管理人さんが帰ってくるまでの仮まとめです

尽くしたがりヤンと思われるものを投下します
身体障碍についての描写があるので苦手な方や不謹慎と思われる方はスルーお願いします

ヤンデレ好きなのに自分で書くとただの下僕志願者
なんでだろう




こんなはずじゃなかった。


「あなたの命令を聞けるのがすごく嬉しいんです」

そう言って目の前でうっとり笑う男を呆然と眺める。
媚びるように情けなく垂れた眉と、へらりと上がった口角。
男を視界に入れるのが嫌で、存在を無視するように視線をそらした。
焦れたのか、男がさらに言葉を重ねる。

「してほしいことがあったら、なんでも言ってください。俺、本当になんでもしますから」

同級生である私にこの男は敬語を使う。
こちらから強制したことはない。
ため口を使わなくなったのがいつからなのか、曖昧にしか思い出せない。
教科書を貸してあげてからだったか。
放課後に遅くまで残って、委員の仕事を一緒にしたときからだったか。
風邪で休んでいた分のノートを、おせっかいと思いながらも写させてあげてからだったか。
どれもこれもきっかけと呼ぶには些細なものだ。
それらが重なり、いつの間にかおかしなことになってしまった。

こんなはずじゃなかった。

男は床にぺたりと座り、椅子に座る私を見上げて、言葉を待つ。
汚いからやめろと言ったけれど無駄だった。

「あなたを見上げていると、幸せな気持ちになれます」

意味が分からない。

してほしいことなんてない。
こんな男に望むことなんて何もない。
ただひとつだけ。しいて言うなら普通に戻ってほしいと思う。
知り合ったばかりのころみたいに、普通の男の子になってほしい。
もう手遅れだろうけど。

「俺のこと遠慮なく“使って”くださいね」

言葉を返さない私に、男は懲りずに言い募った。
聞いていて苛々するので、遮るようにイヤホンを耳に装着した。
ケーブルの先でスマホを操作し、音量を上げて音楽を流す。
男は口角を上げたまま、寂しそうにしゅんと項垂れた。
私が何を言っても、しても、この男は取り繕うように笑う。
常に媚びることをやめない男が、ほとほと気持ち悪かった。

何曲か流し聞くうちに、窓の外が薄暗くなっていく。
そろそろ学校に残っている生徒の数も減っているころだろう。
スマホの電源も切れかかっていたため音楽を止めてイヤホンを外した。
男が嬉しそうにこちらを見てきたが構うことなく腰を上げる。
するとすぐさま男も立ち上がり、素早く私の鞄を手に取った。

「送らせて下さい」

鞄を右腕で抱きかかえながら、私に許しを請う矛盾。
嫌だと言ったところで鞄がなければ帰れない。
男は命令されたがるくせに、私からこうやって選択肢を奪っていく。

「勝手にすれば」

冷たく言い放っても、男は顔を綻ばせて喜んだ。
自分の言葉に返事が返ってくる、そのことがただ嬉しいのだと言う。
男の中で私の立ち位置がどうなっているのか理解できない。
尻尾を振らんばかりの男を置いて、先に教室を出た。
男は慌てて私の鞄と自分のものを肩にかけ、後を追ってきた。
この状況をまわりがどう見るだろうか。
大した魅力もない地味な女が、同級生の男にいじめのように荷物を持たせ、偉そうに先を歩いている。
陰で何を言われているのか、考えるのもいやになる。
誰にも見られたくなくて、だからわざと最終下校時刻ぎりぎりまで空き教室で時間をつぶしている。
私は帰宅部だし授業が終わればさっさと帰りたいけれど、大多数の人間に男といるところを見られないためには仕方がなかった。
男は私の気持ちなんてお構いなしに、ふたりきりになれる時間だと喜んでいる。
幸せなあたまをしている。

