最終更新:ID:RX/kHwvHrw 2018年03月01日(木) 17:42:42履歴
本スレで世話好きヤンが話題になったときに、
オネエと組み合わせたらどうするだろうと考えた結果です
世話焼き設定若干どっか行きましたが
気持ち長くスレ数消費しますので、もし他に投下考えている方がいらっしゃいましたら、
一気に投下しますので、終了宣言までお待ちいただけると助かります
共通ルートからオネエルート、ヤンルートの二種類に派生します
オネエ口調が苦手な方はスルーお願いします
また、ヤンルートはほんのりホラーというかファンタジー要素ありますので、
こちらも苦手な方はスルーでお願いします
「もーやってらんない、ほんとにあのシナリオは怖いっての」
よくあるチェーン店の居酒屋の個室。掘りごたつの席に向かい合わせで座り、私喪山喪子はグラス片手に幼馴染み相手に熱弁を振るっていた。
「あら、アンタの一押しキャラだったじゃない」
「そうなの! 一番好きだったの! なのに、なのになんなのよあのエンディング」
私が語っているのは、今私がプレイしている同人乙女ゲームのヤンというキャラクターについてである。
設定は現在モノで、主人公がアクシデントで少数ながら男性ばかりの部署(しかも全員イケメン)に異動になり、そこから恋が芽生えるというモノ。
攻略対象の一人であるヤンは、穏やかで優しいお兄ちゃん系のキャラで、ゲームの中でもメイン攻略キャラの位置にいる。
見た目が一番好みでやったのだが、その中身も世話好きでマメで優しくてと、気がつくと私はメロメロになっていた。
中盤、幼馴染みが地方に飛ばされて寂しくなったときも、俺が傍にいるよと優しく励ましてくれた。
終盤、仕事で大きなミスをしたときだって、周りが主人公を責めてもヤンは私のせいじゃないよと言って、色々な方面に手を回しミスを取り戻してくれた。
人によってはもちろん物足りないだろうけど、ありきたりな恋に憧れる私としては、非常に萌えたルートだった。
そう、『だった』、のだ。
そのまま気がつかずにハッピーエンド、となればいいのだけど、ヤンの小さなミスから主人公は違和感を抱き、そうしてヤンの所業の数々を知る。
プレイヤーも彼の行動の数々に、主人公と気持ちがシンクロしていく。
怖くなった主人公は逃げ出すけれど、時すでに遅し。ヤンは彼女を強引に監禁するというエンド。これがハッピーエンドだというのだからおかしい。
「じゃあどんな結末がお望みなのよ、喪子様は」
呆れ半分に幼馴染みが聞いてくれるので、私はお酒の入ったグラスを置いて首を傾げる。
「うーん、主人公にばれずに円滑に結婚? それなら丸く収まるじゃん?」
「ああなるほど、都合の悪いことは知りたくなかったと」
「だってそうでしょ。知らないほうが良いに決まってる。だって怖いじゃん。もはやこれヤンデレでしょ」
主人公の幼馴染みが地方に飛ばされたのも、実は会社の社長の息子であるヤンが主人公に付きまとう男が邪魔だと仕組んだ事だった。
主人公が途中でしでかす大きなミスも実はヤンが仕掛けたものだし、ミスだって本当はヤンならすぐに回収する事が出来た。
その他諸々、イベントの全部が全部、主人公を自分に依存させるためにヤンがした事だったのだ。
「私にはヤンデレ萌え属性はないのですよ、ヤミ子ちゃん」
「あらそうなの?」
幼馴染みが可愛く小首を傾げる。
「アンタってそういうのもイケる口かと思ってたわ」
「ひどい! 私にだって二次元の好き嫌いくらい選ぶ権利はあります!」
「二次元でしか主張できないのが悲しいところよね」
幼馴染みは口元に手を当て、クスリと笑う。
若干馬鹿にしたような言いぐさではあるが、悔しいことに美形な幼馴染みに言われると言い返せない。
「ちょっと美人だからって調子に乗って」
「あら、だって本当に美人だもの、アタシ」
クォーターらしく肌は色白で肌理が細かくて、瞳はブラウン。髪は赤みがかった茶髪で、私はそれを放置プレイした紅茶の色と表現している。
まあなんだ、腹立たしいことに非の打ち所のない美形なのだ。ある一点を除いては。
「生まれる性別間違えてるくせに」
私が突っ込むと、幼馴染みはそうかしらねえと優雅に微笑んだ。
そう、私と乙女ゲートークを繰り広げている目の前のヤミ子は男である。世間様にはちゃんと隠していて、オネエである事は私だけが知っている。
私と幼馴染みであるヤミ子(本名はヤン男)との出会いは幼稚園まで遡る。
幼い頃、天使のように愛らしいヤミ子は他の男子からいじめられていて、私は変な正義感からヤミ子をいじめっこ子から守っていた。
それが縁でヤミ子は私に懐き、幼稚園を卒業する頃には私とヤミ子はワンセット扱いになっていた。
関係を維持したまま小学校に上がり高学年を迎える頃、ヤミ子には成長期が来て天使から美少年にクラスチェンジを始めていた。
そこからの想像は容易いだろう。
可愛くて綺麗なヤミ子に近づきたい女の子達と、そんな女の子達には全く興味を示さず私にべっとりのヤミ子。
数少ない仲の良かった友達も仲良くない女の子も、私の存在が疎ましくなったのか私をイジメはじめた。
私はそれをヤミ子の所為だとわめき立て、ずっとヤミ子を無視し、気がつくとヤミ子は親の転勤で引っ越してしまった。
縁はそれまでだと思っていた。
ところがどっこい。高校大学と、もてないながらも人並みな生活を過ごし、就職した先で私とヤミ子は再会した。
美少年は成長と共に顔が崩れる説を押したかった私だが、悔しいことにヤミ子は、ちょっと線が細くてどことなく中世的な雰囲気を持った美形にクラスチェンジを終えていた。
人気のないところで話しかけられ、恨まれているのではと思ったけれど、その後二人で飲みに行き個室に入った途端、あーもうやになっちゃうわね、という一声で私の度肝を打ち抜いた。
曰く、色々あった結果こういった口調になったそうで、幼い頃から知っている私なら受け入れてくれると思って一皮脱いだらしい。
美形の幼馴染みとの再会からの恋愛フラグキタ!? とか馬鹿な事を考えていた自分が恥ずかしい。
まあそれはともかく、現在の会話から察してもらえばわかるように、私とヤミ子の関係は非常に良好である。
