蒼空のリベラシオン(ソクリベ)【iOS/Android対応のスマートフォン向け協力アクションRPG】の非公式攻略wikiです。有志によって運営されているファンサイトで、ソクリベに関する情報を収集しています。

「い、行きますぞ!お嬢様!!」

「あはは!爺やってば、そればっかり!!」

 流水の都『ラグーエル』を一望するラークリウス家の屋敷。
 その庭先に見える二つの人影。

「もう……ずっと爺やが鬼のままじゃない!」

 一つは、ラークリウス家の長女オリヴィア。
 まだ十三歳の少女ではあるが、さりげない仕草や振舞いの端々には、優雅さや、高貴さといった、淑女が身に纏う要素を既に持ち合わせている。

「まだまだ……ですぞ……はぁ……はぁ……!!」

 もう一つは、この屋敷に四十年近くに渡り仕え続ける、現在の執事長ノーマン。
 オリヴィアが生まれた時から彼女を見守り続け、傍で身の回りの世話を務めてきた。

 これは日課。
 昼下がりに訪れるノーマンの休憩時間。
 それは彼にとって、休憩室で過ごす安らぎのひと時ではなく、遊び相手を欲しがるオリヴィアに尽くすための時間。
 彼女が物心ついて以来、ずっと続けてきた日課。
 それをノーマンが苦痛と感じたことはない。
 むしろ、その時間こそが彼にとって何より大切で、愛しい時間であった。

「はぁ……はぁ……はぁ…………はぁ…………!」

「爺や?鬼が止まっちゃったら、鬼ごっこにならないでしょう?」

 寄る年波に軋む体。
 もはや戯れの相手一つ満足にこなせぬことは、誰よりも本人が一番理解している。
 事実、自分の役目ももう長くはないのかもしれないと、毎夜毎夜想いを募らせる日々。

「爺や……大丈夫?」

 なんと心優しく、純粋な眼差し。
 息を切らし、少し立ち止まっただけの自分に対し、こんなにも心配そうに声をかけてくれる。
 ノーマンにはそれがこの上なく嬉しく、そして悲しい。

「ど、どうかご心配なさいませぬよう!老体とはいえ、この目が黒いうちはいつまでも現役ですぞ!」

「あははは!頑張って!!」

 ノーマンの胸に溢れる想い。
 たとえ自身の体が完全に壊れようとも、この時だけは弱音など決して許されない。
 彼女が笑顔でいられる時間だけは。
 今、この時だけは――

「ノーマン!休憩時間も間も無く終わりだろう?そろそろ仕事に戻るように」

 オリヴィアとノーマンを包んでいた温かな空気を引き裂く怒声。
 庭に響き渡ったその声により、オリヴィアの心がゆっくりと冷たく沈んでいくのをノーマンは感じ取った。

「お父様……」

 オリヴィアが見上げるテラスに立つ声の主。
 彼こそはオリヴィアの実父にして、ラークリウス家の現当主。
 そして、この街ラグーエルを中心とする周辺一帯を治める領主である。

「お前が休憩時間に何をしようとも構わん。だが、体を休めるべき時に体力を浪費した挙句、その結果仕事に支障をきたすようであれば、執事長であろうとも厳罰は覚悟してもらうぞ?」

「心得ております。旦那様」

 彼はそれだけを告げると、すぐにテラスから書斎へ身を翻す。
 最後までその視線がオリヴィアに向けられることはなかった。

「申し訳ございません。お嬢様。そろそろ仕事に戻らねばなりません。また明日、お相手して頂けますかな?」

「うん……爺やも、お仕事頑張ってね」

 気丈に振る舞わんとする彼女の笑顔に、ノーマンの心はギュッと締め上げられた。



 ラークリウス家における父と娘の関係は、初めからこうだったわけではない。

 父はかつて街人たちから『名君』と謳われた立派な領主だった。
 領主とは、元々レミエール王国から庇護下の各街や村などに派遣される貴族や爵位持ちの騎士の家系で、交通網の整備、魔物の討伐といった、個人や小集団の手に余る仕事を代表して取り締まり、他にも民の生活に絡む様々な問題の解決、それに伴う街の発展など、任された土地を守ることを使命とする者たちを指す。
 父は日々を懸命に生きた。
 領主としての誇りを重んじ、その役目をまっとうし続けた。
 ここラグーエルが、大陸を代表する美しい都の一つとして数えられるようになったのも、その貢献あってのものである。

 しかし、妻との間に娘が生まれて間も無く、妻が亡くなった。
 以来、彼は変わる。
 最愛の妻を失った寂しさを埋めるが如く酒に溺れ、女に溺れ、金を欲した。
 成長する娘に妻の面影を見るのか、彼女にも辛く当たった。
 教育と称して途方もない量の雑務をこなさせたり、罰を与えるかのように勉学に励まさせたり。
 だが、それはあくまでも屋敷内での話。
 娘にとっては鬼のような父親であっても、彼の心の中には領主としての誇りが相も変わらず残っていたのだろう。
 外面は依然、立派な領主としての役目をこなし続けている。

 娘は父の声に必死に応えようとした。
 八つ当たりとも言えるような数々の所業も、自分への愛の鞭や、期待などであると信じ、受け止めようとしたからである。
 だが、まだ幼かった彼女の心はそれに応え続けられるほどまだ強くはなかった。
 性格はどんどん気弱になり、涙をよく流すように。
 ノーマンはその度に彼女を慰めた。
 ただ、彼女の父を止めることだけはできなかった。
 執事の身分で主に歯向かうことなどもっての外。
 何より、彼女の父もまた、大きな悲しみを抱えた一人の人間であることを知っていたから。





「……ひっく……ひっく…………」

「おや?お嬢様……?お嬢様!?」

 ある日の夕食後、月明かりに照らされた庭で、一人膝を抱え泣いているオリヴィアを見つけたノーマン。

「爺や……?うえぇええええええん!!」

「もう大丈夫ですぞ。こんな時間に如何なさいました?」

「……夕食のスープを……ひっくり返しちゃったの……それで、お父様に叱られて……朝まで庭で反省していなさいって……」

「そ、そんなことを……!?」

 近頃は、深夜から朝方にかけての冷え込みが厳しくなってきている。
 だというのに、オリヴィアは寝間着姿で、靴すら履いていない。
 こんな姿で朝までここに居続けては風邪を引いてしまうことなど目に見えている。

