14カ所で損壊。アワビやウニなど36施設ある種苗生産施設はほぼ壊滅状態で、ワカメやカキなどの養殖施設は2万6514台全てが流失した。操業可能な漁船も1漁協当たり20隻程度だという。被害額は1065億6900万円に上るが、まだ全体をつかめておらず、県ではさらに増えるとみている。
 こうした中、各漁協は県漁連の提案を受け、漁船や養殖施設の共同利用に乗り出した。県漁連によると、国内有数のアワビ生産量を誇る宮古市の重茂漁協▽ 「真崎ワカメ」のブランドで出荷している宮古市の田老漁協▽山田町の三陸やまだ漁協▽大船渡市の市漁協▽大船渡市の越喜来(おきらい)漁協−−の5漁協が導入を決めている。
 また、必要な新船は県漁連が窓口になってメーカーに発注する。漁協ごとだと規模の大きさによって漁の再開時期に差が生じてしまうのが理由。船の種類や発注数は今後、各漁協と協議して決める。費用は国に助成を求める。
 13日に水産業への支援を要望するために県庁を訪れた県漁連の大井誠治会長は「震災で残った県内の漁船は全体の約1割。まずは漁業者にやる気を出させるためにも動き始めることが大事だ。残った漁船だけで組合員が有効利用できるよう支援していきたい」と話した。〜以下略
参照元:毎日新聞社ウェブサイト一日も早い漁業再開で生活の糧を 漁船など共同利用 /岩手4月19日

岩手県が4市町の仮設住宅335戸着工中止

岩手県は18日、大船渡市など4市町で予定していた仮設住宅計335戸の着工を中止したと発表した。余震で敷地が地割れしたり、水道復旧の見通しが立たないことなどが理由だという。代替地を見つけて順次、着工していくが、県が想定する需要1万8000戸に対し今月22日までに着工できるのは5614戸にとどまる。

 中止になったのは、15日着工予定だった大船渡市の三陸運動公園(140戸)▽大槌町の金沢小グラウンド(30戸)▽山田町の町民総合運動公園(145戸)−−など。このうち三陸運動公園では7日夜の強い余震で敷地内に幅10〜15センチの地割れが発生し、それが拡大する恐れがあるため危険と判断した。【湯浅聖一】最終更新:4月18日(月)21時44分
参照元:毎日新聞社ウェブサイト 岩手県が4市町の仮設住宅335戸着工中止

がんばれ被災地:学校新聞「海よ光れ」最新号完成−−岩手・大沢小

東日本大震災(ひがしにほんだいしんさい)で現在(げんざい)も150人(にん)の町民(ちょうみん)らが避難(ひなん)する岩手県山田町立大沢小学校(いわてけんやまだちょうりつおおさわしょうがっこう)で、被災(ひさい)した子(こ)どもたちが復興(ふっこう)への思(おも)いやボランティアへの感謝(かんしゃ)などをつづった学校新聞(がっこうしんぶん)「海(うみ)よ光(ひか)れ」の最新号(さいしんごう)が完成(かんせい)しました。
 月(つき)1回発行(かいはっこう)を続(つづ)けている新聞(しんぶん)ですが、3月(がつ)に予定(よてい)していた78号(ごう)は震災(しんさい)のために延期(えんき)になっていました。子(こ)どもたちは「『自分(じぶん)たちができることをしよう』とみんなに伝(つた)えたかった」。始業式(しぎょうしき)の19日(にち)、全校児童(ぜんこうじどう)や卒業生(そつぎょうせい)、避難所(ひなんじょ)で暮(く)らす被災者(ひさいしゃ)に配布(はいふ)します。〜
参照元:毎日新聞社ウェブサイト 小学生新聞
2011年4月19日

「みんなで頑張ろう」=震災特集の学校新聞で激励―避難所の児童ら制作・岩手

「みんなで頑張ろう」。岩手県山田町立大沢小学校の被災児童が、震災に関する記事や全国から寄せられた応援の声を特集した学校新聞を制作した。19日の始業式で全校児童に配布し、同小などで避難生活を送る住民にも届けた。受け取った人からは「元気をもらった」との声が聞かれた。
 トップ記事は津波がテーマ。卒業生の大川海成君(12)が「大沢の人たちが元気を出せるように、私たちが元気よく明るく生活しましょう」と書いた。津波で家を失ったが、「みんな本当につらいから、一緒に頑張ろうと伝えたかった」という。
 編集メンバーでただ一人、校舎内の避難所で生活する6年の福士悠太君(11)は「思いやりをもって」と題するコラムで、「私たちだけの学校でないことを忘れず、避難している人の気持ちになり行動しましょう」とつづった。
 悠太君は「疲れた人や病気の人がいるのを見て、みんなにも大変さを考えてほしかった」と話した。避難所で新聞を読んだという福士勝子さん(70)は「感動して涙が出た。『負けるな』という見出しにパワーをもらった」とほほ笑んだ。
参照元:時事通信「みんなで頑張ろう」=震災特集の学校新聞で激励―避難所の児童ら制作

浸水区域で建築制限 岩手県、市町村に条例化要請

 達増拓也知事は18日、東日本大震災で被災した沿岸12市町村の浸水区域について、住民の安全確保と今後の町づくりのため、建築基準法第39条に基づく「災害危険区域指定」の条例化を市町村に要請する考えを表明した。
 条例を制定すると、各市町村は住宅などの建築を制限、または禁止できる。期間は各市町村が被災状況に応じて判断するが、県土整備部は「1カ月や2カ月という話ではない」としており、指定解除には数年かかる可能性がある。
 県災害対策本部が18日発表した被災状況によると、防波堤の倒壊は108カ所に上る。
 達増知事は「危険が去らない限り、ずっと制限をかける。未来志向の町づくりに向け安全確保が第一と考えた」と説明した。
 指定範囲については、「危険区域に関するデータなどを集めている。どの地域が対象となるか技術的なデータを提供したい」といい、浸水予測図や今回の浸水区域の航空写真などを示し、条例化に向けて市町村を支援する方針だ。
 ただ、被災地では倒壊した自宅を自力で再建する人も出始めている。
 条例化されると、土地所有者のこうした私権が制限されるが、達増知事は「例えば、国に土地を買い取ってもらい、高台に移住することもあり得る。みんなで力を合わせて、何をするか、どんな町にするかが大事だ。ケース・バイ・ケースで取り組みたい」と理解を求めた。
2011.4.19 01:38

