切り立った断崖の海岸線。
分厚く黒みがかった雲が空を覆い、鳥は低空を飛んでいる。
海は荒れ、波がネズミ返しのようになった断崖に激しく打ち付けていた。
試練を課せられた一人の少女を送り出すには、最悪な天候になるだろう。
その少女が、エレノアでなければの話だが。
『終端の岬』にある城を背に、エレノアは歩を進めていた。
遂に、自分の使命を成し遂げられる日が来るのだ。
王の為に、この命を捧げる事ができる。
この日をどれだけ待ち望んだか……。
魔物の魂を集め始めてから10年は経っている。
この血を汚す……それは王の完全な復活に必要不可欠なもの。
この世で唯一絶対の王を……。
最強の王を……。
愛している方を……。
魔剣を見つめながら想いを馳せる。
自然と笑みが溢れてくる。
「こんなに素敵な事があって……良いのでしょうか……」
ポツリと呟くと、魔剣に一滴の雫がついた。
ついに降りだした雨は、除々に勢いをつけながらその音を大きくしていく。
髪も服も濡れていくが、エレノアは足を止める事はない。
寧ろ、その足取りは軽くなっているようだった。
「天もこの日を待ち望んでいたようね……フフフ……アハハ……」
笑いが止まらない。
こんなに楽しい事が世界にあっていいのだろうか?
そんな疑問すら湧く程の幸福感。
あの城に生まれ、あの王の元に育ち、今まで生きてきた事。
こんなに素晴らしい人生を送れる人など、この世には自分だけだろう。
王の為に、自分の力を全て出し切る。
足が勝手に動き出し、いつの間にか走っていた。
今日、王を復活させる為の器となる。
雨は更に強くなり、嵐となる。
風が吹き荒れて、打ち付ける波は更にその力を増す。
そして、遠くに翼を広げた翼竜の影がエレノアの目に入った。
「あいつらね……ウェルミス……会いたかった……!!」
絶対に見失わないように目を見開き、雨が目に入ろうと構うことなく全速力でその影に向かう。
そこはウェルミスの巣。
大陸に数種確認はされているが巣を知っている者は少ない。
翼を広げ、仲間に合図でも送っているのだろうか、耳につく鳴き声を上げている。
「さぁ……楽しもうね……!!!」
エレノアは視界の中央にウェルミスを置いたまま、魔剣を投げつける。
魔剣は宙を舞いながら、ウェルミスを捕えた。
しかし、一撃では傷つける事すら出来ていないようだ。
エレノアの殺気を感じ取ったウェルミスは、咆哮をしてから急降下をして襲いかかってくる。
「くっ……!!」
間一髪、横に飛んで直撃はしなかったものの、左腕に痛みを感じる。
二の腕に爪が当たったのか、三本の引っかき傷で服は裂け血が滲んでいる。
それを見たエレノアはまた目の色を変える。
「よくも……よくも……王に貰った大事な服を!!!!!」
濡れた髪の奥で目を見開き、ウェルミスに怒りをぶつけた。
魔剣に魔力を送ると、魔剣の紋章が赤く光る。
そしてウェルミスに向けて飛んでいった魔剣は、ひとつ前の攻撃とは比べ物にならない程の威力を持ち、その翼を貫通した。
「ギィイイイ!!!」
叫びながら落ちていくウェルミスに、更に魔剣を操って追撃をいれる。
何度も何度も宙に浮いては地に落ちたウェルミスを叩きつける魔剣。
「ほらっ!?楽しいでしょう!!?」
最後のトドメとばかりに魔剣を振り下ろす。
ウェルミスは抵抗せず、魔剣が突き刺さった。
既に絶命しているようだ。
魔剣はウェルミスの血を吸い上げて赤く光り、その魂を集める。
「王の為にその命を使うのだから、あなたも幸せでしょう?」
エレノアはその様子を見ながら笑っている。
次の瞬間、後方から殺気を感じて前に飛び出した。
振り返ると、羽を広げる翼竜の影が3つ。
そしてその奥に、見たこともない大きさの翼竜が見える。
「フフフ……いいわ……まとめて相手してあげる……!!」
迷う事なく、エレノアはウェルミスの群れに突っ込んでいく。
勝算など考えてもいない。
ただ、目の前の敵を殺す……その事だけに集中していた。
「全員……まとめて殺してあげる!!!!!」
狂気に満ちたその目を作るのは、王への愛情。
鼓動が高まる。
エレノアに呼応するように、魔剣は宙を舞う。
1体……2体……
ウェルミスの猛撃を耐えながら魔剣を振り回す。
今まで、どんな敵にも負けてこなかった。
それこそが、王への愛の証明。
この戦いに勝利すれば、その全てが報われる。
王は自分を受け入れて、完全な復活を遂げるのだ。
地上で誰にも負ける事のない力を手に入れ、この世に君臨する。
そんな夢のような光景を作る事に貢献する……。
誰にも出来ない……自分だけにそれが出来る……。
だから…………。
「貴様等……命を差し出せ……!!!!」
エレノアはその場に倒れこむ。
体中傷だらけになり、服は血だらけになっている。
殆どの魔力を使い果たし、魔剣を操る事もできない。
巨大な翼竜に挑むも、その強大な力には及ばなかった。
しかし、エレノアは何故自分が動けないのか分からない。
今までに経験した事のない状況の中、ぼんやりと敵を見つめていた。
「なんで……立てないの……??」
額から出た血が入り霞んでいるが、目は見える。
口を動かす事は出来ないが、喉から声も出る。
それなのに、身体を動かす事が出来ない……戦えない……。
王の……復活が……できない…………。
翼竜は咆哮すると、空に舞い、嵐に負けず羽ばたく。
空が一瞬光ったかと思うと、雷鳴が轟いた。
翼竜は口元に光を放ちながら何かを溜めている。
それを見届ければ、エレノアは死ぬだろう。
しかし、もはや指一本動かす事が出来ない。
開いたままの目から、涙が溢れてくる。
「王よ…………申し訳…………ございま…………」
「エレノアァアアア!!!!」
王の声が聞こえた気がした。
それは、幼い頃の記憶を呼び起こしたものだったのだろうか。
はたまた、自分が作り出した幻聴なのか。
なんであれ、最後の最後に王の声が聞こえた事に嬉しくなった。
響く轟音。
大地が揺れる。
これが死の直前なのかと、エレノアは考える。
しかし目に飛び込んできたのは、黒いオーラに包まれた深紅の矢だった。
王の側近である、ダズールから聞いた事があった。
王の絶対的なヴァンパイアの力。
血を凝縮して放たれる矢は、全てを貫く。
その言葉の通り、翼竜の身体を貫き地面に突き刺さった矢は、闇のオーラを放出させている。
「やはり……王は……最強の……」
「王!!」
飛び起きると、そこは見慣れた城の自室だった。
ベッドで上半身を起こしている自分……。
外から差し込んだ朝日は、部屋の中に窓の形を作り出す。
いつもの朝だった。
ベッドから降りようと身体を捻ると痛みを感じた。
足には無数の傷がついている。
つまり、ウェルミスとの戦いは夢ではない。
私は、あの後、どうなったの?
どうやってここに戻ってきたの……?
魔剣は……?
ベッドの横に立て掛けられた魔剣。
しかし、何か違和感がある。
毎日手入れを欠かさない魔剣。
汚れているのは、あの戦いの後だからかもしれない。
それでも、こんな角度で立てかけた事は今まで一度もない。
「私以外の誰かが魔剣をここに運んだの……?」
魔剣を手に取り、思考を走らせる。
その時、ほのかに匂いを感じた。
これは……血の匂い……?