「旦那様は私が説得いたします。早くお部屋に戻りましょう」

「でも……ひっく……お父様は……絶対に許してくれない…………ぐ……ひっく……うわぁあああああん!」

「お嬢様……どうか泣き止んでくださいませ。ひとまず屋敷の中へ入りましょう?」

 泣きじゃくるオリヴィアを抱きかかえ、ノーマンが立ち上がろうとした時だった。

「うるさいぞ!何時だと思っている!?」

「ひっ……!!」

 屋敷の二階に位置する書斎の窓を開け、庭を見下ろしていたのはオリヴィアの父。

「旦那様。お騒がせしてしまい申し訳ございません」

「ノーマンか。そこで何をしている?オリヴィアは私の命で罰を受けているだけだ」

「ですが、これ以上はオリヴィアお嬢様のお体が……」

「私が命じたのだ!これは然るべき罰だ!」

「ですが……では、別の形で、ということにはなりませんでしょうか?旦那様の手伝いでも何でも構いません。このままではどちらにせよ何も残りません……!」

「…………そこまで言うならいいだろう。オリヴィアを連れてここへ来なさい」

「かしこまりました」

 少し考え込んだ後、踵を返した主人を見て胸を撫で下ろすノーマンは、寒さと恐怖から、プルプルと体を震わせるオリヴィアを抱えたまま屋敷へと戻る。

「爺や……ありがとう」

「私めは当然のことを申し上げたまでです。だからこそ、旦那様も考えを改めてくださった。それだけのことですよ」

 オリヴィアの足裏は泥だらけになっていた。
 胸元から取り出したポケットチーフでそれを優しく拭きながら、ノーマンがオリヴィアを慰める。

「ううん。わたし、お仕事の手伝い頑張るね!せっかく爺やがお父様に頼んでくれたんだもん!」

「誠にお優しいですな、お嬢様は。ですが、どうかこの老体のためではなく、ご自身のために努力してくだされ。それがいずれ領主となるお嬢様のためにもなるのです」

「……わかった」

「では、参りましょうか。難しいものでしたら、及ばずながら私めもお手伝いさせていただきますゆえ」

「うん!」


 領主の家に生まれたからには、いずれその跡を継ぐことになる。
 生まれながらにして定められた運命。
 彼女はまだそれがどれだけのことなのかを理解してはいない。
 領主という人間が、その地に住む人々にとってどれだけの意味を持つのかを。

――コンコンッ

「失礼いたします。旦那様。オリヴィアお嬢様をお連れしました」

「失礼いたします。お父様」

「遅いぞ……何をグズグズしていたのだ……?」

 書斎に立ち入った途端に鼻を突くアルコール臭。
 床に転がる酒の空き瓶が二本。
 夕方にノーマンが呼びつけられたときには無かったものだ。

「申し訳ございません。途中で侍女衆に呼び止められまして、少し仕事の指示をしておりました」

「ふん……まぁよい。で、オリヴィアへの罰の件だったな」

 書斎机には中身が半分ほどになった別の酒瓶。
 夕食後からずっと飲んだくれていた模様。

「はい。罰として、わたし何でも頑張ります」

「……よし。では、これを街外れの孤児院に届けてくるように」

 そう言って主人が小さな封筒をオリヴィアの足元に放り投げた。
 家紋どころか、差し出し名義さえも記されていない極めて質素な封筒に、妙な違和感を覚えるノーマン。

「これを……ですか?」

「中身を見ることは決して許さん……経営主の男に『遣いで来た』と言って手渡せば理解するはずだ……それ以外、余計な口を開くことも許さん……朝までには戻るように……」

「まさか……今からですか?旦那様!それは危険かと!」

「何でもするとオリヴィアは言ったぞ……?」

「しかし、こんな時間に子供一人では危険です!いくら治安の良い街とはいえ、良からぬ連中も少なからず存在します!それに、お嬢様は孤児院の場所を知りません!」

「地図なら持たせてやる……子供とはいえ、我がラークリウス家の娘。街を這いずっているネズミの一匹や二匹、どうということもあるまい……」

「それは稽古場での話です!お嬢様にはまだ早すぎるかと――」

「いいの、爺や!お父様はわたしならできると思って、このお仕事を任せてくれたの……わたしなら平気よ」

「お、お嬢様……」

「そういうことだ……では、早く行ってこい」

「はい。失礼いたします。お父様」

 地図と封筒を手に、一人書斎を後にするオリヴィア。
 部屋の扉を閉める直前、ノーマンは閉じ行く扉の隙間から覗く彼女の表情を捉えた。
 歯を食いしばりながら、必死に涙を堪える悲痛なそれを。

「……っ!旦那様。お嬢様に付いていくことをお許し頂けませんでしょうか?」

「許さぬ……」

「ならば、お嬢様に姿を見られぬよう、隠れて後を追いかけることを――」

「くどいぞ、ノーマン!」

「しかし……!」

 赤らんだ顔にやや虚ろな目。
 明らかに主人は酔っていた。
 そんな状態で、まともな判断がくだせるわけがない。

「……あれは……あの封筒は一体何でございましょう?」

「お前には関係のないものだ……気にするな」

「いいえ!旦那様には旦那様のお考えがあるものと、私めは常々そう考えておりました。ですが、この件に関しては理解し難いものがあります。もしも話して頂けないのであれば、こちらにも考えが御座います」

「……屋敷を去るか?」

「既に覚悟はできております」

「……お前が私に逆らったのは初めてだな」

 先代の頃より見習いとして屋敷に仕えていたノーマン。
 今となっては、主人と共に過ごした時間は、彼の実父よりも長いかもしれない。
 数十年来の旧友とも呼べる男が初めて牙を剥く。
 そんな感慨深さからくるものなのか、酒の酔いからくるものなのか、ノーマンの目の前の男の口元が微かに緩んだ気がした。

「私には……娘が二人いる」

「は……?」

「オリヴィアには腹違いの姉妹がいる。正確には、いるかもしれぬのだ」

 領主は語る。



――同日、正午頃

「約束も取り付けぬまま、急な来訪、誠に申し訳ありません」

 突如としてラークリウス家を訪れた来客。
 それは、どこかみすぼらしい印象を受ける痩せ型の男だった。

「私の耳に入れておきたい事があると訪ねてきたそうだが……?」

「領主殿もお忙しい事かと思いますので、手短にお話しします。貴方にお子さんは何人いらっしゃいますでしょうか?」

「…………娘が一人いるが……それがどうした?」

 予期せぬ問い。
 急な来訪自体は珍しい話ではない。
 ただ、そのほとんどは金の無心や政治的な用件であることが多い上、それを抜きにしても、あまりに突拍子もない話。

「私は現在、街外れで小さな孤児院を運営しておりまして、預かっている子供の中に、古い写真を持っている少女がいたのです。そこには、貴方と思われる人物が写っておりました」


