今は亡き耳かきコリッの避難所

Prologue
静かにドアを開き、部屋の中に入ると、何やら言い争う声がする。
しかしその声は決して耳障りなものではなく、逆に注意しないと聞き取れないくらいだ。
「…アンタなんかに、この素晴らしさがわかってたまるもんですか!」
「ああ、わからないよ。 わかりたいとも思わないけど」
激情を隠すことなく発散する声と、それをさらりと落ち着いて受け流す二つの声。
やれやれ、またか。
既に日常茶飯事となっている件に苦笑し、僕は声の主たちに近づいていった。
「やぁ。 相変わらずだね二人とも」
『あっ、マスター!!』
同時に声をあげ、同時に深々と礼をする二人の少年と少女は、あまりにも小さい。
周囲で事の成り行きを見守っていた小さき同僚達も集まってきて、僕に礼をくれた。
男の子と女の子、そのどれもが皆黒の全身スーツを身に纏い、
背中には製造番号であるナンバーが振られている。
そう…この子達は僕が作り出したものだ。

「綿棒の柔らかで傷つけないソフトなタッチが、一体どれほどの至福と快楽を生み出すか、
君は一度だって考えたことがあるかい?」
「あるわけないじゃん? そんなナマっちょろい偽りの気持ちよさなんて、
耳掻きの真骨頂に比べればカスよ、カス!」
「な、ナマ………! その言葉取り消せ! 流石に今のは聞き捨てならないな!」
「ハッ、取り消せない、って言ったらどうするつもりかしら?」
一触即発の空気が、ほんの限られた空間を包みこんでいる。
喧嘩の原因を僕は既に知っていた。
彼らは『綿棒と耳掻き、どちらが真に人を至高の快楽に導けるか』を、
己の意地とプライドを懸けて主義主張をぶつけあっているのだ。
この子達には耳掻き・綿棒をそれぞれ専門に扱う者、両方をそつなく使える者の、
三種類が存在する。
そして、違う特性を持つ者同士がこうして衝突するのは、半ば必然だった。

1.
「まぁまぁ………前にも言ったろう? これには個人差っていうものがあるんだって」
「そっそれは、その…わかっているつもりなんですが………」
取っ組み合いに発展する前に僕が仲裁に入ると、二人は何か言いたそうにソワソワする。
言葉だけで納得できるものなら、こんなトラブルなど起こりはしない。
彼らには等しく向上心と、己が正しいと信じてやまない鉄の心が備わっている。
生成過程でそうプログラムすることにより、一定の技術で満足することなく、
より一層の快楽を引き出すべく努力してくれる…そのように仕向けたのも、僕だ。
だからこそ生じる互いの衝突は当然想定していたのだが、この二人は異例だと言える。
簡単に言えば、少々度が過ぎているのだ。

通常、小人の意見のぶつけ合いは、さながら大学生同士の議論に似た雰囲気を持つ。
だが二人に関しては、まるで小学生同士の口論であると言わざるを得ない。
傍から見れば案外と仲が良さそうで、すったもんだの末にイイ感じのカップルへと発展…
と、まるで出来すぎた少女漫画にでも出てくるような間柄に見えなくもないが。
───でも、それも今日限りかな。

「お見苦しいところをお見せして申し訳ありませんでした」
「では、僕達はこれで…」
やがて同僚達に混ざって、二人はミニチュアの訓練施設へと戻っていった。
今日の夕方には仕えるべき主人の下へ送り出されるとも知らず。
事前に知らせて妙なプレッシャーをかけ、その後の生活に支障をきたす恐れから、
小人には直前まで何も知らされない手筈になっている。
彼らにはいつでも初対面の人間を終生「主」として慕い、仕えていく覚悟があるのだ。
もちろんこちらで身辺調査や性格診断等を徹底し、
『飼い主』に問題がないかどうか、厳しいチェックを毎回行っている。
それが送り出す側がこなす当然の義務………いや、親心というものだろう。
「しかし、それにしたって少し行き過ぎなのでは?」という声が内部から聞こえてくるが、
実はこの厳戒態勢とも言うべき審査には、もう一つ理由があった。

2.
「十得の新オプションパーツに、今流行のループ式ワイヤー耳掻きはどうだろう?」
「それより私が以前から提案してる、手先をより器用にするための施設を…」
「待てや、ほんなら先に視力をより向上させて作業効率上昇させるのがスジやろ?」
「しつこいなぁ、その問題は開発中のファイバースコープを実用化すれば解消する」
数分後、僕は週一で行われている会議の席についていた。
研究チームの主要メンバーが集まるこの会議は、いつも争論が絶えない。
専門分野においては皆エキスパートである僕の仲間達は、研究者である前に、
大の耳掃除好き………俗に言うミミカキストだ。
だからこそ僕がこの無謀かつ夢物語とも言える一大プロジェクトを持ちかけたときは、
皆「今こそ人生の転機が訪れた」とばかりに参加を希望してくれたものだった。
一人ひとり、優劣なんてつけられないくらい大切な仲間なのだが…その熱意が災いしてか、
こうしたミーティングともなるとどうしても論議が白熱し、なかなか収集がつかなくて困る。

