否定派の主張

日本軍による占領後、難民の帰還によって南京の人口は急速に増加した。陥落直後に20万だった人口が、1か月後には25万になっている。
東京裁判の判決では日本軍の入城後6週間にわたり虐殺、暴行、略奪、強姦が続いたとされたが、それが事実であるのなら人口が増えるはずがない。虐殺などなかった。
第2の論拠 難民帰還で人口は急速に増加

 〔※国際委員会文書は〕12月17日、21日、27日にはそれぞれ20万と記載していたのが、1月14日になると5万人増加して25万となっている。以後2月末まで25万である。これはいったい何を意味するか。それは、南京の治安が急速に回復し、近隣に避難していた市民が帰還しはじめた証拠である。

(田中正明『南京事件の総括』p163より。漢数字はアラビア数字に置換)

反論

この主張は明確に間違っている。「20万」や「25万」というのは城内の安全区にいた外国人の認識であるが、2月25日までは日本軍によって城門の出入りが厳しく制限されていた。1月の段階で何万もの人口が城内に流入するわけがないのである。

南京特務機関資料

南京班第1回報告(1月21日提出)
又城内外の通行は食糧問題解決、城内清掃を俟つて一般に許可する予定なるか、目下は城内外にある家族との関係其の他を考慮し、城外近傍の者にのみ其の自由を若干認めあり

南京班第2回報告(2月中状況)
難民の城門の通行に関しては厳重に之を制限しありしも情勢の推移に鑑み漸次之を緩和し2月25日以降無制限通行を許可したり

(『華中宣撫工作資料』p149,p153より。片仮名は平仮名に、漢数字はアラビア数字に置換)
東京裁判 マギー証言

数週間経って城内に帰って来た人は殆どありませぬでした。2、3人私の知って居るのが帰って来ましたが、他の人は全部奥地に逃げたのであります。

(『南京大残虐事件資料集 第1巻』p100-101より。片仮名は平仮名に、漢数字はアラビア数字に置換)

念のため20万、25万という数字についても確認しておく。
ラーベをはじめとする国際委員会のメンバーは陥落時点までにほとんどの民間人が安全区に避難したと考えており、その総数を「20万」と推測していた。ところが陥落後、安全区の人口はさらに増加する。予想に反して安全区の外にも多くの住人が残っており、その人々が安全区に流入したのである。これを受けラーベらは1月までには人口の認識を「25万」に上方修正した。
つまり「南京市の人口が増えた」ではなく、「南京城内で人口の移動があり、それを見て推定値を修正した」というのが正しい解釈である。ただし20万と25万どちらの数字も調査に基づくものではなく、単なる見当や推定に過ぎない点には注意しなくてはならない。
ジョン・ラーベの日記

・〔12月10日〕なにしろ、この町の運命と20万の人の命がかかっているのだ。
・〔12月25日〕そうはいっても、20万人もいるのだから大変だ。
・〔1月17日〕難民の数は今や25万人と見積もられている。増えた5万人は廃墟になったところに住んでいた人たちだ。

(『南京の真実』文庫版p107,p164,p216より。漢数字はアラビア数字に置換)
南京安全区国際委員会文書

第14号(1937年12月27日付)
それで、20万市民を養うために、前記2万担の米をわれわれが確保することを、許していただけるようお願い致します。

第19号(1938年1月14日付)
 貴下が登記した市民は16万人と思いますが、それは10歳以下の子供は含まれていないし、いくつかの地区では、年とった婦人も含まれていません。ですから、当市の総人口は多分25万から30万だと思います。

(『南京大残虐事件資料集 第2巻』p138,p143より。漢数字はアラビア数字に置換。この後の文書は「25万」で統一されている)

なお、この「人口移動」は安全区の外が危険だったことが原因である。城内には多くの日本兵が入り込み、民間人に対する暴行や略奪、強姦を繰り返していた。そのため外国人の目があり、少しでもましと思われる安全区に人々が逃げ込んできたのである。でなければ戦闘終了から1か月も経つのに、わざわざ狭く不便な避難地区に人が集まったりはしない。本当に平和になったのなら避難民たちは自分の家に戻るはずである。
このような実態を知っていれば、「治安が回復したから急速に人口が増えた」という説がどれほど悪質なデタラメであるかわかるだろう。

では「事件」が終息してからはどうだったのだろうか。南京市のもともとの人口は約100万だった。その回復状況によっては当時の「事件」の認識が小さかったという傍証になるかもしれない。
しかし残念ながら、南京市の人口は事件終息から半年以上が過ぎた1938年10月末でも33万であり、さらにその1年後でさえ55万程度にしか回復していない(笠原十九司『南京事件』p219-220)。
これでは「日本軍の占領によって平和になり、急速に人口が増えた」とはとてもいえないだろう。「暴虐事件があったので、なかなか市民が帰還しなかった」という解釈のほうが遥かに自然である。

関連リンク
南京の人口は増えたのか?
http://www.geocities.jp/yu77799/jinkou2.html
南京の治安は回復したか?
http://www.geocities.jp/yu77799/tian.html
安全区は天国?
http://www.geocities.jp/yu77799/anzenku.html
南京の人口・国際安全区委員会文書
http://members.at.infoseek.co.jp/NankingMassacre/m...
南京の人口・ラーベ資料
http://members.at.infoseek.co.jp/NankingMassacre/m...
南京の人口・安全区委員資料
http://members.at.infoseek.co.jp/NankingMassacre/m...
南京特務機関資料
http://members.at.infoseek.co.jp/NankingMassacre/s...

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