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nevadakagemiya 2020年08月20日(木) 20:27:43履歴
「拙者はただ流れるのみの身。だが、我が定めた義に反する戦が起こると言うなれば、それを止めるが我が正義」
「盃の戦とやら、この"
軍服の上に海松色の羽織を纏った、一見はちぐはぐな服装をしている男性。
軍人らしい銃などは一切保有しておらず、代わりに2本の日本刀を得物として所持している。
常に細めている眼に、強い覚悟と確かな殺気を宿す男性。年齢よりも若く見える(三十代前半程)
軍人らしい銃などは一切保有しておらず、代わりに2本の日本刀を得物として所持している。
常に細めている眼に、強い覚悟と確かな殺気を宿す男性。年齢よりも若く見える(三十代前半程)
元は満州に駐在していた関東軍の一員。
だが激化する戦争の中、満州に移民していた満蒙開拓団を警護しているうちにドイツまで流れた。
軍人という職業ではあるが、国の為に戦うか、あるいは力持たぬ弱き民を守るために刃を握るかで葛藤し、後者を選ぶ。
そのため今は軍属ではなく、何にも属さぬ流浪人。俗に「大陸浪人」と呼ばれる無頼の放浪者となっている。
限られた人間のみが伝承を許される剣の流派『鏡華水月流』を相伝している。
この鉄と火薬の時代に於いて、日本人がかつて維新と共に失った"刀"を武器にして戦うラスト・サムライ。
かつて力を持たなかったが故に過酷な道を歩み続けた事から、そういった不幸な人生を生きる人々を"弱者"として、救うべき存在と見ている。
そのためそういった"弱者"を尊び、守ることこそを己の"義"として掲げている。が、同時に強くなれねばこの世界は生きていけぬことも理解している。
故に弱き者を強くなるまで守り、強くなった者はその強さを以て弱き者を守り、そして死ぬべきという"強者と弱者の輪廻"を信条として掲げている。
歪ではあるが、弱者を守るべきという義だけは本物の男。故に弱者が抵抗も出来ずに大勢死ぬと思われる"聖杯戦争"を止めるべく動く。
だが激化する戦争の中、満州に移民していた満蒙開拓団を警護しているうちにドイツまで流れた。
軍人という職業ではあるが、国の為に戦うか、あるいは力持たぬ弱き民を守るために刃を握るかで葛藤し、後者を選ぶ。
そのため今は軍属ではなく、何にも属さぬ流浪人。俗に「大陸浪人」と呼ばれる無頼の放浪者となっている。
限られた人間のみが伝承を許される剣の流派『鏡華水月流』を相伝している。
この鉄と火薬の時代に於いて、日本人がかつて維新と共に失った"刀"を武器にして戦うラスト・サムライ。
かつて力を持たなかったが故に過酷な道を歩み続けた事から、そういった不幸な人生を生きる人々を"弱者"として、救うべき存在と見ている。
そのためそういった"弱者"を尊び、守ることこそを己の"義"として掲げている。が、同時に強くなれねばこの世界は生きていけぬことも理解している。
故に弱き者を強くなるまで守り、強くなった者はその強さを以て弱き者を守り、そして死ぬべきという"強者と弱者の輪廻"を信条として掲げている。
歪ではあるが、弱者を守るべきという義だけは本物の男。故に弱者が抵抗も出来ずに大勢死ぬと思われる"聖杯戦争"を止めるべく動く。
明治という新しい時代の中頃、人口の少ない日本の片田舎で生まれる。
だがしかし、ある不幸な事件により彼1人を除いて村人全員が死亡するという事態が発生、天涯孤独の身となる。
まだ言葉を覚えたばかり程の年齢であった彼は、悲しみの中でも生きる道を探し続け、やがては人の多い都へと辿り着く。
明治という安定した世であっても独りの身となった子供に手を差し伸ばす大人は少なく、結果盗みやスリといった悪行に手を染める事になる。
悪事を働き、捕まり、暴行を受け、それでも生きるためにあらゆる手段を講じて──────そんな地獄のような日々の中で、1人の男と出会う。
その男は、道の端でゴミのように行き倒れていたその少年を拾い上げ、介抱した。
野山の山菜を取っては売るという質素な生活でありながら、男は少年を難なく養うことが出来た。
