609 ◆dWeYTO/GKY第6話04
頭が全然動いてない。
何をすればいいのかまるで思いつかなくて、おれはただ夜の街を徘徊する不審者になっていた。
まだまだ情報は足りない。侵攻ルートの策定どころか、敵味方の区別、彼我の戦力差すら分かっていない。
なのに、何から手をつければいいかまるで分からない。
立ち止まって考えようとすると、関係ない事ばかりが浮かんで、思考がまとまらない。
ベッドがあったら潜り込んで寝てしまいたい気分だ。だけど多分、一睡だって出来ないだろう。
それなら家に帰ってネ実でも……いや、だから、ここにはそんなものありはしないんだ。
どうしようもなくて、結局おれは酒に逃げた。
どうにか開いていた酒場でぶどう酒を買い求めると、水筒一杯に詰めてもらい、ちびちびと舐めながらさまよい歩く。
仕方がないんだ。おれは悪くないんだ。そんな事をぶつぶつと漏らしながら、また水筒の口を噛んで引き開けると、またぐいと渋い果実種を口に含んだ。
ふと、ポーチに放り込んだままになっていたシグナルパールが鳴った。
酒で気が大きくなっていたのかもしれない。あるいは、パールの持ち主なら今のおれを慰めてくれると思ったのかもしれない。
半ば期待みたいなものを抱いて、おれはパールを通話状態にした。
｢こんな時間まで何してるの？ ねぇ、今何処にいるの？ 何があったの？ わたしじゃそんなに頼りない？｣
聞こえてきたのは、別人の声だった。
女だ。ナナコの声真似をしているつもりだろうけど、随分と陰気に聞こえた。
おれは拍子抜けと安堵と、そして酷い焦燥に駆られた。
｢流石に一発でばれちゃいますか。でも誰だって人に聞く前に普通は自分が名乗るもんなんじゃないかな？｣
誰だという問いに女は笑うと、答えた。
挑発的な口ぶりに、不安が煽られる。ナナコのパール使ってナナコのふりをして話しかけてくるという事は、少なくともパールを拾って持ち主を探しているなどという平和的な動機ではあるまい。
｢ナナコをどうした｣
感情を殺してパールに問いかけるが、語気が荒くなるのは押さえられない。
｢名乗ってくれたら、教えてあげる♪｣
女の陽気さが神経に障って仕方がない。これも手なんだろうか、おれを怒らせて何をするつもりなのか。
心が冷えると同時に、それがどこか心地よかった。こいつを憎んでいる間は、おれは自分を憎まずにいられる。
｢…あのさ、そんなに心配するくらいなら、最初っからそばに居てあげればいいのに。しょうがないなぁ……ちゃんと映像見てる？｣
慌ててパールを調べた。確かに映像を受信するような回路が組まれてる。
指でかるくこすって回路に魔力を流し、起動を促すと、不出来な合成みたいな映像が現れた。
絶句した。
何もない空間にテレビの画面だけが浮かぶようにして、向こう側の映像が表示されている。そこには無防備に眠るナナコの顔があった。
あなたの対応次第で、こちらはいつでも彼女をどうとでもできるのよ？
女がそう言っているのが分かった。
｢ちゃんと見れた？｣ 悪戯をする子供みたいな声。｢あなたの愛しいフェローは単に酔いつぶれて寝ちゃってるだけですよ、ってね。別に危害を加える気はないし、身代金とかも目的じゃないから｣
おれは黙って女の言う事を聞いていた。
｢あ、管理者側でもないから安心してね。むしろキミと同じ立場、かな？｣
管理者、ね。そういう風に言う赤鎧はいなかった。
｢で、名前、教えてくれないかな？ キミの、さ｣
女の吐き出す言葉の一つ一つに思わず怒鳴り返したくなる。けど、今は従うしかない。
｢……ヒロ、ヒロ･カラミヤだ。無駄話はいい、何が望みだ｣