毒舌オネエ系に進化したヤミ子は私の趣味にも理解を示してくれ、こうして乙女ゲーの愚痴なんかもなんだかんだで聞いてくれる。
ちょっと遠くのイベントなんかにも一緒に行ってくれるし、一人じゃ行きにくいコラボカフェなんかも一緒に行った。
子供の頃女子にいじめられたせいで人付き合いが苦手な私にはなんでも話せる友達なんていなくて、ヤミ子は私にとって親友とも言える存在になっていた。
「ああそうだ。最近秘書課の子に告白されて、ブスはお断りって遠回しに断ったんだけど、アンタ何か言われたりしてない?」
「大丈夫。ヤミ子が社内ではちゃんと他人のフリしてくれてるから、特には」
昔モテすぎるヤミ子が原因でいじめられた事から、会社では他人のフリをするようにしている。
それでもまだ心配なのか、いじめられていないのかとこまめに心配してくれる辺り、普段は毒舌だけどやっぱり優しいと思う。
「ならいいけど。アンタってお馬鹿だからアタシがついてないと心配で心配で」
やあねぇと芝居がかった仕種でヤミ子は片手で口元を隠す。
昔は私が保護者だったのに、今ではヤミ子が私の保護者だ。
「友達もいないし、彼氏もいないし」
「ちょ、ヤミ子だってそうでしょ」
仕返しに言ってやれば、ヤミ子は何故か満面の笑みを浮かべてそうねと答える。
「ま、アンタみたいなイロモノ、理解してあげられるのはアタシぐらいよ」
そう言われてしまえば何も言えない。
ヤミ子という何でも理解してくれる友達がいれば、新しい友達を作る気力が失せるのは本当だ。人並みに彼氏は欲しいけど。
ヤミ子も外面はいいものの、中身がこんなのなので親しい友人はいないらしい。
「っと、あら、もうこんな時間ね。そろそろ出ましょうか」
手元の腕時計を見たヤミ子がそう告げる。自分の携帯で時間を確認すればいい時間だ。
「今日も飲み過ぎね。心配だからうちに泊まって行きなさい」
「ヤミ子あざーっす。ヤミ子の作るパンケーキ楽しみにして寝ます」
飲みに行った後はだいたいこう。ヤミ子の家にお邪魔して、気がつくとヤミ子と休日を過ごす。
オネエだからか、ヤミ子は料理も上手だし部屋も綺麗で居心地が良いから、なんだかんだで私もこの生活から抜け出せないでいる。
明日のブランチに思いを馳せて、お酒でほろ酔い気分のまま、私とヤミ子は帰宅したのだった。
「ああもう、ほんと、可愛いんだから」
アタシのベッドの隣に敷かれた布団の中で眠る喪子を見つめて、アタシは一人呟いた。
寝息を立てる喪子も可愛い。寝相が悪くて、ちょっと肉付きのいいお腹が見えてるのも可愛い。まあ、後で布団かけ直すけど。
お馬鹿な喪子。
再会して以来、恋愛対象については濁していたから、アンタはずっとアタシは男を好きになるのだと思って安心しきっている。
知らないでしょう?
アタシがアンタに今でも恋をしていること。その為に、アタシがどれだけ手を尽くしているのか。
喪山喪子は、アタシの知る限り、もっとも素敵な王子様である。
子供の頃、まさに天使と言わんばかりの容姿だったアタシは馬鹿な子供達にいじめられていた。
悪口で済めばいいけど、時には子供特有の無邪気さで服を脱がされかけたし、あからさまに女の子を見るような目で見られた事もあった。
アタシにとって、それは悪夢だった。毎日が地獄だった。当時はまだ繊細な心の持ち主だったのよ。
いつまで続くのかと思っていた頃、王子様は突然に現れた。
親の転勤でこっちに来たという喪子は、泣いているアタシを見つけると力強く手を取ってアタシを外に連れ出してくれた。
いじめっ子達がアタシを馬鹿にしても、喪子は絶対にアタシの手を離さなかった。いじめっ子と達と勇敢に戦ってくれた。
髪の色の違うアタシが気持ち悪くないのと聞いたら、きれいだよと笑ってくれた。お姫様みたいだよって言ってくれた。
ああ、これがいつも絵本で見た、困ったときには助けてくれる王子様なんだ、ってアタシはその時から喪子に恋に落ちていた。
幼稚園を卒業する頃には、アタシは喪子のお姫様だった。どこに行くにも喪子喪子。そんな様子を先生達は可愛いわねって笑っていた。
アタシの世界には喪子とアタシしかいなかった。喪子もアタシを大切にしてくれた。アタシは一番幸せだった。
だけど唐突にアタシの世界は音を立てて壊れる。
『ヤン男のせいだ! ヤン男が、なんでも私ばっかりだから!』
『私はヤン男のせいでいじめられたんだ!』
王子様は、アタシと二人きりの世界を拒んだ。アタシ以外の『女友達』を望んだ。アタシ以外の『みんな』との世界を望んだ。
喪子の罵倒を聞いてから、学校へは行けなくなった。また喪子から拒絶の言葉を聞いたら心がおかしくなりそうだったから。
アタシの様子を心配した両親は、他県へ転勤する事にしたらしく、アタシもまた転校する事になった。
まだ正常だった理性は、これが一番だったのだとアタシを説き伏せようとした。アタシもそう思おうとした。だけど、出来なかった。
喪子の傍にいたかった。喪子の声が聞きたかった。喪子に優しくして欲しかった。喪子に、あの可愛い唇で名前を呼んで欲しかった。
喪子のいない毎日は灰色の世界だった。ただただ苦しかった。
人より少し遅れてやって来た成長期はアタシをさらに苦しめた。
少しずつ大きくなる背、低くなっていく声。骨張っていく身体。鏡を見る度に辛かった。
だってそれは、アタシがお姫様ではないという証拠。あの勇敢で優しい王子様のお姫様にはなれないという絶対的な現実。
泣いて、泣いて、泣いた。正常な理性は、涙と一緒に流れて消え去った。
アタシの望みが所詮絵空事でしかないと突き付けられても、喪子からどれだけ離れても、やっぱりアタシには喪子しかいなかった。
他の女の言葉なんて耳に入らない。どんな美人だと言われた子でも、アタシにとって喪子ではない顔という認識しかなかった。
人間の判別は、喪子か、喪子じゃないかの二択だけ。喪子以外は全てその他大勢。アタシと喪子の為のエキストラだ。
もうお姫様じゃなくてもいい。アタシは喪子に愛されたかった。アタシも喪子を愛したかった。
そこからアタシは喪子を手に入れる為に、将来を真剣に考え始めた。
