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菊池伸英(きくちのぶひで、1964年10月13日-)は愛媛県議会議員、元松山市議会議員、元松山市議会議長である。


人物

貧しい家の8人兄妹の長男に生まれる。(※1)父が岡、母親が菊池の姓を名乗るという特殊な家庭で育つ。(※2)中学の時から新聞配達や電気工事などのアルバイトで家計を支えた。松山工業高校定時制を卒業後に上京し、バーのウェーターや為替のディーラーなどの職を経験した。政治を志したのは29歳の時、父親が交通事故で脳や足に障害を持ったが、行政の手厚い支援がないことに矛盾を感じ、「弱者の意見を反映させたい」との思いだった。幼稚園と小学生の3人の娘がいる。(※朝日新聞2010年11月23日)8人きょうだいの長男。子供時代の家計は苦しく、中学時代はユニホーム代などの負担が重く2年生で野球部を退部。ブロック塀の積み上げ作業や新聞配達のアルバイトに励んだ。高校も定時制で働きながら学んだ。こうした体験と交通事故の障害に苦しむ父の姿が、政治へ進む原点。「弱者を助けたい。弱者の声を市政に反映させたい」と話す。94年に29歳で市議に初当選すると、4期目で議長、5期目はトップ当選と突っ走った。市議時代は自民に籍を置いたが、市長選では自民県連幹部の協議による一本化調整が納得できず、離党した。党組織を頼れず、「雲をつかむような戦い」と戸惑いもあったが、「選挙に関心がなかった女性や若者に、草の根で支持を広げたい」と意気込んでいる。今回の出馬でお預けになったが、来年度から通信制大学受講を考えていた。「大学に行きたい。すごく」。経済事情で果たせなかった進学の夢を今も持ち続けている。(

略歴

  • 松山市立雄郡小学校卒業
  • 松山市立雄新中学校卒業
  • 愛媛県立松山工業高等学校(定時制電気科)卒業
  • 1994年 松山市議会議員初当選
  • 1998年 松山市議会議員再選
  • 2002年 松山市議会議員3期目再選
  • 2005年 全国若手市議会議員の会会長就任・自民党松山支連総務会長就任
  • 2006年 松山市議会議員4期目再選
  • 2007年 第91代松山市議会副議長就任
  • 2008年 第92代松山市議会議長就任
  • 2009年 松山市議会議長留任
  • 2010年 松山市議会議員5期目再選、松山市長選挙落選
  • 2011年4月1日 愛媛県議会議員選挙に無所属で立候補
  • 2011年4月10日 愛媛県議会議員選挙25744票でトップ当選
  • 2012年 早稲田大学人間科学部人間環境科学科入学

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このページへのコメント

弟さんも素晴らしい人で昔大変お世話になりました。

1
Posted by ミュー 2017年09月23日(土) 01:22:37 返信

元ホストが政治家?

3
Posted by 松山市民 2013年10月08日(火) 20:41:03 返信

弟は最低人間だね

0
Posted by 松山市民 2013年10月08日(火) 20:39:48 返信

大増税するな

0
Posted by 憂 国 2013年03月03日(日) 14:41:48 返信

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