喪子ちゃんは放課後、自習室で勉強をしてから帰る。
いつも化学ばかりやっている。化学が理系科目で一番苦手だからだ。
この間の模試は化学が一番悪かったよね。一番よかったのは数学。学年13位だったよね。
自習室の閉まる時間が来ると、喪子ちゃんは家にまっすぐ帰る。
家はお母さんと喪子ちゃんの二人暮らし。時々家の外まで大きな笑い声が聞こえてくる。
きっと仲のいい親子なんだろうね。
だけど俺としては高校生にもなる子供に構い過ぎるのはよくないと思うな。
ある日、喪子ちゃんはコンビニへ寄って求人誌を手に取った。俺達の学校は進学校で
普通、バイトをするとついていけなくなるから不思議に思った。
国立理系志望だったよね、そんな暇ないよ?
俺は喪子ちゃんと同じ学校を志望してる。夏前に進路希望を出したくせに。
どうしてバイトなんかさがしているの?進学しないつもりなの?ねえ
俺は次の日、教室で喪子ちゃんに声をかけた。
喪子ちゃんは今日は髪を括っている。
「喪山さん、昨日コンビニで見たよ」
「え…あ、そうなの!? 見かけたならそのときにあいさつしてよ!」
「いやあ、なんか真剣に雑誌読んでたじゃん」
「見られてたんだー」
俺は息を吸って優しい口調を心がけた。
「バイトでもするの」
「お金が欲しくて、しようかなあと」
「へえ、いったい何に使うの?」「何で今日髪括っているの」
「あやしいバイトじゃないよね」「進学するよね」「いったいどこでするつもり」
俺はいろいろ言いたいことを全て飲み込んで、尋ねた。
「なんかいいバイトあるの?今不景気だしさ」
「うーん、そんなにないけどお金だけ欲しいから、楽は出来なくていいや」
俺はここで吹き出す。という演技をする。
「金、金、って一体なんにつかうの?」
「服とか参考書とかN会も気になってるんだけど、家の家計じゃもうね」
「へー。あ、いいこと思いついた。喪山さんってこの単語帳使ってるんだね」
机の上に置かれてあった単語帳を指差す。今気付いた訳じゃない。
いつもこれを持ち歩いているのは知っている。
俺はある願望を満たすことが出来るかもしれないことに気付いた。
「俺、今の単語帳すんだから、これに移ろうと思ってたの。取りかえっこしよう」
喪山さんは少し難しい顔をした後、笑顔になった。
「なるほど!頭いいね!私もこれほとんど覚えちゃって別のが欲しかった」
「じゃあさ、喪山さんって化学とってるでしょ、化学の参考書も交換しよう」
「いいよ、これ使ってるんだけど…レベル的に簡単すぎるから、ヤンくんにあうかどうか」
俺はその参考書も知っている。だけど手渡されたその中身は見たことがない。
俺は手が震えないように気をつける。乱暴に赤ペンでバツがつけられた問題が多い。
「うわあ…ちょっとこれ簡単すぎ。喪山さんバイトなんかしてる暇ないよ」
「うるさいなー。やっぱりバイトは難しいかな」
「難しいとおもうよ俺は。俺服は交換したくないけど、服ぐらい我慢出来るだろ」
「まあねえ。ところで、その参考書どうかな?」
「いらないけど。喪山さん、絶対バイトなんか駄目だよ。もう二年の夏おわちゃったよ」
俺は深刻な顔をして宣言する。喪子ちゃんは少し表情を曇らせた。動揺した様子だ。
「そうだね。間に合わないかもしれないけど、やんなくちゃね」
「化学わからなかったら教えてあげる。いつでもおいでよ。じゃあこの単語帳かして」
「うん、ありがとう!」
喪子ちゃんはにこりとした。
俺は単語帳を手に入れて、喪子ちゃんと話せた喜びでおかしくなりそうだった。
喪子ちゃんは馬鹿だ。お金なんか俺がいくらでもあげるのに。
俺にお願いすれば何でも買ってくるのに。俺に頼らないから、利用されている。
鞄に単語帳をしまって、一息ついた。
このまま。このままだ。このまま少しずつ。
喪子ちゃんは放課後に化学を自習している。まだ俺に質問を寄越さない。
一体どういう事だろう。
喪子ちゃんは家に帰ったら窓を開けたまま電気もつけたまま、机に向かっている。
俺の交換した単語帳をさわっているといい。俺も喪子ちゃんの単語帳を持って
君の姿をずっとみている。