男は自らを"剣豪"と名乗り、過去の稼ぎで養えているのだと自己紹介した。最初は不審に思ったが、事実男はこの廃刀令のご時世に刀を帯刀していた。
曰く、彼は幕末という動乱の時代を剣1本で生き抜いたという。その秘訣は、決して表沙汰になることの無い隠されし流派の伝承者だからだという。
その名を『鏡華水月流 』。だが"刀"から"銃"へと時代が移ろい往く中、この流派はもう時代遅れだと"剣豪"は自嘲するように言った。
だが少年は否定した。剣を極めればどんな武器にも負けはしないと。
弾丸が強いというのならば弾丸が放たれるよりも早く敵を切ればいいと。少年は力説した。
それは自分を救ってくれた恩義からか。あるいは……日本の持つ"刀"の素晴らしさを、他でもない刀を使う男が否定するのが嫌だったからか……。
どちらにせよ、少年のその必死なまでの言葉に心打たれた"剣豪"は呵々大笑して提案した。「ならば坊主、この剣を継いでみるか?」と。
こうして、名前すらも失った天涯孤独の少年は、時代に取り残された剣豪から"刀"を受け継ぐに至った。
昼は山奥から学び舎に通い、夜は稽古でしごかれるという厳しい日々を過ごし続けた。
それから早十年以上の月日が経過した。少年は立派な青年に育ち、『鏡華水月流』を完全に継承していた。
独り立ちをした彼は、師であり親でもあった"剣豪"から「死にかけていた"剣"という龍を興した炎」という意味で『龍興 不知火』という名を餞別代わりに得た。
(元の戸籍は存在はしていたが死亡扱いとなっていたので、剣豪が身元引受人となって新しく戸籍を作り直すこととなった)
その後彼は、かつて死にかけていた弱者であった自分を助けてくれた剣豪のように、弱者を助けて次に活かすために生きる事を望むようになる。
この際に、彼の中で『かつての自分のように、力が無いゆえに不幸な道を歩む者』という定義を"弱者"と呼ぶようになる。
社会に出た彼は、そういった多くの"弱者"を見る事になる。彼はそれらを守りたいと強く願った。
誰かを守るためには、まず誰かを傷つける者を殺す刃となる必要がある、と考えた彼は日本軍の一員になる事を決意。
猛勉強の末に軍に入隊した彼は、当時満州事変により一触即発となっていた中国東北部に、関東軍の一員として駐在することとなる。
満州に滞在していた彼は、満州に移民した"満蒙開拓団"と呼ばれた日本人たちを、盗賊や夜盗などから守り続ける仕事に従事していた。
生まれ育った日本という土地を離れるのには不安があったが、"弱者"を守ることに土地の区別はないと、彼は精一杯にその剣を振るった。
自分を"弱者"という立場から救ってくれた剣豪から継承した『鏡華水月流』。その剣で彼は、かつての剣豪と同じように弱者を救い続けた。
そしてそんな生活を続けている中、戦争が幕を開けた。
開拓団たちは満州より引き揚げることとなったが、もはや帰るあての無い移民も大勢いた。
それだけではない。撤退を始めた彼らに対して略奪が行われ、多数の死傷者が出る事件が多発し始めたのだ。
(開拓地全体がソ連の襲撃を受けるのは1945年7月以降の未来のことであるが、フィクションとして、それ以前にも野盗団による小規模な襲撃を受けた小集団もあった、とここでは考える)
後にそれらは馬賊・匪賊に偽装したソ連軍の襲撃であったと判明するが、誰が何の為に襲ったかは不知火には関係がなかった。
重要な点は、彼が守ると決めた"弱者"たちが、力を持つ者たちによって嬲られて傷ついているという一点だけであった。
彼は迷った。満州にいる移民を守るべきか、あるいは日本へと戻り"国"の為に戦うべきかの狭間で揺れた。
彼はあくまで一介の軍人。他の軍人と違い日本刀という武器を用いてはいるが、国の為に戦わなくてはならないのは同じであった。
だが彼が信念として定めた"義"は、弱いものを守るために力を振るう…というもの。目の前で傷ついて助けを乞うている人々を見捨てることは出来なかった。
結果として、彼は"民を守る事"を選択。自分が守りたいのは国ではなく、そこに生きる民であると───大局よりも、目の前の弱者を優先する事に己の"義"を見出す。