参照元:MSN産経ニュースウェブサイト 浸水区域で建築制限 岩手県、市町村に条例化要請
(2011-04-19)

2011年4月18日掲載

花巻の球児が友情物資 野球用品など届ける

 花巻市花城町の花巻小の卒業生は17日、野球のスポーツ少年団活動で交流がある山田町船越の船越小に野球用品や生活物資を届けた。船越小児童は「友情パワー」を励みに、元気に新学期を迎える決意を新たにした。
 花巻小6年2組を3月に卒業した花巻中の生徒が計画し、街頭で物資提供を募った。生徒ら11人がバットやボールなど野球用品のほか衣類などを携えて船越小を訪問。子どもたちは再会を喜び合った。
 船越小は高台にあるが津波で校舎1階の天井や壁が破壊された。児童は全員無事だったが、グラウンドには流された車両や割れたガラスが散乱しており、練習ができる環境ではない。町教委によると新学期をどこでスタートさせるかは未定。
 花巻中生徒も惨状にショックを受けた様子で、沢木健人君(1年)は「たまたま内陸に住んでいたから普通の生活を送れているけど、何だか申し訳ない」と言葉少なだった。
 花巻市での練習試合の提案もなされ、船越小6年の三上涼太君は「早く試合がしたい」と喜んでいた。
【写真=花巻小の卒業生が届けた学用品などを校舎に運び込む船越小児童ら=17日、山田町の船越小】(2011.4.18)
参照元:岩手日報 花巻の球児が友情物資 野球用品など届ける

授業再開へ新課題 通学費、弁当…相談続々

 日本大震災で始業が延期になっていた被災地の小中高校で20日以降、授業が再開する。しかし、親が職を失ったため通学のための交通費を出すのが困難になっていたり、自宅が流失したため昼食の弁当を作れないといった新たな課題が浮上している。国は教科書や体育着などの学用品について無償提供する方針を示しているが、学校関係者は「さらに手厚い支援が必要だ」と訴えている。【三木陽介、関谷俊介、堀江拓哉】
〜略
 20日前後に始業を予定している岩手県山田町は県内で唯一、給食でなく弁当の昼食だが、被災した保護者からは「とても弁当は作れない」との声が上がっている。
 町立山田南小では家庭科調理室で避難者が炊き出しをしているが、佐賀敏子校長は「避難者に児童の分も作ってもらうわけにはいかないし、一校で解決できる問題ではない。町教委の方針に従いたいが、難しければ当面『午前授業』にせざるを得ない」と授業の短縮も検討している。4月18日(月)10時36分配信
参照元:毎日新聞.jp授業再開へ新課題 通学費、弁当…相談続々

がれきの中、青空理容室 山田の箱石さん

 山田町大沢の理容師箱石明彦さん(69)は、町内でボランティアの散髪を行っている。17日もがれきに囲まれた「青空店舗」でなじみ客の髪を切りながら、和やかに会話を交わした。
 箱石さんは「これまで商売させてもらった人に恩返ししたい」と、3日から散髪ボランティアを行っている。
 同町大沢で理容店を営んでいた箱石さんは震災当日、3階建ての自宅屋上に避難。津波が人や家をのみ込む様子を目の当たりにした。水はなかなか引かず、恐怖に耐えながら屋上で一晩を過ごした。
 理容店は跡形もなく流失。それでも「店も金もないけれど『腕』だけはある」とボランティアを決意した。
 はさみとくしを持って町内の避難所などを巡り散髪する。通り掛かりになじみ客を見かけると「髪切ってかねーか」。場所は一切問わず、がれきが散乱する屋外も立派な「仕事場」だ。
 3月11日は誕生日だった。「屋上で泣きながらの誕生日だったけど、生きていれば何とでもなるよ。町が元気になってくれればいいね」と話し、復興へ腕を振るい続ける。
【写真=がれきと化した街で、ボランティアで知人の大川忠助さんの髪を切る理容師の箱石明彦さん=17日、山田町大沢】(2011/04/18)
参照元:岩手日報 がれきの中、青空理容室 山田の箱石さん

2011年4月17日掲載

被災地に「こいのぼり」を!

 東日本大震災の被災地にこいのぼりを贈ろう−。県は県民から余っていたり使用しなくなったこいのぼりを募り、被災地へ贈ることにした。
 県は、阪神大震災で被災した兵庫県西宮市の小学校に毎年こいのぼりの贈呈を続けており、今回の震災でも同様の“心の支援”を行うことにした。川勝平太知事は11日の定例会見で「被災者から5月のこいのぼりを見たいという要望が寄せられた。早速県民に呼びかけて贈りたい」と述べた。
 県が募っているのは、新品もしくは破れのない中古品で、1セットそろっていれば望ましい。寄贈希望者は18〜20日の受付期間中、各市町の社会福祉協議会に電話連絡の上、直接持参する。県では直接の寄贈は受け付けない。
 22日に各市町から県庁に品物を集めて発送。25日をめどに、岩手県大槌町、山田町の避難所などに贈呈する。
 問い合わせは県危機政策課((電)054・221・2456)。
参照元:産経新聞 被災地に「こいのぼり」を! “心の支援”県が募集 静岡
4月17日(日)

テント内に仮設商店街 20店舗予定 岩手・山田町

 岩手県山田町は、津波や火災で壊滅的被害を受けた中心商店街を再生させようと、大型テントによる仮設商店街の開設を検討している。20店舗ほどの出店を想定し、6月1日のオープンを目指す。
 町水産商工課によると、仮設商店街の場所は津波被害を受けなかった長崎地区の都市公園を予定する。町は電気や水道設備を整え、共同台所なども設置して支援する考え。町商工会を通じ、参加店舗を募る。
 使用するテントは長さ24メートル、幅10メートルの大型2張りで、今月上旬に町を訪れた世界食糧計画(WFP)のスタッフが寄贈を約束。町は「町経済の復興のために」と仮設商店街としての利用を考案した。
 山田町は中心街を形成していた商店や飲食店など約190店舗が津波やその後の火災で跡形もなくなった。町商工会は「商店主らは商売を始めるためのめどが立たず、追い詰められている。仕事をすることで少しでも前向きになれる」(佐藤信逸専務理事)と計画を歓迎する。
 町中心部の川向町で食堂を経営していた千葉洋子さん(63)は「津波で建物が全壊した。オープンからまだ3年もたっておらず、多額の借金も残っている。(テントに入居して)店を早く再開させたい」と話した。
 WFPは東日本大震災で、被災自治体や各団体に支援物資を届ける活動を展開している。(遠藤正秀)
2011年04月14日木曜日
参照元:河北新報ウェブサイト 東北のニュース/テント内に仮設商店街 20店舗予定 岩手・山田町(2011-04-17)

