傭兵として戦場に立ち、勝って帰った報酬銀貨五枚と銅貨七枚。
それが仕事に見合ったものかどうかを考える必要はない。
少なくとも自分には……
「おう!帰ったか。稼ぎは?」
家に帰ると、ドアの前で父が待ち構えるようにして立っている。
労いの言葉一つかけることもせず、息子の稼ぎを搾取する父。
銀貨四枚と銅貨七枚を手渡されると、満足そうな顔を浮かべてしばらく家を出て行くのだから何とも気楽なものだ。
「レスター?帰ったの?」
「ただいま、母さん。これお給料」
ポケットから取り出した一枚の銀貨を手渡す。
「いつもありがとう。このご時世に数日で銀貨一枚なんて……商店街の裏方の仕事なんでしょう?危ないことはしてないのよね?」
「もちろん。悪い事なんてしてないよ。ちゃんとした仕事さ」
母には本当の事は伝えていない。
商店街の地主に裏方の仕事を紹介してもらったと嘘を付き、本当は傭兵として戦うことを仕事にしている。
まだ十歳の子供がそんなことをしていると知れば、無理をしてでも止めようとするだろう。
女手一つで家計を支えようと、長年無理をしてきた母を少しでも楽にしてあげたい。
大陸南の海沿いに位置する小さな街。
そんなところでできる仕事といえば限られる。
近くにある流水の都『ラグーエル』まで出稼ぎに行くか、傭兵として戦場に出る。
そうでなければ漁業の手伝いくらいなものだ。
「あの人は……?」
「出て行ったよ。しばらく帰ってこないんじゃないかな?」
最初にこの仕事を紹介してきたのは父だ。
父は昔、そこそこ名の知れた傭兵だったらしい。
実際に使っていた短剣と磨き上げた技と生き残るための知識。
幼い頃からそれを叩き込まれたが、それは苦ではなかった。
父と刃を交える瞬間はその力と誇りを感じることができたから。
だが、昨年のことだ。
いきなり傭兵として戦場に放り込まれた。
命からがら帰ってきた自分を見ると、あろうことか、父はその報酬をふんだくり、ラグーエルのカジノへ入り浸るようになる。
最初からそうだったのだ。
代わりに金を稼ぐ身代わり作り。
自分はあの男にとってそれ以上でも以下でもない。
それでも感謝できる点を挙げるなら、賃金の中からくすねた金を母に渡せるようになったことと、母を支え、護るだけの力を与えてもらったことだ。
そんな矢先、ギャンブルに負けた父が家の金に手をつけた。
最初は自分の稼ぎ。
それが面倒になって息子の稼ぎ。
そして最後に母が懸命に工面していた金。
怒りで我を失いそうだった。
「ゴメンね……あなたの頑張りだって含まれてるのに……」
「そんなこと言うなよ!僕がもっと頑張るから!!」
「……もういいの」
「なんとかやってこれたんだ!もっといい仕事を紹介してもらえばすぐに……!」
「もういいの」
「何がさ!?」
「お母さんと、この家を出ましょう」
「……え?」
「ラグーエルのウィース家は知ってるわね?」
ウィース家。
ラグーエルに居を構える由緒ある貴族で、街全体の貿易を管理している。
街の住人からの信頼も厚く、ラグーエルの実質的リーダーの一角ともいえる一族。
「そのメイド長がお母さんの昔のお友達なの。前から相談してたのだけど、今回の話をすれば助けてくれると思うわ」
「それじゃあアイツから逃げたみたいじゃないか!?」
「あなたが気にすることじゃないわ。お母さんが決めたことよ。あなたを守るために」
「母さん……」
こうして長年暮らした家と父を捨て、母と自分はウィース家を頼ることとなった。
当のウィース家はというと、母の頼みを快く受け入れ、住み込みで働かせてくれるとのことだ。
「ゴメンなさい……押しかけることになってしまって……」
「水臭いわよ。人は助け合うことで共に生きていける。旦那様がいつもおっしゃっているわ」
「ありがとう……」
「そちらは息子さんね?まだ若いのに大変だったでしょう」
「初めまして。レスターです」
「ふふ。お嬢様とも良いご友人になれそう。部屋に案内するわ。荷物を置いたら、旦那様方に挨拶に伺いましょう」
見るもの、触れるもの全てに生きる世界が違うと痛感させられる。
いくらジャンプしても届きそうにない高い天井。
フカフカの絨毯が敷き詰められた廊下。
見慣れない景色にいかんせん落ち着かない。
――コンコンッ
「旦那様。お二人をお連れしました」
「うむ。入りたまえ」
――ガチャッ
「待ちわびたよ!彼女の友人だと聞いて楽しみにしていた!言ってくれれば迎えを寄越したのだが、遠慮したのだろうか?なかなか謙虚な性格のようだね。ところで昼食はもう済ませたかな?我々はこれからなのだが良ければ一緒にどうだろう?立場上、街の外に足を運ぶ機会を作ることも簡単ではなくてね。是非、外の話を聞かせてもらいたいものだ。そうだ!代わりに海の向こう側の話を聞かせよう!行商人達からの受け売りのものばかりだが、面白い話も多くてね!おや?押し黙ってしまって。緊張でもしているのかね?」
「……違いますわ、お父様。また悪い癖が出てますの!」
「おっと……失敬。話好きな性分なものでね。この調子でいつも相手を困らせてしまっているのだが、どうも癖というのは抜けないもので、こうして娘に注意されてしまう。ところで――」
「お父様!」
「うむ。危なかった」
「お初にお目にかかりますわ。ウィース家長女、リオーネ=ウィースですの」
「ウィース家当主、レオナルド=ウィースだ。家を代表して歓迎するよ!」
まるで夥しい数の弓でも浴びせられたような衝撃だった。
だが、なんにせよ悪い人ではないようだ。
その日から母はウィース家に仕えるメイドの一員として働くことになった。
自分はというと……
「レスター!屋敷の中に隠れるなんて卑怯ですのよ!」
「かくれんぼは見つかりにくいところに隠れるのが当たり前だろ?リオーネは屋敷の中は禁止だなんて言ってなかったし」
ウィース家ご令嬢、リオーネと遊ぶ日々。
彼女の父レオナルドは仕事が忙しく、これまではメイドが遊び相手をしていたようなのだが、歳が近いこともあり、自分が屋敷に来てからは自然と自分が遊び相手となった。
友情を深めていく中で、このように衝突することも少なくない。
「言うまでもないですの!お外で遊ぼうと言いましたわ!」
「だから始めるときは外に出たじゃないか!だいたい庭の真ん中に隠れられるところなんてないだろ!?」
「お嬢様!如何なさいました!?また息子が何か失礼を!?」
「違うよ、母さん!リオーネが――」
「お嬢様とお呼びしないとダメでしょう!少し目を離すとすぐにこうなんだから……あぁ……申し訳ありません!」
その度に母が大慌てで頭を下げに飛んできたが、彼女も二人の勝負だと言い張って譲らずますますヒートアップ。
肝心のレオナルドはというと、書斎からその様子を笑って見守っていた。
そうして数年を過ごしたある日のことだった。
母が他界した。
買出しに出向いた先で、暴漢に襲われたらしい。
何かが心の中で崩れていくのを感じた。
そういえばここに自分がいられたのは、住み込みで働く母がいたからだ。
母がいなくなった今、もうこのお屋敷にはいられない。
「これまでお世話になりました……」
すでに陽も落ちていたが、屋敷を一人出たレスターは、門を出たところで振り返り、深く頭を下げた後、どこへともなく歩いて行った……
「起きなさい!!」
虚ろな目を頭上に向けると、眩しい朝日に被る形でリオーネの顔が見える。
「ん……リオーネ?」
体を起こそうとすると、じわりと体中に広がる鈍い痛み。
路地の石畳と、屋敷のベッドの寝心地の違いが身に染みる。
あても無く街を歩き続け、終にはそのまま道端で眠ってしまったようだ。
「呑気なものですわね!探しましたのよ!」
「……何で?」
「貴方を連れ帰るために決まっていますわ!」
自分を立たせようと手を差し伸べる彼女。
だが、その手を取ることはできない。
「もう母さんもいないし、何もできない僕を屋敷に置いておく理由はないじゃないか……」
「いいから早く帰りますわよ!!」
手を掴み、何が何でも屋敷に連れ戻そうとする彼女。
なぜそこまで必死になっているのかが理解できない。
「リオーネ。探したぞ……大丈夫かね?」
「お父様!レスターが!」
「わかっているよ。少し落ち着きなさい」
「わかりましたわ……」
「リオーネ。もう日も落ちる。屋敷に戻りなさい」
「いやですわ!レスターをこんな所に置いて帰れるわけがありませんの!」
「いいんだよリオーネ。元々僕は血もつながってないただの他人だし……母さんがいなくなったんだから屋敷にいて良い訳がないじゃないか……」
「何を言っていますの!?許しませんわ!」
「レオナルドさんもそう思いますよね!?僕を養うメリットなんてないじゃないか!」
