Censoyclopedia:センサイクロペディア - 【差別の歴史を学べ】
 ある「差別表現」について表現をバッシングする側が、その表現がいけない根拠を問われて答えられないとき、あるいは反論を受けて再反論ができなくなった際に、苦し紛れに出してくる命令文。
 要するに「過去のクレーム事件でクレーム側の要求が通ったんだからお前も従え」という意味である。
 普通に考えれば過去のクレーム事件の際、クレームした人物なり誰なりが論理的にその根拠を(現代人の反論に耐えるレベルで)説明できていたのであれば、それを引用してくれば良いだけの話である。

 しかしそれができないのである。
 その理由は、
1.言っている本人も過去の歴史など勉強しているわけではない
2.そもそも論理的な説明の根拠になる「過去の歴史」など存在しない

 ほとんどの場合、または1と2が両立するか、または2のみであると考えられる。
 1のみ、すなわち「本当はしっかりした論理的理由があるが、話者が知らないだけ」というケースはほとんどない。

 なぜならば反差別運動の「先人」による差別表現へのクレームもまた、集団による嫌がらせや怒号、圧力に過ぎなかったことは、現在の現在のフェミニストやポリティカル・コレクトネス等による「炎上」「キャンセル・カルチャー」同様であったに違いないからである。たまたまネットや録音録画機器等が手軽でなかった時代においては、その詳細が残っていないからその部分の再検討を免れているに過ぎない。
 そして当時のクレーム側の理論構成も、その時の「流れ」で口走られた言葉に過ぎず、クレーム集団による暴力的な力関係のもと、ろくな反論も受けずにすんでいるだけである。言い換えれば、当時の一方的暴力的な【糾弾/糺弾】にあぐらをかいたものであって、現代人による一からの再検討に耐えうるものではない

 したがって「これこれの表現にこういう名前(ホワイトウォッシュであるとか、性的モノ化であるとか、文化盗用であるとか)がついてタブーになった」という結果と、せいぜいがその名前に当時思い付きでくっつけられた短文の説明くらいしか存在しない。
 差別表現をめぐる議論において「差別の歴史を学べ!」が言い出されるときには、クレーム側がすでに返答に窮した末にこの言葉にすがっているケースがほとんどであり、すなわち「その言葉」にすでにクリティカルな反論が来ている時なのだ。
 
 よってクレーム側がいくら「差別の歴史を学べ!」と叫ぼうとも、その歴史の中に、説得的な文章として再現できる論理性など、最初からなかったのである。