最終更新:ID:6QopHpHODw 2022年06月13日(月) 23:10:55履歴
【元ネタ】三国演義
【CLASS】キャスター
【真名】彭羕(彭ヨウ)
【異名・別名・表記揺れ】永年(字) 永言(演義での字)
【性別】男性
【身長・体重】185cm・95kg
【外見・容姿】身長八尺、容貌魁偉。髠刑の影響か頭髪は短め。
【地域】中国
【年代】三国時代
【属性】混沌・中庸
【天地人属性】人
【ステータス】筋力E 耐久E 敏捷D 魔力B 幸運E 宝具D
【CLASS】キャスター
【真名】彭羕(彭ヨウ)
【異名・別名・表記揺れ】永年(字) 永言(演義での字)
【性別】男性
【身長・体重】185cm・95kg
【外見・容姿】身長八尺、容貌魁偉。髠刑の影響か頭髪は短め。
【地域】中国
【年代】三国時代
【属性】混沌・中庸
【天地人属性】人
【ステータス】筋力E 耐久E 敏捷D 魔力B 幸運E 宝具D
魔術詠唱を早める技術。
自身の修める方術・妖術のレベルは一流とは言えないが、詠唱のスピードは一流の魔術師と同格である。
正しく配置された思考の手順、常人離れした思考速度が成せる技だろう。
自身の修める方術・妖術のレベルは一流とは言えないが、詠唱のスピードは一流の魔術師と同格である。
正しく配置された思考の手順、常人離れした思考速度が成せる技だろう。
ランク:D 種別:対人宝具 レンジ:1 最大捕捉:1人
殷周の時代、彭遵が用いた宝貝。菡萏陣とも言う。菡萏とは蓮の花の意。
数多の蓮の花に似た宝具で、地面に撒く事で三才八卦の方位に合わせて陣を形成する。
この陣は一種の地雷のような物であり、何者かが足を踏み入れると、その肉体を強烈な雷火で焼き払う。
オリジナルは肉体を分子レベルで分解する程の威力を持っていたが、彭羕のそれは模造品であり、威力はオリジナルに及ばない。
殷周の時代、彭遵が用いた宝貝。菡萏陣とも言う。菡萏とは蓮の花の意。
数多の蓮の花に似た宝具で、地面に撒く事で三才八卦の方位に合わせて陣を形成する。
この陣は一種の地雷のような物であり、何者かが足を踏み入れると、その肉体を強烈な雷火で焼き払う。
オリジナルは肉体を分子レベルで分解する程の威力を持っていたが、彭羕のそれは模造品であり、威力はオリジナルに及ばない。
劉璋、劉備に仕えた人物。
諸葛孔明、法正に並び評される才幹を持ち、龐統にも評価されたが、野心と驕慢さを諸葛孔明に忌み嫌われ、左遷。後、反乱を企て処刑された。
同郷の秦宓に推挙され劉璋に仕えたが重用されなかった。
また傲慢さを周囲に忌み嫌われて讒言を受け、労役囚に身を落とした。
劉備が劉璋を裏切って入蜀の戦いを始めると、彭羕は劉備の入蜀を手引した法正の知人であった事や、劉備の軍師・龐統に高く評価された事によって劉備陣営に参画。
劉備は彭羕を奇才と評価し、軍務においてよく主君の意に適い、日に日に重用されるようになったという。
しかし、劉備の腹心の一人である諸葛孔明は、彭羕を表向きはもてなしていたが、寵遇を誇る驕慢さを不快に思い、また危険視した。
劉備も諸葛孔明の意を受けて彭羕の行状を観察した結果、次第に疎ましく思うようになり、ついには遠方に左遷する事となった。
彭羕は劉備を恨み、馬超の下を訪れると劉備を「老革(老いぼれの意)」と罵倒した上で「内政を自分が、外征を馬超が担当すれば天下は思い通りになる」と反乱を唆した。
だが馬超に反乱の意思はなく、かえってこの件を上層部に報告し、彭羕は逮捕された。
彭羕は獄中から弁明の手紙を送ったが容れられず、結局処刑された。
演義では入蜀の戦いの折に龐統に引きつられて劉備の陣営を訪れ、ラク城が水攻めに遭う危険性を警告。これが劉備に評価され、臣下となった。
後年、友人の孟達が関羽を見殺しにして立場を悪化させた事を受けて孟達に書簡を送った。
この書簡を手に入れた馬超が彭羕の下を訪れて真実を探ると、彭羕は孟達も絡めた反乱計画に馬超を誘うも、密告されて処刑された。
諸葛孔明、法正に並び評される才幹を持ち、龐統にも評価されたが、野心と驕慢さを諸葛孔明に忌み嫌われ、左遷。後、反乱を企て処刑された。
同郷の秦宓に推挙され劉璋に仕えたが重用されなかった。
また傲慢さを周囲に忌み嫌われて讒言を受け、労役囚に身を落とした。
劉備が劉璋を裏切って入蜀の戦いを始めると、彭羕は劉備の入蜀を手引した法正の知人であった事や、劉備の軍師・龐統に高く評価された事によって劉備陣営に参画。
劉備は彭羕を奇才と評価し、軍務においてよく主君の意に適い、日に日に重用されるようになったという。
