626 名前:エリアルフィリア [sage] 投稿日:2011/07/03(日) 23:47:35 ID:8W.QvBzk [2/14]
627 名前:エリアルフィリア [sage] 投稿日:2011/07/03(日) 23:48:26 ID:8W.QvBzk [3/14]
628 名前:エリアルフィリア [sage] 投稿日:2011/07/03(日) 23:49:01 ID:8W.QvBzk [4/14]
629 名前:エリアルフィリア [sage] 投稿日:2011/07/03(日) 23:50:10 ID:8W.QvBzk [5/14]
630 名前:エリアルフィリア [sage] 投稿日:2011/07/03(日) 23:50:42 ID:8W.QvBzk [6/14]
631 名前:エリアルフィリア [sage] 投稿日:2011/07/03(日) 23:51:18 ID:8W.QvBzk [7/14]
632 名前:エリアルフィリア [sage] 投稿日:2011/07/03(日) 23:52:03 ID:8W.QvBzk [8/14]
633 名前:エリアルフィリア [sage] 投稿日:2011/07/03(日) 23:53:10 ID:8W.QvBzk [9/14]
634 名前:エリアルフィリア [sage] 投稿日:2011/07/03(日) 23:53:46 ID:8W.QvBzk [10/14]
635 名前:エリアルフィリア [sage] 投稿日:2011/07/03(日) 23:54:26 ID:8W.QvBzk [11/14]
636 名前:エリアルフィリア [sage] 投稿日:2011/07/03(日) 23:55:05 ID:8W.QvBzk [12/14]
637 名前:エリアルフィリア [sage] 投稿日:2011/07/03(日) 23:57:18 ID:8W.QvBzk [13/14]
638 名前:エリアルフィリア [sage] 投稿日:2011/07/03(日) 23:58:30 ID:8W.QvBzk [14/14]

ヴォルケンリッターでも、夢を見る。

ヴィータがその夜に見た夢は、いかにも夢らしい、整合性の取れない曖昧なものではなくて。
夜風が頬を撫でる感触や、それに運ばれる新緑の匂いすら感じ取れるような―――リアルな、過去の出来事の追体験だった。

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その夜。ヴィータは宿舎で夜の見回りを行っていた。
有事ではないのでバリアジャケットの装着は無く、身に着けているのは、守衛の制服のみ。
相棒であるグラーフアイゼンも待機フォルムのまま、首から下げられている。

ただしその制服は、彼女が所属している航空隊のものではなく、この建物を管轄する別の部隊のものだった。

つまり、航空隊における正規の任務ではない。
かといって、何か組織としての思惑や政治的な背景が、あるわけでもなく。

主であるはやての了承を得てリンディ提督やレティ提督の協力を仰ぎ、少々の無理を通した末に実現した―――ヴィータの、単なる我侭である。

普段は配属されている航空隊で、通常の任務をこなす。
そしてオフシフトには短期の出向あつかいでここに出向き、建物や敷地内の守衛任務に就く。
ヴィータはここ3ヶ月、そんな生活を続けていた。

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『闇の書』の呪縛から解き放たれた奇跡との出会いから、はや2年。

かけがえのない主と、友を得た。
自らの能力を発揮する仕事に就く機会も与えられた。
永劫に続く苦難の旅路を終え、夢にまで見た穏やかな生活を得た―――はずだった。

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人気の無い夜の宿舎の廊下を、ヴィータは1人で歩いていた。
もともと宿舎の守衛としての定時の見回りであり、不審者がいる前提での捜索ではない。
日常業務における集中力は維持するが、気疲れしない程度の意識で、比較的大まかに各所を見回っていく。

その歩みが、幾度目かの廊下の角を曲がった際、不意に止まった。

ヴィータの視線の先。曲がり角の先に続く、月明かりに照らされた廊下の先には。
寝間着にガウンを纏った姿で窓の外を眺める、人影があった。

時刻は、すでに未明。
夜更かしが習慣の人間であっても、明日のことを考えれば、すでに寝入っている時刻だ。
人影がそこにあるというだけで、少し日常からは外れた光景だった。

人影はヴィータには気付かず、ただ、人形のように窓辺にたたずんで、ガラス越しに夜空を見上げている。
まだ成長しきっていない、線の細い、少女の影。
年齢相応の活力や躍動感は感じられず、むしろ精気を失った立ち枯れの若木のように、立ち竦んでいた。

背筋を伸ばしている少女の影が、やや不自然に右側に傾いでいることも、この風景をまた少し、日常から遠ざけていた一因かもしれない。

少女は、右手に歩行補助器具としての短い杖をついていた。

「……」

片手杖の少女とヴィータがこの時間、この廊下で出会ったこと自体は、全くの偶然である。
しかし、いずれの時間と場所であれこの宿舎の中で出会うことは、必然だった。

ヴィータがここに通い詰めている理由は、この少女にこそあるのだから。

少女を見ただけで、いろいろな感情が一気にあふれ出して、押し流されそうになる。
胸がひどく締め付けられ、呼吸すら乱れる。

ヴィータは少女に声をかけるために一度立ち止まり、静かに、そして自制心を振り絞って、気分を落ち着かせた。
戦闘の最中に精神を平常に保つよりも、はるかに困難な事だった。

声が震えてはいけない。
かける言葉も、さりげないものを選ばなければいけない。
互いに、平静を装わなければいけない。
たとえ内心が理解できてしまっているとしても、それを表に出してしまったら、すべてがまた崩れ落ちてしまうから。

