テキストは宮沢賢治の詩集「春と修羅」から。
銀河廻廊
正しく強く生きるということは
みんなが銀河全体を
めいめいとして感ずることだ
……蜜蜂のふるいのなかに
滝の青い霧を降らせ
小さな虹をひらめかす
いつともしらぬすもものころの
まなこあかるいひとびとよ……
並木の松の向こうの方で
いきなり白くひるがえるのは
どれか東の山地の尾根だ
(祀られざるも
神には神の身士がある)
ぎざぎざの灰いろの線
(まことの道は
誰が考え誰が踏んだというものでない
おのずからなる一つの道があるだけだ)
ここはたしか五郎沼の岸で
西はあやしく明るくなり
くっきりうかぶ松の脚には
一つの星も通って行く
……今日のひるま
ごりごり鉄筆で引いた
北上川の水部の線が
いままっ青にひかってうかぶ……
わたくしはこの黒いどてをのぼり
むかし竜巻がその銀の尾をうねらしたという
この沼の夜の水を見ようと思う
……水部の線の花紺青が
火花になってぼろぼろに散る……
暁穹への嫉妬
薔薇輝石や雪のエッセンスを集めて、
ひかりけだかくかゞやきながら
その清麗なサファイア風の惑星を
とかさうとするあけがたのそら
さっきはみちは渚をつたひ
波もねむたくゆれてゐたとき
星はあやしく澄みわたり
過冷な天の水そこで
青い合図をいくたびいくつも投げてゐた
それなのにいま
(ところがあいつはまん円なもんで
リングもあれば月も七っつももってゐる
第一あんなもの生きてもゐないし
まあ行ってみろごそごそだぞ)と
草刈が云ったとしても
ぼくがあいつを恋するために
このうつくしいあけぞらを
変な顔して 見てゐることは変らない
変らないどこかそんなことなど云はれると
いよいよぼくはどうしていゝかわからなくなる
……雪をかぶったはひびゃくしんと
百の岬がいま明ける
万葉風の青海原よ……
滅びる鳥の種族のやうに
星はもいちどひるがへる
春と修羅
心象のはひいろはがねから
あけびのつるはくもにからまり
のばらのやぶや腐植の湿地
いちめんのいちめんの諂曲模様
(正午の管楽よりもしげく
琥珀のかけらがそそぐとき)
いかりのにがさまた青さ
四月の気層のひかりの底を
唾し はぎしりゆききする
おれはひとりの修羅なのだ
(風景はなみだにゆすれ)
砕ける雲の眼路をかぎり
れいろうの天の海には
聖玻璃の風が行き交ひ
ZYPRESSEN 春のいちれつ
くろぐろと光素を吸ひ
その暗い脚並からは
天山の雪の稜さへひかるのに
(かげろふの波と白い偏光)
まことのことばはうしなはれ
雲はちぎれてそらをとぶ
ああかがやきの四月の底を
はぎしり燃えてゆききする
おれはひとりの修羅なのだ
(玉髄の雲がながれて
どこで啼くその春の鳥)
日輪青くかげろへば
修羅は樹林に交響し
陥りくらむ天の椀から
黒い木の群落が延び
その枝はかなしくしげり
すべて二重の風景を
喪神の森の梢から
ひらめいてとびたつからす
(気層いよいよすみわたり
ひのきもしんと天に立つころ)
草地の黄金をすぎてくるもの
ことなくひとのかたちのもの
けらをまとひおれを見るその農夫
ほんたうにおれが見えるのか
まばゆい気圏の海のそこに
(かなしみは青々ふかく)
ZYPRESSEN しづかにゆすれ
鳥はまた青ぞらを截る
(まことのことばはここになく
修羅のなみだはつちにふる)
あたらしくそらに息つけば
ほの白く肺はちぢまり
(このからだそらのみぢんにちらばれ)
いてふのこずゑまたひかり
ZYPRESSEN いよいよ黒く
雲の火ばなは降りそそぐ
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