がむしゃらに勉強をする傍ら、投資や株に関する本を読み漁り、お小遣いだけじゃなくてお年玉も数年貯めて、親がアタシの為に積み立ててたお金までも借りて、そっちに手をつけた。
結果だけ言おう。アタシは天才だった。
喪子を安心して養うだけのお金はある程度用意できた。頭も良かったから良い大学にも入った。
その頃のアタシは胡散臭い探偵を使い喪子の事を調べ上げさせていたから、喪子の事はほとんど知っていた。
偶然を装って同じ会社に入り、人気のない場所で喪子に声を掛けた。
怖いほどにアタシは慎重だった。また喪子に何かあれば、喪子はもう二度とアタシを見てはくれないだろう。
そうなれば物語はバッドエンド。アタシは手にしたお金で喪子を無理矢理に監禁し、毎夜その身体を抱き、アタシを否定する喪子を壊して愛でるしかなくなる。
逢瀬は人目を避けて行った。社内でのやりとりは携帯で、仕事後の待ち合わせは少し遠い店で。
二人で出かけるときは必ず変装をした。それはウィッグだったり伊達眼鏡だったり色々と。
喪子と会っている時、アタシは男であることをやめた。最初の目的は、『喪子の最も信頼する同性の友人』になることだったから。
アタシの願いは喪子と二人きりの世界。過去、喪子はアタシよりも『女友達』のご機嫌を望んでアタシを捨てたのだ。
ならばそんな『女友達』よりも大切な存在に、『親友』とやらにアタシがなってしまえばいい。
その為の努力は惜しまなかった。
喪子と同じ乙女ゲームもやったし、知らないアニメもゲームもした。声優の名前も覚えた。
喪子の好みは全て頭に叩き込み、店はいつだって喪子の好きそうな物のある場所にしたし、喪子が望みそうな言葉も惜しげもなく与え、喪子の言葉をただ聞いてあげた。
努力は功を奏し、アタシはあっという間に『親友』になった。
最初は月に一度だった飲み会は、徐々に回数を増して今では毎週のように行われ、その度にお店に行くのはお金がかかるからと、最近ではアタシの家で『女子会』をすることにしている。
「ねえ喪子、気付いてる?」
上体を起こし、眠る喪子を見つめてアタシは呟く。
「ずいぶんアンタの物が増えたわね」
食器にマグカップ、ハブラシに着替えの服。喪子の使うバスタオルや、喪子専用の物。二人で遊んだ時に取ったぬいぐるみも増えた。
まるで半同棲中のカップルのようだと考えないのかしら。まあ、そのうちルームシェアという言葉で覆い隠した同棲を始める予定だけれど。
同棲を始めたら、少しずつ喪子がアタシを男意識してくれるようにするの。喪子が怯えないように、逃げないように、小出しにして。
最も信頼できて誰よりも理解してくれる『親友』から、そこに恋愛とセックスを付け加えた『恋人』に。
これで喪子はアタシ以外に男も女も必要なくなる。
アタシが望んだ、アタシと喪子だけの世界の出来上がり。
「アタシはあのゲームの男のように、ミスなんてしないわ」
喪子の話を聞いたとき、ざまぁみろと思った。
喪子がお気に入りだと言っていた男。ちょっとしたミスで所業を知られ、一気に喪子に嫌われていた。
随分と長いお気に入りだったから、早く飽きないかと思っていた矢先の出来事だった。
「愛されたいのよ。アンタの愛情を全部、一欠片も逃さずに欲しいの」
力ずくで手に入れてどうするの? 怖いと泣かれて、無理矢理鎖で繋ぎ止めて、ただ手元に置いているだけの、何が良いの?
どうせならキラキラと輝く目でアタシを見つめて、可愛い唇で愛を紡いでもらいたいと思うのは当然でしょう?
その時の為に耐えて耐えて耐えて生きてきた。手を出さず、味見もせず、その時だけを夢見て。
「ああ、早く愛し合いたい。愛しているわ、喪子」
耐えきれずに携帯を取り出し、お気に入りの喪子の写真を表示し、そこに映る喪子にそっと口付ける。
本物の喪子の唇はどれほど熱いのだろう。舌を割り入れて、唾液を啜って、柔らかい舌を甘く噛んで。
そこから先を想像して、アタシの中の男の部分が熱を帯びる。ああもう、後でトイレでこっそり処分しないと。
今日はどうやって犯してあげましょう。想像の中ではもう子供が何人出来てもおかしくない位なのよ、喪子。
我慢しすぎて、アタシは現実と妄想の境目がなくなって、目の前のアンタを犯してしまいそうで怖いの。
「だからその前に、早くハッピーエンドといきましょう?」
バッドエンドは嫌いだものね。
二人のハッピーエンドの為に、早くここに堕ちてきてね、アタシの愛する王子様。
週明けの月曜日、突然、ヤミ子が消えた。
日曜日の夜に自宅まで送ってもらって、また明日なんて挨拶をして、それきり。
失踪なんて簡単なモノじゃない。
誰もがヤミ子という存在を忘れてしまったのだ。
両親に電話で聞いても首を傾げられ、ヤミ子の両親に電話しても息子はいないし、私が不審者扱いされてしまう始末。
ならばと家に残っていた写真を探しても、そこに映っているのは私一人。きっと実家に置いてある卒業アルバムにも、ヤミ子の姿はない。
なんで、どうして。
私は泣いた。ヤミ子の存在は私の中でどれほど大きかったのか、思い知らされた気がした。
携帯の番号も、二人のやりとりも、全部消えてしまって、ヤミ子という存在はもはや私の記憶の中にだけしか残っていない状態だった。
怖くもあった。ヤミ子は、私が作り出した空想の存在だったんじゃないかって。
だけどはっきり憶えている。子供の時の愛らしい姿も、大人になった綺麗な彼の姿も。交わした会話も、一緒にイベントに行った思い出も。
あれが幻だったなんて、思いたくない。
泣いて泣いて泣いて。ヤミ子が泣き過ぎよお馬鹿って、出てきてくれないかと祈ったほど。
なのに、どうしてか徐々に私の中のヤミ子が消えていく。思い出せないことが一つずつ増えていく。
忘れたくない、忘れてたまるか。
私は必死にメモを取った。ヤミ子との思い出、どんな人だったか、どんな事をしたか。私だけは、ヤミ子を忘れたくなかった。
記憶が消えても、メモを見てそうだったんだと思い出を作り直す。
会社の事なんてどうでも良かった。
私を一番理解してくれた、誰よりも大切な幼馴染みを忘れる事の方が余程怖かった。
会社にはしばらく休むと無責任な連絡をした。私はおかしくなりそうだった。