日本への引揚者は軍に任せ、自らは帰れぬ移民や逃げる場所の無い開拓団の一派を守るため、彼らを警護すると共に西へ西へと渡っていく。
だがその中で1人、また1人と救えずに命を散らしていくという事が多々あった。
そうして命を守れないごとに、彼は自らの幼少時代を思いだしていた。
幼いころに何度も"弱かった"自分が味わったあの苦痛。理由は、どれだけ力があっても守れない命はあるという現実であった。
その度に彼は自分に言い聞かせた。「死ぬのは弱いからだ」「個人そのものが強くならねば、どれだけ守ろうともその掌からは零れていく」と。
結果として彼は『弱いものは守るべき』『しかし結局この世は弱ければ死に、強ければ生きる』という二律背反の歪なる思考を持つこととなる。
そうして西へと歩み続ける中で、ヒマラヤとインド北部の山岳地帯を伝ってイギリスの勢力圏を回避し、3B鉄道などを使ってドイツへと辿り着いた。
時は経ち1945年3月、ベルリンを放浪していた彼はその直感からか、不吉な気配を察する。
気配を追ううちに彼は聖杯戦争について知り、そしてそれがやがて『大勢の人間への不幸を齎す』という結果に繋がるという真実に辿り着く。
彼は考える。『弱ければ人は死ぬ』『だが、その弱き者だけでなく、戦場にすら立たぬ者にまで不幸をばら撒くと言うなれば、我が義に反する』と。
そうして彼はこの戦場にその身を投じて往くこととなる。やがてその手に浮かび上がる令呪。それは彼という最後の侍へ授けられた、戦場への片道切符を意味していた。
だがしかし、ある不幸な事件により彼1人を除いて村人全員が死亡するという事態が発生、天涯孤独の身となる。
まだ言葉を覚えたばかり程の年齢であった彼は、悲しみの中でも生きる道を探し続け、やがては人の多い都へと辿り着く。
明治という安定した世であっても独りの身となった子供に手を差し伸ばす大人は少なく、結果盗みやスリといった悪行に手を染める事になる。
悪事を働き、捕まり、暴行を受け、それでも生きるためにあらゆる手段を講じて──────そんな地獄のような日々の中で、1人の男と出会う。
その男は、道の端でゴミのように行き倒れていたその少年を拾い上げ、介抱した。
野山の山菜を取っては売るという質素な生活でありながら、男は少年を難なく養うことが出来た。
男は自らを"剣豪"と名乗り、過去の稼ぎで養えているのだと自己紹介した。最初は不審に思ったが、事実男はこの廃刀令のご時世に刀を帯刀していた。
曰く、彼は幕末という動乱の時代を剣1本で生き抜いたという。その秘訣は、決して表沙汰になることの無い隠されし流派の伝承者だからだという。
その名を『
だが少年は否定した。剣を極めればどんな武器にも負けはしないと。
弾丸が強いというのならば弾丸が放たれるよりも早く敵を切ればいいと。少年は力説した。
それは自分を救ってくれた恩義からか。あるいは……日本の持つ"刀"の素晴らしさを、他でもない刀を使う男が否定するのが嫌だったからか……。
どちらにせよ、少年のその必死なまでの言葉に心打たれた"剣豪"は呵々大笑して提案した。「ならば坊主、この剣を継いでみるか?」と。
こうして、名前すらも失った天涯孤独の少年は、時代に取り残された剣豪から"刀"を受け継ぐに至った。
昼は山奥から学び舎に通い、夜は稽古でしごかれるという厳しい日々を過ごし続けた。
それから早十年以上の月日が経過した。少年は立派な青年に育ち、『鏡華水月流』を完全に継承していた。
独り立ちをした彼は、師であり親でもあった"剣豪"から「死にかけていた"剣"という龍を興した炎」という意味で『龍興 不知火』という名を餞別代わりに得た。
(元の戸籍は存在はしていたが死亡扱いとなっていたので、剣豪が身元引受人となって新しく戸籍を作り直すこととなった)
その後彼は、かつて死にかけていた弱者であった自分を助けてくれた剣豪のように、弱者を助けて次に活かすために生きる事を望むようになる。
この際に、彼の中で『かつての自分のように、力が無いゆえに不幸な道を歩む者』という定義を"弱者"と呼ぶようになる。
社会に出た彼は、そういった多くの"弱者"を見る事になる。彼はそれらを守りたいと強く願った。