農相が山田を視察 「復興対策費、補正に盛る」

鹿野道彦農相が16日、東日本大震災による津波で水産業に大きな被害を受けた山田町を視察し、「再び操業し、町全体の活力につながるように(対策費を)第1次補正予算の中に盛り込んでいきたい」と話した。地元漁協関係者らが早期復旧に国の全面支援を求めたのに応えた。
 鹿野農相は船越漁港と山田漁港を訪問。漁船約770隻のうち40隻しか残らなかった船越漁港では、3階部分まで津波に襲われた船越湾漁協の建物の内部や、無数のがれきと油膜が浮かぶ港内を確認した。出漁するための航路の状況や防潮堤の破壊度合いを尋ねる鹿野農相に、佐々木寿一組合長は「とても町や県だけで対応できる被害ではない。国の全面的な支援をお願いしたい」と訴えた。
 また、沼崎喜一町長と船越湾、三陸やまだ両漁協関係者らは鹿野農相に要望書を提出し、生産・流通加工施設の復興に対する支援、被災漁業者向けの仮設住宅の早期建設などを求めた。【林哲平】
参照元:毎日.jp農相が山田を視察 「復興対策費、補正に盛る」

2011年4月16日掲載

<サポート情報>移動自動車相談所 16日現在

国土交通省は、自動車が津波に流された人らに、廃車手続きなどの相談に応じる「移動自動車相談所」を開いている。
 <岩手県>18日=山田町役場(10〜15時)▽19日=大槌小学校避難所(10時半〜13時)。両会場とも車両の無料点検にも応じる。
 <宮城県>18日=石巻市役所3階(10〜15時)▽21日=仙台市若林区の七郷市民センター避難所(10〜12時)と六郷市民センター避難所(13時半〜15時半)
 <福島県>21日=会津若松市文化センター(10〜15時)
最終更新:4月16日(土)20時16分

参照元:毎日新聞 移動自動車相談所 6日現在

「精神面のケアを」 医療活動の医師らが報告

 ◇スタッフ不足の現状も
 府から東日本大震災の被災地に派遣されて医療活動などにあたった医師らによる報告会が15日、大阪市中央区の大阪赤十字会館であった。被災者のPTSD(心的外傷後ストレス障害)対策のために派遣された医師からは「被災地では元々、コミュニティーのつながりが強く、現在は地域で悲しみを受け止めて支え合おうという雰囲気があるが、今後、精神面でのケアが必要になる」という指摘が上がった。
 府内の医師や保健師ら約170人が報告を聞いた。府立病院機構(大阪市住吉区)の毛利智好医師は岩手県大槌町の診療状況を報告し、「元々過疎化で医師不足だったうえに、津波で医師も犠牲になっている。医療スタッフが不足しており、長期的な支援が必要」と訴えた。
 同機構の野田哲朗医師は同県山田町の住民57人から精神的ストレスなどについての相談を受けた。「津波が襲ってきた時に目の前の人を助けられなかったことへの罪悪感を口にする人が多かった」と指摘した。
 府健康づくり課の診療放射線技師、小田晃之さんは福島県で住民の放射線被ばく量の測定にあたった。住民の中には、いったん避難後、福島第1原発近くの自宅に戻って車や家具を運んできた人もいたという。車からは高レベルの放射線が測定されたケースもあり、「いつ一時帰宅ができるのかを避難者に早く示さないと、次々と避難指示が出ている区域に入る人が出てくる」と話した。【遠藤孝康】
4月16日朝刊
参照元:毎日新聞 精神面のケアを医療活動の医師らが報告

復興の梅咲く…樹齢300年、岩手・山田

 大震災で大きな被害を受けた岩手県山田町で、津波をかぶった樹齢300年の名梅「臥竜梅(がりょうばい)」が鮮やかな赤い花をほころばせた。福士弥兵衛さん宅で花を咲かせ始めた臥竜梅=岩手県山田町で、和田大典撮影
参照元:毎日新聞 復興の梅咲く…樹齢300年、岩手・山田

まず私達が元気よく…被災児童が学校新聞

 大震災で多くの児童が被災し、現在も150人の町民らが避難する岩手県山田町立大沢小学校で、被災児童が復興への思いやボランティアへの感謝などをつづった学校新聞「海よ光れ」を作った。月1回発行を続けている新聞の78号で、児童は「『自分たちができることをしよう』とみんなに伝えたかった」という。始業式の19日、全校児童や卒業生、避難所で暮らす被災者に配布する。
【子どもたちに渡せた】東日本大震災:1カ月遅れの卒業式…証書入った金庫見つけ
 ◇岩手・山田町立大沢小の「海よ光れ」
 トップ記事には「負けるな よみがえれ 大沢の海よ光れ!」の見出しが躍る。担当した大川海成(かいせい)君(12)は「大津波に遭った怖さを書こうとしたけど、最初は何も頭に浮かばなかった」と話す。家は100メートル以上流され、親戚方に家族で身を寄せる。何度も原稿を書き直し、転校した友達にも触れながら「大沢の人達が元気を出せるようにまず私達が元気よく明るく生活しましょう」とまとめた。
 「海よ光れ」は04年創刊され、津波に苦しみながら捕鯨などで海と共生してきた歴史を伝える学校劇から名前を取った。児童が編集方針から取材、割り付けなどもし、全国小・中学校・PTA新聞コンクール(毎日新聞社など主催)で全国上位受賞を続ける。
 震災前には6年生の卒業を特集する78号を準備していたが、「新年度に力を与える新聞を作ろう」(指導する佐藤はるみ教諭)と学校や付近に避難する前児童会メンバー4人が集まった。大沢小で避難生活を送る6年、福士悠太君(11)は避難者への思いやりを訴える記事を書いた。「太陽の光できらきらしている大沢の海が大好き。元気で明るい大沢であるように僕たちも頑張りたい」と話す。【林哲平】

