管理人さんが帰ってくるまでの仮まとめです

 最悪だ。
 最悪だ最悪だ最悪だ最悪だ最悪だ。
 ばーか、かーす、くーず、もーじょ。
「……しねばいいのに」
 誰が。私がか。それともリア子達か。
それとも、さっきから土砂降りに降り続いているこの空気読めない雨か。
みんな死ねばいいのか。来世こそ二次元に生まれますように。

 ……いや。そんな現実逃避をしていても仕方ない。

 私は近所の山の中に居た。町のそばにある小さな山。
遊歩道も整備されていて公園があり、子供がよく遊びに来るような山。
 しかし今は大雨で、私のほかには人っ子一人見えない。
あるのは木々と地面と雨雲と雨粒と、古いお屋敷。そしてずぶぬれの私。
 どうしてこんな事になっているかと言えば、つい先ほど、リア子達に
鞄を取られ、屋敷の敷地内に投げ込まれたからだ。彼女たちはさっさと
帰ってしまい、その直後追い討ちのように雨が降ってきたのだ。
 屋敷の門は所々が錆びている。と言うか全体的に寂れていて、確か
人は住んでいなかったような気がする。入っていいものだろうか。
これって不法侵入になるんじゃないかな。でも、鞄は裏手から
投げ込まれたから、敷地内に入っていかないと取れない。ちょっと
ぐらいなら大丈夫かな。でも、どうやって入ろう。鍵がかかってる
ようだし、塀を乗り越えられるような運動神経なんて、勿論ない。

 雨はやまない。木の下に居るものの、殆ど雨宿りにはなっていない。
このままだと風邪を引きそうだ。家の鍵は鞄の中。この状況でどうするって、
「取りに行くしかないよね……」
 木陰から出て、門に手をかける。
 当然、開かない。
 押しても引いても叩いても、横にスライドさせようとしても。
門はガタガタと錆びついた音を立てるだけだ。
 無理とは思うが、隙間に手足をかけてよじ登ってみる。数十センチ登って
すぐに落ちた。もう一度手をかける。やっぱり落ちる。心細くなってきた。
また足をかけて……というところで、急に雨粒が消えた。
 雨がやんだのかと思った。でも、雨音は続いている。パラパラと、
地面以外の、もっと張り詰めたものに当たるような音になって――

「うちに何か御用ですか?」

「ひえぃ?!」

 変な声が出た。
 びっくりした。
 急に背後から声がしたのだ。頭上には傘が差し出されていて、振り返れば、
そのせいで肩を濡らしている男が立っていた。整った顔立ちと、この湿気の中で
流れるような髪、雫のついた服はいかにも高級そうな質感で、傘の方もそこそこ
高そう、ただ、手に提げた買い物袋だけがミスマッチだった。
「……えっと、」
 口ごもる。と、男は笑って
「可愛い泥棒さん?」
 と、現代日本人にあるまじき文句を口にした。
「あ、えっ、その、ち……違います、その、鞄が……」
「鞄?」
 そして、やんわりと笑う。
「鞄が、庭に」
「見えませんけど?」
「あの、裏です。建物の裏のほう……」
「裏?」
 首を傾げるようにして、彼は訝しげに門の向こうを見た。当然の反応だと思う。
いきなり、しかも私みたいなもっさりした人間にそんな事を言われて、いい気分に
なるわけがない。どうしようか、と私が思案するうちに
「じゃあ、見てみましょうか」
 と、存外に明るい声で彼が言った。私の反応も待たずにさっと鍵を取り出して
門に挿した。カチャリと、金属が打ち合う独特の音がした。先ほどまで全く
動かなかった(鍵がかかっていたので当然なのだが)門が、高く澄んだ音を立て
ゆっくりと開く。
「此方へどうぞ。濡れないように気をつけて……」
 彼は柔和な声で言って、傘をかしげ、近い距離から私を招く。少し怖い気も
した。けれど、鞄を取らなければ家に入れない。親が帰ってくるまで、まだ長い。
そして私は誘導されるまま、彼の後について門をくぐった。

 庭は善く言えば幽玄で、悪く言えば殺風景だった。
 雑草は殆ど見えないが、花や庭木も少ない。ただ、真っ白い石が建物の入り口まで
続いている。
 彼は、緊張で硬くなった私に合わせてゆっくりと歩いた。途中、「こちらです」と
左を指して、そこから建物の裏手に回りこむ。鞄はびわの木の下に、泥まみれで
転がっていた。
「これですね」
 棒立ちになった私の代わりに、彼が鞄を拾い上げた。酷いなぁ、と呟きながら。
「すぐに拭えば染みにはならないでしょう。あなたも、よければ服を乾かしていって
下さい。そのままじゃ風邪をひいてしまうでしょう。ストーブを入れますから」
「えっ、あの、いえ、いいです。もう、家で……」
 思わぬ申し出に動転して、彼の手から鞄をひったくった。しどろもどろに、お礼も
言わずに断って、そのまま走って帰ろうとして、彼の妙に悲しそうな顔が
目に付いた。さっきまでは、彼の顔なんてまともに見られていなかったのに。
「あの、ありがとうござ――」
「嗚呼、どうか断らないで下さい。それに、これで貴方が体を壊してしまったら、
私もいい気分がしないのです。だから」
 私の言葉を遮る声は震えて弱々しく、それなのにとてもおそろしい感じがした。
昔なにかの本で、耳を、鼓膜を、脳をひっかいて、いつまでも消えない傷を残す
ような断末魔、死者の嘆きとか、そういうような描写を読んだことがあった。それを
思い出した。
「じゃあ……少しだけ、お言葉に甘えさせて、いただききます」
 彼も泣きそうだったけど、私も泣きたかった。体が震えた。
「よかった。そう言っていただけて嬉しいです。さ、これ以上体が冷えない内に、
此方へ」
 先ほどの態度が嘘みたいな笑顔を浮かべて、彼は私の手を引いた。

玄関に入るなり、彼はちょっと待っててくださいね、と奥へ引っ込んだ。
玄関の構えもまたお屋敷という感じだったが、装飾は殆ど無くもの寂しい感じがした。
と、そんな事を考えている内、ほんとうにちょっとの間で彼は戻ってきた。
「とりあえず、これで……」
 と、ふわふわの、いかにも高価そうなタオルを差し出す。
「靴の中まで濡れてますか? 裸足になった方が良いでしょうね、足が冷えるのは
よくありません。ざっと拭いたら此方に。靴も一緒に乾かしてしまいましょう」
 言いながら、彼はおそらく来客用であろうスリッパを棚から出して置く。
言葉を挟む暇もない。言葉や声こそ穏やかだが、何故か強制力を感じる。
私は半ば仕方なく体についた雫を掃って、裸足になり、スリッパを引っ掛ける。
靴を拾い上げ、促されるままに奥へ進む。
 通されたのは応接用らしい、やや広めの部屋だった。彼はレトロな感じの
石油ストーブに火を入れると、何処かからか出した古紙を広げ、その上に
靴を置くように言った。それから椅子の上にシーツをかけて、
「どうぞ。大丈夫、すぐに乾きますよ」
「あ、ありがとうございま……す……」
 私は勧められるままに腰を下ろす。声が震えている。緊張しているのだろうと思った。
知らない人、男の人、その家の中。一般常識的に言ってかなりだが、私は今のところ
真喪、むしろ孤女だ。万一のことなんて億に一つも無い。それに、投げやりな気分もあった。

(未完)

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