私の記憶の消失はスピードを増していた。読む傍ら、情報が抜けていく。もはや書くことはままらず、私は必死に読んでヤミ子という存在を忘れないようにするので精一杯だった。
そんなときだった。
間抜けなインターホンを鳴らす音が響いて、私はもしかしてヤミ子が現れたのではないかと確認もせずにドアを開けた。
「……え」
そこにいたのは、ヤミ子ではなく見覚えのある青年。
「ああやっぱり家にいたんだね」
ここ数日一番聞いていた青年の声に、安心どころか戦慄を憶える。
「な、んで」
舌がもつれる。驚きでじゃない、恐怖でだ。
「ヤン」
辛うじてその名前を口にすれば、彼はディスプレイ越しにいつも見ていた笑顔を見せた。
「そう。俺だよ、喪子。会社に来ないから心配していたんだ」
私とは正反対に、うっとしとした表情で私を見つめ、彼の手が伸びてくる。ハッとしてそれをたたき落とし、彼を睨み上げた。
「どうして、ヤンがいるの」
ヤンはゲームのキャラクターだったはずだ。現実にまで出てくるなんておかしい。
「……あれ? まだ、書き換わってない?」
「書き換わ……る?」
不思議そうな彼の言葉に、私の心臓がどくどくと音を立て始める。
違う。
違う。
違う。
「余程あの男の影響力が強かったのかな」
違う。
「だから三日も姿を見せなかったのか」
違う。
「あの男は、もういないよ」
「違う! ヤミ子は消えたりなんてしてない! ヤミ子は、ちゃんと、ちゃんと……」
声が震える。
嫌だ、私の中の数少ないヤミ子が、この少しの時間の間にも抜け落ちていく。
ヤンを無視し、部屋の中に戻って必死にメモをめくる。記憶がなくなっても、思い出は作り直せる。
ヤミ子はちゃんといる。私だけの中に、ちゃんとちゃんと。
「なるほど」
背後から声がして、一瞬で私が持っていたノートを奪い取られる。
「だから、記憶の書き換えが進まなかったのか」
「返して! それはヤミ子なの!」
「これがなかったら、忘れてしまう程なのに? 腹が立つな」
そう言って彼はノートを持ったまま踵を返し、コンロの前に立つ。
「やめて!」
彼の成すことが想像できて、私は駆け寄る。けれど一足遅く、ノートには火が。
「あ、……あ……」
燃えていく。私の、誰よりも大事な幼馴染みが。
「いや……いや……」
呆然とその場に座り込み、頭を抱える。
嫌なの。忘れたくないの。幼馴染みなの。大事な、大事な。
「名前、……名前、わから、ない」
消失は速度を増す。大事な幼馴染みの名前が、わからない。
「いいんだよ。もうそれは、喪子には必要のない記憶なんだから」
前に座り込む気配。
優しく頭を撫でる手の感触。
「触らないで!」
頭を起こし、その手を払う。
「私は、私は……」
誰を、忘れたくないの?
「いいんだよ、喪子。これからはちゃんと俺のことを思い出してね」
「いや……」
頭の中に記憶が浮き上がる。今まで抜けていった何かの代わりに。
彼はヤン。私が勤める会社の社長の息子で、ちょっとした手違いから知り合いになって。
「嘘。嘘」
必死に首を横に振って、新しく作られた記憶を振り払おうとしても記憶は書き換えられていく。
「本当になるんだよ、これからはね」
こんな野暮ったい私のことを気に掛けてくれて、会社でいじめられていた私に優しくしてくれた。
どうしてと聞いた私に、彼は私が気になっているからと、付き合って欲しいと言ってくれた。
「違う、違う」
私は彼の告白を受け入れた。格好良くて優しくて、私のことを誰よりも大切にしてくれるヤンを、私だって好きになっていた。
作り出される思い出たち。
人が多いところが苦手な私のために、いつも個室や他人の目を気にしないお店を選んでくれた。
ゲームばっかりじゃだめだからって、色々なところに連れて行ってくれて、私はたくさんの新しいことを知った。
お金持ちなのに意外と庶民派で、世話焼きで、お兄ちゃんみたいな、人。
「たす、けて」
どれだけ拒んでも、思い出と感情が作り替えられていく。
やがて私は耐えきれずに静かに意識を落とした。
その刹那。
ほんとにアンタは、お馬鹿なんだから。
そう言う誰かの声が、聞こえた気がした。
ぽすんと音を立てて腕の中に喪子の上体が倒れ込んでくる。
あまりにも急速に書き換えが行われたから、整理の為に意識が落ちたんだろう。
本来ならば一夜で終わっているはずだった。眠りの合間に、違和感なく『ヤミ子』と呼ばれた男の記憶は消されていたのだ。
「憎たらしい」
それほどまでに彼女のそいつに対する情が深かったという事だろう。挙げ句、悪あがきをするほどには。
彼女のパソコンが置かれているテーブルに視線を這わすと、その近くに一つのCDケースが置かれている。
彼女を抱きかかえ、一旦ベッドに寝かせると、俺は立ち上がりテーブルからそのケースを手に取る。
数人の男達が一人の女を囲んでいる画像。以前の俺がいたその場所には、朱茶色の髪をした中世的な男が描かれている。
「ゲームオーバーだ」
CDケースごとゴミ箱に投げ捨て、俺は喪子の傍に座る。
これでいい。
何の運命か、俺はゲームの外から出て、喪子に会うことが出来た。
俺に関わるべき人間と、あの男に関わった人間の記憶を全て書き換え、俺は病谷ヤンとしての生を手に入れ、あの男は俺の代わりにディスプレイの向こう側へ消えた。
「ようやく、君に触れられた」
あの透明な壁の向こう側、君がくれる愛の言葉が何よりも嬉しかった。
最初こそ気にしていなかったのに、僕は徐々に君が愛おしく思うようになった。
なのに、僕と君の間には紛れもなく透明な壁が邪魔をしていて。
「気が狂いそうだったよ。君の体温も、感触も、何一つ知ることもなく忘れられていくのが怖かった」
ひたすらに願って、何度もの夜を繰り返して。そうして入れ替わりを条件に神様は俺の願いを聞き届けた。
「君の髪に触れることも、匂いを嗅ぐことも、肌を撫でるのも、口付けることも、……今の俺には全部出来る」
知らず、恍惚とした声が出る。
「目が覚めたら、君は俺の大事な恋人」
ゲームの中では失敗したけれど、現実では失敗なんてしない。
「さあ、ハッピーエンドを迎えよう」
愛し合う二人は、幸せになるものなんだから。