参照元:毎日新聞 まず私達が元気よく…被災児童が学校新聞

仮設診療所の整備検討 高田、大槌、山田の県立病院

 県医療局は、東日本大震災による津波で建物が損壊した高田、大槌、山田の3県立病院の仮設診療所を整備する方向で検討に入った。
 仮設診療所は無床施設とし、入院が必要な患者は大船渡や宮古など近隣の病院に運ぶ。診療科目などは常勤医の確保や地元の需要などを踏まえて決める。地元市町に高台など建設用地の選定を打診中で、土地確保のめどが付き次第、早い時期の建設を目指す。
 陸前高田市の高田病院は津波の直撃を受け全体が使用不能になり、外部の応援を得て避難所を拠点に活動。診療機能が集中する1階部分などが浸水した大槌、山田の両病院は一部で診察を続けている。
 ただ、余震が頻発する中で損壊施設を長く使い続けるのは課題がある上、地域医療の軸を担う県立病院機能を早期回復させることが急務とされていた。病院本体の復旧は、県の復興計画策定を待って検討する見通し。
 遠藤達雄局長は「内陸部などの病院と連携し適切な医療対応に努めてきた。新たに拠点施設ができれば、被災地の方々の一層の安心につながるだろう」と話す。(2011/04/16)
参照元:岩手日報 仮設診療所の整備検討 高田、大槌、山田の県立病院

2011年4月15日掲載

山田の国道45号、仮設道路で開通 迂回路より短縮

津波により道路が流失し、通行止めとなっていた山田町山田の国道45号は14日、仮設道路が完成し通行可能になった。
開通したのは約120メートル、片側1車線。これまでの迂回(うかい)路よりも約700メートル短縮される。
三陸国道事務所は今後、地質調査や測量、設計などを経て本格復旧を目指す。(2011/04/15)
参照元:岩手日報 山田の国道45号、仮設道路で開通 迂回路より短縮

加藤登紀子、避難所訪問チャリティーライブ

 歌手、加藤登紀子(67)が14日、被災した岩手・山田町と大槌町の避難所を訪問し、チャリティーライブを開催。山田町の避難所ではヒット曲「百万本のバラ」など10曲を披露。震災後に書き下ろした「今どこにいますか」を歌って、「手を取り合ってほしいという思いで作りました。新たなスタートのきっかけにしてほしい」と被災者を励ました。15日は釜石市や陸前高田市、大船渡市の避難所を回る。(2011/04/15)
参照元:サンケイスポーツ 加藤登紀子、避難所訪問チャリティーライブ

学用品そろえ 両親、娘の帰り待つ 岩手

 東日本大震災で遅れていた被災地の多くの学校で来週から入学式が相次いで行われる。岩手県山田町の山根捺星(なつせ)ちゃん(6)もこの春、ランドセルを背負って町立山田北小の校門をくぐるはずだった。津波の日から行方不明の娘のため、父朋紀(とものり)さん(38)と母千弓(ちゆみ)さん(34)は学用品をそろえ、「帰ってくる」日を待っている。【関谷俊介】
【写真特集】日はまた昇る 被災地の朝
 捺星ちゃんは自閉症で言葉をうまく話せない。それでも4歳で保育所に入ってからは、うなずいたり、じっとしていられるようになった。ゆっくりと前に進んでいた。
 3月11日、千弓さんは捺星ちゃんの成長に驚いた。月1回の幼児教室の閉校式。初めは千弓さんのそばを離れなかった捺星ちゃんが修了証をもらうときには、きちんと「気をつけ」をして受け取った。「こんな姿が見られるなんて」。小学校入学に不安もあったが「ずっと捺星を守っていこう」と気持ちを新たにした。
 その日の午後、捺星ちゃんは祖母のいる自宅に残り、千弓さんは職場に行った。そこに大津波が襲った。一度は逃げた捺星ちゃんだったが、怖がって家の中に戻った。
 朋紀さんや祖父も職場から駆け付けたが、家の中は水があふれ、助け出せたのは祖母だけだった。さらに火が迫ってきて近づけず、翌朝には一面焼け野原となっていた。
 正月に盛岡市で買ったピンクのランドセルを背負うのが楽しみだった捺星ちゃん。浮き浮きした様子で兄大弥(だいや)君(11)のランドセルを背負って練習していた。そのランドセルも跡形もなくなった。
 「もう一度抱きしめたい」。毎日、遺体安置所を回る父と母。震災後、ノートやクレヨンを買った。可愛い服も買おうと隣町まで足を延ばしたが「捺星のための買い物が最後になると思うと買えなかった」と千弓さん。
 もうすぐ新学期になる。「早く学校に子供たちが戻り、元気な姿を見せてほしい。それが私たちの励みです」と2人は表情を和らげた。「捺星が見つかったら小学校に行くのを楽しみにしていたので、ノートやペンを持たせてあげたいです」(2011/04/15)
参照元:毎日.jp 学用品そろえ 両親、娘の帰り待つ 岩手

2011年4月8日〜4月14日掲載

夏祭りの復興願い山車を飾る 岩手・山田町

 岩手県山田町の「岩手三陸山田祭」で披露される郷土芸能「八木節」の木製の山車が、津波被害のあった倉庫から奇跡的に見つかり、住民が「復興のシンボルに」と国道に向けて置いている。
【復興のシンボルに】津波に耐えた松1本、復興のシンボルに
 毎年9月の祭りには約10団体約1000人が参加し、3日間で5万人の観光客が訪れる。「八木節」は子供から大人まで約150人が参加し、赤い着物姿で太鼓をたたき踊りながら山車とともに町を練り歩く。
 山車を運行する愛宕青年会の武藤勝彦さん(41)は家が全壊したが、妻と子供3人は無事だった。海沿いにあったコンクリート造りの倉庫は残り、今月3日、がれきと泥だらけの倉庫内から山車を見つけ、仲間たちと引っ張り出した。そして「山車を見て元気を出してほしい」と見えやすい場所に移した。
 亡くなった会員もおり、倉庫内の衣装はほとんど流された。だが武藤さんは「何年先になるか分からないけど、子供たちに引き継ぐために必ず復活させたい」と願う。小学3年から参加している次男広太郎君(11)=町立山田南小6年=も「祭りがあれば、みんなも元気になれる」と力強く話した。【関谷俊介】2011/4/14
参照元:夏祭りの復興願い山車を飾る 岩手・山田町