魔剣にウェルミスの血がついているのかと思ったが、これは魔物の血の匂いではない。
自分の服に血がついているのではないかと見てみるが、それも違うようだ。
段々頭がハッキリしてくる。
結局あの後の事は分からない……。
ダズ爺ならば、何か知っている筈……。
痛みはもうない。
正確にはあるのかもしれないが、エレノアにそれを認知する事はできなかった。
自室を出て、廊下を見渡す。
いつもと変わらない城の景色。
「ダズ爺?どこ?」
声を上げてみるが、ダズールの返事はない。
城の中を探す事にする。
「ダズ爺?ここ?」
ダズールの私室、調理場、書庫、倉庫……。
次々と城の中のドアを開けて行くが、ダズールの姿はない。
ダズールがこの時間に城を出る事はない。
どこに行ったのだろうか……。
あとは、王のいる玉座を残すのみとなった。
玉座には王もいるだろう。
王ならば何か知っているかもしれない。
エレノアは決心し、普段は決して入る事のない玉座へと向かう。
「王よ……謁見をお許し頂けませんでしょうか……」
扉の前で緊張しながら王の返事を待つ。
しかし、求めた返事は返って来ない。
「王……ご不在なのでしょうか……」
この扉を開けてもいいのだろうか。
まだ幼かった頃は、王がどれほど尊い存在なのかも分からずに、この扉を開いては王に会いにいっていた。
しかし、それがどれほど愚かな行為だったか……今考えると顔から火が出そうになる。
それでも、今の状況を解決出来るならと、意を決して扉に手を掛けた。
「勝手ながら……失礼します……」
ギィという音を立てて視界に玉座が広がる。
王の姿はない。
「王……どちらに……王……!!」
中に入り、辺りを見渡す。
ふと、燭台にあるロウソクが今にも燃え尽きようとしているのが目に入った。
この大きさのロウソクならば一晩は持つだろう。
つまり、前日の夜には玉座に王がいたという事だ。
もしどこかに行ってしまったとしても、まだそう遠くには……。
エレノアは振り返り、走りだそうとする。
何か、この城に嫌な空気が流れているような感じがする。
王は……王はどこに……。
「エレノア。何をしている?」
走りだそうと前傾姿勢になり一歩踏み出した所で、開けっぱなしだった扉の奥に王の姿がある。
ドキっとして、とっさに立ち止まるエレノア。
目の前に、王がいらっしゃる……。
何から話せばいいの?
「えっと…その……ダズ爺……を探しているのですが……見当たらなくて……玉座に来ているかと考えまして……」
まずは勝手に玉座に入った理由を話す。
王の怒りを買う訳にはいかない。
ディヴァイルベルトは少し考えたような表情をした後、一言口にする。
「丁度良い。私からも話があるのだ」
ディヴァイルベルトはゆっくりと玉座に入り、扉を閉めるとエレノアの横を通りすぎて椅子へと腰を降ろした。
エレノアはスカートの裾を広げて王の前に膝をつく。
「なんなりとお申し付けください」
「いや、命令などではない。少し話をしたいと思ってな」
今まで、王からエレノアに話をしたいなどと言う事はなかった。
故に、エレノアは震える。
その言葉だけで感動をしていた。
王が、自分に言葉をくれる。
それは……どれほど幸せな事だろう。
しかし、ハッと気が付いて溢れる幸福感を押しつぶす。
私はウェルミスの討伐に失敗しているのだとしたら、王はお怒りになっているかもしれない。
このタイミングでの話というのは、むしろその可能性の方が高いだろう。
手に汗が滲む。
王は落ち着いたトーンで一つの質問をぶつける。
「どうだ?身体は大丈夫か?」
質問の真意がわからない。
エレノアはただ聞かれたままの答えを出すしかなかった。
「はい……。この通り、すぐにでも魔物の魂を集めにいけます」
「そ、そうか……。それは良かったな」
「良かった……?」
つまり、王は自分を心配している。
やはり、確かめなくてはならない。
「王……一つ私からもお聞きしても宜しいでしょうか」
「なんだ?」
ゴクリと喉を鳴らす。
エレノアの全身に緊張が走っていた。
「私は……ウェルミスの討伐に失敗したのでしょうか?」
「そうだな……。エレノアには随分と無理をさせたようだ。すまなかった」
エレノアは即座に頭を床にこすりつける。
「とんでもございません!!私が至らない故に、王にご心配をかけただけでなく任務も失敗し、王のご計画に多大なご迷惑をかけてしまいました!!!」
出せる限りの声を出した。
涙が溢れる。
私は王を失望させてしまった。
私は……。
私は…………。
「いや、いいのだ…!いいのだ……!エレノア……!」
王は手の平をエレノアに向けて少し焦っている。
しかし、床から額を離そうとしないエレノアに王の様子は見えていない。
「申し訳ございません!!不甲斐ないばかりに……!!!」
泣きわめくエレノア。
ディヴァイルベルトは、小さくため息を吐いた。
「エレノアよ。顔をあげろ。お前に相談があるのだ」
その言葉を聞いて、額を床につけたまま目を開いた。
王からの相談……。
嫌な予感しかしない……。
「エレノア……。魔剣を置き、普通の生活をする気はないか?」
エレノアは地が崩れ落ちるような感覚に見舞われる。
王は……自分を見捨てようとしている……。
「なぜですか……!?私がウェルミスの討伐に失敗したからでしょうか!?教えてください!もしそうであれば、すぐに力をつけて、必ずや魂を持ってきますので……!!!!」
顔を上げ、すがるように王に懇願する。
ディヴァイルベルトは首を振る。
「いや、そ、そういう事ではないのだ……。先も言ったように、エレノアに負荷をかけすぎたのは私の方だ。誤解するな……」
「ならば!!何故魔剣を置けなどと言うのですか!?私には話が見えません!!ダズ爺はどこに行ったのですか!?いなくなった事と何か関係があるのでしょうか!?お願いします!教えて頂けませんでしょうか!」
「…………。」
ディヴァイルベルトは何も答えない。
ただ、落ち着きがないように見える。
「王……!!お答えください!!」
「う、うううるさい!!ダズールは今朝城を出て行った!何も知らん!」
王の様子が何かおかしい。
こんな王は今まで見たことがない。
「王……どうなされたのですか……?すごい汗をかいていらっしゃいますが……どこかお体が悪いのですか……?」
心配するエレノアを余所に、咳払いをするディヴァイルベルト。
「ゴホン!ゴホン!!大丈夫だ……!あ、いや、少し風邪気味かもしれんな……いや、今はそんな話はどうでもいいのだ!!私はエレノアに魔剣を置かないかと話しているのだぞ!!私の話を逸らすでない!」
「申し訳ございません。ですが……あっ…………」
ウェルミスの討伐の失敗。
魔剣を置かないかという打診。
ダズールの失踪。
今の王の態度。
全てが繋がった一つの仮説。
全てに説明がつく仮説は、仮説では留める事ができない。
王は真実を話していない。
私はウェルミスの討伐に失敗した。
王の完全な復活の為に必要な器となる事ができなかった。
私に失望した王が、他の方法を探すのは当たり前だ。
ダズ爺から聞いたことがあった。
王の復活には人間の邪悪な血が不可欠。
だから私は魔剣に血を集め、この身体に魂を集め続けた。
その私が使いものにならないと考えたなら……必要な物は……。
新しい器――
ダズ爺は朝出かけたと話している。
つまり、新しい人間を探しに行ったのだろう。
王の使者として、王の完全な復活を願うならば、早くから行動する事も納得がいく。
私に魔剣を置けと言うのは、次の人間に魔剣を持たせる為。
それを私に教えない為に、王は嘘をついている。
いや……王に嘘をつかせているのは………私だ。
泣いている場合ではない。
文句を言っている場合ではない。
今出来る事を、やらなければならない。
他でもない、最愛の王の為に。
エレノアは笑顔を作った。
「ご安心ください」
ディヴァイルベルトは嬉しそうにしながらエレノアを見る。
「何っ!?魔剣を置いてくれるのだな!?」
「いいえ、ダズールを探しに旅へ出ます。そして王にご満足頂けるように、より多くの魂を集めてきます。新しい器など必要ない事を証明してみせます!私が必ずや、王の完全な復活を成し遂げて見せます!」
満面の笑みを浮かべるエレノア。
王を心配させる訳にはいかない。
自分が必ず成し遂げる。
王に安心してもらえるように。
「えっ……?ちょっと待てエレノア……今ダズールがなんだって?お前……何か勘違いを……」
エレノアは背を向けて魔剣を背負い玉座を後にする。