以上です
読んでくださってありがとうございました
オネエと組み合わせたらどうするだろうと考えた結果です
世話焼き設定若干どっか行きましたが
気持ち長くスレ数消費しますので、もし他に投下考えている方がいらっしゃいましたら、
一気に投下しますので、終了宣言までお待ちいただけると助かります
共通ルートからオネエルート、ヤンルートの二種類に派生します
オネエ口調が苦手な方はスルーお願いします
また、ヤンルートはほんのりホラーというかファンタジー要素ありますので、
こちらも苦手な方はスルーでお願いします
- 共通
「もーやってらんない、ほんとにあのシナリオは怖いっての」
よくあるチェーン店の居酒屋の個室。掘りごたつの席に向かい合わせで座り、私喪山喪子はグラス片手に幼馴染み相手に熱弁を振るっていた。
「あら、アンタの一押しキャラだったじゃない」
「そうなの! 一番好きだったの! なのに、なのになんなのよあのエンディング」
私が語っているのは、今私がプレイしている同人乙女ゲームのヤンというキャラクターについてである。
設定は現在モノで、主人公がアクシデントで少数ながら男性ばかりの部署(しかも全員イケメン)に異動になり、そこから恋が芽生えるというモノ。
攻略対象の一人であるヤンは、穏やかで優しいお兄ちゃん系のキャラで、ゲームの中でもメイン攻略キャラの位置にいる。
見た目が一番好みでやったのだが、その中身も世話好きでマメで優しくてと、気がつくと私はメロメロになっていた。
中盤、幼馴染みが地方に飛ばされて寂しくなったときも、俺が傍にいるよと優しく励ましてくれた。
終盤、仕事で大きなミスをしたときだって、周りが主人公を責めてもヤンは私のせいじゃないよと言って、色々な方面に手を回しミスを取り戻してくれた。
人によってはもちろん物足りないだろうけど、ありきたりな恋に憧れる私としては、非常に萌えたルートだった。
そう、『だった』、のだ。
そのまま気がつかずにハッピーエンド、となればいいのだけど、ヤンの小さなミスから主人公は違和感を抱き、そうしてヤンの所業の数々を知る。
プレイヤーも彼の行動の数々に、主人公と気持ちがシンクロしていく。
怖くなった主人公は逃げ出すけれど、時すでに遅し。ヤンは彼女を強引に監禁するというエンド。これがハッピーエンドだというのだからおかしい。
「じゃあどんな結末がお望みなのよ、喪子様は」
呆れ半分に幼馴染みが聞いてくれるので、私はお酒の入ったグラスを置いて首を傾げる。
「うーん、主人公にばれずに円滑に結婚? それなら丸く収まるじゃん?」
「ああなるほど、都合の悪いことは知りたくなかったと」
「だってそうでしょ。知らないほうが良いに決まってる。だって怖いじゃん。もはやこれヤンデレでしょ」
主人公の幼馴染みが地方に飛ばされたのも、実は会社の社長の息子であるヤンが主人公に付きまとう男が邪魔だと仕組んだ事だった。
主人公が途中でしでかす大きなミスも実はヤンが仕掛けたものだし、ミスだって本当はヤンならすぐに回収する事が出来た。
その他諸々、イベントの全部が全部、主人公を自分に依存させるためにヤンがした事だったのだ。
「私にはヤンデレ萌え属性はないのですよ、ヤミ子ちゃん」
「あらそうなの?」
幼馴染みが可愛く小首を傾げる。
「アンタってそういうのもイケる口かと思ってたわ」
「ひどい! 私にだって二次元の好き嫌いくらい選ぶ権利はあります!」
「二次元でしか主張できないのが悲しいところよね」
幼馴染みは口元に手を当て、クスリと笑う。
若干馬鹿にしたような言いぐさではあるが、悔しいことに美形な幼馴染みに言われると言い返せない。
「ちょっと美人だからって調子に乗って」
「あら、だって本当に美人だもの、アタシ」
クォーターらしく肌は色白で肌理が細かくて、瞳はブラウン。髪は赤みがかった茶髪で、私はそれを放置プレイした紅茶の色と表現している。
まあなんだ、腹立たしいことに非の打ち所のない美形なのだ。ある一点を除いては。
「生まれる性別間違えてるくせに」
私が突っ込むと、幼馴染みはそうかしらねえと優雅に微笑んだ。
そう、私と乙女ゲートークを繰り広げている目の前のヤミ子は男である。世間様にはちゃんと隠していて、オネエである事は私だけが知っている。
私と幼馴染みであるヤミ子(本名はヤン男)との出会いは幼稚園まで遡る。
幼い頃、天使のように愛らしいヤミ子は他の男子からいじめられていて、私は変な正義感からヤミ子をいじめっこ子から守っていた。
それが縁でヤミ子は私に懐き、幼稚園を卒業する頃には私とヤミ子はワンセット扱いになっていた。
関係を維持したまま小学校に上がり高学年を迎える頃、ヤミ子には成長期が来て天使から美少年にクラスチェンジを始めていた。
そこからの想像は容易いだろう。
可愛くて綺麗なヤミ子に近づきたい女の子達と、そんな女の子達には全く興味を示さず私にべっとりのヤミ子。
数少ない仲の良かった友達も仲良くない女の子も、私の存在が疎ましくなったのか私をイジメはじめた。
私はそれをヤミ子の所為だとわめき立て、ずっとヤミ子を無視し、気がつくとヤミ子は親の転勤で引っ越してしまった。
縁はそれまでだと思っていた。
ところがどっこい。高校大学と、もてないながらも人並みな生活を過ごし、就職した先で私とヤミ子は再会した。
美少年は成長と共に顔が崩れる説を押したかった私だが、悔しいことにヤミ子は、ちょっと線が細くてどことなく中世的な雰囲気を持った美形にクラスチェンジを終えていた。
人気のないところで話しかけられ、恨まれているのではと思ったけれど、その後二人で飲みに行き個室に入った途端、あーもうやになっちゃうわね、という一声で私の度肝を打ち抜いた。
曰く、色々あった結果こういった口調になったそうで、幼い頃から知っている私なら受け入れてくれると思って一皮脱いだらしい。
美形の幼馴染みとの再会からの恋愛フラグキタ!? とか馬鹿な事を考えていた自分が恥ずかしい。
まあそれはともかく、現在の会話から察してもらえばわかるように、私とヤミ子の関係は非常に良好である。
