「おい、早くしろ!グズグズしてっと置いていくぞ」
山道を歩いている盗賊の親分は、後ろを振り向いて新入りに向かい大きな声を上げていた。
「おやっさん…少し待って下さいよ…この箱重たすぎて…」
汗だくになった新入りは、何も運んでいない親分の背中を見つめながら、両手に抱えた盗んだ金品の入った箱を地面へと降ろした。
「まったく…最近の若造は根性がねぇな!ダラダラしてると日が暮れちまう!“夜の鍵”が出たらどうすんだ!?」
「ははは…おやっさん…流石に俺でも、そんな子ども騙しは通じないっすよ」
この大陸に住むものならば一度はその名を耳にした事がある。
どこから出た噂なのか、実際に見た者もいない都市伝説のような組織。
“夜の鍵”
世の中で起こる、説明することができない事件。
神隠し、密室の殺人、謎の突然死。
これらが起こると、必ずその名が噂として囁かれていた。
「バカ野郎…本当にいるんだよ…あいつらは…!仲間が何人もいなくなってる…!次はお前かもしれねぇぞ!」
突然、生ぬるい風が山道を吹き抜ける。
直後、どこからとも無く、怪しい女性の声が聞こえてくる。
(もしくは、あなたかもしれないわねぇ〜?)
「だ、誰だ!?」
新入りはとっさに辺りを見渡す。
後ろを振り返るも、歩いてきた山道が続いているだけで、特に変わった事はなかった。
「なんだよ……気持ち悪ぃな……すんませんおやっさん、早く…」
前に向き直ると、さっきまでそこにいた親分の姿がない。
「あれ…おやっさん…どこ?ちょっと…おやっさん!?」
いつの間にか生ぬるい風は止んでおり、一人残された新入りは盗んだ箱を捨てて逃げ出した。
急いでアジトに戻った新入りは、自分の身に起こった事を兄貴分に報告しようとドアを開ける。
「みんな大変だ!!おやっさんが……」
アジトの中には、火が掛けられた鍋がコトコトと湯気を出している。
しかし、人の姿はどこにもない。
新入りは目の前に飛び込んできた光景に戦慄する。
「よ…夜の鍵…本当に…あぁああああ!!!」
アジトから飛び出した新入りは全力疾走で駆け抜ける。
どこに向かっているかなんて分からない。
しかし、今はこの場から逃げなければ、自分も殺される。
何の証拠も根拠もないが、それだけは間違いない。
突然、新入りは足を止めた。
目の前が何も見えない。
自分の身に何が起きているのかは分からない。
しかし、確実にやばい事だけは確信できた。
「うわああああああああ!!!!!」
「リリヴィス。アジトへの案内が終わったのならさっさと消せばいいのに、何故逃がすの?」
銀髪の少女は、発生させた闇の中に冷徹な目を向けたまま話しかけている。
リリヴィスは少女に笑いかけると、頬に手をあてて口を開く。
「だってぇ…怖がってる子ってかわいいじゃない?そ・れ・に、メアリちゃんの手柄も少しは残してあげようと思ってね」
メアリと呼ばれる少女は表情を変えずに、手に持った弓をゆっくりと下ろして続ける。
「同意し兼ねるわ。早く目的のモノを回収しましょう」
「もう…連れない子ねぇ…でも仕事にストイックなのは評価してあげるわ」
2人は盗賊のアジトに入り物色する。
地下室の片隅に鍵の掛かった箱を発見してこじ開ける。
「この魔石ね。さぁ戻りましょう」
メアリはただの石ころに見える黒い塊を手に取ると、リリヴィスに渡した。
アジトを出ると、2人は闇の中へ消えていく。
――黒の森
誰も立ち入らない筈の、闇に包まれた森の中を歩くリリヴィスとメアリ。
ふと心地の良い闇の気配を感じると、すぐさまその場にひれ伏した。
「ご苦労だったな。リリヴィス、メアリ。目的の物は?」
暗闇から聞こえてくる声に一切顔を向けず、地を見続ける。
リリヴィスは頭を下げたまま両手を前に出し、奪ってきた魔石を差し出した。
「こちらです。団長」
黒いコートの裾がリリヴィスの目に入る。
手に乗っていた魔石の重みが無くなるのを感じた。
「2人共よくやってくれた」
リリヴィスは手を下ろす。
「勿体無いお言葉。全ては御心のままに」
メアリがその後に続く。
「御心のままに」
暗黒組織「夜の鍵」はここに存在していた。
しかし、組織の規模や目的はリリヴィスやメアリさえ知る事はない。
団長から下る命を実行する。
それが、団長が団員に求める全てだった。
「次の指令は少し長期間になるかもしれない。良く聞くのだ」
――イエルへの街道
リリヴィスとメアリは団長の命に従い、商業都市イエルへと足を運んでいた。
帝国を潰すための準備。
確かに帝国は王国を攻め落とす程の力を蓄えた。
それが何故、夜の鍵の敵となるのかはリリヴィス達にはわからない。
街道を南に進みながら、頭の片隅でそんな事を考えているリリヴィスとメアリの目が合う。
考えても仕方のない事だと頭を振ってから、リリヴィスは口を開く。
「そういえば、メアリはどんな経緯でこの組織に入ったの?」
組織に長く属しているリリヴィスだが、メアリの事は殆ど何も知らない。
魔石調達の任務で初めて顔を合わせた少女は何者なのか、気にならないと言えば嘘になる。
その第一印象は、あどけない少女のようだが、とても生者とは思えない青白い顔と、闇を司る力を振るう姿から、到底普通の人間には見えない。
ほとんど変わらない冷徹な表情を見る限り、心の深い闇を感じ取る事ができた。
「死ぬ筈だった私を団長は救ってくれた。私に自由をくれた。だから、あの人が求める物ならなんでも差し出すわ。たとえそれが、私の命であっても」
眉一つ動かさずに淡々と話すメアリから出たのは、12、3歳の少女から出てくる言葉ではなかった。
「それは頼もしいわね。あの方に尽くせる想いがあるなら、私とも仲良くできそうだわ。でも…あの方がそれを望むとは思えないけど……。」
「そう…。あなたは何故組織に?」
「そうね…あなたと同じようなものかしら。あの方は私を人として扱ってくれただけじゃなくて、私に自由を与えてくれた、2人目の人だったから」
「2人目?もう一人は?」
少し遠くの空を見つめるリリヴィス。
随分前のような、ついさっきまで隣にいたような、その人物に想いを馳せる。
「もう、彼はこの世にはいないわ」
そう、レンは私が殺した…。
―
――
――――
獣境の村ヴィレス。
コウモリのガルムの母の元に生まれた私は、幼い頃からレンと一緒に遊んでいた。
レンはヴィレスの篝火と言われる狐の家系の次男。
篝火としての修行を抜けだしては、私の手を引いて森の中の秘密基地に走っていく。
いつもの光景だった。
「リリヴィス!こっちこっち!!」
いつになく楽しそうにしているレンを不思議に思っていると、大樹が堂々と根を貼る広場へと到着した。
レンの指差す方を見ると、大樹の枝に実った黄色の実がゆらゆらと風に揺れていた。
スルスルと木によじ登ると、一つ、二つと実をもいでは器用に枝の隙間を抜けていく。
「ほら!これ食べて!すごい美味しいから!」
満面の笑みを浮かべながら、両手いっぱいに抱えた果物を一つリリヴィスに渡すレン。
私はレンとこうしている時間がとても好きだった。
「あのさレン、篝火の修行はそんなにさぼっても大丈夫なの?」
レンは甘い果実を頬張りながら笑顔で話す。
「僕よりも姉ちゃんの方が優秀だし、僕は期待すらされてないから大丈夫大丈夫!」
木の枝に座って足をぶらぶらとさせながら、ニコっと笑いかけてくる。
そんなレンの笑顔を見ていると、私まで笑顔になってしまう。
「あのさ、今度さ、夜に抜け出して湖までいってみない?綺麗なホタルが沢山いるんだって!見てみたくない!?」
そう……私がこの時に断れば、あんな事にはならなかった。
レンの好奇心を否定したくなくて、もっとレンと一緒にいたいっていう気持ちを優先した。
その日は『真紫月(しんしづき)』が空に浮かぶ幻想的な夜だった。
