ネットで知る。本で深める。

地震/津波・自然災害・遭難・鉄道/航空事故wiki TOPへ
巨大/人喰い生物・猛毒/危険生物・未確認生物wiki TOPへ
【人喰い】日本における食害事故〜ヒグマ編
動物写真家星野道夫ヒグマ襲撃事件
八幡平クマ牧場ヒグマ襲撃事件

★新刊案内★


【福岡大学ワンゲル同好会羆(ヒグマ)襲撃事件】 シリーズ山岳遭難/山岳事件 

※福岡大学ワンダーフォーゲル部と表記されることが多いが、事件当時はワンダーフォーゲル同好会だった。
  当サイトでは事件当時の名称で表記する。尚、ワンゲルやW.V.はワンダーフォーゲルの略表記である。
 (文中の敬称は略させていただきます)

 1970年7月14日、福岡大学ワンダーフォーゲル同好会夏合宿日高パーティーの5名
(リーダーの竹末一敏・サブリーダーの滝俊二・興梠盛男・西井義春・河原吉孝)が北海道日高山脈へ踏み入った。
芽室岳から入山してピパイロ岳〜幌尻岳〜エサオマントッタベツ岳を経由して南へ向かって縦走していき、
11日後の25日、パーティーはカムイエクウチカウシ山(1979m)手前の九の沢カールに到着しテントを張った。
夕食後の16:30、テント内でくつろいでいると、テントから6〜7mあたりに2mあまりの羆がいるのを竹末が発見する。
最初は恐怖を感じることなくテントの下から見たり、興梠はカメラにおさめるなどしていたが、
30分程すると羆がテントから3〜4mに近づいてきて、テントの外に出していたキスリング(登山用リュックサック)を漁り出した。
羆はキスリングの食糧をむさぼり食っていたが、メンバーは隙を見てキスリングを取り返しテントに入れた。
その後は火を焚きラジオの音量を上げ、食器を叩いているとやがて羆は姿を消した。
しかし21:00頃になると再び羆が現れ、テントに爪をかけ、こぶし大の穴を開いてしまう。
すぐに羆は姿を消したが、この日は2人ずつ見張りを出し2時間交替で眠ることにした。
 
 翌26日。まんじりともせずに3:00に起床。パッキング(荷造り)をしていると4:30頃、また羆が現れた。
しばらくテント上方をうろうろしていたが、やがてテントの中に侵入しようとしてきた。
メンバーは羆を入れないように、テントの幕を5分程引っ張り合っていたが、
これ以上は危険だと判断して反対側の入口から脱出し、稜線まで一気に駆け上がった。
振り返ると羆はテントからキスリングを取り出して、離れた場所へ持っていく行為を繰り返していた。
リーダーの竹末は救助を求めることを決定。滝と河原に「九の沢を下り、札内ヒュッテか営林署に連絡し、
詳細を話しハンターの要請を頼む」と指示する。5:00頃、2人は九の沢を下りていった。
 6:10頃になると羆が姿を消したので、残った3人は幕営地に戻り、キスリングを3つ取り返して稜線まで上げた。
(結果としてこのキスリングを取り返した行為が、自分が獲得した獲物に強い執着心を示す羆の執拗な追跡を受ける原因となる)
3人はは稜線で身を寄せ合い歌などを歌って過ごすが、昨晩眠れなかったことから9:30すぎまで眠ってしまう。
目を覚ました時、幸いにも羆の姿は見えなかったので再度幕営地に戻り、残りのキスリングとテントを回収し水汲みを行った。
11:45分頃、鳥取大学ワンゲル部のパーティーが幕営地を通過していった。