たっぷりと時間を置き、心の平静と、なによりも『声をかける』ための勇気を臨界まで高めたところで、やっとヴィータは人影に向かって声をかけた。

「眠れないのか、なのは」

「あ……ヴィータちゃん。ううん、大丈夫だよ。ちょっと考え事してたら、目が冴えただけ」

目の前の少女の名は、高町なのは。
ヴィータと共に空を飛び、肩を並べて戦い、背中を預けるほどに強く信頼した―――『元』空戦魔導師である。

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ここは、ミッドチルダ中央区の湾岸地区にある、次元航空部隊の医療隊舎。
長期療養の体制も整えられた、局員のための医療施設である。

高町なのはが所属不明の存在によって撃墜され、重傷を負ってこの施設へと入院してから、はや3ヶ月。

事故の直後は、2度と歩けない可能性もあると診断されたほどの大怪我だった。
加えてリンカーコア自体の損傷やそれに連なる神経叢へのタメージもひどく、魔法すら使えなくなると危ぶまれた。

しかし今では、医療チームによる懸命の治療と、本人の不屈の精神によるリハビリによって、ほとんどの機能が回復してきた。
歩行には未だ杖の補助が要るが、順調にいけば、いずれは元通りに動けるようになるだろうと言われている。
リンカーコア周辺の損傷でガタ落ちしていた魔力資質と総魔力量も、事故前に近い値にまで持ち直し、魔法もほぼ元通りに扱えるようになってきた。

けれど、ただひとつだけ。
事故による唯一の、しかし顕著な後遺症が残っている。

なのはは今、空を飛ぶことができない。

失ったものを次々と取り戻していく中で、飛行魔法だけが全く使えないまま、回復する兆候がないのだ。

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「……まだ冷えるぞ、なのは。明日も早朝からシャマルと一緒にリハビリだろ」

「そうだね。もう寝るから、心配しなくても大丈夫だよ」

ヴィータの夢の中、月明かりの廊下で微笑する少女は、ひどく儚く、弱々しい。

高町なのはは、空を飛ぶことが大好きだった。
しかし今は翼をもがれ、ただ先の見えないリハビリに専念する毎日だ。

言葉には決して出さないが、飛べなくなったことによる、なのはの精神的なショックは極めて大きい。
本人は隠しているつもりなのだろうが、親しい者たちには、なのはの痛ましいほどの落胆ぶりが手に取るようにわかるのだ。

ふとしたはずみに、今のように1人で空を見上げていることが多くなったから。

「……」

ヴィータは、それでも気丈な笑顔を向けるなのはを見るたび、胸がつぶれそうになる。

周りに心配をかけまいとして振りまく笑顔というものは、いつもそうだ。
思い返せば2年前、闇の書との宿命にただ1人で耐えていたはやても、同じ笑顔を浮かべていた。

なのはが事故に遭ったとき、一番近くに居たのは自分だった。
その直前まで、なのはと最も同じ時間を過ごしていたのも、自分だった。

ヴィータが、あとほんの少しだけなのはのことを気にかけていれば、未然に事故は防げたはずだ。
こんな陰のある笑顔を、させることはなかったはずだ。

そんな悔恨の思いが、この3ヶ月、ヴィータの頭から離れない。

「うん……また、ヴィータちゃんたちと一緒に空を飛べるように、ならないとね」

事故以来ずっとここに通い詰めているのも、そんな引け目に対する代償行動だというのは、ヴィータ自身、痛いほど分かっている。
今の自分がなのはの傍らにいたとして、なにが出来るわけではない。
むしろ心の底では、守りきれなかったヴィータのことを恨んでいるのかもしれない。

こんな笑顔を向けられるならば、面と向かって罵られるほうがマシだ。

古代ベルカの戦乱の時代も、はやてと出会った2年前の事件でも、そして今も。
ヴィータはいつも、絶対に抜け出したい状況から、解決の手段を見つけることができないでいる。

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「―――!!」

ヴィータはベッドから跳ね起きた。

今見たのは―――ただの、夢だ。

内容自体には脚色のない、実際に起きた過去の出来事だが、すでにそれは時間が解決したはずだ。
なのははその後に奇跡的に回復し、再び空を飛ぶことが出来るようになった―――はずだ。

しかしヴィータが目覚めた殺風景な仮眠室は夢の光景と似すぎていて、未だに夢の中に居るような錯覚にとらわれる。
目覚めた時間も、奇しくも夢の中と同じ、未明。
窓から差し込む月の光も明るく、これが夢の続きではないことが証明できない焦燥に駆られてしまう。

夢の記憶を無理やり意識の隅へと追いやるため、ヴィータは『今』の状況を過剰なほどに心に並べる。
胸がつぶれるような夢の内容はすでに過去であり、今はそんなことも笑い話として語れる8年後だという確信が必要だった。

この場所は、主であるはやてが2ヶ月前に立ち上げた、機動六課の宿舎。
自分はそこに所属する、スターズ分隊の副隊長。
はやても、フェイトも。シグナム、シャマル、ザフィーラも。そしてなのはも。
それぞれが目的と役割を持って活躍する場所。

最も手近な出来事は―――そう、ティアナ・ランスターが模擬戦で子供じみた意地を張り、分隊長であるなのはに『反抗』したこと。
なのはは教導官という立場上、それを制裁せざるを得なかったこと。
状況はいろいろとこじれたが、結局はシャーリーが無断で見せたなのはの経歴が元で、解決に至ったこと。
それはつい2日前のことだが、すでに部隊内でわだかまりは残っていないこと。

「……」

夢から覚めて幾分時間を置いたせいか、過去の記憶と現状との混乱は無くなってきた。

やっと落ち着きを取り戻したヴィータは仮眠の室内着から制服へと着替える。
夜の隊舎を巡回しているはずのスバルとティアナが、そろそろ宿直室に帰る時刻だ。

今夜はなのはもフェイトも出向の用事があって隊舎には居らず、はやてはオフシフトで就寝中。
メインシフトにはグリフィスとシグナムが率いる交替部隊が入っているが、ヴィータ以下3名のスターズ小隊も、隊舎で待機状態にある。
エリオとキャロはすでに夜半までの隊舎の巡回を行っており、今はヴィータと同じく仮眠中だ。

