否定派主張

日本人記者には別の顔を示し、ウソのレポートを続けた。
12月15日、ベイツは、南京の金陵大学を訪れた2人の日本の新聞記者には、『…秩序ある日本軍の入城で南京に平和が早くも訪れたのは何よりです』と話して記者の手を握った。

しかし、同じ日に南京に居ない知人に宛てた手紙には、『…日本軍は、たび重なる殺人、大規模で半ば計画的な略奪、婦女暴行…(略)…南京で示されているこの身の毛もよだつような状態…』と書き、また、12月15日に南京を去るダーディンやスティールにも同様に民間人殺害や強姦について書いたメモ(レポート)を渡した。

ベイツの行為は、宣伝工作そのもであり、宣伝工作員だったことは間違いない。

反論

はじめて会った日本人記者に『…秩序ある日本軍の入城で南京に平和が早くも訪れた』と切り出したのは儀礼的なものである。ベイツは7月まで日本に滞在し、緊張する日中関係と日本の新聞の中国敵視の論調、言論の自由がなくなってきていることを知ってたから、新聞記者にはなしかける言葉も注意したと思われる。

それから、日本人記者に日本軍の暴行について一言も話さなかったのかどうかは新聞記事ではわからない。なぜなら当時の新聞には日本軍を悪くいうことは一切書けなかったからである。

はじめて接する、一回限りの日本人記者に話した内容と、安全区国際委員会のメンバーとして2ヶ月以上告発し、発信しつづけ、戦後においても証言しつづけたことのどちらにベイツの真意があるかは明らかである。記者が記事にした発言内容とベイツ自身の発言内容が違っているからといって宣伝員だったというのは飛躍も甚だしい。

なお、『東京日日新聞』のベイツ関連記事は、こちらを参照のこと。
http://www.geocities.jp/yu77799/bates3.html

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