「待てエレノア!新しい器とは何の話をしているのだ!!待つのだエレノア……エレノア……!!!」
王をこれ以上お待たせする事はできない。
ならば一刻も早く、この身体に流れる血を汚さなければ……。
魂を集め……そして王の生け贄となる。
今までずっと待ち続けたこの大義を失う訳にはいかない。
もはや、ディヴァイルベルトの声はエレノアの耳には届いていなかった。
ディヴァイルベルトは一人玉座で頭を抱える。
これ以上何を言っても、エレノアを止める手立てはないだろう。
「エレノア……私はどうすれば良いのだ……」
古城を吹き抜ける海風は、いつになく暖かい。
断崖の岩陰に揺れる赤い蕾は、そっと花を開こうとしていた。
――数日後
コレーズ村を抜けて、商業都市イエルへとやってきたエレノアは目を丸くしていた。
活気溢れる人々、目の回る様な規模の街並み。
生まれてから、ダズールとディヴァイルベルト以外の人と接した事はなかった為、新しい世界に飛んできたような感覚を覚える。
これだけの人がいるならばダズールもこの街にいるに違いない。
何の当てもなく歩いていると、後から声を掛けられた。
「お嬢さん!そこのごっつい大剣背負ったお嬢さんだよ!」
振り向くと、大柄の男が手を振っていた。
「私?」
顔に指をさすと、ウンウンと頷く男。
「珍しい剣だなって思ってよ!ここら辺じゃ見ない代物だ。イオの鍛冶屋に仕立ててもらったのか?」
近付いてきたかと思うと、大剣をまじまじと見つめる男。
「これは王に頂いたものよ」
笑顔で魔剣を抱きしめるようにするエレノア。
男は不思議そうな顔をしている。
「王?王ってのは……どこぞの王だ……?まぁいいや、もう少し見せ……」
男は魔剣に手を伸ばすのをエレノアは見過ごさなかった。
「触るな!!!!」
周囲の人々は時間が止まったようにエレノアに視線を向けた。
男は驚き、三歩ほど後退る。
エレノアは殺すように男を睨みつけて、歯をギリギリと鳴らす。
「悪かった!ごめんごめん!大切な剣なんだな!悪気はなかったんだ!許してくれよ!」
エレノアは表情を緩める。
「分かったならいいの。二度と触ろうとしない事ね」
その笑顔を見て、周りの人々の時間が動き出した。
男はホッとした様子で緊張を解く。
「よっぽど大事な代物なんだな。傭兵かなんかか?」
「傭兵?違うわ。私は王の復活の為の器なの」
「器?なんか不思議なお嬢さんだな……はっはっは」
楽しそうに笑う男だったが、次の質問でその表情は氷付く。
「私は魂を集めたいのだけど、どこかいい場所を知らない?」
「た、魂!?なんだ……恐ろしいお嬢さんだな……」
「そう、魔物の魂。教えてくれないかしら?」
真剣な表情のエレノアを見て、どうやら脅かしている雰囲気ではないと考える男。
まだ歳は16、7に見える少女が抱えているものが何かは分からないが、あまり関わらない方が良さそうだ。
「ま、魔物の情報なら、酒場に行けば傭兵向けの仕事を紹介して貰えるぞ。魔物関連の仕事も見つかると思うぞ……」
「サカバ?っていうのはどこにあるの?」
「あんた、酒場も知らないのか?えっと、ほら、あそこにビールの看板が見えるか?」
「ビール?」
「おいおい……まじか……」
男は頭を掻きながら、彼女がよほどの田舎から来ているのだと考える。
それならば多少おかしな発言にも納得が出来た。
「わかった。これも何かの縁だ。連れてってやるよ。こう見えて、俺も傭兵の端くれだからな!」
男はエレノアを酒場まで連れていく。
酒場には壁一面に張り紙がしてあり、そこに様々な依頼が書かれていた。
「ほら、こん中から好きな依頼を選べ。文字は読めるか?」
魔物を狩る事だけを教えられていたエレノアは、簡単な数字などは分かるが、それ以上の事はわからない。
「魔物の依頼はどれ?」
男は仕方ないかという顔をしながら、依頼書を見繕う。
「これと、これと……これは無理だな……」
男が視線を外した依頼書に、エレノアは食いつく。
「何が無理なの?」
「そりゃ……あんたがどれだけ強いか分からないが、近くにある魔物の巣を取っ払って欲しいって依頼だ。数は1匹や2匹じゃねぇのさ。傭兵団がチームを組んでやるような……おい!ちょっと待て待て待て!」
笑顔でその依頼書を壁から剥がして手に取るエレノア。
そのまま酒場の奥へ歩いていく。
男は肩を掴んで止めようとするが、エレノアが振り向いた事で背負っている魔剣が目の前に現れ、慌てて手を引いた。
「あぁ……もう仕方ねぇな……」
頭をガリガリと掻いた後、エレノアを追いかける。
酒場の奥のカウンターにいる女性に依頼書を渡す。
「この魔物の魂を頂きたいの。場所を教えて貰えないかしら?」
「魂……?まぁいいわ……えーと、えっ!?この依頼?申し訳ないけど、こういう危険な依頼は単独での受注は出来ない規則になってるの。それに、地理も分からないような人には無理よ。悪いね」
エレノアは振り返り、追いついた男に話しかける。
「地理ならこの人が詳しいわ。私達はチームなの。それならいいでしょう?」
「えっ!?ちょっと待て!お前、俺もいくのか……!?」
カウンター越しの女性は、エレノアの後ろの男を見ると穏やかな表情になる。
「あぁ、なんだヤンギの仲間だったの?見ない顔だと思ったけど、それなら納得。ヤンギ、人は集まってるの?大丈夫なのね?」
ヤンギというのはどうやらこの男の名らしい。
「えっと……俺はそんな……」
どもるヤンギにエレノアが割って入る。
「大丈夫よ。なんの問題もないわ」
「おーい!ちょっと手が足りねぇんだ来てくれ!」
厨房の方から男の声が聞こえてきた。
カウンターの女性は依頼書を手に奥に歩いて行く。
「それじゃあ登録しておくから。ヤンギ、準備は念入りにね」
背中越しに手を振りながら、女性は歩いていった。
「なぁ、お嬢さん本気なのか?こんなヤマなかなか……」
心配そうなヤンギに、笑顔で返すエレノア。
「あなたは来なくても大丈夫よ。私一人で行くから。助かったわ。場所だけ教えてくれる?」
「待てって……お嬢さんがどれだけ強いかは知らんが、一人じゃ絶対無理だ。どうしても行くってんなら、俺と、俺の仲間も同行させろ。このまま死なれたら寝覚めが悪ぃ……。出発はいつにする?」
「私は今から行くつもりよ」
「待て!待てって!何がなんでも夜はだめだ!視界が悪いし、良い事が一つもねぇ……」
「闇の力が沸いてくるのに……」
「駄目だ駄目だ!2日後の朝にしよう!俺の仲間もしっかり集めさせて貰う!それまで絶対場所は教えない!」
エレノアは残念そうな顔をするが、仕方ないとため息を吐く。
「それでいいわ……」
――2日後
エレノアのいる宿に入り、階段を登る。
これから始まる大仕事。
緊張しながらドアをノックした。
「エレノア。起きてるか?そろそろ行くぞ」
ドアが開いたと思えば、笑顔で魔剣を抱えるエレノアが目に飛び込む。
無一文だったこのお嬢さんの宿代も出してやった。
ここまでしてやる恩義もないのだが、何か放っておけない自分が嫌になる。
イエルの街からカルム方面に口を開ける東門には、既に何人かの傭兵が集まっていた。
皆武器を持ち、鎧を着こみ、まさしく傭兵と言う集団。
「皆、遅くなった。このお嬢さんが話をしたエレノアだ。よろしくしてやってくれ」
エレノアに視線が集まる。
「本当にただのお嬢ちゃんに見えるが……大丈夫なのか?」
「おいヤンギ!お前の頼みっつーから来てやったが、俺はこんな女の為に働くのか!?」
ヤンギは笑顔でその声に答える。
「まぁまぁ……みんな言いたい事はあるだろうけど、ここは一つ俺の顔を立ててくれよ……なっ!エレノアの取り分は当面の生活費だけでいいらしい。あとの報酬は俺達の山分けだ。当分は遊んで暮らせるな!はっはっは!」
その話を聞いて顔を明るくする者はその場にいない。
皆、報酬の額と依頼内容の難しさは比例する事を知っている。
魔物の巣の大掃除。
全員が生きて帰れる保証なんてない。
「みなさん、よろしくお願いします」
素直に頭を下げるエレノア。
命を賭けて手伝ってくれる仲間には丁寧に接してくれと言った事を守っているようだった。
抜けている所はあるが、しっかりと話せば良い奴なのかもしれない。
「ちっ……くれぐれも俺達の邪魔にならねぇようにな」
傭兵の男達は立ち上がる。
「それじゃあ、出発といこうか。場所はカルムに向かう道中の北、山岳地帯だ」
昼過ぎ。
一行は山の麓(ふもと)で作戦を立てていた。
目的地である『魔物の巣』とされる洞窟の中が、どの程度の広さなのかは分からない。
基本陣形、緊急事態の対処方などの確認が行われている。
そんな中、エレノアは魔物の気配を感じ取りウズウズしていた。
