収集ルール:憲法に謳われている居住移転の自由/職業選択の自由/普通教育を受けさせる義務/勤労の義務などに関わる記載が個人情報の保護を損なわない範囲で記述され、時代ごとの空気感や同時代性、地域性を共有享受できるもの。どこの誰だか読み取れないような人が、セレブ気取りで面白おかしく書いているようなものや、世代、土地柄、風俗の記述を意図的に曖昧にしているものなども厳禁でお願いします。あくまでも明日更新記述が終了したとしても自分史として成立できるものでお願いいたします。

よくは、わからない。 が、ここで分かるかもしれない
自分史フェスティバル 2014展示ブース(協賛各社)

01 株式会社 インダストリアル・パブリシティ・エージェンシ(IPA)
02 株式会社 博進堂
03 株式会社 富士巧芸社
04 ファミリーヒストリー記録社
05 節目写真館
06 自分史活用推進協議会浜松支部
07 株式会社クロスメディア・マーケティング
08 株式会社東京葬祭
09 自分史活用推進協議会本部
10 富士フイルムイメージングシステムズ株式会社
11 一般社団法人 ツタエル&アニバーサリーボイス
12 自分史活用推進協議会横浜支部
13 朝日新聞社
14 株式会社 成幸
15 自分史フェスティバルのご案内
16 インプルーバー 株式会社
17 株式会社 日本資産総研
18 (当日)
19 『すみだを変えた100人物語』プロジェクト powered by Judy Press.Inc
20 一般社団法人 パソコープ
21 自費出版の森
22 株式会社 ディレクターズパラダイス

自分史という言葉は、自伝や自叙伝に対して含羞や恥じらいを含んだ置き換えであったり、他人の人となりを評する場合でも若干の迂回や婉曲を絡めて遠まわしの主張のために本来はもちいられていました。
自伝や自叙伝といた大仰を嫌って、手のひら自伝といったり、私のことといったり、他の人の生き様を少なからず尊敬するなかで、自分史という、もひとつの慎ましやかな言い方として、使われたのがはじめでした。

「褒めあげ商法」の5社は「アートライフ」「現代通信」「東宝堂」「東広通信」「アドクリエイト」

「新風社」(2008年倒産)
「日本文学館」(特定商取引法違反で2013年9月20日から12月19日まで3カ月間の業務停止命令)コンテスト商法
「碧青舎」(名目、共同出版。2006年倒産)

<共創出版><協力出版><共同出版>一部負担有り

本来自費出版とは、取次ぎルートに乗らない私家版の本のことをいうので、正確には出版とは呼べないのですが、実態は限りなく自費出版です。市場に流通しない本ではお客が集まらないと、自費出版業界では市場流通型にシフトし規模を大きく伸ばしました。

自費出版という生めかし言葉で濁してはいるが、実際は自費印刷本というのがいいところだと思う、自費印刷発行本とか自費印刷配布本と言ったところで印刷会社や編集プロダクションでは限界がある。まあ近頃では永代供養と同じように、永代のご供養などはないとのだと承知で永代供養という商品を利用するように、自費出版とはいっても自費印刷本だと理解して契約しているようだ、本来出版ということであれば著作者から

一時の自費出版ブームが下火になろうとしている。不況傾向の出版業界にあって、比較的活況を呈していた自費出版部門。出版社はこぞって、自費出版事業に参入した。しかし、著者の思いにつけこむような手口や、自費出版専門出版社の倒産などが報道されるようになり、消費者も簡単には食いついてこなくなった。
では、時間とお金を持っているといわれる団塊世代は、自費出版にどう反応するのだろうか。今回は、団塊世代と自費出版の今後について考えてみたい。

 
自費出版業界の中では相次いぐ騒動のなかから、ダイレクトに自費出版を前面ンにだしていた業者は「自費出版」から「自分史の出版」へと単純に言葉を置き換えはじめ、その潮流は一気に自費出版業界の定番となって行き「自費出版しませんか」から「自分史を書いてみませんか」というようにオブラートをかけるように置きかえられていったが、その実態は自費出版であることにはなんらかわることがなく、何冊くらい出しますか、どんな体裁にしますか、などほとんど個人の歴史や人生とは無縁な話に、ある種力点が置かれてしまう。つまり予算だ。それぞれの人生にそれぞれ予算が先立ったわけです、したがって自分史といいながら、自分史構成の要件は比較的ないがしろにされ、詩集や句集、写真集でも小説でもなんでも自分史ですといった“ほめあげ商法”といわれる業者なども混ざりこんでいるのが実情です。著作者をお客にして成立しようという出版形態のあらわれがいわゆる自分史であったわけです。
 