予め部屋の中に用意していた靴を窓の前で履くと、できるだけ音を立てないように外に出る。
約束した村の外れの大岩の下に僅かな明かりが見える。
レンはその手に炎を灯して私を待っていた。
「ごめんね、待たせた?」
レンはニコっと笑ってから私の手を引き、森の中を慎重に進んでいく。
左手で私の手を取り、右手の手の平を上に向けて炎を出して道を照らした。
目的の湖まで辿り着いた私達は、目の前の光景に目を疑った。
紫の月が照らす湖上の水面には、蛍光緑の光が絨毯のように敷き詰められている。
「すごい!すごいよ!レン!こんなの初めて見た!」
「そうだね……来て……良かった…」
想像していたレンの反応とは違う事に気が付いて顔を向けると、レンは真っ青な顔をしているように見える。
「どうしたの?レン…?具合が悪いの?」
声を掛けると、その場に倒れこんでしまうレン。
「どうしたの!?ねぇレン!レン!」
レンの身体を観察すると、足に無数の擦り傷がある。
その傷口は真紫になっていて、足全体が異常な色となっている。
「これってどういう事!?もしかして…毒草で足を切ったの!?」
聞いた事があった。
真紫月の夜に、普段はなんて事のない綺麗な草花が毒草になるという話。
毒をどうにかしなくてはいけないが、解毒剤をどうやって作るかなんて想像もできない。
「そうだ…傷口から…毒を吸い出せば…」
顔を傷口に近づけた瞬間に、頭をレンに抑えられる。
「だめだよ…リリヴィス……君は、人の血は…いけないって…」
たしかに、リリヴィスは小さい頃から親に口酸っぱく言われていた。
『決して自分以外の人の血を口に含んではいけない』
理由なんて聞いた事はなかった。
今までそんなシチュエーションに出会った事もなかった。
だが、今は行動しなければレンが死んでしまう。
現に、こうしている間にも紫色になっていく肌の面積は増え続けている。
「それでも、私はレンを助けたいから!黙ってて!!」
言葉が届いたかどうか分からないタイミングで、レンは意識を失い倒れこんだ。
レンを助けたい一心で、彼の足の傷口に口を当てて思いっきり吸い込む。
口の中には色んな味が混ざりあう。
地面に吐き捨てると、真っ赤な血が飛び散った。
無我夢中で吸い続けると、レンの足は元の色に戻っていく。
しかし、レンは意識を取り戻さない。
「お願い!!レン!!起きてよ!!!」
身体を擦っていると、レンはゆっくりと目を開けた。
「あれ……リリヴィス……?」
「レン!!大丈夫!?レン…レンーー……!!!」
レンに抱きつくと、彼の胸の中で泣けるだけ泣いた。
私の頭を撫でてくれるレンは、急にその手を止めて起き上がる。
「リリヴィス…その口……」
「えっ…?」
手で口を拭うと、レンの血が大量についている。
「その…レンが死んじゃうくらいならって…!ほら!私は平気だから!」
両手を広げてレンにアピールする。
レンは複雑そうな表情をして私の顔を見る。
「本当に大丈夫だから!でも…パパとママには内緒ね!」
私は嘘をついた。
口の中に広がる血の味は、脳を直接刺激するような感覚が続いている。
こんな高揚感は味わった事がない。
少し休んでいると歩けるようにまで回復したレンに肩を貸して、村までゆっくりと戻った。
しかしその日から、あの味が忘れられない。
いくら水を飲んでも、どれだけ食べても、身体があの味を欲し続ける。
どうにかしたいという思いから、母に今までしなかった質問をしてみる事にした。
「ママ、私達は人の血を口に含んではいけないんだよね?」
「えぇ、そうよ。どうしたの急に?」
私は必死に笑顔を作り続ける。
「それってなんでなのかなって気になってさ〜」
母は真剣な表情になり、私の肩に手をかける。
「そうねぇ。もうそういう年頃ね。なんでなのかっていうのは、掟でそうなってるから…としかママも知しらないわ」
腕を組んで片手を顎につけ、考えるような素振りを見せる。
「血を口にしたコウモリの一族はね、不幸になってしまうっていう言い伝えがあるのよ。本当はどうなのかなんて誰にも分からない。リリヴィスが不幸になりたくないなら、掟を守っていたほうがいいわ。その方がママも安心だしね」
まだ幼い私はその母の言葉で血の気が引くのを感じた。
不幸になる…その言葉に恐怖を感じる。
私はずっと我慢をしていた。
誰にもバレないように。
しかし、喉の渇きは日に日に大きくなり、精神がおかしくなりそうになる。
身悶え苦しむ中、レンが訪ねてきた。
「リリヴィス…大丈夫?君のママに具合が悪いから寝てるって聞いてきたんだけど…」
私は、レンに顔を合わせられなかった。
顔を見たら、きっとあの味を思い出してしまうと考える。
でも、頭の中でそれを考えれば考える程、喉の渇きは強くなる。
明らかに異常な私の状態を見てママも心配していた。
このままでは血を口にした事がバレてしまうと、意を決する。
レンと目が合うのは、真紫月の夜以来だった。
「レン……お願いがあるの……。少しだけでいいから…あなたの…血をくれない?」
驚くかと思っていたけど、レンは少しだけ笑ってから首筋をリリヴィスに晒す。
「そっか。ごめんね。きっと僕のせいなんだ。あの日の事は誰にも言ってないよ。ここからがいいかな?」
レンの反応に心がキュッとなるのを感じる。
きっと、レンは自分を責めている。
今考えれば、その罪悪感に…私はつけ込んでいただけなのかもしれない。
「ごめんね…」
私は彼の首筋に刃を立てた。
少しだけビクっとしたレンだったが、その後は私の背中を擦りながら抱きしめてくれた。
口の中に広がるレンの血の味は、この世の全てがどうでも良くなるほどの幸福感を覚えさせてくれる。
レンがフラっとした瞬間我に返り、慌ててその口を首筋から離した。
「大丈夫?ごめんね…」
レンは笑顔を見せる。
「ううん。大丈夫だよ。僕の方こそ、ごめんね…」
それからは一週間に一度の頻度で、レンに血を分けて貰う生活が始まった。
レンは…どんな気持ちだったんだろう…。
今となってはそれを確かめる術もない…。
普通の生活を送るにはレンの血が必要。
それならば、このままレンとずっと一緒にいればいい。
レンさえ良ければ、レンと一生を添い遂げたい。
幼いとはいえ、なんて呑気で自己中心的な考えをしていたのだろう。
そんな夢のような未来を想像しなければ…
数ヶ月後の“真紫月の夜”に起こる事も、もしかしたら変わっていたのかもしれない…。
その日は唐突にやってきた。
夕焼けと共に家に帰った私は、両親と食卓を囲んでいた。
「今日は真紫月の夜か。1年っていうのはなんでこんなに早いのかな〜。ん?リリヴィスどうした?」
父が話している内容がまったく頭に入ってこない程の急激な飢えを覚えていた。
喉が焼けるように熱く、血を欲している。
3日前にレンに血を分けて貰ったばかりだというのに、こんな渇きがくるはずがない。
「ちょっと具合が悪いから、部屋に戻るね…」
テーブルの上に並んだ食事にほとんど手を付ける事もなくその場を後にして、部屋に閉じこもる。
夜が更けるに連れて、渇きは一層大きくなっていく。
我慢する事なんてとても出来そうにない。
私は窓を抜けて、レンの元に向かう。
レンの家に着くと、レンの部屋がある2階に石を投げる。
思ったより大きな音がして、ドキドキとしていたが、頭はこの渇きをどうにかしたいという気持ちで埋め尽くされていた。
窓に影が映り、カーテンが開くとレンの顔が見えた。
私の事を見つけたレンは、驚いた表情をして、窓から縄を垂らして降りてくる。
「リリヴィス…どうしたの?すごい汗だけど…」
「喉が乾いて仕方ないの…お願い…レン…助けて……」
レンは私の手を引いて、いつも血を吸わせて貰っている空き家に入り、首筋を差し出した。
「どうぞ」
