81 名前:I, Robot その1 ◆vyCuygcBYc [sage] 投稿日:2009/08/12(水) 02:28:36 ID:5MOmEFKE
82 名前:I, Robot その2 ◆vyCuygcBYc [sage] 投稿日:2009/08/12(水) 02:32:43 ID:5MOmEFKE
83 名前:I, Robot その3 ◆vyCuygcBYc [sage] 投稿日:2009/08/12(水) 02:34:41 ID:5MOmEFKE
84 名前:I, Robot その4 ◆vyCuygcBYc [sage] 投稿日:2009/08/12(水) 02:36:23 ID:5MOmEFKE
85 名前:I, Robot その5 ◆vyCuygcBYc [sage] 投稿日:2009/08/12(水) 02:38:30 ID:5MOmEFKE
86 名前:I, Robot その6 ◆vyCuygcBYc [sage] 投稿日:2009/08/12(水) 02:39:59 ID:5MOmEFKE
87 名前:I, Robot その7 ◆vyCuygcBYc [sage] 投稿日:2009/08/12(水) 02:41:59 ID:5MOmEFKE
88 名前:I, Robot その8 ◆vyCuygcBYc [sage] 投稿日:2009/08/12(水) 02:43:36 ID:5MOmEFKE
89 名前:I, Robot その9 ◆vyCuygcBYc [sage] 投稿日:2009/08/12(水) 02:45:12 ID:5MOmEFKE
90 名前:I, Robot その10 ◆vyCuygcBYc [sage] 投稿日:2009/08/12(水) 02:47:04 ID:5MOmEFKE


―――“I, Robot”――― 




 Y o u  L o s e !

 画面の右一杯に赤い文字が表示された。
 ぽーい、と緩い弧を描いてカーペットに軟着陸するコントローラ。

「やった、これで私の三連勝!」

 頭痛を抑えるように額を押さえる青年と、コントローラ片手にガッツポーズを突き上げる少女。
 ルールは明解、画面から相手を吹き飛ばすだけのご家族向け格闘ゲーム、スマッシュシスターズである。
 グランセニック家の長閑な休日、そこには仲睦まじき兄妹の姿があった。
 あれから2年。一度は離れた兄妹のわだかまりは、少しずつだが確実に氷解し、今では休日に気を置かずゲームを楽しむ程になっている。
 ごろん、とカーペットに横になり、降参と手を上げて天井を仰いだ。

「喉渇いたねー。お兄ちゃん、カルピスでいい?」
「おーう。濃いめでよろしくな〜」

 軽快な足取りでラグナが台所へ駆けて行く。
 不意にチェックのミニスカートが翻り、露わになった白い太腿が視界に飛び込んできた。
 見てはいけないものを見てしまったような後ろめたい気分になり、慌てて首を横に傾げる。
 勿論、ヴァイスはラグナを単なる妹としか見ていない。
 しかし、数年間顔を合わせなかった間に妹は予想外の成長を遂げ、どう接すれば良いか解らずヴァイスを悩ませるのだ。
 先の開けっ広げな態度といい、ラグナのヴァイスに対するわだかまりはほぼ解けたと言っていい。
 否。―――ラグナには最初からわだかまりなど無かった。
 ヴァイスのラグナに対するわだかまりこそ兄妹を隔てた壁であり、今も尚ヴァイスを悩ませている。
 ヴァイスの左側に投げ出されたラグナのコントローラ。
 彼女の見えない左目を気遣って、ヴァイスは必ず2P側のコントローラを手にする。
 二人で遊ぶゲームは格闘、レース、スポーツ、落ちものと多岐に渡るが、ガンシューティングは一つも無い。
 ラグナはシューティングゲームのソフトを持ってはいるようだが、それを一緒に楽しんでプレイできる勇気は、まだ、ヴァイスには無い。
 全ては杞憂なのに。未だ腫れ物に触るようにラグナに接する自分がいて、その度にラグナの顔を曇らせれる自分がいる。
 気晴らしと、連敗しているゲームのリベンジのために再びコントロールを手にし、画面に向かった。

 Y o u  L o s e !
  
 画面一杯に赤文字が表示された。
 惨敗だった。連敗だった。ボロ負けだった。
 勝負はあっという間だった。ぽこんぽこんと弾き飛ばされて、息をつく間もなくバットで場外ホームラン。
 
「……こんにゃろ」

 勝ちポーズをとるCOMキャラの緊張感無い表情が、妙に神経を逆撫で、リベンジ、再敗北。
 ムキになって勝負を挑むも、気迫だけでそうそうゲームの結果が変わる筈もなく、黒星を重ねること数回。
 こうなったら勝てるまで挑戦しようと、自棄を起こして再びRETRYを、

「―――あれ、お兄ちゃん、まだやってたの?」

 背後から、お盆に二つのカルピスのコップを載せたラグナが覗き込んでいた。
 一気に、頭が冷めた。たかがゲームに何をムキになっていたのだろう。
 礼を言ってカルピスを受け取り、コップ半分程まで一気に飲み干す。
 心地よい酸味と、独特の粘りを帯びた冷たい液体が、不必要に熱くなっていた頭をクールダウンさせてくれた。
 ラグナは画面を見て、ころころと鈴のような笑い声を上げた。