「うーん……困ったね。レスター君の言う事も一理ある」
「お父様!?」
「わかっただろうリオーネ!?もう放っといてくれよ!!」
レオナルドは難しい顔をしていた。
同情しているのだろうか。
そんなもの……いらない……僕には……
「いやですわ!!」
リオーネは歯を食いしばりながら、目に涙を溜めているように見えた。
「いい加減にしろよ!僕に屋敷で暮らす資格なんてないんだ!」
「ならわたくしがその資格を作りますわ!!レスターは今からわたくしの執事になりなさい!」
「はぁ!?何言ってんだ!?」
「決めましたわ!今直ぐ屋敷に戻りなさい!わたくしの執事なんですから!」
「待てよ!何勝手に!!レオナルドさんもなんとか言って……」
「決まりだね。この子が一度言い出したら私でも止められないことは知っているだろう?」
レオナルドは笑顔を向ける。
まるで、最初からこうなる事が分かっていたかのように。
「レスター君。大変申し訳ないが、君にはこれからこの子の専属執事として、正式に働いてもらうことになった。面倒な手続きなどは私の権限によりこの場で省く。これで君は屋敷に戻る権利を得ると同時に、義務を課せられてしまったわけだ。わかるね?」
「さぁ、すぐに帰りますわよ!」
「ちょっと待って――」
こうしてなし崩し的にリオーネの専属執事となったレスター。
考えるよりも先に行動しがちな彼女らしい判断だが、今回に至っては彼女の父までがそれを後押ししている。
やはり親子だ。
彼が言うには自分もまた家族らしい。
状況を飲み込み切れずにはいたが、新たな家族を得たという嬉しさと、楽しかった屋敷での暮らしに戻れる喜びは、断る気を根こそぎ奪い去っていった。
湯気に煽られふわりと漂う茶葉の香り。
音を立てずに差し出されたティーカップの取手をつまみ、ゆっくりと口元に運ぶ様子を微かに緊張した面持ちで見守る。
「……うん。合格ですわね。お供がマカロンなら満点でしたわ」
「ありがとうございます。明日、ご用意いたしましょう」
リオーネの専属執事となったあの日から数年の月日が流れた。
この数年で培った経験は何から何まで彼女仕様。
肉体的にも精神的にもかなり堪える。
喧嘩を見かければ中心に飛び込み仲裁しようとする。
買い物のお供をすれば、片道数日はかかろうという距離のミールまで連れ回され、買って帰ったのはランプ一つ。
その程度ならまだマシだ。
風呂の支度を任されれば、待ちきれないと言いながらタオル一枚で入ってくる。
部屋に呼ばれたかと思えば、ドレスの背中のファスナーを上げてくれだの。
そもそもそこにいるのが自分と同年代の男であるという自覚はあるのだろうか。
それを当たり前だと思っているのか、それとも相手を選んだ結果なのか……
こんな日中を過ごす毎日だが、レスターはどこか楽しんでいた。
そして日が落ちると、レスターは違う顔を見せるようになる。
――カランッ
路地裏にひっそりと戸を構えるバー。
カウンターまで歩み寄ると、バーテンに銀貨三枚を手渡す。
探しているのは情報。
既に母の死の悲しみは乗り越えた。
だが、下手人が何の罰も受けずにのうのうと生きていると考えると、我慢がならない。
レスターはリオーネが眠りについた後、毎晩のように夜の街へと出かけ、母の死の真実を探っていた。
目撃情報から、犯人が剣の旗を掲げた海賊であることはすぐにわかった。
しかし、その所在をいくら調べても掴むことができない。
「――というわけです。何かご存じありませんか?」
「海賊ねぇ……近頃この辺に出没してるらしいが、剣の旗となると知らねぇな」
「そうですか……何か情報を掴んだら教えてください」
「……あいよ」
さらに差し出された銀貨一枚。
軽く笑みを浮かべながらバーテンは答えた。
「今日も収穫は無しですか……ん?」
数時間ほど街を徘徊し、屋敷へ戻ろうと踵を返した矢先、何やら揉めている男達の姿が見える。
夜の街では時々こうしたトラブルを目撃する。
貿易業を管理するウィース家にとっては、ラグーエルの治安は信用そのもの。
ウィース家に拾われた恩を少しでも返そうと、素性を隠して速やかに解決することにしていた。
いつしかラグーエルの夜闇に舞う仮面のヒーローなどと噂されているらしいが、こうした噂が犯罪の抑制に繋がるならば大いに結構。
「どうしましたか?」
どうやら男達が数人がかりで一人の兵士をいたぶっている様子。
今回のはただの喧嘩のようだ。
「あぁ?何だそのふざけた仮面は?誰だてめぇ!?」
「おい……こいつ、噂の仮面のヒーローじゃねぇか?」
「丁度いい。その仮面ひっぺがして、正体暴いてやるよ。皆知りたがってるだろうぜ」
「やれやれ……やはりこうなりますか」
「スカしてんじゃねぇぞ!」
男が隠し持っていたナイフが勢いよく突き出される。
レスターはヒラリと躱し、腰に差していた短剣で打ち払う。
驚いてひるむ男達。
その隙に一撃ずつ加え、瞬く間に床へ転がす。
「すまねぇな……助かったよ」
「いえ。では私はこれで」
「一つだけ聞きたいんだが、その短剣……あんたのか?」
「これですか?そうですが何か?」
鞘に収められた短剣を覗き込むようにしながら問いかける男。
昔、父にもらったものだが、あの男を知っているのだろうか。
あえてはぐらかすようにレスターは答える。
「……いや、なんでもねぇ。ありがとな!」
数日後、思わぬ形でレスターは驚かされることとなる。
レスターの耳に、仮面のヒーローの新たな噂が飛び込んだ。
その正体として、ある人物の名前が挙がっているそうだ。
その名は救世主ラザレス。
父の名である。
ラザレスの使っていた短剣が、ヒーローの持っていた短剣と酷似していたことから生まれた話らしい。
短剣を見られたことがこんな形で誤解を招くとは。
話を聞くと、その名が知れ渡ったのは二十年前に起きた、魔物の襲撃事件の時とのこと。
その際、最前線で最も大きな功績をあげ、街を救った救世主として称えられた傭兵が父だ。
当時、この事実は街中で大々的に報じられ、当時ウィース家を含む街の権力者たちは彼を表彰しようとしたが、父は金や名誉のためにやったことではないとこれを拒否。
ある貴族がその態度を咎め、母と共に国外追放処分としたのだという。
あの男が一体何を想って剣を握ったのか。
今回の件は、聞くべきではなかったと後悔している自分がいる。
ただの憎らしい父のままでいてくれた方がよほど気楽というもの……
「あら?ここにいましたのね」
メイドに父にまつわる話を聞いた後、リオーネの部屋へと向かおうとしたところで彼女とバッタリ出くわした。
「近くにいないものですから探してしまいましたわ」
「申し訳ありません。すぐにお荷物をお運びいたします」
ちょうどその日は、予てよりリオーネが楽しみにしていたアスピドケロンへの旅立ちの日だった。
彼の地では、年に一度弓の大会が開かれる。
由緒ある歴史と規模は大陸一と言っても過言ではないだろう。
数年間打ち込んできた弓の技量を試す目的とはいえ、小さな大会などには目もくれず、いきなりそれに出場しようという辺りがいかにも彼女らしい。
「二人とも準備はできたかね?」
「えぇ!お父様」
「うむ。では行こうか」
娘の晴れ舞台を傍で応援しようと、レオナルドもまた同行する。
出るからには優勝……とはいかないまでも、せめて二人が笑顔となる結果に終わってくれれば幸いである……
…………
……
「お父様!レスター!見まして!?優勝しましたわよ!」
「なんとも……これは……」
「お、お見事……です」
弓の鍛錬に励む姿を見てきた自分やレオナルドにすら予想外の結果だった。
思えば、彼女以外の弓の使い手を見る機会はなく、それゆえに彼女の才能がいかに優れているものか考えたこともなかったのだ。
本来なら三日かけて開催されるはずだった大会。
しかし、予選で他の参加者と観客に見せつけた圧倒的な才能のせいで、ほとんどの選手は棄権。
残った参加者も健闘していたが、思わぬダークホースの出現に困惑したのか、平静を欠いたまま脱落していった。
最終的にはわずか数時間足らずで大会の幕が下りる結果となり、歴代最年少優勝という肩書と共に、見事優勝を果たしたのがリオーネだったわけだ。
三日間の滞在を予定していた為、ぽっかりと予定が空いてしまった一行。
レオナルドは丁度溜まっていた仕事があるといい、お供を連れて先に帰ったが、リオーネとレスターはそのまま二日かけて街を観光して回った。
「実に楽しかったですわね!時間が一瞬で通り過ぎたかのようでしたわ」
「はい。道中の船旅の方が長く感じてしまうほどでございます」
「……レスターは、わたくしがこの旅で目的にしていたことが何かおわかりかしら?」