「ん……?」

そんなとき。
仮眠室に置かれた機器の発信音が鳴る。

見回りをしている、ティアナからの通信だった。

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「……あれ?」

「どうしたのよ、スバル?」

ティアナは、2、3歩行き過ぎたところで足を止め、背後の相棒を振り返る。
廊下を並んで歩いていたスバルが、急に足を止めたのだ。

夜の隊舎には当然ながら人影はなく、取り立てて異常はないように見える。
しかし、スバルは廊下の先、曲がり角の向こうをじっと見据えたまま、耳を澄ませていた。

「ティア。廊下の先に……誰か、居る」

スバルの戦闘機人としての鋭敏な聴覚が、廊下の先からの異音を捉えたのだ。

スバルの耳に聞こえるのは、カツン、カツンと、軽いが耳障りな金属音。
それに、衣擦れの音と、細い息遣い。
こころなしか、何かを引きずるような音も。

無論、姿は見えない。
しかし、つい2ヶ月前まで救護隊に所属していたスバルには、その状況が具体的に想像できた。

片足の不自由な人間が杖をついて、曲がり角の先の廊下を歩いているのだ。

「……でも、ここに杖をついてる人って、いたっけ?」

部隊が発足して2ヶ月、隊舎に出入りする人間は、さすがにもう顔見知りだ。
スバルの記憶では、その中に杖を突くような老人やケガ人は居なかったはず。
付け加えるなら、この先にあるのは日勤シフトの職員が使う休憩室を兼ねたロビーであり、明け方近くのこの時刻に立ち入る者は居ない場所だ。

「わかったわ。昨日今日でケガ人が出た可能性も否定できないけど、警戒は解かないで接触するわよ」

「うん、そうだね」

状況を素早く飲み込んだティアナは、クロスミラージュを構える。
スバルが先頭、援護するティアナが少し離れて後に続き、2人は慎重に廊下の先へと進んだ。

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やっと、水場を見つけた。

建物内をあてどなく歩いた末にロビーにたどり着いた少女は、コツコツと杖をつきながら、そこに常備されている給水器の前まで移動した。

途中、壁際に歩み寄って部屋の電灯を点けようとスイッチに手を伸ばしたが、室内を見回して考え直す。
今夜は月が明るく、月光の差し込む窓辺のテーブルならば、部屋の灯かりをつけなくても行動に支障がない。
なんとなく電灯を点ける気にならなかった少女は、そのまま壁際から離れた。

給水器の脇にある備え付けのコップに水を注ぎ、窓際のテーブルの上に置く。
そして体を預けていた杖を同じくテーブルに立て掛けて椅子に座ると、寝間着のポケットから薄手のケースを取り出した。

ごく日常的な動作で、ケースを開く。
中にあるのは、何種類もの薬。

治癒魔法があったとしても、運動神経やリンカーコアの機能障害には長期の治療が必要であり、その場合の主役は、やはり薬とリハビリだ。
少女は手馴れた様子でいくつかの錠剤を掌の上に移すと口に含み、コップの水でゆっくりと嚥下する。

鎮痛薬。運動神経細胞の賦活薬。末梢血流の改善薬。魔力蓄積の補助薬。リンカーコアの補填薬。そして、睡眠導入剤と精神安定剤。

体の機能は、回復してきている。
魔法も、体への負荷を考えなければ、すでに『事故』前に近い威力での砲撃すら可能だ。

魔法の基礎理論を一から徹底的に学び直し、無限書庫のユーノの助力も仰いで、考え得るあらゆる方向から魔力運用を最適化した。
精神的にも肉体的にも過酷なリハビリを、すべてこなした。

けれど―――空を飛ぶことだけが、どうしてもできない。

空を飛べないことが、歩けなくなるよりも、つらい。

夜間、ベッドの中で鬱々としていることに耐えられずに病室を抜け出してしまうほど、心が不安定になっている。

消灯時刻に1度、そして先ほどもう1度、睡眠薬と安定剤を服用したのに、眠気が全く訪れないのも、そのためだろうか。
つい先日、不眠のため強めの薬に切り替えてもらったばかりにも関わらず、である。
もっと量を飲めば眠れるのではないかという誘惑もあるが、それは薬を管理するシャマルから固く止められていた。

「はは、それだけのことで、眠れもしない……」

水がわずかに残るコップを握り締め、少女は自虐的に呟いた。

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「そこのあなた、動かないで!」

唐突に室内の電灯が点けられ、厳しい誰何の声が向けられる。
所属不明の少女を確認したスバルとティアナがデバイスを構えてバリアジャケットも纏い、ロビーに踏み込んだのだ。

「……!」

ロビーの入り口に背を向けていた少女が振り返りきらないうちに、スバルが1度の跳躍でいくつものテーブルを飛び越えてその隣に降り立つ。
ティアナはすでにクロスミラージュを少女に照準していた。

自分たちよりも幼い、エリオやキャロと同じ年代の少女が、人気のないロビーで灯りも点けずに『何かしていた』のだ。
2人ともあえて手荒な事をする気はないが、突如として夜の隊舎に現れた部外者の身柄は、早急に確保する必要がある。
貨物列車やホテル・アグスタなどでの、レリックを巡る事件との関連も否定できないからだ。