「お兄ちゃん、コンピュータの設定がVeryHardになってるよ!
 これじゃあ、絶対に勝てる筈無いよ!」
「勝て、ないのか?」
「うん。これのVeryHardは凄く強いっていうんで有名なの。
 大会に出るような人じゃないと勝てないんだよ。
 私もEasyにやっと勝てる位だから、お兄ちゃんのような下手っぴさんだったら100年かかっても無理かもねっ」

 自分が徒労に力を費やしてきたことが判り、がっくりと肩の力が抜けた。

「そういえば―――チェスだってオセロだって、全部コンピュータの方が強いもんな」
「そうだよー。やっぱり、機械には勝てないよ」

 人の単純計算能力が演算機に追い抜かれてどれだけ経っただろう。
 少なくとも、自分の知るこのミッドチルダの世界では、人は機械無しには生きることは出来ない。
 コンピュータに自動車にバイク、昼食を作る調理器具に至るまで、高度な機械な恩恵を受けている。
 ミッドチルダは魔法文化を持ち文明レベルAに分類される。
 ―――その魔法行使も、デバイスという補助機器に支えられて行うのが一般的だ。

 知らず、その手が首に掛けられたドッグタグに重なった。
 愛用のインテリジェントデバイス、ストームレイダー。常に傍らに置き続けたヴァイスの相棒。
 任務の度、ヴァイスはいつもこの相棒と己を重ね合わせてきた。
 ―――スコープ越しに標的を狙う瞬間。
 銃床は肩に根を生やし、指はとうに銃杷と癒着している。
 瞳孔は照門から照星を貫き、宙に一筋の道を描く。黒鉄のストームレイダーが心臓の鼓動に合わせて脈動する。
 己の肢体と同様に血が通い、風を聞き、敵を睨む。
 引き金を絞ったのは、果たして己の指か、それとも銃自身なのか。
 銃という機械の部品の一つになりきれる。それがヴァイスの才能であり、ロングレンジからの狙撃に於いてエースと呼ばしめた因だった。
 ……あの日までは。

 人質が己が妹である。ただそれだけの事で、ヴァイスは千々に乱れた。
 冷や汗を流し、腕は震え、かちかちと歯は噛み合わず、腕に握った相棒の事など意中から消え失せた。
 妹越しに標的を狙う緊張感から逃れようとするかのように、祈りを十字架に捧げるかのように引き金を引くも―――。

 己は、機械になりきる事は出来なかった。

「ああ。そうだな。機械には勝てないな」

 ぼんやりと、膝の上のコントローラを見つめながらラグナに胡乱な返事を返す。
 カルピスを飲み干すと、握り締めすぎたせいか少しだけ温く、氷が溶けて気の抜けた味がした。


     ◆


 妹とごろごろ居間を転がるばかりの週末を終え、月曜日の日常へと帰還した。
 武装隊へ復帰して2年ばかり。六課時代に古巣と呼んだそこは、元通りすっかり馴染みの職場である。
 ストームレイダーの整備をしながら、心落ち着く自分がいる。
 銃を握り、戦闘ヘリを戦火の中で飛ばすことこそ日常で、妹と実家で過ごす休日が非日常―――。
 ヴァイスはそんな自分に思わず苦笑する。
 ……自分には、人間としてどこか故障している部分があるのかもしれない。
 ふと、そんな不安感が脳裏を過ぎる。
 それが、単に一時の杞憂に過ぎなかったことを、すぐにヴァイスは思い知った。
 ―――その女に遇って、問答無用に思い知らされざるを得なかったのだ。

「今回の任務を担当する、ユニットN2Rのセッテです。よろしくお願いします」

 彼女は、完璧な礼法で一礼した。角度はきっちりと30度、ヘッドギアで纏められた赤い髪が微かに揺れた。
 モデルのような長身と、完璧な均整のとれた肉体。
 無駄なく鍛え上げられたしなやかな五体は、どこかイルカを連想させる。
 ヴァイスは慌てて軽い会釈を返し、面を上げると眼前に彼女の顔があった。
 ぎょっとした。
 目鼻立ちはくっきりとしている筈なのに、感情というものが一切感じられない白皙の貌。
 美しい。端整なその顔立ちは十分に美女と呼べるレベルだ。
 だが、そこはかとなく感じるこの不安はなんだろう。
 あれはいつだったか。そうだ、武装隊でのあの事件の後、ショッピングモールの夜間警備を引き受けた事がある。
 その時、ショーウィンドウの中のマネキンに、得体の知れない恐怖を感じたことがあった。
 暴漢、強盗の類などには大した恐怖は感じないが、人ならぬ人型に本能的な不気味さを感じたのだ。
 似たような悪寒が一瞬だけ背筋を走りぬけた。
 ……きっと、杞憂だ。大柄ではあるが、よくみれば年下の、自分好みの美しい女性ではないか。
 ヴァイスは、そう自分を納得させることにした。
 彼女は、そんな彼の心情など知るはずもなく、では。と簡素に一礼をして出発の準備に取り掛かった。
 居心地悪げに立ち尽くしているヴァイスの肩を、つんつん、と細い指がつついた。