【山田】避難生活癒やしたい 住職が話し相手に

全国の有志の住職が、グループに分かれて被災者の話し相手になる「傾聴ボランティア」に取り組んでいる。まとめ役で福島県伊達市の成林寺住職久間泰弘さん(40)は「話をすることで心身のストレスを少しでも軽減できれば」と話す。
 津波被害を受けた山田町の避難所の一つ織笠小学校には、奈良県の住職6人が集まった。
 「一番足りないものは何ですか? お体はどうですか」。3年生の教室で丸刈りの奈良県東吉野村の住職葛城天裕さん(39)が問い掛けると、教室で暮らす女性たちが輪をつくって集まった。「お風呂が一番必要だね」「洗濯機も足りない」。思い思いに答えるうちに世間話に花が咲く。
 カキの養殖施設が津波で流された漁業湊聰子さん(65)は、不便な避難所生活について話し終えると笑顔を見せた。「ありがたい。今まで苦労を打ち明ける場がなかったから、すっきりした」
} 久間さんらは2007年の能登半島地震などでも傾聴ボランティアを実施。被災者から聞いた要望をそれぞれの自治体に伝える役割も果たした。
 久間さんは「被災者の話を同じ目線で受け止めることが大事。生活の復興にはかなりの時間がかかるので、できるだけ長く活動を続けたい」としている。
【写真=被災者と話す住職の葛城天裕さん(左から2人目)=7日、岩手県山田町の織笠小学校】(2011.4.13)

参照元:岩手日報:【山田】避難生活癒やしたい 住職が話し相手に

鈴木善幸と俊一、津波にのまれた政治家二代記

「それでも、漁業の町を復活させる」

「オヤジもこれを見たんだろうな」
瓦礫と泥の山と化した岩手県宮古市田老(たろう)地区。防潮堤の上に立った鈴木俊一氏はふと漏らした。
田老地区には“万里の長城”との異名を持つスーパー防潮堤があった。高さ10メートル、総延長も2500メートルを超える巨大防潮堤。だが、37.9 メートルを記録した大津波は二重に張り巡らされた万里の長城を軽々と乗り越えた。今、田老の町に残っているのは家屋の残骸ばかり。
「この60年で積み上げたものがすべてなくなっちゃったね」
そう言うと、俊一氏は呆然と町並みを眺めた。

政治家二代、津波に翻弄される
鈴木俊一氏は自民党の元代議士。第4代の環境大臣や自民党の要職を歴任したが、民主党が躍進した2009年の衆院議員選挙で落選し、今は浪人中の身だ。選挙区は岩手2区、宮古や山田、田老、田野畑など壊滅的な打撃を受けた三陸沿岸が主な地盤である。
瓦礫の山と化した故郷の漁村――。同じ光景を俊一氏の父親も目の当たりにしている。
昭和8(1933)年3月3日、俊一氏の父親、元首相の鈴木善幸氏は故郷の山田町にいた。当時22歳だった善幸氏は、農水省水産講習所(現東京海洋大学)に在学していたが、肋膜炎を患い、郷里で療養していた。その時、三陸沖で地震が発生、大津波が山田町を飲み込んだ。
三陸大津波に遭遇した善幸氏は、沿岸各地を見て回った。漁船は丘に押し上げられ、親を亡くした子どもが途方に暮れていた。その当時、三陸沿岸の漁村は昭和初期の恐慌と凶作で塗炭の苦しみを舐めていた。それに追い打ちをかける大津波。人々の生活は困窮を極めた。
その惨状をまざまざと見せつけられた善幸氏は、政治の世界を志し、昭和22(1947)年の第1回総選挙で当選を果たした。36歳の時のことだ。そして、善幸氏は水産業と三陸沿岸の振興に政治生命を捧げていく。

三陸振興にかけた鈴木善幸・元首相
昭和25(1950)年に議員立法の第1号として漁港法を制定、その後の漁港整備の基盤を築いた。昭和45(1970)年には父親を海難事故でなくした子供たちを支援する財団法人漁船海難遺児育英会を発足、30年にわたって理事長を務めた。その後も、仙台までと思われていた東北新幹線を盛岡まで延伸することに尽力、昭和59(1984)年に開通した三陸鉄道でも強い政治力を発揮している。
「港ができると決まった時は、町中で提灯行列を繰り出してね。私は子どもだったけど、大喜びしたのを覚えていますよ」
壊滅状態にある田老町漁業協同組合の小林昭榮・代表理事組合長が振り返るように、田老漁港は昭和26(1951)年、漁港法制定の翌年に整備された。田老漁港に限らず、三陸各地の漁港は鈴木善幸氏が整備したと言っても過言ではない。
同じ政治家人生を、俊一氏も辿っている。

参照元:日経ビジネスオンライン 鈴木善幸と俊一、津波にのまれた政治家二代記
2011年4月12日(火)

自衛隊医療チーム 入れ歯作り

津波で大きな被害を受けた岩手県山田町では、入れ歯を失って、十分な食事をとることができないお年寄りのために、自衛隊の医療チームが入れ歯作りを続けています。
入れ歯を作っているのは、青森県の自衛隊三沢病院の医療チーム3人で、仮設の診療室が設けられた山田町の山田高校には、入れ歯を求めてお年寄りが連日訪れています。被災者の中には入れ歯を失ったため、流動食しか食べられなかったり、かまずにのみ込んだりしている人がいて、栄養不足や消化不良が心配されています。このため、医療チームでは、およそ1か月間使える応急的な入れ歯を作って、これまで5日間で100人近くの人たちに提供しました。入れ歯を受け取った76歳の男性は「かみ合わせは、いいです。これまでは、おにぎりをおかゆにして流し込んで食べていました。これからはしっかりかんで、食事ができるのでうれしい」と話していました。医療チームの自衛隊三沢病院の光末久美子歯科医官は「ここに来られる人だけでなく、寝たきりのお年寄りで入れ歯が必要な人への対応も検討したい」と話しています。