誰かを守るためには、まず誰かを傷つける者を殺す刃となる必要がある、と考えた彼は日本軍の一員になる事を決意。
猛勉強の末に軍に入隊した彼は、当時満州事変により一触即発となっていた中国東北部に、関東軍の一員として駐在することとなる。
満州に滞在していた彼は、満州に移民した"満蒙開拓団"と呼ばれた日本人たちを、盗賊や夜盗などから守り続ける仕事に従事していた。
生まれ育った日本という土地を離れるのには不安があったが、"弱者"を守ることに土地の区別はないと、彼は精一杯にその剣を振るった。
自分を"弱者"という立場から救ってくれた剣豪から継承した『鏡華水月流』。その剣で彼は、かつての剣豪と同じように弱者を救い続けた。
そしてそんな生活を続けている中、戦争が幕を開けた。
開拓団たちは満州より引き揚げることとなったが、もはや帰るあての無い移民も大勢いた。
それだけではない。撤退を始めた彼らに対して略奪が行われ、多数の死傷者が出る事件が多発し始めたのだ。
(開拓地全体がソ連の襲撃を受けるのは1945年7月以降の未来のことであるが、フィクションとして、それ以前にも野盗団による小規模な襲撃を受けた小集団もあった、とここでは考える)
後にそれらは馬賊・匪賊に偽装したソ連軍の襲撃であったと判明するが、誰が何の為に襲ったかは不知火には関係がなかった。
重要な点は、彼が守ると決めた"弱者"たちが、力を持つ者たちによって嬲られて傷ついているという一点だけであった。
彼は迷った。満州にいる移民を守るべきか、あるいは日本へと戻り"国"の為に戦うべきかの狭間で揺れた。
彼はあくまで一介の軍人。他の軍人と違い日本刀という武器を用いてはいるが、国の為に戦わなくてはならないのは同じであった。
だが彼が信念として定めた"義"は、弱いものを守るために力を振るう…というもの。目の前で傷ついて助けを乞うている人々を見捨てることは出来なかった。
結果として、彼は"民を守る事"を選択。自分が守りたいのは国ではなく、そこに生きる民であると───大局よりも、目の前の弱者を優先する事に己の"義"を見出す。
日本への引揚者は軍に任せ、自らは帰れぬ移民や逃げる場所の無い開拓団の一派を守るため、彼らを警護すると共に西へ西へと渡っていく。
だがその中で1人、また1人と救えずに命を散らしていくという事が多々あった。
そうして命を守れないごとに、彼は自らの幼少時代を思いだしていた。
幼いころに何度も"弱かった"自分が味わったあの苦痛。理由は、どれだけ力があっても守れない命はあるという現実であった。
その度に彼は自分に言い聞かせた。「死ぬのは弱いからだ」「個人そのものが強くならねば、どれだけ守ろうともその掌からは零れていく」と。
結果として彼は『弱いものは守るべき』『しかし結局この世は弱ければ死に、強ければ生きる』という二律背反の歪なる思考を持つこととなる。
そうして西へと歩み続ける中で、ヒマラヤとインド北部の山岳地帯を伝ってイギリスの勢力圏を回避し、3B鉄道などを使ってドイツへと辿り着いた。
時は経ち1945年3月、ベルリンを放浪していた彼はその直感からか、不吉な気配を察する。
気配を追ううちに彼は聖杯戦争について知り、そしてそれがやがて『大勢の人間への不幸を齎す』という結果に繋がるという真実に辿り着く。
彼は考える。『弱ければ人は死ぬ』『だが、その弱き者だけでなく、戦場にすら立たぬ者にまで不幸をばら撒くと言うなれば、我が義に反する』と。
そうして彼はこの戦場にその身を投じて往くこととなる。やがてその手に浮かび上がる令呪。それは彼という最後の侍へ授けられた、戦場への片道切符を意味していた。
彼が天性に備えていた異能。だが彼は「これが当たり前」だと考えているので異能とも思っておらず、他人に申告もしていない。
唯一存在を知っているのは彼の師として指南をした"剣豪"のみ。(これも口頭で聞いたわけでなく、修行や模擬戦闘を通して肌で理解した)
魔力や気配、地脈を辿るマナなどといった、様々な"力"の流れやその性質を色として見る事が出来る魔眼。階級は黄金に匹敵する。
通常の視界に加え、色のついた光の粒子を見る事が出来、その光の色でその力の性質を見極めることが出来る。