｢はぁ、耳元でいちいち怒鳴らないでくれる？ 自分はアオツキ。アオツキ･ケイ｣
そっちの言い方に合わせるとケイ･アオツキかな。女がくすくす笑いをしながら言を続ける。
｢ハンドルネームだから本名じゃないけどね。初めまして、カラミヤ君？｣
偽名だと宣言しながら名乗るとはな。犯罪映画の登場人物気取りか。
｢丁寧なご挨拶痛み入るね。いいから要件を言え。人をおちょくるのも大概にしろ｣
｢良い勘してるよ？ キミ、正解♪｣
身震いして爆発しそうになる衝動をどうにか堪える。けど、相手には丸分かりだったんだろうな。女は声を上げて哂う。
｢うそうそ、ごめんごめん。ジョーク、ジョーク♪｣
女が言うには、自分も来訪者なのだそうだ。ナナコとは街角でぶつかっただけの縁だと言う。
塞ぎこむナナコをどうにかなだめて部屋に連れ込み、ナナコがしまい忘れたパールを見ていて同じ来訪者のおれと話してみたくなり、悪戯心を起こしただけなのだと。最低な女だな。
｢……すまん｣
塞ぎこむナナコの姿は想像できなかったが、思わず謝らずにはいられなかった。
｢そこで謝るかなぁ？ 普通。後悔してるのなら初めっからしなきゃいいのに｣
返す言葉がない。
｢でもってここからが本題。彼女引き取りに来てくれない？｣
逡巡して、やはりおれには返す言葉がなく、結局沈黙する。
｢今度はだんまり？ 決別するにせよ、一緒に進むにせよ、どちらにしろ会って理由とか事情とか説明するべきだと思う。
たとえフェローだとしてもさ。そっちのがこの世界の先輩臭いから解ってると思うけど、彼女達だって生きてるんだし｣
尊大な口ぶり、浮世離れした奇麗事だ。そうは言っても何も言い返せないのは、おれ自身まだ理屈でしか物事を把握できないから。
｢聞いてる？ 映像からすると、そこ蒸気の羊亭前だよね？ 今からそっち行くから｣
｢……ああ｣
おれはどうにか、かすれる声で答えをひり出した。
パールの通話を切って振り向くと、そこは確かに酒場の前だった。蒸気の羊亭。
隠れるのもばかばかしい。おれはやりようのない苛立ちを路傍に転がる石ころにぶつけながら、女が来るのを待った。
立ったり座ったり、歩いたり立ち止まったり。
一時間も時間をつぶしただろうか。おれは不意に気配を感じて顔を上げた。
誰もいない。気のせいか？ いやでも、確かに視線を感じる。
おれは気づかないふりをして、気配との間合いを測った。
インビジだろうか？ 一つの足音が近づいてくる。
両手をだらりと垂らして、背骨でナイフの位置を確かめ、いつでも抜けるように身構える。
間合いが詰まる。足音はおれの警戒に気づいていない。無防備だ。
ストロークから類推する限り、ヒュームかミスラ。呼吸まで聞き取れる。喉の位置に見当をつけ、待ち受ける。さあこい、おれの間合いに入った瞬間が、てめーの死ぬ時だ。
手が鞘に伸びかけた瞬間、もう一つの気配に気づいておれは動きを止めた。足音に敵意はない。だけど、もう一つ遠巻きにこちらを見張る気配には、どこか捕食動物のような冷たい殺気を感じる。
足音の主を押さえるべきか、今はまだ様子を見るべきか。そんなおれの葛藤を知りもしない無防備な声が、足音の主から発せられた。声の主は先ほどの女だった。
｢こんばんは、カラミヤ君｣
バカかこいつ。ひとまず女に脅威はないと判断し、おれは周囲を伺う。もう一つの気配の位置は、遠すぎるのか、はっきりと掴めない。
女──アオツキとか言っただろうか──が背後でインビジを解く。女も気配には気づいているのか、おれに背を向けている。
｢趣味悪いな、お前｣
｢ぷ…っ、ごめん。ちょっとからかってみただけ｣