「弓の実力を試したかった……のでは?」
「それもありますわ。でも、もう一つありますの。わたくしの夢にとって、得られるものがあると考えたからですわ」
「夢ですか……それを私に聞かせていただけると?」
「お父様にも言ってませんのよ?内緒にしてくださるかしら?」
「お嬢様がそう望まれるなら」
「……わたくし、お父様のように優しくて、力のある人間になりたいと考えていますの」
「でしたら今でも十分に――」
「それはあくまでわたくし個人の力に過ぎませんわ。皆を代表する立場に立ち、信頼され、その想いに報いるために力を振るう。お父様は昔からわたくしの憧れでもありますの」
「…………」
「お父様は自分を信頼してくれる全ての方々を家族だと思っていますわ。未熟なわたくしは、まだ屋敷にいる皆がせいぜい。でも、お父様のように街全体を……そしていつかは大陸中を一つの家族として、最高に幸せな世界を作って見せますの!それがわたくしの夢の終着点ですわ!今回の旅は、将来家族になっていただく方々と触れ合う貴重な機会にもなると考えたからですの」
「私にはスケールが違いすぎて想像もできない世界です。ですが、お嬢様がそれを望まれるなら、私はそれを執事として、家族として全力で支えたいと思っております」
「素敵な言葉ですわね!レスターはどんな夢をお持ちですの?」
「私は……夢など考えたこともありません。ウィース家に仕える前は母と共に生きることに必死でしたので。今はその頃に比べて本当に幸せです。これ以上は何も望みません」
「そう……何かやりたいこともありませんの?」
「そうですね……果たしたいこと、という意味でしたら、母の命を奪った連中には然るべき報いを受けさせてやりたいとは思います」
「レスター……」
「あっ……申し訳ありません!お嬢様のお耳にこのような……」
「いいえ。あの方は、私にとっても家族でしたわ。その無念を晴らすことは間違ったことだとは思いませんの」
「お嬢様……」
「でも、道に外れる様なことだけはしないと誓っていただきますわ!ならばわたくしもできる限りの協力を惜しみませんの!」
そう。
ウィース家を訪れたあの日から、今は自分と同じように母を想ってくれる人がいる。
それだけで救われる気がした。
「必ず誓います……」
――二日後
「ただいま帰りましたわ!」
「無事に戻った様で何よりだ!レスター君もご苦労だったね」
「とんでもございません」
「お父様!祝勝会の用意は進んでおりますの?」
「それが……祝勝会は少し待ってくれるかな?」
「……何か急用ですの?」
「あぁ。すまないな」
その時の様子がどうにも気になった。
茶を運んだ際、そのことについて尋ねてみたレスター。
「やはり私は隠し事が苦手なようだ……実は、君たちが留守の間にやっかいなことが起きてね……」
ラグーエルの商船が度々海賊に襲撃される事件が発生。
レオナルドが屋敷へ戻った直後に報告を受けたという。
様々な策を講じるも、毎度の如く逃げ果せられてしまい、今も対策に追われているとのことだ。
『海賊』
その言葉は、レスターの胸をざわつかせる。
「リオーネには内密に頼むよ。また無茶をしかねない」
「承知いたしました……ところで……」
「君の考えていることはなんとなくわかる。が、こういう時こそ冷静に対処しなくてはならない。わかるね?」
「……はい」
それから数日、リオーネが自室にこもりっきりになった。
初日は、自分の出したお茶が口に合わず気を悪くしたのかなどと、さほど重くは考えていなかったが、かれこれもう三日になる。
海賊のことが彼女の耳に入れば、飛び出して事件の渦中へ飛び込んでいくのは目に見えているので、幸いその危険は無さそうだが、これはこれで心配だ。
「お嬢様?夕食をお持ちしました。もう部屋に閉じこもって三日。旦那様も心配されております」
「……入って構いませんわ」
「失礼します。一体どうなされたのですか?」
「レスター。わたくし、海賊討伐に参加しますわ。留守を頼みますの」
「……今なんと?」
「今、お父様の雇った傭兵の方達が海賊を討伐するための作戦を立ててますの。なんでも軍用船を商船に偽装して彼らを誘き出す作戦のようですけど……それではダメ。同じ作戦を何度試してもダメですわ!」
確かにレオナルドは様々な策を講じているとは言っていたが、部屋に閉じこもったままどうやってその話を聞きつけたのか甚だ謎である。
口元は笑っているが瞳の奥が燃えているリオーネが良からぬ事を考えている気がしてならない。
「わたくしはお父様には出来ない作戦を決行しますわ!」
「お待ちください!なぜお嬢様がそのような危険を――」
「レスター!お父様はこの件でずっと頭を悩ませていましたの……なら、家族としてそれを解決する手助けをするのは当然ですわ!」
「それは……間違ってはおりませんが……しかし――」
「ウィース家の一員として、外の方達だけに任せて事態をただ見守るなんてわけにはいきませんわ!なんと言われましても、わたくしは行きますわよ!」
「旦那様が傭兵を雇われたのは、お嬢様や家の者達を危険に晒すまいと考えたからなのでは!?」
「それは父としての判断で、ウィース家当主としてのものではありませんわ!わたくしは父レオナルドの娘である前に、ウィース家の一員ですのよ!」
「ならば傭兵と協力しましょう!それならいくらか危険を減らすことも――」
「海賊は生きるために船を襲いますの。獲物を観察し、確実に仕留められると判断した時にのみ行動を起こしますわ。軍船をいくら巧妙に偽装したところで、そんな彼らの目を本気で誤魔化せるとお思い?」
「ではそれを傭兵に伝え、作戦の変更を提案すれば――」
「どのみち外の方達の手を借りる形で解決することをわたくしは望みませんの!」
ダメだ。
こうなった彼女は止められない。
恐らくレオナルドにも無理だろう。
ならばせめて……。
「……わかりました。しかし、私も同行させていただきます。これは絶対条件です」
「レスターが!?わたくし一人で……」
「それができないのであれば、屋敷から出すわけにいきません」
「ぐっ……仕方ありませんわね……くれぐれもわたくしの邪魔をしようなどとは思わぬことですわ!良いですわね!?」
「承知しております……時にお嬢様?ここ数日、部屋に籠られていた理由は何なのでしょう?」
「何でもありませんわ。少し調べ事をしてましたの」
今回の騒ぎを聞きつけた理由もその辺りにありそうだが、追及しても今ははぐらかされるだけだろう。
お嬢様の事だ。
海賊に報いを受けさせる……。
アスピドケロンの大会の帰路で私が話した事がキッカケになっているのだろう。
お嬢様が何を言っても聞く耳を持たない時は、誰かの為と決まっている。
「家の者に見られぬよう抜け出しますわよ。バレたら連れ戻されかねませんわ……」
「承知いたしました……」
そこを理解していながらの行動は、褒めるべきか呆れるべきか。
なんとか誰にも見られることなく屋敷を抜け出した二人。
船着き場へと到着し、乗り込む船を探すと、まさに出港準備中の商船が停泊していた。
二人は人目を避け、船尾から船へと潜り込むと、適当な船室に身を隠して出航を待つ。
数時間後もすると、甲板が少し騒がしくなってきた。
間もなく出航のようだ。
「ん……レスター?どうしましたの?」
「まだお休みになっていてください。そろそろ船が出るようです」
「そう……お言葉に甘えて、もうお少しだけ寝かせてもらいますわ……着いたら起こしてくださいまし……」
船室のベッドで仮眠を取っていたリオーネだが、このような質素なベッドで眠る経験などない彼女には、熟睡することは難しかったのだろう。
目を開けないまま、再び眠りについてしまった。
それを見守るレスターの心中は彼女への謝罪の言葉で溢れていた。
海賊が現れたら自分一人で片を付ける。
屋敷では決心が固められずにここまで連れてきてしまったが、穏やかな彼女の寝顔を見て、ようやく心は決まった。
相手がどれほどの戦力を持っているかもわからず、彼女には実戦経験もない。
戦闘が発生すれば、確実に彼女を守れる保証はない。
いっその事、このまま何事もなく目的地まで着き、海賊の方は傭兵がなんとかしてくれれば。
そんな希望的観測が頭の中を巡る。
彼女さえ無事でいてくれるのなら……
そんなレスターの願いは、次の瞬間に打ち砕かれる。
「おい!なんだあの船!?……海賊だ!!」
ここまでお嬢様を連れてきた罰でも当たったのか、海賊船の襲撃を知らせる声が甲板から響き渡る。
「くっ……お嬢様!こちらへ!」
「レスター?どこへ行きますの!?」
行先は船底。
そこに都合のいい物置を見つけると、リオーネを半ば無理やり中へ入らせる。