だからこそ不意を打つかたちで少女に接近したのだが―――

スバルが素早く、かつ傷つけないように、まだ椅子に座ったままの少女の体を押さえ込もうとした瞬間。

ごんっ! 
と、ひどく重くて鈍い音がした。

「うわぁっ!」

少女の不意を衝いて接近したはずのスバルが、逆に少女の『魔法』によって弾かれ、ロビーの壁に叩きつけられたのだ。

「スバル!」

予想外の出来事に驚く感情とは別に、状況から少女が破壊力を秘めた魔導師だと理解したティアナの理性が、冷静にクロスミラージュのトリガーを引く。
少女の死角から、魔法を使った直後の隙を突いて放たれる魔力弾。
日頃の、なのはからの訓練の成果だ。

しかし―――ティアナの魔力弾は、少女に到達すると思われた寸前で、突然停止した。

「え……?」

リング状の魔力に捕われたティアナの魔力弾は、そのまま握り潰されるように、魔力光の粒子となって消滅する。

シールドやバリアを展開して防がれたわけではない。
少女の周囲に設置されていた遅延性のバインド魔法が発動し、ティアナの魔力弾を『絡め取った』のだ。

つまり、ティアナは少女の隙を突いて攻撃したが、それは少女にとっては予測済みの行動だった。
攻撃の隙をフォローするため、少女はスバルへの魔法と同時に、マルチタスクで死角の位置へとバインドを敷設していたのだ。

「そんなことを、あの一瞬で!?」

不意打ちに対する反撃の早さ。
シールドやバリアのような『面』での防御ではなく、あらかじめ弾道を予測して敷設したバインドでの、『点』の防御。
加えて、ティアナの手の内が瞬時に読まれたことから考えると―――戦闘技量は、優にスバルとティアナを上回る。

幼い外見に似合わない、相当な手練れの魔導師。
基本的なバリアの展開や魔力運用は行っているとはいえ、少女にはデバイスもなく、バリアジャケットすら纏わず、椅子に座った状態での、この結果だ。

ティアナはクロスミラージュをツーハンドモードに移行し、カートリッジも装填。全力戦闘の準備を整える。
壁に叩きつけられたスバルも、とっさのバリアの展開でダメージは少なく、苦痛に顔をしかめながらも跳ね起きて、ティアナの傍らに立った。

少女も、その間に傍らにあった歩行補助杖を手にして立ち上がり、やや右に傾いだ姿勢のまま、2人へと向き直る。

少女と対峙する形になったスバルとティアナは、そこで初めて、電灯の明かりの元ではっきりとその顔を確認し―――その途端、驚愕に目を丸くした。

「そん、な?」

「うそっ……」

杖を突く、その少女の姿は。

「なのはさん!?」

つい2日前、記録映像としてシャーリーに見せられた11歳の少女の頃の『高町なのは』そのものだった。

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スバルとティアナの動きが一瞬、驚きで止まる。
それは、先ほど見せた少女の技量と反応の速さからすれば、致命的な隙のはずだったが。

「……あ」

しかし当の少女は、今度は全く攻撃する素振りもなく、むしろ無表情だった顔に初めて安堵めいた感情を浮かべて、2人を見詰めた。

その穏やかな表情は、『高町なのはのような少女』が、自分の名前を呼ばれた安堵感から―――では、ない。
少女の視線は、そもそも2人を捉えてさえいない。

少女が見据えるのは、スバルとティアナの、さらに先。
2人の後方、廊下からロビーへとたった今入ってきた、少女と同じくらいに小さな人影だった。

「ああ、やっと見つけた。ヴィータちゃん」

「お前……なのは、なのか……?」

ティアナからの不審者発見の報告を受けて仮眠室から駆けつけたヴィータが、そこに居た。

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「あはは、寂しかった……気がついたら、ユーノくんも、フェイトちゃんも、何処にも居なくて。
 おかしいよね、3ヶ月も寝泊りしてる病院なのに。今夜だけ、迷っちゃったみたい。
 ……建物は同じはずなんだけど、部屋とか物の配置とかが、いつもと全然違う感じで」

「え?」

少女は、まるで間に居るスバルとティアナなど目に入っていないように杖をついて歩き出し、2人の脇をすり抜けてヴィータへと向かう。
それを制止すべきスバルとティアナは、突然始まったつじつまの合わない少女の挙動に呑まれて、手を出すタイミングを失した。

そして、本来2人を指揮すべき立場にあるヴィータこそが、最もこの場で精神に衝撃を受け、混乱していた。
まだグラーフアイゼンはアクセサリ状の待機状態のままで右手の中に握られており、身に着けているものも、機動六課の制服だけだ。

「なのは……なんで今、お前がこんなところに……」

目の前に居る少女は、まるで、夢の中の再現。

先ほど目覚めたときの、未だ悪夢の中に取り残されているのではないかという焦燥感が、再びヴィータの胸を押し潰す。
必要なときになにひとつ出来なかった、過去の記憶がフラッシュバックする。
思考に霞がかかり、何も考えられなくなる。

それはすでにPTSDに近いレベルでの心理的外傷であり、ヴィータは目の前に迫る片手杖の少女に対して、なんら理性的な行動を起こせなかった。

「こんな、ところに、今……私が、居る……理由?」

それは半ば無意識のヴィータの呟きだったが。
その言葉を聞いた途端、それまで穏やかだった少女の雰囲気が、一転した。

「いや、違う―――なのは、何も考えるな。そういう意味で言ったんじゃない!」

失言に気付いたヴィータが色を失い、取り繕うように叫ぶ。

この時期のなのはには、『空を飛べないこと』を喚起する言葉は禁忌だった。
なのはが会話の中で自分から話を振る分には、かまわない。
しかし無理にその事実と向き合わせるのは、事態の克服ではなくトラウマを抉る事になる。

ヴィータは少女に近付こうと、反射的に一歩前へと踏み出す。
過去の記憶から、この状態のなのははひどく落ち込み、人前から姿を消すことが多かったからだ。

しかし。
踏み出したヴィータにカウンターを合わせるようなタイミングで、少女はヴィータの首元に向けて左腕を伸ばす。
右手に杖をつき、左手でヴィータの首筋を掴んだ少女は、魔力で強化された握力で―――握り潰さんばかりに、ヴィータの首を絞め上げた。