呆れて、思わずため息が漏れた。状況が分かってないらしい。さっきは純粋におれをからかっていただけか。やきもきしたのがバカみたいだ。
｢それで、どうするかは決めた？｣
アオツキが、この期に及んで他人の心配をする。
｢何をだよ｣
｢……言わなくても分かってるでしょ｣
左右に視線を配りながら適当に答えを返す。当然それが不満であるらしく、アオツキが文句を言う。
｢うるせえな、お前には関係ないだろ。邪魔だから追い払った。初対面のお前に報告させられる言われはねーよ｣
｢つれないなぁ、同じ来訪者なのに。今時いないよ、あんないい子は？ 純粋で一途、おまけにあの……？｣
アオツキが異変に気づいたらしく、口をつぐむ。
周囲は深夜の静寂に包まれている。水路の音も虫の声もやたら小さい気がするのは気のせいだろうか？
｢来やがったな｣
｢何？ 何が来るの？｣
独り言のつもりだったが、アオツキがそれを言い咎める。
わかんねぇのかよ。めんどくさくなって、適当に返す。そしてゆっくりと近づいてくる気配に注視する。
｢お生憎様、こっちの世界に来てまだ日が浅いんだから。求む説明。出、ナナコ｣
｢あいつを物扱いすんな｣
あと、無知を誇るな。
腰に手が伸びる。ここは街中だ、いきなり荒事を仕掛けてくるだろうか。
気配が不意に膨れて黒い霧になり、ゆっくりと霧が晴れた後には、黒い外套にターバンを巻いたヒゲ面の男が立っていた。
｢これはこれは仲のおよろしい事で。お邪魔でしたかな？｣
男はアオツキほどではないが、口元に嫌味な笑いを浮かべて慇懃に挨拶をする。
｢ああ、取り込み中なんだ。またにしてくれないかな｣
男の意図を推し量る。狙いは何だ？
｢何……特撮か何かの撮影？｣
なかなか豪胆な事を言う。シャレで言ってるなら、とんだ女豪傑だ。
男はその冗談がよほど気に入ったのか、歯を見せてはっはと笑う。
｢ハンドルネームＩＤ番号、xx-55xx2のAotsuki様。不正データの回収に参りました。大人しく、出していただけますかね？
なぁに、貴方達を消去しに来たわけではありません。素直に出して頂ければ、ひき続きヴァナディールでの冒険をお楽しみいただけますよ｣
男の狙いはアオツキか。ちょっとだけ胸を撫で下ろした。
間合いを測る。切り込むには遠い。魔法の間合いだ。多分男にとって一番得意な距離なんだろう。
｢不正データって何の事？ そんなもの知らない｣
｢おやおや、知らないはずはないんですがね。貴女がリアルから持ち込んだ"漂流物"と呼ばれるものを｣
リアル？ 持ち込んだ？ アオツキがぶつぶつと小声で考えを纏める。
｢その通り、塩の小瓶でございます、Aotsuki様｣
｢な、何で……今考えた事をっ!?｣
自分では他人をからかう割に、本人は耐性がないらしい。
ＩＤ番号とやらで人を呼ばわる奴は初めてだけど、どうもこいつも赤鎧の一員らしい。
その割にはまるで威圧感を感じないのだが、それでもアオツキは気圧されているようだ。
｢おぉ、お痛わしい。折角の美人が台無しですよ、そんなに大声を張り上げては｣
｢……ふざけるのもいい加減にして｣
言い返す声が震えている。ていうか、お前が言うな。
男がゆったりとした挙動でこちらに近づいてくる。
右手はだらりと下げたまま。腰には曲刀を日本刀みたいに差している。外套に隠れて見えないが、左手を鞘にあてがっているようだ。
いつでも抜けるという事か。対するこちらは吊るタイプの直剣と背後の短剣、いずれも居合いが出来るような代物じゃない。
｢これね｣
アオツキが腰のポーチから何かを取り出す。食卓塩と書かれた小瓶が今の空気にひどく場違いに見えた。
チラリとアオツキがこちらに視線を投げ、小瓶を放る動作に入る。同時にしかけろ、そういう事か。