「どうも、ご無沙汰してます、ヴァイスさん」
「―――ああ、ギンガか。久しぶりだな」

 ギンガ・ナカジマ。スバルの姉であり、ヴァイスも知らない相手ではないが、特に親交が深い訳でもなかった。
 敏腕の捜査官として名を馳せているとは聞いたが、その美しい容貌にも磨きがかかり、落ち着いた大人の女性としての色香を漂わせている。
 豊満な胸元に視線を送ったのも一瞬。気まずげに頭を掻きながら、

「それで、今日はどうしてこんな所に?」
「うちの問題児がお世話になるそうなので、ご挨拶をと思いまして」
「問題児?」
「ええ。ユニットN2R、一番の問題児なんですよ、あの子は」

 ユニットN2R。二年前にミッドで起きた空前の大災害、JS事件の実行犯である戦闘機人の子供達が更正して勤めている部隊である。
 ヴァイスも彼らのうちの幾人かと仕事をしたことがある。
 多少騒がしくて辟易させられた娘もいたが、能力面でいうなら何一つ問題ない―――否、極めて優れた子供達である。
 陸士部隊の中には彼女達に遺恨をもつものもあるというが、ヴァイスには別段怨むような事情もない。
 セッテも自己紹介を聞いた時も、今回の仕事は順調にいくだろうと思っていた。

「問題児というと……独断専行が多いとか、命令違反をするとか、そんな感じか?」

 漠然と、以前同じ任務で戦ったウェンディという娘を思い出す。
 あれを上回る暴走を見せるのなら、確かに問題児というしかないだろう。
 しかし、ギンガは強い口調できっぱりと断言した。

「いえ、独断専行や命令違反などは、あの娘に限っては『絶対に』あり得ません」
「そ、そうか? じゃあ、問題児というのはどんな―――?」
「コミュニケーションの問題です。命令には必ず従いますし、社会で必要な礼法も一通り教えてはいますが……。
 あの子は、本質として、人間関係というものを理解していません。
 無礼を働くことは無くても、あの子の異質性は周囲から見れば明白です。
 それで、周囲との軋轢を招くことが幾度かありまして……。
 普段なら取り繕って誤魔化すのですが、ヴァイスさんならあの子を許容して頂けるかと思って、ご挨拶に伺いました」
「おいおい、俺は女の子の気持ちなんか分らないぞ」
「あの子の内面を理解してくれ、なんてことは申しません。あの子は、裏表ない、見たままの子です。
 それを、そのままのあの子を許容して頂ければいいんです」
「……はあ、そのまま、ね」

 ギンガの説明は漠然としていて、ヴァイスにはよく理解出来なかった。
 空返事を返す彼に、ギンガは軽く会釈してセッテの元へ向かった。


     ◆
 
 
 今回の任務は単純明快。
 山中にある、とあるテログループの一派の潜伏地に赴き、降伏勧告を行い、従わない場合は捕縛する。
 彼等の所属するグループが降伏勧告に従った例はなるので、ほぼ間違いなく、捕り物となるだろう。
 小規模なグループであり、有力な魔導師の保有数も少ないので、空戦前衛・対人殲滅戦に優れた能力をもつ戦闘機人、セッテにとって捕縛は簡単だろう。
 ―――身も蓋も無い言い方をするなら。
 ヘリで空から彼女をテログループの潜伏地に投下し、彼女が全滅させたテロリストをヘリに詰め込んで、然るべき場所に引き渡すのが今回の仕事。
 戦闘は、セッテ一人で十分と判断された。無論必要ならば援護も行うが、ヴァイスが銃を撃つことは恐らく無いだろう。
 連絡事務とヘリの操縦が彼の役割だ。
 ヘリの操縦室、無言。
 午後の平坦な青空だけがどこまでも続き、新型ヘリの控えめなローター音だけが機内に響いていた。
 あと数十分もすれば、現地の宿泊施設に到着するだろう。
 今日は作戦の最終的な打ち合わせを行い、早めに就寝し、決行は明日の早暁となる。
 ヘリの操縦室、無言。
 ヴァイスは、この懈怠な同乗者を扱えばいいのか、未だに判じかねていた。
 独りでヘリを飛ばすのは気楽なものである。
 輸送任務などの時には、ストームレイダーに登録したお気に入りのジャズでも流しながら空を楽しむのだが……。
 後部座席に座る同乗者の前では、そんな気分など微塵も起こらなかった。
 彼女は背筋を伸ばしてシートに腰掛け、拳を太腿の上に定めて身じろぎ一つしない。
 機械のカメラじみた瞳は、油断なく前方の大空に向けられている。
 ヘリの操縦室、無言。
 沈黙が、辛い。宿泊施設に向かっているだけの今この瞬間でさえ、セッテは臨戦姿勢である。
 それは、行住坐臥すべてを戦場と心得る戦士としては、この上なく正しい在り方なのだろう。
 だが、ヴァイスにとって―――否、魔導師達の大半を占める凡夫達にとっては狂気の沙汰だ。
 華々しく輝くエース達を影で支えながら、締めるべき時は締め、戦いの中でも緩めるべき時は緩めて己に休息を与える。
 そうでもしなければ、精神を磨り減らして潰れてしまうのが凡夫の常だ。
 己のスペックを見定め、それを最も効率良く運用できるの者こそ優れた兵士と言えよう。
 しかし、彼女は常にフルスロットル。戦いの場にある事こそ己の常とばかりに、冷たい瞳で青空を見つめている。
 ヘリの操縦室、無言。
 ヴァイスは、背後からの圧迫感に耐えかねて、セッテに語りかけた。