 一方、救助を求めにいった滝と河原は7:15、八の沢出会い付近で北海岳友会(北海道学園大学)のパーティーと遭遇する。
〜実は彼ら北海岳友会も24日に、福岡大パーティーを襲ったのと同じ羆に、
カムイエクウチカウシ山北方・春別岳(1855m)で襲撃を受けていた。
 パーティーが稜線を歩いていると、羆が現れ後をついてきた。一行は岩に逃げ登りしばらく羆と睨み合いを続けていたが、
突然羆がよだれをたらし、毛を逆立てながら襲いかかってきたので、皆あわてて岩から飛び降りて逃げ出した。
メンバーの1人はハイマツに足を取られ危機一髪の状態になったが間一髪振り切ることができ、数名はザックを棄てることで無事逃げることができた。
羆はザックを漁りだし追いかけてこなかったので、別行動していた班と合流した上、九の沢カールでビバーク(不時露営)をする。
 翌25日に現場へ戻ると、荒らされた荷物がよだれまみれで整然と岩に並べられていた。
一行はそのまま荷物を諦め、カムイエクウチカウシ山を登頂後八の沢を下り、八の沢の出会いで幕営。
明けて26日の早朝、出発準備をしているところに福岡大の滝と河原が下りてきたのだ〜
 2人は北海岳友会から地図・コンロ・食糧等を分けてもらい、ハンターの要請を託して再び稜線へとあがっていく。
九の沢を登ってカムイエクウチカウシ山近くの稜線に出ると、下山中の鳥取大ワンゲル部や中央鉄道学園のパーティーとすれ違った。
その後竹末以下3名と合流することができ、15:00にはカムイエクウチカウシ山北方付近に、修理したテントで幕営することにした。

 だが夕食後の16:30に三度羆が現れた。メンバーは一斉に50mほど逃げ出す。
1時間程たってから様子を見に竹末がテントへ向かったが、まだ羆はテント付近にいた。
2度目の偵察前に竹末は、鳥取大のパーティーに今晩泊めてもらうよう依頼するため、
興梠と河原を八の沢カール(氷河の浸食によって出来た椀状の地形)へと向かわせた。
3度目の偵察時でも羆はまだ残っていたので、テントを諦め全員で鳥取大の幕営地へ向かうことにした。
途中、帰ってくる興梠・河原と合流。5人はカムイエクウチカウシ山を登らず、山頂を巻いて八の沢カールへ向かっていった。
 カールへ60mほど下った18:30頃、西井が後を振り向くとすぐ後ろに羆の姿が見えた。全員一斉に逃げ出す。
滝は横にそれてハイマツ(地を這うように生える高山帯のマツ)に身を隠していると、羆は脇を通り過ぎ、河原に襲い掛かる様子が見えた。
「ギャーッ」という河原の叫び声が響き、直後には「チクショウ!」と叫びながら、
河原は足を引きずりカールの方へ逃げていった。それが河原の最後の姿となった。
竹末が声をからして鳥取大パーティーに助けを求めると、彼らはホイッスルを吹き焚き火をしてくれた。
その後鳥取大はテントや荷物を残したまま、助けを求めに麓へ下りていった。
 竹末は滝の隠れた場所にやってきて全員集合をかける。河原は襲われ行方が知れず、西井はまもなくやってきたが興梠の姿が見えなかった。
興梠の名前を呼ぶと遠くで1回だけ応答する声が聞こえたが、その後は結局姿を現さなかった。
竹末・滝・西井の3名は岩場に隠れて夜を過ごすことにした。
 一方、はぐれた興梠はしばらくハイマツに身を隠していた。竹末の呼ぶ声は聞こえていたが、内容や方角が不明で合流出来なかった。
鳥取大のテント方面を見ると焚き火が見えたので、そちらに逃げようと進むと20m先に羆の姿が見えた。
羆がこちらに向かってくるので、崖に登って羆めがけて岩を投げる。羆がひるんだところで八の沢カールまで一目散に下り、鳥取大のテントへ駆け込んだ。
しかし、すでに鳥取大のパーティーは下山した後であり、テントはもぬけの殻だった。
興梠は残っていたシュラフに入り、気持ちを落ち着かせ息をひそめていた。
幸いにも羆はテントに現れず、連日の疲れもあって興梠はいつしか眠りについた。