「写真……いつのものだ?」

「十数年程前のものではないかと。今よりもかなりお若く見えましたので」

 領主は記憶を辿ろうとするが、家柄もあり、写真を撮られたことなど日常茶飯事。
 そもそもそんな昔の話がたったそれだけのヒントで思い出せるはずはなかった。

「その子に聞きました。この人は誰なのか、と。すると、彼女は『知らない』と答えました。ただ、その写真を『お母さんとのたった一つの繋がり』と言っています」

「その母親というのは?」

「わかりません。彼女は生まれながら孤児でしたので、母親の記憶がないのです。ただ、気が付けばその写真を持っていたそうです。我々も方々探してはみましたが、手がかり一つ掴めませんでした」

 ここへきて、領主はこの男がどういった目的で自分の元を訪れたのかを察した。

「ただ、領主殿と彼女の母親の間には、何らかの関係があった可能性が極めて高い。そこで、領主殿にお願いがあります。彼女を引き取っていただくことはできませんか?もしかしたら、娘さんの腹違いの姉妹ということも……」

 その出所は終ぞ判らなかった。
 遠い昔、自分に寄添ってきた女が身籠っていたのか。
 それとも女遊びの最中にできた子なのか。
 どれにせよ、オリヴィアには年近い姉妹がいる可能性がある。
 男はそれを告げにきたのだった――――



 ノーマンは固唾を飲んでその話に聞き入るばかりだった。

「そ、それで……?」

「無論、断った……ラークリウス家に隠し子がいたなど噂でも流れれば、面白がる連中も少なからずいるだろう。最悪の場合、家が失墜することさえあり得る」

「ですが……もし、その少女が本当に――」

「そんな事実はない!男に金を渡すと言ったら、すんなりと折れたよ。所詮は金欲しさに口を突いた戯言だったのだろう」

「では……あの封筒は……」

「……中身は小切手だ。あんなものを渡して、帰る途中で道に落とされでもすればそれで終わりだ。孤児院と我が家に繋がりがあることは隠さねばならん」

「それこそ私めにお任せ下されば……」

「お前は長年我が家に仕えている執事。屋敷の外にも顔を知る者は多い。かといって、新米の執事やメイドに任せて、中身を見られでもすれば面倒なことになる」

 理屈は理解できたが、ノーマンにはどうしてもわからないことがあった。
 自分の娘かもしれない子供の存在。
 それを知ったのならば、何を置いてもその子を引き取りに行く。
 それこそが人情。
 彼がその気になれば、子供の一人くらい世間から隠し通すことは不可能ではない。
 だというのに、彼はその子供を抱き寄せるどころか、煙たがるように突き放した。

 オリヴィアに辛く当たることも、一種の愛の形なのではないかと思っていた。
 心の奥底には、きっとオリヴィアを慈しむ温もりがあるはずだと信じていた。
 だが、この男にしてそんなものは存在しない。

 ノーマンはようやく悟った。

 彼が何より重んじるのは領主としての誇りと、家の名。
 では、その次に重んじるものは何か。
 それ以外には何もないのだ。
 強いて挙げるとすれば酒か、女か、金か。

 最愛の人に旅立たれた時点で、この男は完全に壊れていた。

「オリヴィアなら私の言いつけは絶対に守るだろう。中身を見ることはまずあるまい。仮に、何かの拍子に中身を見る様なことがあっても、小切手など見たこともなかろう。まぁ、理解したところで、慈善活動とでも勘違いするのが関の山だ……」

「元よりお嬢様を遣わせるおつもりだったので?」

「丁度良かったのでな。罰と思えば楽なものだろう?」

「…………お嬢様に……その少女のことは?」

「報せたところでどうなる……知らぬものは、存在せぬことと同義だ。っち……長話のせいで酔いが醒めた……下がって良いぞ」

「…………はい……失礼いたします」

 忘れよう。
 忘れねばならぬ。
 ノーマンは、頭の中で繰り返し続けた。

 もし、自分が口を滑らせた結果、主人の言う様に家が失墜してしまえば何もかもが終わる。
 それはダメだ。

 だが、お嬢様はどうなのだろうか。
 彼女にとって、家族と呼べる人間は父のみ。
 そんな父は、彼女に向ける愛をこれっぽっちも持ち合わせてはいない。
 彼女は、今までも、そしてこれからも、ずっと家族の愛を知らぬまま生きていくことになるのではないか。
 あまりにも不憫だ。

 ノーマンの葛藤の夜は続いた。
 そして、彼が数週間悩み抜いたあげく、答えを出す。
 忘れはしない。
 だが、語ることはしまいと。

 その晩から、葛藤の夜は、懺悔の夜に変わった。
 ノーマンはただただ、心の中でオリヴィアに謝り続けた。





 一年が過ぎ、オリヴィアは十四歳を迎えた。
 その間も体はすくすくと成長していたが、心はというと……

「違うと言っているだろう!何度言えばわかる!!」

「も、申し訳ございません、お父様!」

「もう一度だ!!」

「は、はい…………ひっく……ひっく…………」

 相変わらず内向的で、それも近頃拍車がかかってきている。
 というのも、父自らがオリヴィアの教育を監督し始めたからだ。
 ラークリウス家の人間は代々、水属性の魔素を操る資質が備わっており、その資質を活かした一つの武芸として、秘伝の技を継承してきた。
 こればかりは外部の者の力を借りるわけにはいかず、領主家の一員たる者が身につける当然の責務として、現領主であるオリヴィアの父が教鞭を振るうのである。

「いちいち泣くな!!それでも本当に私の娘か!!」

「……はい……えっぐ……ひっぐ……」

 オリヴィアの魔術の才は、決して低いものではない。
 むしろ、代々の術者の中でも高い水準にあるといえる。
 だが、これまでの教育の中で、彼女は魔術の基礎知識をほとんど身につけていない。
 そんな彼女がいきなり秘術とされる高位の術式を押し付けられたところで、功を成すはずもないのである。