「陽が落ちるのが早くなってきましたね」

男は私のあとを歩きながら、どうでもいいことをぽつりぽつりとこぼした。
口をきいて喜ばせるのが癪で、返事はしない。
独りで勝手に言っていればいい。

「女の子の一人歩きは危ないですからね」

最寄り駅が違うどころか、路線も違うくせに家までついてくる男の方がよっぽど危ない。

「まあ俺が絶対に守りますけど」

誇らしげに言うのをやめてもらいたい。頼んでない。

「それにしても、うしろすがたもかわいいです。可愛すぎて怖い」

かわいいと言われてぞっとする日が来るとは思わなかった。怖いってなんだ。
駅が近づくにつれ、人通りも増えてきた。
荷物持ちをする男と、それを当然のように従えている私に、ちらちらと視線が向けられていたたまれない。
あきらかな非難の色をにじませた視線に、好きで鞄を持たせているんじゃないと叫びだしたくなる。

「歩き方も好きです。せっせと足を動かしてるところ、すごくかわいいです」

距離を取りたくて必死だからだ。
それも裏目か。最悪だ。
制服のポケットから定期入れを取り出し、改札にかざした。
男がどうしても私の鞄を持ってしまうので、定期入れだけは常にポケットにいれて持ち歩いている。
改札を抜ける瞬間、真後ろから低い声がした。

「帰したくないな」

耳元に生暖かい息がかかる。
いつの間にか距離を詰められていたことに驚き、一瞬息が止まった。
ほら、やっぱり一番危ないのお前じゃないか。

ホームにつくと同時に電車が流れ込んできて、私は急いで女性専用車両に乗り込んだ。
さすがについて来られない男は隣の車両に乗る。
ようやく離れられた。
ほっと気を緩める私とは対照的に、男は真剣なまなざしでずっとこちらを見ていた。
上がりっぱなしだった口角はぎゅっと引き結ばれ、何かに耐えるように、懸命に、こちらを見ていた。

最寄り駅に着き、人に流されながら改札を抜ける。
このまま男を撒きたかったが、男は私を見失うまいと一生懸命に向かってくる。
逃げられそうにない。
ちらりと見えた男の顔は必死だった。額に汗が浮かんでいる。
そうしてぴたりと私の後ろをキープし、ふ、と息をついて小さく笑った。
背筋がぞわりと寒くなる。誰かこの男を私の視界から消してほしい。

「やっとそばにいられる」

聞こえないふりをして、道を急ぐ。
男は独りで勝手にしゃべって、ついてくる。

「そばにいたい…。帰したくない…帰したくないよ…」

そのうち、ぶつぶつと同じ言葉を繰り返し始めた。

「帰したくない。帰したくない。帰したくない」

もはや呪詛だ。
家までまだ十分弱の距離がある。
一人だとなんてことない道のりが、とても遠く、長いものに感じられた。

「あの、喪山さん」

ふいに呪詛に名前がまじった。
驚いて肩がびくりと反応してしまい、聞こえなかったふりができなくなった。
だからってもちろん返事をするつもりはないけれど。

「その、俺…」

ごにょごにょと言い淀み、結局そのまま黙ってしまった。
呪詛を吐くこともやめ、独り言もなくなった。
それだけでずいぶん気持ちが落ち着く。
ずっと後ろから声がかかり続けるのは、不快でしかなかった。

最後の十字路に差し掛かると、ちょうど信号が赤に変わるところだった。
私は無視し続けた男に振り返って、鞄を返すように言った。

「家まで来られると迷惑だから」
「で、でも、まだ俺あなたと離れたくないです」

男は私の鞄の持ち手をぎゅっと握り、返す様子を見せない。
私は男の、鞄をかけていない方の腕をばしりと叩いた。
男がうっと呻いた隙に、鞄を両手でひったくる。
男の鞄がその拍子にぼすんと落ちた。

「あ…」

男は自分の鞄を気にすることなく、私の鞄を目で追った。
そして縋るようにひくりと笑って、私に手を伸ばしてくる。
信号が、青にかわる。
私ははじかれるように走り出した。

「まって、待ってください!」

声が迫ってくる。
男が追ってくるのを意識しないように、ただ家まで全力で走り続けた。

こんなはずじゃ、なかったのに!



