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バイオロボット〜チェルノブイリ原発事故に投入された生けるロボット 

 1986年4月26日に旧ソビエト連邦ウクライナ共和国(現ウクライナ)で発生したチェルノブイリ原発事故。
爆発した4号炉をコンクリートの構造物=石棺で閉じ込めることが計画され、6月から工事が始まった。
多くの作業員を投入し建設が進んでいったが、8月に入るとある問題が発生し工事がストップしてしまう。
隣の3号炉の屋上に爆発した4号炉から飛散した瓦礫が散乱ていて、それらが高い放射線を出している為に、
石棺の建設作業に支障をきたすことが判明したのだ。その瓦礫の量は推定150トン。
 屋上の放射線量は推定で7000レントゲン(R/h)もあり、とても人間がいられる状況ではなかった。
そこで、当初遠隔操縦のロボットが導入され、瓦礫を屋上から落とす作業が行われたが、
ロボットは高い放射線の影響で数日たつと電子系統が故障して動かなくなったり、
コントロール不能になり役に立たなくなってしまう。
しかし、石棺を一刻も早く完成させなければならない状況であり作業の中断は許されない。
チェルノブイリ事故処理政府委員会は、人海戦術で瓦礫の除染を行うことを決定し、
当時原発事故対応で召集されていた、ソビエト軍予備役の兵士達を投入することにした。
彼らは自ら志願したとされているが、当時の国家体制を鑑みるに実際は半ば強制的であったと想像できる。
純粋に志願した者がいたとしても、放射能や現場の危険性を詳しく知らされなかった上でのことであろう。
ただ彼らは若く愛国心にあふれており、この国家の危機を自らの手で何とかしようという気概は持っていた。
 「バイオロボット部隊」は9月18日から作業に取りかかった。
部隊を前に作戦を指揮するタラカノフ少将(当時)は「現場はまったく問題ない」と安全性を強調したが、
兵士達の防護服は彼らが前日に急遽自作したお粗末なものであった。
全身を鉛で覆うのだが、後頭部は鉛板をぶら下げて紐でしばっただけ、
ヘルメットやゴーグル、マスクも不揃いのまちまちであった。
防護服の上にゴム製の特殊エプロンをした姿は異様でもあり、ある種滑稽でさえあった。。
 作業は士官1名兵士8名でチームを組み、サイレンの音とともに屋上へ駆け上がる。
スコップや手で瓦礫を下へ放り投げるを繰り返し、10分(2〜3分とも)経つとサイレンが鳴り次のチームと交代する…
兵士たちは強い放射線の為か目に強い刺激を感じ、口の中は歯の感覚が失われ鉛の味がした、と証言している。
ある兵士は、1500レントゲンもの瓦礫を持ったその晩は手を握れないほど痛みがしたという。
兵士は鼻血を出して病院送りになるか倒れないかぎり、作業から抜けることはできなかった…
 こうした気の遠くなるような作業が延々と10日(2週間とも)あまり繰り返され、屋上の除染が終了した。
作業に従事した兵士の正確な人数は不明だが、3500人あまりとも言われている。
ある兵士は5回も作業を行ったと証言していることから、この数は延べ人数であると思われる。
 命がけの作業を行った兵士達に支払われた特別手当は、わずか100ルーブル(≒100$)ほどしかないわずかなものであった。。
しかも瓦礫の撤去後の放射線量は、撤去前から比べて35%程しか下がらなかったという…
 ソビエト政府は兵士達の被曝量は20レントゲン(R/h)程度だとし、放射線による影響はないとしているが、
多くの兵士達がその後の健康被害を訴えている。

◎参考サイト
National Geographic News
http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_arti...







 

このページへのコメント

興味深い本ですね
読んでみたくなりました
ご紹介ありがとうございました

0
Posted by NLPプラクティショナー 2011年08月26日(金) 21:52:05
http://nlppractitioner.biz/
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