「な、なあ、聞きたい音楽とかあるか? 最近のから古いのまで色々揃えてるんだが……」
「結構です。音楽を鑑賞する趣味はありません」
「…………」

 会話終了まで、実に10秒足らず。
 気合を入れて、リトライすることにした。

「なあ、好きな食べ物とかは……」
「食物に対する嗜好はありません」
「…………」

 会話終了まで、実に5秒。
 まだまだ。心が折れそうになるが、ヴァイスは気合を入れて更にリトライをする。

「なあ、どんな男がタイプなんだ? 美人だしスタイルもいいから、男に声掛けられること多いんじゃないのか?」
「異性との交際に興味はありませんし、交際を求められたこともありません」
「…………」
 
 ……嘆息をひとつ零して、ぐしゃぐしゃと頭を掻いた。確かにギンガの言う通り、これは随分な問題児だ。
 溜め息をもう一つ重ねて、ヴァイスは面を掌で覆って、初めて、己の心からの問いを彼女にぶつけた。

「なあ、セッテ、お前が優秀な戦士だというのは見てりゃ分る。
 けどよ、その機械みたいなぶっきらぼうなものの言い方はどうにかならないのかよ?
 作戦は一人でやるもんじゃねえんだ。何より、部隊のチームワークってもんが大切なんだよ。
 正直言うとだな、お前みたいなのが部隊にいると迷惑なんだ。部隊の不和を招きかねねぇ。
 今回は俺とお前の二人だけの任務だからいいけどよ。
 ―――大人数での作戦だったら、俺は絶対にお前のような奴とは戦いたくねえ」

 半ば愚痴だった。「そうですか」とでも言うような、素っ気無い返事が返ってくるだろうと思っていた。
 しかし、セッテは意外な程饒舌に返答をした。

「承知しています。
 作戦行動に於いて、隊員間の円滑な連携を保つためには、一定のコミュニケーションが必要な事は存じています。
 通常時はコミュニケーションを求められた場合、定められたテンプレートに基づいて適切な返答を行うよう設定しています。
 先ほどのご質問ならば、嗜好する音楽はクラシック、嗜好する食物はストロベリーアイス、好みの異性は長身でやや筋肉質の男性です。
 今回、ナカジマ陸曹より、グランセニック陸曹と会話を行う場合に限り対人設定をOFFにするよう指導が有りましたので、それに従っています。
 ご要望ならば、対人会話設定を通常モードに戻しますが」

 何て奴だ。筋金入りにも程があるだろう。
 今更、対人会話設定とやらで流暢な対応をされても、余計に気が滅入るだけだ。
 頭を抱えて、

「いや、このままでいい……。
 それにしても、どうしてギンガは俺には素で話せなんて言ったんだ?
 最初から知らなきゃ普通に話せたものを―――」
「情操教育の一環として、私という存在をご理解頂けている方に対しては、普段通りの話法で会話するように指導を受けています。
 特に、姉妹や元機動六課の方に対してはその傾向が顕著です」
「……俺ぁ、別にお前と親しい訳でもないのになぁ」

 親しくないどころか、ヴァイスは彼女と今日知り合ったばかりだ。

「ナカジマ陸曹からは、グランセニック陸曹はコミュニケーション能力、特に女性に対する順応性が高く、大まかな説明も済んでいるので通常通りの話法で構わないと伺いました」
「……あんにゃろ」

“ヴァイスさんならあの子を許容して頂けるかと思って、ご挨拶に伺いました”

 ギンガの言葉が脳裏に蘇る。どうやら、随分と厄介なものを押し付けられたようだ。
 と、言っても、別段実務上の差し支えがある訳ではない。
 どうせ一泊二日の付き合いだ。ヴァイスは腹を据えてセッテの相手をすることに決めた。
 おおよその付き合い方も見えてきたし、何より異質すぎる「セッテ」という女の存在に、若干の興味も湧いてきたのだ。

「セッテ、俺はお前のほかの姉妹―――ノーヴェやチンク達も少しは知ってるんだが、あいつらもいつもはお前みたいな喋り方をしてるのか?
 あの騒がしいウェンディの性格とかも、全部その、『対人設定』ってやつなのか?」

 想像して、寒気がした。
 楽しげにはしゃいで、笑って、じゃれあっていた彼女達。
 それが全ては仮面と同じ作り物で、部屋に居る時は一言も喋らず、無表情で人形のようにただ在るだけの彼女達の姿を。
 だが、それは杞憂だったらしい。