「なの、は……?」

「わたしが、ここにいる、りゆう……は」

なんども反芻するように繰り返す、少女の言葉。
ヴィータは自分が理不尽に首を締め上げられているという状況すら省みず、声の限りに叫んだ。

「やめろ!」

「空から、墜ちて。空を、飛べなくなったから……」

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「スバル、ボサっとしてるんじゃないわよ!」

「あ、うん!」

立て続けの状況の変化に対応できず呆然としていたティアナだが、少女がヴィータの喉を絞め始めるに至って正気を取り戻し、立て続けに射撃魔法を放つ。
スバルもティアナに促されて正気に返り、マッハキャリバーを駆動させて、ヴィータと縺れる少女に向かって突進した。

「飛べないことが……とても、つらくて」

しかし当の少女は、2人の存在など相変わらず意に介さないようにひたすらヴィータだけを見据え、独白とも取れる言葉を紡ぐ。
それでいて最初の不意打ちの時と同じように、2人からの攻撃には、的確に対処するのだ。

降り注ぐ無数の魔力弾を、ティアナも見ないままバリアを展開してすべて防ぎ。
一斉に励起した8個の誘導魔力弾―――アクセルシューターが、床を高速駆動してくるスバルへと襲い掛かる。

「もう飛べないかもって考えただけで、吐き気がしたり頭が痛くなって、ずっとおさまらなくて」

ティアナが、スバルに向かうアクセルシューターを可能な限り撃ち落し、数を減らす。
加えて、少女が、接近するスバルのルート上に設置した不可視のバインド魔法をもサーチし、射撃魔法で丁寧に破壊。
ティアナからの援護でクリアになった進路を、スバルは疾走する。
前面にバリアを集中させ、数を減じたアクセルシューターの弾雨を強引に突破―――ついに、少女に肉薄した。

「ぜんぜん、眠ることも、できなくて」

被弾でバリアジャケットをボロボロにしたスバルが、跳ねる。
展開される青色の魔力スフィア。
少女に向かって振り下ろされる、必倒の拳。

「ディバインッッ……バスタァァー!!」

スバルの砲撃はその性質上、距離による減衰が激しい。
逆に言えば、ほぼ密着状態から放たれる今回の一撃は、たとえ少女が『高町なのは』そのものの魔力を持っていたとしても、シールドで防ぎきることは不可能なはずだ。

「でも、ひどいよね……やっと、眠れたと思ったら……」

しかし、そのとき。
全く予想もしない場所から―――デバイスの、駆動音。
カートリッジを、弾く音だ。

<Protection Powered>

少女とスバルを隔てるように、先ほどティアナの射撃魔法を防いだものとは比べ物にならないほどの堅牢なバリアが展開され、至近距離での砲撃を余さず受け止める。

「でも、ここで通すっ!」

思いもよらない方向からの防御に戸惑ったスバルだが、すぐに気を取り直して、手応えからバリアのおおよその強度を予測する。
そして、確信した。
ごく短時間は耐えるかもしれないが、砲撃魔法の放出が終わるまでに、バリアを貫いて少女にダメージを届かせることができる。

けれども―――いずれ貫かれるバリアをあえて張ったのには、やはり理由があったのだ。

<Barrier Burst>

「!!」

スバルの目の前でバリア自体が爆発し、衝撃がスバルを後方へと吹き飛ばす。
少しでもディバインバスターの攻撃力を上げるために密着していたことを、逆手に取られての切り返しだった。

詰めた間合いが、離される。
吹き飛んで体勢を崩したスバルを追い討ちするように、再度、少女の周囲に無数のアクセルシューターが励起した。

「スバル!」

吹き飛ばされたスバルを援護するために、ティアナが少女へと銃口を向ける。

このときティアナは、アクセルシューターの一斉励起に気をとられて、気付かなかった。
気付いたときには、すでにそれは目の前にあった。
アクセルシューターと同じ外見だが、別の性質を持ってティアナに放たれた、少女からの魔力弾。

スバルへの追撃と同時に、ティアナに対しても攻撃が成されていたのだ。

ティアナへと放たれた魔力弾は、アクセルシューターのような誘導弾ではなく、高速の直射弾。
その数は、4つ。
誘導性などに余分なリソースを割いていない分、弾質はより硬く、速く、鋭い。

「くっ……このくらい!」

ティアナは魔力弾を迎撃するために、立て続けにクロスミラージュのトリガーを引き絞る。
3つまでをなんとか撃ち落し、落としきれない残りの1つを、身を捻ってギリギリで回避。

返す刀、ならぬ銃で、スバルへと放たれたアクセルシューターを破壊するため銃口をそちらに向けるが―――

がつん、と後頭部にすさまじい衝撃が加わり、ティアナは何が起きたかも理解できずに、なすすべなく床に倒れこんだ。
最後に回避した少女の魔力弾が後方のロビーの壁に『跳弾』し、正確にティアナへと跳ね返ってきたのだった。

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「ティア!」

吹き飛ばされたが、接地と同時にマッハキャリバーによるバランス制御でどうにか転倒をまぬがれたスバルは、再度の接近を試みるため少女へと向き直る。

<Restrict Lock>

しかしその着地地点には、すでにバインド魔法が敷設されており―――出現した拘束輪が、完全にスバルの身動きを封じた。

「やっぱり、この魔法は……!」

スバルの砲撃に対して強化バリアを張り、スバルを弾き飛ばし、その着地地点にバインドを接地していたのは、少女ではなかった。
伏兵の存在―――デバイスによる、自動発動だ。
スバルもティアナも、最初にデバイスを使わない少女に圧倒されたことから、いつの間にかその可能性を失念していた。

