山風にまつわる逸話

  • ヘビースモーカーで酒好き。晩年までウイスキーボトルを三日で一本あける生活であった。サントリーウイスキーを愛飲しているとエッセイに書いたところ、サントリーからたくさんウイスキーが送られてきたことがあるという。晩年は「アル中ハイマー」と自称した。休肝日はむろん原則ナシ。
  • 戦時中の飢餓感から食事に執着があり啓子夫人を料理学校に通わせ、おいしい外食をさせて料理の腕を鍛えさせた。そして愛妻に毎晩多くのおかずを作ってもらっては舌鼓を打っていた。中島らも来訪時の献立をあげると、
    • 一、ポトフー(牛肉野菜の清汁仕立て)
    • 二、ステーキ(150gはあった)
    • 三、牛肉のサイコロ炒め
    • 四、刺身の盛り合わせ
    • 五、そば
  • 好物は自身が考え出したメニュー「チーズ肉トロ」。とろけるチーズを牛肉でつつんで焼いたものに、ピーマン、トマト、キャベツなどを添えて生ニンニクをすって醤油をつけていただく。ハイカロリーハイコレステロールメニューである。
  • 食いしん坊のせいかデパ地下巡りが好きで、まるで夢の世界を見るようだったという。曰く「戦死者の英霊は靖国にはいない。ここにいる」。
  • 虚弱体質の割に病気はしなかったが、晩年はパーキンソン病と糖尿病を患っていた。
  • 啓子夫人には自作を読むなと厳命していたらしい。彼女は死後読み始めたようだ。
  • 風太郎・啓子夫妻はそのおよそ半世紀にわたる結婚生活において、なんと一度も喧嘩をしたことがないらしい。
  • 啓子夫人は夫はかんしゃく持ちだけど文士はこんなものかと思っていたとか。本人曰く、「ぼくは愛妻家ですよ」。
  • 啓子夫人の若い頃は、風太郎が大ファンであった高峯秀子に似ていた。
  • 初めての娘が誕生したとき、「悠子」と命名するも常用漢字になく役所で断られる。その場で「葉子」と改名しようとしたところ、役人に「お一人で決めていいのですか」と言われた。エッセイ『死言状』では、構わず改名しこの役人は恐妻家ではないかとの旨を記している。が、真相はそうではない。不安になって戻り、常用漢字辞典を調べて再度役所に赴いて「佳織」とつけ直したのだった。
  • ペットは猫より犬派で、愛犬の能力を見て忍法のインスピレーションを得たという。散歩も彼の日課だった。
  • パン粉で庭に「バカ」と書いて、そこに鳥が「バカ」という形にが群がるのを見て喜んでいたという。あまりに熱心に餌をやるので、お子さんが「お父さんは子供はより鳥をかわいがる」と抗議したとか。
  • 皮膚炎でフケが落ちて止まらないときは、そのフケで「山田風太郎」と書いて遊んだ。この病気がきっかけで散髪は夫人にしてもらう習慣がつく。
  • 山風昭和美人ランキングは、一位美智子皇后、二位轟夕起子、三位高峰秀子、次点あたりに吉永小百合。ちなみに若き日の啓子夫人は高峰秀子に似ていた。しかし日記に「啓子は決して美人ではない」と書いているのは山風の照れだろう。
  • 編集者が回想する。「山田先生は自分の作品はストーリーを重視していて、ひとつの作品に三度はどんでん返しを入れたい」と語っていたとか。
  • 佐伯俊男の角川版表紙装丁画は、当時の中学生男子のトラウマとなるほどエロチックだった。あまりにきわどいため版を重ねて差し替えられたほどで、古本屋では現在においても高値で取引されている。中でも『くノ一忍法帖』の大股開き、『伊賀忍法帖』の嬲られ篝火は凄い!