「……今日はこれまでだ。教えたことを復習しておけ。明日、できなければ罰を与える」

「旦那様。オリヴィア様のことで、一つご相談したいことが」

「何だ。言ってみろ」

「恐れながら申し上げます。これは私めの私見ですが、お嬢様が魔術を身につけることは今の方針では難しいかと存じます」

「ほぅ……では、どのようにしろと?」

「例えば、マーニル魔法学校に通わせてみてはいかがでしょうか?当家の秘術を身につけるには旦那様の教えが不可欠ですが、お嬢様にはそれを学び取るだけの基礎がまだ出来上がっていないように見受けられます。それを学ぶためにも」

「それならば家庭教師でも付ければ済む話だ」

「他にも御座います。学校には年若い生徒も多く、きっとオリヴィア様の良きご学友となるでしょう。そんな友人たちとの日々は、お嬢様の精神面の成長を促すことができるのではないかと」

「毎度毎度泣かれて鬱陶しい思いをしているのは私だ。そんなことはわかっている。だがな、こんな状態の娘をラークリウス家の者として送り出せと!?冗談ではない!!自ら家名に泥を投げつけろと言うのか!?」

「し、しかしながら……」

 これまでの人生を思えば、それも無理からぬこと。
 彼女に最も寄添うべき人間を、彼女が誰よりも恐れているのだから。
 この男はそれをわかっていない。
 それともわかった上で言っているのか。
 だが、これは口にはできない。
 執事がそれを口に出すことは、これ以上ない主への侮辱。

「話は終わりだ。だが、他ならぬお前の進言だ。家庭教師の件は私が相応しい人物に依頼しておこう」

「はい……ありがとうございます」

 ノーマンは疑心暗鬼になりつつあった。
 自分の発言により、オリヴィアを取り巻く環境が変わり、今よりも不幸な環境に置かれることもある。
 少しでも笑顔を増やし、悲しみを減らしたい。
 その想いに偽りはない。
 だが、彼女の父はもはや制御も予測もできぬ域にある。
 何が彼女の顔を曇らせ、新たな涙を生むきっかけになるかわからない。

 今回の話にしてもそうだ。
 父の目が届かぬところで伸び伸びと生きて欲しい。
 それがほんのひと時でも、傷んだ彼女の心を癒してくれる。
 そんな気持ちで発した言葉により、新たに迎えることになった家庭教師。
 この人物が、誠に良き御仁ならば吉。
 だが、その反対もあり得る。

「爺や……少しだけ一人にしてくれる?」

「かしこまりました。ですが、ご夕食の席には……」

「わかってるわ。またお父様に叱られてしまうもの」

「失礼いたしました。では、これにて」

 変えることが正しいのか。
 変えぬことこそが正しいのか。

 だが、そんなノーマンの次なる葛藤は、彼の思惑の遥か外から打ち砕かれる。





 オリヴィアの父が病に伏した。
 大陸西部で突如発症した流行り病。
 症状が風邪に近いことから、事態を軽んじた者が多かったことも影響した。
 初期段階であれば回復が見込めるも、対応が遅れ、症状が進行してしまえばやがて死に至るという恐ろしい病。
 ラグーエルの街でも数人の死亡者の名が報告されているが、次は領主の名がそこに書き加えられようとしていた。

「無理です。僕には治すことはできません」

「我々の癒術は傷の治療には秀でておるが、病気の治療には向いてはおらぬのじゃ」

「病気の場合、患者の免疫力を強化して対処することが多いのだけど、今回の例は進行し過ぎているわ……」

 大陸各地から呼び寄せた名高き癒術士たちは、皆同じことを口にした。

 余命三カ月。
 それが領主に残された時間だった。

「お父様ぁああああああ!!」

 オリヴィアは立ち入り禁止となった父の寝室の前で泣き続けた。
 これまでの人生の中で築いた父との思い出は、決して良いものではないはず。
 それは傍らで見続けてきたノーマンがこれ以上なく知っている。
 それでもオリヴィアは涙した。
 どんな人であっても、彼女の父親。
 残された唯一の家族なのだ。

 ノーマンは速やかに領主継承手続きの準備に取り掛かった。
 早すぎるとはいえ、彼女も立派な跡目。
 こうなってしまった以上、オリヴィアが領主として誇らしく立つ姿こそが、父にとっても何よりの喜びになるだろうと確信していたから。

「執事長。旦那様がお呼びです」

「私を……?承知した」

 既にベッドに寝たきりとなっている主人。
 身の回りの世話は専属のメイドたちに任せてある。
 その状態にあって自分を呼びつける理由。
 ノーマンは微かな不安を抱えながら、主人の寝室へと向かう。

「旦那様。ノーマン執事長が参りました」

「う……む……ノーマンか?」

「お呼びでしょうか。旦那様」

「あぁ……すまんな。こんなところに」

「いえ。お気遣いは無用です」

「他の者は下がってくれ……ノーマンと二人で話がしたい」

 主人はメイドと医者を部屋から出し、一呼吸おいて話始める。
 そして、その言葉にノーマンは耳を疑った。

「オリヴィアに……縁談の話がきている」

「何ですと!?」

「当家の婿養子になっても良いと話している」

「馬鹿な!それでは継承権がオリヴィア様からその男に移ってしまいます!!」

「その通りだ。それで良い」

「ご冗談はおやめください!あれ程までに厳しくお嬢様に秘伝をご指導しておられたではありませんか!?それも、オリヴィアお嬢様を領主にするための教えだったはず!それが何故です!?」

「事態は変わったのだ……お前ならわかるだろう?ノーマン」

 ノーマンはギクリとした。

 目の前の男は、娘の内向的な性格を酷く懸念していた。
 このままでは人前に出せる人間にはならないと。
 直接、娘を教育することで、改めてそれを痛感した。
 だからこそ、以前よりもさらに厳しく躾け、矯正しようとした。
 時間がかかっても構わない。
 ラークリウス家に相応しい淑女になるのであれば。

 だが、時間が無くなったのである。
 既に余命は二カ月余り。
 このままでは、間も無くオリヴィアが領主になってしまう。
 ラークリウス家の主が、あんな不出来な娘になってしまう。
 それがこの男には耐えられなかったのだ。

 ならばいっそ、婿養子を迎え、その者に領主を継承させてラークリウス家の体面を保つ。
 常日頃からこの男とオリヴィアを見続けてきたノーマンだからこそ分かってしまったこと。