｢ええ。ささ、早くお渡し頂けますか｣
男が勝ち誇ったように笑う。
｢落としても責任は持たないからね｣
投げる挙動に合わせて腰を沈める。と、それをアオツキが右手で遮る。
どういうつもりだ、これじゃ奴に飛びかかれない。
小瓶が弧を描いて、数歩踏み込めば届くような位置まで詰めていた男の手に吸い込まれる。
｢確かに、回収させて頂きました。では、良い旅を｣
男はさきほどのいやみな一礼をして、男が踵を返す。
男がいなくなるまで、アオツキはおれを制したままだった。
｢何やってんだ、おい｣
さすがに腹に据えかねる。つまらない八百長レースを見せられた気分だ。
アオツキは答えない。ただじっと、男が消えた後を睨みつけている。
｢聞いてんのかお前｣
｢……お前はやめて｣
声が震えている。いや、彼女は全身を震わせていた。
｢確かにカラミヤ君一人なら勝てたかもしれない。けど…自分は絶対に足手まといになってた。下手すれば二人とも死んでたかもしれない。あんな小瓶で命が拾えるなら、安いもんでしょ？｣
買いかぶられたもんだ。
｢なんだよ、それ｣
｢ゲーマーとしての勘、かな｣
ゲーム感覚か。命までは取らないと油断させて背後から、という可能性もあったわけだが。可能性というか、実際に以前その手に掛かりかけたわけだが。
だけど言わずにおく事にした。そんな義理はないし、このむかつく女が下手打って野垂れ死ぬのは実に気分がいい。
｢笑えねぇな｣
言葉と裏腹ににやけながら振り向くと、アオツキが石畳の上に座り込んで、自分で自分の肩を抱くような仕草で震えていた。
｢何やってんだ？｣
｢こ、腰……腰が抜けた。ごめん…た、立たせてくれない？｣
合わない歯の根で言う。その様におれは思わず吹き出した。
｢し、仕方ないでしょ！ こ怖かったんだだから！｣
自称ゲーマー様なりに考えた行動という事か。おれは苦笑しながら、腰の抜けたゲーマー様を助け起こした。
アオツキのモグハウスは、おれのそれの近所だった。元々は同じ倉庫群なのだろう、石を積んで作った堅固な建築を後から区切って、二階建ての集合住宅に改築してある。
彼女の部屋はその一階部分にあった。
道中話を聞いた限りでは、アオツキは純粋にお節介でおれに声を掛けたらしい。
そりゃ誰だってナナコの方に同情するだろうけどさ。お前ゲームとか映画見ててハッピーエンドじゃないといやなクチだろ。
世の中は全てなるようにしかならない。なんでもハッピーエンドになるなら、そんなのが娯楽でいちいち受けるもんか。ニートなんてものがこの世にいるもんか。
部屋に入ると、おれの部屋とは違ういい匂いがして、一番会いたい人物と、一番会いたくない人物がいた。
どちらも、ナナコの事だ。
アオツキのモーグリと向かい合ってテーブルについていたナナコが顔を上げる。
いや、これはナナコなのか？
別れてから数時間しか経っていないのに、顔の作りまで崩れてしまったみたいだ。まるきり病人にしか見えない。
ナナコが掠れた呻きを漏らす。喉から空気を出しただけにしか聞こえなかったが、口は確かにおれの名を呼んでいた。
躊躇するおれの背を、アオツキが押す。
押されてテーブルに突いたおれの手に、ナナコの手が重ねられる。
｢ヒロぉ……うぅ…ふぇ……｣
痛いくらい、その手が握り締められる。ナナコがおれの手にすがりついて、嗚咽する。
ああ、駄目だ。おれはつぶやく。やっぱり、駄目だ。
こんな風におれの事を思ってくれる人をそばに置いて何かあったら、おれは絶対耐えられない。
609 ◆dWeYTO/GKY第6話05
609 ◆dWeYTO/GKY まとめ