  • 佐伯俊男の後継者ともいえる山本タカトが、ちくま文庫『忍法帖短編集』の表紙絵を担当している。彼も『姦の忍法帖』表紙では極限に挑んだきわどい絵を披露し、「のぬふ! のぬふ!」と書かれた帯とあいまってファンの喝采を浴びた。
  • 運転免許を取ろうとしたが、教習所通い三日目で断念した。
  • 『棺の中の悦楽』が映画化された際に、大島渚監督に「あなたは私の作品を理解していない」と手紙を送ったという。
  • 賞をもらうのが嫌いで、辞退した賞も多いとの説あり。
  • 麻雀が好きで、血尿を出し娘さんに「お父さん、生理?」と言われるほどまでに延々とやっていた。麻雀友達には雀聖こと色川武大(阿佐田哲也)もいた。麻雀には関係ない忍法帖の短篇に『模牌試合』というものがある。勝負には弱く、ほとんど負けていたようだ。
  • 子供の頃から絵を描くのが好きで巧みであった。彼のイラストは『疾風迅雷往復書簡集』などで見ることができる。
  • 江戸川乱歩が人見知りであったのは若禿ゆえであるという珍説を提唱した。
  • 江戸川乱歩先生はホモの気があるが自分にはないとのこと。
  • 江戸川乱歩『貼雑年譜』に倣ってスクラップブック『風評集』をはじめる。「忍法帖」の映画化に関するものが多い。
  • 親友・高木彬光との欧州旅行ではそのいびきに悩まされる。
  • 夏目漱石、内田百間、樋口一葉、吉川英治、江戸川乱歩などを敬愛していた。中でも後者二人はパロディにしていることもよくある。
  • 若い頃はもらったばっかりの原稿料を酔っぱらってすぐ失くしていたらしい。
  • 色紙にサインをするのが嫌いで、唯一サインしたのは妹に頼めれてのもののみだという。
  • 少年期の愛読書は吉川英治『神州天馬侠』。
  • 『忍者月影抄』執筆時には、風呂場で己を実験台に人体の体積を量っていて親戚の娘さんに見られて爆笑された。『信玄忍法帖』では愛娘との入浴中「お父さんのおちんちん、とれるノ?」と言われたことにアイディアを得る。
  • 忍法帖ブーム時には全国各地の中学高校で、忍法帖を学校に持ち込むのが禁止されたという。だが、そのルールもやぶって隠し読んでいた少年は多かった。
  • 同世代作家の作品は「自分より上だと落ち込むし、下だと慢心する」から読まなかったとか。
  • 江戸時代の首切り役人・山田浅右衛門の子孫であるという冗談を書いて、実際の遺族から問い合わせがきて冷や汗をかいたことがあるという。
  • 「咳をしても一人」という句に感銘を受け、自分も最短の句を作ろうと思った風太郎。できた句は「屁か」。
  • 中島らもは『このミステリーがすごい』のベストミステリー部門に「読んではいないがタイトルだけでも傑作」として『うんこ殺人』を選んだことがある。この作品だけでなく、しばしばスカトロネタが登場するのも山風味。
  • 「忍法は私が作った言葉だ」と 柴田錬三郎に言われたことがあるが、本人曰く、「ぼくではなく吉川英治先生の造語」だとか。
  • 彼を愛好する著名人には次の人物がいる。中島らも、京極夏彦、馳星周、清水義範、菊池秀行、金井美恵子、石川賢、せがわまさき、横尾忠則、貴志祐介、平岡正明、唐沢なをき、関川夏央、柳下毅一郎、細谷正充、小泉義之、澁澤龍彦、鹿島茂、永原豊、谷口基、種村季弘、長山靖生、野口武彦、深作欣二、大島渚、鈴木則文、中島かずき、三國連太郎、陰陽座などなど。京極夏彦は山田風太郎作品の装丁を手がけてもいる。
2006年05月22日(月) 23:36:43 Modified by kizurizm




スマートフォン版で見る