走り去る彼女に置いて行かれないように、懸命に後を追った。
けれど思うように動かない足が彼女との距離をどんどん離す。
彼女が離れていく。
置いて行かれたくない。離れたくない。
はあ、はあ、と息を荒げ全力で走ったけれど、結局追いつくことはできなかった。

彼女の家の前で呼吸を整え、部屋を確認する。
部屋の明かりがついている。無事に帰れたんだとほっとした。
もう今日は姿を見られないけれど、あの窓の向こうに彼女がいるのだと思うとどうにも離れがたい。
そばの電柱に寄りかかり痛む足と腕を休めながら、窓を眺めて彼女を思った。

数ヶ月前に教室の窓から飛び降りるのに失敗して、俺の右足はまっすぐに立たなくなった。
あのときちゃんと着地できていたら、こんな風に彼女に置いて行かれることもなく、隣を一緒に歩いてもらえた。
失敗したせいで俺はチャンスを失った。
彼女の、喪山さんの彼氏になれるチャンスを。
たった一度、せっかく喪山さんが与えてくれたものを、得ることができなかった。
どうしてあのとき、うまくできなかったんだ。

いつからか、喪山さんが俺にとって特別な女の子になっていた。
きっかけがなんだったのか明確にはわからない。
じわじわと彼女の存在が大きくなり、染み込んできた。
初めはただの、たまたま隣の席にいる女の子だった。
今ではなんで意識せずにいられたのか不思議に思えるほど、関わりは薄かった。
きちんと会話を交わしたのは、俺が教科書を忘れて困っているときだった。
授業が始まってから気づいたせいで、違うクラスの友だちに借りることもできなかった。
そういうときほどなぜか教師にあてられる。
教科書を読むように言われ、しかたない怒られようと、覚悟して立ち上がった。
このときに横からすっと教科書を差し出してくれたのが喪山さんだった。
小さく礼を言うと、喪山さんは控えめに笑った。
隣の席ということもあり、この日から俺と喪山さんはよく話すようになった。
他愛のない会話だったけれど、喪山さんの話を聞くのが楽しかった。

そのあとも、俺はたびたび喪山さんに助けられた。
特に重大なピンチというわけでもなかったけれど、些細な手助けが嬉しかった。

一緒の委員会になって、俺のミスで仕事が増えてしまったとき。
喪山さんは嫌な顔もせずに手伝ってくれた。
帰りが遅くなったので駅まで送ると、大げさなくらい喜んでくれた。
「女の子扱いだ! すごい!」
喪山さんはそんなことを言っていた。
「女の子じゃん」
俺が言うと喪山さんはさらに喜んだ。
普段あまりそういった扱いをされないらしく、照れくさそうに嬉しがる彼女が可愛らしかった。
次の日から俺は彼女を駅まで送るようになった。
喪山さんは初め戸惑っていたようだけれど次第にそれが当たり前になった。
違う駅なのにありがとうと、喪山さんは別れ際にいつもお礼を言ってくれた。
ありがとう。この言葉をもらえると、胸がぽかぽかと温かくなった。

風邪を引いて数日休んだ時はノートを写させてくれた。
俺のと違ってきれいな文字が並んだノートは、なんだかとても貴重なもののように見えた。
写す指が震えて俺のノートはますます汚くなったけれど、今でもそのページを何度も開いては喪山さんの文字を思い出している。

ノートのお礼に、クレーンゲームでとった小さなねこのぬいぐるみを渡した。
女の子ならこういうの好きかな、という単純な理由だった。
喪山さんは思いのほか喜んでくれて、俺は自分でも驚くくらい安心した。
喜ばせることができてよかった。彼女を笑顔にできたことが嬉しかった。
そのうちもっと何か返したくなった。
彼女を喜ばせたい。役に立ちたい。
彼女だけじゃない、何か、人の役に立つことがしたくなった。
俺ってこんなに奉仕精神あったんだ、と自分の新しい一面を見た気がした。

友だちとコンビニに行ったとき、十円が足りないと言われた。
十円くらい、と気軽に財布から出して渡す。
サンキュー! 友だちに礼を言われ、いいことをしたと思ったのと同時に、何かが違うと感じた。
あの、心の奥から湧き出てくるような喜びがない。
礼を言われても、別に嬉しいとも思わないし心も冷めたままだ。
試しにそのあとも積極的に“いいこと”と思われることをしてみた。
といっても大それたことじゃない。
金欠だと言う友だちにジュースをおごってあげたり。
重たそうに教材を運ぶ女子を見つけて手伝ってあげたり。
親と喧嘩をして帰りづらいという後輩につきあって、夜遅くまで公園で話をしたり。
些細だけれど人の役には立っているし、感謝もされた。
けれど駄目だった。喪山さんを喜ばせたときのような、心からの幸せを感じない。
人の役に立つだけじゃ駄目なのだと、しばらくして俺は気づくことができた。
喪山さんじゃないと駄目なんだ。