何をすればいいのかまるで思いつかなくて、おれはただ夜の街を徘徊する不審者になっていた。
まだまだ情報は足りない。侵攻ルートの策定どころか、敵味方の区別、彼我の戦力差すら分かっていない。
なのに、何から手をつければいいかまるで分からない。
立ち止まって考えようとすると、関係ない事ばかりが浮かんで、思考がまとまらない。
ベッドがあったら潜り込んで寝てしまいたい気分だ。だけど多分、一睡だって出来ないだろう。
それなら家に帰ってネ実でも……いや、だから、ここにはそんなものありはしないんだ。
どうしようもなくて、結局おれは酒に逃げた。
どうにか開いていた酒場でぶどう酒を買い求めると、水筒一杯に詰めてもらい、ちびちびと舐めながらさまよい歩く。
仕方がないんだ。おれは悪くないんだ。そんな事をぶつぶつと漏らしながら、また水筒の口を噛んで引き開けると、またぐいと渋い果実種を口に含んだ。
ふと、ポーチに放り込んだままになっていたシグナルパールが鳴った。
酒で気が大きくなっていたのかもしれない。あるいは、パールの持ち主なら今のおれを慰めてくれると思ったのかもしれない。
半ば期待みたいなものを抱いて、おれはパールを通話状態にした。
｢こんな時間まで何してるの？ ねぇ、今何処にいるの？ 何があったの？ わたしじゃそんなに頼りない？｣
聞こえてきたのは、別人の声だった。
女だ。ナナコの声真似をしているつもりだろうけど、随分と陰気に聞こえた。
おれは拍子抜けと安堵と、そして酷い焦燥に駆られた。
｢流石に一発でばれちゃいますか。でも誰だって人に聞く前に普通は自分が名乗るもんなんじゃないかな？｣
誰だという問いに女は笑うと、答えた。
挑発的な口ぶりに、不安が煽られる。ナナコのパール使ってナナコのふりをして話しかけてくるという事は、少なくともパールを拾って持ち主を探しているなどという平和的な動機ではあるまい。
｢ナナコをどうした｣
感情を殺してパールに問いかけるが、語気が荒くなるのは押さえられない。
｢名乗ってくれたら、教えてあげる♪｣
女の陽気さが神経に障って仕方がない。これも手なんだろうか、おれを怒らせて何をするつもりなのか。
心が冷えると同時に、それがどこか心地よかった。こいつを憎んでいる間は、おれは自分を憎まずにいられる。
｢…あのさ、そんなに心配するくらいなら、最初っからそばに居てあげればいいのに。しょうがないなぁ……ちゃんと映像見てる？｣
慌ててパールを調べた。確かに映像を受信するような回路が組まれてる。
指でかるくこすって回路に魔力を流し、起動を促すと、不出来な合成みたいな映像が現れた。
絶句した。
何もない空間にテレビの画面だけが浮かぶようにして、向こう側の映像が表示されている。そこには無防備に眠るナナコの顔があった。
あなたの対応次第で、こちらはいつでも彼女をどうとでもできるのよ？
女がそう言っているのが分かった。
｢ちゃんと見れた？｣ 悪戯をする子供みたいな声。｢あなたの愛しいフェローは単に酔いつぶれて寝ちゃってるだけですよ、ってね。別に危害を加える気はないし、身代金とかも目的じゃないから｣
おれは黙って女の言う事を聞いていた。
｢あ、管理者側でもないから安心してね。むしろキミと同じ立場、かな？｣
管理者、ね。そういう風に言う赤鎧はいなかった。
｢で、名前、教えてくれないかな？ キミの、さ｣
女の吐き出す言葉の一つ一つに思わず怒鳴り返したくなる。けど、今は従うしかない。
｢……ヒロ、ヒロ･カラミヤだ。無駄話はいい、何が望みだ｣
｢はぁ、耳元でいちいち怒鳴らないでくれる？ 自分はアオツキ。アオツキ･ケイ｣