王の為、出来るだけ多く魂を集める。
そして、一日でも早く王の完全なる復活を……。
「よし、それじゃあ行くか!!みんな頼んだぞ!!」
ヤンギは剣を掲げて士気をあげる。
道中では文句ばかりだった男も、この瞬間には戦士の表情になっていた。
そして、一行は洞窟の中へと足を踏み入れる。
「くっそぉお!!どんだけいやがるんだ!!」
洞窟の中は魔物の巣と言われるだけあり、おびただしい数の魔物が巣食っている。
少しずつ進んではいるものの、足場は悪く、タイマツの灯りで得ている視界も広くはない。
闇の中から次々と出てくる魔物に苦戦していた。
「おい!なんだあれ!?」
傭兵の一人が声を上げた。
男が指す方向を見ると、暗闇の中に赤い光が浮かぶ。
巨大な四足獣の瞳だと認識出来た時、タイマツを持っていた術士が吹き飛ばされる。
「うわぁああああ!!!」
「おい!大丈夫か!?どうした!?」
一瞬で全てが闇に包まれる。
「ぐぁあああああ!!!」
術士の叫び声が洞窟の中に響き渡る。
この闇の中では、何が起こっているのか分からない。
ヤンギは声を上げる。
「退却だ!一旦引くぞ!!退却だ!!」
「わかった!俺が道を作る!」
弓を持った男が魔力で灯した火矢を次々と壁に放ち視界を確保した。
一行は急いで洞窟の出口に向かう。
何人かは付いて来ていないかもしれない。
それでも、これ以上戦い続ける事は死を意味していた。
ヤンギの目に光が入る。
洞窟の出口だ。
「みんなもう少しだ!!」
洞窟の外に走り抜ける。
ゼェゼェと息を切らしながら、周りを確かめる。
「みんないるか!?」
傷ついた術士を抱えたヤンギは、周りを確認する。
1、2、3、4、5………。
「おい、あの女がいねぇぞ!」
一人の傭兵が叫ぶ。
ヤンギも辺りを確認するが、エレノアの姿がない。
「くそっ!」
「だから言ったんだ!あんな腕も分からねぇ女は足手まといだって俺は忠告した筈だぜ!?」
ヤンギは術士に薬草をかじらせながら考える。
(ここで見捨た方が……くそっ!そんなの寝覚めが悪ぃなんてもんじゃねぇぞ!)
ヤンギは立ち上がる。
「新しいタイマツをくれ!俺は一人でも行く!無理強いはしねぇ!来る奴だけ付いてきてくれ!」
一同は息を飲む。
皆、少なからずヤンギに恩がある者ばかりだった。
仲間想いで、人柄のいいヤンギだからこそ、2日という短い期間でこれだけの戦力が集まっている。
そのヤンギが命を賭けて戦おうとしているのを前に、逃げ出そうとは思えない。
それこそ、戦士の恥だろう。
「ヤンギ、俺は行くぞ」
口に押し込められた薬草で意識を取り戻していた術士は、なんとか治癒魔法を自身に使用して起き上がってくる。
「俺もいく」
「ここに来て臆病風に吹かれるやつは傭兵じゃねぇよ」
次々に立ち上がる男達。
ヤンギはそれを見て、ニヤっと笑った。
「お前らホント最高だな」
新しいタイマツを持ち、洞窟の中に入っていく一同。
エレノアはまだ生きているだろうか。
もし息があったとして、助け出せる可能性は五分と五分という所だろう。
それでも、放っておく事はできない。
一同は慎重に進んでいくが、何か、様子がおかしい。
「なぁ、ヤンギ……俺達こんなに魔物倒したか……?」
足元に続く魔物の亡骸。
確かに先ほど戦った魔物達だったが、その数が多い。
そして不可解な事に、これだけの魔物が倒れているのに、血の匂いがしないのだ。
「どうなってやがる……」
驚くほど静まり返った洞窟の中を、少しずつ進んでいく。
洞窟の天井から水滴が落ちる音だけが響き渡る。
「おい……こいつは……」
目の前に現れたのは大きな四足獣の亡骸。
先ほどヤンギが退却の指示を出した場所だ。
無数の斬撃を受けたのだろうか、大きな斬り傷が至る所についていた。
しかし、そのどこからも血は出ていない。
「エレノアは……どこだ……?」
魔物の死体は更に奥の方まで続いている。
皆一様に息を呑み、最大限の注意を払いながら歩みを進めた。
「おい、この声……」
耳をすませると、遠くから女の笑い声が聞こえる。
「エレノア……なのか……??」
一行は歩幅を大きくしながら奥を目指す。
足元にはまだ魔物の死体が続いている。
これだけの魔物を、エレノアがたった一人で殺したとでもいうのだろうか。
誰しもがそう思っていたが、声には出せない。
そんな事が出来る人間ならば、王国直属の騎士にでもなれるだろう。
エレノアがそこまでの力を持っているなんて到底思えない。
しかし、状況を考えてみれば……それ以外に考えられ……
「アハハハハハ!!!楽しいでしょう!?」
声はすぐ近く。
その角を曲がった所から聞こえる。
「みんな……行くぞ……!」
ヤンギの声に一同は頷く。
身体を前に出してタイマツを掲げる。
傭兵達は後に続き、各々の武器を構えた。
「エレ……ノア……!?」
目の前の光景を疑った。
空中を踊るように舞う大剣。
その下で楽しそうに剣を操るエレノア。
大剣は無数の魔物を的確に捉え、もの凄い勢いで殲滅していく。
それは、戦いではなく、虐殺と言った方が近いだろう。
「うわっ……うわぁ!!」
傭兵の一人が腰を抜かして尻もちをつく。
積み重なった魔物の死体から血を吸い出す魔剣を見れば、無理もないだろう。
倒れた魔物の傷口から出続ける血液は空中へ溢れ、魔剣へと引き寄せられていた。
ヴァンパイアの魔剣。
血を求め、奪った魂を使用者に宿す。
イエルで傭兵をやっていれば、酒場で一度くらいはこの噂を聞いたことがあるだろう。
誰もがただのお伽話……作り話だと思っていた。
この瞬間までは。
「ヴァ……ヴァンパイア……!!化物……」
その声に気がついたエレノアはゆっくりと振り返る。
「あら、あなた達、逃げたんじゃなかったの?」
その声を聞いて、その場にいた全員が身震いをする。
「なぁ……ヤンギ……あのお嬢さん……どうしちまったんだ?」
返り血を舐めながら、笑顔で近付いてくるエレノア。
「どうしたの?そんなに怖い顔して……」
ヤンギは厳しい視線を送り続けていた。
「お前は……ヴァンパイアなのか!?」
エレノアの表情が曇る。
「その物言いは何?あなた達、まさか王を敵視しているの?」
やはり……。
ヴァンパイアといえば人間を襲う存在。
ここ最近は聞かないが、数十年前には人間に被害を出し続けたという。
なんでも聖騎士がその命を犠牲に封印したとか……。
「お前……その剣は王に頂いたと言っていたな……?魂を集めるとはどういう事だ!?目的を話して貰おうか!!」
緊張が走る中、エレノアは楽しそうに話す。
「私は王の完全な復活に貢献したいだけよ?」
王の完全な復活……。
人々に甚大な被害を出したとされるヴァンパイア王を、この女が復活させようとしている。
「なるほどな……それでヤンギを騙したって訳か」
「騙した?人聞きが悪いわね……。私はただ……」
ヤンギは口を挟む。
「もういい。俺の責任だ。俺が止める!!」
タイマツを置き、剣を握る。
相手は女だと油断していられない。
一瞬でケリをつける……。
「お嬢さんに恨みはねぇが……見過ごす訳にはいかねぇな!!!」
言葉と同時に全力で踏み込んだ。
エレノアは笑顔に戻る。
「そう……それじゃあ…………」
「 全員……私が殺してあげる 」
数分後――
洞窟の中には、エレノアの笑い声だけが響いていた。
分厚く黒みがかった雲が空を覆い、鳥は低空を飛んでいる。
海は荒れ、波がネズミ返しのようになった断崖に激しく打ち付けていた。
試練を課せられた一人の少女を送り出すには、最悪な天候になるだろう。
その少女が、エレノアでなければの話だが。
『終端の岬』にある城を背に、エレノアは歩を進めていた。
遂に、自分の使命を成し遂げられる日が来るのだ。
王の為に、この命を捧げる事ができる。
この日をどれだけ待ち望んだか……。
魔物の魂を集め始めてから10年は経っている。
この血を汚す……それは王の完全な復活に必要不可欠なもの。
この世で唯一絶対の王を……。
最強の王を……。
愛している方を……。
魔剣を見つめながら想いを馳せる。
自然と笑みが溢れてくる。
「こんなに素敵な事があって……良いのでしょうか……」
ポツリと呟くと、魔剣に一滴の雫がついた。
ついに降りだした雨は、除々に勢いをつけながらその音を大きくしていく。
髪も服も濡れていくが、エレノアは足を止める事はない。
寧ろ、その足取りは軽くなっているようだった。
「天もこの日を待ち望んでいたようね……フフフ……アハハ……」
笑いが止まらない。
こんなに楽しい事が世界にあっていいのだろうか?
