管理人さんが帰ってくるまでの仮まとめです

喪子にどうしてもとねだられて、車を出して家から少し離れたショッピングセンターに行くことになった。
いつもなら要るものをメモに書いてもらい、買い物は俺一人ですませる。喪子は絶対家から出さない。
だけど今日はしかたなかった。

「たまには外でデートがしたい」

唐突に喪子が言った。この一言で俺の楽しい休日は終わった。
即答で駄目だと返したけど喪子は引き下がらなかった。
手を繋いで歩きたいなんて可愛いことまで言われて、俺は悩みに悩んだ。
喪子のお願いはできる限り叶えたい。それも手を繋いでデートだなんて、俺にとっても魅力的な内容だ。
でも外には出したくない。とてつもないジレンマ。
いつも家で繋いでるじゃないかと聞いたら、新鮮味がなくて飽きたと言われた。
飽きたってどういうことだ。
俺はちっとも飽きないどころか、繋ぐ度ににやにやしているというのに。
ショックを受けて顔面蒼白になった俺に、喪子は無邪気な顔で追い討ちをかける。

「ヤン君と肩並べて歩きたいの。疲れたらヤン君に寄りかかって甘えたいな」
「あ…甘え…」

甘えてくる喪子を想像して動揺した。
甘えられたい。めいっぱい甘やかしたい。
けど…外でなんか絶対にいやだ。

「私だってそういう普通のカップルがしてるようなこと、すっごくすっごくしてみたいのよ」
「で…でも」
「いつもはおとなしく軟禁されてあげてるんだから、たまには私のお願いも聞きなさいよ」

断らせるつもりはない、そんなはっきりとした主張にたじろぐ。
しかもこの同棲生活を軟禁と言い切られた。
俺と過ごす日々は喪子にとってそんな言葉を使いたくなるような、そんな味気ないものなのかと不安になる。
言葉のあやだということはわかっていても、悲しかった。

「ねえいいでしょ。デートしてよ」

どうすれば喪子が諦めてくれるのか必死で考えてみるが、何も浮かばず途方に暮れる。
デートはいい、デートはいいんだ。けどなんで外でなんだ…。

「…デートもしてくれないならヤン君なんかもう彼氏でもなんでもないよ。嫌いになっちゃいそう」
「なっ…!なんで…なんでそんなひどいこと言うんだよ」
「あーなんか七対三でヤン君のこと嫌いかも」
「三!?いきなり三も…」
「違うよ。嫌い七、好きが三」
「そ…そんなこと冗談でも言うなよ、俺だって傷つく時は傷つくんだよ」
「…そろそろ嫌いが八になりそう」
「……っ」
「で、どうするの?」

思わず頭を抱えて唸った。喪子はひどい。ひどいことばかり言う。
俺が傷つくとわかってて、胸を抉る言葉を平気で言う。ひどい女だ。
でも俺は一つも嫌いになんかなれない。一から十まで、好きしかない。
泣きそうになるのをどうにかこらえながら、俺は首を縦に振った。
それしか俺に選択肢はなかった。

そして今。
喪子は嬉しそうにきょろきょろ店内を見回している。
喪子が俺以外に興味を持っていることにどうしようもない焦燥を感じ、繋いだ手がぶるりと震えた。
ショッピングセンターといっても、ここは少し規模が大きいだけのスーパーだ。
大して見るものなどないだろうから、店内をぐるりと回ったらすぐに帰れる。
そう思っていた。大誤算だった。
想像以上に物が多くて見て回るのに時間がかかり、来店から15分経った今も喪子に帰ろうとする素振りはない。
早く帰りたい。早くいつものように喪子と二人だけになりたい。
こんな他人だらけの空間にいても何も楽しくない。むしろ気持ち悪い。
帰りたい。
帰りたい帰りたい帰りたい…!