毒舌オネエ系に進化したヤミ子は私の趣味にも理解を示してくれ、こうして乙女ゲーの愚痴なんかもなんだかんだで聞いてくれる。
ちょっと遠くのイベントなんかにも一緒に行ってくれるし、一人じゃ行きにくいコラボカフェなんかも一緒に行った。
子供の頃女子にいじめられたせいで人付き合いが苦手な私にはなんでも話せる友達なんていなくて、ヤミ子は私にとって親友とも言える存在になっていた。
「ああそうだ。最近秘書課の子に告白されて、ブスはお断りって遠回しに断ったんだけど、アンタ何か言われたりしてない?」
「大丈夫。ヤミ子が社内ではちゃんと他人のフリしてくれてるから、特には」
昔モテすぎるヤミ子が原因でいじめられた事から、会社では他人のフリをするようにしている。
それでもまだ心配なのか、いじめられていないのかとこまめに心配してくれる辺り、普段は毒舌だけどやっぱり優しいと思う。
「ならいいけど。アンタってお馬鹿だからアタシがついてないと心配で心配で」
やあねぇと芝居がかった仕種でヤミ子は片手で口元を隠す。
昔は私が保護者だったのに、今ではヤミ子が私の保護者だ。
「友達もいないし、彼氏もいないし」
「ちょ、ヤミ子だってそうでしょ」
仕返しに言ってやれば、ヤミ子は何故か満面の笑みを浮かべてそうねと答える。
「ま、アンタみたいなイロモノ、理解してあげられるのはアタシぐらいよ」
そう言われてしまえば何も言えない。
ヤミ子という何でも理解してくれる友達がいれば、新しい友達を作る気力が失せるのは本当だ。人並みに彼氏は欲しいけど。
ヤミ子も外面はいいものの、中身がこんなのなので親しい友人はいないらしい。
「っと、あら、もうこんな時間ね。そろそろ出ましょうか」
手元の腕時計を見たヤミ子がそう告げる。自分の携帯で時間を確認すればいい時間だ。
「今日も飲み過ぎね。心配だからうちに泊まって行きなさい」
「ヤミ子あざーっす。ヤミ子の作るパンケーキ楽しみにして寝ます」
飲みに行った後はだいたいこう。ヤミ子の家にお邪魔して、気がつくとヤミ子と休日を過ごす。
オネエだからか、ヤミ子は料理も上手だし部屋も綺麗で居心地が良いから、なんだかんだで私もこの生活から抜け出せないでいる。
明日のブランチに思いを馳せて、お酒でほろ酔い気分のまま、私とヤミ子は帰宅したのだった。
- オネエルート
「ああもう、ほんと、可愛いんだから」
アタシのベッドの隣に敷かれた布団の中で眠る喪子を見つめて、アタシは一人呟いた。
寝息を立てる喪子も可愛い。寝相が悪くて、ちょっと肉付きのいいお腹が見えてるのも可愛い。まあ、後で布団かけ直すけど。
お馬鹿な喪子。
再会して以来、恋愛対象については濁していたから、アンタはずっとアタシは男を好きになるのだと思って安心しきっている。
知らないでしょう?
アタシがアンタに今でも恋をしていること。その為に、アタシがどれだけ手を尽くしているのか。
喪山喪子は、アタシの知る限り、もっとも素敵な王子様である。
子供の頃、まさに天使と言わんばかりの容姿だったアタシは馬鹿な子供達にいじめられていた。
悪口で済めばいいけど、時には子供特有の無邪気さで服を脱がされかけたし、あからさまに女の子を見るような目で見られた事もあった。
アタシにとって、それは悪夢だった。毎日が地獄だった。当時はまだ繊細な心の持ち主だったのよ。
いつまで続くのかと思っていた頃、王子様は突然に現れた。
親の転勤でこっちに来たという喪子は、泣いているアタシを見つけると力強く手を取ってアタシを外に連れ出してくれた。
いじめっ子達がアタシを馬鹿にしても、喪子は絶対にアタシの手を離さなかった。いじめっ子と達と勇敢に戦ってくれた。
髪の色の違うアタシが気持ち悪くないのと聞いたら、きれいだよと笑ってくれた。お姫様みたいだよって言ってくれた。
ああ、これがいつも絵本で見た、困ったときには助けてくれる王子様なんだ、ってアタシはその時から喪子に恋に落ちていた。
幼稚園を卒業する頃には、アタシは喪子のお姫様だった。どこに行くにも喪子喪子。そんな様子を先生達は可愛いわねって笑っていた。
アタシの世界には喪子とアタシしかいなかった。喪子もアタシを大切にしてくれた。アタシは一番幸せだった。
だけど唐突にアタシの世界は音を立てて壊れる。
『ヤン男のせいだ! ヤン男が、なんでも私ばっかりだから!』
『私はヤン男のせいでいじめられたんだ!』
王子様は、アタシと二人きりの世界を拒んだ。アタシ以外の『女友達』を望んだ。アタシ以外の『みんな』との世界を望んだ。
喪子の罵倒を聞いてから、学校へは行けなくなった。また喪子から拒絶の言葉を聞いたら心がおかしくなりそうだったから。
アタシの様子を心配した両親は、他県へ転勤する事にしたらしく、アタシもまた転校する事になった。
まだ正常だった理性は、これが一番だったのだとアタシを説き伏せようとした。アタシもそう思おうとした。だけど、出来なかった。
喪子の傍にいたかった。喪子の声が聞きたかった。喪子に優しくして欲しかった。喪子に、あの可愛い唇で名前を呼んで欲しかった。
喪子のいない毎日は灰色の世界だった。ただただ苦しかった。
人より少し遅れてやって来た成長期はアタシをさらに苦しめた。
少しずつ大きくなる背、低くなっていく声。骨張っていく身体。鏡を見る度に辛かった。
だってそれは、アタシがお姫様ではないという証拠。あの勇敢で優しい王子様のお姫様にはなれないという絶対的な現実。
泣いて、泣いて、泣いた。正常な理性は、涙と一緒に流れて消え去った。
アタシの望みが所詮絵空事でしかないと突き付けられても、喪子からどれだけ離れても、やっぱりアタシには喪子しかいなかった。
他の女の言葉なんて耳に入らない。どんな美人だと言われた子でも、アタシにとって喪子ではない顔という認識しかなかった。
人間の判別は、喪子か、喪子じゃないかの二択だけ。喪子以外は全てその他大勢。アタシと喪子の為のエキストラだ。
もうお姫様じゃなくてもいい。アタシは喪子に愛されたかった。アタシも喪子を愛したかった。
そこからアタシは喪子を手に入れる為に、将来を真剣に考え始めた。
