手をつないで歩く帰り道
小鳥遊宗太と伊波まひるが付き合いだしてから、しばらくがたつ。
どうして付き合いだしたのかは、当人たちが黙して語らずのトップシークレットとなっているので知ることは出来ない。
八千代やぽぷらなどワグナリアの仲間が寄せる心からの祝福に、微妙な顔をして頷くだけである。
その発端を、決して教えようとはしなかった。
ただ、相馬博臣がときおり胸元から取り出し見せようとする写真――転がった酒瓶や、荒れた寝室や、脱ぎ捨てられた下着の写っている寝室の写真――が、もしかしたら関係しているのかもしれない。
ぽぷらはその写真を見て、凄い喧嘩があったんだね、と感想を述べた。
シーツに血が付いているのだ、きっと凄い威力だったのだろう、と。
ともあれ、二人は付き合いだした。
めでたいことである。
相馬が殴り殺される日が近いと噂が立つほど、伊波のパンチが鋭く殺傷力を増しているが、それはきっと些事である。
「伊波さん……」
「な、なに!?」
だからこうして恋人らしく、二人並んで帰宅する。
夜道をひとりでは、さすがに危ないという配慮である。
もちろん危ないのは、伊波のパンチの先にいる被害者だ。
「もう少し、リラックスできませんか?」
「……」
伊波は普段以上にカチンコチンだった。
肩の強張りは鉄鉱石に匹敵し、頬の熱さはヒーター要らず、泳ぐ目の速さは世界を狙える。
なにせ『男の子と付き合っている』という、伊波にしてみれば今日から世界が天動説に戻りましたと言わんばかりの異常事態なのである。
「ムリ!」
照れ隠しに鞄を振る。
それは小鳥遊が避けた部分を、撲殺しかねない威力で通り過ぎた。
風圧でズレたメガネを直しつつ、
「あの、非常に不本意ですが、俺たち、付き合っているんですよね」
「〜〜〜〜」
顔がさらに赤くなる。
立ち止まり、上目使いに『うー』と睨む目に涙。
思わずたじろぐ小鳥遊に向け、追い討ちをかけるように、小声で「ばかぁ」と呟く。
「いえ、その、ですから……」
小鳥遊も『付き合うキッカケ』を思い出し、彼方を見ながらポリポリと頬を掻く。
「……ですからもう少し、恋人らしいことをしませんか?」
「な、なに……?」
恋人、という単語に対し、伊波は生まれたての小鹿のように震える。
「手、つなぎませんか?」
小鳥遊の傍を突風が過ぎた。
いや、突風などという生易しいものではなかった。
小鳥遊が反射的に蹴った地面に一直線の焦げ跡がつけられる、F1でよく聞くドップラー効果を伴ったものが通過し、右手側から巨大な破壊音が響き渡る。
焦げ跡は伊波が高速で動いた証であり、ドップラー効果は伊波が起こしたものであり、破壊音は伊波が殴った電柱である。
「な、なななああなんあなに言ってるのよ、小鳥遊君!?」
倒れる電柱と千切れた電線が放出する火花を背景に、彼女は慌てる。
まん丸の目で、あたふたと慌てる様子は可愛らしいと言えないこともない。
背景の映像がなければだが。
(増したなぁ、破壊力……)
見事に真っ二つになった電柱を見、焦げたアスファルトの臭いを嗅ぎながら、小鳥遊はひとり思う。
こんなことでは驚かない。
この程度のことで引いていては、伊波まひるとは付き合えない。
ごく当たり前の、日本の常識として受け入れる覚悟が必要だ。
ただ、帰宅する道を変えるまた必要はあるだろう。
この被害、客観的に見て、器物破損の犯人にされるのは小鳥遊だけである。
世の儚さと無常観に囚われた小鳥遊は、小さいものを目に留め心の平穏を取り戻しつつ、
「ですから……」
手をつなぎたい理由を話す。
目線は伊波の胸から離さずに、とうとうと述べる。
昨夜、彼女と共に帰っている所を目撃されたらしく、姉たちや妹に問い詰められたこと。