しかし、劉備の腹心の一人である諸葛孔明は、彭羕を表向きはもてなしていたが、寵遇を誇る驕慢さを不快に思い、また危険視した。
劉備も諸葛孔明の意を受けて彭羕の行状を観察した結果、次第に疎ましく思うようになり、ついには遠方に左遷する事となった。
彭羕は劉備を恨み、馬超の下を訪れると劉備を「老革(老いぼれの意)」と罵倒した上で「内政を自分が、外征を馬超が担当すれば天下は思い通りになる」と反乱を唆した。
だが馬超に反乱の意思はなく、かえってこの件を上層部に報告し、彭羕は逮捕された。
彭羕は獄中から弁明の手紙を送ったが容れられず、結局処刑された。
演義では入蜀の戦いの折に龐統に引きつられて劉備の陣営を訪れ、ラク城が水攻めに遭う危険性を警告。これが劉備に評価され、臣下となった。
後年、友人の孟達が関羽を見殺しにして立場を悪化させた事を受けて孟達に書簡を送った。
この書簡を手に入れた馬超が彭羕の下を訪れて真実を探ると、彭羕は孟達も絡めた反乱計画に馬超を誘うも、密告されて処刑された。
他作品で分かりやすく言うならば、鬼滅の刃の獪岳みたいな人。
「姿性驕傲、多所輕忽」すなわち驕慢で人をぞんざいに扱う事が多かった。彭羕が尊敬していた人物は秦宓だけだったという。
確かに能力はあるのだが、それを遥かに上回るほどに自己評価が高く、他者を見下して憚らない為に敵意を向けられる。
そもそも劉備に売り込みを掛けた際も、囚人の身の上でありながら龐統が別の客に応対しているところを無断で訪れ、牀(ベッド)の上に寝っ転がった程である。
囚人の身分でこれなのだから、重臣となった後の態度は論ずるまでもないだろう。
こういう人物である為、マスターに対しても極めて反抗的。口調こそ丁寧だが慇懃無礼というところ。
自らに相応しい待遇ではない、と感じる事が少しでもあれば即座に裏切りの準備を始める程であり、また他者を当然のように見下すため他陣営と同盟を結ぶ事が非常に難しくなる。
彼自身が尊敬に値すると認めた相手にはまともな対応を見せる事もあるが、その場合も運用には細心の注意が必要となるだろう。
諸葛孔明は彭羕の気質を危険視し左遷するように働きかけたが、嫌悪の情や政治的な対立から陥れた、という見方は正確ではない。
諸葛孔明の人物評価は能力重視で、人品悪く関係も悪かった法正については、その能力を評価して不法行為に目溢しをしていた。
(正史においては)魏延や楊儀についても問題行動に目溢しをした点では同様であった。
張裕のような不遜な人物に対しても助命嘆願を行った事がある。(結局劉備に処刑されたが)
そんな諸葛孔明が、重用する方が自分たち全体の不利益になる人物だ、と判断していたのが彭羕であった。
劉封のように劉備没後の政治的不安要素になりえたわけでもない事を考えると、本当に酷い人格だったのであろう。
「姿性驕傲、多所輕忽」すなわち驕慢で人をぞんざいに扱う事が多かった。彭羕が尊敬していた人物は秦宓だけだったという。
確かに能力はあるのだが、それを遥かに上回るほどに自己評価が高く、他者を見下して憚らない為に敵意を向けられる。
そもそも劉備に売り込みを掛けた際も、囚人の身の上でありながら龐統が別の客に応対しているところを無断で訪れ、牀(ベッド)の上に寝っ転がった程である。
囚人の身分でこれなのだから、重臣となった後の態度は論ずるまでもないだろう。
こういう人物である為、マスターに対しても極めて反抗的。口調こそ丁寧だが慇懃無礼というところ。
自らに相応しい待遇ではない、と感じる事が少しでもあれば即座に裏切りの準備を始める程であり、また他者を当然のように見下すため他陣営と同盟を結ぶ事が非常に難しくなる。
彼自身が尊敬に値すると認めた相手にはまともな対応を見せる事もあるが、その場合も運用には細心の注意が必要となるだろう。
諸葛孔明は彭羕の気質を危険視し左遷するように働きかけたが、嫌悪の情や政治的な対立から陥れた、という見方は正確ではない。
諸葛孔明の人物評価は能力重視で、人品悪く関係も悪かった法正については、その能力を評価して不法行為に目溢しをしていた。
(正史においては)魏延や楊儀についても問題行動に目溢しをした点では同様であった。
張裕のような不遜な人物に対しても助命嘆願を行った事がある。(結局劉備に処刑されたが)
そんな諸葛孔明が、重用する方が自分たち全体の不利益になる人物だ、と判断していたのが彭羕であった。
劉封のように劉備没後の政治的不安要素になりえたわけでもない事を考えると、本当に酷い人格だったのであろう。
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