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ここはでもにっしょんch ぼくの考えたサーヴァントスレに投稿されたサーヴァントを纏めるwikiです。

基本情報

【元ネタ】日本史 戦国時代 江戸時代
【CLASS】セイバー
【真名】福島正則
【異名・別名・表記揺れ】市松 高斎 市兵衛
【性別】男性
【身長・体重】160cm・52kg
【外見・容姿】名剣八振りを腰や背中にごちゃごちゃと装備した、豪傑風の武者姿。意外に身長は低い。
【属性】混沌・善
【天地人属性】人
【その他属性】人型
【ステータス】筋力B+ 耐久B 敏捷B 魔力D 幸運C 宝具C+

【クラス別スキル】

対魔力:C

 第二節以下の詠唱による魔術を無効化する。
 大魔術、儀礼呪法など大掛かりな魔術は防げない。

騎乗:B

 騎乗の才能。大抵の乗り物なら人並み以上に乗りこなせるが、
 魔獣・聖獣ランクの獣は乗りこなせない。

【固有スキル】

加虐体質:B+

 戦闘において、自己の攻撃性にプラス補正がかかるスキル。
 プラススキルのように思われがちだが、これを持つ者は戦闘が長引けば長引くほど加虐性を増し、普段の冷静さを失ってしまう。
 酒に酔うと効果がさらに増強され、度を越して凶悪粗暴なバーサーカーの如き存在へと豹変する。
 なお、酔いが冷めた後、酔っ払っていた時の記憶は残らない。

カリスマ:D+

 軍団を指揮する天性の才能。団体戦闘において、自軍の能力を向上させる。支配階級としての威圧を示すものでもある。
 人々の心は彼に叛き親しむこと無く、ただ悪鬼天狗のように恐れていた、との評もあるが、多くの士が付き従った。

鑑識眼:C

 人間観察を更に狭くした技術。
 対象となる人間が将来的にどのような形で有用性を獲得するかの目利きに優れている。
 福島正則の家臣団は有能の士が多く、改易後も家臣たちは他家で重用されるようになった者が多かったという。

【宝具】

御供八剣大明神ごくうやつるぎだいみょうじん

ランク:C+ 種別:対人宝具 レンジ:− 最大捕捉:1人
 人柱(生贄)の身代わりとなって洪水を防いだという名剣八振。
 堤防が洪水で決壊した折、人々が人柱によって流水を防ごうとしていたところ、福島正則が名剣八振を人柱の身代わりとして堰き止めたという逸話から。
 真名を開放する事で八つの剣が一体となり、強固な魔力防壁を形成する。
 防壁の強度は受け止める攻撃の規模(攻撃範囲)が大きいほどに強くなり、自然の猛威や神の手による攻撃に対してはさらに強度が上昇する。

【Weapon】

『日本号』

 ランサークラスの場合、所有する大槍。
 黒田家の母里友信が酒豪と知らずに大杯を勧め「呑み干せたならば好きな褒美をとらす」と言ってしまい、褒賞として呑み取られたという。

『赤坊主』

 20領の朱塗の甲冑。曰く福島正則は「赤坊主」と呼ばれる朱塗りの甲冑を旗下精鋭20騎に与え、常に先陣を争わせたという。
 その逸話からか、魔力を込める事で動き出し、福島正則と共に戦う事が可能。

【解説】

 戦国時代・江戸時代の武将・大名。賤ヶ岳の七本槍の筆頭とされ秀吉子飼いの七将にも数えられる。
 秀吉麾下の猛将として良く知られるが、統治者、官僚としても優秀だった。
 しかしながら激情家でもあり、特に酒が入ると豹変し、残酷粗暴の振る舞いが多かったという。
 晩年は広島城の無断修繕を幕府に咎められた際、横柄な態度を取った為に改易された。

 †

 福島正信の実子とも養子とも言う。羽柴秀吉の縁戚であった為にその小姓となった。
 賤ヶ岳の戦いでは敵の猛将・拝郷家嘉を討ち取り、賤ヶ岳七本槍の筆頭として喧伝される。
 小牧・長久手の戦い、根来寺攻め、四国征伐にも従軍し、伊予国に11万3千石余りを有する大名となった。
 肥後国検知にも参加し、武辺以外の吏僚としての職務もこなしていたようである。

 小田原征伐にも従軍し韮山城の包囲に参陣して功があり、豊臣秀吉政権の若手有力者として台頭。
 李氏朝鮮との戦争、いわゆる文禄の役でも活躍する。
 諸将と共に京畿道の攻略にあたった後、水陸の兵站確保に腕を振るい、ゲリラ戦を展開する朝鮮軍とも戦闘を繰り広げた。
 慶長の役には参加しなかったが、秀吉が死去しなければ石田三成らと共に援軍として派遣される軍勢の大将として抜擢される予定だったという。

 これより先、福島正則は尾張清洲に加増転封されており、東国に睨みを効かせる立場として配置されていたが、秀吉が没した後は東国に領地を持つ重鎮・徳川家康に急接近。
 徒党を組む事を禁ずる秀吉の遺言を無視し、お互いの養子に婚姻を結ばせて関係を強化した。
 なおこの遺言は先に石田三成らにも無視されており有名無実なものだったが、後に家康を糾弾する政治的材料の一つとされた。(浅野長政を除く四奉行と毛利輝元が徒党を組んだ起請文が残されている)

