『Ceonsoyclopedlia』は、Censor(検閲)にまつわるEncyclopedlia(百科事典)です。旧称『表現規制用語集』。民主主義社会の根幹をなす最重要の「人権」である表現の自由――その規制・弾圧・バッシングにまつわる事例や用語について、あらゆる知識を保存伝達するためのサイトです。

 法学説上の用語。
【刑法175条】などの「わいせつ性」判断基準として、その文書の頒布や販売の方法、ターゲット層など、文書内容以外のものも考慮すべきだという考え方。判例では援用されていないが、刑法学者の大塚仁・団藤重光・西田典之などが主張している。


 判例では、【刑法175条】などの「わいせつ」性を判断するにあたっては、チャタレイ事件最高裁判決では「たとえ芸術性や科学性を備えた文書であっても、部分的にでもわいせつ性が認められれば、わいせつ性を失わない」としている。
 その後、悪徳の栄え事件最高裁判決では「文書全体の関連において判断」するとしている。
 四畳半襖の下張り事件最高裁判決では「文書全体としてみたとき、主として読者の好色的興味に訴えるかどうか」という検討基準が示された。
 すなわちチャタレイ事件をひとつの頂点として、社会の実情に従いだんだんと緩和されていく傾向にあると言えるが、これらの反例はいずれも「その文書の中で」一部でもわいせつ性があるからわいせつ文書とすべきか、それとも文書の他の部分も考慮すべきかという判断でをしているに過ぎない(ただし悪徳の栄え事件最高裁判決では、田中二郎裁判官が反対意見の中で「作品のもつ芸術性・思想性およびその作品の社会的価値との関連において判断すべき」と相対的わいせつ概念を主張している)。
 それに対し相対的わいせつ概念は、文書以外の頒布方法や客層を考慮しようという点で違っている。

 いっけん「わいせつ」の範囲を狭め、表現者の味方側の概念のようであるが、刑法学者の山口厚は「わいせつ概念をむしろ拡張する論理」として問題があるとしている。同意見の刑法学者に、大谷実・中森喜彦など。

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