いつも通りの笑顔を見せるレンの首元に私は飛びついた。
血の味が口いっぱいに広がる。
しかし、何かおかしい。
普段は少し味わえばすぐに喉の渇きは癒やされるのに、この日は口を離す事が出来ない。
もっと欲しい…もっと欲しい…もっと欲しい…。
どれくらいの時間そうしていたかは分からない。
私は自分をコントロールできる状態ではなかった。
レンの力がどんどんと抜けていくのを感じる。
その事にハッと、気が付いて無理矢理身体を離した。
「レン…ごめん…大丈夫…?」
顔を見る事ができず、下を向いたままレンに語りかける。
「リリヴィス…今日はどうしたの?まだ喉が乾いているなら、好きなだけ吸っていいんだよ?」
レンの表情は分からないが、その優しい口調からきっとまだ笑っているのだろう。
「ダメ…これ以上は…!!レンが死んじゃうから!!!」
私は床に向かって叫んでいた。
窓の外から紫の光が差し込む。
後頭部に、レンの手の感触がある。
そのままレンは自分の首元に私の口を押さえつけた。
「いいんだ…リリヴィス。君に助けて貰わなかったら、きっと僕はあの場所で死んでいた。君のしたいようにしてくれればいい。ごめんね。こんな事しかできなくて…」
私は泣きながらも、口元から漂ってくる血の匂いに理性が効かない。
月から放たれる強い紫の光が熱い。
身体中が熱くなっていく。
比例するように、レンの身体は冷たくなっていった。
それでも止める事ができない自分を、私は強く恨んだ。
私の腕の中で――――
――――
――
―
少し遠くの空を見つめるリリヴィス。
「もう、彼はこの世にはいないわ」
メアリは事情を深く聞く事はせず、前を向いて口を開く。
「親しい人の死は辛いわね」
「子どもなのに気の利いた事を言えるのね〜?」
未だにレンの事を思い出すと、心の奥に黒い影ができるような感覚に見舞われる。
それでも、今は団長の為に前を向きたい。
そんな事は悟られないように平然を装う。
私も随分、大人になってしまったのかもしれない。
メアリはほんの少し間を置いてから、ポツリと口を零す。
「本心よ。私も両親を亡くしてるから、少し分かるだけ」
「あら、悪かったわね」
「いいのよ。気にしてないわ」
12、3歳の少女から出る言葉とはやはり思えない。
私がこの子くらいの歳の時には、レンの事はまだまだ引きずっていた。
メアリは続ける。
「あの人達が死んだお陰で、団長から力を頂けたようなものだし」
「団長に力を頂いた!?あの方に…直接!?」
メアリは団長に特別なモノを貰っている。
その事実は受け入れ難い。
「そうよ」
目の前の少女が妬ましい。
あの団長に力を与えられているなんて、そんな事があって良い訳がない。
「あなたもその炎の力を頂いたのではないの?」
リリヴィスの気持ちを知ってか知らずか、少女は素朴な疑問を投げる。
取り乱したリリヴィスは、その言葉で平静を取り戻した。
炎の力…今の私の力は…
少し間を置いた。
「…私に力をくれたのは、団長じゃないわ」
この力は…レンのものだから…。
―
――
――――
紫の光が差し込む窓辺で、動かない少年に縋り付く少女。
私はレンの冷たい身体に身体を寄せて泣きじゃくっていた。
悲しみと憎しみが爆発して、自分なんかいなければ良かったと思いながら、泣き喚いていた。
身体に燃えるような熱を感じる。
次の瞬間、辺りが急に明るくなった気がした。
驚いて顔をあげると、小さな部屋が燃えている。
床から天井まで炎が上がり、黒い煙が辺りを包む。
レンの姿はもう見えず、ただ赤々とした炎だけが渦巻いていた。
目を覚ますと、見慣れた天井が私を出迎えた。
顔を横に向けると母が心配そうな顔でこちらを見ている。
「リリヴィス!大丈夫!?良かった…良かった…!!」
母は泣いていた。
全部夢だったのかと頭の隅で考えていた…。
「ママ……レンは…?」
答えは帰ってこなかった。
数日後のレンの葬儀に出席する事も許されなかった私は父から、あの夜に何があったかを問い詰められた。
私は、今まで起きた事を全て父に話す。
自分の手から炎を出して証拠を見せる。
あの日から、力を込めると炎を操れるようになっていた。
この力は…きっとレンの、篝火の力。
これを見ればきっと父も信じてくれるだろう。
きっと怒られる…そう思っていた…いや、怒られる事を願っていた。
しかし、父は私の頭を撫でる。
「可哀想なリリヴィス…。辛かったね…。この事は誰にも言わないでおくれ」
私には意味が分からなかった。
そんな父の言葉は聞きたくなかった。
このまま何も咎められる事なく、生活ができるのだろうか?
そんな生活を、私は求めていなかった。
今考えれば、父は自分の身と私の身が無事ならばどうでも良かったのだろう。
殺人犯の私と、その父に科せられる処罰は重たい。
良くて強制労働、悪ければ極刑だろう。
その相手が篝火の一族であれば尚更だ。
そして、また渇きがやってくる。
あれだけレンの血を飲み干したというのに、数週間も経たないうちに血を求める。
その辺りに生息している魔物を狩ってその血を飲んでみるが、渇きが満たされる事はなかった。
「血を口にしたコウモリの一族はね、不幸になってしまうっていう言い伝えがあるのよ」
母の言葉が頭をよぎる。
きっと私はもう不幸の中にいるのだろう。
虚無感に襲われ、どんなに泣こうとも喉の渇きを抑える事はできない。
私は村を出る事にした。
この村で血を分けてなんて事は言えない。
口に出して、協力者が現れたとしても、また同じ事を繰り返してしまうと思った。
誰にも何も言わずに、私はヴィレスを後にした。
外の生活に困る事はなかった。
商業都市イエルまで足を運んだのは、多種多様な人種が入り乱れるこの街ならば羽の生えた私の姿が悪目立ちする事もなく、ヴィレスの人間にまで噂が流れる危険性がなかったからだ。
傭兵の仕事につき、盗賊の討伐など、人をターゲットとした依頼を受けては血を啜った。
そしてまた、真紫月がやってくる。
私は傭兵の集まる酒場で人間をターゲットとした仕事を待っていた。
しかし、その日に限って魔物の討伐依頼ばかりが入ってくる。
傭兵仲間が一人、また一人と魔物の討伐へ向かい、残された傭兵は数える程度だった。
そこに、妖精が持ち込んできたのがコレーズ村付近に現れた巨人と言われる魔物の討伐依頼。
「そんな魔物……2,3人でどうにかできるのか…?」
聞こえてくる声は、重々しい雰囲気だ。
酒場にいた傭兵仲間は皆武器を取り、出陣の準備を整える。
一人の男が私に話しかけてきた。
「あんた、いつも一人で仕事をしているよな?先月の盗賊団の討伐は度肝を抜かれたよ!まさか一人でやりきってくるとは皆思ってもなかった。腕は立つんだろう?頼む、一緒に来てくれないか?」
巨人と言われるくらいだったら…もしかしたら喉の渇きを凌げるかもしれない。
そう考えた私は縦に首を振った。
イエルを出てコレーズ村に辿り着く頃には、夕焼けが一行の影を長く伸ばしていた。
どんどん強くなっていく渇きを耐えながら、早く目的の巨人を見つけようと必死になっていると、傭兵の一人が巨大な足跡を見つけた。
まだ新しい足跡に、期待を込めて足早に追いかけると、遠くに大きな身体が見えてきた。
「なんてデカさだ…!よし、作戦を立てるから…」
男の言葉など聞いている余裕はなかった。
きっと傭兵達には、愚直な行動に見えていただろう。
それでも私は、これ以上耐える事ができる状態ではない。
羽を広げて背後から飛び込むと、一瞬で巨人の正面へ回り込み挑発をする。
巨人はそのまま私を敵とみなして全力で襲いかかってきた。
槍を構えて、敵の行動を注視する。
巨人が頭上に振り上げた腕を地面に振り下ろし、叩き潰そうとしてくるのを後ろに交わし、灼熱の炎を巨人に見舞う。