 石田三成襲撃事件は存在しないという説が有力だが、石田三成に対する集団訴訟には名を連ねており、秀吉没後には対立関係になっていたと見られる。
 この集団訴訟は家康によって仲裁され、ひとまず三成を謹慎させる一方、三成の嫡子・重家の出仕を認めるという形で決着。
 未遂に終わった前田利長の征伐では三成側が家康に援軍を派遣するなど両派の関係が改善される傾向も見受けられたが、家康が上杉景勝の征伐の為に畿内を留守に折に、石田三成らが挙兵した事で対立は決定的なものとなる。

 上杉征伐に従軍していた正則は、征伐を取りやめて西上するという家康の意思に賛同し、秀吉が家康に対する備えとして預けていた30万石もの兵糧を提供するという大博打を打つ。
 しかし、徳川家は大規模な軍勢の兵站を捌くノウハウがなかったのもあってか、せっかく提供された兵糧を生かせず、行動は大幅に遅延。
 あまりに遅さに正則は激怒し、家康が来る前に諸大名と共に独断で戦端を開き、怒涛の勢いで攻め上げて僅かな間に岐阜城を攻め落とし、慌てた家康が自分が到着するまで自制するよう促す程であった。

 天下分け目となった関ヶ原の戦いでは、福島正則は井伊直政に抜け駆けされ先陣の功を奪われた後、宇喜多秀家の軍勢と激闘を繰り広げた、とされる。
 ただし関ヶ原の戦いの説話については多くは二次史料を出展とする物で信頼性は低く、小早川秀秋が開戦前に裏切りあっさりと決着したのではないかという説もある

 関ヶ原の戦いが家康率いる東軍の勝利に終わると、正則は先の功績を高く評価され、安芸・備後2ヶ国49万8000石を領する大大名となる。
 西国を警戒する要害の地を任された事からもその力量は徳川側に評価されていたと思しく、統治においても善政を敷いて毛利家の時代よりも豊かなものとした。
 しかし、自らの功績を誇ってか徳川に対して不遜な動きが目立つようになり、領内の城の増改築などを巡って徳川の怒りを買う事も多くなる。
 大坂の陣でも直接的に豊臣家に味方する事はなかったが、密かに兵糧の提供を行うなど、かつての主家を立てたとも徳川家への背信とも取れる行動を見せている。

 それでも徳川家に対する大功の持ち主である事もあって、参議へ昇進させるなど徳川幕府も協調していく姿勢を見せていた。
 正則が城を無断で修繕した事についても修繕した分の破棄という事で決着させるなど気遣いを見せている。
 しかし、正則は幕府の命令を誤魔化して実質的に不履行にするなどなおも不遜な態度を見せた為、時の将軍・秀忠の怒りを買い、ついに信濃・越後2ヶ国の4万5000石に減封される事となった。

【人物像】

 一見は短気で直情的。豪放磊落な人情家。ややもすれば子供っぽい可愛げも見える人物。
 だが、そうした振る舞いは「粗にして野だが卑ではない武辺者」と見せかける為に半ば意図的に行った結果で、見た目とは裏腹に頭がキレ几帳面という一面もある。
 普段の態度はある種の人心掌握術であり、戦国の世における処世術であり、粗暴な行動を容認させる為の政治的な振る舞いでもある。
 そこを図り違え幼稚な単細胞と見誤れば足元をすくわれる事となるだろう。
 ──こうした振る舞いと諸々の計算の為に常時かなりのストレスを溜め込んでおり、アルコールが入るとストレスの爆発で癇癪・残酷の気がいや増す酒乱癖の持ち主でもある。

 陰徳太平記に拠る評価では「酒が入っていない時はあまりに理屈を強く重視し、そのため愛という事を知らず、小さな罪も許さず与える罰は常に賞に勝るものだった」と言う。
 他の史料にも似たような評があるが、一方で律儀な面や人情を見せたエピソードを記した史料も散在している。総じて酔ってさえいなければ道理を弁えて動く人物だと言えよう。
 晩年は頭脳のキレが衰え、家臣団を統制する為の豪傑風の振る舞いも足かせになり、ついには時勢を読み違えて減転封の憂き目を見た。

【関連人物】

織田信長

織田家に属していた頃はまだ若年だった為か、あまり印象に残っていないとの事。
ただ秀吉が恐れつつも慕っていた事だけは知っている。

豊臣秀吉

かつての主君。晩年の所業を目にしてなお慕っている相手でもある。
家康に就いた事を恥じるつもりはないが、主家の滅亡を防げなかった事には思うところはある。

茶々

大坂の陣で味方しなかった事を恨まれているだろう、と思っており、合わせる顔がない。おかげで酒量が増えた。

千子村正

曰く、福島正則もまた徳川家を祟るとされる妖刀村正を多く所持していたという。
単に数打ち(量産品)の中で優れた刀だったからだと思われるが、後世の目からは徳川家に対する隔意とも見えただろう。

【コメント】

加藤清正公は鯖化したのを見かけるのに市松はなぜないのだろうと思い作成。

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