否定派の主張

東京裁判の証言者以外に累々たる死体を見た者がいない。言われてるような大虐殺があったのなら、死体がごろごろしていたはずである。つまり虐殺などなかった。
第3の論拠 累々たる死体など見た者はいない

 引用すれば際限ないが、〈累々たる死体〉や〈血の河〉を見たなどという者は1人もいないのである。日本軍や日本の新聞記者だけでなく15人の国際委員会の委員も、5人の外人記者も、その他第三国人だれひとりとして、中国人証人の言うような凄絶な光景は見ていないのである。

(田中正明『南京事件の総括』p169-170より。漢数字はアラビア数字に置換)

反論

大量の死体を目撃しなかったと証言する人々は確かに存在する。しかしそれを全面的に受け入れると、戦闘による死体さえなかったことになってしまう。
南京戦は激戦であり、中国側の戦死者だけでも万単位に上る。大量の死体は実際に存在したのであり、虐殺がなかったと言いたいあまりに、あったはずのものまで否定するようでは説得力は皆無である。

東京裁判の証言に頼らずとも、「大量の死体」は多くの資料に登場する。
そもそも日本軍自らが入城式の直後に「敵の遺棄死体は八、九万を下らず」と戦果を発表しているのである。
詩人の西條八十も、陥落直後の市内で、中国兵の死体の山や、街路の夥しい(民間人の姿をした)死体を見たと当時の雑誌に書いている。その他の日本人記者なども同様の記述を残している。
また第六師団長の谷中将は、当時の報告に、揚子江の岸が「河岸一面死体を以て覆われた」と書いている。これは第六師団の戦史とも符合する。
さらに外国人記者、在留外国人も民間人や兵士の死体の山を目撃して、リアルタイムでそれを記録している。東京裁判になっていきなり言い出したのではない。
埋葬記録も各団体、個人によるものが日本側、中国側双方に残っている。多少の重複はあるとしても、埋葬された死体の数が万の単位に達することは間違いない。

多数の人間によって独立して書かれた資料の内容が一致している以上、「私は見なかった」という証言で大量の死体の存在を否定できないのは明らかである。その証言の場所には大量の死体はなかったのだろう、で話は終わる。

大量の死体が存在したことは間違いないとして、問題はその発生原因(戦闘、捕虜や敗残兵の処刑、市民への暴行、など)が埋葬記録だけからは確定できない点と、全体の数が確定できない点にある。
もちろん戦死も大量にあっただろうが、万単位の捕虜の殺害も実証されている以上、すべての死体が戦闘によるものではないことは明らかである。その実態は多くの資料を照らし合わせながら慎重に解明していくべきものであって、願望で無根拠に決めつけていいものではない。

燦たり南京入城式  西條八十
文芸春秋社『話』昭和13年2月号p238-240
「出かける途端に見ると波止場の筋向ふに、高い板塀があつた。その中は、支那兵の死体の山。「そろそろ始まつたな」と思ふ。」
「驚くほど厚い鉄の扉の蔭に、一河岸の米蔵の俵を寄せ集めたほど積上げられた敵の土嚢。このあたりから、往来に土民服を着た支那兵の死体やら、軍馬の屍が、夥しく見えはじめた。
http://www.geocities.jp/yu77799/saijou.html
石川達三
「読売新聞」昭和21年5月9日
 兵は彼女の下着をも引き裂いた すると突然彼らの目のまへに白い女のあらはな全身がさらされた。みごとに肉づいた、胸の両側に丸い乳房がぴんと張つてゐた …近藤一等兵は腰の短剣を抜いて裸の女の上にのつそりまたがつた …彼は物もいはずに右手の短剣を力かぎりに女の乳房の下に突き立てた―
 "生きてゐる兵隊"の一節だ、かうして女をはづかしめ、殺害し、民家のものを掠奪し、等々の暴行はいたるところで行はれた、
入城式におくれて正月私が南京へ着いたとき街上は屍累々大変なものだつた、大きな建物へ一般の中国人数千をおしこめて床へ手榴弾をおき油を流して火をつけ焦熱地獄の中で悶死させた
 また武装解除した捕虜を練兵場へあつめて機銃の一斉射撃で葬つた、しまひには弾丸を使ふのはもつたいないとあつて、揚子江へ長い桟橋を作り、河中へ行くほど低くなるやうにしておいて、この上へ中国人を行列させ、先頭から順々に日本刀で首を切つて河中へつきおとしたり逃げ口をふさがれた黒山のやうな捕虜が戸板や机へつかまつて川を流れて行くのを下流で待ちかまへた駆逐艦が機銃のいつせい掃射で片ツぱしから殺害した
http://www.geocities.jp/yu77799/bunkajin.html
前田雄二(同盟通信記者)『戦争の流れの中に』p118
 死体の門
 支局に帰ると、荒木と稲津が車で出かけるところだった。同乗して市内をまわり、下関への出口の挹江門へ行く。すると、まるで門をふさぐように中国兵の死体がぎっしり詰まっている。
「何だね、こりゃ」と、まず運転手がいぶかりの声をあげた。城門の内側に、まるで土嚢でも盛ったように死体が積まれ、車はわずか一車線あけられた穴を徐行して抜けなければならない。死臭の中をだ。
http://www.geocities.jp/yu77799/nankin/maeda.html
第六師団長谷寿夫の軍状報告(1937年1月27日)
之より先、歩兵第四十五聯隊を十日夜揚子江岸に近く北進せしめましたが、南京より脱出せる万余の敵と各所に遭遇し、之に莫大の損害を与へ、河岸一面死体を以て覆はれたる状態を生じたのであります。
http://ww1.m78.com/topix-2/tani.html
「熊本兵団戦史」(熊本日日新聞社)
 のみならず南京攻略戦では南京城西側・長江河岸間は敵の退路に当たり、敗兵と難民がごっちゃになって第六師団の眼前を壊走した。師団の歩砲兵は任務上当然追撃の銃砲弾を浴びせ、このため一帯の沼沢は死屍で埋められたという。
 これは明らかに正規の戦闘行為によるものである。にもかかわらず中国側は虐殺として取り扱っている。
http://www.geocities.jp/yu77799/kyoudobutai.html

遺体埋葬の記録
紅卍字会
http://www.geocities.jp/kk_nanking/mondai/maisou/k...
南京市衛生局
http://www.geocities.jp/kk_nanking/mondai/maisou/e...
赤十字・第一隊
http://www.geocities.jp/kk_nanking/mondai/maisou/j...
赤十字・第二隊
http://www.geocities.jp/kk_nanking/mondai/maisou/j...
その他、埋葬関係資料
http://www.geocities.jp/kk_nanking/mondai/maisou.h...

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