「安心しろ……信頼できる知り合いの息子だ。心配ない」

「し、しかし、お嬢様はまだたったの十四歳!子供ですぞ!?」

「貴族の間では珍しい話でもない。成人前に結婚することなど、我々の時代においては至極普通のことだった」

 オリヴィアと結婚する相手は、昔からラークリウス家と付き合いのあった貴族、スタンリー家の長男。
 やや奔放ではあるが、学業に秀で、現在は貿易関連の組合をいくつも取り仕切っているという。
 歳は三十五。
 明らかな政略結婚だった。
 そんな説明を淡々とされた挙句、次に発せられた言葉にノーマンは愕然とする。

「オリヴィアにはお前から伝えておくように。あれはお前のことを信頼している。その方がまだ受け入れやすいだろう……」

「もう……決まったことだというわけですか……?」

「式の日取りも近いうちにな……」

「そう……ですか……」

 ラークリウス家の問題に対して葛藤し、苦悩してきたノーマン。
 主のためだけにあらず。
 子のためだけにもあらず。
 全ては、若かりし頃に生涯仕え続けると誓った、ラークリウス家のため。

 私情など挟むべきではなかったのだ。
 仕える家が決めたことこそが正。
 それだけを信じていれば良かった。

 寝室を出て、廊下を歩き、階段を下り、玄関の扉を開く。
 庭の中心にある噴水の片隅に、オリヴィアの姿はあった。

「爺や。お父様のご様子はどうだった……?」

 オリヴィアは、ノーマンの姿に気が付いた途端に駆け寄り、父の容体を確認する。
 相変わらずである。

「……オリヴィアお嬢様。大切なお話が御座います」

 もうノーマンは考えることを諦めた。






 それから数日の後のことである。
 オリヴィアは自分の夫となる男と初めて対面。
 そこは正式に式の日程を決めるために設けられた場だった。

「本日は私め、執事長ノーマンが主の代理を務めさせて頂きます」

「領主殿のご容体は相変わらずというわけですね……なんとお労しい……!!さぞかし大変なことでしょう……!」

「ご心配をおかけしております。ですが、此度のご縁は主の望みでもあります。それが叶うともなれば、いくらか気も晴れようというものです」

「そうでしょう!領主殿たっての申し出……我々も喜んでお受けする所存。早速、式の手配を済ませましょう!!」

「はい。それでは、まず日程についてお話させていただきます」

 テーブルを囲むのは領主代理を務めるノーマンとオリヴィア。
 体面に相手方の当主と妻、その息子が続く。
 一時間ほどで話はまとまり、他愛のない雑談へと入ったが、その間、オリヴィアはうつむいたままスカートの裾をずっと握り締めていた。

「本日はわざわざ足をお運びいただき、誠にありがとうございました」

「いえいえ。領主殿の事情を鑑みれば仕方のないこと。オリヴィア様もどうかご自愛ください?今日は御気分が優れなかったようですので……それとも気恥ずかしかっただけでしょうか?」

「わ、わたしは…………はい……ご心配くださり、ありがとうございます…………」

「ふふ……それでは、当日を楽しみにしております!」

 馬車に乗り込み、窓からオリヴィアを見下ろす男の口元が、卑しく歪んだ一瞬をノーマンは見逃さなかった。
 だが、それを今さら気にかけたところで何が変わるでもない。
 オリヴィアは終始うつむいたままだった。
 数日前にこの件をノーマンの口から告げられて以降、ずっとこの調子。
 否。
 考えたところで仕方がない。
 もう考えることはやめると決めたのだから。



 その夜。
 オリヴィアが窓から身を投げた。



「なんというタイミングで……いいか?外に漏らすことはならん。絶対にだ……!」

「承知しております。旦那様」

 それは今朝方に起こった。
 いつも決まった時間に目覚めていたオリヴィアだが、その日は朝食の時間になってもまだ姿を見せない。
 これを不審に思ったメイドが、彼女の寝室を訪れ、ドアをノックするも返事はない。
 何かあったのかとドアを開けたところ、そこにはもぬけの殻となった部屋と、開きっぱなし窓。
 恐る恐る窓の下を覗き込むと、数メートル下の植込みにオリヴィアが横たわっていたという。

 幸い命に別状はなく、かすり傷程度で済んだようで、オリヴィア自身もすぐに意識を取り戻した。

「お嬢様。なぜこのような真似を……」

「…………」

 再び寝室のベッドに戻されたオリヴィアは、意識を取り戻してからも呆然と天井を見上げるばかり。
 ベッドサイドからノーマンが声をかけても反応を示さない。

「聞くまでもありませんでしたな……ですが、これもラークリウス家のためなのです……お嬢様のお気持ち全てを察することができるとは申しません。ですが……どうか……」

「…………」

「お嬢様?大丈夫ですか?どこか体に違和感でも……?」

「…………?」

 再三の呼び掛けに、ようやくオリヴィアが微かに反応した。

「……えっと……貴方、名前は?」

「…………は?」

 ノーマンの思考が一瞬停止する。
 五年、十年の付き合いではない。
 彼女がこの手の冗談を言わないことも知っている。

「何をおっしゃっているのですか……?」

「え?だから……貴方の名前を教えてくれる?」

 飛び降りた際のショック。
 追い詰められた精神。
 原因はさておき、オリヴィアの身に起きている明らかな異常。

「少し席を外させていただきます。このままで暫しの間お待ちください」

 ノーマンは走った。
 彼女の父の元へ。

「旦那様!一大事に御座います!!」

「今度は何事か……ノックもせずに……」

「お嬢様が……オリヴィアお嬢様が……!!」

 報告を受けた領主は、ノーマンにオリヴィアの状態をできるだけ詳細に把握するように指示した。
 その結果、オリヴィアは記憶の大部分を欠落しているという結論に至る。
 それが一時的なものかどうかはわからないが、自身の名以外のことをほとんど覚えていなかったのだ。

「……いかがいたしましょう?」

「…………」

「やはり、縁談の話は――」

「ならん!それだけは!!」

「ですが、あのご様子ではすぐに回復されるとも思えません。そもそも元に戻るかどうかさえも……」

「いや……むしろこれで良い……!」

「どういう意味でしょう……?」

「記憶の件は隠し通す……幸い、相手はオリヴィアのことをほとんど知らぬ」

「馬鹿な!!それではラークリウス家を丸々明け渡すようなものですぞ!!」

「元より承知の上だ……だからこそ私が選んだ相手だ。オリヴィアに任せたところで、家の名に恥を重ねるだけだからな」

「そ……そこまでお嬢様のことを……」

 この家は間も無く終わる。
 わかっていたことだ。
 父を失ったオリヴィアが毅然とした態度で夫を迎え、ラークリウス家が築いてきた誇りを守っていけるか。
 答えは否だ。
 それは記憶があろうとなかろうと同じこと。
 やがて相手方の家に取り込まれ、塗り替えられ、変わり果てる。