「パンのにおいがするよ」

不意に腕を引っ張られた。
喪子の視線の先はベーカリーショップ。
焼きたてのパンのかおりにつられるように、喪子が歩き出す。
行きたくないし、行かせたくなかった。

「露骨に嫌そうな顔しないでよ。パン屋さんはだめ?」
「店の中で絶対喋らないで、俺か足元しか見ないならいいよ」
「家だと何しても怒らないのに、相変わらず外に出ると私の行動を制限したがるね」
「だって喪子は俺だけの…」
「いいけどパンも追加して。じゃないと家でも喋らない」
「くっ……。……俺と足元とパン」
「うん、わかった。ていうかパン見ないなら、行っても楽しくないじゃない」

苦痛しかないような空間で楽しそうにする喪子なんて、俺は見たくないよ。

喪子は店に入りざっと陳列棚を見回すと、すぐに足元に視線を移した。
それから俺に、屈めと指で合図する。

「あっちの丸くてマフィンっぽいパンと、その少し左にあるスイートポテト」

それだけ言うと、喪子はもう喋らなかった。
絶対に喋るなという約束は守られなかったけど、俺だけに聞こえるような小声だった。
ちゃんと俺の気持ちも考えてくれていることが嬉しくて、少しだけ心が軽くなる。
言われたパンをトレイに乗せて、レジに向かった。
会計の間、喪子はうしろから俺の腰にしがみついて顔を隠していた。
店を出るとさっそくパンを食べたいと喪子が言うので、一旦車に戻った。
誰に見られているかわからない店内に、落ち着いて食べられる場所はない。
フードコートなんてまっぴらごめんだ。
あれだけ人がいる空間にいて誰の視界にも入らないなんて不可能だし、その逆もまた嫌だった。
後部座席に座り、喪子は俺の膝に乗せる。一番くっついていられる体勢になって、ようやくほっと一息つけた。
マフィンを一口サイズにちぎり、喪子に差し出す。
食べさせてあげるのは俺の役目だ。これだけは絶対に何があっても、たとえ嫌いと言われても、やめるつもりはない。

「ありがとう」

指ごと食べていいのに、喪子はマフィンだけを唇に挟んだ。
笑顔でおいしそうに食べる喪子を見て、マフィンになりたいと本気で思った。
二回目と三回目は我慢した。
四回目に少し強引に指を唇へ押し当てた。スルーされた。
五回目も駄目だったので、六回目に指も食べてほしいとお願いした。

「わあ出た、ヤン君の変態性癖」
「なんだよそれ」
「ヤン君って普通に犯罪者なのに、さらに変態ってすごいよね。二重苦だよ」
「犯罪って……昔の話だろ」

まだ喪子と出会って間もないころ、俺はいくつか罪を犯した。
けれどそのどれもが法律上は罪というだけで、実際は喪子とつき合うために必要不可欠な行動だった。
おかげで今の幸せがあるのだから責められるいわれはない。

「現在進行形だと思うけど。昨日も勝手に私の下着盗ったよね、しかも洗濯前のやつを」
「盗ってない、ちゃんと返しただろ。それに恋人同士なんだからいいじゃないか…」
「せめて洗って返してくれないと汚くてもう履けないよ。っていうか恋人のすることじゃないでしょ。ヤン君の変態っぷりに改めて辟易したよ」
「違う、俺は変態なんかじゃない。…マフィン食べろよ」

食べてほしいと願っただけなのに変態変態と責められて、自分の発言を後悔し落ち込んだ。
話を終わりにしたくてマフィンを差し出すが、喪子は食べようとしない。

「もういらないのか?」
「ううん。ねえヤン君」
「なに」

いやな予感がした。

「俺は喪子に指を食べられたくてたまらない変態です、って言って」
「…なんで」

予感的中だ。
おかしなことを要求された。

「言ったらさっきのヤン君のお願いも聞いてあげるよ」
「俺の……」

思わず、ごくりと喉を鳴らした。
上下する俺の喉仏を見て、喪子は笑みを深めた。

「私に食べられたいんでしょ?血が出るまで噛んでほしい?」

血が、出るまで…。
手が震えた。気づけばすでにマフィンは下に落ちている。
喪子は震える俺の指を掴んで唇に寄せていき、ガチンと歯を鳴らして噛むような素振りを見せた。

「本当に噛まれたかったら、変態ですって認めちゃいなよ」

喪子の声がとても甘く耳に響いた。言ってる内容はただただひどいだけなのに。
変態だと言えば、喪子の口の中を感じることができる。
…感じたい。喪子の唇にはまれて、舌でなぶられ歯を立てられたい。
けれどそれは喪子が好きだからこその願望だ。噛まれること自体を望むような変態とは違う。

