否定派の主張

記録映画『南京』をみれば平和そのもので、虐殺などなかったことがわかる。
『南京』は1938(昭和13)年、東宝映画の文化映画部(のちに日本映画社に併合)が制作した。日本では戦災で焼失したが、中国にフィルムの大部分が残っており、日本映画社が買い取って復刻したものである。

陥落直後の南京を撮影した映像として貴重であるが、虐殺や放火による火災などはなく、静かなものである。焼け跡は日本軍の爆弾による火災ではないこと(爆弾で火災が起こったなら中心部にクレーターが出来ている)がわかる。入城式の様子、下関、挹江門の状態、安全区内の便衣兵摘出のため良民証を交付している場面や、雪の日(12月28日、あの崇善堂が6,468体埋葬した日)の状態、1月3日の自治委員会発足の鼓楼前での旗行列などが記録されている。カメラで撮影している人も意外に多く、かなりの人がカメラを持っていた様子が窺える。

反論

この映画は1938年、「軍特務部」の指導のもと、白井茂によって撮影された。
当時日本の映画班は実戦の先頭に立って撮影を敢行することはなかった。この点ナチス・ドイツが戦場で映画班を優遇して、戦闘場面まで撮影させたのとはおおいに違っている。日本では敵味方にかかわらず戦死体の画像さえ許されなかった。日本兵が梯子で城壁を登る場面が間延びしているのは戦闘終了後における再現撮影だからである。
「城壁を登る日本兵」
http://www11.ocn.ne.jp/~nbbk/etc/extra01.html

入場式で整列している日本軍兵士の映像や、安居証をもらうために行列する中国人たちの映像もあるが、これまた整然としている。しかし、ナレーションを切って見るとこの市民たちに漂う緊張感がひしひしと迫って来る。

日本側のパフォーマンス撮影については、1月9日のマッカラムの日記にも指摘がある。

 難民キャンプの入口に新聞記者が数人やってきて、ケーキ、りんごを配り、わずかな硬貨を難民に手渡して、この場面を映画撮影していた。こうしている間にも、かなりの数の兵士が裏の塀をよじ登り、構内に侵入して一〇名ほどの婦人を強姦したが、こちらの写真は一枚も撮らなかった。
(『南京事件資料集[1]アメリカ関係資料編』p266)

また、この映画を元に虐殺はなかったとする者もいるが、この映画の撮影者は何を見たのか。
【白井茂 証言】
虐殺の現場は二度見た。一度はサクがあったように思う。はるか離れているところで、銃殺していた。数は憶えていない。揚子江でない川のところで、機関銃で撃っているところも見た。私なら抵抗すると思ったが、彼等は従順に死を待っていたようだ。川にとび込んで、向うに泳ぎついた者もいた。二百人ぐらいいたと思う。場所は憶えていない。
【藤井慎一 証言】
小さな川の傍の門の中で捕虜らしき者を撃っているのを見た。白井氏と一緒だった。いくつかの死体に石油をまき、火をつけた。中に生きている兵隊がいて“早く射て”と胸を指さし、“蒋介石万歳”といったので、大変驚いたのを憶えている。それ以外にも、銀行の裏で百人以上が殺されているのを見た。胸のあたりを銃剣で突いていたように思う。虐殺の噂はきいたように思うが、見たのはこの時だけである。
以上「『南京大虐殺』のまぼろし」より引用

#白井茂の『カメラと人生』(ユニ通信社、1983年)においてはもっと詳細な発言がある。
http://www.geocities.jp/yu77799/houdoukisei.html

この『南京』は典型的なプロパガンダ映画である。この映画を見て、だから南京大虐殺はなかった、と納得するほど馬鹿げたことはない。しかし、当時のプロパガンダとそこから透けて見える南京の実状を察するならば貴重な記録と言えよう。

資料:東宝映画『南京』
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Lounge/3924...
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