「ちょっと……何ですの!?海賊が出たのでは!?」
「申し訳ありません。後でいくらでもお叱りは受けますので!」
「どういうことですの!?」
「お願いいたします!絶対にここから動かないでください!お嬢様を危険に晒すわけにはいかないのです!」
「そんな!ここまできて!!レスター!!」
「どうかお許しを!」
扉を閉め、傍にあった木箱で塞ぎ閉じ込める。
そのまま即座に踵を返し、レスターは甲板へと駆け戻った。
「急いで荷を隠せ!違う!!貴重品からに決まっているだろう!!」
「ちくしょう……ちくしょう……!」
既に甲板は混乱に陥っていた。
ゆっくりと距離を詰めてくる船影。
旗を確認するが、そこに剣の印は見えない。
結局、自分にとっては無駄足となってしまったわけだが、今はそんなことも言っていられない。
全て自分一人で片付ける。
「お、おい誰だお前!?うわっ!!」
突如、メインマストの上にある見張り台からの声。
何事かと思い、見上げた視線の先。
そこには身を半分乗り出して見張り台から落ちかけている男と、あろうことかリオーネの姿があった。
「な……!?お嬢様!」
扉を塞いでいたとはいえ、無理をすればそこから出ることも可能だっただろう。
だからこそ自分はあれだけ頼み込んだというのに。
「あの女……何する気だ!?」
眼前の船を真っ直ぐ見据え、弓を弾き絞るリオーネ。
「まさか……」
「狙いましてよ!」
掛け声とともに、船腹に向けて雨のように弓を浴びせるリオーネ。
完全に不意打ちを食らう形となった海賊船は、逃げることも抵抗することもできないまま、見る見るうちに沈んでいく。
レスターにそれを止める術はなかった。
何はともあれ、レオナルドにはこの件を報告しなくてはならない。
だが、なんと報告すべきなのか考えがまとまらず、結局夜が明けても答えを出せずにいた。
当然、リオーネが海賊船を沈めましたなどとは口が裂けても言えない。
かといって彼女の気持ちを父に一切伏せるというのも心苦しい。
考えは堂々巡り。
「仕方ないですね……」
もう済んでしまったことだ。
今回の件は正直に話し、自分だけでなるべくお叱りを引き受けよう。
それがレスターの出した答えだった。
「本当に恐いもの知らずというか……ねぇ?」
レオナルドの書斎へと向かう途中、メイドたちのそんな会話が耳に入ってきた。
「何かあったのですか?」
「あぁ、レスター君。なんでも昨日、帝国軍の船が商船に沈められたんですって」
「帝国……の船……?」
「ほら。最近、海賊の一件で街が慌ただしいでしょ?帝国軍も哨戒任務中だったらしいのだけど、見かけた商船を検問しようとした途端、弓で一方的に攻撃されたらしいわ」
「……その話、お嬢様には?」
「いえ。まだお聞きになっていないと思うわ」
「そうですか。お嬢様にはご内密にお願いします。これ以上、問題事をお耳に入れるのは好ましくありませんから」
「そうね……わかったわ」
なんということだ。
帝国は何が何でも犯人を見つけ出そうと今も血眼になっていることだろう。
自分が彼女を止められていればこんな事にはならなかった。
彼女の意思を尊重したかったと考えつつ、結局は自分の手で彼女を悲しませたくなかっただけの甘えた行動のつけだ。
きっかけはなんにせよ、レオナルドや街のことを想って取った行動がウィース家の危機を招いたと知れば、とてつもない苦しみが彼女を襲うことになるだろう。
自分の甘さが最も彼女を傷つける結果を生んでしまった。
恐らくこれが最後の日記となることだろうと考えながらペンを走らせる。
明日、レオナルドにこの一見の犯人が自分であることを告げに行く。
きっと戻っては来る事はできない。
部屋を整理して、出来るだけ物を残さずに去ろう。
少なからずウィース家の名誉を穢すことにはなるだろうが、直系の者でないのなら最悪の事態だけは避けられるかもしれない。
「レスター君!大変よ!お嬢様が……!!」
翌朝、レオナルドの元へと向かおうとしていたレスターが呼び止められる。
メイドが言うには、朝になってもなかなか起きてこないリオーネを不審に思って部屋を覗いてみると、ベッドはもぬけの殻となっており、彼女の姿を屋敷中探したが見当たらないようだ。
「お嬢様!?」
ノックもせずにリオーネの部屋へと踏み入るレスター。
やはり彼女の姿はない。
「くそっ!どこに……これは?」
ふと彼女の机に、一冊の本が開かれたまま置きっぱなしになっているのが見えた。
悪い考えが頭を過り、屋敷を飛び出して街の方へ走り出す。
机の上に置かれていた本。
それはレスターが日々の出来事を記録していた日記だった。
迂闊な事に、そこには帝国軍船をリオーネが沈めたことも書いており、それを見たリオーネが何らかの行動を起こしたのだ。
「すまない!誰か、ウィース家のリオーネお嬢様を見かけなかったか!?」
「珍しいな。昼間からここに来るなんて」
夜な夜な足を運んでいた酒場。
表通りをひとしきり探しても彼女を見つけられなかったため、今度は裏道沿いを捜索する。
「そのお嬢さんかはわからないが、向こうの通りで揉めてる男女なら見かけたぜ?」
「本当か!?」
それがリオーネなら、トラブルを起こしていた相手は帝国軍の関係者である可能性も十分考えられる。
もし、連行されでもしたら取り戻すのはまず無理だろう。
「くそっ……どこだ!?」
その時、レスターの頭の底から一片の記憶が蘇る。
「そういえば……この辺りは……」
反帝国勢力。
巷でその存在が噂されている彼らのアジトがこの辺りの地下にあるという話。
路地を少し探索すると、確かに地下に降りる階段が見つかった。
そのまま階段を駆け下りると、そこには地下とは思えないほど広いホールのような空間が広がる。
さらに、少し遠目に何やら男達と口論している人影……そこに彼女がいた。
「お嬢様!!」
駆け寄るレスターに気付きはしたようだが、意にも介さず口論を続ける。
「何故わたくしの入隊を認めませんの!?」
「ウィース家のお嬢さんと言えばこの街じゃ有名人だ。俺達があまり目立ちたくないのはわかるだろ?大体、帝国の船を沈めたのがあんただって証拠もないだろう?」
「ですから!弓の腕前ならばいくらでも見せますわ!!」
平行線を辿る会話の中、リオーネの腕を掴み来た道を引き返そうとする。
「お嬢様。屋敷に戻りましょう。彼らも困っています。旦那様には私が説明しますから」
レスターとしては帝国にあえて弓引く組織へリオーネを預けるなどあってはならない。
家に迷惑をかけたくないという彼女の想いはわかるが、このやり方は危険すぎる。
幸い、先方も断っているようだ。
便乗してなんとか説得しようと試みるが……
「おい!ちょっと待った!」
鎧を着込んだ男がレスターを止める。
「申し訳御座いません。ご迷惑をお掛けしました。今後同じことのないようお話しますので」
そこまで口に出すと、男の後方にある重たそうな鉄のドアが開いた。
「あっ頭首……お疲れ様です」
門番をしていたであろう男は軽く頭を下げる。
「そこの2人。この場所をどうやって知った?」
汗が出る程の威圧感。
そんな中でも、リオーネは態度を変えない。
「馬鹿にしないでくださいまし!こんな所に身を隠して、本気で帝国の目から逃れられるとでも思っていまして?」
「なんだと……?」
「現に、噂だけでここへ辿り着いた人間が二人もいましてよ?本当に帝国と戦う気がありますの!?」
「ぐっ……言わせておけば……!」
門番の男は剣を抜いた。
それに反応してレスターも短剣を抜く。
「なるほど……本当の事だったか……」
頭首の男はニヤリと笑う。
レスターにはその意味が分らない。
「お嬢さんの入隊を認めよう。だが、どうやら君の執事は反対しているようだが?」
「お待ち下さい!お嬢様をこんな組織に加入させる訳には……」
「悪いが、君は少し黙っていてくれ」
「大丈夫ですわ、レスター」
大丈夫な訳がない。
「では先程の条件通りですわね」
「あぁ、その男も一緒だというなら入隊を認める」
リオーネはレスターに向き直る。
「聞いていましたわね?レスター。わたくしと共に帝国軍と戦いますわよ」
「お嬢様!!何故そうなるのですか!?」
そんな話を受け入れられる訳がない。
しかし、こうなった彼女を止めることがどれだけ難しいか……
頭首の男は、レスターが手にする短剣を指差しながら笑みを浮かべた。
「お嬢様が心配だよな?なら共に剣を持とうぜ。仮面のヒーローさん?」
「っ……!?」
(なぜこの男がそれを……短剣……!?)
「お嬢さんの話は本当だったか。こんな芝居を打ってまで俺達に確認させようとは、大したお嬢さんだ」
(芝居?)