 明けて27日。濃い霧のため視界は5mほどしかなかった。岩場の3人は8:00から河原と興梠を探すために行動を開始する。
するとすぐ羆が姿を現し、「ガウア」と叫ぶと3人に襲いかかってきた。
竹末が熊を押しのけカールの方へ逃げ出すと、羆は彼の後を追っていった。竹末はこれが最後の姿となった。
 一方の興梠はテントに滞在したままだった。
7:00頃に下山しようとテントの外を見るが、すぐそばに羆がいたので断念してテントに残る。
その後も興梠はテントにとどまり、やがて羆に襲われたものと思われる。
 残った滝と西井はなんとか下山し、13:00に砂防ダムの工事事務所で車をつかまえ、
18:00には中札内駐在所へ着いて警察に通報した。
 
 28日に救助隊が編成され現地へ向かったが、29日に竹末・河原の2名が、30日には興梠がそれぞれ遺体で発見された。
遺体は着衣は剥ぎ取られ裸にベルトだけが巻かれている状態で、顔半分がなかったり、
腸が引きずり出されていたり、鼻や耳や性器といった突起物が引きちぎられていたりと、
目を背けたくなるような有様であったという。
加害箇所は頸部・顔面及び鼠蹊部・陰部肛門に集中していた。
検視によると死因は「頸椎骨折および頸動脈折損のよる失血死」であった。
※遺体の状況詳細
・竹末
衣服は全く身に着けておらずうつ伏せの状態で足を拡げ、両手を強く握りしめていた。
顔面の右半分がひどく損傷し頸動脈を切られ血液が流出して身体は白くなっていた。
胸部・背・腹部には羆の爪痕が無数に残っていた。
・河原
衣服は全く身に着けておらずうつ伏せの状態で顔面は竹末より酷く損傷して判別できない状態だった。
全身にかなり羆の爪痕があり、腹部はえぐられ内臓が露出し、頸動脈を切られていた。
・興梠
衣服は全く身に着けておらず顔面左半分が陥没ししていた。全身には爪痕が残り腹部はえぐられ内臓が露出しており、
頸骨が骨折していた。

 3名を襲った羆は29日にハンターによって射殺される。推定4歳のメスだった。ハンター達は風習に従い、羆の肉を食べたという。
胃の内容物からは遺体が出てこなかったことから、純粋に排除が目的であったと思われる。
一度キスリングを奪った羆は、それを自分の所有物と認識し、取り返されたことでパーティーのメンバーを敵と認識し、
排除するために襲いかかったのであろう。
 遺体は天候が悪く損傷も激しいため、麓に下ろすことを諦め現地で荼毘に付されることになった。
冷たい雨が降り続く中、遺体を焼く煙が静かに立ち上っていた。。
 事件1年前の8月、事件現場近くの幌尻岳で国体登山大会の北海道予選が行われていたが、
そこに羆が現れ参加者が襲われ逃げ惑うという出来事があった。この羆は今回3人を襲った羆と同じと思われる。

 
★興梠の遺体のそばには彼の遺したメモがあった。26日以降の部分を以下に掲載する。
{※実物メモ映像を元に、文面を出来る限り実物通りに再現しました。
最後の部分に、今まで転記されずにいた文言があることが分かったので追加しています。}