普段どのようなことをしているのかを、(無理矢理な尋問の末)答えさせられたこと。
(逃げ出そうとする足を貞子のようにつかまれて)じっくりと、細大余さずに日常の出来事を述べ、
(関節技と六法全書打撃と共に)「せめて手をつなげ」というアドバイスをもらい、
(小さい頃の女装写真や器物破損の証拠をそろえつつ)明日、実行しろと命令され、
そして今日、「新しいお姉ちゃんができるんだね♪」という(裏も打算もありそうな)応援を背後に送り出されたのだ。
逃げ道はもはやなかった。
「どうか俺の命を助けると思って、手をつないでくれませんか」
小鳥遊宗太は、自分の姉妹を甘く見ない。
帰宅し、嘘をつく選択肢なんて無かった。
あの姉のことだ、どうせどこかで見てるに決まっている。
心なしか、大吟醸の匂いすら漂ってきた。
「う、うぅ……」
「……涙を浮かべなくてもいいじゃないですか」
「だ、だって、だって……!」
「治らないどころか、一部悪化してますね、その病気」
「それは、たかなしくんの、せいだもん、ぜったい、ぜったいそうなんだもん!」
「はいはい、膨れっ面しないでください、幼児化しないでください、可愛い顔が台無しですよ?」
「ぅう」
「ほら、唸らない唸らない」
猛獣使い・小鳥遊宗太はその技量を上げていた。
怒る伊波を相手に、撫でることまで可能となった。
照れと怒りとよく分からない感情のブレンドされた目で、伊波は彼を見上げてる。
「もっと撫でて」と言ってるように見えないこともない。
「……そんなに嫌ですか?」
撫でるたびに伊波の怒りが徐々に沈静化に向かい、照れの成分が大きくなるのを眺めながら、小鳥遊はぽつりと呟いた。
夜の、しん、と静まった雰囲気の中で響く。
「え?」
「俺と手をつなぐの、やっぱり嫌ですか……」
「あ……」
見上げると、小鳥遊の表情は影に隠れていた。
街頭がひとつ潰されたせいである。
ひゅうと、さびしげな風が吹く。
猛獣に裏切られた猛獣使いの哀愁。
「ち、違うの!」
男慣れしてないどころか、これまでの人生で可能な限り男と極力接触しないようにしてきた伊波にとって、それは十分過ぎる破壊力だった。
小鳥遊が、帰宅してからの姉の仕打ちに思いをはせ、落ち込んでいることなど予想もしてない。
「ほら、こうやって髪にならまだ平気なんだけど直接肌と肌をっていうのはやっぱりまだ抵抗があるってでもでもあの時は別に嫌じゃな
かったというかむしろ気持ちよかったんだけど後から考えたらスゴイことしちゃったなって思って家の部屋の壁はもうボロボロというか
小鳥遊君見るたびにどうしていいか分からなくなってお店の皿はぱりぱり割れるしよく分かんないけど店長には暖房要らずだとか言われ
ちゃうしとにかく違うの!」
「落ち着いて、伊波さん」
「う、う、ううううー」
伊波まひるは唸る。
なんかもう、いっぱいいっぱいもいいとこだ。
自分から、意識して、小鳥遊宗太と仲良く手をつなぐ?
(そんなの、犯罪だよ……)
なにが犯罪なのかは伊波自身にも良く分からない。
とにかく伊波にとって異世界の出来事としか思えないのだ。
その場の勢いとか酒の勢いなど、理性や羞恥心を吹き飛ばすもの無しでの接触とは、なんかもうそれだけで『大好きです!』と宣言してるようなものではないだろうか。
普通と比べてあまりに小さい彼女の許容量を、軽くオーバーする行動だった。
二人はもう恋人だとか、それ以上のことを既にしているとかは、この際あまり関係ない。
……しかしながら、である。
ふと冷静になり考える。
ここで拒否すれば、小鳥遊が彼の姉たちのオモチャになることも分かっていた。
それもまた、面白くなかった。
特にあの、梢という姉は引っ付きすぎだと思う。
仮にも『彼女』である伊波より、接触する回数が多いのではないだろうか?
