揺らぎをどの程度まで許せるか?
過激派とは、少しの揺らぎも許せない人たちなのかも知れない。確かにファンの多くを占める所謂「腐女子層」の中で、過激派が信奉する「ヴィク勇」は大きな分母を占める。しかし、そこで考えなければならないのは、多数決が必ずしも正解、または正義ではないということだ。
自分の好きなものに正解など求めずに楽しめばいいのだが、過激派は自分の好きなものにどうしても「正解」を求めたがっているように見える。「正解」を握っている公式に対して「自分たちを正解と認めろ」と迫っているように見えるのだ。「私たちの好きなものを作れ」と創造者を責め立てる行為はさながらスティーブン・キングの「ミザリー」のようだ。
少しの揺らぎも許せない過激派は、揺らぐ人やものも許せないようだ。
上記のアカウントも、「ほんの一瞬ですが」と自ら認めながらそれがどうしても許せず「購入は考えた方がいい」と不買を煽るような発信をしてしまう。