「噂は聞いてるぜ!あんだけ街の中を騒がしてれば聞かねぇ方が変だがな。あんたほどの手練れが仲間になるのなら、お嬢さんくらいのリスクは喜んで抱えようってもんだ。俺らは新たな戦力を手に入れ、あんたらは俺達という後ろ盾を手に入れる。どうだ?」
リオーネがニッと笑うのをレスターは見逃さなかった。
「レスター?これまで夜な夜な屋敷を抜け出してあなたがしていた事を、わたくしが知らないとでも思って?」
「……全て計算済みというわけですか……なるほど。話が見えてきました」
レスターは深い溜め息を吐く。
「しかし、それでもお嬢様を危険な目に合わせる訳にはいきません。私の正体をバラしたいのであればどうぞご勝手に。そんな脅しで私が揺らぐとでも――」
「違いますわ、レスター。あなたが断るのであれば、わたくしは帝国の船を沈めたと帝国軍に出頭するだけですわ」
「っ……!?そんな!!お嬢様それは!!」
「あなたは自分の命を帝国に差し出す事でウィース家を守ろうとしている。わたくしがそれに気付いていないと思っていますの?」
「それは……お嬢様の執事として――!!」
「それをわたくしが良しとすると思って?」
「それは――」
続く言葉が出てこない。
「選びなさいレスター。わたくしが帝国軍に出頭して罪を償うか、わたくしと共に帝国軍と戦うか」
母の敵討ちの件を話してしまったミス。
商船に乗せてしまったミス。
日記を覗かれ、真実を知らせてしまったミス。
全て自分の至らなさからここまでの事態になろうとは。
覚悟を決めなければいけない。
「ふぅ……困りましたね。どうしましょうか」
「何がですの!?早く決めて頂けませんの!?」
「帝国と戦うとなると……旦那様にどう説明すればよいか……」
問題は山積みだが、レスターの気持ちは穏やかだった。
「ということは、一緒に組織に入ってくれますのね!?」
一人で抱えようとすると、いつも助けようとするお嬢様。
誰かの為ならば、どんな無理もしてしまうお嬢様。
もう十二分に優しくて、力を持っているお嬢様。
このお嬢様を、何に変えてもお守りしたい。
「はい。私は、リオーネお嬢様に仕える執事ですから」
それが仕事に見合ったものかどうかを考える必要はない。
少なくとも自分には……
「おう!帰ったか。稼ぎは?」
家に帰ると、ドアの前で父が待ち構えるようにして立っている。
労いの言葉一つかけることもせず、息子の稼ぎを搾取する父。
銀貨四枚と銅貨七枚を手渡されると、満足そうな顔を浮かべてしばらく家を出て行くのだから何とも気楽なものだ。
「レスター?帰ったの?」
「ただいま、母さん。これお給料」
ポケットから取り出した一枚の銀貨を手渡す。
「いつもありがとう。このご時世に数日で銀貨一枚なんて……商店街の裏方の仕事なんでしょう?危ないことはしてないのよね?」
「もちろん。悪い事なんてしてないよ。ちゃんとした仕事さ」
母には本当の事は伝えていない。
商店街の地主に裏方の仕事を紹介してもらったと嘘を付き、本当は傭兵として戦うことを仕事にしている。
まだ十歳の子供がそんなことをしていると知れば、無理をしてでも止めようとするだろう。
女手一つで家計を支えようと、長年無理をしてきた母を少しでも楽にしてあげたい。
大陸南の海沿いに位置する小さな街。
そんなところでできる仕事といえば限られる。
近くにある流水の都『ラグーエル』まで出稼ぎに行くか、傭兵として戦場に出る。
そうでなければ漁業の手伝いくらいなものだ。
「あの人は……?」
「出て行ったよ。しばらく帰ってこないんじゃないかな?」
最初にこの仕事を紹介してきたのは父だ。
父は昔、そこそこ名の知れた傭兵だったらしい。
実際に使っていた短剣と磨き上げた技と生き残るための知識。
幼い頃からそれを叩き込まれたが、それは苦ではなかった。
父と刃を交える瞬間はその力と誇りを感じることができたから。
だが、昨年のことだ。
いきなり傭兵として戦場に放り込まれた。
命からがら帰ってきた自分を見ると、あろうことか、父はその報酬をふんだくり、ラグーエルのカジノへ入り浸るようになる。
最初からそうだったのだ。
代わりに金を稼ぐ身代わり作り。
自分はあの男にとってそれ以上でも以下でもない。
それでも感謝できる点を挙げるなら、賃金の中からくすねた金を母に渡せるようになったことと、母を支え、護るだけの力を与えてもらったことだ。
そんな矢先、ギャンブルに負けた父が家の金に手をつけた。
最初は自分の稼ぎ。
それが面倒になって息子の稼ぎ。
そして最後に母が懸命に工面していた金。
怒りで我を失いそうだった。
「ゴメンね……あなたの頑張りだって含まれてるのに……」
「そんなこと言うなよ!僕がもっと頑張るから!!」
「……もういいの」
「なんとかやってこれたんだ!もっといい仕事を紹介してもらえばすぐに……!」
「もういいの」
「何がさ!?」
「お母さんと、この家を出ましょう」
「……え?」
「ラグーエルのウィース家は知ってるわね?」
ウィース家。
ラグーエルに居を構える由緒ある貴族で、街全体の貿易を管理している。
街の住人からの信頼も厚く、ラグーエルの実質的リーダーの一角ともいえる一族。
「そのメイド長がお母さんの昔のお友達なの。前から相談してたのだけど、今回の話をすれば助けてくれると思うわ」
「それじゃあアイツから逃げたみたいじゃないか!?」
「あなたが気にすることじゃないわ。お母さんが決めたことよ。あなたを守るために」
「母さん……」
こうして長年暮らした家と父を捨て、母と自分はウィース家を頼ることとなった。
当のウィース家はというと、母の頼みを快く受け入れ、住み込みで働かせてくれるとのことだ。
「ゴメンなさい……押しかけることになってしまって……」
「水臭いわよ。人は助け合うことで共に生きていける。旦那様がいつもおっしゃっているわ」
「ありがとう……」
「そちらは息子さんね?まだ若いのに大変だったでしょう」
「初めまして。レスターです」
「ふふ。お嬢様とも良いご友人になれそう。部屋に案内するわ。荷物を置いたら、旦那様方に挨拶に伺いましょう」
見るもの、触れるもの全てに生きる世界が違うと痛感させられる。
いくらジャンプしても届きそうにない高い天井。
フカフカの絨毯が敷き詰められた廊下。
見慣れない景色にいかんせん落ち着かない。
――コンコンッ
「旦那様。お二人をお連れしました」
「うむ。入りたまえ」
――ガチャッ
「待ちわびたよ!彼女の友人だと聞いて楽しみにしていた!言ってくれれば迎えを寄越したのだが、遠慮したのだろうか?なかなか謙虚な性格のようだね。ところで昼食はもう済ませたかな?我々はこれからなのだが良ければ一緒にどうだろう?立場上、街の外に足を運ぶ機会を作ることも簡単ではなくてね。是非、外の話を聞かせてもらいたいものだ。そうだ!代わりに海の向こう側の話を聞かせよう!行商人達からの受け売りのものばかりだが、面白い話も多くてね!おや?押し黙ってしまって。緊張でもしているのかね?」
「……違いますわ、お父様。また悪い癖が出てますの!」
「おっと……失敬。話好きな性分なものでね。この調子でいつも相手を困らせてしまっているのだが、どうも癖というのは抜けないもので、こうして娘に注意されてしまう。ところで――」
「お父様!」
「うむ。危なかった」
「お初にお目にかかりますわ。ウィース家長女、リオーネ=ウィースですの」
「ウィース家当主、レオナルド=ウィースだ。家を代表して歓迎するよ!」
まるで夥しい数の弓でも浴びせられたような衝撃だった。
だが、なんにせよ悪い人ではないようだ。
その日から母はウィース家に仕えるメイドの一員として働くことになった。
自分はというと……
「レスター!屋敷の中に隠れるなんて卑怯ですのよ!」
「かくれんぼは見つかりにくいところに隠れるのが当たり前だろ?リオーネは屋敷の中は禁止だなんて言ってなかったし」
ウィース家ご令嬢、リオーネと遊ぶ日々。
彼女の父レオナルドは仕事が忙しく、これまではメイドが遊び相手をしていたようなのだが、歳が近いこともあり、自分が屋敷に来てからは自然と自分が遊び相手となった。
友情を深めていく中で、このように衝突することも少なくない。
「言うまでもないですの!お外で遊ぼうと言いましたわ!」
「だから始めるときは外に出たじゃないか!だいたい庭の真ん中に隠れられるところなんてないだろ!?」
「お嬢様!如何なさいました!?また息子が何か失礼を!?」
「違うよ、母さん!リオーネが――」
「お嬢様とお呼びしないとダメでしょう!少し目を離すとすぐにこうなんだから……あぁ……申し訳ありません!」
その度に母が大慌てで頭を下げに飛んできたが、彼女も二人の勝負だと言い張って譲らずますますヒートアップ。
肝心のレオナルドはというと、書斎からその様子を笑って見守っていた。
そうして数年を過ごしたある日のことだった。
母が他界した。
買出しに出向いた先で、暴漢に襲われたらしい。
何かが心の中で崩れていくのを感じた。
そういえばここに自分がいられたのは、住み込みで働く母がいたからだ。
母がいなくなった今、もうこのお屋敷にはいられない。
「これまでお世話になりました……」
すでに陽も落ちていたが、屋敷を一人出たレスターは、門を出たところで振り返り、深く頭を下げた後、どこへともなく歩いて行った……
「起きなさい!!」
虚ろな目を頭上に向けると、眩しい朝日に被る形でリオーネの顔が見える。
「ん……リオーネ?」
体を起こそうとすると、じわりと体中に広がる鈍い痛み。
路地の石畳と、屋敷のベッドの寝心地の違いが身に染みる。
あても無く街を歩き続け、終にはそのまま道端で眠ってしまったようだ。
「呑気なものですわね!探しましたのよ!」
