欧州最大の聖人の一人。
対魔術、対嵐、対狂犬、対病、対飢餓、産婦などの守護聖人。
旧イングランドから出立し、大陸に渡り旧ドイツ地域(ゲルマニア、フランク王国、ガリアなど)への宣教活動に参加した修道士の一人とされる。
伝承によると彼女の父は元王族の巡礼者リチャード、母はウナ。
兄はヴィリバルトとヴィニボルド。
地域によってはそれら一家全員が聖人として扱われる。
生まれつき虚弱だったヴィリバルトが幼い時に病にかかった際、一家は彼が救われたら王家の立場を捨てて、出家し神のために生きる修道士になると誓った。
ゲルマニア伝道の任を最初に受けたのは、ウナの兄である聖ボニファティウスであった。
義兄弟の巡礼者リチャード、リチャードの息子ヴィリバルトとヴィニボルドもボニファティウスに同行した。
ボニファティウスの伝道では、神罰を恐れずトールの楢(オーク)を伐採して改宗を認めさせたエピソードが代表的。
ヴァルプルガは修道院での修行(一説によれば26年間)ののち、ボニファティウス達の活動するゲルマニアへと向かった。
その際に同行した若い修道女ヒュゲブルグは、のちにヴィリバルトとヴィニボルドの伝記などを執筆し、後世ではカロリング朝唯一の女性作家とも呼ばれる。
ヴィニボルドが死去した際にはヴァルプルガが後を継ぎ、ハイデンハイムの修道院を率いる長となった。
ヴァルプルガは777年もしくは779年に亡くなった。
彼女が現在に至っても非常に広範囲で崇敬されている理由には、
死後100年後に起こした遺骸の奇蹟による列聖のタイミングと、教会建設に由来ある聖遺物が必須とされた時代背景によるニーズの一致が大きかったと思われる。
ヴァルプルガの遺骸は870年頃に奇蹟を起こし、その身体から癒しの油を染み出させた。
そのことはアイヒシュテットの司教の夢枕に立ったヴァルプルガ本人から教えられたのだという。
ヴァルプルガは列聖され、その遺骸は各地の教会建設のために幅広く分配された。
そのために彼女の名を冠した教会(
ヴァルプルガの教会という通称さえ存在する)は多く、中には
ヴァルプルガの油を未だに産出している所も存在する。