「いえ、私以外の姉妹達は、矯正施設での指導の結果、人間として生きることを選択しました」
「……まるで、自分が人間じゃないような言い方だな」

 セッテは、正面を見据えたままきっぱりと断言した。
 
「私は、自分を戦闘のための機械として認識しています。
 グランセニック陸曹も、私のことは陸士部隊に納品された兵器の一つとお考え下さって結構です」
「…………?」

 彼女の言葉に、微妙な引っかかりを覚えた。些細な違和感。小さな誤謬。

「見えたぞ、目的地だ」

 前方を指差して、自分の愚かさに気付いた。
 人間以上の身体機能を持つ戦闘機人たる彼女は、そんなこと、とうに把握していたに違いないのに。
 セッテは頷くでもなく、ただ静かに、じっと正面を見据えている。
 ヴァイスは何度目になるか分らない嘆息をし、手入れの悪い髪をぐしゃぐしゃと掻いた。
 

     ◆
 

 目的の本拠地まで適当な施設がなかったため、宿泊は現地の民間施設となっている。
 僻地の安宿だが、周囲が荒地なので、ヘリを着陸させるスペースが確保できる貴重な場所だ。
 何より、明日の早朝までの仮宿。どんな環境でも別段文句を言うに当たらない。 
 別段、ヘリの中でも寝泊りしても構わないのだが、ささやかな贅沢といったところか。
 
「甘かった……」

 頭を抱えるヴァイスの視線の先には、ダブルベッドの鎮座するラブホテルの一室があった。

「目的地に近く、最も安価なのがこの宿泊施設でしたので」

 セッテは澄ました顔で解説をし、煩悶するヴァイスを一瞥してシャワー室に入った。
 今回の任務の主体は、セッテなのである。
 階級や彼女の監視という理由から、ヴァイス指揮の名目になっているが、実質的な裁量はほぼ彼女に任せている。
 実質的な仕事はヘリの運転のみなので、作戦の個別具体的な部分についてはセッテの計画案に任せていた。
 彼女の計画案は、一読するに微塵の隙もなかった。最短距離で目的を達成するためのシンプルで効果的な作戦。
 宿泊施設のような些事は、気に留めてすらいなかった。 

「身体洗浄、終了致しました。宜しければお次をどうぞ」

 女性にしては短すぎるシャワータイム。頭を抱えた姿勢でフリーズしていたヴァイスは面を上げる。
 そこには、全裸のセッテの姿があった。
 モデルのような長身には一分の贅肉も無い。総身は野生動物のようにしなやかな筋肉が薄く包んでいた。
 伸びた背筋、立っているだけで判る身体バランスの良さ。まるで、海中を泳ぐカジキのよう。
 美しい、と素直に思った。
 だが、それは普段女性の裸身を見て感じるような肉感的な意味で美しさではない。
 CGでモデリングされた図形を見て感じるような、幾何学的な美しさだ。
 人間は生物である以上、どんなに整っているように見えても、完全な均整を取れた肉体というのは存在しない。
 人の顔の中心に鏡を置き、完全に左右対称な表情というものを作成すると、元の表情と全く異なったものへ変化する。 
 骨格、筋肉の発達、歩行時の重心の変化、全て左右で微妙に異なっているのだ。
 しかし、完全な均整をもった肉体がそこにある。それはもはや神の産物たる人の子ではなく―――。

「はぁ、いいけどよ、目の毒だから早く何か着てくれ」
「はい」
 
 セッテは手早く下着を身につけた。まるで色気のない、スパッツのような下着とスポーツブラである。
 『裏表ない、見たままの子です』というギンガの言葉は本当だった。
 短い付き合いに過ぎないが、セッテのことは大体把握できたとヴァイスは感じていた。
 その上で、無駄と思いながら彼女に愚痴る。

「全く、男と女が一つ部屋なんてどうかしてるぜ。一発抜きたくなったらどうすりゃいいんだ、俺は?
 こんな部屋に二人きりなんてさ、ムラムラきた俺が襲い掛かってもいいのかよ?」

 腐れ縁のアルト辺りに聞かせたならば、即座にセクハラで訴えられるような台詞だったが、彼女に限ってそんな可能性は0である。
 加えていうなら、ヴァイスが全武装を投じて彼女に襲い掛かったところで、指一本触れることすらできまい。
 そんな考慮にすら値しない言葉を垂れ流すヴァイスの台詞は、どこまでも唯の愚痴でしかなかった。

「一発抜きたくなる、というのはどのような状況でしょうか? ムラムラくる、という表現も理解不能です」
「へ?」
「対人能力の向上のために、知らない単語や慣用表現は積極的に学習するように設定しています」
「あー、それは、だな……。俺の口からはちょっと説明しにくいんで、知ってそうな奴がいる時にでも聞いてくれ」
「了解しました」

 すちゃ、と取り出したのはシンプルな銀色の通信デバイス。彼女は迷わず短縮ダイヤルをプッシュし、それを耳に当てた。

「クアットロですか? ……はい、またお聞きしたいのですが、『一発抜きたい』と『ムラムラくる』という言葉の意味を―――」
「おい、ちょっと待て―――」

 流石に想像の斜め上を飛んだセッテの行動に、ヴァイスは叫び声を上げるが時既に遅し。
 
 数分後。

「諒解しました。『一発抜きたくなる』とは、射精を行いたくなる、『ムラムラくる』とは、興奮を覚えるという意ですね」

 彼女は項垂れるヴァイスを見つめ、歯切れの良い口調でキッパリと告げた。
 バサリ、とセッテが差し出したのは、ラブホテルの机の上に置かれたいた古いポルノ雑誌だった。
 金髪の美女があられもない姿で、赤いヒールを履いた両足をぱっくりと広げている。

