小林信彦「人生は五十一から」1998年4月
■「スティーヴン・キングのシャイニング」について
週刊文春に連載されている小林信彦のコラムを一年分まとめたもの。この回、小林はスティーヴン・キングが自分でリメイクした『スティーヴン・キングのシャイニング』を取り上げ、なぜキングがそういうことをしたかについて述べた上で、キューブリック版を批判する。キングの怒りは、ひとことでいえば、キューブリックがホラーものの初歩さえ知らないということにつきる。このように、小林はキューブリック版『シャイニング』失敗作派の最右翼なのだが、それでも、キング版と比べてキューブリック版も捨てがたいと書き、どちらも原作には及ばないと結論づけている。
原作者は映画化されたものに対して必ず不満を持つという原則があるにしても、とにかく、映画「シャイニング」のラスト、というかオチはひどい。
主人公が薄目で笑うジャック・ニコルソンでは、初めから狂っているように見える、というキングの批判は当たっているが、それはともかく――。
ラストで、妻、少年がスノウモービルで逃げ、ジャックは凍死する。ここまでは、まあ良いとして、次のショット、キャメラがホテルの壁にある写真に近づいてゆくと、一九二一年のその写真の中央にジャックがいるというオチはなんだろうか?〈こんなオチは「ミステリー・ゾーン」に二度あった〉とキングは指摘しているが、これでは、ジャックは初めから暴戻だったことになり、ストーリーそのものが成立しなくなる。映画「シャイニング」には鋭いショットが幾つもあるのだが、この陳腐な(しかもキューブリックとしては<衝撃的>なつもりの)オチがすべてを台なしにしている。
2006年02月03日(金) 04:59:02 Modified by badsboss
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Uploaded by badsboss 2006年02月02日(木) 07:42:11
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