自分の立ち位置を理解した日のことだけは、しっかりと覚えている。
喪山さんと一緒に、理科室の掃除をしていたときだった。
ガシャンと大きな音が耳に飛び込んできて何事かと振り向いた。

「どうしよう…」

喪山さんが割れたガラスの前で呆然としていた。
誤ってビーカーを落とし、割ってしまったようだった。
慌てて喪山さんに駆け寄り、怪我がないことを確認する。
割れた破片から遠ざけて、気にすることないよと慰めた。
こんなことで喪山さんが教師に怒られるなんて冗談じゃない。
俺が割ったことにすればいい。

「危ないから、喪山さんは触らないで。俺が片付けておきますから」

言ってから、自分が敬語になっていたことに気づく。
でも不思議とおかしくは感じず、自然なことのように思えた。

「え、でも、割ったの私だし」
「違います。俺です」
「は? いや、なに言ってんの」

首を傾げる喪山さんにはとりあえず椅子に座ってもらって、持っていた箒と塵取りで破片を掃きとる。
喪山さんは何度も俺のことを手伝おうとしてくれたけど、こんなことさせられるわけがない。
片付け終えて振り向くと、喪山さんは微妙な顔で俺を見ていた。
腑に落ちないとでも言いたげに、けれど「ありがとう」と言葉をくれた。

役に立てた!

喪山さんのありがとうが嬉しくて、幸せで、心臓がどくどくと高鳴る。
すさまじい幸福感が、麻薬のように俺の脳を支配する。
そうして俺は気づくことができた。
自分と彼女の立ち位置と、存在意義に。
彼女に尽くすことが、俺の生まれてきた喜び。
俺は彼女を笑顔にするために、ここに生きている。

それからの俺の行動はとてもわかりやすかったと思う。
四六時中、彼女のそばをついてまわり、俺にできることをなんでもやった。
駅まで送っていたのを、彼女の家までに変えた。
モーニングコール。
朝の荷物持ち。
通学電車で人混みにもまれないよう両腕でバリケード。
日直の仕事。
ノートのコピー。
俺にできることなら、すべて。
気づけば彼女は俺に笑ってくれなくなった。
電話は着信拒否をされ、朝の通学時間をずらされた。
学校で目を合わせてくれなくなり、帰るころに声をかけても無視された。

ひどい喪失感に襲われて、息のできない日々が続いた。
本当に、呼吸がままならなくなったのだ。
不意に来るその発作は、しかし俺にとってメリットの方が大きかった。
立ちくらみのように屈み込んで、痛くて苦しい胸を押さえる。
うまく息は吐き出せないのに、辛うじて彼女の名前だけは呼ぶことができた。
喪山さん、喪山さん。助けを求めるように何度も口にする。
俺を無視する喪山さんも、このときばかりはそばにいてくれた。
喪山さんの体温が近くにある。それだけで嘘みたいに呼吸が楽になった。
けれどそれがバレたら離れてしまうので、しばらく苦しむふりをする。
喪山さんの優しさを、手放したくなかった。

あるとき喪山さんに、一体どうしたいのか問われた。
自分につきまとって、下僕のように従って、何を得たいのかと。

「あなたのために生きていたい」

素直な気持ちを言ったら目に見えてげんなりされた。

「…私のこと、まさか好きなの?」

喪山さんは怪訝な表情で、俺にとって衝撃的なことを言う。
好き。好き、なのか。
そうか、俺、喪山さんのこと好きなんだ。
言われて気づくなんて俺も相当にぶい。
ただ役に立ちたいだけじゃなかった。
好きだから、役に立って、必要とされたかったのだ。
自分でも気づかなかった単純な気持ちを、喪山さんは見透かしてくれた。