そっちの言い方に合わせるとケイ･アオツキかな。女がくすくす笑いをしながら言を続ける。
｢ハンドルネームだから本名じゃないけどね。初めまして、カラミヤ君？｣
偽名だと宣言しながら名乗るとはな。犯罪映画の登場人物気取りか。
｢丁寧なご挨拶痛み入るね。いいから要件を言え。人をおちょくるのも大概にしろ｣
｢良い勘してるよ？ キミ、正解♪｣
身震いして爆発しそうになる衝動をどうにか堪える。けど、相手には丸分かりだったんだろうな。女は声を上げて哂う。
｢うそうそ、ごめんごめん。ジョーク、ジョーク♪｣
女が言うには、自分も来訪者なのだそうだ。ナナコとは街角でぶつかっただけの縁だと言う。
塞ぎこむナナコをどうにかなだめて部屋に連れ込み、ナナコがしまい忘れたパールを見ていて同じ来訪者のおれと話してみたくなり、悪戯心を起こしただけなのだと。最低な女だな。
｢……すまん｣
塞ぎこむナナコの姿は想像できなかったが、思わず謝らずにはいられなかった。
｢そこで謝るかなぁ？ 普通。後悔してるのなら初めっからしなきゃいいのに｣
返す言葉がない。
｢でもってここからが本題。彼女引き取りに来てくれない？｣
逡巡して、やはりおれには返す言葉がなく、結局沈黙する。
｢今度はだんまり？ 決別するにせよ、一緒に進むにせよ、どちらにしろ会って理由とか事情とか説明するべきだと思う。
たとえフェローだとしてもさ。そっちのがこの世界の先輩臭いから解ってると思うけど、彼女達だって生きてるんだし｣
尊大な口ぶり、浮世離れした奇麗事だ。そうは言っても何も言い返せないのは、おれ自身まだ理屈でしか物事を把握できないから。
｢聞いてる？ 映像からすると、そこ蒸気の羊亭前だよね？ 今からそっち行くから｣
｢……ああ｣
おれはどうにか、かすれる声で答えをひり出した。
パールの通話を切って振り向くと、そこは確かに酒場の前だった。蒸気の羊亭。
隠れるのもばかばかしい。おれはやりようのない苛立ちを路傍に転がる石ころにぶつけながら、女が来るのを待った。
立ったり座ったり、歩いたり立ち止まったり。
一時間も時間をつぶしただろうか。おれは不意に気配を感じて顔を上げた。
誰もいない。気のせいか？ いやでも、確かに視線を感じる。
おれは気づかないふりをして、気配との間合いを測った。
インビジだろうか？ 一つの足音が近づいてくる。
両手をだらりと垂らして、背骨でナイフの位置を確かめ、いつでも抜けるように身構える。
間合いが詰まる。足音はおれの警戒に気づいていない。無防備だ。
ストロークから類推する限り、ヒュームかミスラ。呼吸まで聞き取れる。喉の位置に見当をつけ、待ち受ける。さあこい、おれの間合いに入った瞬間が、てめーの死ぬ時だ。
手が鞘に伸びかけた瞬間、もう一つの気配に気づいておれは動きを止めた。足音に敵意はない。だけど、もう一つ遠巻きにこちらを見張る気配には、どこか捕食動物のような冷たい殺気を感じる。
足音の主を押さえるべきか、今はまだ様子を見るべきか。そんなおれの葛藤を知りもしない無防備な声が、足音の主から発せられた。声の主は先ほどの女だった。
｢こんばんは、カラミヤ君｣
バカかこいつ。ひとまず女に脅威はないと判断し、おれは周囲を伺う。もう一つの気配の位置は、遠すぎるのか、はっきりと掴めない。
女──アオツキとか言っただろうか──が背後でインビジを解く。女も気配には気づいているのか、おれに背を向けている。
｢趣味悪いな、お前｣
｢ぷ…っ、ごめん。ちょっとからかってみただけ｣
呆れて、思わずため息が漏れた。状況が分かってないらしい。さっきは純粋におれをからかっていただけか。やきもきしたのがバカみたいだ。