 それならばいっそ、オリヴィアにとっても記憶を失ったままの方が幸せなのかもしれない。
 より深い絶望の中で、孤独に耐え続けるよりは。

「娘は自身をオリヴィアだと自覚しているのだろう?ならば問題はない」

「……はい」

「最低限の知識は叩き込んでおけ?式で醜態をさらして、破談になりでもすればそれこそ我が家の最期となる」

「……はい。かしこまりました」



 それから結婚式までの間、ノーマンはつきっきりでオリヴィアの再教育に努めた。

 貴族としての最低限の知識。
 行儀作法や相応しい立ち振舞い。
 ダンス、裁縫などのレッスン。

 その間、わずか二週間ばかりではあったが、ノーマンは日に日に困惑していった。

 記憶を失う以前のオリヴィアは、体を動かすことよりも勉学や裁縫などを好んでいたが、目の前のオリヴィアはダンスや武芸に夢中になった。

「爺や。剣をここへ持て。杖はどうにも性に合わぬ……」

「剣……で御座いますか?」

「片手で扱える細身のものが望ましい」

 あれほど嫌がっていたはずの魔術の修練中、突然、杖を剣に持ち変えると言い出すオリヴィア。
 首を傾げながら、ノーマンは言われた通りの得物を用意し、それを彼女へ手渡す。

「……ふむ。悪くない」

 数度軽く素振りをした後、オリヴィアは軽く腰を落として剣を構える。
 そして……

「はぁっ!ふんっ!!やぁああああ!!」

 オリヴィアは、動きを一つ一つ確かめながら、試すかのように技を披露してみせた。
 当然、丁寧に教えを受けたものではないため、動きのぎこちなさや粗さが見て取れる。
 だが、その姿に溢れる力強さや優雅さは、その適正の高さを素人目にも感じさせた。

「ふぅ……わらわにはこちらの方が合っておるようだ」

「お見事です……」

 ノーマンは目を丸くした。
 かつてのオリヴィアとは口調も好みも、それどころか性格さえも大きく違う。
 まるで、『オリヴィア』という名を騙る悪魔に、彼女の体が乗っ取られたかのような錯覚にさえ陥る。





 胸の奥底に得も言われぬ不安を抱えつつ、その日はやってくる。

 衝撃の縁談話から半月余り。
 オリヴィアの結婚式が執り行われた。

「続きまして、新婦の入場です!」

 扉の奥から聞こえてくる声。
 その向こう側は式場。
 花嫁にとっては幸せを誓いあう聖域。
 されど、オリヴィアにとってはその限りではない。
 さしずめ、目の前の扉は地獄の入口といったところだろうか。
 新婦オリヴィアの父に代わり、彼女と共に入場することになったノーマンが、徐々に開かれていく扉の前で息を呑む。

――ダンッ!

 扉が開ききった途端に鳴り響いた靴の音。
 揺れる会場。
 そこには、ヴァージンロードを挟んで両側に並ぶ騎士たちの姿。
 否、正確には、騎士に扮した来賓たちの姿である。

「ふん……」

 オリヴィアは不機嫌そうに鼻を鳴らし、歩みを進める。
 ノーマンもこのような演出が用意されていることは知らせていなかったが、オリヴィアに少し腕を引かれる形となったことで、ハッと我に返ることができた。

 会場に集まっているのは両家が懇意にする家々の面々。
 そして、ラグーエルを代表する有力者たちである。
 そんな彼らが、演出のためとはいえ、剣を掲げて道を作り、オリヴィアを称えている。
 道の先に待つのは、例の卑しい笑みを浮かべた新郎。

 そう。
 これは彼がプロデュースしたであろう演出。
 来賓を、領主という絶対権力者に仕える騎士に例えることで、その上下関係を印象付けた上、すぐにその力の全てを奪い去ってやろうという皮肉。

 此度の縁談が両家にとってどういった意味を持っているかを皆は知らない。
 この演出の意図を理解できるのも当の親族たちだけ。

「「おぉ…………!」」

 そんなことは露とも知らぬ面々は、入場してきたオリヴィアの姿に小さく唸る。
 豪勢で華々しい純白のドレス。
 整った目鼻立ちに凛とした雰囲気。
 会場内の全ての視線がオリヴィアの花嫁姿へと注がれていた。

 ノーマンたちはそのまま祭壇の前で待つ新郎の元へと歩み寄り、組んだ腕を離す。
 オリヴィアの夫となる目の前の男に、他の紳士諸君から嫉妬の眼差しが向けられているのがひしひしと伝わってくるが、本人はそれに気付いていながら至って涼し気。
 それどころか自慢気にさえ見える。

 新郎新婦が揃ったところで、二人がゆっくりと祭壇上で待つ神官の元へ向かうが、その直前で歩みを止め、来賓の方へと振り返ったのは新郎。

「本日は御多忙の中、私たちのためにお集まりいただきましてありがとうございます!多くの方々に祝福していただける喜び……まさに感激の至り!」

 舞い上がりすぎたのか、式典の進行を勝手に変更してまで挨拶を述べ出した。
 これにはオリヴィアを含め、会場にいる全員が唖然となり、進行係を兼任する神官がいち早く事態の収拾に乗り出す。