参照元:NHKニュース 自衛隊医療チーム 入れ歯作り
4月12日 18時37分

「町民がいる限り」医師3兄弟、閉鎖病院に診療所

津波と火災で中心部が壊滅的な被害を受けた岩手県山田町で11日、被災した医師の兄弟3人が新しい診療所を立ち上げた。場所は5年前の移転で閉鎖されていた旧県立病院の建物。もともと医師不足にあえぐ町では、新しい県立病院を含め大半の診療所が被災。自立した診療態勢を取り戻す第一歩を踏み出した。
再建の中心となるのは、山田町の医療の中心を担っていた「近藤医院」の3兄弟。整形外科医の長男近藤晃弘さん(51)と内科医の三男勝則さん(47)、四男雄史(ゆうじ)さん(42)だ。
11日朝、約20人の患者が待合室でストーブを囲み診察開始を待った。診察室では、勝則さんが「やっとここまで来た。これからまた新しい第一歩を頑張りましょう」と兄と弟、看護師らに声をかけた。
行方不明の夫を捜して歩き、足が痛くなったという近くの佐々木季子(としこ)さん(56)は、3兄弟の診察を待ち望んでいた。「地元のお医者さんががんばってくれると心強い。不安なこともたくさんあるけど頼りにしています」
近藤医院は、3階建てのうち2階まで津波で水没した。兄弟たちは医院の1階で診察中だったが、患者や職員を裏口から避難させ、無事だった。以後、3人は避難所になっている町立山田南小学校で応援の医師らとともに診療に当たってきた。
町内にいた医師は3兄弟含めてもともと8人。唯一の総合病院だった県立山田病院も、整形外科医と外科医しかおらず、今回の津波で1階が水没。4カ所あった診療所も3カ所が被災し、医師1人の行方が分かっていない。医療派遣チームの帰還後の町の医療態勢が危惧されていた。
そのため一時的な診療所として、近藤3兄弟が町側と調整してきたのが、県立山田病院の旧建物の一部。2006年11月に現施設に移転した後は使われておらず、中心部にありながらも津波にも火災にものまれずに残った。すでに解体が決まっていたが、建物を所有する町は、暫定的な使用を許可した。
心電図やエコーといった機器はレンタルし、X線撮影は被災しなかった診療所に借りる。晃弘さんは「診療所はやっぱり海の見える場所がいい。私たちは山田に骨をうずめるつもりだ」。雄史さんは「町民がいる限り、空白期間を作らずに医療を提供し続けることが、私たちの責任」と話した。(下司佳代子、松山尚幹)

参照元:朝日新聞社asahi.com 町民がいる限り」医師3兄弟、閉鎖病院に診療所 岩手
2011年4月11日14時0分

校舎は避難所…でも夏めざす 被災の岩手・山田高野球部

「いくぞ!」
自衛隊のテントや車両が並ぶ校庭に高校球児のかけ声が響いた。昨夏の岩手大会でベスト16入りした岩手県山田町の県立山田高校野球部が7日から練習を再開した。震災で学校は避難所になり、使えるのは内野だけだが、ダッシュやキャッチボールで汗を流している。
小山健人監督(24)は「この時期に練習を再開していいか悩んだ」。生徒の多くは家を流され、避難所暮らしが続いている。しかし、「選手たちにとって大切な野球をやらせてあげたい」と地震から約3週間ぶりの練習再開を決めた。
中軸を打つ倉本弘樹主将(3年)は「こういう状況になってチームの目標は途切れかけた。甲子園に向かって一日一日を大切にしたい」。なかなか全員で集まる時間が取れないが、避難所などでも時間を作って体を動かしている。
昨秋、新チームになって部員は10人に減った。今回の震災では全員無事だったが、家族が行方不明になった選手はいる。
7日の初練習には新1年生を迎え、15人が参加した。練習道具も流されたため、ジャージーで参加した部員もいた。
新3年生は山田中学校時代に県の大会で優勝した経験を持つメンバーがそろう。チームを見守る地元の被災者は「今年はいけると期待していた矢先の地震だった。これから頑張ってほしい」と話す。
23、24日には練習試合も予定している。公式ユニフォームはまだそろえられないが、「野球ができること」の喜びをかみしめながら、夏へのスタートを切る。(樫山晃生)


参照元:朝日新聞社asahi.com 校舎は避難所…でも夏めざす 被災の岩手・山田高野球部
2011年4月10日12時0分

【釜石】【山田】兵庫のメーカーがランドセル340個送る

津波で壊滅的な被害を受けた釜石市に8日、「天使のはね」ブランドで有名な兵庫県たつの市のかばんメーカー「セイバン」からランドセル約150個が届いた。
同社は、釜石市と山田町に向けてランドセル計340個を発送しており、順次、現地に届いている。ランドセルは市教育委員会によって小学校に配られる。
市内の新1年生は約300人。市教委は「ほかから送られてきたものと合わせれば、津波でかばんを流された子どもにも行き渡ります」としている。

参照元:岩手日報ウェブサイト 被災地ニュース 【釜石】【山田】兵庫のメーカーがランドセル340個送る
(2011.4.9)

「ごはんとお風呂を届ける」プロジェクト

岩手県花巻市の薬剤師らが感染症の流行を防ぐため、同県山田町織笠の被災者に「ごはんとお風呂を届ける」プロジェクトを始めた。
送迎バスに花巻市の調理ボランティアが乗り込んで山田町の避難所に向かい、現地に到着したら温かい食事をつくって避難所の人々に提供する。その一方でお風呂を希望する人たちを到着したバスで花巻市の温泉まで送迎し、入浴を楽しんでもらう。

参照元:朝日新聞社asahi.com被災地で頑張る薬剤師

「山田」の縁、山田邦子さんが慰問

タレントの山田邦子さんが11日、津波で大きな被害が出た山田町の避難所を訪問した。「山田だから山田町に来ました」と自己紹介、被災者から笑いが起きた。
同町の避難所の一つ、大沢小学校で一人一人と握手。「床が硬くて大変ですね」と気遣った。被災者は山田さんを囲んで写真を撮るなど、楽しいひとときを過ごした。
一緒に訪れたタレントのラサール石井さんがお菓子を配ると、子どもたちは大はしゃぎ。小学5年になったばかりの福士蓮加さん(10)は「ここまで来てくれてうれしい」と喜んでいた。
子どもの絵本やおもちゃなどを配りながら、12日まで町内の避難所を回る予定。
参照元:岩手日報被災地ニュース 【山田】「山田」の縁、山田邦子さんが慰問
(2011.4.12)