「……俺は…そんなんじゃ……」

必死で否定する。けれど語調は弱かった。
喪子は楽しそうに笑った。
馬鹿にされている。そう気づいてみじめな気持ちになる。
違う。俺は変態じゃない。喪子に馬鹿にされるような存在じゃない。
喪子にだけは、大好きな喪子にだけは俺を嗤ってほしくない。
だけど、でも。口角の上がった唇から覗く心地よさそうな歯を見たら、もう駄目だった。

「そう…だ。おれ……俺は喪子に噛みつかれたくてたまらない変態だ…」

言ってしまったら止まらない。
もうどうにでもなればいい。

「ゆ…指を……指を血が出るまで噛んでもらって、ちゅうちゅう吸われたい変態野郎だっ…!」
「変態以外の何者でもないね。本当に噛まれたい?」
「かっ噛んで!俺の指噛んでください!」
「指だけでいいの?」
「よくないっ…!もっといっぱい…腕も足も体中いっぱい歯形つけてください…!喪子に噛まれたい、歯形がほしい…!」

ここから今すぐ逃げ出したい。
耳を塞ぎたくなるほどみっともない願望を、しかも喪子に知られるなんて。
一気に汗が噴き出す。体が熱い。
喪子は変態だと認めろとしか言ってないのに、俺はそれだけじゃない本心をぶちまけた。
喪子は顔色を変えず俺を見ている。何を考えているのか知るのが怖い。
気持ち悪いと思われたらどうしよう。また俺から逃げるかもしれない。
俺のこと見捨てて、どこか遠くへ行くかもしれない。
そうなる前にどこへも行けないよう閉じ込めないと。だから早く帰らないと…。
喪子の反応をびくつきながら待っていると、突然ぺろりと指先を舐められた。
生温かく濡れた感触に、爪先から体中にしびれが走る。

「あっ…あぁ…も…もこ」
「嬉しい?」

問われて首を上下した。こくこく何度も頷く。
舐めてくれたというとこは、俺の願いを聞いてくれるということだろうか?

「そう。じゃあ舐めるだけでいいよね。噛むなんて痛そうなことしたくないし」
「い、痛くていい舐めるだけじゃ足りない…!痛くてもいいからっ…か、噛んで…!」

気持ち悪いとわかっているのに、俺の口は勝手に動き本音を言う。
これじゃあ本当にただの変態だ。さっき後悔したばかりじゃないか。
喪子がまだ引いていないことだけが救いだった。

「違うよね。ちゃんと正直に言って。じゃないともう何もしてあげない、お店に戻るよ」
「いやだ!…ご、ごめんなさい。言います、ちゃんと言うからっ」

あそこには絶対に戻りたくない。
何を言えば喪子が満足してくれるのか、何が答えなのかよくわからない。
ただ戻らずにすむよう必死で考えた。

「…い、痛いのがいい。喪子に俺のこと痛めつけてほしい」
「どうして?」
「喪子のことが好きだから…俺は大好きな喪子に身体中痛め付けられると、た…たまらなく嬉しくなるから…!」
「なんで?」
「俺が……俺がどうしようもないド変態なマゾ男だからです…。だから喪子に噛まれたり…体を食い千切ってほしい」

ふと自身が反応していることに気づいて、ああ俺って本当に変態なんだと情けなくなった。
いくら車内で喪子と二人きりとは言え、こんなスーパーの駐車場でだらしなく勃起して、俺はいつからこんな無様になったんだろう。

「食い千切るのは絶対むりだけど、恥ずかしげもなく醜態を晒したヤン君にご褒美をあげるね」

ご褒美…噛んでもらえる…?
いや、もう戻らないですむならなんでもいい。
喪子に触れてもらえるなら、何されてもいい。何でもしてほしい。
期待して待っていると、口の中に何かを突っ込まれた。

「っ…!?」

思いもよらぬ喪子の行動に、一瞬思考が止まる。

「スイートポテト。私のだけどヤン君にあげるね。おいしい?」

一気に突っ込まれたせいで喉が苦しく、味なんかまるでわからない。
口を両手で塞がれて吐き出すこともできず、涙目になってそれを食べる俺をあははと喪子は笑い飛ばした。

「噛まれると思った?ざんねーん。ド変態君のお願いを叶えるのは、私のお願いを叶えたそのあとっ」
「ごほっ…そ、そんな、なんで」
「そこ勃ってるけど、私は気にしないから大丈夫だよ。買い物の続き行こう!」