「……何で?」
「貴方を連れ帰るために決まっていますわ!」
自分を立たせようと手を差し伸べる彼女。
だが、その手を取ることはできない。
「もう母さんもいないし、何もできない僕を屋敷に置いておく理由はないじゃないか……」
「いいから早く帰りますわよ!!」
手を掴み、何が何でも屋敷に連れ戻そうとする彼女。
なぜそこまで必死になっているのかが理解できない。
「リオーネ。探したぞ……大丈夫かね?」
「お父様!レスターが!」
「わかっているよ。少し落ち着きなさい」
「わかりましたわ……」
「リオーネ。もう日も落ちる。屋敷に戻りなさい」
「いやですわ!レスターをこんな所に置いて帰れるわけがありませんの!」
「いいんだよリオーネ。元々僕は血もつながってないただの他人だし……母さんがいなくなったんだから屋敷にいて良い訳がないじゃないか……」
「何を言っていますの!?許しませんわ!」
「レオナルドさんもそう思いますよね!?僕を養うメリットなんてないじゃないか!」
「うーん……困ったね。レスター君の言う事も一理ある」
「お父様!?」
「わかっただろうリオーネ!?もう放っといてくれよ!!」
レオナルドは難しい顔をしていた。
同情しているのだろうか。
そんなもの……いらない……僕には……
「いやですわ!!」
リオーネは歯を食いしばりながら、目に涙を溜めているように見えた。
「いい加減にしろよ!僕に屋敷で暮らす資格なんてないんだ!」
「ならわたくしがその資格を作りますわ!!レスターは今からわたくしの執事になりなさい!」
「はぁ!?何言ってんだ!?」
「決めましたわ!今直ぐ屋敷に戻りなさい!わたくしの執事なんですから!」
「待てよ!何勝手に!!レオナルドさんもなんとか言って……」
「決まりだね。この子が一度言い出したら私でも止められないことは知っているだろう?」
レオナルドは笑顔を向ける。
まるで、最初からこうなる事が分かっていたかのように。
「レスター君。大変申し訳ないが、君にはこれからこの子の専属執事として、正式に働いてもらうことになった。面倒な手続きなどは私の権限によりこの場で省く。これで君は屋敷に戻る権利を得ると同時に、義務を課せられてしまったわけだ。わかるね?」
「さぁ、すぐに帰りますわよ!」
「ちょっと待って――」
こうしてなし崩し的にリオーネの専属執事となったレスター。
考えるよりも先に行動しがちな彼女らしい判断だが、今回に至っては彼女の父までがそれを後押ししている。
やはり親子だ。
彼が言うには自分もまた家族らしい。
状況を飲み込み切れずにはいたが、新たな家族を得たという嬉しさと、楽しかった屋敷での暮らしに戻れる喜びは、断る気を根こそぎ奪い去っていった。
湯気に煽られふわりと漂う茶葉の香り。
音を立てずに差し出されたティーカップの取手をつまみ、ゆっくりと口元に運ぶ様子を微かに緊張した面持ちで見守る。
「……うん。合格ですわね。お供がマカロンなら満点でしたわ」
「ありがとうございます。明日、ご用意いたしましょう」
リオーネの専属執事となったあの日から数年の月日が流れた。
この数年で培った経験は何から何まで彼女仕様。
肉体的にも精神的にもかなり堪える。
喧嘩を見かければ中心に飛び込み仲裁しようとする。
買い物のお供をすれば、片道数日はかかろうという距離のミールまで連れ回され、買って帰ったのはランプ一つ。
その程度ならまだマシだ。
風呂の支度を任されれば、待ちきれないと言いながらタオル一枚で入ってくる。
部屋に呼ばれたかと思えば、ドレスの背中のファスナーを上げてくれだの。
そもそもそこにいるのが自分と同年代の男であるという自覚はあるのだろうか。
それを当たり前だと思っているのか、それとも相手を選んだ結果なのか……
こんな日中を過ごす毎日だが、レスターはどこか楽しんでいた。
そして日が落ちると、レスターは違う顔を見せるようになる。
――カランッ
路地裏にひっそりと戸を構えるバー。
カウンターまで歩み寄ると、バーテンに銀貨三枚を手渡す。
探しているのは情報。
既に母の死の悲しみは乗り越えた。
だが、下手人が何の罰も受けずにのうのうと生きていると考えると、我慢がならない。
レスターはリオーネが眠りについた後、毎晩のように夜の街へと出かけ、母の死の真実を探っていた。
目撃情報から、犯人が剣の旗を掲げた海賊であることはすぐにわかった。
しかし、その所在をいくら調べても掴むことができない。
「――というわけです。何かご存じありませんか?」
「海賊ねぇ……近頃この辺に出没してるらしいが、剣の旗となると知らねぇな」
「そうですか……何か情報を掴んだら教えてください」
「……あいよ」
さらに差し出された銀貨一枚。
軽く笑みを浮かべながらバーテンは答えた。
「今日も収穫は無しですか……ん?」
数時間ほど街を徘徊し、屋敷へ戻ろうと踵を返した矢先、何やら揉めている男達の姿が見える。
夜の街では時々こうしたトラブルを目撃する。
貿易業を管理するウィース家にとっては、ラグーエルの治安は信用そのもの。
ウィース家に拾われた恩を少しでも返そうと、素性を隠して速やかに解決することにしていた。
いつしかラグーエルの夜闇に舞う仮面のヒーローなどと噂されているらしいが、こうした噂が犯罪の抑制に繋がるならば大いに結構。
「どうしましたか?」
どうやら男達が数人がかりで一人の兵士をいたぶっている様子。
今回のはただの喧嘩のようだ。
「あぁ?何だそのふざけた仮面は?誰だてめぇ!?」
「おい……こいつ、噂の仮面のヒーローじゃねぇか?」
「丁度いい。その仮面ひっぺがして、正体暴いてやるよ。皆知りたがってるだろうぜ」
「やれやれ……やはりこうなりますか」
「スカしてんじゃねぇぞ!」
男が隠し持っていたナイフが勢いよく突き出される。
レスターはヒラリと躱し、腰に差していた短剣で打ち払う。
驚いてひるむ男達。
その隙に一撃ずつ加え、瞬く間に床へ転がす。
「すまねぇな……助かったよ」
「いえ。では私はこれで」
「一つだけ聞きたいんだが、その短剣……あんたのか?」
「これですか?そうですが何か?」
鞘に収められた短剣を覗き込むようにしながら問いかける男。
昔、父にもらったものだが、あの男を知っているのだろうか。
あえてはぐらかすようにレスターは答える。
「……いや、なんでもねぇ。ありがとな!」
数日後、思わぬ形でレスターは驚かされることとなる。
レスターの耳に、仮面のヒーローの新たな噂が飛び込んだ。
その正体として、ある人物の名前が挙がっているそうだ。
その名は救世主ラザレス。
父の名である。
ラザレスの使っていた短剣が、ヒーローの持っていた短剣と酷似していたことから生まれた話らしい。
短剣を見られたことがこんな形で誤解を招くとは。
話を聞くと、その名が知れ渡ったのは二十年前に起きた、魔物の襲撃事件の時とのこと。
その際、最前線で最も大きな功績をあげ、街を救った救世主として称えられた傭兵が父だ。
当時、この事実は街中で大々的に報じられ、当時ウィース家を含む街の権力者たちは彼を表彰しようとしたが、父は金や名誉のためにやったことではないとこれを拒否。
ある貴族がその態度を咎め、母と共に国外追放処分としたのだという。
あの男が一体何を想って剣を握ったのか。
今回の件は、聞くべきではなかったと後悔している自分がいる。
ただの憎らしい父のままでいてくれた方がよほど気楽というもの……
「あら?ここにいましたのね」
メイドに父にまつわる話を聞いた後、リオーネの部屋へと向かおうとしたところで彼女とバッタリ出くわした。
「近くにいないものですから探してしまいましたわ」
「申し訳ありません。すぐにお荷物をお運びいたします」
ちょうどその日は、予てよりリオーネが楽しみにしていたアスピドケロンへの旅立ちの日だった。
彼の地では、年に一度弓の大会が開かれる。
由緒ある歴史と規模は大陸一と言っても過言ではないだろう。
数年間打ち込んできた弓の技量を試す目的とはいえ、小さな大会などには目もくれず、いきなりそれに出場しようという辺りがいかにも彼女らしい。
「二人とも準備はできたかね?」
「えぇ!お父様」
「うむ。では行こうか」
娘の晴れ舞台を傍で応援しようと、レオナルドもまた同行する。
出るからには優勝……とはいかないまでも、せめて二人が笑顔となる結果に終わってくれれば幸いである……
…………
……
「お父様!レスター!見まして!?優勝しましたわよ!」
「なんとも……これは……」
「お、お見事……です」
弓の鍛錬に励む姿を見てきた自分やレオナルドにすら予想外の結果だった。
思えば、彼女以外の弓の使い手を見る機会はなく、それゆえに彼女の才能がいかに優れているものか考えたこともなかったのだ。
本来なら三日かけて開催されるはずだった大会。
しかし、予選で他の参加者と観客に見せつけた圧倒的な才能のせいで、ほとんどの選手は棄権。
残った参加者も健闘していたが、思わぬダークホースの出現に困惑したのか、平静を欠いたまま脱落していった。
最終的にはわずか数時間足らずで大会の幕が下りる結果となり、歴代最年少優勝という肩書と共に、見事優勝を果たしたのがリオーネだったわけだ。
三日間の滞在を予定していた為、ぽっかりと予定が空いてしまった一行。
レオナルドは丁度溜まっていた仕事があるといい、お供を連れて先に帰ったが、リオーネとレスターはそのまま二日かけて街を観光して回った。
「実に楽しかったですわね!時間が一瞬で通り過ぎたかのようでしたわ」
「はい。道中の船旅の方が長く感じてしまうほどでございます」
「……レスターは、わたくしがこの旅で目的にしていたことが何かおわかりかしら?」
「弓の実力を試したかった……のでは?」