『高町なのは』が魔法を使うならば、必ず、その傍らにあるはずのもの。
そのときになってはじめてスバルは、少女が右手に持つ歩行補助杖そのものに目を向けた。

黄金色の光沢をもつ金属製の片手杖。
その柄には、朱く丸い、小さな宝石がはめ込まれている。
形状は違えど―――スバルの記憶の中、常になのはの傍らにある『杖』と、その輝きは酷似していた。

「レイジング、ハート……!」

スバルには知る余地のないことだったが。
レイジングハートは、なのはが歩行困難な時期にのみ、リハビリ補助のために歩行補助杖の形に組み直されていたのだ。

ティアナを高速直射弾の跳弾で無力化されたのと同時に。
スバルもまた、拘束されたままアクセルシューターに撃ち抜かれ、無力化された。

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「でも、ひどいよね……やっと、眠れたと思ったら……」

右手に杖をつき、左手でヴィータの喉を絞め上げる少女は、『外』でスバルとティアナとの攻防など何もないような口調で語り続ける。

「……空を飛ぶ夢ばっかり、見るんだ」

気道を押さえつられているヴィータの顔には苦悶が浮かび、顔色はすでに土気色だ。
しかしそんな状況でも抗うという選択肢がないように、少女のなすがままにされている。

「でも、どうして……墜ちたんだっけ? ああ―――そうか」

虚ろだったその瞳が焦点を結び、強い感情となってヴィータへと向けられる。
それは少女が、そしてヴィータの知る限りの『高町なのは』が初めてみせる、ごくあたりまえの―――憎悪の感情。

「あのときヴィータちゃんが少しでも私のことを気遣っていてくれたら……私は、ここに居ることはなかったよね?」

それは、偽りの無い、少女の本心の一面。魂の叫びだ。
ヴィータが初めてぶつけられる、『なのは』からの罵声。
同時に、憎むことなど慣れていない少女が上げる、悲鳴にも似ていた。

「やめ、ろ……もう、やめてくれ、なのはぁ……」

窒息どころか、そのまま気道自体を握り潰されかねないほどの力で喉を掴まれながら、ヴィータは必至で声を上げる。
それは、命乞いではなく。
少女自身の言葉で、少女自身が深く傷付いていく、自傷行為にも似た様を見ていられなかったからだ。

ヴィータは、少女の面前では心的外傷を引きずり出されてしまい、抗う気力すら失っている。
少女もヴィータを目にすることで、事故とそれに纏わる忌まわしい記憶を呼び起こされ、負の感情の発露に歯止めがかからない。
ただ向かい合うだけで互いにトラウマを抉りあう状態の2人は―――そのまま、成す術無くヴィータが力尽きることで決着するかと思われたが。

<Hammerform>

突然、掌に握り締めていたままだった待機状態のグラーフアイゼンが、自立的に戦闘基本形態であるハンマーフォルムに変化した。

「!」

不意に右手に宿った重さによって我を取り戻したヴィータは、同時に真紅の騎士甲冑を纏いつつ一気に魔力を放出し、少女の手を喉から引き剥がす。
自由になったヴィータは、窒息寸前まで首を絞められた反射で激しくえずきながらも、少女から逃れるように後方に飛び退いた。

狭窄していた視界が、元に戻る。
少女だけに囚われていた意識が開け、周囲の状況が把握できるようになった。

目の前に居るのは、容姿も記憶も魔力も11歳の頃の『高町なのは』そのものでありながら、決してなのはではない、謎の少女。
自分の居る場所は、2度に渡る戦闘で備品や内装が完全に破壊された、機動六課隊舎のロビー。
そしてその床に横たわる、ヴィータの不甲斐なさの割りを食わせてしまった、スバルとティアナの2人の部下。

「出来なかったことにこだわり過ぎて、今やらなきゃいけないことを見失っちまってたな……すまねぇ」

ヴィータは気絶しているスバルとティアナを見た後、視線を手元に落とした。

グラーフアイゼンは、普段から全くといっていいほど自己主張しない『慎み深い』デバイスだ。
もともと自立機能を与えられてはいるものの、このようにヴィータの命令無く勝手に動く事態は、極めて珍しい。
そんな風に動かざるを得なかった『相棒』の意図を、ヴィータは即座に汲み取っていた。

「そうだな、ここでアイツに殺されてやったところで、誰のための解決にもならねぇ。
 ……礼を言うぜ、アイゼン」

<Ja>

冷静かと聞かれれば即答できないが、グラーフアイゼンのフォローによって、少なくとも目は醒めた。

少女が、なぜここに居るかの原因は、ヴィータには全く分からない。
しかし、目の前の少女が何者なのかについては、かなり確信に近い予測がある。
ヴィータは以前、今のように『形を得た過去』と対面した経験があるのだ。

「アイゼン。目の前の『なのは』のデータを測定して、過去に似たモノがあったか照会しろ。
 ただ、確認順序を最優先にしてほしい事項がある。
 時間は、新暦65年と66年を跨ぐ、冬。場所は、第97管理外世界、極東地区、海鳴市上空」

<Jawohl>

結論は、あっけないほど簡単に出た。
類似データの観測された日時は、ヴィータ自身も関わった『闇の書』事件の数日後。
闇の書の残滓が周囲のデータを無差別に取り込んで顕現した、『闇の書の欠片』事件だ。

「やっぱり……『闇の欠片』か」

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闇の欠片。

闇の書の残滓が周囲のデータを取り込み、ヒトの形に再構成した存在。
目の前の少女のモデルになったのは、『撃墜事故から3ヶ月後の高町なのは』。
そしてその存在は不安定で、何もしなくとも夜明けと共に儚く消える―――ただ一夜の夢。