しかし昨今では回想法の普及や、その道の専門家の言及もあり、自分史構成要件のようなものがあるていど出揃い、どんなものでもご本人の思いが込められていれば自分史です、是非出版しましょうなんて話は無理が出てきている。

歴史的にみると、「自分史」という言葉に市民権が与えられるようになったのは、歴史家色川大吉の『ある昭和史 - 自分史の試み』ば(1975年、中央公論社)の出版以後だろうといわれている。しかしこれも


これは、専門の歴史家が提起した概念であること。また、無名の人々が真実を表現する行為に、歴史としての意味があることがはじめて主張されたからである。同書中で色川が紹介している、橋本義夫による「ふだん記運動」という民衆運動は、やまびこ学校などの「生活綴り方運動」に代表される戦後日本の民衆記録運動の一形態ということもできる。
一方、昭和初年から昭和20年代までの日本人の戦争体験を記録する運動(例:東京大空襲を記録する会)においては、広い意味での反戦・平和運動と結びつき、多くの個人記録が生まれた。 近年では、「自分史」は高齢者向けの生涯学習の一環として位置づけられているふしもあり、地方自治体主催の地域活動としても行われている。

その一方で、高齢者に不当に高額な自分史を売りつける悪徳商法も存在する。

歴史的変遷と文化的意義(背景) [編集]----

親の自分史、子の自分史、友人の自分史 大見出し(自由に変更してください)


本書の帯文には、「人生60年を振り返り、再出発のための書き込み人生整理帳」と謳われている。つまり、自分史を作るということを目指しているのだ。それはそれで、面白いアイデアだなとは思う。
 「見開き2ページを1年とし、誕生した年から順を追って1才ごとに整理をしていく構成になって」いる。
「左ページには」、いわゆるデータ部分が設けられている。
「記憶を呼び起こすヒントとして、年ごとの大きな事件や歴史的できごとを縦軸に」配置している。
右ページには、自分の「生まれた年から始めて」、様々な項目の箇所へ書き込んでいくかたちになっている。
最上段は、自分の年齢と住んでいた場所を記入するわけだが、これは、全ページ通してそうなっている。
異色なのは、各ページごとに違った項目があることだ。
昭和21(1946)年から25(1950)年までは、それぞれの始まりの年ということで、両親の年齢、家族の構成、名前の由来、そして生まれた場所と誕生エピソードを書き込むことになっているが、他のページで特記すべき項目として幾つか挙げるならば、以下のようになる。
「好きなラジオ番組は何でしたか?」(53年)
「家でテレビをいつ買いましたか?」(58年)
「生きている意味を考えたことはありましたか?」(65年)
「学生運動をどのように感じていましたか?」(68年)
「友だちといちばん議論したテーマは何ですか?」(69年)
「支持政党はありましたか?」(76年)
「いちばん多く話した人は誰ですか、話題は何でしたか?」(93年)
「社会の価値観が変わったと感じるのは、どんな時でしたか?」(99年)
「若い世代と話をする時の話題は何でしたか?」(2000年)
「昔の知人や友人に会うと、どんな話で盛り上がりますか?」(06年)
 このように、並べてみるとこの本の編著者の隠された意図が見えてくるかのようだ。
あの激動期に「友だちといちばん議論したテーマ」を問い、
二十年以上経た時「いちばん多く話した人は誰ですか、話題は何」かと問い、
現在時において、「若い世代と話をする時の話題は何」か、
「昔の知人や友人に会うと、どんな話で盛り上が」るかと問いを重ねていく。
もしかしたら、全共闘運動をただ傍観していたに過ぎない同時代者たちが、
“俺たち学生の時はなあ”と会社の若い人たちに吹聴し続け、思い出という細々とした貯金を使い果たし、
結局、何も若い世代とは語れない場所にいることを知り、
空虚な彷徨をしている様をあぶりだしたいのかもしれない。
書き込むことによって、自分自身の「棚卸し」を清々しく出来る人がどれだけいるだろうかと思うが、意外にも、そんな自分のこれまでの時間をなんの外連みもなく自省できるのがベビーブーマーたちかもしれない。
熱心に書き込む姿を、想像できてしまうから、不思議だ。(河出書房新社刊・07.5.30)

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