「・・・ぐぅ」

講義室の後ろから3番目の左側の席。
大学生活3日目にして、れいなは春の陽気に埋もれていた。

「れーな、講義終わったの」

なんとなく寝ぼけた感じが抜けなかったけど、深い眠りを堪能することができて気分はもっぱら清々しかった。
さゆはこの大学で唯一同じ高校出身の友達。
言っておくけど友達といっても男と女だから、傍から見たらカップルだと勘違いされるかもしれない。
もちろん絶対にそんな関係ではないし、どちらかというと幼馴染みたいな関係に似ている。
だけどさゆと知り合ったのは1年前にれーながさゆのいる高校に転校したのがきっかけだったから比較的新しい関係だ。

「れーなは次、近代芸術史だっけ?」
「あ さゆは今日はこれで講義終わりやったっけ?」
「うん 大学って思ったより大したことないの」

たしかに。
何て言うか、ホント「こんなもんか」という感じだ。
受験期の勉強と引き換えに手に入れたのがこんな生活だなんて、なんだかしっくり来るような、来ないような・・・
まぁ、大して勉強なんてしてないんだけど。

「じゃ、一足先に帰るね バイバイ」
「じゃ」

さゆとは出身地が近いということで友達になった。
さゆは見た目も良いし何となく仲良くなりたい程度に思って距離を詰めていったけど、
お互いの居心地の良さに流されて結局告白という儀式をしないまま親友みたいな関係になってしまっていた。
それでも男同士の付き合いよりもしっくりきていたせいで、大学選びはさゆの「この大学に行きたい」でこの大学に決めてしまった。

「ふぁぁ・・・あと1コマ」

今日はさゆと一緒に夕ご飯を作ろう、などと考えながら講義の内容を半分ほど拾ってるうちに90分が経った。
と、同時に携帯が鳴る。
締めの挨拶をしようといていた髭もじゃの講師に睨まれつつ、講義室から出ていく大学生の群れに紛れ込んだ。

「はぁ・・・あと30秒遅くしてくれたら・・・」

こんなタイミングで誰からのメールだろう、と携帯を開く。
さゆだ。

<れーなってギターちょっと弾けたよね? なんか良さそうな軽音サークルあったかられーなも来てよ♪ 第一食堂前で待ってるね(はぁと)>

(はぁと)に関してはただのおふざけだということは説明しなくてもわかるだろうけど、
この全体的に強制的に見えるメールもさゆとれーなの関係からしたら何も不自然なことは無い。
基本的に生活のほとんどはさゆがれーなの主導権を握っている。
ってか握ってもらっているから、よほど変なサークルでないかぎりこのさゆに勧められたサークルに入るつもりだ。

<今講義終わったけん、今から行く>

授業終わりで人がごった返している道をかき分けて道を進む。
混んでいる第一食堂前でもすぐにさゆを見つけることができた。

「お疲れーな」
「お、お疲れ・・・」

さゆの隣には見たことのない美人が立ってこちらを見つめていた。

「あっ 初めまして。 亀井絵里です」
「た、田中れいなです・・・」

亀井絵里。
清楚な感じのお嬢様。
肩ぐらいまでの淡い茶髪に緩いパーマがかかっている。

「えりちゃんもね、軽音サークルに入るの」
「・・・へぇ」
「“えり”でいいって、“えり”でw 呼捨てじゃないとなんかよそよそしいでしょ?」

どうやら見た目通り明るく爽やかな性格みたい。
春の風を身に纏ってやんわりとした笑みを振りまいている姿はこのなんてことのない大学にふと暇つぶしに来た妖精のようだった。

「ねぇ、さゆみちゃん?」
「“さゆ”でいいの えりw」
「うへへw じゃぁ・・・さゆ?」
「何?」
「こんな一方的に・・・・・・」

ん? なんだ?
超能力でれーなを操ろうとするかのようにパッチリと目を見開いてこっちを睨んできた。
可愛らしいアヒル口になっている。

「・・・名前なんだっけ??(笑)」

アヒル口がひん曲がったかと思うと、えり“ちゃん”は苦みの強い笑顔を向けてちょっと申し訳なさそうに尋ねてきた。
漫画だったら<むっ>っていうよりは<がっくし>という文字が頭の上で石化しているような気分になった。
もちろんれーなの顔には暗い青色で縦線が引っ張られている。

「田中れいなです・・・」
「ごめんね れーな君(笑) コホン、では気を取り直して・・・」

何を言い出すのかと思ったが、えり“ちゃん”はれーなが一方的にサークルに入会させられていると思い、気遣ってくれたようだった。
一応こっちは納得としていると伝えると、今度は甘酸っぱい笑顔を向けて「なら良かったw」とほほ笑んだ。
まぁ、その笑顔と名前を忘れた件について天秤にかければプラマイゼロかな?とか思っていると、えり“ちゃん”は1つ言葉を付け加えた。