「それもありますわ。でも、もう一つありますの。わたくしの夢にとって、得られるものがあると考えたからですわ」
「夢ですか……それを私に聞かせていただけると?」
「お父様にも言ってませんのよ?内緒にしてくださるかしら?」
「お嬢様がそう望まれるなら」
「……わたくし、お父様のように優しくて、力のある人間になりたいと考えていますの」
「でしたら今でも十分に――」
「それはあくまでわたくし個人の力に過ぎませんわ。皆を代表する立場に立ち、信頼され、その想いに報いるために力を振るう。お父様は昔からわたくしの憧れでもありますの」
「…………」
「お父様は自分を信頼してくれる全ての方々を家族だと思っていますわ。未熟なわたくしは、まだ屋敷にいる皆がせいぜい。でも、お父様のように街全体を……そしていつかは大陸中を一つの家族として、最高に幸せな世界を作って見せますの!それがわたくしの夢の終着点ですわ!今回の旅は、将来家族になっていただく方々と触れ合う貴重な機会にもなると考えたからですの」
「私にはスケールが違いすぎて想像もできない世界です。ですが、お嬢様がそれを望まれるなら、私はそれを執事として、家族として全力で支えたいと思っております」
「素敵な言葉ですわね!レスターはどんな夢をお持ちですの?」
「私は……夢など考えたこともありません。ウィース家に仕える前は母と共に生きることに必死でしたので。今はその頃に比べて本当に幸せです。これ以上は何も望みません」
「そう……何かやりたいこともありませんの?」
「そうですね……果たしたいこと、という意味でしたら、母の命を奪った連中には然るべき報いを受けさせてやりたいとは思います」
「レスター……」
「あっ……申し訳ありません!お嬢様のお耳にこのような……」
「いいえ。あの方は、私にとっても家族でしたわ。その無念を晴らすことは間違ったことだとは思いませんの」
「お嬢様……」
「でも、道に外れる様なことだけはしないと誓っていただきますわ!ならばわたくしもできる限りの協力を惜しみませんの!」
そう。
ウィース家を訪れたあの日から、今は自分と同じように母を想ってくれる人がいる。
それだけで救われる気がした。
「必ず誓います……」
――二日後
「ただいま帰りましたわ!」
「無事に戻った様で何よりだ!レスター君もご苦労だったね」
「とんでもございません」
「お父様!祝勝会の用意は進んでおりますの?」
「それが……祝勝会は少し待ってくれるかな?」
「……何か急用ですの?」
「あぁ。すまないな」
その時の様子がどうにも気になった。
茶を運んだ際、そのことについて尋ねてみたレスター。
「やはり私は隠し事が苦手なようだ……実は、君たちが留守の間にやっかいなことが起きてね……」
ラグーエルの商船が度々海賊に襲撃される事件が発生。
レオナルドが屋敷へ戻った直後に報告を受けたという。
様々な策を講じるも、毎度の如く逃げ果せられてしまい、今も対策に追われているとのことだ。
『海賊』
その言葉は、レスターの胸をざわつかせる。
「リオーネには内密に頼むよ。また無茶をしかねない」
「承知いたしました……ところで……」
「君の考えていることはなんとなくわかる。が、こういう時こそ冷静に対処しなくてはならない。わかるね?」
「……はい」
それから数日、リオーネが自室にこもりっきりになった。
初日は、自分の出したお茶が口に合わず気を悪くしたのかなどと、さほど重くは考えていなかったが、かれこれもう三日になる。
海賊のことが彼女の耳に入れば、飛び出して事件の渦中へ飛び込んでいくのは目に見えているので、幸いその危険は無さそうだが、これはこれで心配だ。
「お嬢様?夕食をお持ちしました。もう部屋に閉じこもって三日。旦那様も心配されております」
「……入って構いませんわ」
「失礼します。一体どうなされたのですか?」
「レスター。わたくし、海賊討伐に参加しますわ。留守を頼みますの」
「……今なんと?」
「今、お父様の雇った傭兵の方達が海賊を討伐するための作戦を立ててますの。なんでも軍用船を商船に偽装して彼らを誘き出す作戦のようですけど……それではダメ。同じ作戦を何度試してもダメですわ!」
確かにレオナルドは様々な策を講じているとは言っていたが、部屋に閉じこもったままどうやってその話を聞きつけたのか甚だ謎である。
口元は笑っているが瞳の奥が燃えているリオーネが良からぬ事を考えている気がしてならない。
「わたくしはお父様には出来ない作戦を決行しますわ!」
「お待ちください!なぜお嬢様がそのような危険を――」
「レスター!お父様はこの件でずっと頭を悩ませていましたの……なら、家族としてそれを解決する手助けをするのは当然ですわ!」
「それは……間違ってはおりませんが……しかし――」
「ウィース家の一員として、外の方達だけに任せて事態をただ見守るなんてわけにはいきませんわ!なんと言われましても、わたくしは行きますわよ!」
「旦那様が傭兵を雇われたのは、お嬢様や家の者達を危険に晒すまいと考えたからなのでは!?」
「それは父としての判断で、ウィース家当主としてのものではありませんわ!わたくしは父レオナルドの娘である前に、ウィース家の一員ですのよ!」
「ならば傭兵と協力しましょう!それならいくらか危険を減らすことも――」
「海賊は生きるために船を襲いますの。獲物を観察し、確実に仕留められると判断した時にのみ行動を起こしますわ。軍船をいくら巧妙に偽装したところで、そんな彼らの目を本気で誤魔化せるとお思い?」
「ではそれを傭兵に伝え、作戦の変更を提案すれば――」
「どのみち外の方達の手を借りる形で解決することをわたくしは望みませんの!」
ダメだ。
こうなった彼女は止められない。
恐らくレオナルドにも無理だろう。
ならばせめて……。
「……わかりました。しかし、私も同行させていただきます。これは絶対条件です」
「レスターが!?わたくし一人で……」
「それができないのであれば、屋敷から出すわけにいきません」
「ぐっ……仕方ありませんわね……くれぐれもわたくしの邪魔をしようなどとは思わぬことですわ!良いですわね!?」
「承知しております……時にお嬢様?ここ数日、部屋に籠られていた理由は何なのでしょう?」
「何でもありませんわ。少し調べ事をしてましたの」
今回の騒ぎを聞きつけた理由もその辺りにありそうだが、追及しても今ははぐらかされるだけだろう。
お嬢様の事だ。
海賊に報いを受けさせる……。
アスピドケロンの大会の帰路で私が話した事がキッカケになっているのだろう。
お嬢様が何を言っても聞く耳を持たない時は、誰かの為と決まっている。
「家の者に見られぬよう抜け出しますわよ。バレたら連れ戻されかねませんわ……」
「承知いたしました……」
そこを理解していながらの行動は、褒めるべきか呆れるべきか。
なんとか誰にも見られることなく屋敷を抜け出した二人。
船着き場へと到着し、乗り込む船を探すと、まさに出港準備中の商船が停泊していた。
二人は人目を避け、船尾から船へと潜り込むと、適当な船室に身を隠して出航を待つ。
数時間後もすると、甲板が少し騒がしくなってきた。
間もなく出航のようだ。
「ん……レスター?どうしましたの?」
「まだお休みになっていてください。そろそろ船が出るようです」
「そう……お言葉に甘えて、もうお少しだけ寝かせてもらいますわ……着いたら起こしてくださいまし……」
船室のベッドで仮眠を取っていたリオーネだが、このような質素なベッドで眠る経験などない彼女には、熟睡することは難しかったのだろう。
目を開けないまま、再び眠りについてしまった。
それを見守るレスターの心中は彼女への謝罪の言葉で溢れていた。
海賊が現れたら自分一人で片を付ける。
屋敷では決心が固められずにここまで連れてきてしまったが、穏やかな彼女の寝顔を見て、ようやく心は決まった。
相手がどれほどの戦力を持っているかもわからず、彼女には実戦経験もない。
戦闘が発生すれば、確実に彼女を守れる保証はない。
いっその事、このまま何事もなく目的地まで着き、海賊の方は傭兵がなんとかしてくれれば。
そんな希望的観測が頭の中を巡る。
彼女さえ無事でいてくれるのなら……
そんなレスターの願いは、次の瞬間に打ち砕かれる。
「おい!なんだあの船!?……海賊だ!!」
ここまでお嬢様を連れてきた罰でも当たったのか、海賊船の襲撃を知らせる声が甲板から響き渡る。
「くっ……お嬢様!こちらへ!」
「レスター?どこへ行きますの!?」
行先は船底。
そこに都合のいい物置を見つけると、リオーネを半ば無理やり中へ入らせる。
「ちょっと……何ですの!?海賊が出たのでは!?」
「申し訳ありません。後でいくらでもお叱りは受けますので!」
「どういうことですの!?」
「お願いいたします!絶対にここから動かないでください!お嬢様を危険に晒すわけにはいかないのです!」
「そんな!ここまできて!!レスター!!」
「どうかお許しを!」
扉を閉め、傍にあった木箱で塞ぎ閉じ込める。
そのまま即座に踵を返し、レスターは甲板へと駆け戻った。
「急いで荷を隠せ!違う!!貴重品からに決まっているだろう!!」
「ちくしょう……ちくしょう……!」
既に甲板は混乱に陥っていた。
ゆっくりと距離を詰めてくる船影。
旗を確認するが、そこに剣の印は見えない。
結局、自分にとっては無駄足となってしまったわけだが、今はそんなことも言っていられない。
全て自分一人で片付ける。
「お、おい誰だお前!?うわっ!!」
突如、メインマストの上にある見張り台からの声。
何事かと思い、見上げた視線の先。
そこには身を半分乗り出して見張り台から落ちかけている男と、あろうことかリオーネの姿があった。
「な……!?お嬢様!」