そんな疑問すら湧く程の幸福感。
あの城に生まれ、あの王の元に育ち、今まで生きてきた事。
こんなに素晴らしい人生を送れる人など、この世には自分だけだろう。
王の為に、自分の力を全て出し切る。
足が勝手に動き出し、いつの間にか走っていた。
今日、王を復活させる為の器となる。
雨は更に強くなり、嵐となる。
風が吹き荒れて、打ち付ける波は更にその力を増す。
そして、遠くに翼を広げた翼竜の影がエレノアの目に入った。
「あいつらね……ウェルミス……会いたかった……!!」
絶対に見失わないように目を見開き、雨が目に入ろうと構うことなく全速力でその影に向かう。
そこはウェルミスの巣。
大陸に数種確認はされているが巣を知っている者は少ない。
翼を広げ、仲間に合図でも送っているのだろうか、耳につく鳴き声を上げている。
「さぁ……楽しもうね……!!!」
エレノアは視界の中央にウェルミスを置いたまま、魔剣を投げつける。
魔剣は宙を舞いながら、ウェルミスを捕えた。
しかし、一撃では傷つける事すら出来ていないようだ。
エレノアの殺気を感じ取ったウェルミスは、咆哮をしてから急降下をして襲いかかってくる。
「くっ……!!」
間一髪、横に飛んで直撃はしなかったものの、左腕に痛みを感じる。
二の腕に爪が当たったのか、三本の引っかき傷で服は裂け血が滲んでいる。
それを見たエレノアはまた目の色を変える。
「よくも……よくも……王に貰った大事な服を!!!!!」
濡れた髪の奥で目を見開き、ウェルミスに怒りをぶつけた。
魔剣に魔力を送ると、魔剣の紋章が赤く光る。
そしてウェルミスに向けて飛んでいった魔剣は、ひとつ前の攻撃とは比べ物にならない程の威力を持ち、その翼を貫通した。
「ギィイイイ!!!」
叫びながら落ちていくウェルミスに、更に魔剣を操って追撃をいれる。
何度も何度も宙に浮いては地に落ちたウェルミスを叩きつける魔剣。
「ほらっ!?楽しいでしょう!!?」
最後のトドメとばかりに魔剣を振り下ろす。
ウェルミスは抵抗せず、魔剣が突き刺さった。
既に絶命しているようだ。
魔剣はウェルミスの血を吸い上げて赤く光り、その魂を集める。
「王の為にその命を使うのだから、あなたも幸せでしょう?」
エレノアはその様子を見ながら笑っている。
次の瞬間、後方から殺気を感じて前に飛び出した。
振り返ると、羽を広げる翼竜の影が3つ。
そしてその奥に、見たこともない大きさの翼竜が見える。
「フフフ……いいわ……まとめて相手してあげる……!!」
迷う事なく、エレノアはウェルミスの群れに突っ込んでいく。
勝算など考えてもいない。
ただ、目の前の敵を殺す……その事だけに集中していた。
「全員……まとめて殺してあげる!!!!!」
狂気に満ちたその目を作るのは、王への愛情。
鼓動が高まる。
エレノアに呼応するように、魔剣は宙を舞う。
1体……2体……
ウェルミスの猛撃を耐えながら魔剣を振り回す。
今まで、どんな敵にも負けてこなかった。
それこそが、王への愛の証明。
この戦いに勝利すれば、その全てが報われる。
王は自分を受け入れて、完全な復活を遂げるのだ。
地上で誰にも負ける事のない力を手に入れ、この世に君臨する。
そんな夢のような光景を作る事に貢献する……。
誰にも出来ない……自分だけにそれが出来る……。
だから…………。
「貴様等……命を差し出せ……!!!!」
エレノアはその場に倒れこむ。
体中傷だらけになり、服は血だらけになっている。
殆どの魔力を使い果たし、魔剣を操る事もできない。
巨大な翼竜に挑むも、その強大な力には及ばなかった。
しかし、エレノアは何故自分が動けないのか分からない。
今までに経験した事のない状況の中、ぼんやりと敵を見つめていた。
「なんで……立てないの……??」
額から出た血が入り霞んでいるが、目は見える。
口を動かす事は出来ないが、喉から声も出る。
それなのに、身体を動かす事が出来ない……戦えない……。
王の……復活が……できない…………。
翼竜は咆哮すると、空に舞い、嵐に負けず羽ばたく。
空が一瞬光ったかと思うと、雷鳴が轟いた。
翼竜は口元に光を放ちながら何かを溜めている。
それを見届ければ、エレノアは死ぬだろう。
しかし、もはや指一本動かす事が出来ない。
開いたままの目から、涙が溢れてくる。
「王よ…………申し訳…………ございま…………」
「エレノアァアアア!!!!」
王の声が聞こえた気がした。
それは、幼い頃の記憶を呼び起こしたものだったのだろうか。
はたまた、自分が作り出した幻聴なのか。
なんであれ、最後の最後に王の声が聞こえた事に嬉しくなった。
響く轟音。
大地が揺れる。
これが死の直前なのかと、エレノアは考える。
しかし目に飛び込んできたのは、黒いオーラに包まれた深紅の矢だった。
王の側近である、ダズールから聞いた事があった。
王の絶対的なヴァンパイアの力。
血を凝縮して放たれる矢は、全てを貫く。
その言葉の通り、翼竜の身体を貫き地面に突き刺さった矢は、闇のオーラを放出させている。
「やはり……王は……最強の……」
「王!!」
飛び起きると、そこは見慣れた城の自室だった。
ベッドで上半身を起こしている自分……。
外から差し込んだ朝日は、部屋の中に窓の形を作り出す。
いつもの朝だった。
ベッドから降りようと身体を捻ると痛みを感じた。
足には無数の傷がついている。
つまり、ウェルミスとの戦いは夢ではない。
私は、あの後、どうなったの?
どうやってここに戻ってきたの……?
魔剣は……?
ベッドの横に立て掛けられた魔剣。
しかし、何か違和感がある。
毎日手入れを欠かさない魔剣。
汚れているのは、あの戦いの後だからかもしれない。
それでも、こんな角度で立てかけた事は今まで一度もない。
「私以外の誰かが魔剣をここに運んだの……?」
魔剣を手に取り、思考を走らせる。
その時、ほのかに匂いを感じた。
これは……血の匂い……?