2011年4月1日〜4月7日掲載

生鮮食品店、車で営業再開 岩手・山田町

岩手県山田町大沢の生鮮食品店「中忠(なかちゅう)商店」が全壊した店の前に車を置いて営業を再開した。周りはがれきの山。高台に住民が移り、地域から民家がなくなる心配はある。だからこそ店長の中釜忠悦(ちゅうえつ)さん(46)は「店を中心にまたここに人が集まってほしい」と意気込む。
中忠商店は中釜さんの祖父が1940年ごろに開いた。当初は駄菓子を売っていたが、現在は海産物や野菜が中心だ。地震発生時、中釜さんは出掛けていて無事。店にいた両親も車で高台に避難した。避難所で3日過ごし、戻ると店は全壊。隣の自宅の中は津波ですべてなくなっていた。近くの小学校での寝泊まりは今も続く。
周りの大型店やコンビニも全壊した。避難所でなじみの客から「中忠さんがないと困る」と言われ、「悩んでいるだけでは何も始まらない」と再開を決めた。店の車に隣の岩手県宮古市で仕入れた野菜や果物、鮮魚を詰め込み4日に再開した。ワンボックスカーの後部座席に商品を並べ、後部ドアを開ければ営業中。看板はない。
「やってるの?」。さっそく、近所の中釜慶子さん(66)が顔を見せた。「しばらく新鮮な魚を食べでながったから助かるね」と慶子さん。忠悦さんは「いいものあるよ」と、慶子さんの親戚の子供2人にアメ玉を配った。がれきの中に笑い声が響く。
「次第に見慣れてしまったこの光景を当たり前の光景にはしたくない」。忠悦さんはそう言って笑った。【関谷俊介】
参照元:毎日新聞社ウェブサイト 【東日本大震災:生鮮食品店、車で営業再開 岩手・山田町
2011年4月7日 11時17分(最終更新 4月7日 15時25分)

林野火災鎮火

山田町船越で3月18日から続いていた林野火災は、4月2日12時30分に鎮火しました。
参照元:岩手県広聴広報課
2011年04月07日

「青空教室」に児童130人集合 山田・船越小が始業式

校舎が津波に襲われた山田町立船越小学校(佐々木道雄校長)の始業式が1日、近くにある船越保育園グラウンドであった。新しい教室の場所は決まっていないが、登校した児童らは新学年の授業に期待を膨らませていた。
 船越小は校舎1階やグラウンドが津波の被害を受け、海沿いの堤防も壊れた。町教委が代わりの教室を探しており、授業開始も未定。週1回登校日を設け、児童の生活状況を確認することにした。
 始業式では児童130人が「青空教室」に集合。来週には担任が決まることが伝えられた。2年生の福舘和真君(7)は「漢字の勉強を頑張りたい」と話した。【熊谷豪】

参照元:毎日新聞 毎日jp 東日本大震災:「青空教室」に児童130人集合 山田・船越小が始業式/岩手
2011年4月2日

東日本大震災:多数のデマ流布 警察庁が注意喚起

東日本大震災の被災地で「略奪が多発している」など多数のデマがインターネットの掲示板やメールで流れていることが1日、警察庁の調べで分かった。不安を感じる被災者の相談も相次いでおり、警察当局は、悪質なデマの削除をサイト管理者に依頼する一方、被災者に惑わされないよう呼びかけている。
警察当局が確認したデマは「ナイフを持った外国人グループが盗みをしている」「女性が暴行されている」「ショッピングモールで略奪が起きている」「支援物資の盗難が相次いでいる」など。被災地の地名とともに流布しているケースが多い。知人への転送の呼びかけを添付して送信される「チェーンメール」や、ネット上の掲示板への書き込みを通じて広がっている。
警察庁によると、被災地では商店からの品物の持ち去りや乗り物盗は発生しているが、強盗・強姦(ごうかん)事件の発生や外国人窃盗グループの存在は把握されていない。警察庁は「根拠のないデマで被災者の不安をあおることを意図している」とし、不確かな情報をメールで受信した時も、安易に転送しないよう呼びかけている。【鮎川耕史】

参照元:毎日新聞 毎日jp 東日本大震災:多数のデマ流布 警察庁が注意喚起
2011年4月1日 19時42分

家屋失った被災世帯にまず100万円支給へ 5月から

菅政権は31日、東日本大震災の津波で家を失った被災世帯に対し、一律100万円の一時金を支給する方針を固めた。被災者生活再建支援法に基づく支援金の一部を前倒しして支給する。4月中に国会提出する2011年度第1次補正予算案に必要額を計上し、5月から順次支給する予定。
被災者生活支援特別対策本部(本部長・松本龍防災相)が決めた。避難所から仮設住宅への入居が本格化するのを控え出費が必要になることから、早期の資金援助が不可欠と判断した。
支援法は家屋の損壊程度に応じて50万〜300万円の支援金を支給するとしている。今回の津波の被災地域では大半の家屋が全壊しているため、菅政権は支援法の枠組みを適用する。一時金を差し引いた残りの支援金は後日支給する方針。
枝野幸男官房長官は1日午前の記者会見で「(津波被災者らの)当座の生活について、避難所とは別に考えていかなければならない。鋭意検討を進めている」と述べた。
警察庁のまとめでは、東日本大震災の建築物への被害は1日現在で全壊が約4万6千戸だが全容を把握できておらず、最終的には大きく上回る見通しだ。

参照元:朝日新聞社asahi.com家屋失った被災世帯にまず100万円支給へ 5月から
2011年4月1日7時6分

県教委人事異動、10年で最少 被災児童生徒に配慮

県教委は1日、教職員人事を発令する。東日本大震災で被災した児童生徒らへの配慮から被害の大きい地域の教員の異動は原則行わない。当初予定の約2800人から2130人程度まで縮小し、最近10年間で最も少ない異動規模となる。
 教職員人事は3月初旬に内示していたが、同震災発生を受けて計画を見直し。県立学校は3月25日、小中学校は28日に再内示した。当初計画では沿岸部と内陸部の教員の人事交流を活発に行う予定だったが、被災地では各校の教員が児童生徒をケアし、地域住民を支えているケースが多く、異動を凍結することにした。
 小中学校の教員異動は被害の大きい陸前高田市、大船渡市、釜石市、大槌町、宮古市(旧宮古市、旧田老町)、山田町、田野畑村、岩泉町小本地区、野田村で退職者の補充などを除いて原則行わない。規模は当初予定の1730人から1460人程度となった。
 県立学校の教員は全面的に計画を見直し、内陸部から沿岸部への異動を凍結したことから当初予定の550人から150人程度にまで減少した。
 事務職員は、ほぼ当初の内示通りの異動となる。
(2011-04-01)