「……」
「はぁ、分かりました。今日は止めておきましょう、また今度にすれば……」
「――」
「……伊波さん?」
ため息まじりに諦めの返事をする小鳥遊の、その袖がつかまれた。
袖を持つ二本の指は、恨みがましく見つめる伊波に繋がっている。
「あの?」
「………………ぃぃょ、――」
「え? なにか言いましたか?」
「――」
伊波の声は、それこそ集音マイクがなければ聞き取れないレベルの音量であり、風が吹けばまぎれてしまうほどだった。
実際、小鳥遊の耳には聞き取れない、しかし、その意味は分かった。
その唇が、
て、つなご、
と形作っていた。
伊波まひるは全力で耐えていた。
左側の景色を端から端まで往復し、左手を無意味に振り回し、口元は引きつったような笑みが浮かんでいる。
手足が同時に勢い良く往復する様子は間違った軍隊の行進を思わせ、行動の挙動不審さはどの交番の前を通っても職質まちがいなしのレベルだ。
彼女は、決して右を見なかった。
右手もそこだけは不動である。
触感だけでこれ以上ないほど確かに伝わるものはあるが、それをあえて無視してみる。
これが他の『男』でれば人間大ナメクジ同然の気持ち悪さなのだが、相手が小鳥遊宗太であるとなにやら違う。
それが彼女を混乱させた。
しかもいつものように『とりあえず殴る』なんて行動も取れないから大変である。
自分から手を差し出しておいて、逆の手で殴ってどうする。
(うわーうわー)
伊波の頭はもはや臨界。
脳内はメルトダウン。
誰かに見られたらどうしよう、っていうかこれは夢だよね、夢に違いないよ現実じゃないようん、などと考えながら歩いてる。
ひょっとしたら、小鳥遊がいつの間にか別人に代わっていても気づかないんじゃないかと思えるほどに、思考が彼方のお星様である。
だから、彼女の右手側から時折する、濃いお酒の匂いや存在感の無い男が押すシャッター音などには、まったく、まるで気づかない。
実に致命的なミスだった。
「伊波さん」
「なぅひゃあ!?」
なに? と問い返そうとした言葉は、途中で悲鳴に変わってしまった。
小鳥遊が、伊波の手を握り直したのだ。
骨格の形を調べる医者のような、どこまでも冷静で、どこか無機質な動きは特に嫌ではなかったが、いきなり『死角』からそれをされては、たまったものではない。
伊波の心臓は「もうこれ以上はムリ!」と悲鳴を上げ、頭上からは湯気がぽかぽか量産中。
このままでは人類初の『死因・恋人と手をつないだ為』の栄冠に輝きそうだった。
「……手、小さいんですね」
「う」
恐る恐ると右隣を見ると、小鳥遊はなにやら幸せそうな顔だった。
メガネの奥の目を閉じて、伊波の手を確かめていた。
小さいもの好きの本領発揮。
指の一本まで丁寧に確かめる。
(う……)
その感触ですら、伊波は嫌ではなかった。
まして小鳥遊の素直な笑顔を直視するなんて滅多にありはしない。
いつも種島ぽぷらに向けられているものを、さらに濃く、深くしたような笑顔が目の前に。
恋愛レベル1、冒険者としてぺーぺーの伊波が、最終魔王渾身の一撃をくらったようなものだった。
おお、ゆうしゃよ、しんでしまうとはなさけない。
……小鳥遊が「ああ、こんなに手が小さいから力が一点に集中されるんだな」と冷や汗混じりに考えていることなんて、もちろん思いもしてない。
魂が消し飛ぶほどに見とれていてる、ただそれだけしかできなかった。
頭の中は真っ白だ。
「この人が彼氏なんだ」という今更の事実が、頭の中で繰り返し囁かれていた。
だから――
「伊波さんの手、俺、好きですよ?」
笑顔と共にそんなことを言われてしまったら、
ぎゅうっと全力でも目をつぶり、「きゃー!!!」と真っ赤な顔で叫び、『カンペキに全力で』手を握り締めたとしても、まったくもって仕方の無がない。
だってこれは犯罪だ。
小鳥遊宗太がぜんぶ悪い。
こんなの完全凶悪犯罪だ!
――夜道にゴキゴキと骨鳴り悲鳴の上がる、実に平和な帰宅の風景。
二人の観察者が、微妙な笑顔で合掌してた……
2006年11月11日(土) 16:57:00 Modified by ID:Bgf4UKA6nQ