「お待ちください……!予定にない行動を取られますと進行に差し障ります……!」

「これ以上のタイミングはあるまい?ただ順序が前後するだけであろう?」

「で、ですが……こちらは段取りに従ってご用意をしておりますので……!」

 耳元で囁く神官の言葉に納得のいかない様子。
 その後のやり取りによって、なんとか言葉に耳を傾ける気になったのか、改めて面々に向かい合う新郎。

「これはこれは大変失礼を……喜びのあまり少々取り乱してしまいました。さぁ!式を再開いたしま――」

「全員!その場を動くなぁあああああああ!!」

 突如響き渡る怒声により、遮られた新郎の声。
 お次は何だと来賓たちが振り返ると、そこには武器を手にした男たちがズラリと並んでいた。

「きゃぁああああああああああああ!!」

「な、何だ、お前たちは!?」

 騒然とする会場。

「騒ぐな!!死にたくはないだろう!?」

 まさに鶴の一声。
 瞬く間に場内は静寂に包まれる。

「それでいい……ここは俺たちが既に包囲してある。逃げようなんて考えるなよ?」

 賊のリーダーらしき男の声に促され、出入り口へ目を向けると、その前には武器を構えた男が数人ずつ張り付いている。

「全員、金目の物を全て出して、そこに集めろ。隠そうなんて思うなよ?てめぇの命よりも大事だって言うなら話は別だがな……!」

 素性は不明。
 だが、目的は集まった来賓たちが持つ金品のようだ。
 こうした場には警備兵も当然配備されているが、姿を見せないところをみると、あちらもあちらで手が離せない状況にある模様。
 マニュアル化されている屋敷の警備と違い、こうした式典などの警備は場当たり的なものも多い。
 その隙を突いて、賊が警備に紛れ込んでいたのだ。

「君ぃ……悪くない趣向だが、おふざけが過ぎるというモノだ」

「……あぁん?」

 賊に声をかけたのはまたしても新郎。
 サプライズ演目と勘違いしたのか、状況が呑み込めていないことは明らかだった。

「見たまえ?客人の方々が怖がっているではないか。そろそろネタ晴らしでいいんじゃないかな?」

「流石は貴族様……頭の中にまで立派な花園をこしらえているらしい。いいぜ?だったら見せしめだ……お前の頭に真っ赤な花でも咲かせりゃ、全員が状況を理解してくれるだろう……」

 無論、間も無く命を落とすであろうその男以外は皆が理解していた。
 しかし、動くことも、声を発することもできない。
 賊が手にしている剣の切っ先が、自身に向けられることなど誰も望むはずが無いのだから。

「え……?いやいや、だからもうお開きに……」

「おうよ……パックリ頭開いてやるからよ……安心しなぁ!!」

「ひっ……!?」

――キィイイイイン!!

 激しい金属の衝突音。
 賊の男が剣を振り下ろした瞬間だった。

「はぁ?何だてめぇ!!」

「下らぬ……余興にしても程度が低すぎよう?」

 新郎を庇い、剣を撃ち払った人物。
 入場演出の際に来賓が使用していた剣を手にしたオリヴィアである。

「夫の窮地を救うのは嫁の仕事ってか?まぁいいぜ。見せしめは誰でもな!」

「ひ……ひぃいいいいいいいいい!!」

 命が救われたことを悟り、ここにきてようやく事態を理解した新郎は不格好な悲鳴を上げつつ、来賓たちの後ろへと逃げ果せる。
 それでも来賓たちは動かない。
 これは恐怖によるものではなかった。
 たった一人、脅威の眼前に身を晒す、美しいドレスを身に纏った少女の姿に見惚れてしまっていたからである。

「つまらぬ戯言を。あれが死ぬことで路頭に迷う者も多い。わらわはその者たちを救ったに過ぎぬ」

「よくわかんねぇが、随分と威勢がいいじゃねぇか……ところで、お前さんには白じゃなく赤のドレスの方が似合うと思うぜ?せっかくだから俺が染め直してやろうと思うんだが、どうだい?」

「ふふ……先程からの滑稽な言い回し。よもや、わらわを笑い死にさせることが目的であったか?」

「この…………くそがぁああああああああ!!」

 振り抜かれる剛剣。
 固唾を飲んで現場を見ていたノーマンの脳裏によぎったのは、オリヴィアの無残な死。

「お嬢様ぁああああ!!」

「心配するでない……かような下衆に遅れを取るとでも!?」

 紙一重のところで剣戟を躱し、踏み込みざまに一閃。
 見事に賊に一撃を見舞ったオリヴィア。

「がぁあああ……!!」

 呻き声を上げる男だったが、倒れ伏すことはない。
 それどころか、オリヴィアの一撃は男の薄皮一枚を削り取ったばかりで、せいぜい赤く腫れ上がらせた程度のダメージしか与えていなかった。

「ボスぅうううう!!」

「来るなぁ!!コイツは俺の獲物だぁああああ!!」

 そんな賊たちを余所目に、オリヴィアは憮然とした表情で手にする剣を観察している。
 彼女が手にした剣は演出用のイミテーションだったのだ。
 見た目とは裏腹に武器としての性能は備わっておらず、真剣のような刃も持っていない。
 真剣でさえあれば、間違いなく軍配はオリヴィアに上がっていた勝負だったが、その絶好の機を逸した。

「残念だったな。俺に勝てる唯一のチャンスを不意にしたぜ?」

「刃の確認を怠ったことは認めてやろう……だが、斬れぬのであれば、刺してしまえば良いだけの話であろう?」

「違ぇよ……今の一発でわかった。お前の剣はまだ粗い。センスは褒めてやるが、マジになった俺はそれじゃ倒せねぇって言ってんだよ」

「どうであろうなぁ?それが分かる程の使い手には見えぬが?」

「潜った修羅場の数が違う……すぐに証明してやるよ……!」

 これはオリヴィアのハッタリ。
 その場にいる人間の中で、ノーマンだけが唯一それを察した。
 油断していた上に、怒りに身を任せた甘い一撃。
 その隙を以てして倒し切ってしまいたかった。
 オリヴィアはそう考えているはずだと。

 その後の展開は一方的だった。
 相手を強者だと見据えた男の剣は、オリヴィアに付け入る隙を与えてはくれなかった。
 回避のみに専念することで、何とか凌いではいる彼女だったが、重たいドレスは彼女の動きを制限し、体力をどんどん奪い去る。
 元々、体格も違えば体力にも差がある戦い。
 過ぎゆく時間は一方的にオリヴィアを不利に追いやっていく。

「……くっ!!」

 遂に剣先がオリヴィアを捉え始め、そのドレスの裾を斬り裂く。

「なかなか楽しかったぜ?余興としても満足してくれただろ?」

「はぁ…………はぁ…………!」

 見守る者たちの中には貴族の子息も多い。
 恐らく、剣の覚えがある者もいたことだろう。
 だが、彼らは動けない。
 生半可な腕では、返り討ちに遭うことは目に見えていたから。
 男の剣閃は皆にそう思わせるに足り得るものだった。

