明るく素直で誰にでも屈託がなく、快活で何事にも一直線な少女。
常に自信に満ち溢れた態度は、側にいるだけで周囲の人間たちに元気を与える。
お喋りで少々やかましいのが玉に瑕。
すらりとした長身にさっぱりとした風貌の美少女。
女学生風の臙脂のジャンパースカート姿。
やや吊り目ながらもキツさのない整った顔立ちにさらりとした長髪をサイドテールに纏めている。
すらりと背が高く、更に足も長いモデル体型な上、いつも背筋がぴんと伸びているため、輪をかけての高身長に見られがちだが、不思議と威圧感はない。
誰かと話すことが大好きな社交的な性格で、友達を作るのも上手。
外向的なだけでなく胆力もあり、気難しそうな者や威圧感のある者にも物怖じせずに話しかけ、自然と打ち解けてしまう人間的魅力の持ち主。
ただし、本人がノリノリになるとついマシンガントークを始めてしまいがちであり、気弱であったり口下手な相手を萎縮させてしまうことも。
このような性格から能天気で考えなしな性格だと思われがちであるが、実際には才女の聖人の名に恥じることない洞察力・思考力・理解力の持ち主。
とにかく頭の回転が速く、特に人の特徴や考え方、癖などを見抜く能力に長けている。
それゆえに仲間の僅かな心の乱れを感じ取りフォローしたり、敵の微細なウィークポイントを的確に突くといったクレバーな立ち回りを得意とする。
その頭の回転の速さは戦闘スタイルにも表れており、主武器としている車輪を投擲と手持ちの二種類で扱い分ける上、刃の出し入れのタイミングとの兼ね合いにより常に複数方向から複数種類の攻撃が敵を襲うように戦闘をリアルタイムで組み立ててゆく。
固定された「型」のようなものは存在せず、常にアドリブで攻撃を行っているため、非常に動きが読みづらい。
一方で生前は戦士であったわけでもなく、戦闘能力もあくまでサーヴァント化によって得たものであるため、経験に欠ける彼女が用いるトリッキーである戦法は逆に定石に欠けることを意味する。
戦況に戦法が上手くハマるかは博打であり、安定感に欠ける。
考え方はいかにも宗教観において語られる聖女らしく、寛容で包容力に満ち、それでいて邪悪なる者には断固とした態度を取る。
心優しく誠実で真っ直ぐであり、力なきものや迷えるものに積極的に導きを与える一方で、悪逆を為さんとする存在には決して屈することなく、正しき道へと矯正する。
もしも改悛の見込みがないと判断した場合には自らの命を擲ってでもその非道を阻止せんと尽力する。
このようなスタンスゆえ、善人ではあるがマスターに従順なサーヴァントとは言いづらい。
マスターの指示より自身の判断を優先し、マスターの価値観より自身の価値観を優先し、一人のマスターの願いよりその他多くの人々の幸福を優先する。
それゆえマスターが善人であるほど扱いやすく、悪人であるほど扱いづらくなるサーヴァントと言えよう。
まあ、そもそもキリスト教に名高き聖女をわざわざサーヴァントとして呼ぼうとする時点でそのような悪人がマスターである可能性は低いのだが。
とにもかくにも、まさに「完璧超人」と呼ぶのに相応しい人格を持つ。
そんな「完璧超人」など、存在するはずもなく。
「わたしは……『善き者』でなくちゃならない。わたしと同じ神を信じる者たちが犯した過ちの為にも、誰かのためだけに動かなければならないんだ」
「それが、わたしという存在そのものに対する『償い』だから……!」
生年や没年、生まれた都市などといった詳細なプロフィールの判明しているカタリナであるが、そんな彼女がなぜ「伝説」とされるのか。
それは、その詳細が分かっているからこそ、彼女の生涯、彼女の過ごした境遇が、歴史的資料に基づく「史実」と比較して大いなる矛盾を孕んでいるからである。
まず「アレクサンドリア市長コンストゥス」なる存在が、カタリナ関連の資料にしか登場せず、その存在に疑いが大きいこと。
更に言えばカタリナ処刑時の皇帝、即ちローマ皇帝マクセンティウスの妻は初めからキリスト教徒であったこと。
そして何よりも、皇帝の配偶者がキリスト教徒であったことからも分かるように、そもそも皇帝マクセンティウスは領内におけるキリスト教信仰に対して容認の態度を示しており、「カタリナがキリスト教徒として弾圧を受けたこと」自体が疑わしいことなどが根拠となる。
それゆえに、現在ではアレクサンドリアの聖カタリナの存在は創作されたものであると考えられている。