「なんか、えり“ちゃん”って言われるの慣れてないから、“えり”って呼んで?」
「えっ/// ・・・いいの?」
「よろしくお願いしますw」

照れ隠しの笑顔を向けて、可愛らしくペコリとお辞儀をされた。
「あははw」と笑うわけでもなく、ノリに合わせて丁寧にお辞儀を返すでもなく、
顎でチェック項目に『レ』の字を書きこむように中途半端な感じで首をカクッとさせただけになってしまった。
ちょっぴり恥ずかしくなってポリポリほっぺを引っ掻きながら“えり”の方を見てみたけど、
顔を上げてほんわかと笑い続ける彼女はこの恥ずかしさを甘酸っぱい感情に変えてくれた。
その感情に任せて、思い切って一歩踏み込んでみる。

「え、えり・・・も・・・れーなのこと呼捨てにして呼んでよかよ///」
「・・・・・・」

あぅ・・・やっぱりやめておけばよかった。
すぐ調子に乗ってしまうところがれーなの悪いところだ。
黙り込んでしまった絵里に謝ろうとしたところでさゆが口を開いた。

「・・・あぁ、れーなは福岡出身で博多弁で喋るの」
「え? そーなの?」
「え あ うん」

ほっ、そっちか。
それなら話は早い。
この手の会話は幾度となくしてきたから、めんどくさいと思うよりもむしろれーなにとっては会話を弾ませるチャンスだ。

「へぇ♪ なんかイケイケな感じがして良いねw」

えりに初めて褒められた記念日だ。

「ははw イケイケかはわからんけど、敬語以外は基本的に福岡弁やけん」
「今の<けん>って福岡弁だよね?」
「うん あとは<ちゃ>とかよく使うっちゃけど あっ、今使ってしまったとw」
「えへw なんか面白いねw」

初めて笑いをとることに成功。
さらにまた褒められてしまった。
このままえりの太陽のような笑顔を拝んでいたかったけど、
こんな所で立ち話をしていても仕方がない、と早くサークルの人たちに挨拶に行こうと促された。
何てこと無い大学のアスファルトで舗装された道も景観のために無理矢理植えられたケヤキ並木も、
全ての物がなんだかれーなの気分を良くしてくれてるみたいだった。
もっとお互いのことを知りたいと思ったけど、話題は必然的にサークルのことになる。
さゆとえりはもう顔を出してきたみたいで、サークルのメンバーはあと2人しかいないということだった。
1人は4年生の男の人で、もう1人は2年生の女の人らしかった。
あまり人数が多くても困る軽音サークルにしてもいやに人数が少ないと思ったが、
どうやら現在4年生の人が友達と作ったサークルで、その4年生を除いて他のメンバーは就活のため去年の終わり頃やめてしまったそうだ。
現在2年生の女の人はマネージャーみたいな感じで楽器を演奏するわけじゃないという。
このサークルを立ち上げた4年生達は皆男だったので、たまにボーカルとして歌っていたみたいだけど。


そんなこんなでサークルについて下手なセールスを受けているうちにだいぶ奥の方までやってきた。
“文化サークル棟”と入口の上に鉄っぽい文字で書かれている建物が見える。
てっきり夕日で道に影を落としているこの建物に入っていくのかと思ったが、
2人は見向きもせず雑談をしながられーなを連れてその建物の前を通り過ぎていく。

「ここなの」

あれ?と首を傾げているうちにさゆは隣の文化サークル棟より一回り小さい建物を指差した。

「ここ?」

“全額共用C棟”という文字が左手に見える文化サークル棟と同じ感じで入口の上に書かれている。
「まぁ、ほとんど物置みたいなもんなんだけどねw」とえりはニコリとアヒル口を向けた。
C棟に入ってみるとえりの言ったとおりに扉の閉まりきった部屋からは「物置ですよ」と言わんばかりのオーラが放たれている。
まだ灯りの点いていない階段を登って行く。
3階、この建物における最上階だ。

「基本的にサークル教室は2階なんだけど、2階で使える部屋がなかったから無理言って3階を使わせてもらってるんだって」

「1番奥の部屋なの」とさゆは指を差して付け足した。
3人が横に並んで歩けないくらいの幅の廊下。
2人の後ろをついていく。
アコギの音が聞こえてきた。

「こんにちはぁ もう1人連れてきましたぁ」

部屋には明るい金髪の男の人とえりとさゆの中間くらいの髪の色の女の人がギターを弾いていた。



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