参照元:岩手日報サイト県教委人事異動、10年で最少 被災児童生徒に配慮

2011年3月11日〜3月31日掲載

盛岡市職員らが山田入り 町職員の負担軽減

盛岡市と盛岡広域振興局の職員は27日から山田町入りし、避難所の運営や支援物資の仕分け作業などに当たっている。今後は盛岡広域8市町村の職員も派遣される予定。東日本大震災発生当日から被災者対応などを続けている町職員と交代し、被災地の自治体の負担を軽減する。
 盛岡市職員4人、同振興局職員8人が4日間の日程で山田町に入った。盛岡市職員は30〜40代の男性が派遣され、避難所で配食業務などを手伝った。
 豊間根中の避難所を担当した市資産税課の猿舘賢治主査は、町職員と打ち合わせながら避難者の相談に対応したり、食事の配給などを進めた。
 猿舘主査は「町職員は初動段階から大変だったと思う。地元のやり方を理解しながら町職員の負担を減らせるようにしたい」と語る。
 市職員らの派遣は町職員の負担軽減のため町が県を通じ要請。5月中旬まで盛岡広域8市町村や県が交代で職員を派遣する予定だ。
 山田町には静岡県職員なども派遣されている。沼崎喜一町長は「ほとんどの職員が11日から休んでおらず、被災した自宅の片付けや行方不明の親類の確認などもできなかった。派遣は大変ありがたい」と感謝する。
(2011/03/28)
参照元:岩手日報サイト盛岡市職員らが山田入り 町職員の負担軽減

津波の記憶、タイムカプセルへ 山田・大沢小

大沢は明るい町に戻ってますか―。山田町の大沢小の6年生29人は28日、「二十歳の自分」に届けるタイムカプセルを作り、手紙や思い出の品に復興への願いを託した。
 児童の発案で、成人を迎える8年後に開封する。プロ野球選手を目指している大町智生(ともき)君は愛用のバッティンググローブに手紙を添えた。手紙には「おじいちゃんのお兄さんが津波で亡くなったことを忘れない」。大川海成(かいせい)君は「どんな仕事をしてますか。大沢は元の明るい町に戻ってますか」と手紙に願いを込めた。
 タイムカプセルは31日に学校の敷地内に埋設する。
(2011/03/29)
参照元:岩手日報サイト津波の記憶、タイムカプセルへ 山田・大沢小

避難住民が一時移動 盛岡と雫石温泉施設で受け入れ

 県は26日、避難住民の内陸部への大規模な一時移動を行った。同日は、盛岡市繋と雫石町鶯宿にある3温泉宿泊施設への移動が実施され、釜石市、大槌町、山田町の避難所からバスなどで移動してきた被災者309人が各施設に迎えられた。
 施設への一時移動は、県が沿岸の各避難所を訪問した際、希望者を確認。同日は釜石市から201人、大槌町から52人、山田町から56人が一時移動した。
 このうち、最も多くの被災者を受け入れるつなぎ温泉「愛真館」では、バス6台で移動してきた釜石市からの被災者が午後4時すぎに到着した。
 同館に到着した被災者は疲れ切った様子ながらも、出迎えた谷藤裕明盛岡市長や同館の関係者らに「ありがとうございます」「本当に助かりました」などと感謝の気持ちを示していた。
 釜石市新浜町の辻良子さん(18)は「温かいお風呂に入るのが楽しみ。津波で街はぐちゃぐちゃになってしまったけど古里の釜石が好き。また必ず戻りたい」と話した。
 同館では、被災者を受け入れるため当分の間、一般の営業を休止。原則として家族単位で部屋を割り当て、1室を4〜6人で使用する。1階に県からの情報を張り出すスペースを新設したほか、受け入れに当たり、全自動洗濯機6台を新たに購入した。
【写真】谷藤市長や施設関係者に歓迎される釜石市の被災者=盛岡市繋、愛真館
参照元:岩手日日新聞 避難住民が一時移動 盛岡と雫石温泉施設で受け入れ 03/27

【山田】在宅の被災者にも物資配給

山田町は避難所を拠点に、在宅者にも食料品を配給している。
 21日は防災行政無線で周知し、午後4時半に町内数カ所で配給。同町大沢の町ふれあいセンターでは、パンやお茶、ゼリーを1個ずつ配布した。
 震災から10日たち、町内の避難所にはコメやパンなどの物資が順調に運び込まれつつある。一方、被災を免れた世帯はライフラインの復旧が遅れ、満足な生活を送れていない。町内のスーパーも被災し、ガソリン不足も相まって物資の確保が困難になっている。
 配給を受けた同町大沢の漁業福士健(たけし)さん(36)は自宅の被害はなかったが、電気や水道は復旧していない。福士さんは「今までは知り合いからもらった物で食いつないでいた。ガソリン不足で買い物も最小限にしていて、配給はありがたい」と話す。
 町内には車を地域に走らせ、配給を知らせる住民団体もある。
【写真=避難所で食料品の配布を受ける住民=山田町】(2011.3.22)
参照元:岩手日報 在宅の被災者にも物資配給

岩手県高等学校入学選抜試験結果

3月22日に試験結果の発表があり、山田中学校、豊間根中学校の受験生208名は、『208名全員合格』 しました。
参照元:航空自衛隊 北部航空方面隊サイト山田町からの情報提供

【がんばろう岩手宣言】

達増知事「4月11日には『がんばろう岩手宣言』出したい。」。「人に優しく、志を高く持って仕事をしてほしい。人に優しくすることは、被害者の幸福追求につながり、志を高く持つことは犠牲者の古里への思いを継承することになる。」
参照元:IBC岩手放送twitterIBC_online

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