『7月26日
 17:00 夕食後クマ現われる。テントを脱出鳥取WVのところに救助を求めにカムイエク下のカールに下る。

 17:30 我々に、クマがおいつく。
 河原がやられたようである。オレの5m横、位置は草場のガケを下ってハイ松地帯に入ってから20m下の地点。
それからオレもやられると思って、ハイ松を横にまく。するとガケの上であったので、ガケの中間点でいきをひそめていると、
竹末さんが声を、からして鳥取WVに助けを、求めた。オレの位置からは下のようすは、全々わからなかった。クマの音がきこえただけである。
しかたないから、今夜はここでしんほうしようと10〜15分ぐらいじっとしていた。
 竹末さんがなにか大声で言っていたが、全然聞きとれず、クマの位置わからず。それから、オレは、テントをのぞいてみると、
ガケの方へ2〜3カ所たき火をしていたので、下のテントにかくまってもらおうとガケを下る。
 5分ぐらい下って、下を見ると20mさきにクマがいた。オレを見つけると、かけ上ってきたので、いちもくさんに逃げ、少しガケの上に登る。
まだおっかけてくるので、30cmぐらいの石をなげる。失敗である。ますますはいあがってくるので、15cmぐらいの石をハナをめがけてなげる。あたった。
それからクマほ10m上方へあとさがりする。こしをおろして、オレをにらんでいた。
オレはもうくわれてしまうと思って、右手の草地の尾根をつたって下までいちもくさんに、にげることを決めにげる。
 前、後へ、横へところび、それでもふりかえらず、前のテントめがけて、やっとのことでテント(たぶん6テン)の中にかけこむ。しかし、だれもいなかった。
しまった、と思ったが、もうておくれである。中にシュラフがあったので、すぐ一つをとりだし、中にはいりこみ、大きな息を調整する。
 もうこのころは、あたりは暗くなっていた。しばらくすると、なぜかシュラフに入っていると、安心感がでてきておちついた。
それからみんなのことを考えたが、こうなったからにはしかたがない。昨夜もねてなかったから、このままんねることにするが、風の音や草が、いやにきになってねられない。
 明日ここを出て沢を下るか、このまま救助隊をまつか、考える。しかし、どっちをとっていいかわからないので、鳥取WVが無事ほうこくして、救助隊をくることを、いのってねる。

27日
 4時ごろ、目がさめる。外のことが気になるが、おそろしいので、8時までテントの中にいることにする。
テントの中をみまわすと、キャンパンがあったので中をみると、ごはんがあった。これで少しほっとする。
上の方は、ガスがかかっているので、少し気もちわるい。
もう5:20である。また、クマが出そうなよかんがするので、またシュラフにもぐりこむ。
 あー、はやく博多に帰りたい。

 7:00 沢を下ることにする。にぎりめしをつくって、テントの中にあったシャツやくつ下をかりる。
テントを出てみると、5m上にやはりクマがいた。とてもでられないので、このままテントの中にいる。

 8:00ごろまで、(判読不能)しかし(判読不能)を、とおらない。他のメンバーは、もう下山したのか。
鳥取WVはれんらくしてくれたのか。いつ、たすけにくるのか。すべて不安で、おそろしい。
またガスが、こくなってぶきみである』



※福岡大学ワンゲル事件と似たケースが、昭和37年7月25日に芦別岳で起きている。
札幌商業高校山岳部がテントを張っていると羆が現れ、缶詰をあさり始める。
最初は福岡大パーティーと同じように写真を撮ったりしていたが、
羆がテントの周りを回り始めると「逃げろ」の声とともに逃げて難を逃れている。
しかし2年生の部員だけが靴を履いていなかった為逃げ遅れ、
羆に翌朝まで13時間にもわたって執拗な追跡を受けた。
やがて彼は疲れて立ち止まり、もう逃げ切れないどうにでもなれと思って、岩陰に座り込んで寝込んでしまう。
目を覚ますと羆も眠っているのでなんとか逃げ出すことができた。

