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大日本生産党

所在地

東京都世田谷区

加盟協議体

傘下団体

支部

役職者

  • 創設時
役職氏名
総裁
党祖
内田良平
(故人)
顧問頭山 満
(故人)
関東本部 常任委員長葛生能久
(故人)
関西本部 常任委員長
後に二代目総裁
吉田益三
(故人)
戦後・国民同志会 会長
   大日本生産党 顧問
  • 戦後(再建大日本生産党)
役職氏名
党首河上利治
(故人)
二代目党首鴨田徳一
三代目党首北上 清五郎
(故人)
四代目党首阿部右善
五代目党首丹野寛親
(故人)
現・六代目党首森田 淳

沿革

昭和6年6月28日、黒龍会関西支部長の吉田益三の首唱によって、内田良平を総裁に仰ぎ、頭山満を顧問に戴き、二十数団体の愛国団体を連合した維新政党である。
生産党には労働団体も加盟していたため、大日本生産党職業組合連合会が組織されている。
昭和7年には市議会選挙に出馬し数議席を獲得している。当時の右翼団体としては最大規模であり右翼運動の主流を成した。
昭和17年、大政翼賛体制と対決姿勢をとったため、東條内閣の指令により政治結社大日本生産党は解散を命じられる。
戦時体制に対応するため、総裁に吉田益三、総務委員長に影山正治、総務に柴山満、白井為雄、河上利治、星井真澄等によって思想結社「大日本一新会」が結成されるが、昭和21年にGHQにより解散命令を受ける。

昭和27年、河上利治(旧一心会総務)がGHQの公職追放から解除されると、同年五月に「河上利治追放解除記念講演会」を京都で開催。「反共闘争宣言」を発表し、その後旧生産党及び旧一心会関係者、京都健民協会、日本新生会等の同志を糾合し、「祖国日本護持のためあらゆる赤化勢力の絶滅を期する」ことを目的として「赤化防止団」を結成。河上は団長となり、赤化防止団の幹部の大半は旧生産党関係者を占めた。
昭和29年、赤化防止団内より「大日本生産党」の復活が叫ばれると、河上はその中心となり再建へ奔走、同年6月28日大阪で「再建大日本生産党」の結成に至る。赤化防止団は本部を残し支部を再建生産党の支部へ改組、幹部の多くは赤化防止団関係者が占めた。
同年9月21日に中央委員の丸山利之神戸支部長が吉田首相暗殺未遂事件で逮捕されたことで再建生産党は注目を浴びた。
河上党首の逝去後は河上精神の継承を掲げ、鴨田徳一が党首代行委員長として党代表となる。

旧総裁の吉田益三を顧問とし河上が党首となったが、間もなく吉田益三は脱党している。
かつては青年思想研究会全日本愛国者団体会議に加盟していた。
機関誌:〈民族公論〉〈中央情報通信〉

 注

表記や記載項目等については基本事項をご参照下さい。
記事の不備や団体の解散等により必ずしも最新の情報ではない可能性もあります。間違った記述を発見したり最新の情報をご存知の方はお気軽に編集についてをご参照の上で編集に参加して下さるようお願い致します。
または訂正して欲しい記述や記載されていない情報等がありましたら、情報提供についてをご参照の上でコメント投稿より情報の提供をして頂ければ可及的速やかに編集させて頂きます。
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