「どうぞ、一発抜きたくなられた時は、お好きなようにマスターベーションなされて下さい」
「…………違うぅ」

 諦観の表情で呆と視線を宙に彷徨わせながら、弱々しい手つきでヴァイスは煙草に火を付けた。
 セッテは一瞬だけ思案するように動きを止めたが、淀みなく続ける。

「男性が能動的に射精を行う場合、手段は自慰行為と性行為の二種類に大別されると学びました。
 自慰行為でないということは、性交を行いたいという意でよいでしょうか。
 では、ムラムラきて一発抜きたくなられた時は、私の肉体をお使い下さい」
「―――は?」
「それでは、私は全裸で待機しておきますので、何時でもお申し付け下さい」

 そう言って、彼女は身に付けたばかりの下着をするすると脱ぎ捨てた。
 この女は、一体、何を言っているのだろう。
 ヴァイスは蝋人形のような白皙の肉体を見つめながら、頭を捻る。
 目を背けるだの、大慌てで彼女の行動を制止するだのといったタイミングは、とうに通り過ぎてしまった。
 あまりに常識からかけ離れた彼女の行動に、ただぽかんと口を開けるばかりだ。
 ヴァイスは知りえぬことだったが、セッテに対して性的なジョークをぶつけたのは彼が初めてだった。
 彼女は、性的常識に関しては、ほんの最低限のプリインストールも同然の状態だったのだ。
 
「えーと、どうすりゃいいんだ、俺は……?」

 セッテは、無言でヴァイスを見つめている。
 やめさせなければ、というごく真っ当な理性の判断と、女性に性交を許された男としての本能。
 それが脳内で鬩ぎあって、言葉が出ない。
 優勢なのは理性だ。彼女は男に抱かれるということの本質を何一つ理解していない。
 性交を、呼吸や歩行と同じ生理的行為、動物の交尾と何ら変わらないものとして把握している。
 人間の行う性交が、どれだけ深い意味と感情を孕んでいるのか、全く知らないのだ。
 そんな彼女を抱くことは、年端もいかない少女に性的な悪戯をするのと同様の、卑劣で罪深い行為だと理性は断ずる。
 だが。
 そんな彼女だからこそ、抱いてみたいという黒い衝動が、腹の底でぐるりと蠢いた。
 性欲というより、好奇心に近いものがある。
 こんな機械のような女が、人が最も動物に近づく瞬間であるセックスの際にどんな顔を見せるのか、興味が湧いたのだ。
 否、好奇心というのは誤りか。ヴァイスは―――彼女に、一種の畏怖に近い感情を抱いていた。
 こんな女が、こんな、人間性の剥落した人間が居る筈ないと、彼の中で常識が警鐘を鳴らしている。
 だからこそ―――セックスの際ならば、彼女にも僅かな人間らしさが見られるのではないかという、そんなか細い希望を感じていたのだ。  
 ヴァイスは、自分の衝動に従った。

「ああ。ムラムラしてきた。一発抜きたくなったぜ。一丁、宜しくたのむわ」 

 口元を吊り上げ、煙草を灰皿に押し付ける。立ち上がると同時に、セッテはベッドの上に仰向けに横たわった。
 これから情交を始めようとする女性の姿ではなく、解剖を待つ検死台の上の死体のようだった。
 ヴァイスは彼女にそっと覆いかぶさり、彼女に静かに口付けた。セッテは、目を閉じすらしなかった。
 求めれば、彼女はどんなことにも応じてくれるだろう。
 そんな予感はあったが、ヴァイスはセッテに何一つ求めなかった。静かに、彼女に尽くすことに没頭した。
 ―――唇を離す。セッテの真一文字に結ばれた唇は、最初から最後まで固く閉じたままだった。
 ヴァイスはついばむようなキスを繰り返しながら唇を下げる。首筋に、項に、胸元に、そして尖った先端に。
 セッテの肌はやや冷たく、陶器のように滑らかだった。
 均整のとれた乳房を緩々と揉みしだき、先端をそっと口に含む。
 彼女は顔色一つ変えなかった。それどころか、行為が始まってから身じろぎ一つしていない。
 無論、緊張や羞恥のせいではない。彼女はそれが自然体であるが故に、ただ人形のように為されるがままにされていた。
 ヴァイスの丹念な愛撫に、セッテは何一つ反応を示さなかった。快楽も、歓喜も、好意も、嫌悪も。
 最初から、予想できていたことだった。
 それでも、ヴァイスは徒労でしかない愛撫を続け、彼女の秘所に辿り着いた。
 己の最も秘された部分を男に弄われようとも、セッテは眉一つ動かさなかった。
 ヴァイスはそっと指を挿し入れる。彼女の内部は、口中のような自然な湿り気を帯びていた。彼の愛撫など関わりなく、あるがままの状態だった。
 自然体の仰臥の姿勢の彼女の両足を、そっと手で押し開く。こればかりは、動かさなければ行為に及ぶことが出来ない。
 遂に、彼女の中にヴァイスが進入した時も、彼女は冷たく宙を見据えていた。