たいしたダメージはないのだろうか…そのまま一直線に向かってくる巨人に一瞬の隙を作ってしまった。
そのまま突進を受けて吹き飛ばされる。
傭兵達はやっと追いついたようで、弓や大剣で後ろからリリヴィスを援護する。
リリヴィスは岩に叩きつけられてゲホっと血を吐く。
傭兵達の援護攻撃を物ともせず、リリヴィスに向かって一直線に近付いてくる巨人に、恐怖を覚えた。
その時、リリヴィスの眼に紫の光が指す。
気が付くと、巨人は倒れており、その頭にはリリヴィスの槍が突き刺さっていた。
目の前の光景に疑問を持つ前に、巨人の首元に噛み付いてみる。
しかし、いくら吸い付いても求める結果は返ってこない。
「あんた…大丈夫か…?どうしたんだ…?何を…している…」
男の声に反応したリリヴィスは、ゆっくりと顔をあげる。
周りを見渡すと、大きな岩がゴロゴロとしている岩場が見える。
自分達以外に人の影があるわけがないだろう。
リリヴィスは男に向き直って、一言だけ口にした。
「ごめんなさい。私、もう我慢できそうにないわ」
5人の傭兵達に武器を取る時間は与えなかった。
後方に回りこむと槍で突き刺し、その喉元を貪る。
身体が満たされていくのを感じて、高揚感を覚える。
紫色に満たされた岩場に、リリヴィスが血を食らう物音だけが響いていた。
その時背後に人の気配を感じたリリヴィスは、臨戦態勢を取る。
確かに感じた気配は細心の注意を払っても、再び感じる事ができない。
しかし、何か嫌な空気が流れているのを風が告げていた。
「素晴らしい力を持っているね」
真後ろから聞こえた男の声に、リリヴィスは身動きが取れない。
これだけ気を張っていたというのに、背後…それも1メートルもない所にその男は立っていた。
振り向く事を許されない状態に、リリヴィスは前を向いたまま口を開く。
「誰…?私に用……?」
男は笑う。
「私はお前の力を求めてやってきた者だ」
「私の力?」
「そう、炎の力を得たコウモリの一族…リリヴィス。お前の力だ」
リリヴィスは前方に飛び出して振り返り、低い姿勢で男に槍を向ける。
「どうしてその名を!!?」
ヴィレスを出てからは名を名乗った事はなかった。
この男は“何か”を知っている。
「そう怖がらなくてもいい。仕事をしないか?」
黒の帽子を深く被った男の顔は見えない。
リリヴィスは様々な可能性を頭の中で思い描くが、男の素性に思い当たる節はなかった。
「私の何を知っているの!?」
男は帽子に手を掛けたまま微動だにせず、真紫月を背に黒い影を落としている。
「大体の事は知っているよ。お前がヴィレスから来た事も、篝火の力を持っている事も、盗賊達を亡き者にしている事も」
「……っ!!」
「お前に悪いようにはしない」
リリヴィスは考える。
この男が信じられる訳がない。
今ここで断れば、自分の素性を言い触らされるかもしれない。
もし外に漏れたら、殺人犯として追われる身となってしまう。
ならば、この男を今消せばいい。
瞬間的に力を入れて炎を操る。
この夜の私ならば、負ける事なんてあり得ない。
空中に飛んで槍を投げ大爆発を発生させた。
まだ見える影に向かって全力で突っ込む。
「っ……!!!?」
リリヴィスは後ろから男に抱きしめられていた。
この攻撃を避けて…更に裏に回りこんだとでも言うのか…。
「すまない。警戒させてしまった。もし私と一緒に来てくれるならば、お前の欲する血を安全に与えよう。なんなら、私の血を今啜っても良い」
リリヴィスは動く事が出来ない。
「お前は強いが、とても弱い。私は弱いものの味方だ。私の組織がお前の全てを受け入れる家となろう。その力を私の為に使ってはくれないか」
そして、夜の鍵が私の家となった。
顔も分からない団長からの命を受けては任務を遂行する日々。
団長は私に暗殺の仕事を優先して与え、殺した人間は好きにして良いと言ってくれた。
優しくされる事にはやはり慣れない。
生きるために、ただ日々を過ごしている感覚だった。
ある日、言い渡された任務はとある行商人が運んでいる地図の回収だった。
簡単に終わる筈だった。
街道を走る荷馬車に乗った行商人を見つけ、普段通り後を追い、どこかに停泊するのを待った。
しかし荷馬車は休む事を知らずに、そのまま氷塞都市コルキドの門をくぐってしまう。
このままでは任務の遂行ができなくなってしまうと焦るリリヴィスは強行手段を取る。
街中の建物を狙って槍を投げつけ、地面から噴き出る炎に街の人達は大混乱を起こした。
その最中に荷馬車へと走り、目的の物を奪おうとする。
しかし、荷馬車の中には大量の藁しか積まれておらず、リリヴィスは愕然とする。
荷馬車の周りを兵士が取り囲むと、武器を構えた。
「出てこい!この辺りを荒らしている賊めが!」
罠にはめられた…。
そう確信したリリヴィスは、この状況を乗り越える策を考える。
次の瞬間に、荷馬車の天井をぶち抜いて羽を広げ、空路で逃げる事に成功する。
兵士達は必死に追ってくるが、リリヴィスに追いつくことはできず諦める他なかった。
命からがら逃げ帰ったリリヴィスは団長に合わせる顔がない。
だが、この組織から逃げる事もできない。
あの団長であれば、優しく許しを貰えるかもしれない。
淡い期待を持ちつつも、団長の元に跪いた。
「団長…申し訳ございません。任務は失敗に終わりました…。」
事の顛末を説明し終わると、団長は深くため息をついた。
次の瞬間、リリヴィスは耳を疑う。
「何をやっている!!!!」
団長が声を張り上げた事など、それまで一度もなかった。
「申し訳ございません!すぐに失敗を取り返しますので、もう一度だけチャンスを…」
団長は言葉を遮る。
「誰がそんな事を言っているのだ?そんな怪しい荷馬車の動きを察知した上で、何故撤退をしなかった?」
「……撤退をすれば、目的のものが……」
「何故自分の身を案じない?少し勘違いをしているようだな」
「………?」
リリヴィスには団長が何を考えているのかまったく分からない。
「私にはお前の力が必要だと言った筈だ。それは今も、これからも変わらない。私はお前を失ってでも欲する物などない」
涙が流れる。
初めて怒る団長の言葉が胸に突き刺さった。
父や母がしてくれなかった…自分の事を真剣に心配してくれる人が目の前にいる。
その事が嬉しくて仕方がなかった。
「次からは、気をつけろ。それと、危険な任務を与えてしまったようだ。すまなかった」
団長の力になりたい。
心からそう思えたリリヴィスは頭を下げたまま、大粒の涙を流し続ける。
「とんでもございません…………」
「くれぐれも、無茶をするな。いいな?」
団長の目標の為に…できることならなんでもする。
そう心に強く誓った。
「御心のままに……」
――――
――
―
メアリは思い出に更けているリリヴィスを横目に、歩き続ける。
何を考えているのかはメアリには分からなかったが、リリヴィスは何かを再確認するようにウンウンと頷いた。
「私に力をくれたのは別の人。団長は私を認めてくれた人なの」
メアリは少し不思議そうな顔をしている。
「認める?」
「そう。あの人は私の全てを知った上で受け入れてくれた。生きる意味を与えてくれたあの人には本当に感謝しているわ」
メアリにまた疑問が沸く。
「あなたは団長とどんな関係なの?恋仲なの?」
リリヴィスは急に話しかけてきたメアリにドキリとした表情を返す。
「違うわよ!そうねぇ〜言うならば、私の片想いかしら。なぜそんな事を聞くの?」
メアリは落ち着いたトーンのままだったが、少しだけ笑ったように見えた。
「私は私を助けてくれた団長に心を寄せているわ。だからこうしているのだし。私は団長の妻になりたいの」
いきなりのカミングアウトにリリヴィスは笑うしかなかった。
まだ毛も生え揃ってないような小娘が妻に?