「流石だぜボス!!」

「早いとこやっちまってくれぇ!!」

 手下の声を受け、さらに気迫を増す男。

「声援には応えねぇとなぁ……終わりにするぜ?」

 まさに男がとどめの一撃を振り下ろそうとした時、状況が一変する。

「や、やべぇ!ボス!警備兵の連中だ!!」

「何ぃ!?足止めのヤツらはどうしたぁ!?」

 会場の出入り口の外から聞こえてくる声。
 警備隊が事態を察知して駆け付けたようだ。

「ふふ……ようやく来おったか。ネズミの侵入を許した挙句、この体たらく。つくづく無能ではあるが、間に合わせたことだけは褒めてやろう」

「てめぇ……どういうことだ!?」

「外の警備兵を貴様らが抑え込んだところで所詮は烏合の衆。数もたかが知れておる。加えて、ここに集められた者らは貴族他ラグーエルの有力者たち。そこへ賊が押し入ったことが知れれば、たちまちラグーエル中の警備兵がここへ駆けつけてくることは明白であろう?」

 その後の展開は誰しもが容易に想像できた。
 押し寄せる警備兵の群れに太刀打ちできないと察した賊が取る行動は投降か逃走。
 そのまま会場内に流れ込み、今まさに賊と扉を挟んでの鍔迫り合い中。

「わらわが時間稼ぎに切り替えた時点で、配下と共に討ち取ってしまえば良かったものの……わざわざダンスに付き合ってもらえるとは、なかなか紳士であったな」

「く、くそっ……!!」

 途端に踵を返し、逃走を図ろうとした賊のボスだが、駆け出すには至らない。

「無駄と悟ったか?扉の外には殺気立った夥しい数の兵士たち。そこは貴様らにとって既に出口ではない。逃げ場など存在せぬ」

「う……くぅ…………!!」

「何をしておる!呆然と立ち尽くす暇があるなら、扉の前の賊を排除せぬか!!」

 目の前でガクッと肩を落とす賊の頭を見て、オリヴィアが周囲に号令を発する。

「お任せください!お嬢様!!」

 誰よりも早くその声に応えたのはノーマンである。

「お……おぉおおおおおおお!!」

「俺も行くぜぇええええええええ!!」

 続いて、己を奮い立たせた若者たちが次々と動き出す。

「ボ、ボスぅううううう!?」

 警備兵と勇んだ有志たちに挟まれる形となった賊たちに、もはや抵抗する手立てはなかった。





 事態は警備兵たちの手で速やかに処理され、その後、結婚式は再開された。
 かのように思われたが、有無を言わせぬままに開始されたのは新郎によるスピーチ。
 面々は皆一様顔をしかめている。

「一時は大変な騒ぎとなりました……ですが!我々に刃を向けた不届き者は、ラグーエルの守護者たちの手により一掃されました!!こうして一人も欠けることなく式を再開できるのも、彼らの活躍があったからこそ!その勇気と誇りに、皆で感謝を!」

 既に半刻は経過しただろうか。
 延々と言葉を並び立てる目の前の男が、つい先ほどまで人影で泣きながら震えていた男と同一人物であると、誰が信じられよう。
 本人の家族たちが我先に会場から姿を消した気持ちが、容易に想像できてしまう道化ぶりである。

「さらに!忘れてはならない騎士がもう一人……彼女はか弱い女性の身でありながら……私を守り……たった一人凶剣の前に立ち……戦い抜いた!そんな彼女が今日!私の妻となって――」

「おい……そこを退くがよい」

 いずれは誰かが遮ったであろう言葉を断ったのは、彼の背後に控えていたオリヴィアであった。

「おぉ……オリヴィア嬢!君からも話があるのかな?でも、もう暫らく待っておくれ。手短に締めくくるさ」

「そこを退けと言ったのだぞ……?」

「……え?」

 壇上の先端に立つ夫となるはずの男。
 オリヴィアがその背を指先でトンッと優しく押すと、彼はバランスを崩し、壇上から転落した。

「ぐぇえ!?」

 無様な恰好のまま床に打ち付けられ、轢き殺されるカエルのような声をあげた男に、会場のあちこちからは小さな笑い声が聞こえてくる。

「皆の時間を僅かばかり頂戴したい。わらわはこの場を借りて皆に言わねばならぬことがある」

 場内を駆け抜けたオリヴィアの声。
 その瞬間、笑い声が止み、皆がその音に耳を傾けた。

「足を運ばせてしまった中、誠に心苦しく思うばかりだが……此度の婚姻、わらわは承諾しかねる!」

「な、何だと!?」

 思わぬ発言に誰もが唖然とする中、一人慌てふためいたのが婿養子となるはずだった男。

「そもそも此度の一件は、ラークリウス家の、延いてはラグーエルの今後の繁栄を憂いたためだと現当主である我が父から聞かされている。それが誠の意であるならば、一考の余地もあろうが、蓋を開けてみれば茶番も茶番。民の未来を、己が欲を満たさんがために穢すとあらば、黙って見過ごすわけにもいくまい?」

「そ、そそ、そんなことがお前一人に決められるわけがない!」

「貴様の言う通りだ。今の時点ではな。だからこそ、わらわは宣言せねばならん。ラークリウ家が嫡女オリヴィア・ラークリウスは、今この瞬間を以て、父よりラークリウス家の家督を相続!さらに、領主の任を継承することを誓おう!!」

「な……じ、自分が何を言っているのか――」

「有事において!民の背中に隠れ、震えるだけの恥知らずに領主が務まるわけがあるまいっ!!」

「ひっ……!?」

「剣になれぬのならば、盾となれ!民の血が流れる前に己が血を流せ!それでこその領主であろうがっ!戯け!!」

 皆、その言葉に聞き入っていた。

「わらわは未だ若輩も若輩。力も知恵も及ばぬが故、暫らくは皆に苦労もかけよう……だが、民の幸せを願う強さだけは何人にも譲らぬ!人が享受すべき愛を、自由を、希望を守るために戦おう!伏して頼む!わらわを信じてはくれぬだろうか?わらわを欲してはくれぬだろうか?わらわは其方らの声の全てに耳を傾け、誰も涙で頬を濡らすことのない世界のため、この身、この魂の全てを捧げるとここに誓おう!!」

 直後、湧き上がる喝采の拍手は、会場の屋根を易々と突き抜け、ラグーエルの空にいつまでも響き続けた。







 会場の庭に植えられた大きな木の陰に、一人の少女が座り込んでいた。
 目にいっぱいの涙を溜めながら、少女は笑う。

「ありがとう……ぐすっ……本当にありがとう……リーネ……」

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