◎事件新聞報道
北海道新聞1970(昭和45)7月28日朝刊
「クマに襲われ三人不明 日高山系縦走の福岡大パーティー テント裂き三日間追う」

日高山系を縦走中の福岡大学ワンダーフォーゲル同好会のパーティー五人がクマに襲われた。
二十五日午後から二十七日朝まで、逃げる学生たちに執拗につきまとい、次々と鋭いツメを振るってうち3人が行方不明となっているが、
身のたけ2メートルという凶暴な大グマだけに、その安否が気遣われている。
27日午後4時ころ、十勝管内中札内村の帯広署中札内駐在所に、パーティーのうち2人がかけつけ、
「札内川上流九の沢付近のキャンプ地でクマに襲われ、パーティーの他の3人が行方不明になった」と届けた。
2人の話によると、一行は25日午後3時ごろ、日高山系1,900メートルのあん部でテントを張ったところクマが出てきたので、
ラジオをかけっぱなしにし、見張りを立てて宿営した。翌26日は、午前3時に起き、食事をして出発しようとしたところ、
突然クマにテントを破られたため南のカムイエクウチカウシ山の方向へ逃げた。
同日(26日朝)午前7時ごろ、2人は下山して八の沢付近で出会った北海学園大山岳部パーティーにハンターを要請するよう頼んだ。
このあと同パーティーに食糧をもらって再び他の3人と合流、カムイエクの方へ約1時間歩いたところでテントを張った。
午後6時半ごろまたクマが現れたので、一行は一緒になってカムイエクの方へ逃げた。
この途中で1人が、ハイマツ地帯に逃げ込んだが、「ギャー」という叫び声とともに傾斜面をころがり落ちていくのを目撃された。
残った4人は声をかけ合いながらハイマツ地帯を上がって逃げたが、途中で別の1人の声が聞こえなくなった。
残る3人は同夜(26日夜)、岩場の陰で一夜を明かし、27日朝、安否を確かめようと出発したが、この朝は霧がかかり、
草地のあたりでその霧の中から2メートル足らずの目の前に茶色がかったクマが突如現れ、さらにもう1人に襲いかかり、クマとともに行方がわからなくなった。
2人の話では襲ったのは同じクマで、立ち上がったときの背たけは2メートル以上あったという。
一行が襲われた現場付近ではこの3日間にクマが5回も出没、地元の中札内山岳会などが警告していた。
今後の対策については、28日午前10時ごろ同大の学生部長、西島ワンダーフォーゲル同好会顧問らの到着を待って
十勝遭対協、帯広署、地元山岳会が協議した上決めることになった。
一行は入山届けを出しておらず、大学へ提出していたスケジュールによると14日十勝管内清水町御影から入山、
カムイエクウチカウシ山、ぺテガリ岳、ポンヤオロマップ岳を経て26日、同管内大樹町坂下におりてくることになっていた。
生存者2人の話;はじめクマが出たときは、こわいというよりも珍しかった。その後は、仲間が次々に襲われるたびになにもかも投げ出して、ただ逃げるだけが精一杯だった。

◎参考文献
『昭和45年度 北海道日高山脈夏季合宿遭難報告書』福岡大学ワンダーフォーゲル同好会 ※北海道立図書館蔵(館内で閲覧可)

『ひぐま その生態と事件』 ※当事件の詳細記述有

『北の山脈 創刊号』(1971)

◎参考サイト
北の街角Snow Box「カムエクの教訓」
http://www.ne.jp/asahi/snow/office/tozan/kamueku/k...
オワリナキアクム「福岡大ワンゲル部・ヒグマ襲撃事件」
http://yabusaka.moo.jp/hukuokadai-higuma.htm

◎事件動画[1970.7.26 福岡大ワンゲル部・羆襲撃事件]
(1/5)http://www.youtube.com/watch?v=ZG7hD4X8pK4
(2/5)http://www.youtube.com/watch?v=GlypGYv_16k
(3/5)http://www.youtube.com/watch?v=LnaHxkEUaws
(4/5)http://www.youtube.com/watch?v=sZR5_A_7joY
(5/5)http://www.youtube.com/watch?v=uHb9tuf_5Sw

◎福岡大ワンゲル同好会ヒグマ事件掲載本



◎ヒグマ関連本








×

この広告は60日間更新がないwikiに表示されております。

注目の本

自然災害/事故/危険生物の本


三毛別ヒグマ襲撃事件の本




芽殖孤虫を知る本



新刊案内



twitter

メンバーのみ編集できます