冗談がきつい。
「あはは…あなたみたいなお子様が?10年早いんじゃない?」
冗談交じりに茶化してみるが、メアリは真剣な表情のまま話し続ける。
「あなたになんと言われようと構わないわ。私に先を越されないようにすることね」
リリヴィスは生意気なメアリをどうしてやろうかと想像を膨らませていたが、目の前に見える景色に落ち着きを取り戻す。
「この話はあとでゆっくりしましょう。目的を忘れないで。ほら、イエルの街が見えてきたわ」
山道を歩いている盗賊の親分は、後ろを振り向いて新入りに向かい大きな声を上げていた。
「おやっさん…少し待って下さいよ…この箱重たすぎて…」
汗だくになった新入りは、何も運んでいない親分の背中を見つめながら、両手に抱えた盗んだ金品の入った箱を地面へと降ろした。
「まったく…最近の若造は根性がねぇな!ダラダラしてると日が暮れちまう!“夜の鍵”が出たらどうすんだ!?」
「ははは…おやっさん…流石に俺でも、そんな子ども騙しは通じないっすよ」
この大陸に住むものならば一度はその名を耳にした事がある。
どこから出た噂なのか、実際に見た者もいない都市伝説のような組織。
“夜の鍵”
世の中で起こる、説明することができない事件。
神隠し、密室の殺人、謎の突然死。
これらが起こると、必ずその名が噂として囁かれていた。
「バカ野郎…本当にいるんだよ…あいつらは…!仲間が何人もいなくなってる…!次はお前かもしれねぇぞ!」
突然、生ぬるい風が山道を吹き抜ける。
直後、どこからとも無く、怪しい女性の声が聞こえてくる。
(もしくは、あなたかもしれないわねぇ〜?)
「だ、誰だ!?」
新入りはとっさに辺りを見渡す。
後ろを振り返るも、歩いてきた山道が続いているだけで、特に変わった事はなかった。
「なんだよ……気持ち悪ぃな……すんませんおやっさん、早く…」
前に向き直ると、さっきまでそこにいた親分の姿がない。
「あれ…おやっさん…どこ?ちょっと…おやっさん!?」
いつの間にか生ぬるい風は止んでおり、一人残された新入りは盗んだ箱を捨てて逃げ出した。
急いでアジトに戻った新入りは、自分の身に起こった事を兄貴分に報告しようとドアを開ける。
「みんな大変だ!!おやっさんが……」
アジトの中には、火が掛けられた鍋がコトコトと湯気を出している。
しかし、人の姿はどこにもない。
新入りは目の前に飛び込んできた光景に戦慄する。
「よ…夜の鍵…本当に…あぁああああ!!!」
アジトから飛び出した新入りは全力疾走で駆け抜ける。
どこに向かっているかなんて分からない。
しかし、今はこの場から逃げなければ、自分も殺される。
何の証拠も根拠もないが、それだけは間違いない。
突然、新入りは足を止めた。
目の前が何も見えない。
自分の身に何が起きているのかは分からない。
しかし、確実にやばい事だけは確信できた。
「うわああああああああ!!!!!」
「リリヴィス。アジトへの案内が終わったのならさっさと消せばいいのに、何故逃がすの?」
銀髪の少女は、発生させた闇の中に冷徹な目を向けたまま話しかけている。
リリヴィスは少女に笑いかけると、頬に手をあてて口を開く。
「だってぇ…怖がってる子ってかわいいじゃない?そ・れ・に、メアリちゃんの手柄も少しは残してあげようと思ってね」
メアリと呼ばれる少女は表情を変えずに、手に持った弓をゆっくりと下ろして続ける。
「同意し兼ねるわ。早く目的のモノを回収しましょう」
「もう…連れない子ねぇ…でも仕事にストイックなのは評価してあげるわ」
2人は盗賊のアジトに入り物色する。
地下室の片隅に鍵の掛かった箱を発見してこじ開ける。
「この魔石ね。さぁ戻りましょう」
メアリはただの石ころに見える黒い塊を手に取ると、リリヴィスに渡した。
アジトを出ると、2人は闇の中へ消えていく。
――黒の森
誰も立ち入らない筈の、闇に包まれた森の中を歩くリリヴィスとメアリ。
ふと心地の良い闇の気配を感じると、すぐさまその場にひれ伏した。
「ご苦労だったな。リリヴィス、メアリ。目的の物は?」
暗闇から聞こえてくる声に一切顔を向けず、地を見続ける。
リリヴィスは頭を下げたまま両手を前に出し、奪ってきた魔石を差し出した。
「こちらです。団長」
黒いコートの裾がリリヴィスの目に入る。
手に乗っていた魔石の重みが無くなるのを感じた。
「2人共よくやってくれた」
リリヴィスは手を下ろす。
「勿体無いお言葉。全ては御心のままに」
メアリがその後に続く。
「御心のままに」
暗黒組織「夜の鍵」はここに存在していた。
しかし、組織の規模や目的はリリヴィスやメアリさえ知る事はない。
団長から下る命を実行する。
それが、団長が団員に求める全てだった。
「次の指令は少し長期間になるかもしれない。良く聞くのだ」
――イエルへの街道
リリヴィスとメアリは団長の命に従い、商業都市イエルへと足を運んでいた。
帝国を潰すための準備。
確かに帝国は王国を攻め落とす程の力を蓄えた。
それが何故、夜の鍵の敵となるのかはリリヴィス達にはわからない。
街道を南に進みながら、頭の片隅でそんな事を考えているリリヴィスとメアリの目が合う。
考えても仕方のない事だと頭を振ってから、リリヴィスは口を開く。
「そういえば、メアリはどんな経緯でこの組織に入ったの?」
組織に長く属しているリリヴィスだが、メアリの事は殆ど何も知らない。
魔石調達の任務で初めて顔を合わせた少女は何者なのか、気にならないと言えば嘘になる。
その第一印象は、あどけない少女のようだが、とても生者とは思えない青白い顔と、闇を司る力を振るう姿から、到底普通の人間には見えない。
ほとんど変わらない冷徹な表情を見る限り、心の深い闇を感じ取る事ができた。
「死ぬ筈だった私を団長は救ってくれた。私に自由をくれた。だから、あの人が求める物ならなんでも差し出すわ。たとえそれが、私の命であっても」
眉一つ動かさずに淡々と話すメアリから出たのは、12、3歳の少女から出てくる言葉ではなかった。
「それは頼もしいわね。あの方に尽くせる想いがあるなら、私とも仲良くできそうだわ。でも…あの方がそれを望むとは思えないけど……。」
「そう…。あなたは何故組織に?」
「そうね…あなたと同じようなものかしら。あの方は私を人として扱ってくれただけじゃなくて、私に自由を与えてくれた、2人目の人だったから」
「2人目?もう一人は?」
少し遠くの空を見つめるリリヴィス。
随分前のような、ついさっきまで隣にいたような、その人物に想いを馳せる。
「もう、彼はこの世にはいないわ」
そう、レンは私が殺した…。
―
――
――――
獣境の村ヴィレス。
コウモリのガルムの母の元に生まれた私は、幼い頃からレンと一緒に遊んでいた。
レンはヴィレスの篝火と言われる狐の家系の次男。
篝火としての修行を抜けだしては、私の手を引いて森の中の秘密基地に走っていく。
いつもの光景だった。
「リリヴィス!こっちこっち!!」
いつになく楽しそうにしているレンを不思議に思っていると、大樹が堂々と根を貼る広場へと到着した。
レンの指差す方を見ると、大樹の枝に実った黄色の実がゆらゆらと風に揺れていた。
スルスルと木によじ登ると、一つ、二つと実をもいでは器用に枝の隙間を抜けていく。
「ほら!これ食べて!すごい美味しいから!」
満面の笑みを浮かべながら、両手いっぱいに抱えた果物を一つリリヴィスに渡すレン。
私はレンとこうしている時間がとても好きだった。
「あのさレン、篝火の修行はそんなにさぼっても大丈夫なの?」
レンは甘い果実を頬張りながら笑顔で話す。
「僕よりも姉ちゃんの方が優秀だし、僕は期待すらされてないから大丈夫大丈夫!」
木の枝に座って足をぶらぶらとさせながら、ニコっと笑いかけてくる。
そんなレンの笑顔を見ていると、私まで笑顔になってしまう。
「あのさ、今度さ、夜に抜け出して湖までいってみない?綺麗なホタルが沢山いるんだって!見てみたくない!?」
そう……私がこの時に断れば、あんな事にはならなかった。