扉を塞いでいたとはいえ、無理をすればそこから出ることも可能だっただろう。
だからこそ自分はあれだけ頼み込んだというのに。
「あの女……何する気だ!?」
眼前の船を真っ直ぐ見据え、弓を弾き絞るリオーネ。
「まさか……」
「狙いましてよ!」
掛け声とともに、船腹に向けて雨のように弓を浴びせるリオーネ。
完全に不意打ちを食らう形となった海賊船は、逃げることも抵抗することもできないまま、見る見るうちに沈んでいく。
レスターにそれを止める術はなかった。
何はともあれ、レオナルドにはこの件を報告しなくてはならない。
だが、なんと報告すべきなのか考えがまとまらず、結局夜が明けても答えを出せずにいた。
当然、リオーネが海賊船を沈めましたなどとは口が裂けても言えない。
かといって彼女の気持ちを父に一切伏せるというのも心苦しい。
考えは堂々巡り。
「仕方ないですね……」
もう済んでしまったことだ。
今回の件は正直に話し、自分だけでなるべくお叱りを引き受けよう。
それがレスターの出した答えだった。
「本当に恐いもの知らずというか……ねぇ?」
レオナルドの書斎へと向かう途中、メイドたちのそんな会話が耳に入ってきた。
「何かあったのですか?」
「あぁ、レスター君。なんでも昨日、帝国軍の船が商船に沈められたんですって」
「帝国……の船……?」
「ほら。最近、海賊の一件で街が慌ただしいでしょ?帝国軍も哨戒任務中だったらしいのだけど、見かけた商船を検問しようとした途端、弓で一方的に攻撃されたらしいわ」
「……その話、お嬢様には?」
「いえ。まだお聞きになっていないと思うわ」
「そうですか。お嬢様にはご内密にお願いします。これ以上、問題事をお耳に入れるのは好ましくありませんから」
「そうね……わかったわ」
なんということだ。
帝国は何が何でも犯人を見つけ出そうと今も血眼になっていることだろう。
自分が彼女を止められていればこんな事にはならなかった。
彼女の意思を尊重したかったと考えつつ、結局は自分の手で彼女を悲しませたくなかっただけの甘えた行動のつけだ。
きっかけはなんにせよ、レオナルドや街のことを想って取った行動がウィース家の危機を招いたと知れば、とてつもない苦しみが彼女を襲うことになるだろう。
自分の甘さが最も彼女を傷つける結果を生んでしまった。
恐らくこれが最後の日記となることだろうと考えながらペンを走らせる。
明日、レオナルドにこの一見の犯人が自分であることを告げに行く。
きっと戻っては来る事はできない。
部屋を整理して、出来るだけ物を残さずに去ろう。
少なからずウィース家の名誉を穢すことにはなるだろうが、直系の者でないのなら最悪の事態だけは避けられるかもしれない。
「レスター君!大変よ!お嬢様が……!!」
翌朝、レオナルドの元へと向かおうとしていたレスターが呼び止められる。
メイドが言うには、朝になってもなかなか起きてこないリオーネを不審に思って部屋を覗いてみると、ベッドはもぬけの殻となっており、彼女の姿を屋敷中探したが見当たらないようだ。
「お嬢様!?」
ノックもせずにリオーネの部屋へと踏み入るレスター。
やはり彼女の姿はない。
「くそっ!どこに……これは?」
ふと彼女の机に、一冊の本が開かれたまま置きっぱなしになっているのが見えた。
悪い考えが頭を過り、屋敷を飛び出して街の方へ走り出す。
机の上に置かれていた本。
それはレスターが日々の出来事を記録していた日記だった。
迂闊な事に、そこには帝国軍船をリオーネが沈めたことも書いており、それを見たリオーネが何らかの行動を起こしたのだ。
「すまない!誰か、ウィース家のリオーネお嬢様を見かけなかったか!?」
「珍しいな。昼間からここに来るなんて」
夜な夜な足を運んでいた酒場。
表通りをひとしきり探しても彼女を見つけられなかったため、今度は裏道沿いを捜索する。
「そのお嬢さんかはわからないが、向こうの通りで揉めてる男女なら見かけたぜ?」
「本当か!?」
それがリオーネなら、トラブルを起こしていた相手は帝国軍の関係者である可能性も十分考えられる。
もし、連行されでもしたら取り戻すのはまず無理だろう。
「くそっ……どこだ!?」
その時、レスターの頭の底から一片の記憶が蘇る。
「そういえば……この辺りは……」
反帝国勢力。
巷でその存在が噂されている彼らのアジトがこの辺りの地下にあるという話。
路地を少し探索すると、確かに地下に降りる階段が見つかった。
そのまま階段を駆け下りると、そこには地下とは思えないほど広いホールのような空間が広がる。
さらに、少し遠目に何やら男達と口論している人影……そこに彼女がいた。
「お嬢様!!」
駆け寄るレスターに気付きはしたようだが、意にも介さず口論を続ける。
「何故わたくしの入隊を認めませんの!?」
「ウィース家のお嬢さんと言えばこの街じゃ有名人だ。俺達があまり目立ちたくないのはわかるだろ?大体、帝国の船を沈めたのがあんただって証拠もないだろう?」
「ですから!弓の腕前ならばいくらでも見せますわ!!」
平行線を辿る会話の中、リオーネの腕を掴み来た道を引き返そうとする。
「お嬢様。屋敷に戻りましょう。彼らも困っています。旦那様には私が説明しますから」
レスターとしては帝国にあえて弓引く組織へリオーネを預けるなどあってはならない。
家に迷惑をかけたくないという彼女の想いはわかるが、このやり方は危険すぎる。
幸い、先方も断っているようだ。
便乗してなんとか説得しようと試みるが……
「おい!ちょっと待った!」
鎧を着込んだ男がレスターを止める。
「申し訳御座いません。ご迷惑をお掛けしました。今後同じことのないようお話しますので」
そこまで口に出すと、男の後方にある重たそうな鉄のドアが開いた。
「あっ頭首……お疲れ様です」
門番をしていたであろう男は軽く頭を下げる。
「そこの2人。この場所をどうやって知った?」
汗が出る程の威圧感。
そんな中でも、リオーネは態度を変えない。
「馬鹿にしないでくださいまし!こんな所に身を隠して、本気で帝国の目から逃れられるとでも思っていまして?」
「なんだと……?」
「現に、噂だけでここへ辿り着いた人間が二人もいましてよ?本当に帝国と戦う気がありますの!?」
「ぐっ……言わせておけば……!」
門番の男は剣を抜いた。
それに反応してレスターも短剣を抜く。
「なるほど……本当の事だったか……」
頭首の男はニヤリと笑う。
レスターにはその意味が分らない。
「お嬢さんの入隊を認めよう。だが、どうやら君の執事は反対しているようだが?」
「お待ち下さい!お嬢様をこんな組織に加入させる訳には……」
「悪いが、君は少し黙っていてくれ」
「大丈夫ですわ、レスター」
大丈夫な訳がない。
「では先程の条件通りですわね」
「あぁ、その男も一緒だというなら入隊を認める」
リオーネはレスターに向き直る。
「聞いていましたわね?レスター。わたくしと共に帝国軍と戦いますわよ」
「お嬢様!!何故そうなるのですか!?」
そんな話を受け入れられる訳がない。
しかし、こうなった彼女を止めることがどれだけ難しいか……
頭首の男は、レスターが手にする短剣を指差しながら笑みを浮かべた。
「お嬢様が心配だよな?なら共に剣を持とうぜ。仮面のヒーローさん?」
「っ……!?」
(なぜこの男がそれを……短剣……!?)
「お嬢さんの話は本当だったか。こんな芝居を打ってまで俺達に確認させようとは、大したお嬢さんだ」
(芝居?)
「噂は聞いてるぜ!あんだけ街の中を騒がしてれば聞かねぇ方が変だがな。あんたほどの手練れが仲間になるのなら、お嬢さんくらいのリスクは喜んで抱えようってもんだ。俺らは新たな戦力を手に入れ、あんたらは俺達という後ろ盾を手に入れる。どうだ?」
リオーネがニッと笑うのをレスターは見逃さなかった。
「レスター?これまで夜な夜な屋敷を抜け出してあなたがしていた事を、わたくしが知らないとでも思って?」
「……全て計算済みというわけですか……なるほど。話が見えてきました」
レスターは深い溜め息を吐く。
「しかし、それでもお嬢様を危険な目に合わせる訳にはいきません。私の正体をバラしたいのであればどうぞご勝手に。そんな脅しで私が揺らぐとでも――」
「違いますわ、レスター。あなたが断るのであれば、わたくしは帝国の船を沈めたと帝国軍に出頭するだけですわ」
「っ……!?そんな!!お嬢様それは!!」
「あなたは自分の命を帝国に差し出す事でウィース家を守ろうとしている。わたくしがそれに気付いていないと思っていますの?」
「それは……お嬢様の執事として――!!」
「それをわたくしが良しとすると思って?」
「それは――」
続く言葉が出てこない。
「選びなさいレスター。わたくしが帝国軍に出頭して罪を償うか、わたくしと共に帝国軍と戦うか」
母の敵討ちの件を話してしまったミス。
商船に乗せてしまったミス。
日記を覗かれ、真実を知らせてしまったミス。
全て自分の至らなさからここまでの事態になろうとは。
覚悟を決めなければいけない。
「ふぅ……困りましたね。どうしましょうか」
「何がですの!?早く決めて頂けませんの!?」
「帝国と戦うとなると……旦那様にどう説明すればよいか……」
問題は山積みだが、レスターの気持ちは穏やかだった。
「ということは、一緒に組織に入ってくれますのね!?」
一人で抱えようとすると、いつも助けようとするお嬢様。
誰かの為ならば、どんな無理もしてしまうお嬢様。
もう十二分に優しくて、力を持っているお嬢様。
このお嬢様を、何に変えてもお守りしたい。
「はい。私は、リオーネお嬢様に仕える執事ですから」
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