「なぁ……なのは。あたしが何を言ってるか全然わからねぇと思うが、聞くだけ聞いてくれ」

ヴィータは先ほどまでの精神状態とはうって変わり、落ち着いた声で少女へと語りかけた。
傾いだ姿勢で立つ片手杖の少女は、今までヴィータの喉を握り締めていた左の掌を見つめていたが、ヴィータに話しかけられたことで顔を上げる。

「今の出来事は……言っちまえば、ただの悪い夢だ。
 そのまま眠って目が覚めれば、空もまた飛べるようになってるし、はやてもフェイトもユーノも、いつだって隣に居る。
 ちょっと手間のかかるが見込みのある新人を一人前に育てるのが楽しみだ、って1日が始まるんだ」

「……」

「眠れないなら、眠れるまでずっと隣に居てやるから、さ。
 そのまま……もうこれ以上誰も傷つけないまま、ベッドに入って眠ってくれねぇかな?」

「眠れたとして……また、飛べない私が、空を、飛ぶ夢を……見なきゃ、いけないの?」

静かに。
だが、ヴィータの喉を締め上げ、スバルとティアナを叩き伏せた暗い瞳で。
少女は、拒絶の意思を示す。

現実のなのはは、事故に遭ってすべてを失った瞬間であっても、絶対に周りの人間に当り散らすことなどなかった。

しかし間違いなく、負の感情は溜め込んでいたはずなのだ。
だから、こういった我侭な部分も、先ほどのヴィータへの憎悪も、表には出さないだけで確実になのはの一面だろう。
かつての『闇の書の欠片』事件の際、他ならぬヴィータが、普段押し殺してる怨みや憎しみが再生された『闇の欠片のクロノ』と、戦った経験があるのだ。

「また……私は、ひとりぼっちに、なるの……?」

「大丈夫だ。誰も、なのはを置いて行ったりはしない」

根気強く少女へと話し続けるヴィータ。
しかし少女は先ほどと同じように、自分自身が発する言葉で徐々に負の感情を昂らせていく。
再び取り返しがつかないほどの錯乱状態に陥るのが、避けられない状況だ。

「もう……嫌だよ。ヴィータちゃん……どうして、分かってくれないの……」

少女の光のない瞳が大きく見開かれ、ぼろぼろと大粒の涙がこぼれる。

「レイジングハート……いこう」

<All right, my master>

なのはが、初めてレイジングハートに呼びかけた。

「たえなるひびき―――ひかりとなれ」

それは本来、なのはの魔法の師であるユーノが、詠唱の際に紡ぐ一節。

「かぜはそらに―――ほしはてんに」

それまでバリアジャケットすら纏わぬ寝間着姿だったなのはの周囲に、今までとは比べ物にならないほどの魔力が満ちる。
そしてその魔力は純白のバリアジャケットを形成した。

「かがやくひかりは、このうでに―――ふくつの、こころは、この、むね、に」

さらに、バリアジャケットを纏っただけでは説明がつかないほどの過剰な魔力が、重ねて、なのはの体を覆いつくす。
その意味を悟ったヴィータは、さすがに言葉を失った。

「『ブラスターシステム』……そこまで本気かよ、なのは!」

ブラスターシステム。

肉体への負荷を省みない極限の自己ブーストで、術者本人とデバイス双方の限界を超える魔法。
8年後の『今』現在に至るまで、高町なのはの切り札であり続ける存在。

その基礎理論は、なのはが飛べなくなった間に構築し、ユーノの助力を得て、驚くほどの短期間で完成させたものだ。

デバイスと一緒に、己の中のあらゆる限界を超越すれば、再び空を飛べるようになる、かもしれない。
そんな子供じみた発想を、あらゆる理論と過酷な鍛錬で実現させた―――魔導師としての、究極の形のひとつ。

「やらなきゃ、だめなのか……くそ、最後くらいゆっくり眠ってくれよ、なのは……」

ヴィータはグラーフアイゼンを構え、杖をつき右に傾いだ姿勢で立つ少女を、正面から見据えた。

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「いくぞ!」

ヴィータが正面から飛行で、少女へと向かう。

ブラスターシステムは、諸刃の剣。
特に、この時期の未完成のブラスターシステムは、魔力の運用効率も、術者への反動緩衝機能も、まだ低い。
決着を狙うならば、少女の選択肢は、全力全開の一撃必殺以外にはありえない。

「いくよ、レイジングハート……全力でいくから、私の体を支えてね」

<All right>

少女の要請に応え、それまで歩行補助杖の形状をとっていたレイジングハートが、出力リミッターを解除したエクセリオンモードへと変形。
同時に、なのはの体がレイジングハートによるバインド魔法で拘束され、ロビーの床に固定される。

未だ自力で立てず飛行も出来ない少女が、大出力砲撃の反動に耐えるための手段だ。

一直線に少女に向かって飛行してくるヴィータに対しては収束砲撃は間に合わない。
狙いは、ギリギリまでチャージして威力を高めた、直射砲撃。
レイジングハートを手にしてから変わらぬ、少女の象徴ともいうべき魔法だ。

ヴィータの防御力は高いが、砲撃を撃ち切れば確実に魔力ダメージでノックダウンできるはずだ。
レイジングハートによって、カートリッジが連続でリロードされる。
少女はレイジングハートを水平に構え、砲撃のチャージに入った。

ヴィータが正面に迫り―――少女に向けて鉄槌が振り下ろされる。
少女の砲撃のチャージが完了し、レイジングハートから砲撃が放たれた。

「ディバイン……バスター!」

閃光―――衝撃。
吹き飛ばされたのは―――少女だった。

「え……?」

ヴィータの鉄槌がヒットし、体を拘束していたバインドを引きちぎられながら、少女は信じられないといった表情で床に叩きつけられた。
少女の読みは正しく、ヴィータの鉄槌が体に触れる寸前に砲撃を放ったはずだった。