レンの好奇心を否定したくなくて、もっとレンと一緒にいたいっていう気持ちを優先した。
その日は『真紫月(しんしづき)』が空に浮かぶ幻想的な夜だった。
予め部屋の中に用意していた靴を窓の前で履くと、できるだけ音を立てないように外に出る。
約束した村の外れの大岩の下に僅かな明かりが見える。
レンはその手に炎を灯して私を待っていた。
「ごめんね、待たせた?」
レンはニコっと笑ってから私の手を引き、森の中を慎重に進んでいく。
左手で私の手を取り、右手の手の平を上に向けて炎を出して道を照らした。
目的の湖まで辿り着いた私達は、目の前の光景に目を疑った。
紫の月が照らす湖上の水面には、蛍光緑の光が絨毯のように敷き詰められている。
「すごい!すごいよ!レン!こんなの初めて見た!」
「そうだね……来て……良かった…」
想像していたレンの反応とは違う事に気が付いて顔を向けると、レンは真っ青な顔をしているように見える。
「どうしたの?レン…?具合が悪いの?」
声を掛けると、その場に倒れこんでしまうレン。
「どうしたの!?ねぇレン!レン!」
レンの身体を観察すると、足に無数の擦り傷がある。
その傷口は真紫になっていて、足全体が異常な色となっている。
「これってどういう事!?もしかして…毒草で足を切ったの!?」
聞いた事があった。
真紫月の夜に、普段はなんて事のない綺麗な草花が毒草になるという話。
毒をどうにかしなくてはいけないが、解毒剤をどうやって作るかなんて想像もできない。
「そうだ…傷口から…毒を吸い出せば…」
顔を傷口に近づけた瞬間に、頭をレンに抑えられる。
「だめだよ…リリヴィス……君は、人の血は…いけないって…」
たしかに、リリヴィスは小さい頃から親に口酸っぱく言われていた。
『決して自分以外の人の血を口に含んではいけない』
理由なんて聞いた事はなかった。
今までそんなシチュエーションに出会った事もなかった。
だが、今は行動しなければレンが死んでしまう。
現に、こうしている間にも紫色になっていく肌の面積は増え続けている。
「それでも、私はレンを助けたいから!黙ってて!!」
言葉が届いたかどうか分からないタイミングで、レンは意識を失い倒れこんだ。
レンを助けたい一心で、彼の足の傷口に口を当てて思いっきり吸い込む。
口の中には色んな味が混ざりあう。
地面に吐き捨てると、真っ赤な血が飛び散った。
無我夢中で吸い続けると、レンの足は元の色に戻っていく。
しかし、レンは意識を取り戻さない。
「お願い!!レン!!起きてよ!!!」
身体を擦っていると、レンはゆっくりと目を開けた。
「あれ……リリヴィス……?」
「レン!!大丈夫!?レン…レンーー……!!!」
レンに抱きつくと、彼の胸の中で泣けるだけ泣いた。
私の頭を撫でてくれるレンは、急にその手を止めて起き上がる。
「リリヴィス…その口……」
「えっ…?」
手で口を拭うと、レンの血が大量についている。
「その…レンが死んじゃうくらいならって…!ほら!私は平気だから!」
両手を広げてレンにアピールする。
レンは複雑そうな表情をして私の顔を見る。
「本当に大丈夫だから!でも…パパとママには内緒ね!」
私は嘘をついた。
口の中に広がる血の味は、脳を直接刺激するような感覚が続いている。
こんな高揚感は味わった事がない。
少し休んでいると歩けるようにまで回復したレンに肩を貸して、村までゆっくりと戻った。
しかしその日から、あの味が忘れられない。
いくら水を飲んでも、どれだけ食べても、身体があの味を欲し続ける。
どうにかしたいという思いから、母に今までしなかった質問をしてみる事にした。
「ママ、私達は人の血を口に含んではいけないんだよね?」
「えぇ、そうよ。どうしたの急に?」
私は必死に笑顔を作り続ける。
「それってなんでなのかなって気になってさ〜」
母は真剣な表情になり、私の肩に手をかける。
「そうねぇ。もうそういう年頃ね。なんでなのかっていうのは、掟でそうなってるから…としかママも知しらないわ」
腕を組んで片手を顎につけ、考えるような素振りを見せる。
「血を口にしたコウモリの一族はね、不幸になってしまうっていう言い伝えがあるのよ。本当はどうなのかなんて誰にも分からない。リリヴィスが不幸になりたくないなら、掟を守っていたほうがいいわ。その方がママも安心だしね」
まだ幼い私はその母の言葉で血の気が引くのを感じた。
不幸になる…その言葉に恐怖を感じる。
私はずっと我慢をしていた。
誰にもバレないように。
しかし、喉の渇きは日に日に大きくなり、精神がおかしくなりそうになる。
身悶え苦しむ中、レンが訪ねてきた。
「リリヴィス…大丈夫?君のママに具合が悪いから寝てるって聞いてきたんだけど…」
私は、レンに顔を合わせられなかった。
顔を見たら、きっとあの味を思い出してしまうと考える。
でも、頭の中でそれを考えれば考える程、喉の渇きは強くなる。
明らかに異常な私の状態を見てママも心配していた。
このままでは血を口にした事がバレてしまうと、意を決する。
レンと目が合うのは、真紫月の夜以来だった。
「レン……お願いがあるの……。少しだけでいいから…あなたの…血をくれない?」
驚くかと思っていたけど、レンは少しだけ笑ってから首筋をリリヴィスに晒す。
「そっか。ごめんね。きっと僕のせいなんだ。あの日の事は誰にも言ってないよ。ここからがいいかな?」
レンの反応に心がキュッとなるのを感じる。
きっと、レンは自分を責めている。
今考えれば、その罪悪感に…私はつけ込んでいただけなのかもしれない。
「ごめんね…」
私は彼の首筋に刃を立てた。
少しだけビクっとしたレンだったが、その後は私の背中を擦りながら抱きしめてくれた。
口の中に広がるレンの血の味は、この世の全てがどうでも良くなるほどの幸福感を覚えさせてくれる。
レンがフラっとした瞬間我に返り、慌ててその口を首筋から離した。
「大丈夫?ごめんね…」
レンは笑顔を見せる。
「ううん。大丈夫だよ。僕の方こそ、ごめんね…」
それからは一週間に一度の頻度で、レンに血を分けて貰う生活が始まった。
レンは…どんな気持ちだったんだろう…。
今となってはそれを確かめる術もない…。
普通の生活を送るにはレンの血が必要。
それならば、このままレンとずっと一緒にいればいい。
レンさえ良ければ、レンと一生を添い遂げたい。
幼いとはいえ、なんて呑気で自己中心的な考えをしていたのだろう。
そんな夢のような未来を想像しなければ…
数ヶ月後の“真紫月の夜”に起こる事も、もしかしたら変わっていたのかもしれない…。
その日は唐突にやってきた。
夕焼けと共に家に帰った私は、両親と食卓を囲んでいた。
「今日は真紫月の夜か。1年っていうのはなんでこんなに早いのかな〜。ん?リリヴィスどうした?」
父が話している内容がまったく頭に入ってこない程の急激な飢えを覚えていた。
喉が焼けるように熱く、血を欲している。
3日前にレンに血を分けて貰ったばかりだというのに、こんな渇きがくるはずがない。
「ちょっと具合が悪いから、部屋に戻るね…」
テーブルの上に並んだ食事にほとんど手を付ける事もなくその場を後にして、部屋に閉じこもる。
夜が更けるに連れて、渇きは一層大きくなっていく。
我慢する事なんてとても出来そうにない。
私は窓を抜けて、レンの元に向かう。
レンの家に着くと、レンの部屋がある2階に石を投げる。
思ったより大きな音がして、ドキドキとしていたが、頭はこの渇きをどうにかしたいという気持ちで埋め尽くされていた。
窓に影が映り、カーテンが開くとレンの顔が見えた。
私の事を見つけたレンは、驚いた表情をして、窓から縄を垂らして降りてくる。
「リリヴィス…どうしたの?すごい汗だけど…」
「喉が乾いて仕方ないの…お願い…レン…助けて……」
レンは私の手を引いて、いつも血を吸わせて貰っている空き家に入り、首筋を差し出した。
「どうぞ」
いつも通りの笑顔を見せるレンの首元に私は飛びついた。
血の味が口いっぱいに広がる。
