さかのぼること400年江戸時代 吉原遊郭の誕生から現代の吉原 特殊浴場 通称ソープランド街へ至る謎深き快楽の園のバックグラウンドに迫る。

一生

吉原遊郭の遊女には、一般に「年季は最長10年、27歳まで」という原則がありましたが、これはあくまでも原則。禿(かむろ)からスタートした遊女は、客を取り始めてから10年が適用されたため、実際妓楼にいる年月は10年をはるかに超えたのです。さらに、妓楼で生活していく中でもいろいろと出費を強いられ結果として借金を背負うこととなるケースもあり、年季が明けた後も数年継続して働かねばならなかったり、鞍替えという形でほかの妓楼に売られたりすることもありました。このため、健康なままの状態で無事に年季明けを迎える遊女は少なく、中には20代で病死(性病、過労死など)する遊女も多かったのです。
それでは、以下に遊女の一生をキーワードともにたどっていきます。
  • 新造出し
13、4歳くらいになると禿を卒業し、新米遊女としてデビューを迎えます。このお披露目のことを新造出しといい、10日ほど前に妓楼内をはじめ吉原に関わる引き手茶屋や船宿などに蕎麦や赤飯を配り、また当日は見世の前に蒸篭(せいろう)を積み重ねて一番上に白木の台を載せ、そこに縮緬(ちりめん)や緞子(どんす)などの反物を飾ったそうです。こうした披露目には多額の費用がかかるのですが、負担するのは今まで禿を世話してきた姉女郎。当然、負担できるほど稼いでいなければ借金を負うことになるわけで、遊女は自分の客から金を引き出すことに必死となったのです。
  • 突出し
新造となって初めて客を取ること。これにより一人前の遊女となるわけですが、この突出しに際しても着物や夜具を新調しなければならなかったし、また盛大なお披露目を行うためかなりの費用がかかりました。ただし、この費用は原則として妓楼が負担しました。
  • 水揚
いわゆる初体験のこと。この相手となる男は妓楼が選び、40歳前後の扱いに慣れた男が頼まれました。というのも、遊女は妓楼にとって大事な商品であり、初体験から怖い思いをして男性恐怖症になってしまっては価値がなくなってしまうからです。なお、この儀式は、未婚の女性や禿から遊女になった子に対して執り行われたそうです。
  • 身請け
客が金を出して遊女の年季証文を買い取り、遊女の身柄を貰い受けることをいいます。身請けには莫大なお金がかかり、また妓楼もここぞとばかり吹っかけてくることが多々あり、泣く泣く断念せざるを得ないケースもあったとのこと。なお、身請けの時に払われるお金は妓楼に対してだけではなく、朋輩や妹分の遊女、妓楼の奉公人一同、引き手茶屋、幇間、芸者などにも挨拶し、金品を贈らなければならなりませんでした。盛大な送別会なども催すので、それも客の負担となります。抱えた遊女が身請けされるとなれば、妓楼は大層儲けることができたようです。

このように、遊女の一生は新造出しから身請けまででひと括りにできるわけなのですが、最後の身請けまでたどり着けるのは才色兼備で幸運にも恵まれたごくひと握りの遊女のみ。身請けにあぶれた遊女は年季明けという形で素人に戻るものの、一般社会に溶け込むことはひどく困難なことでした。というのも、吉原の外の世界をまったく知らないため炊事、洗濯、裁縫などの家事はまったくできず、そもそも世間の常識すらなかったのです。また、実家に戻ろうとしても、すでに家は兄や弟が継いでいるため迷惑がられ、快く受け入れてくれることはほとんどありませんでした。
こうした事情により、幇間(男の芸者)や楼主など、妓楼に関係する男と所帯を持つことになったり、やむなく吉原の中の河岸見世(最低レベルの妓楼)や吉原の外の岡場所に流れて行くことになったりしました。いったん苦界に沈んだ女の多くは、遊女としての暮らしが死ぬまで続いたのです

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