管理人さんが帰ってくるまでの仮まとめです

一時の感情に任せて喪子を連れてきてしまった。
というか攫ってきてしまった。
これはいかん。これはまずい。
なんせ俺ってば超ドレッド級のシャイボーイなものだから、喪子とは話したことすらないのだ。

俺は喪子の人生において、重要な位置にいることはできない。
喪子が俺の視線に気付くことはないし、俺の言葉に耳を貸すこともない。
それでいい。
近くにいられるのならそれでもいい。
あくまで俺は第三者、喪子を見守る観察者の立場でいられれば良かったんだ。
それなのに、どうしてこんなことをしてしまったんだろう。

薬で眠った喪子を見つめてみる。
肌に傷でもついたら、と考えて、ベッドの上には純白のシルクが広げられている。
いつか喪子のウェディングドレスにしようと用意していた物だ。
絹の光沢に負けることのない、艶やかな髪。どうしても誘惑に耐えられず、そっと手を伸ばした。
…駄目だ。やっぱり駄目だ。
そんなに気安く触れて良いものなんかじゃない。
喪子は俺みたいな下衆が触って良いような、そんな存在じゃない。
…運んでくるときに少し触っちゃったけど、まさか梱包して段ボールに入れて、という訳にはいかないのでノーカウント。

仕方がないので傍らに正座して、寝顔をじっくりと脳裏に焼き付ける。
目を閉じれば見えてくるぐらいに。
瞬きをする時間さえ惜しい。
見開いた目から涙が零れた。
生理的な涙か。
もしかしたら嬉しいのかもしれない。
もしかしたら悲しいのかもしれない。
やはり遠くから見る喪子とは印象が違う。
髪の一筋、睫毛の一本一本、肌のきめに至るまでが力強く「生」を強調している。
こんなに近くで見ることが出来るなんて。

とはいえ、喪子にとっての俺は見知らぬ男だ。
目を覚ましていきなり俺を見れば、混乱してしまうだろう。
そんなことは出来ない。
俺が喪子の感情を乱すことなどあってはならないのだから。

喪子が目覚める前に帰してやらなければ。
あの男がいる家に。

痛みを感じて視線を落とすと、爪の食い込んだ掌から、僅かに血が滲んでいた。舌打ちしたいのを堪えて喪子の寝顔に専念する。

結論から言ってしまえば、喪子は俺ではない男を愛していた。
当たり前だ。俺が喪子を見守る立場を選んだ時からそんなことは分かっていた。
分かっていたのに、日を追うごとに膨らんでいく羨望。
あの男は喪子の隣を歩き、喪子の声を聞き、喪子と同じ物を食べ、当たり前のように喪子に触れることが出来るのだ。
噛み締めた唇から鉄の味が広がる。
もういっそのことあの男になりたい。
俺として見てくれなくていい。
俺だと気付いてくれなくてもいい。
ただ喪子の傍にいたい。
もう、限界だった。
見ているだけじゃ足りない。
俺は

俺をやめる。

喪子への置き手紙を用意する。

もしかしたら遅くなるかもしれない。
お菓子とお茶も添えておいた。
毛布に包まってすやすやと寝息を立てる喪子が、堪らなく愛しい。

物置から鉈を取り出す。
いつだったか、喪子が登山に行くというから、こっそり先行して危ない枝を落とした時に使った以来か。
溌剌とした喪子の姿を思い出す。
そうだ。
俺は何年も喪子を見てきた。
俺の中は喪子でいっぱいなんだ。
喪子を愛している。
だから、なんだって出来る。
なんだってやってやる。
全ては喪子の為だ。

****

それからは面白い程にスムーズだった。
あの男がドアを開けるのを見計らって、鉈を横一線に引いた。
首から何か赤い物を流しながら、大袈裟に後ろに倒れる男。
思ったより声は出されなかった。排水溝が水を吸い込むような音がしただけだ。
血は玄関内だけにしか飛んでいないのを確認して、出来るだけ丁寧にドアを閉める。
男をそのまま風呂場へ引きずり込んで、暖かいシャワーを掛けてやった。
酷いことはしたくない。
俺はこの男になるんだから。

鉈を振り下ろす。枝よりもっと硬い手応え。どうやら骨の隙間に刃が挟まったらしい。
悪戦苦闘しながら、何とか顔に傷を付けずに切り離すことが出来た。
ざぁざぁと勢い良く水滴が落ちてくる。
まるで俺と喪子を祝福する拍手のようだ。
白いタイルの上で、男の顔が恨めしそうに俺を見つめる。

「君はもう楽しんだろ。
ここからは僕の番だ」

交代だよ。
囁いて男の髪を引っ掴む。
皮が縮む前にやらなければならないことは沢山あるのだ。
それが終われば、僕と喪子は永遠に結ばれる。

この男の仮面を被り、

自分を偽り続けてでも、

喪子と幸せになってやる。

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