しかし、何かおかしい。
普段は少し味わえばすぐに喉の渇きは癒やされるのに、この日は口を離す事が出来ない。
もっと欲しい…もっと欲しい…もっと欲しい…。
どれくらいの時間そうしていたかは分からない。
私は自分をコントロールできる状態ではなかった。
レンの力がどんどんと抜けていくのを感じる。
その事にハッと、気が付いて無理矢理身体を離した。
「レン…ごめん…大丈夫…?」
顔を見る事ができず、下を向いたままレンに語りかける。
「リリヴィス…今日はどうしたの?まだ喉が乾いているなら、好きなだけ吸っていいんだよ?」
レンの表情は分からないが、その優しい口調からきっとまだ笑っているのだろう。
「ダメ…これ以上は…!!レンが死んじゃうから!!!」
私は床に向かって叫んでいた。
窓の外から紫の光が差し込む。
後頭部に、レンの手の感触がある。
そのままレンは自分の首元に私の口を押さえつけた。
「いいんだ…リリヴィス。君に助けて貰わなかったら、きっと僕はあの場所で死んでいた。君のしたいようにしてくれればいい。ごめんね。こんな事しかできなくて…」
私は泣きながらも、口元から漂ってくる血の匂いに理性が効かない。
月から放たれる強い紫の光が熱い。
身体中が熱くなっていく。
比例するように、レンの身体は冷たくなっていった。
それでも止める事ができない自分を、私は強く恨んだ。
私の腕の中で――――
――――
――
―
少し遠くの空を見つめるリリヴィス。
「もう、彼はこの世にはいないわ」
メアリは事情を深く聞く事はせず、前を向いて口を開く。
「親しい人の死は辛いわね」
「子どもなのに気の利いた事を言えるのね〜?」
未だにレンの事を思い出すと、心の奥に黒い影ができるような感覚に見舞われる。
それでも、今は団長の為に前を向きたい。
そんな事は悟られないように平然を装う。
私も随分、大人になってしまったのかもしれない。
メアリはほんの少し間を置いてから、ポツリと口を零す。
「本心よ。私も両親を亡くしてるから、少し分かるだけ」
「あら、悪かったわね」
「いいのよ。気にしてないわ」
12、3歳の少女から出る言葉とはやはり思えない。
私がこの子くらいの歳の時には、レンの事はまだまだ引きずっていた。
メアリは続ける。
「あの人達が死んだお陰で、団長から力を頂けたようなものだし」
「団長に力を頂いた!?あの方に…直接!?」
メアリは団長に特別なモノを貰っている。
その事実は受け入れ難い。
「そうよ」
目の前の少女が妬ましい。
あの団長に力を与えられているなんて、そんな事があって良い訳がない。
「あなたもその炎の力を頂いたのではないの?」
リリヴィスの気持ちを知ってか知らずか、少女は素朴な疑問を投げる。
取り乱したリリヴィスは、その言葉で平静を取り戻した。
炎の力…今の私の力は…
少し間を置いた。
「…私に力をくれたのは、団長じゃないわ」
この力は…レンのものだから…。
―
――
――――
紫の光が差し込む窓辺で、動かない少年に縋り付く少女。
私はレンの冷たい身体に身体を寄せて泣きじゃくっていた。
悲しみと憎しみが爆発して、自分なんかいなければ良かったと思いながら、泣き喚いていた。
身体に燃えるような熱を感じる。
次の瞬間、辺りが急に明るくなった気がした。
驚いて顔をあげると、小さな部屋が燃えている。
床から天井まで炎が上がり、黒い煙が辺りを包む。
レンの姿はもう見えず、ただ赤々とした炎だけが渦巻いていた。
目を覚ますと、見慣れた天井が私を出迎えた。
顔を横に向けると母が心配そうな顔でこちらを見ている。
「リリヴィス!大丈夫!?良かった…良かった…!!」
母は泣いていた。
全部夢だったのかと頭の隅で考えていた…。
「ママ……レンは…?」
答えは帰ってこなかった。
数日後のレンの葬儀に出席する事も許されなかった私は父から、あの夜に何があったかを問い詰められた。
私は、今まで起きた事を全て父に話す。
自分の手から炎を出して証拠を見せる。
あの日から、力を込めると炎を操れるようになっていた。
この力は…きっとレンの、篝火の力。
これを見ればきっと父も信じてくれるだろう。
きっと怒られる…そう思っていた…いや、怒られる事を願っていた。
しかし、父は私の頭を撫でる。
「可哀想なリリヴィス…。辛かったね…。この事は誰にも言わないでおくれ」
私には意味が分からなかった。
そんな父の言葉は聞きたくなかった。
このまま何も咎められる事なく、生活ができるのだろうか?
そんな生活を、私は求めていなかった。
今考えれば、父は自分の身と私の身が無事ならばどうでも良かったのだろう。
殺人犯の私と、その父に科せられる処罰は重たい。
良くて強制労働、悪ければ極刑だろう。
その相手が篝火の一族であれば尚更だ。
そして、また渇きがやってくる。
あれだけレンの血を飲み干したというのに、数週間も経たないうちに血を求める。
その辺りに生息している魔物を狩ってその血を飲んでみるが、渇きが満たされる事はなかった。
「血を口にしたコウモリの一族はね、不幸になってしまうっていう言い伝えがあるのよ」
母の言葉が頭をよぎる。
きっと私はもう不幸の中にいるのだろう。
虚無感に襲われ、どんなに泣こうとも喉の渇きを抑える事はできない。
私は村を出る事にした。
この村で血を分けてなんて事は言えない。
口に出して、協力者が現れたとしても、また同じ事を繰り返してしまうと思った。
誰にも何も言わずに、私はヴィレスを後にした。
外の生活に困る事はなかった。
商業都市イエルまで足を運んだのは、多種多様な人種が入り乱れるこの街ならば羽の生えた私の姿が悪目立ちする事もなく、ヴィレスの人間にまで噂が流れる危険性がなかったからだ。
傭兵の仕事につき、盗賊の討伐など、人をターゲットとした依頼を受けては血を啜った。
そしてまた、真紫月がやってくる。
私は傭兵の集まる酒場で人間をターゲットとした仕事を待っていた。
しかし、その日に限って魔物の討伐依頼ばかりが入ってくる。
傭兵仲間が一人、また一人と魔物の討伐へ向かい、残された傭兵は数える程度だった。
そこに、妖精が持ち込んできたのがコレーズ村付近に現れた巨人と言われる魔物の討伐依頼。
「そんな魔物……2,3人でどうにかできるのか…?」
聞こえてくる声は、重々しい雰囲気だ。
酒場にいた傭兵仲間は皆武器を取り、出陣の準備を整える。
一人の男が私に話しかけてきた。
「あんた、いつも一人で仕事をしているよな?先月の盗賊団の討伐は度肝を抜かれたよ!まさか一人でやりきってくるとは皆思ってもなかった。腕は立つんだろう?頼む、一緒に来てくれないか?」
巨人と言われるくらいだったら…もしかしたら喉の渇きを凌げるかもしれない。
そう考えた私は縦に首を振った。
イエルを出てコレーズ村に辿り着く頃には、夕焼けが一行の影を長く伸ばしていた。
どんどん強くなっていく渇きを耐えながら、早く目的の巨人を見つけようと必死になっていると、傭兵の一人が巨大な足跡を見つけた。
まだ新しい足跡に、期待を込めて足早に追いかけると、遠くに大きな身体が見えてきた。
「なんてデカさだ…!よし、作戦を立てるから…」
男の言葉など聞いている余裕はなかった。
きっと傭兵達には、愚直な行動に見えていただろう。
それでも私は、これ以上耐える事ができる状態ではない。
羽を広げて背後から飛び込むと、一瞬で巨人の正面へ回り込み挑発をする。
巨人はそのまま私を敵とみなして全力で襲いかかってきた。
槍を構えて、敵の行動を注視する。
巨人が頭上に振り上げた腕を地面に振り下ろし、叩き潰そうとしてくるのを後ろに交わし、灼熱の炎を巨人に見舞う。
たいしたダメージはないのだろうか…そのまま一直線に向かってくる巨人に一瞬の隙を作ってしまった。
そのまま突進を受けて吹き飛ばされる。
傭兵達はやっと追いついたようで、弓や大剣で後ろからリリヴィスを援護する。
リリヴィスは岩に叩きつけられてゲホっと血を吐く。
傭兵達の援護攻撃を物ともせず、リリヴィスに向かって一直線に近付いてくる巨人に、恐怖を覚えた。