基本的に色での違いしかないのだが、この見極めは彼と魔眼の長い付き合いという経験によるものが大きい。
例えばその魔力が人に不幸を齎す物か否かなどや、他にも人間の持つ殺気や気配などを、その人間の持っている感情も加えて理解できる。
これによって聖杯戦争発生の予兆に気付き、そしてその聖杯がろくでもない存在であるという事に気付く事が出来た。
また戦闘時には、高速の『鏡華水月流』も相まって相手の一手先を読んだ戦闘が可能となる。
唯一存在を知っているのは彼の師として指南をした"剣豪"のみ。(これも口頭で聞いたわけでなく、修行や模擬戦闘を通して肌で理解した)
魔力や気配、地脈を辿るマナなどといった、様々な"力"の流れやその性質を色として見る事が出来る魔眼。階級は黄金に匹敵する。
通常の視界に加え、色のついた光の粒子を見る事が出来、その光の色でその力の性質を見極めることが出来る。
基本的に色での違いしかないのだが、この見極めは彼と魔眼の長い付き合いという経験によるものが大きい。
例えばその魔力が人に不幸を齎す物か否かなどや、他にも人間の持つ殺気や気配などを、その人間の持っている感情も加えて理解できる。
これによって聖杯戦争発生の予兆に気付き、そしてその聖杯がろくでもない存在であるという事に気付く事が出来た。
また戦闘時には、高速の『鏡華水月流』も相まって相手の一手先を読んだ戦闘が可能となる。
限られた人間にしか伝承されることの無い剣の流派。水面に映る月を掴むが如く捉えることが不可能な早さからその名を持つ。
常人離れした一挙手一投足を使用者に要求する代わりに、あらゆる武器や体術よりも先手を取ることを可能にする"速度"に重点を置いた剣術。
その強さは並外れたものであり、この剣術の使い手が抜刀すればその周囲にいた者は1人残らず皆殺しにされる。ゆえに歴史上に語られず、闇から闇へと伝承され続けた。
源流は室町時代。月夜に魅入られし血に飢えた獣の如き武士が、己の内に蠢く渇望のままに剣を振るい続け、やがてそれが殺人剣に昇華されたものと言われている。
それが時を経て応仁の乱、戦国乱世、そして幕末という動乱の中で殺人剣から剣の"流派"として研ぎ澄まされて、歴史の裏で受け継がれ続けることとなった。
眉唾物に語られているが、使用者の中には月夜の晩に『多くの修羅が集う夢』を見る者がいると言い、その源流は人間によるものではないとも噂される。
近・中・遠距離の3つの間合いごとにそれぞれ4つの攻撃手段を持ち、そのどれもが"先手"を取ることに注力している。
防御は捨て、あくまでも攻撃か奇襲に特化した剣術。これは元々が血に飢えた狂人の生み出した殺人剣たる所以であろう。
だが不知火はこの殺す事だけの剣を、弱き人々を守るために振るっている。
常人離れした一挙手一投足を使用者に要求する代わりに、あらゆる武器や体術よりも先手を取ることを可能にする"速度"に重点を置いた剣術。
その強さは並外れたものであり、この剣術の使い手が抜刀すればその周囲にいた者は1人残らず皆殺しにされる。ゆえに歴史上に語られず、闇から闇へと伝承され続けた。
源流は室町時代。月夜に魅入られし血に飢えた獣の如き武士が、己の内に蠢く渇望のままに剣を振るい続け、やがてそれが殺人剣に昇華されたものと言われている。
それが時を経て応仁の乱、戦国乱世、そして幕末という動乱の中で殺人剣から剣の"流派"として研ぎ澄まされて、歴史の裏で受け継がれ続けることとなった。
眉唾物に語られているが、使用者の中には月夜の晩に『多くの修羅が集う夢』を見る者がいると言い、その源流は人間によるものではないとも噂される。
近・中・遠距離の3つの間合いごとにそれぞれ4つの攻撃手段を持ち、そのどれもが"先手"を取ることに注力している。
防御は捨て、あくまでも攻撃か奇襲に特化した剣術。これは元々が血に飢えた狂人の生み出した殺人剣たる所以であろう。
だが不知火はこの殺す事だけの剣を、弱き人々を守るために振るっている。
かつて自分がそうされたように、力を持つ強き者として弱き者を守るべきと考えている。
だがこれは言うならば1つの恩返しというよりは「強き者に守られ生き残った自分は、同じように誰かを守るべき」という、