｢それで、どうするかは決めた？｣
アオツキが、この期に及んで他人の心配をする。
｢何をだよ｣
｢……言わなくても分かってるでしょ｣
左右に視線を配りながら適当に答えを返す。当然それが不満であるらしく、アオツキが文句を言う。
｢うるせえな、お前には関係ないだろ。邪魔だから追い払った。初対面のお前に報告させられる言われはねーよ｣
｢つれないなぁ、同じ来訪者なのに。今時いないよ、あんないい子は？ 純粋で一途、おまけにあの……？｣
アオツキが異変に気づいたらしく、口をつぐむ。
周囲は深夜の静寂に包まれている。水路の音も虫の声もやたら小さい気がするのは気のせいだろうか？
｢来やがったな｣
｢何？ 何が来るの？｣
独り言のつもりだったが、アオツキがそれを言い咎める。
わかんねぇのかよ。めんどくさくなって、適当に返す。そしてゆっくりと近づいてくる気配に注視する。
｢お生憎様、こっちの世界に来てまだ日が浅いんだから。求む説明。出、ナナコ｣
｢あいつを物扱いすんな｣
あと、無知を誇るな。
腰に手が伸びる。ここは街中だ、いきなり荒事を仕掛けてくるだろうか。
気配が不意に膨れて黒い霧になり、ゆっくりと霧が晴れた後には、黒い外套にターバンを巻いたヒゲ面の男が立っていた。
｢これはこれは仲のおよろしい事で。お邪魔でしたかな？｣
男はアオツキほどではないが、口元に嫌味な笑いを浮かべて慇懃に挨拶をする。
｢ああ、取り込み中なんだ。またにしてくれないかな｣
男の意図を推し量る。狙いは何だ？
｢何……特撮か何かの撮影？｣
なかなか豪胆な事を言う。シャレで言ってるなら、とんだ女豪傑だ。
男はその冗談がよほど気に入ったのか、歯を見せてはっはと笑う。
｢ハンドルネームＩＤ番号、xx-55xx2のAotsuki様。不正データの回収に参りました。大人しく、出していただけますかね？
なぁに、貴方達を消去しに来たわけではありません。素直に出して頂ければ、ひき続きヴァナディールでの冒険をお楽しみいただけますよ｣
男の狙いはアオツキか。ちょっとだけ胸を撫で下ろした。
間合いを測る。切り込むには遠い。魔法の間合いだ。多分男にとって一番得意な距離なんだろう。
｢不正データって何の事？ そんなもの知らない｣
｢おやおや、知らないはずはないんですがね。貴女がリアルから持ち込んだ"漂流物"と呼ばれるものを｣
リアル？ 持ち込んだ？ アオツキがぶつぶつと小声で考えを纏める。
｢その通り、塩の小瓶でございます、Aotsuki様｣
｢な、何で……今考えた事をっ!?｣
自分では他人をからかう割に、本人は耐性がないらしい。
ＩＤ番号とやらで人を呼ばわる奴は初めてだけど、どうもこいつも赤鎧の一員らしい。
その割にはまるで威圧感を感じないのだが、それでもアオツキは気圧されているようだ。
｢おぉ、お痛わしい。折角の美人が台無しですよ、そんなに大声を張り上げては｣
｢……ふざけるのもいい加減にして｣
言い返す声が震えている。ていうか、お前が言うな。
男がゆったりとした挙動でこちらに近づいてくる。
右手はだらりと下げたまま。腰には曲刀を日本刀みたいに差している。外套に隠れて見えないが、左手を鞘にあてがっているようだ。
いつでも抜けるという事か。対するこちらは吊るタイプの直剣と背後の短剣、いずれも居合いが出来るような代物じゃない。
｢これね｣
アオツキが腰のポーチから何かを取り出す。食卓塩と書かれた小瓶が今の空気にひどく場違いに見えた。
チラリとアオツキがこちらに視線を投げ、小瓶を放る動作に入る。同時にしかけろ、そういう事か。
｢ええ。ささ、早くお渡し頂けますか｣
男が勝ち誇ったように笑う。