「……やべぇな、これは」

 一方、挿入したヴァイスは、千々に乱れる呼吸と鼓動を抑えるのに必死だった。
 背筋をゾクリと戦慄が駆け上っている。セッテの内部は、別段他の女と変わるところは無かった。きつくもなければ緩くもない。
 しかし、死体のように五体を投げ出している彼女を抱くことは、人形でも抱くような背徳的で倒錯的な行為だった。
 抽送を開始する。
 セッテは動かない。
 ただ、ヴァイスの動かす腰の動きに合わせて、小さく体が跳ね続ける。
 屍姦という言葉が脳裏を過ぎる。
 この期に及んでさえ、彼女の挙措には人間らしさの欠片さえ存在しなかった。
 ダッチワイフでも抱くかのように、ヴァイスはただ己を満足させるためだけに抽送を続ける。
 か細い期待は、ついに途切れた。彼女は、どこまでも機械だった。もう、愛撫をする必要すらない。
 これは、ヴァイスのマスターベーション。セッテという女の肉体を使った自慰行為に過ぎなかった。
 それでも、雄の本能は容赦なく背筋を駆け上り、ヴァイスは静かにセッテの中で果てた。
 それなりに、持続力には自信のある彼にとって、随分早い終焉だったが、何の問題もない。そこには、見得を張る相手も嗤う女も居ないのだから。
 果てしない疲れを感じた。
 ヴァイスは、ぐったりとセッテの上に崩れ落ちた。
 豊満な乳房の上に頭を預ける。
 ドクン―――。
 心音が聞こえた。彼女が生きてここにあるという証。息を長く吐き出し、その音に耳を傾ける。
 セッテの心音は、力強く、時計の針の音のように正確だった。
 ……ヴァイスは息も脈も乱れきっているというのに、彼女は鼓動はどこまでも平常を保っていた。
 と、彼女はヴァイスを自分の体の上から退けると、すっと立ち上がった。

「これで、終了ということで良いでしょうか?」

 余韻も何もあったもんじゃねぇな、とヴァイスは苦笑しながら頷く。

「今の間に明朝の作戦案を微修正しておきました。具体的には―――」
  
 気が入ってなかったと思ったら、そんなこと考えてやがったのか。
 呆れるよりも、感心した。長く長く息を吐く。
 ヴァイスは、完璧な作戦を更に完璧に修正するプランを全裸で講釈する彼女に、胸中で拍手を送った。
 

     ◆

  
 眠りに落ちる前に、ヴァイスは一つだけ問うた。
 ヘリの中での会話で覚えた、ほんの些細な違和感を。

「なあ、お前、機械として生きることを選択した、って言ったような。
 お前の姉妹達はみんな人として生きることを選んだんだろ? 何でお前は機械として生きようなんて思ったんだ?」

 彼女は、淀みない口調で答えた。

「施設で保護司の方は、私達に、自分がどのように生きるかは自分で選択するようにと仰いました。
 自分で生きる道を選択することが、真に人間として生きるための第一歩となるのだと。
 他の姉妹は人間として生きることを選択しましたが、私は機械として生きることを選択しました。
 私は戦いの為の兵器として製造されました。ならば、その目的に沿って生きるべきであると判断した結果です」

 ぼんやりとしていた違和感の正体が、今はっきりとした。

「―――ははっ」

 彼女は言った。自分は、機械として生きることを選択したのだと。
 それは、誰に指示されたものでもなく、彼女自身が選び取った己の生き方。
 定められたプログラムしか実行できない機械には、決してできない魂の選択だった。


     ◆


「現場はもうすぐだ、準備はいいか?」

 尋ねる必要が無いことなど承知の上で、ヴァイスは問うた。

「はい、問題ありません、いつでも行けます」

 高度数百メートルから地上を見下ろしながら、彼女は静かにそう答えた。
 その目に、興奮や緊張の色はない。電子カメラのような瞳で、つぶさに目的地を見つめている。

「もうじきだ。細かい判断はお前に任せる。自分でいいと思ったら飛んでくれ」
「了解しました」

 言うが早いか、彼女は大空へ身を投げ出した。鷹のように両腕を広げ、気流に任せて大空を滑空する。
 なんて見事なスカイダイビング。獲物めがけて直滑降する隼の偉容だ。
 自由落下運動によって、彼女は速度を上げて地面へと近づいていく。それに合わせて、彼女の総身を桜色の魔力光が包んでいく。
 空の殲滅者と呼ぶのが相応しい偉容を伴って、彼女達はテロリスト達の潜伏地の中央に下り立った。
 無法者達は、ただぽかんと口を開けて、その姿を眺めていた。
 セッテは、彼等の驚愕に何の頓着も示さず、高らかと告げた。

「時空管理局地上部隊のセッテと申します。貴方がたは指名手配されいます。投降を―――」

 彼女の言葉は、呆気に取られていたテロリスト達に現実を正しく認識させた。
 台詞を聞き終えるまでもなく、真正面から砲撃が打ち込まれる。
 爆音、爆煙。
 一陣の風がたなびき、爆煙を吹き散らすと、そこには当然のように傷一つ無いセッテの姿があった。
 その左手には、彼女の固有武装、ブーメランブレードが握られている。
 爆音の残響の中、彼女の口は何事かを告げるかのように動いていた。きっと投降勧告の続きだったのだろう。
 勧告を無視した上での、殺傷目的の攻撃。彼女は、予定調和の最終手段に着手する。