一種の強迫観念めいた思い込みから来るものであり、表向きでは非常に人として大成しているように見えるがその内側は酷く歪。
そして同時に、自分と同じように力を持つ者がいれば、同じように「誰かを助ける事」を強要するという部分も存在する。
これは決して自分の考えを押し付ける独善というわけではなく、彼にとってそれは『当たり前』だから。
つまり、持っている力を誰かの為に使わない人間は、彼から見れば皆が異常者に映るのである。
例えその人にどのような過去があろうとも、どのような事情があろうとも、誰かの為に力を使わなければそれを"義"に反するとしてそれを糾さんとする。
だが逆を言えば、自分ではない誰かの為に力を振るうのであればその対象は誰でもよく、事実彼も"国"の為か"民"の為かの二択で揺れて後者を取った過去がある。
突き詰めて言えば『自分の為』『利己の為』に力を振るう者に対して強く憤る傾向にある。逆に誰かの為に戦う者がいれば非常にその態度は柔らかくなる。
そしてもし、その誰かの為に戦う者が、本来は力を持たぬ"弱者"だとすれば────彼はその身を投じて、その者に協力する事になるであろう。
しかしそんな中で大きく彼の中について離れないのが『弱肉強食』という価値観。
弱き者は破れ、そして強き者がそれを喰らうという、当たり前の世界の摂理。彼はそれを幼少期に身をもって体験している。
同時に守ろうとした弱き人々が死んでいく様を何度も何度も味わってきた。だからこそ、弱いものは守られるべきという信念を持ちながら、
『弱いものは弱いゆえに、死んでも当然の存在』という思考も持ってしまっている。それ故に葛藤し、そして自分が分からなくなり、何度も自己嫌悪に襲われる。
誰かの為に生きるのが正しいのか。だが弱き誰かはいずれ死ぬのに守る意味があるのか?
────ならばいっそのこと、力を持つ者は、その力をただ己の為にだけ振るう事こそが正しいのか?
その自問自答は未だに答えを出せないでいる。その答えがもし出るとしたらそれは如何なる時なのだろうか。
弱き人を全て救った時か。彼が死ぬ時か。あるいはこの世界から弱き人がいなくなった時か。
あるいは、彼自身もまた「弱き者」のままだったと、気付かされる時か
だがこれは言うならば1つの恩返しというよりは「強き者に守られ生き残った自分は、同じように誰かを守るべき」という、
一種の強迫観念めいた思い込みから来るものであり、表向きでは非常に人として大成しているように見えるがその内側は酷く歪。
そして同時に、自分と同じように力を持つ者がいれば、同じように「誰かを助ける事」を強要するという部分も存在する。
これは決して自分の考えを押し付ける独善というわけではなく、彼にとってそれは『当たり前』だから。
つまり、持っている力を誰かの為に使わない人間は、彼から見れば皆が異常者に映るのである。
例えその人にどのような過去があろうとも、どのような事情があろうとも、誰かの為に力を使わなければそれを"義"に反するとしてそれを糾さんとする。
だが逆を言えば、自分ではない誰かの為に力を振るうのであればその対象は誰でもよく、事実彼も"国"の為か"民"の為かの二択で揺れて後者を取った過去がある。
突き詰めて言えば『自分の為』『利己の為』に力を振るう者に対して強く憤る傾向にある。逆に誰かの為に戦う者がいれば非常にその態度は柔らかくなる。
そしてもし、その誰かの為に戦う者が、本来は力を持たぬ"弱者"だとすれば────彼はその身を投じて、その者に協力する事になるであろう。
しかしそんな中で大きく彼の中について離れないのが『弱肉強食』という価値観。
弱き者は破れ、そして強き者がそれを喰らうという、当たり前の世界の摂理。彼はそれを幼少期に身をもって体験している。
同時に守ろうとした弱き人々が死んでいく様を何度も何度も味わってきた。だからこそ、弱いものは守られるべきという信念を持ちながら、
『弱いものは弱いゆえに、死んでも当然の存在』という思考も持ってしまっている。それ故に葛藤し、そして自分が分からなくなり、何度も自己嫌悪に襲われる。
誰かの為に生きるのが正しいのか。だが弱き誰かはいずれ死ぬのに守る意味があるのか?
