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どうして工学者たちは語ることができなかったのか、語ることができていないのか。工学者たちが原理的に語りえないものはなんなんか。夜が開ける前に、工学の限界の話をしよう。
工学をなりわいにしていたころのぼくは、なかんずくシミュレーションをなりわいにしていた。かつて日本に、造兵学科があった。名の通り、兵器を造る学科であった。戦後、造兵学科は精密機械工学科に改められた。兵器は精密機械だった。シミュレーションは、言うまでもなく弾道計算とともにあった。
ぼくが語ろうとすることは、畢竟、造兵学から始まり、シミュレーションと──そして、一般設計学に至った日本のひとつの工学の歴史に似るかもしれない。一般設計学は工学の糞なものを集めて、でっかいビチ糞に仕立て上げるという壮大な計画であった。ビチ糞の開祖、吉川弘之は東大総長を勤めた。
工学は、乱暴に定義するならば、否応なくどうしようもなく実学だ。資本主義の爆撃にさらされ、資本主義の爆撃を支援する学問だ。よろしいか、おおよそ、シミュレーションなるものはコスト削減のために行われる。一例を挙げよう。
自動車の試作車を造るにはおおよそ一億円かかる(取材したのは数年前だがそう変わるものでもあるまい)。これを実験に供する。つまり、実験には大きな元手と時間がかかる。実験を一回減らすためならば、企業はなんでもする。そこで、言うまでもない。シミュレーションの登場だ。
一般に考えられていることとは違って、コンピュータのなかのシミュレーションはおおよそどのようなものでも職人芸だ。条件をどのように設定するかによって、結果は大きく変わる。系がそれらしく振る舞いそうな条件を得るために実験で値を求めることなどざらである。
工学において(もしかしたら理学もそうかもしれないが、理学のことは知らない)、シミュレーションが多用された理由は至極簡単に説明できるだろう。工学がトライ・アンド・エラーの学問だったからだ。シミュレーションを用いれば──計算だけで実験できれば、トライ・アンド・エラーはとても容易だ。
明らかに転倒している。寓話をもって、その転倒を示そう。黒い箱がある。なにかすると、黒い箱がなにかを返す。ひととおり思いつくことをして、黒い箱がどんなものかを想像する。想像をコンピュータのなかに再現して、それからはコンピュータのなかでいろいろやってみる。どこかに、歪みがある。
シミュレーションが職人芸であるのは、──あるいはモデル化という言葉を前にひとが謙虚であらなければならないのは、つまり、こういう理由による。ひとたびシミュレーションが形作られたならば、ひとたびモデルが産み出されたならば、それはひとりでに闊歩しはじめるものなのだ。
ここまで「シミュレーションを用いた工学」の限界について、くだくだしく話してきた。もちろん、理由がある。二〇〇〇年、東京大学はシステム創成学科を設立した。乱暴に言えば、人気がないいくつかの学科、精密機械工学科・船舶海洋工学科・システム量子工学科・地球システム工学科を統合した。
東京大学工学部システム創成学科に含まれる学問は、かつての名前で言うならば、「造兵」「造船」「原子力」「鉱山」である。名前をこねくりまわした結果、「環境・エネルギーシステム」「シミュレーション・数理社会デザイン」「知能社会システム」になった。これは、いやいや、ただごとではない。
日本の工学とはつまりこういうものだ(すくなくとも私の知る限りにおいて)。官僚が国体を護持したように、あの戦争に奉仕した学問は温存され、わけの判らない横文字を名に関して──そのひとつがシミュレーションだ──、生き延びている。そ奴らが日本の製造業を営んでいる。
そのような工学から一般設計学は生まれた。ボリス・ヴィアン風に言うならば、一般でも設計学でもないから一般設計学とでも言えようか。一般設計学は暗黙知という日経用語(今風に言うならばバズワード)を開発した後、敗北した。暗黙知などという言葉からして、敗北主義の臭いがぷんぷんする。
工学は信じるに足りない。工学は信じるような類いのものではありえないし、ありえなかったし、これからもありえないだろう。けれども、日本の「ものづくり」や「安全神話」に空虚な自信を持つ前に、いやしくも工学者ならば己の出自を問い返してしかるべきだ。それから、語るか沈黙するかを択ぶべきだ。

http://twilog.org/csn7/date-110321

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