その時、リリヴィスの眼に紫の光が指す。
気が付くと、巨人は倒れており、その頭にはリリヴィスの槍が突き刺さっていた。
目の前の光景に疑問を持つ前に、巨人の首元に噛み付いてみる。
しかし、いくら吸い付いても求める結果は返ってこない。
「あんた…大丈夫か…?どうしたんだ…?何を…している…」
男の声に反応したリリヴィスは、ゆっくりと顔をあげる。
周りを見渡すと、大きな岩がゴロゴロとしている岩場が見える。
自分達以外に人の影があるわけがないだろう。
リリヴィスは男に向き直って、一言だけ口にした。
「ごめんなさい。私、もう我慢できそうにないわ」
5人の傭兵達に武器を取る時間は与えなかった。
後方に回りこむと槍で突き刺し、その喉元を貪る。
身体が満たされていくのを感じて、高揚感を覚える。
紫色に満たされた岩場に、リリヴィスが血を食らう物音だけが響いていた。
その時背後に人の気配を感じたリリヴィスは、臨戦態勢を取る。
確かに感じた気配は細心の注意を払っても、再び感じる事ができない。
しかし、何か嫌な空気が流れているのを風が告げていた。
「素晴らしい力を持っているね」
真後ろから聞こえた男の声に、リリヴィスは身動きが取れない。
これだけ気を張っていたというのに、背後…それも1メートルもない所にその男は立っていた。
振り向く事を許されない状態に、リリヴィスは前を向いたまま口を開く。
「誰…?私に用……?」
男は笑う。
「私はお前の力を求めてやってきた者だ」
「私の力?」
「そう、炎の力を得たコウモリの一族…リリヴィス。お前の力だ」
リリヴィスは前方に飛び出して振り返り、低い姿勢で男に槍を向ける。
「どうしてその名を!!?」
ヴィレスを出てからは名を名乗った事はなかった。
この男は“何か”を知っている。
「そう怖がらなくてもいい。仕事をしないか?」
黒の帽子を深く被った男の顔は見えない。
リリヴィスは様々な可能性を頭の中で思い描くが、男の素性に思い当たる節はなかった。
「私の何を知っているの!?」
男は帽子に手を掛けたまま微動だにせず、真紫月を背に黒い影を落としている。
「大体の事は知っているよ。お前がヴィレスから来た事も、篝火の力を持っている事も、盗賊達を亡き者にしている事も」
「……っ!!」
「お前に悪いようにはしない」
リリヴィスは考える。
この男が信じられる訳がない。
今ここで断れば、自分の素性を言い触らされるかもしれない。
もし外に漏れたら、殺人犯として追われる身となってしまう。
ならば、この男を今消せばいい。
瞬間的に力を入れて炎を操る。
この夜の私ならば、負ける事なんてあり得ない。
空中に飛んで槍を投げ大爆発を発生させた。
まだ見える影に向かって全力で突っ込む。
「っ……!!!?」
リリヴィスは後ろから男に抱きしめられていた。
この攻撃を避けて…更に裏に回りこんだとでも言うのか…。
「すまない。警戒させてしまった。もし私と一緒に来てくれるならば、お前の欲する血を安全に与えよう。なんなら、私の血を今啜っても良い」
リリヴィスは動く事が出来ない。
「お前は強いが、とても弱い。私は弱いものの味方だ。私の組織がお前の全てを受け入れる家となろう。その力を私の為に使ってはくれないか」
そして、夜の鍵が私の家となった。
顔も分からない団長からの命を受けては任務を遂行する日々。
団長は私に暗殺の仕事を優先して与え、殺した人間は好きにして良いと言ってくれた。
優しくされる事にはやはり慣れない。
生きるために、ただ日々を過ごしている感覚だった。
ある日、言い渡された任務はとある行商人が運んでいる地図の回収だった。
簡単に終わる筈だった。
街道を走る荷馬車に乗った行商人を見つけ、普段通り後を追い、どこかに停泊するのを待った。
しかし荷馬車は休む事を知らずに、そのまま氷塞都市コルキドの門をくぐってしまう。
このままでは任務の遂行ができなくなってしまうと焦るリリヴィスは強行手段を取る。
街中の建物を狙って槍を投げつけ、地面から噴き出る炎に街の人達は大混乱を起こした。
その最中に荷馬車へと走り、目的の物を奪おうとする。
しかし、荷馬車の中には大量の藁しか積まれておらず、リリヴィスは愕然とする。
荷馬車の周りを兵士が取り囲むと、武器を構えた。
「出てこい!この辺りを荒らしている賊めが!」
罠にはめられた…。
そう確信したリリヴィスは、この状況を乗り越える策を考える。
次の瞬間に、荷馬車の天井をぶち抜いて羽を広げ、空路で逃げる事に成功する。
兵士達は必死に追ってくるが、リリヴィスに追いつくことはできず諦める他なかった。
命からがら逃げ帰ったリリヴィスは団長に合わせる顔がない。
だが、この組織から逃げる事もできない。
あの団長であれば、優しく許しを貰えるかもしれない。
淡い期待を持ちつつも、団長の元に跪いた。
「団長…申し訳ございません。任務は失敗に終わりました…。」
事の顛末を説明し終わると、団長は深くため息をついた。
次の瞬間、リリヴィスは耳を疑う。
「何をやっている!!!!」
団長が声を張り上げた事など、それまで一度もなかった。
「申し訳ございません!すぐに失敗を取り返しますので、もう一度だけチャンスを…」
団長は言葉を遮る。
「誰がそんな事を言っているのだ?そんな怪しい荷馬車の動きを察知した上で、何故撤退をしなかった?」
「……撤退をすれば、目的のものが……」
「何故自分の身を案じない?少し勘違いをしているようだな」
「………?」
リリヴィスには団長が何を考えているのかまったく分からない。
「私にはお前の力が必要だと言った筈だ。それは今も、これからも変わらない。私はお前を失ってでも欲する物などない」
涙が流れる。
初めて怒る団長の言葉が胸に突き刺さった。
父や母がしてくれなかった…自分の事を真剣に心配してくれる人が目の前にいる。
その事が嬉しくて仕方がなかった。
「次からは、気をつけろ。それと、危険な任務を与えてしまったようだ。すまなかった」
団長の力になりたい。
心からそう思えたリリヴィスは頭を下げたまま、大粒の涙を流し続ける。
「とんでもございません…………」
「くれぐれも、無茶をするな。いいな?」
団長の目標の為に…できることならなんでもする。
そう心に強く誓った。
「御心のままに……」
――――
――
―
メアリは思い出に更けているリリヴィスを横目に、歩き続ける。
何を考えているのかはメアリには分からなかったが、リリヴィスは何かを再確認するようにウンウンと頷いた。
「私に力をくれたのは別の人。団長は私を認めてくれた人なの」
メアリは少し不思議そうな顔をしている。
「認める?」
「そう。あの人は私の全てを知った上で受け入れてくれた。生きる意味を与えてくれたあの人には本当に感謝しているわ」
メアリにまた疑問が沸く。
「あなたは団長とどんな関係なの?恋仲なの?」
リリヴィスは急に話しかけてきたメアリにドキリとした表情を返す。
「違うわよ!そうねぇ〜言うならば、私の片想いかしら。なぜそんな事を聞くの?」
メアリは落ち着いたトーンのままだったが、少しだけ笑ったように見えた。
「私は私を助けてくれた団長に心を寄せているわ。だからこうしているのだし。私は団長の妻になりたいの」
いきなりのカミングアウトにリリヴィスは笑うしかなかった。
まだ毛も生え揃ってないような小娘が妻に?
冗談がきつい。
「あはは…あなたみたいなお子様が?10年早いんじゃない?」
冗談交じりに茶化してみるが、メアリは真剣な表情のまま話し続ける。
「あなたになんと言われようと構わないわ。私に先を越されないようにすることね」
リリヴィスは生意気なメアリをどうしてやろうかと想像を膨らませていたが、目の前に見える景色に落ち着きを取り戻す。
「この話はあとでゆっくりしましょう。目的を忘れないで。ほら、イエルの街が見えてきたわ」
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