────ならばいっそのこと、力を持つ者は、その力をただ己の為にだけ振るう事こそが正しいのか?
その自問自答は未だに答えを出せないでいる。その答えがもし出るとしたらそれは如何なる時なのだろうか。
弱き人を全て救った時か。彼が死ぬ時か。あるいはこの世界から弱き人がいなくなった時か。
あるいは、彼自身もまた「弱き者」のままだったと、気付かされる時か
「拙者は龍興……。龍興 不知火と申す。
龍を興せし、陽炎の火と書いて、龍興 不知火。
以後お見知りおきを。この"杯の戦"をば、止めるために参上仕った」
「その手を放せ。そして二度と弱者をいたぶらぬと誓うのであれば見逃してやろう。
だが続けるというのであれば………………死んでもらう」
「抜刀。『鏡華水月流』"近の一"──────弧月」
「今は生きろ。そして……いずれ強くなれ。
この世は所詮、弱肉強食。拙者は此度は守ったが、いつ誰にも守られぬ時が来るかはわからん。
故に強くなれ……。主の道は主が開き、そして主の生は……他ならぬ主が掴むのだ」
「"忌月"を受けながらも尚も平然と立つか……。
汝、ただものではあるまい。何者だ? そも──人か?」
「何故それほどの力を持ちながら……誰かの為に戦わない。
汝よりもこの世界には弱き者は大勢いる。なのに────何故貴様は、そういった人々を脅かす。
力を持つならば、力を持たぬ人の為に生きるのが、当然の理ではあるまいか?」
「否、力持たぬ者の為でなくとも良い。国の為でも、主の為でもいい。
だが何故、汝は汝自身の為だけに力を使う? それは……自分より弱き物を喰らい続ける、野の獣と変わらん。
確かに弱肉強食は世の常だ。だが……我らは獣ではなく人間なのだ! 誰かの為に生きるという繋がりがあってこその霊長なのだ!
それを否定すれば──────汝は畜生に堕ちる! それでもいいというのか!!」
「そうか、それがお前の"義"か。ならば言葉では否定しない。
戦場で交わすは、ただ刃のみ──────そうであったな」
「嗚呼………………拙者はまだ、弱いままであったか……。
あの日……師匠に拾われたあの日から……何一つ、変わらぬ……ま……ま──────」
龍を興せし、陽炎の火と書いて、龍興 不知火。
以後お見知りおきを。この"杯の戦"をば、止めるために参上仕った」
「その手を放せ。そして二度と弱者をいたぶらぬと誓うのであれば見逃してやろう。
だが続けるというのであれば………………死んでもらう」
「抜刀。『鏡華水月流』"近の一"──────弧月」
「今は生きろ。そして……いずれ強くなれ。
この世は所詮、弱肉強食。拙者は此度は守ったが、いつ誰にも守られぬ時が来るかはわからん。
故に強くなれ……。主の道は主が開き、そして主の生は……他ならぬ主が掴むのだ」
「"忌月"を受けながらも尚も平然と立つか……。
汝、ただものではあるまい。何者だ? そも──人か?」
「何故それほどの力を持ちながら……誰かの為に戦わない。
汝よりもこの世界には弱き者は大勢いる。なのに────何故貴様は、そういった人々を脅かす。
力を持つならば、力を持たぬ人の為に生きるのが、当然の理ではあるまいか?」
「否、力持たぬ者の為でなくとも良い。国の為でも、主の為でもいい。
だが何故、汝は汝自身の為だけに力を使う? それは……自分より弱き物を喰らい続ける、野の獣と変わらん。
確かに弱肉強食は世の常だ。だが……我らは獣ではなく人間なのだ! 誰かの為に生きるという繋がりがあってこその霊長なのだ!
それを否定すれば──────汝は畜生に堕ちる! それでもいいというのか!!」
「そうか、それがお前の"義"か。ならば言葉では否定しない。
戦場で交わすは、ただ刃のみ──────そうであったな」
「嗚呼………………拙者はまだ、弱いままであったか……。
あの日……師匠に拾われたあの日から……何一つ、変わらぬ……ま……ま──────」
コメントをかく