「みんな、少し落ち着いて………意見や提案は、一人ずつお願い。 ね?」
今日二回目となる仲裁役を買って出ながら、僕は机の上の小さなパートナーに手を伸ばした。
プラチナブロンドの、流れるような美しい髪を人差し指で優しく撫でてやると、
彼女は気持ちよさそうに緋色の目を細めて微笑する。
その様子を見て喧騒としていた室内は波が引くように静けさを取り戻し、
やがて咳払いと共にサブチーフが立ち上がって、先週までの研究データを発表していく。
小人達の改善点も幾つか上がったが、やはり危惧されているのは情報の漏洩だった。
僕が小人達を世間に公表しないのは、悪用を恐れてのことだ。
ペットとして飼われている小動物等とは違い、彼らは人との正確な意思疎通が可能である。
加えて小道具まで使えるとなれば、悪意ある人間が利用しないはずがない。
僕はあくまで多くの耳掻き愛好家のために、最良となるパートナーを与えたいだけなのだ。
『この功績を公表できたら〜』等というちっぽけな期待などには露ほどの興味もなく、
ましてや小人たちを悪の道に染めるために世に送り出すなど、まっぴらごめんだった。

3.
その日の会議は、比較的早めに切り上げられた。
「お疲れ様でした」
「うん。 イシュタル、いつものを頼めるかな?」
「かしこまりました。 我らが父にして、親愛なるマスター」
シルクのスカートの端を両手の指でついと持ち上げ、彼女は僕の掌に乗った。
そのまま左耳へ導くと、手際よく施術の準備をする音が聞こえてくる。
彼女………イシュタルは比較的初期に生み出された、僕の最高傑作だ。
技術、センス、容姿から礼儀作法まで非の打ち所がない自慢のパートナーであり、
イシュタル自身もそのことを誇りとしているようだった。
だが、彼女の最高傑作たる所以は、他にも存在する。

カリカリ……ゴツッ…ペリリッ………コリコリコリ…。
イシュタルの操る細身の耳掻きが外耳道の奥を優しく、それでいて大胆に掻いていく。
痒さの中心たる部位をあえて掻かずに、その周囲を焦らすようにカリカリコリコリ。
腰から首筋にかけてピリピリと電流にも似た感覚が走るが、それは決して不快ではない。
もたらされる至福に目を閉じると、思わず眠気が襲ってきた。
「いい気持ちだ………また腕を上げたみたいだね」
「もったいなきお言葉です」
謙遜した、しかしどこか嬉しそうなニュアンスを含んだイシュタルの声が耳の中をくすぐる。
感謝の意を込めてか、耳掻きの先端が疼きの中枢に向けて進行を開始した。
それまでとは違う角度から耳掻きが入りこみ、幾分か力を込めて掻いてくれる。
特注素材で出来た耳掻きはややしなるように出来ており、余分な力を逃がし、
より安全で、更なる心地よさを生み出すのだ。

やがて施術が終わると、僕はイシュタルを目の前に引き寄せた。
「ご満足いただけましたでしょうか?」
「最高だったよ。 じゃあ最後に、君の『声』を聞かせてもらえるかな?」
「はい、喜んで…」

Epilogue
僕の耳元で、小さなイシュタルが歌う。
それは静かで優しく、心を直接揺さぶるようなメロディーだった。
イシュタルの声は甘く、まるでくすぐるような感じがするのだが、これは錯覚ではない。
彼女の声帯は特殊な作りで、声を通して振動が耳の中全体に伝わり、
言い様のない気持ちよさとなるのだ。
耳の中に点在するツボに、美しい旋律が振動を伝え、未知の快感を生む…。
これを語るには、言葉は正直不便すぎた。

過去、日本に実在した『ひびきがね』という器具をヒントに考案されたこの歌声の施術。
実を言うと、これが可能な小人は現段階でイシュタルただ一人なのだ。
細かで、尚且つ複雑な声帯の調製は困難を極め、リスクも大きい。
実験段階で奇跡的に成功したイシュタルだが、量産化は無理という結論が出て、
一年ほど前にこの企画は無期限凍結扱いとなっている。
そういうわけで申し訳ないと思いつつも、僕はこの至福の歌声を独占しているのだ。
だが僕の悩みとは無関係に、イシュタルの美声は、じんわりと耳内を満たしていく…。

「………アンコール」
「うふっ、かしこまりました」
薄手のカーテンから漏れる暖かな日差しを浴びながら、僕は昼食までの時間を、
イシュタルと一緒にまったりと過ごすのだった。

                                                  《終》

このページへのコメント

ガッ活!というアニメでも主人公の女の子と
クラスメイトの男の子が「耳かきと綿棒」で
熱く語っていましたが面白かったです。
でも・・。
女の子=耳かき派
男の子=綿棒派
に必ずなるのは何故でしょう?

0
Posted by りぼん 2013年05月28日(火) 16:28:09 返信

あの小人、二人が離れ離れになるのは寂しいものがありますね…

仲の良い同僚達と別れた彼等が素敵な主人と出会えますように…

0
Posted by 風継 2012年12月19日(水) 14:50:24 返信

私は竹の耳掻きと綿棒の両方が無いと耳が痒くて要られません。

0
Posted by りぼん 2012年06月19日(火) 21:36:37 返信

綿棒も竹製も金属製もコイルも好きだなあ

0
Posted by 猫重い 2012年03月04日(日) 22:35:57 返信

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