がむしゃらに勉強をする傍ら、投資や株に関する本を読み漁り、お小遣いだけじゃなくてお年玉も数年貯めて、親がアタシの為に積み立ててたお金までも借りて、そっちに手をつけた。
結果だけ言おう。アタシは天才だった。
喪子を安心して養うだけのお金はある程度用意できた。頭も良かったから良い大学にも入った。
その頃のアタシは胡散臭い探偵を使い喪子の事を調べ上げさせていたから、喪子の事はほとんど知っていた。
偶然を装って同じ会社に入り、人気のない場所で喪子に声を掛けた。
怖いほどにアタシは慎重だった。また喪子に何かあれば、喪子はもう二度とアタシを見てはくれないだろう。
そうなれば物語はバッドエンド。アタシは手にしたお金で喪子を無理矢理に監禁し、毎夜その身体を抱き、アタシを否定する喪子を壊して愛でるしかなくなる。
逢瀬は人目を避けて行った。社内でのやりとりは携帯で、仕事後の待ち合わせは少し遠い店で。
二人で出かけるときは必ず変装をした。それはウィッグだったり伊達眼鏡だったり色々と。
喪子と会っている時、アタシは男であることをやめた。最初の目的は、『喪子の最も信頼する同性の友人』になることだったから。
アタシの願いは喪子と二人きりの世界。過去、喪子はアタシよりも『女友達』のご機嫌を望んでアタシを捨てたのだ。
ならばそんな『女友達』よりも大切な存在に、『親友』とやらにアタシがなってしまえばいい。
その為の努力は惜しまなかった。
喪子と同じ乙女ゲームもやったし、知らないアニメもゲームもした。声優の名前も覚えた。
喪子の好みは全て頭に叩き込み、店はいつだって喪子の好きそうな物のある場所にしたし、喪子が望みそうな言葉も惜しげもなく与え、喪子の言葉をただ聞いてあげた。
努力は功を奏し、アタシはあっという間に『親友』になった。
最初は月に一度だった飲み会は、徐々に回数を増して今では毎週のように行われ、その度にお店に行くのはお金がかかるからと、最近ではアタシの家で『女子会』をすることにしている。
「ねえ喪子、気付いてる?」
上体を起こし、眠る喪子を見つめてアタシは呟く。
「ずいぶんアンタの物が増えたわね」
食器にマグカップ、ハブラシに着替えの服。喪子の使うバスタオルや、喪子専用の物。二人で遊んだ時に取ったぬいぐるみも増えた。
まるで半同棲中のカップルのようだと考えないのかしら。まあ、そのうちルームシェアという言葉で覆い隠した同棲を始める予定だけれど。
同棲を始めたら、少しずつ喪子がアタシを男意識してくれるようにするの。喪子が怯えないように、逃げないように、小出しにして。
最も信頼できて誰よりも理解してくれる『親友』から、そこに恋愛とセックスを付け加えた『恋人』に。
これで喪子はアタシ以外に男も女も必要なくなる。
アタシが望んだ、アタシと喪子だけの世界の出来上がり。
「アタシはあのゲームの男のように、ミスなんてしないわ」
喪子の話を聞いたとき、ざまぁみろと思った。
喪子がお気に入りだと言っていた男。ちょっとしたミスで所業を知られ、一気に喪子に嫌われていた。
随分と長いお気に入りだったから、早く飽きないかと思っていた矢先の出来事だった。
「愛されたいのよ。アンタの愛情を全部、一欠片も逃さずに欲しいの」
力ずくで手に入れてどうするの? 怖いと泣かれて、無理矢理鎖で繋ぎ止めて、ただ手元に置いているだけの、何が良いの?
どうせならキラキラと輝く目でアタシを見つめて、可愛い唇で愛を紡いでもらいたいと思うのは当然でしょう?
その時の為に耐えて耐えて耐えて生きてきた。手を出さず、味見もせず、その時だけを夢見て。
「ああ、早く愛し合いたい。愛しているわ、喪子」
耐えきれずに携帯を取り出し、お気に入りの喪子の写真を表示し、そこに映る喪子にそっと口付ける。
本物の喪子の唇はどれほど熱いのだろう。舌を割り入れて、唾液を啜って、柔らかい舌を甘く噛んで。
そこから先を想像して、アタシの中の男の部分が熱を帯びる。ああもう、後でトイレでこっそり処分しないと。
今日はどうやって犯してあげましょう。想像の中ではもう子供が何人出来てもおかしくない位なのよ、喪子。
我慢しすぎて、アタシは現実と妄想の境目がなくなって、目の前のアンタを犯してしまいそうで怖いの。
「だからその前に、早くハッピーエンドといきましょう?」
バッドエンドは嫌いだものね。
二人のハッピーエンドの為に、早くここに堕ちてきてね、アタシの愛する王子様。
- ヤンルート
週明けの月曜日、突然、ヤミ子が消えた。
日曜日の夜に自宅まで送ってもらって、また明日なんて挨拶をして、それきり。
失踪なんて簡単なモノじゃない。
誰もがヤミ子という存在を忘れてしまったのだ。
両親に電話で聞いても首を傾げられ、ヤミ子の両親に電話しても息子はいないし、私が不審者扱いされてしまう始末。
ならばと家に残っていた写真を探しても、そこに映っているのは私一人。きっと実家に置いてある卒業アルバムにも、ヤミ子の姿はない。
なんで、どうして。
私は泣いた。ヤミ子の存在は私の中でどれほど大きかったのか、思い知らされた気がした。
携帯の番号も、二人のやりとりも、全部消えてしまって、ヤミ子という存在はもはや私の記憶の中にだけしか残っていない状態だった。
怖くもあった。ヤミ子は、私が作り出した空想の存在だったんじゃないかって。
だけどはっきり憶えている。子供の時の愛らしい姿も、大人になった綺麗な彼の姿も。交わした会話も、一緒にイベントに行った思い出も。
あれが幻だったなんて、思いたくない。
泣いて泣いて泣いて。ヤミ子が泣き過ぎよお馬鹿って、出てきてくれないかと祈ったほど。
なのに、どうしてか徐々に私の中のヤミ子が消えていく。思い出せないことが一つずつ増えていく。
忘れたくない、忘れてたまるか。
私は必死にメモを取った。ヤミ子との思い出、どんな人だったか、どんな事をしたか。私だけは、ヤミ子を忘れたくなかった。
記憶が消えても、メモを見てそうだったんだと思い出を作り直す。
会社の事なんてどうでも良かった。
私を一番理解してくれた、誰よりも大切な幼馴染みを忘れる事の方が余程怖かった。
会社にはしばらく休むと無責任な連絡をした。私はおかしくなりそうだった。