無邪気に笑う喪子の顔が、涙で霞む。
ひどいよ喪子。
期待に膨らんでいた心が軋みをあげる。
また他人だらけの空間にこのままもう一度行かなくてはならないなんて考えられない。
俺はもう店に戻ってもきっと平静を装えない。
ドアを開けようとしている喪子を引き留めたくて、うしろからぎゅっときつく抱き締めた。

「…離して」

冷たい声が返ってくる。さっきまで笑ってたのが嘘のように、喪子の顔は冷めていた。
離したら本当に車から降りてしまう気がして、腕に力をこめて拒否した。
こんなことならやっぱり、喪子を外になんか出さなきゃよかった。
デートなんて言葉に惑わされた俺が馬鹿だった。
八つ嫌われても、まだ好きが二つも残ってる。それで満足していればよかった。
家でだって肩ぐらい並べられる。それどころがずっとくっついていられる。
甘えたいならいくらでも甘えてくればいい。
わざわざ外で甘える必要なんかどこにもない。

「…帰ろうよ」
「買い物に来たんでしょ?まだパンしか買ってない」
「喪子…」
「一人で盛って本当に変態だね。その変態のツラ、いろんな人に見てもらえば」

喪子の言葉が胸を抉る。心臓から血が吹き出そうだ。
みじめで情けなくて、本格的に泣けてきた。

「もこ…喪子っ……」

嗚咽を止められない。

「もう絶対変なこと言わないから…俺のお願いも聞いてくれなくていいから…一緒に帰ろう。俺はもう帰りたい、もうどこにも行きたくない」
「なに泣いてるの?泣くほど嫌な場所じゃないでしょ?」
「嫌だよ…喪子と二人になれないならどこだって嫌だ、嫌なんだよ…」

泣いて愚図る俺は、まるでガキのようだった。
さっきの“醜態”と相まって、ますます自分が情けなかった。
こんな姿を喪子に見せることが恥ずかしくてならなかった。

「ヤン君…昔はもっと、強かったのにね」

喪子がさみしそうに呟いた。
俺は何も変わってないよ。
ただ喪子のことを好きになっただけ。変わったとしたら喪子への気持ちの大きさだけ。
腕の中で、喪子の体から力が抜けた。
顔をあげると、優しい瞳と目があった。
笑顔が戻ってる。温かい笑顔で、俺を見てくれている。

「私は外でも平気だし、常に二人きりなんて変だと思うけど、ヤン君がいやならしょうがないね」
「じゃ、じゃあ」
「…運転は泣きやんでからにしてね。今のヤン君だと事故りそうで怖いから」

喪子に頭を撫でられた。
その手つきが優しいことが嬉しくて、やっと帰れる安心感とあわさって、ますます涙が溢れ出た。

そのまま俺たちは家に帰った。店になんか戻らなかった。
喪子は「買い物はもう通販で済ますことにするよ」と投げやりに言った。それでいいと俺は頷く。
玄関につくなり喪子に覆いかぶさって、喪子の体をまさぐった。
もう我慢できない。喪子を感じたい。
二人きりだということを強くきつく実感したい。

「…盛りのついた犬って、ヤン君のためにある言葉だよね」

そう言いながら喪子は俺の首筋に歯を立てた。
待ち構えていた喪子からの刺激に、俺は獣じみた歓声をあげる。
喪子が八つ嫌いでも、俺は好きだからいい。
二つ好きだと言ってくれたから、今はそれでかまわない。
ようやく手に入れた喪子。手放すつもりはない。
変態と罵られても犬のようだと馬鹿にされても、喪子はずっと俺の物。
おかえしとばかりに噛みつき返せば、痛いと抗議され平手が飛んだ。
その刺激すら愛しくて、喜ぶ俺はどうかしている。
喪子にほとんど嫌われてるのに、かまわない、しょうがないと諦めて少しの愛を大事にしている。
みじめな自分がなんだか不意に可哀相で、笑ってしまった。
頬を叩かれ笑ってる俺が不気味なのか、喪子の顔が嫌悪に歪む。
好きな子にしてほしい表情じゃない。そんな目で見られたくない。
悲しいのに、さみしいのに、それでも俺は笑っていた。
笑うしかなかった。



終わりです

ヤンデレを書き表すのがこんなに難しいと思わなかったw

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