魔剣にウェルミスの血がついているのかと思ったが、これは魔物の血の匂いではない。
自分の服に血がついているのではないかと見てみるが、それも違うようだ。
段々頭がハッキリしてくる。
結局あの後の事は分からない……。
ダズ爺ならば、何か知っている筈……。
痛みはもうない。
正確にはあるのかもしれないが、エレノアにそれを認知する事はできなかった。
自室を出て、廊下を見渡す。
いつもと変わらない城の景色。
「ダズ爺?どこ?」
声を上げてみるが、ダズールの返事はない。
城の中を探す事にする。
「ダズ爺?ここ?」
ダズールの私室、調理場、書庫、倉庫……。
次々と城の中のドアを開けて行くが、ダズールの姿はない。
ダズールがこの時間に城を出る事はない。
どこに行ったのだろうか……。
あとは、王のいる玉座を残すのみとなった。
玉座には王もいるだろう。
王ならば何か知っているかもしれない。
エレノアは決心し、普段は決して入る事のない玉座へと向かう。
「王よ……謁見をお許し頂けませんでしょうか……」
扉の前で緊張しながら王の返事を待つ。
しかし、求めた返事は返って来ない。
「王……ご不在なのでしょうか……」
この扉を開けてもいいのだろうか。
まだ幼かった頃は、王がどれほど尊い存在なのかも分からずに、この扉を開いては王に会いにいっていた。
しかし、それがどれほど愚かな行為だったか……今考えると顔から火が出そうになる。
それでも、今の状況を解決出来るならと、意を決して扉に手を掛けた。
「勝手ながら……失礼します……」
ギィという音を立てて視界に玉座が広がる。
王の姿はない。
「王……どちらに……王……!!」
中に入り、辺りを見渡す。
ふと、燭台にあるロウソクが今にも燃え尽きようとしているのが目に入った。
この大きさのロウソクならば一晩は持つだろう。
つまり、前日の夜には玉座に王がいたという事だ。
もしどこかに行ってしまったとしても、まだそう遠くには……。
エレノアは振り返り、走りだそうとする。
何か、この城に嫌な空気が流れているような感じがする。
王は……王はどこに……。
「エレノア。何をしている?」
走りだそうと前傾姿勢になり一歩踏み出した所で、開けっぱなしだった扉の奥に王の姿がある。
ドキっとして、とっさに立ち止まるエレノア。
目の前に、王がいらっしゃる……。
何から話せばいいの?
「えっと…その……ダズ爺……を探しているのですが……見当たらなくて……玉座に来ているかと考えまして……」
まずは勝手に玉座に入った理由を話す。
王の怒りを買う訳にはいかない。
ディヴァイルベルトは少し考えたような表情をした後、一言口にする。
「丁度良い。私からも話があるのだ」
ディヴァイルベルトはゆっくりと玉座に入り、扉を閉めるとエレノアの横を通りすぎて椅子へと腰を降ろした。
エレノアはスカートの裾を広げて王の前に膝をつく。
「なんなりとお申し付けください」
「いや、命令などではない。少し話をしたいと思ってな」
今まで、王からエレノアに話をしたいなどと言う事はなかった。
故に、エレノアは震える。
その言葉だけで感動をしていた。
王が、自分に言葉をくれる。
それは……どれほど幸せな事だろう。
しかし、ハッと気が付いて溢れる幸福感を押しつぶす。
私はウェルミスの討伐に失敗しているのだとしたら、王はお怒りになっているかもしれない。
このタイミングでの話というのは、むしろその可能性の方が高いだろう。
手に汗が滲む。
王は落ち着いたトーンで一つの質問をぶつける。
「どうだ?身体は大丈夫か?」
質問の真意がわからない。
エレノアはただ聞かれたままの答えを出すしかなかった。
「はい……。この通り、すぐにでも魔物の魂を集めにいけます」
「そ、そうか……。それは良かったな」
「良かった……?」
つまり、王は自分を心配している。
やはり、確かめなくてはならない。
「王……一つ私からもお聞きしても宜しいでしょうか」
「なんだ?」
ゴクリと喉を鳴らす。
エレノアの全身に緊張が走っていた。
「私は……ウェルミスの討伐に失敗したのでしょうか?」
「そうだな……。エレノアには随分と無理をさせたようだ。すまなかった」
エレノアは即座に頭を床にこすりつける。
「とんでもございません!!私が至らない故に、王にご心配をかけただけでなく任務も失敗し、王のご計画に多大なご迷惑をかけてしまいました!!!」
出せる限りの声を出した。
涙が溢れる。
私は王を失望させてしまった。
私は……。
私は…………。
「いや、いいのだ…!いいのだ……!エレノア……!」
王は手の平をエレノアに向けて少し焦っている。
しかし、床から額を離そうとしないエレノアに王の様子は見えていない。
「申し訳ございません!!不甲斐ないばかりに……!!!」
泣きわめくエレノア。
ディヴァイルベルトは、小さくため息を吐いた。
「エレノアよ。顔をあげろ。お前に相談があるのだ」
その言葉を聞いて、額を床につけたまま目を開いた。
王からの相談……。
嫌な予感しかしない……。
「エレノア……。魔剣を置き、普通の生活をする気はないか?」
エレノアは地が崩れ落ちるような感覚に見舞われる。
王は……自分を見捨てようとしている……。
「なぜですか……!?私がウェルミスの討伐に失敗したからでしょうか!?教えてください!もしそうであれば、すぐに力をつけて、必ずや魂を持ってきますので……!!!!」
顔を上げ、すがるように王に懇願する。
ディヴァイルベルトは首を振る。
「いや、そ、そういう事ではないのだ……。先も言ったように、エレノアに負荷をかけすぎたのは私の方だ。誤解するな……」
「ならば!!何故魔剣を置けなどと言うのですか!?私には話が見えません!!ダズ爺はどこに行ったのですか!?いなくなった事と何か関係があるのでしょうか!?お願いします!教えて頂けませんでしょうか!」
「…………。」
ディヴァイルベルトは何も答えない。
ただ、落ち着きがないように見える。
「王……!!お答えください!!」
「う、うううるさい!!ダズールは今朝城を出て行った!何も知らん!」
王の様子が何かおかしい。
こんな王は今まで見たことがない。
「王……どうなされたのですか……?すごい汗をかいていらっしゃいますが……どこかお体が悪いのですか……?」
心配するエレノアを余所に、咳払いをするディヴァイルベルト。
「ゴホン!ゴホン!!大丈夫だ……!あ、いや、少し風邪気味かもしれんな……いや、今はそんな話はどうでもいいのだ!!私はエレノアに魔剣を置かないかと話しているのだぞ!!私の話を逸らすでない!」
「申し訳ございません。ですが……あっ…………」
ウェルミスの討伐の失敗。
魔剣を置かないかという打診。
ダズールの失踪。
今の王の態度。
全てが繋がった一つの仮説。
全てに説明がつく仮説は、仮説では留める事ができない。
王は真実を話していない。
私はウェルミスの討伐に失敗した。
王の完全な復活の為に必要な器となる事ができなかった。
私に失望した王が、他の方法を探すのは当たり前だ。
ダズ爺から聞いたことがあった。
王の復活には人間の邪悪な血が不可欠。
だから私は魔剣に血を集め、この身体に魂を集め続けた。
その私が使いものにならないと考えたなら……必要な物は……。
新しい器――
ダズ爺は朝出かけたと話している。
つまり、新しい人間を探しに行ったのだろう。
王の使者として、王の完全な復活を願うならば、早くから行動する事も納得がいく。
私に魔剣を置けと言うのは、次の人間に魔剣を持たせる為。
それを私に教えない為に、王は嘘をついている。
いや……王に嘘をつかせているのは………私だ。
泣いている場合ではない。
文句を言っている場合ではない。
今出来る事を、やらなければならない。
他でもない、最愛の王の為に。
エレノアは笑顔を作った。
「ご安心ください」
ディヴァイルベルトは嬉しそうにしながらエレノアを見る。
「何っ!?魔剣を置いてくれるのだな!?」
「いいえ、ダズールを探しに旅へ出ます。そして王にご満足頂けるように、より多くの魂を集めてきます。新しい器など必要ない事を証明してみせます!私が必ずや、王の完全な復活を成し遂げて見せます!」