｢落としても責任は持たないからね｣
投げる挙動に合わせて腰を沈める。と、それをアオツキが右手で遮る。
どういうつもりだ、これじゃ奴に飛びかかれない。
小瓶が弧を描いて、数歩踏み込めば届くような位置まで詰めていた男の手に吸い込まれる。
｢確かに、回収させて頂きました。では、良い旅を｣
男はさきほどのいやみな一礼をして、男が踵を返す。
男がいなくなるまで、アオツキはおれを制したままだった。
｢何やってんだ、おい｣
さすがに腹に据えかねる。つまらない八百長レースを見せられた気分だ。
アオツキは答えない。ただじっと、男が消えた後を睨みつけている。
｢聞いてんのかお前｣
｢……お前はやめて｣
声が震えている。いや、彼女は全身を震わせていた。
｢確かにカラミヤ君一人なら勝てたかもしれない。けど…自分は絶対に足手まといになってた。下手すれば二人とも死んでたかもしれない。あんな小瓶で命が拾えるなら、安いもんでしょ？｣
買いかぶられたもんだ。
｢なんだよ、それ｣
｢ゲーマーとしての勘、かな｣
ゲーム感覚か。命までは取らないと油断させて背後から、という可能性もあったわけだが。可能性というか、実際に以前その手に掛かりかけたわけだが。
だけど言わずにおく事にした。そんな義理はないし、このむかつく女が下手打って野垂れ死ぬのは実に気分がいい。
｢笑えねぇな｣
言葉と裏腹ににやけながら振り向くと、アオツキが石畳の上に座り込んで、自分で自分の肩を抱くような仕草で震えていた。
｢何やってんだ？｣
｢こ、腰……腰が抜けた。ごめん…た、立たせてくれない？｣
合わない歯の根で言う。その様におれは思わず吹き出した。
｢し、仕方ないでしょ！ こ怖かったんだだから！｣
自称ゲーマー様なりに考えた行動という事か。おれは苦笑しながら、腰の抜けたゲーマー様を助け起こした。
アオツキのモグハウスは、おれのそれの近所だった。元々は同じ倉庫群なのだろう、石を積んで作った堅固な建築を後から区切って、二階建ての集合住宅に改築してある。
彼女の部屋はその一階部分にあった。
道中話を聞いた限りでは、アオツキは純粋にお節介でおれに声を掛けたらしい。
そりゃ誰だってナナコの方に同情するだろうけどさ。お前ゲームとか映画見ててハッピーエンドじゃないといやなクチだろ。
世の中は全てなるようにしかならない。なんでもハッピーエンドになるなら、そんなのが娯楽でいちいち受けるもんか。ニートなんてものがこの世にいるもんか。
部屋に入ると、おれの部屋とは違ういい匂いがして、一番会いたい人物と、一番会いたくない人物がいた。
どちらも、ナナコの事だ。
アオツキのモーグリと向かい合ってテーブルについていたナナコが顔を上げる。
いや、これはナナコなのか？
別れてから数時間しか経っていないのに、顔の作りまで崩れてしまったみたいだ。まるきり病人にしか見えない。
ナナコが掠れた呻きを漏らす。喉から空気を出しただけにしか聞こえなかったが、口は確かにおれの名を呼んでいた。
躊躇するおれの背を、アオツキが押す。
押されてテーブルに突いたおれの手に、ナナコの手が重ねられる。
｢ヒロぉ……うぅ…ふぇ……｣
痛いくらい、その手が握り締められる。ナナコがおれの手にすがりついて、嗚咽する。
ああ、駄目だ。おれはつぶやく。やっぱり、駄目だ。
こんな風におれの事を思ってくれる人をそばに置いて何かあったら、おれは絶対耐えられない。
609 ◆dWeYTO/GKY第6話05
609 ◆dWeYTO/GKY まとめ
2006年08月27日(日) 14:15:39 Modified by ID:BGXqaAYZrQ