作曲家・多田武彦〔通称・タダタケ〕のデータベース。

男声合唱組曲「在りし日の歌」(作詩:中原中也)

在りし日の歌アリシヒノウタ指示速度調性拍子備考
1米子ヨネコModerato pesante4分音符=96ト短調4/4
2早春の風ソウシュンノカゼAllegro leggiero4分音符=144変ロ長調2/4
3閑寂カンジャクAndante tranquillo4分音符=72変イ長調4/4Tenor Solo
4ホネModerato scherzando4分音符=92ハ長調2/4Ten. Solo
5また来ん春マタコンハルAndante doloroso4分音符=76ヘ長調4/4Ten. Solo

作品データ

作品番号:T09:M08n
作曲年月日:19??年?月?日

初演データ

初演団体:東京コラリアーズ
初演指揮者:福永陽一郎
初演年月日:1960年3月9日
東京コラリアーズ第18回東京演奏会 日本創作合唱曲連続演奏第2回「多田武彦の夕」(於第一生命ホール)

楽譜・音源データ

作品について

第4曲『骨』以外の4曲は、多田が高校時代に習作として書いた独唱曲を基にした作品。
第1曲『米子』の叙唱的な言い切り方、第3曲『閑寂』の繊細でかなり変則的な和音進行、第4曲『骨』のトリッキーな曲調と幅広い音域(第1テノールにはロ音、変ロ音が要求される)、第5曲『また来ん春』のソロなど、多田作品の中で難易度が極めて高い。
『閑寂』のソロには「Partの最後列で歌うこと』との指定がある。

『多田武彦男声合唱曲集 7』(音楽之友社)第1刷では、『早春の風』の後半部、テノール2パートが「あおきおんなあざとかと」と歌っているが、巻末の歌詞(『中原中也全詩集』角川書店、昭和47年に拠るとのこと)では「青き女(をみな)の顎(あざと)かと」となっている。
また、『中原中也全詩歌集』(講談社文芸文庫、平成3年)や岩波文庫版『中原中也詩集』(昭和56年)などでは「青き女(をみな)」の顎(あぎと)かと」となっている(これらの相違は現在では訂正されているかも)。
詩の出典
『在りし日の歌』(創元社、1938年)
初出誌は次の通り。
「米子」……『ペン』1936年12月号
「早春の風」……『帝国大学新聞』1935年5月13日号
「閑寂」……『歴程』第二次創刊号(1936年3月)
「骨」……『紀元』1934年6月号
「また來ん春……」……『文学界』1937年2月号

歌詩

米子
二十八歳のその處女は、
肺病やみで、腓は細かつた。
ポプラのやうに、人も通らぬ
歩道に沿つて、立つてゐた。

處女の名前は、米子と云つた。
夏には、顏が、汚れてみえたが、
冬だの秋には、きれいであつた。
――かぼそい聲をしてをつた。

二十八歳のその處女は、
お嫁に行けば、その病氣は
癒るかに思はれた。と、さう思ひながら
私はたびたび處女をみた……

しかし一度も、さうと口には出さなかつた。
別に、云ひ出しにくいからといふのでもない
云つて却つて、落膽させてはと思つたからでもない、
なぜかしら、云わずじまひであつたのだ。

二十八歳のその處女は、
歩道に沿つて立つてゐた、
雨あがりの午後、ポプラのやうに。
――かぼそい聲をもう一度、聞いてみたいと思ふのだ……
早春の風
  けふ一日また金の風
 大きい風には銀の鈴
けふ一日また金の風

  女王の冠さながらに
 卓の前には腰を掛け
かびろき窓にむかひます

  外吹く風は金の風
 大きい風には銀の鈴
けふ一日また金の風

  枯草の音のかなしくて
 煙は空に身をすさび
日影たのしく身を嫋ぶ

  鳶色の土かをるれば
 物干竿は空に往き
登る坂道なごめども

  青き女の顎かと
 岡に梢のとげとげし
今日一日また金の風……
閑寂
なんにも訪ふことのない、
私の心は閑寂だ。

    それは日曜日の渡り廊下、
    ――みんなは野原へ行つちやつた。

板は冷たい光澤をもち、
小鳥は庭で啼いてゐる。

    締めの足りない水道の、
    蛇口の滴は、つと光り!

土は薔薇色、空には雲雀
空はきれいな四月です。

    なんにも訪ふことのない、
    私の心は閑寂だ。
ホラホラ、これが僕の骨だ、
生きてゐた時の苦勞にみちた
あのけがらはしい肉を破つて、
しらじらと雨に洗はれ
ヌツクと出た、骨の尖。

それは光澤もない、
ただいたづらにしらじらと、
雨を吸收する、
風に吹かれる、
幾分空を反映する。

生きてゐた時に、
これが食堂の雜踏の中に、
坐つてゐたこともある、
みつばのおしたしを食つたこともある、
と思へばなんとも可笑しい。

ホラホラ、これが僕の骨――
見てゐるのは僕? 可笑しなことだ。
靈魂はあとに殘って、
また骨の處にやつて來て、
見てゐるのかしら?

故郷の小川のへりに、
半ばは枯れた草に立つて
見てゐるのは、――僕?
恰度立札ほどの高さに、
骨はしらじらととんがつてゐる。
また來ん春……
また來ん春と人は云ふ
しかし私は辛いのだ
春が來たつて何になろ
あの子が返つて來るぢやない

おもへば今年の五月には
おまへを抱いて動物園
象を見せても猫といひ
鳥を見せても猫だつた

最後に見せた鹿だけは
角によつぽど惹かれてか
何とも云はず 眺めてた

ほんにおまへもあの時は
此の世の光のたゞ中に
立つて眺めてゐたつけが……

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このページへのコメント

私はその昔(昭和30年代?)出版された楽譜の写しを持っていますが、それと見比べると2017年発行の第14刷においても相当な数の間違いがあることを見つけました。
すでに作曲者が故人となっている中、どれだけ反映されるかわかりませんが、音楽之友社には伝えます。

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Posted by Shin 2020年12月22日(火) 15:18:24 返信

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