「そうです! 好き! 喪山さんのこと好きです!」

衝動のままに告白した。
気づいたからには伝えなければと、後先なんて考えてなかった。
喪山さんは「ありえない。嘘でしょ。やめて」とうわ言のように小さく漏らし、挑むような眼で俺を見た。

「だから今まで私に付きまとうのやめなかったの? このストーカー男」

あれ、なんか怒ってる?
今のタイミングで告白したのはまずかったかと、頭が冷静になっていく。

「違います、そういうつもりじゃなくて」
「じゃあどういうつもり! なんなの、あんた私とつきあいたいの?」
「つ…! つきあいたい!」

反射的に答えていた。やってしまったと思ったときには遅かった。
怒らせているときに、こんな身の程知らずなこと言ってる場合か。
発言を撤回させてほしい。
もっときちんと、自分の立場をわきまえた言葉でもう一度伝えさせてほしい。
そう思って口を開くと、喪山さんが窓の方をすっと指さした。

「私のためなら何でもするってよく言ってるよね」

喪山さんが、ふっと笑った。
俺に、笑ってくれている。

「はい、なんでもします」

言葉を引っ込め、喪山さんの言葉に従順に答える。

「だったらここから飛び降りてよ。五分以内に戻ってこれたらつきあったげるからさぁ」

言われた瞬間、俺の足は物凄い勢いで窓へと向かった。
ここから飛び降りて、戻ってくるだけ。
たったそれだけをこなしたら、彼女が俺と、俺と…!
もうそれしか考えられなかった。
ここが何階だとか、へたしたら死ぬとか、頭になかった。
つきあえる、喪山さんとつきあえる。
それだけを胸に、俺は勢いよく窓から飛んだ。
三階の高さから落ち、結果は右足粉砕。腰椎損傷。運よく頭は打たなかった。
しかしそんな体で五分以内に戻ることはできない。
校舎に入る直前で力尽きた俺は、彼女とつきあえるチャンスを失った。
その後の入院生活については思い出したくない。
手術後の痛みやリハビリの苦痛より、彼女に会えないことが何より何よりつらかった。

彼女の窓を眺めたまま、気づけば一時間近く経っていた。
あまり長く居続けるのはさすがにまずい。
名残惜しかったけれど、俺も帰ることにした。
途中で放り出した鞄を回収する。
いつもこの十字路で喪山さんに振り切られてしまう。
明日はもっと強く鞄を掴んで、取り上げられないようにしなければ。
だけど、どうして家まで送ったらいけないんだろう。
駅に送ってあげていたときは、あんなに喜んでくれていたのに。

取り留めなく考えているうちに、駅についた。
左腕にギブスをはめているせいで定期券が取りにくい。
さっき喪山さんに叩かれた痛みはまだ続いているけど、そこはまあ単純に嬉しいのでずっと痛いといいなあと思う。
腕にギブスをはめ、足をひきずり歩く俺は、はたから見ると弱者だろう。
そんな俺が荷物持ちになり、喪山さんは手ぶらで歩く。
喪山さんに非難の目が向けられるのはつらいけど、逆に好意が消えると思えば耐えられた。
この左腕は喪山さんに階段から落とされたときに折れた。
彼女に落とすつもりはなかっただろう。
ついてこないで、と軽く振った腕が俺の胸を掠めただけだ。
けれど俺は悪くなった右足を理由にバランスを崩し、落ちた。
喪山さんが慌てて差し伸べてくれた手を、取ることもしなかった。
手に触れられることより、少しでも傷を負うことを選んだ。
まあ喪山さんを道連れに落ちるわけにもいかなかったし。
あのときの喪山さんはすごく可愛かった。
青ざめた顔で涙目になりながら俺に駆け寄ってくる姿は、愛しくて愛しくてたまらなかった。
脳内で反芻するだけじゃ物足りない。写真に残しておきたかった。
転がる俺を抱き起こし、ごめんなさいと繰り返し謝る喪山さん。
喪山さんは何一つ悪くないのに、罪悪感でいっぱいの表情を俺に向けてくれていた。
可愛かった。本当に可愛くて可愛くて、どうしようもなく好きだと思った。
好きな人を自分だけのものにできるなら、腕なんかいらない。