そして、ヴィータは一瞬早く放たれた砲撃を耐えたわけでも、かわしたわけでもない。

少女は、床に仰向けに倒れたまま、レイジングハートの切っ先を見つめた。
砲撃発射の寸前、そこに『なにか』が当たり、射線が大きくヴィータからずれたのだ。

少女が、倒れたまま首をもたげ、その出所を見る。

スバルに支えられ、銃口を向けたティアナの姿が、そこにあった。

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倒れこんだ少女の体が、光る魔力の粒子となって、崩れ始める。
そんな自分の体を見て、少女は自分に起こったことを悟ったようだった。

「私は……ああ、そうか。前にあった……『闇の欠片』だったんだね?」

「……そうだ」

穏やかな少女の視線を受け、ヴィータは言葉に詰まる。
頭の中がいっぱいで、何を言っていいのか分からないのだ。

「じゃあ、さっきヴィータちゃんの言ったことも、本当なんだね……」

「ああ、ウソじゃないさ。目が覚めればみんな一緒だ。……本当に手のかかるこいつらも、一緒についてくるがな」

なんとかそれだけを言って、ヴィータはボロボロで身動きもままならない有様の2人を指した。

少女は、もはや自由のきかない体を何とか動かし2人を視界に収める。

そこで初めて、少女はスバルとティアナを『視た』。
ただの戦闘対象としての情報ではなく、生きた、人間としての2人を見つめた。

「そう……あなた達の、名前を聞かせて」

「スバルです! スバル・ナカジマ!」

「……ティアナ・ランスター二等陸士です」

妙に緊張した面持ちの2人を、少女はおかしそうに見つめる。

「じゃあ、『明日』からもよろしくね、スバル、ティアナ。それに……ヴィータちゃん」

「おぅ。まかせとけ」

最後にヴィータと言葉を交わすと。
少女は、魔力の粒子となって空へ溶けていった。

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すべてが終わるとヴィータは通信で各所に連絡を入れ、後始末を開始する。
救護班を呼んでスバルとティアナも託し、やっと一通りのことを終えると、ヴィータはすっかり壊れてしまったロビーの入り口をくぐり、廊下へと出た。
そこには、壁にもたれかかって腕組みした『烈火の将』が居た。

「世話かけちまったみてぇだな、シグナム」

「かまわんさ。お前が世話を焼かせるのはいつものことだ」

ヴィータは、初めからそこにシグナムが居たのを知っていたかのような態度だった。

考えてみれば、ロビーが破壊されるほどの戦闘をしたのだ。
メインシフトに入っている、シグナム率いる交替部隊の面々が、すぐにでもロビーに駆けつけていたはず。

シグナムは状況を察して、すべての解決をヴィータに委ねたのだった。

「グリフィスに感謝しておけ。アイツが全部責任を取るといって、私の独断を許してもらった。
 主はやてにも、テスタロッサにも、なのはにも、今日の件の真相は、伝わらないさ」

「……一応、礼は言っとく」

イタズラを母親に内緒にしておいてあげる、と姉に言われた妹のような複雑な心境で、シグナムのほうも向かずにヴィータは歩き出した。
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「……考えてみりゃ、ずいぶんお前にも鬱屈した思いをさせてたかもしれねぇな、アイゼン」

あのころのレイジングハートが、ただなのはを信じて待ち続けたように。
なのはへの葛藤を抱えて迷走し続けた自分も、相棒たる『鉄の公爵』に、ずいぶん歯痒い思いをさせていたのかもしれない。

<Weil, sowie Raising Heart, glaubte ich es>
“レイジングハートと同じく、貴女を信じていましたから”

寡黙なデバイスは、ただそう答えた。

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「で、さ。クアットロ」

「ん〜? なぁに、ディエチちゃん」

「私がさっき例の建物に撃ち込んだモノなんだけど、そろそろ何だったか教えてくれてもいいんじゃないの?」

「あぁ、アレね? あれはドクターが作ったけど途中で飽きて放り出した、『闇の欠片』っていうトラウマ具現化プログラムの、擬似発生結晶よ」

「……分かりやすく説明する気が無いのは分かったよ。手っ取り早く、クアットロの作戦だけ教えてもらえばいいや」

「あ〜ら、つまんない娘ねぇ? あそこのメインメンバーの経歴は見たかしら?」

「歩くロストロギアと、プロジェクトFの未完成品と、固定砲台だっけ?」

「せ・い・か・い。今回の目標は、その固定砲台ね。調べてみたらこれが、とんでもないエリアルフィリアでねぇ〜」

「『空』……の、『性的倒錯』とか『変態性欲』? クアットロの造語だよね、それ?」

「んっふふ。これがとーんだ変態娘でさぁ。空を飛ばないと欲求不満で狂っちゃうのよ? ……ああ、べつに『飛んだ』変態娘とかけてるわけじゃないからね?」

「妙なところで自分のキャラ気にするよね、クアットロは。 ……さっきの意味は『空を飛ぶことでの性的興奮』って程度でいいのかな」

「……まあそんで、そんな空を飛んで変態性欲を解消してるような変態娘には、実際に空を飛べなくなって変態性欲が発散できずに狂っちゃった時期がある、ってわけ。
 そんな黒歴史を向き合わせてア・ゲ・ルってのが、今夜のクアットロの銀幕劇場なわけなのよ。どう、ゾクゾクしない?」

「……でもさ」

「なによ、そんな冷めた顔しちゃって」

「……今日、くだんの固定砲台……建物に居ないよ。シフト表に、本局出向中って書いてある」

「……」

「……共有データにあるんだけど、見てなかった? それとも、忘れてた?」

「……」


著者:くしき

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