満面の笑みを浮かべるエレノア。
王を心配させる訳にはいかない。
自分が必ず成し遂げる。
王に安心してもらえるように。
「えっ……?ちょっと待てエレノア……今ダズールがなんだって?お前……何か勘違いを……」
エレノアは背を向けて魔剣を背負い玉座を後にする。
「待てエレノア!新しい器とは何の話をしているのだ!!待つのだエレノア……エレノア……!!!」
王をこれ以上お待たせする事はできない。
ならば一刻も早く、この身体に流れる血を汚さなければ……。
魂を集め……そして王の生け贄となる。
今までずっと待ち続けたこの大義を失う訳にはいかない。
もはや、ディヴァイルベルトの声はエレノアの耳には届いていなかった。
ディヴァイルベルトは一人玉座で頭を抱える。
これ以上何を言っても、エレノアを止める手立てはないだろう。
「エレノア……私はどうすれば良いのだ……」
古城を吹き抜ける海風は、いつになく暖かい。
断崖の岩陰に揺れる赤い蕾は、そっと花を開こうとしていた。
――数日後
コレーズ村を抜けて、商業都市イエルへとやってきたエレノアは目を丸くしていた。
活気溢れる人々、目の回る様な規模の街並み。
生まれてから、ダズールとディヴァイルベルト以外の人と接した事はなかった為、新しい世界に飛んできたような感覚を覚える。
これだけの人がいるならばダズールもこの街にいるに違いない。
何の当てもなく歩いていると、後から声を掛けられた。
「お嬢さん!そこのごっつい大剣背負ったお嬢さんだよ!」
振り向くと、大柄の男が手を振っていた。
「私?」
顔に指をさすと、ウンウンと頷く男。
「珍しい剣だなって思ってよ!ここら辺じゃ見ない代物だ。イオの鍛冶屋に仕立ててもらったのか?」
近付いてきたかと思うと、大剣をまじまじと見つめる男。
「これは王に頂いたものよ」
笑顔で魔剣を抱きしめるようにするエレノア。
男は不思議そうな顔をしている。
「王?王ってのは……どこぞの王だ……?まぁいいや、もう少し見せ……」
男は魔剣に手を伸ばすのをエレノアは見過ごさなかった。
「触るな!!!!」
周囲の人々は時間が止まったようにエレノアに視線を向けた。
男は驚き、三歩ほど後退る。
エレノアは殺すように男を睨みつけて、歯をギリギリと鳴らす。
「悪かった!ごめんごめん!大切な剣なんだな!悪気はなかったんだ!許してくれよ!」
エレノアは表情を緩める。
「分かったならいいの。二度と触ろうとしない事ね」
その笑顔を見て、周りの人々の時間が動き出した。
男はホッとした様子で緊張を解く。
「よっぽど大事な代物なんだな。傭兵かなんかか?」
「傭兵?違うわ。私は王の復活の為の器なの」
「器?なんか不思議なお嬢さんだな……はっはっは」
楽しそうに笑う男だったが、次の質問でその表情は氷付く。
「私は魂を集めたいのだけど、どこかいい場所を知らない?」
「た、魂!?なんだ……恐ろしいお嬢さんだな……」
「そう、魔物の魂。教えてくれないかしら?」
真剣な表情のエレノアを見て、どうやら脅かしている雰囲気ではないと考える男。
まだ歳は16、7に見える少女が抱えているものが何かは分からないが、あまり関わらない方が良さそうだ。
「ま、魔物の情報なら、酒場に行けば傭兵向けの仕事を紹介して貰えるぞ。魔物関連の仕事も見つかると思うぞ……」
「サカバ?っていうのはどこにあるの?」
「あんた、酒場も知らないのか?えっと、ほら、あそこにビールの看板が見えるか?」
「ビール?」
「おいおい……まじか……」
男は頭を掻きながら、彼女がよほどの田舎から来ているのだと考える。
それならば多少おかしな発言にも納得が出来た。
「わかった。これも何かの縁だ。連れてってやるよ。こう見えて、俺も傭兵の端くれだからな!」
男はエレノアを酒場まで連れていく。
酒場には壁一面に張り紙がしてあり、そこに様々な依頼が書かれていた。
「ほら、こん中から好きな依頼を選べ。文字は読めるか?」
魔物を狩る事だけを教えられていたエレノアは、簡単な数字などは分かるが、それ以上の事はわからない。
「魔物の依頼はどれ?」
男は仕方ないかという顔をしながら、依頼書を見繕う。
「これと、これと……これは無理だな……」
男が視線を外した依頼書に、エレノアは食いつく。
「何が無理なの?」
「そりゃ……あんたがどれだけ強いか分からないが、近くにある魔物の巣を取っ払って欲しいって依頼だ。数は1匹や2匹じゃねぇのさ。傭兵団がチームを組んでやるような……おい!ちょっと待て待て待て!」
笑顔でその依頼書を壁から剥がして手に取るエレノア。
そのまま酒場の奥へ歩いていく。
男は肩を掴んで止めようとするが、エレノアが振り向いた事で背負っている魔剣が目の前に現れ、慌てて手を引いた。
「あぁ……もう仕方ねぇな……」
頭をガリガリと掻いた後、エレノアを追いかける。
酒場の奥のカウンターにいる女性に依頼書を渡す。
「この魔物の魂を頂きたいの。場所を教えて貰えないかしら?」
「魂……?まぁいいわ……えーと、えっ!?この依頼?申し訳ないけど、こういう危険な依頼は単独での受注は出来ない規則になってるの。それに、地理も分からないような人には無理よ。悪いね」
エレノアは振り返り、追いついた男に話しかける。
「地理ならこの人が詳しいわ。私達はチームなの。それならいいでしょう?」
「えっ!?ちょっと待て!お前、俺もいくのか……!?」
カウンター越しの女性は、エレノアの後ろの男を見ると穏やかな表情になる。
「あぁ、なんだヤンギの仲間だったの?見ない顔だと思ったけど、それなら納得。ヤンギ、人は集まってるの?大丈夫なのね?」
ヤンギというのはどうやらこの男の名らしい。
「えっと……俺はそんな……」
どもるヤンギにエレノアが割って入る。
「大丈夫よ。なんの問題もないわ」
「おーい!ちょっと手が足りねぇんだ来てくれ!」
厨房の方から男の声が聞こえてきた。
カウンターの女性は依頼書を手に奥に歩いて行く。
「それじゃあ登録しておくから。ヤンギ、準備は念入りにね」
背中越しに手を振りながら、女性は歩いていった。
「なぁ、お嬢さん本気なのか?こんなヤマなかなか……」
心配そうなヤンギに、笑顔で返すエレノア。
「あなたは来なくても大丈夫よ。私一人で行くから。助かったわ。場所だけ教えてくれる?」
「待てって……お嬢さんがどれだけ強いかは知らんが、一人じゃ絶対無理だ。どうしても行くってんなら、俺と、俺の仲間も同行させろ。このまま死なれたら寝覚めが悪ぃ……。出発はいつにする?」
「私は今から行くつもりよ」
「待て!待てって!何がなんでも夜はだめだ!視界が悪いし、良い事が一つもねぇ……」
「闇の力が沸いてくるのに……」
「駄目だ駄目だ!2日後の朝にしよう!俺の仲間もしっかり集めさせて貰う!それまで絶対場所は教えない!」
エレノアは残念そうな顔をするが、仕方ないとため息を吐く。
「それでいいわ……」
――2日後
エレノアのいる宿に入り、階段を登る。
これから始まる大仕事。
緊張しながらドアをノックした。
「エレノア。起きてるか?そろそろ行くぞ」
ドアが開いたと思えば、笑顔で魔剣を抱えるエレノアが目に飛び込む。
無一文だったこのお嬢さんの宿代も出してやった。
ここまでしてやる恩義もないのだが、何か放っておけない自分が嫌になる。
イエルの街からカルム方面に口を開ける東門には、既に何人かの傭兵が集まっていた。
皆武器を持ち、鎧を着こみ、まさしく傭兵と言う集団。
「皆、遅くなった。このお嬢さんが話をしたエレノアだ。よろしくしてやってくれ」
エレノアに視線が集まる。
「本当にただのお嬢ちゃんに見えるが……大丈夫なのか?」
「おいヤンギ!お前の頼みっつーから来てやったが、俺はこんな女の為に働くのか!?」
ヤンギは笑顔でその声に答える。
「まぁまぁ……みんな言いたい事はあるだろうけど、ここは一つ俺の顔を立ててくれよ……なっ!エレノアの取り分は当面の生活費だけでいいらしい。あとの報酬は俺達の山分けだ。当分は遊んで暮らせるな!はっはっは!」
その話を聞いて顔を明るくする者はその場にいない。
皆、報酬の額と依頼内容の難しさは比例する事を知っている。
魔物の巣の大掃除。