前回とは違い、喪山さんは何度かお見舞いに来てくれた。
欲を言えば毎日会いたかったし、帰らずに居てほしかったけれど、我儘は言えない。
退院して久しぶりに学校へ行くと、校内での喪山さんは俺の想像以上に孤立していた。
当然だろうなあ、と他人事みたいに思う。
だって俺の右足に障害を負わせ、さらに腕まで折ったのだ。ひどい女だと言われてもしょうがない。
俺はその状況に安堵した。嬉しかった。
誰も俺と彼女の間には入ってこないと確信が持てたから。
俺たちを邪魔するものは、何もないのだ。
この日からぱたりと発作は消えた。

しかし彼女はなかなか俺を受け入れてくれなかった。
俺に負い目を感じていて、突き放すことができないのに、傍においてもくれない。
こんなはずじゃなかったのになあと溜息を吐く。
ただ彼女の役に立って、喜ばせて、幸せを感じたかっただけだったのに。
どこからずれてしまったのだろうか。
何をすればこのずれを正せるのだろうか。
帰り道でいつも反省するけど、結論は出てこない。
明日はもっと役に立てるといいなあ。
そのためになら、右腕も左足も壊れていい。
全身全霊をもって彼女に尽くしたい。
彼女のことが好きだから。
大好きだから。

家に帰り、かつて喪山さんに写させてもらったノートを広げる。
ただの板書じゃない彼女なりの注釈がいくつかあって、その部分を指でなぞる。
自分の汚い字だけど、この言葉を書いたのは彼女だ。
喪山さん。喪山さん。喪山さん。脳内で彼女を思い描く。

「喪山さん、好き。好き。大好き。喪山さん好き、好き、可愛い、可愛い可愛い可愛い」

こらえきれない想いが口をつく。溢れて溢れて止まらない。
喪山さんの言葉を大事になぞる。
俺のために書いてくれた喪山さんの言葉。
喪山さん。喪山さんの。
まるで喪山さんを撫でているかのように思い込んで、ゆっくり、丁寧に撫でてゆく。

「はあ、喪山さん、好きです、うしろすがた、抱きしめたい、可愛い、可愛い、ほんと可愛い」

目を閉じて今日の喪山さんを思い出す。
教室で椅子に座り俺を見下ろす喪山さん。足、きれいだった。膝が丸くて、おいしそうで。
帰り道。ちょこちょこ歩いて、スカートからのぞく足も可愛かった。ふくらはぎ撫でたい。太もも触りたい。
息を吐きかけた耳もすごく可愛かった。あれをなめたい。しゃぶりたい。
それから、声かけられてびっくりする肩。掴んで、抱きしめて、顔をうずめたい。
匂いを思い切り吸い込みたい。絶対いい匂いだ。嗅ぎたい、匂い嗅ぎたい。

「ああ、喪山さん可愛い、可愛いよ、喪山さん可愛い。可愛い可愛い可愛い」

“女の子扱い”であんなに喜んでた。そんなのいくらでもしてあげるのに。
俺の全身を使って、喪山さんの女の子なところ、全部可愛がってあげるのに。

「可愛い可愛い、喪山さん可愛い、可愛いよ! 好き、好き、大好き、だい好きぃい…!」

だからなんでも命令して。
俺なんでも言うこと聞くから。
喪山さんが許してくれたら、死ぬほど奉仕して、愛して、女の子にしてあげるから。

「もう、待ちきれないなあ……」

明日はいっそ、まっすぐ帰すのやめてしまおうかな。
ふうと息を吐き、幾分すっきりした頭でそんなことを考える。
家まで行くのが駄目なら、逆にこっちに来てもらえばいい。
俺の部屋でなら、彼女もまわりの目なんか気にせずもっともっと俺を使える。
俺も彼女を悪者に仕立て上げることなく、遠慮なくぞんぶんに尽くせる。

いいなあ、それ。すごくいい。

そうと決まれば掃除をしよう。
好きな人を、ましてや喪山さんを招くのに、埃一つ落としておくわけにはいかない。
明日ここに喪山さんが来てくれるのだと思うと、片腕しか使えないことも苦にならなかった。
塵一つ残さず、無駄なものは捨てて、俺に好感を持ってもらえるような部屋にしなければ。