では、彼女はなぜ生み出されたのか。なぜ他の伝説の人物たちと異なり、いかにも実在の人物であるような詳細な「設定」が作り出されたのか。
これには、一つの説が唱えられている。
「その人物に対応する、
実在した何者かが存在する」のであろう。
一つ。アレクサンドリアという都市の人物であること。
一つ。類い希なる才能を持った才女であること。
一つ。その知性で女性の身でありながら多くの男性の尊敬を得たこと。
そして一つ。「キリスト教」の名の元に迫害を受け、そして惨殺されたこと。
───カタリナ伝説の由来となった人物は、アレクサンドリアに名高き女性科学者「
ヒュパティア」であると言われている。
しかし、ヒュパティアとカタリナには決定的な違いが存在する。
伝説のカタリナは「キリスト教徒として迫害を受け」惨殺された。
史実のヒュパティアは「キリスト教徒に迫害を受け」惨殺された。
明確な一点にして、決定的な違いである。
第5スキル
霊基変質:EX
採用する逸話・伝説などの違いにより、サーヴァントは別側面として召喚されうるが、その側面の「本質」からの逸脱具合が非常に大きい場合に付与されるスキル。
簡単に言えば、座において英霊カタリナは英霊ヒュパティアの別側面として登録されている、ということである。
ライダークラスのサーヴァント・カタリナは他者が特定の霊基との縁を利用しその霊基を利用して召喚されるわけでも、人理上に存在する特定の人物の姿を依代として召喚される擬似サーヴァントとしててもなく、あくまでも英霊ヒュパティアの一側面として現界しているのである。
英霊の座はカタリナの存在を「ヒュパティアに関する伝説の一部」として扱った。
そして、自らの誕生の経緯を知り、そしてそれを忌むべきものであると考えているカタリナにとって、その事実は何よりもヒュパティアの存在を否定し、踏みにじるものであった。
自分の存在が、キリスト教徒が歴史に残した汚点を象徴している。
自分の存在そのものが、傲慢にも奪い去られた一つの尊き命を侮辱している。
カタリナ伝説が成立した経緯の真実はどうあれ、カタリナ本人はそう思えてならなかった。
イエスの存在は当然尊敬している。その教えも正しいものであると信じている。間違いなくカタリナは敬虔なキリスト教徒である。
だが、それはどんなキリスト教徒の行いも肯定するという意味では断じてない。
むしろ同じ教えを信じるからこそ、それを邪に解釈することを許せなかった。
「教え」を名目に悪逆を為す同じキリスト教徒たちが存在することが、悲しくて仕方がなかった。
ゆえにサーヴァントとなるに当たって、カタリナは決意した。
自分は決して、イエスの教えを違えないと。
自分こそがキリスト教徒の模範となると。
自分がキリスト教徒たちの歪みを正すのだと。
そして何よりも、自分だけは絶対に、この心の中にも巣喰う、誰もが持ち、しかしどこまでも醜い感情だけは、表には出してたまるものか、と。
ゆえに彼女は演じることにしたのだ。
「完璧たる聖女」を。
「キリスト教徒の理想たる聖女」を。
怒りを憎しみを嫉妬を情欲を───マイナスたる感情全てを自らの心の中に閉じ込め、彼女は理想の聖女を演じ続ける。
もはや、「演じていない自分」がどんな人格だったのか、彼女自身にすら分からなくなったのだとしても。
本来、通常の聖杯戦争においてイエスに直接教えを賜った者が召喚されることは少ない。
なぜなら彼ら彼女らは真の聖杯を知っており、その紛い物たる願望器には価値を見出さないためだ。
しかし、カタリナは通常の聖杯戦争においてもサーヴァントとして召喚されうる。
それは、紛い物に縋ってでも現実にしたいほどの強い願いを抱いているため。
聖杯に賭ける望みは、「真のイエスの教えの復活」。
紛い物に頼ってでも、彼女は本物を求める。
このような経緯ゆえ、カタリナはキリスト教の聖女でありながらもキリスト教徒を特別視することはない。
むしろ厳しい目で見ているところさえある。
イメージカラー:ナチュラルグリーン
特技:即興スピーチ
好きなもの:自分磨き、牛乳、
嫌いなもの:独自解釈、
天敵:狂信者、ヒュパティア
願い:なし(人理修復や人理再編などでは召喚されうるが、通常の聖杯戦争では召喚されない)→???
【一人称】わたし、お姉さん 【二人称】キミ 【三人称】あの人