全員が生きて帰れる保証なんてない。
「みなさん、よろしくお願いします」
素直に頭を下げるエレノア。
命を賭けて手伝ってくれる仲間には丁寧に接してくれと言った事を守っているようだった。
抜けている所はあるが、しっかりと話せば良い奴なのかもしれない。
「ちっ……くれぐれも俺達の邪魔にならねぇようにな」
傭兵の男達は立ち上がる。
「それじゃあ、出発といこうか。場所はカルムに向かう道中の北、山岳地帯だ」
昼過ぎ。
一行は山の麓(ふもと)で作戦を立てていた。
目的地である『魔物の巣』とされる洞窟の中が、どの程度の広さなのかは分からない。
基本陣形、緊急事態の対処方などの確認が行われている。
そんな中、エレノアは魔物の気配を感じ取りウズウズしていた。
王の為、出来るだけ多く魂を集める。
そして、一日でも早く王の完全なる復活を……。
「よし、それじゃあ行くか!!みんな頼んだぞ!!」
ヤンギは剣を掲げて士気をあげる。
道中では文句ばかりだった男も、この瞬間には戦士の表情になっていた。
そして、一行は洞窟の中へと足を踏み入れる。
「くっそぉお!!どんだけいやがるんだ!!」
洞窟の中は魔物の巣と言われるだけあり、おびただしい数の魔物が巣食っている。
少しずつ進んではいるものの、足場は悪く、タイマツの灯りで得ている視界も広くはない。
闇の中から次々と出てくる魔物に苦戦していた。
「おい!なんだあれ!?」
傭兵の一人が声を上げた。
男が指す方向を見ると、暗闇の中に赤い光が浮かぶ。
巨大な四足獣の瞳だと認識出来た時、タイマツを持っていた術士が吹き飛ばされる。
「うわぁああああ!!!」
「おい!大丈夫か!?どうした!?」
一瞬で全てが闇に包まれる。
「ぐぁあああああ!!!」
術士の叫び声が洞窟の中に響き渡る。
この闇の中では、何が起こっているのか分からない。
ヤンギは声を上げる。
「退却だ!一旦引くぞ!!退却だ!!」
「わかった!俺が道を作る!」
弓を持った男が魔力で灯した火矢を次々と壁に放ち視界を確保した。
一行は急いで洞窟の出口に向かう。
何人かは付いて来ていないかもしれない。
それでも、これ以上戦い続ける事は死を意味していた。
ヤンギの目に光が入る。
洞窟の出口だ。
「みんなもう少しだ!!」
洞窟の外に走り抜ける。
ゼェゼェと息を切らしながら、周りを確かめる。
「みんないるか!?」
傷ついた術士を抱えたヤンギは、周りを確認する。
1、2、3、4、5………。
「おい、あの女がいねぇぞ!」
一人の傭兵が叫ぶ。
ヤンギも辺りを確認するが、エレノアの姿がない。
「くそっ!」
「だから言ったんだ!あんな腕も分からねぇ女は足手まといだって俺は忠告した筈だぜ!?」
ヤンギは術士に薬草をかじらせながら考える。
(ここで見捨た方が……くそっ!そんなの寝覚めが悪ぃなんてもんじゃねぇぞ!)
ヤンギは立ち上がる。
「新しいタイマツをくれ!俺は一人でも行く!無理強いはしねぇ!来る奴だけ付いてきてくれ!」
一同は息を飲む。
皆、少なからずヤンギに恩がある者ばかりだった。
仲間想いで、人柄のいいヤンギだからこそ、2日という短い期間でこれだけの戦力が集まっている。
そのヤンギが命を賭けて戦おうとしているのを前に、逃げ出そうとは思えない。
それこそ、戦士の恥だろう。
「ヤンギ、俺は行くぞ」
口に押し込められた薬草で意識を取り戻していた術士は、なんとか治癒魔法を自身に使用して起き上がってくる。
「俺もいく」
「ここに来て臆病風に吹かれるやつは傭兵じゃねぇよ」
次々に立ち上がる男達。
ヤンギはそれを見て、ニヤっと笑った。
「お前らホント最高だな」
新しいタイマツを持ち、洞窟の中に入っていく一同。
エレノアはまだ生きているだろうか。
もし息があったとして、助け出せる可能性は五分と五分という所だろう。
それでも、放っておく事はできない。
一同は慎重に進んでいくが、何か、様子がおかしい。
「なぁ、ヤンギ……俺達こんなに魔物倒したか……?」
足元に続く魔物の亡骸。
確かに先ほど戦った魔物達だったが、その数が多い。
そして不可解な事に、これだけの魔物が倒れているのに、血の匂いがしないのだ。
「どうなってやがる……」
驚くほど静まり返った洞窟の中を、少しずつ進んでいく。
洞窟の天井から水滴が落ちる音だけが響き渡る。
「おい……こいつは……」
目の前に現れたのは大きな四足獣の亡骸。
先ほどヤンギが退却の指示を出した場所だ。
無数の斬撃を受けたのだろうか、大きな斬り傷が至る所についていた。
しかし、そのどこからも血は出ていない。
「エレノアは……どこだ……?」
魔物の死体は更に奥の方まで続いている。
皆一様に息を呑み、最大限の注意を払いながら歩みを進めた。
「おい、この声……」
耳をすませると、遠くから女の笑い声が聞こえる。
「エレノア……なのか……??」
一行は歩幅を大きくしながら奥を目指す。
足元にはまだ魔物の死体が続いている。
これだけの魔物を、エレノアがたった一人で殺したとでもいうのだろうか。
誰しもがそう思っていたが、声には出せない。
そんな事が出来る人間ならば、王国直属の騎士にでもなれるだろう。
エレノアがそこまでの力を持っているなんて到底思えない。
しかし、状況を考えてみれば……それ以外に考えられ……
「アハハハハハ!!!楽しいでしょう!?」
声はすぐ近く。
その角を曲がった所から聞こえる。
「みんな……行くぞ……!」
ヤンギの声に一同は頷く。
身体を前に出してタイマツを掲げる。
傭兵達は後に続き、各々の武器を構えた。
「エレ……ノア……!?」
目の前の光景を疑った。
空中を踊るように舞う大剣。
その下で楽しそうに剣を操るエレノア。
大剣は無数の魔物を的確に捉え、もの凄い勢いで殲滅していく。
それは、戦いではなく、虐殺と言った方が近いだろう。
「うわっ……うわぁ!!」
傭兵の一人が腰を抜かして尻もちをつく。
積み重なった魔物の死体から血を吸い出す魔剣を見れば、無理もないだろう。
倒れた魔物の傷口から出続ける血液は空中へ溢れ、魔剣へと引き寄せられていた。
ヴァンパイアの魔剣。
血を求め、奪った魂を使用者に宿す。
イエルで傭兵をやっていれば、酒場で一度くらいはこの噂を聞いたことがあるだろう。
誰もがただのお伽話……作り話だと思っていた。
この瞬間までは。
「ヴァ……ヴァンパイア……!!化物……」
その声に気がついたエレノアはゆっくりと振り返る。
「あら、あなた達、逃げたんじゃなかったの?」
その声を聞いて、その場にいた全員が身震いをする。
「なぁ……ヤンギ……あのお嬢さん……どうしちまったんだ?」
返り血を舐めながら、笑顔で近付いてくるエレノア。
「どうしたの?そんなに怖い顔して……」
ヤンギは厳しい視線を送り続けていた。
「お前は……ヴァンパイアなのか!?」
エレノアの表情が曇る。
「その物言いは何?あなた達、まさか王を敵視しているの?」
やはり……。
ヴァンパイアといえば人間を襲う存在。
ここ最近は聞かないが、数十年前には人間に被害を出し続けたという。
なんでも聖騎士がその命を犠牲に封印したとか……。
「お前……その剣は王に頂いたと言っていたな……?魂を集めるとはどういう事だ!?目的を話して貰おうか!!」
緊張が走る中、エレノアは楽しそうに話す。
「私は王の完全な復活に貢献したいだけよ?」
王の完全な復活……。
人々に甚大な被害を出したとされるヴァンパイア王を、この女が復活させようとしている。
「なるほどな……それでヤンギを騙したって訳か」
「騙した?人聞きが悪いわね……。私はただ……」
ヤンギは口を挟む。
「もういい。俺の責任だ。俺が止める!!」
タイマツを置き、剣を握る。
相手は女だと油断していられない。
一瞬でケリをつける……。
「お嬢さんに恨みはねぇが……見過ごす訳にはいかねぇな!!!」
言葉と同時に全力で踏み込んだ。
エレノアは笑顔に戻る。
「そう……それじゃあ…………」
「 全員……私が殺してあげる 」
数分後――
洞窟の中には、エレノアの笑い声だけが響いていた。
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