次の日、喪山さんのポケットから定期券を抜き取って、それを材料に部屋まで招いた。
抜き取るときに抵抗されて左腕を何度も殴られたけど、痛みを与えられて歓喜していることを喪山さんは知らない。
俺のベッドに座ってもらい、俺は足元で彼女を見上げる。
この角度がとても好きだ。彼女のきれいな足が目の前にあって、視線を上げれば俺を見下ろすきれいな瞳。
俺がよくできていれば頭を撫でてもらえるし、駄目なら思い切り蹴飛ばしてもらえる。
足に縋りついて懇願すれば、彼女のものになったような心地になれる。
さあ、なんでも命令して。俺にあなたのすべてを任せて。
期待を込めて彼女を見ると、彼女は顔を覆って泣き出してしまった。

「もうやだ。やめてよ。これ以上私に背負わせないでよ、私のせいじゃない…! 私なにもしてない!」

彼女は何を言っているんだろう?

「こんなはずじゃなかったのに…そんなつもりなかったのに!」

悲痛な声が胸をつき、わけもわからないまま俺も悲しくなってきた。
喪山さんを慰めたくて、つらいものがあるならそれを俺が肩代わりしたくて。

「泣かないで喪山さん。あなたのことは全部俺に任せてください」
「やだやだ、触らないで…! 来ないで!」
「大丈夫。あなたにはつらいことも悲しいことも何一ついらない。嫌なことがあるならそれ全部俺にください」

言いながら、身をよじって逃げようとする喪山さんの足に顔をすりよせる。
そのまま心の底から愛していると伝え、丁寧に可愛がると、やがて喪山さんは静かになった。
文字ではなく本物を撫でることができたことが嬉しくて、俺は夢中で喪山さんを舐めて、しゃぶりつくした。

「好きです。あなたのためならなんでもしたい。俺に、愛させてくださいね」

涙の跡が残る頬を舐め上げると、喪山さんはぎゅっと目をつむった。
ああ、キスしてほしいんだ? 自分から目をつむるなんて、可愛いな。本当、可愛い。
強請られるままに口づけ、唇をぺろぺろ舐める。
たまらなくおいしくて、唾液をすすり飲むように吸い付き味わう。
喪山さんはキスの合間に小さく喘ぎ、首を左右に何度も振った。

「こんな、はずじゃ」

言葉を奪うように唇を重ねる。
――今は、何も言わなくていいです。
ただ俺に身を任せてくれれば、それで。
力ない唇を開いて、舌を中に差し入れる。
ああ、気持ちいい。気持ちいい。喪山さんの、気持ちいい!

「ん、っふぁ、んん…!」
「ああ、おいし、たまらない、本当かわいい、可愛い、ねえ喪山さん、もっと、もっとしてあげます」

全身を使って奉仕している間、喪山さんはこんなはずではと繰り返した。
こんなって、どんな?
俺が飛び降りて、チャンスを逃して、それで終われると思った?
その前にまさか本当に飛び降りるわけがないと思った?
残念でした。目論見、外れちゃいましたね。
彼氏にはなれなかったけど、別にあなたといられるならカタチなんてなんでもいい。

「俺の喪山さん。あなたは俺だけのもの、あなたは俺のすべてです」

せっかく見つけた俺の生きる意味。離すわけがない。
あなたに何を言われても、されても、俺にとってはすべてご褒美。
あなたからの、愛だ。

「俺のこと“使って”くださいね。俺はあなたのものだから、あなたの…ふふ、ふ、あははは」

それが俺の喜び。あなたのために俺は生まれた。
気づかせてくれたのは、俺にたくさんの親切をくれたほかでもないあなた自身だ。

「喪山さん、好きです。大好き大好きだぁい好き…」

片腕で抱きしめた喪山さんからは、ただただしあわせの香りがしていた。




終わりです

自分の言葉で同級生がひもなしバンジー
それがトラウマでヤンを振り切りきれない喪子と
そんなもんどうでもいいからそばにいたいんだぜ
というヤンデレ(性欲を持て余している)でした

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