私の記憶の消失はスピードを増していた。読む傍ら、情報が抜けていく。もはや書くことはままらず、私は必死に読んでヤミ子という存在を忘れないようにするので精一杯だった。
そんなときだった。
間抜けなインターホンを鳴らす音が響いて、私はもしかしてヤミ子が現れたのではないかと確認もせずにドアを開けた。
「……え」
そこにいたのは、ヤミ子ではなく見覚えのある青年。
「ああやっぱり家にいたんだね」
ここ数日一番聞いていた青年の声に、安心どころか戦慄を憶える。
「な、んで」
舌がもつれる。驚きでじゃない、恐怖でだ。
「ヤン」
辛うじてその名前を口にすれば、彼はディスプレイ越しにいつも見ていた笑顔を見せた。
「そう。俺だよ、喪子。会社に来ないから心配していたんだ」
私とは正反対に、うっとしとした表情で私を見つめ、彼の手が伸びてくる。ハッとしてそれをたたき落とし、彼を睨み上げた。
「どうして、ヤンがいるの」
ヤンはゲームのキャラクターだったはずだ。現実にまで出てくるなんておかしい。
「……あれ? まだ、書き換わってない?」
「書き換わ……る?」
不思議そうな彼の言葉に、私の心臓がどくどくと音を立て始める。
違う。
違う。
違う。
「余程あの男の影響力が強かったのかな」
違う。
「だから三日も姿を見せなかったのか」
違う。
「あの男は、もういないよ」
「違う! ヤミ子は消えたりなんてしてない! ヤミ子は、ちゃんと、ちゃんと……」
声が震える。
嫌だ、私の中の数少ないヤミ子が、この少しの時間の間にも抜け落ちていく。
ヤンを無視し、部屋の中に戻って必死にメモをめくる。記憶がなくなっても、思い出は作り直せる。
ヤミ子はちゃんといる。私だけの中に、ちゃんとちゃんと。
「なるほど」
背後から声がして、一瞬で私が持っていたノートを奪い取られる。
「だから、記憶の書き換えが進まなかったのか」
「返して! それはヤミ子なの!」
「これがなかったら、忘れてしまう程なのに? 腹が立つな」
そう言って彼はノートを持ったまま踵を返し、コンロの前に立つ。
「やめて!」
彼の成すことが想像できて、私は駆け寄る。けれど一足遅く、ノートには火が。
「あ、……あ……」
燃えていく。私の、誰よりも大事な幼馴染みが。
「いや……いや……」
呆然とその場に座り込み、頭を抱える。
嫌なの。忘れたくないの。幼馴染みなの。大事な、大事な。
「名前、……名前、わから、ない」
消失は速度を増す。大事な幼馴染みの名前が、わからない。
「いいんだよ。もうそれは、喪子には必要のない記憶なんだから」
前に座り込む気配。
優しく頭を撫でる手の感触。
「触らないで!」
頭を起こし、その手を払う。
「私は、私は……」
誰を、忘れたくないの?
「いいんだよ、喪子。これからはちゃんと俺のことを思い出してね」
「いや……」
頭の中に記憶が浮き上がる。今まで抜けていった何かの代わりに。
彼はヤン。私が勤める会社の社長の息子で、ちょっとした手違いから知り合いになって。
「嘘。嘘」
必死に首を横に振って、新しく作られた記憶を振り払おうとしても記憶は書き換えられていく。
「本当になるんだよ、これからはね」
こんな野暮ったい私のことを気に掛けてくれて、会社でいじめられていた私に優しくしてくれた。
どうしてと聞いた私に、彼は私が気になっているからと、付き合って欲しいと言ってくれた。
「違う、違う」
私は彼の告白を受け入れた。格好良くて優しくて、私のことを誰よりも大切にしてくれるヤンを、私だって好きになっていた。
作り出される思い出たち。
人が多いところが苦手な私のために、いつも個室や他人の目を気にしないお店を選んでくれた。
ゲームばっかりじゃだめだからって、色々なところに連れて行ってくれて、私はたくさんの新しいことを知った。
お金持ちなのに意外と庶民派で、世話焼きで、お兄ちゃんみたいな、人。
「たす、けて」
どれだけ拒んでも、思い出と感情が作り替えられていく。
やがて私は耐えきれずに静かに意識を落とした。
その刹那。
ほんとにアンタは、お馬鹿なんだから。
そう言う誰かの声が、聞こえた気がした。
ぽすんと音を立てて腕の中に喪子の上体が倒れ込んでくる。
あまりにも急速に書き換えが行われたから、整理の為に意識が落ちたんだろう。
本来ならば一夜で終わっているはずだった。眠りの合間に、違和感なく『ヤミ子』と呼ばれた男の記憶は消されていたのだ。
「憎たらしい」
それほどまでに彼女のそいつに対する情が深かったという事だろう。挙げ句、悪あがきをするほどには。
彼女のパソコンが置かれているテーブルに視線を這わすと、その近くに一つのCDケースが置かれている。
彼女を抱きかかえ、一旦ベッドに寝かせると、俺は立ち上がりテーブルからそのケースを手に取る。
数人の男達が一人の女を囲んでいる画像。以前の俺がいたその場所には、朱茶色の髪をした中世的な男が描かれている。
「ゲームオーバーだ」
CDケースごとゴミ箱に投げ捨て、俺は喪子の傍に座る。
これでいい。
何の運命か、俺はゲームの外から出て、喪子に会うことが出来た。
俺に関わるべき人間と、あの男に関わった人間の記憶を全て書き換え、俺は病谷ヤンとしての生を手に入れ、あの男は俺の代わりにディスプレイの向こう側へ消えた。
「ようやく、君に触れられた」
あの透明な壁の向こう側、君がくれる愛の言葉が何よりも嬉しかった。
最初こそ気にしていなかったのに、僕は徐々に君が愛おしく思うようになった。
なのに、僕と君の間には紛れもなく透明な壁が邪魔をしていて。
「気が狂いそうだったよ。君の体温も、感触も、何一つ知ることもなく忘れられていくのが怖かった」
ひたすらに願って、何度もの夜を繰り返して。そうして入れ替わりを条件に神様は俺の願いを聞き届けた。
「君の髪に触れることも、匂いを嗅ぐことも、肌を撫でるのも、口付けることも、……今の俺には全部出来る」
知らず、恍惚とした声が出る。
「目が覚めたら、君は俺の大事な恋人」
ゲームの中では失敗したけれど、現実では失敗なんてしない。
「さあ、ハッピーエンドを迎えよう」
愛し合う二人は、幸せになるものなんだから。
以上です
読んでくださってありがとうございました