「―――それでは、強制捕縛を実行いたします」

 彼女の言葉に応えるかのように、一斉に射撃や砲撃が加えられ、違法魔導師達のバリアジャケットが展開される。
 殲滅戦の、始まりだった。
 ヴァイスは、ストームレイダーのスコープ越しに、彼女の挙措をつぶさに見つめていた。
 ブーメランブレードを握っていた左腕が、消失するかのような勢いで振るわれる。
 同時に、彼女の左側のテロリスト達が暴風にでも薙ぎ倒されたかのような勢いで弾け飛んだ。
 右腕にはもう一本のブーメランブレードが出現し、彼女は相当な質量があるであろうそれを機敏に振るい、一斉射撃を全弾撃墜した。
 懲りることなく加えられる一斉射撃。
 その弾幕を目くらましに、剣、斧、槍といった近接戦闘用のデバイスを備えた魔導師が一斉に頭上から襲いかかる―――。
 セッテはそれに目を向けることもなく、盾として使用していた右手のブーメランブレードを射手に向かって投擲した。
 そのまま、身一つを低く沈め、ブレイクダンスの要領で頭上からの攻撃を全て回避。
 襲撃者が驚愕したのも束の間、両手で戻ってきた二本のブーメランブレードをキャッチし、その勢いを利用し三人を一気に薙ぎ倒す!
 第一線のベルカ騎士の一撃に匹敵するという彼女の一撃は、バリアブレイクによる防御魔法無効すら備えている。
 有象無象の違法低級魔導師によるテロリストの群れなど、端から勝負が成立する筈がない。

 ヴァイスは、ただ彼女に見惚れていた。
 戦闘に際した彼女は、思いもよらないほど苛烈で一途だった。
 その姿を、ヴァイスは美しいと感じた。何よりも美しいと感じた。
 性交の際の裸身など比べ物にならない。今この瞬間こそ、彼女の姿は何よりも輝いている。
 戦いの為の機械として生きることを選択した彼女。
 そんな彼女が、今正にその本懐を果たしているのだ。美しくない筈がない。
 一つの機能を極限まで追求したものは総じて美しい。
 例えるなら、数百年間形状が変わっていない弦楽器。
 例えるなら、水中を時速数100キロで飛ぶように泳ぐ魚。
 例えるなら、現在の技術ではもう復元できない古刀。
 例えるなら、音速を超えて飛翔する戦闘機。
 そんな、何かを究極としたものだけに得られる美しさを、彼女は持っていた。
 彼女は今、戦っている。
 それだけで、彼女は満ちている。
 それだけで、彼女は足りている。
 まるで、祈りに全てを捧げて生きる教会の聖女のようだとも思った。
 そう、彼女に余分なものは何もない、純粋なる戦機―――。
  
 決着は速やかだった。
 瞬く間に過半数が戦闘不能に陥ったテロリスト達は、最も安易な道、投降を選択したのだった。
  

     ◆


「今回の任務、ご指導ありがとうございました」

 ―――靴の踵を揃え、きっちりと30度。
 彼女は形式ばった一礼をし、颯爽と踵を反した。
 出会った時と同じ、あっさりとした別れだった。
 ヴァイスは小さく手を振って、その背中を見送った。
 
「……さて、ラグナの土産に何買って帰るかな?」
 
 凡夫である自分にとっては、人生など悩んで行き詰ることばかりである。
 ―――彼女なら、自分が苦しむ雑多な物事で頭を悩ませたりしないだろう。彼女は機械なのだから。
 
『彼女は、自分の生き方を自分で選びとった、だから、彼女は人間だ―――』

 などと、無粋なことを言うつもりは微塵も無い。
 彼女は機械だ。彼女自身がそう定めた時点で、定義付けは済んでいる。
 彼女は、それだけで満ちている。それだけで、足りている。
 人である自分は、人生の些細な選択の度に迷ってばかりだ。
 それを、彼女はたった一度の選択で全てを決定してしまった。
 ……少しだけ、セッテが羨ましい。
 彼女ならば、あの時に誤射をすることなど無かっただろう。
 例え自分の肉親が人質にとられようと、冷静なその瞳を揺らすことなく敵を射抜いただろう。
 機械の部品になりきれなかった自分と違って、彼女は本当の機械なのだから。

「―――と」

 思考が陰鬱な方向に傾いたのを振り払うように、ヴァイスは顔を上げた。
 短い任務だったが、随分精神的な疲労が溜まっているようだ。

「ラグナの土産買って、さっさと家に帰ろう。帰って―――」

 鞄を漁る。一冊の雑誌が目に止まった。セッテに渡されたポルノ雑誌だった。
 古びた表紙では、金髪の美女が赤いハイヒールを履いた足を扇情的に広げている。 

「帰って、せんずりでもこくか……」

 そうだ。妄想の中なら、あのセッテも存分に乱れてくれることだろう。
 今回はあの女に己を掻き乱されてばかりだ。その程度の役得は―――許されるはずだ。
 こき、こき、と首を鳴らしながら、ヴァイスはゆるゆると帰途についた。

                                  END


著者:アルカディア ◆vyCuygcBYc

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