京都検定 学習ノート - 【過去問】2011年 第8回京都検定2級(9/10ページ)

第8回京都・観光文化検定試験《2級》

[9]安土桃山〜江戸初期の京都に関する下記の文章を読み、(   )に入れる最も適当なものを(ア)〜(エ)から選びなさい。
 織田信長は、永禄11年(1568)に室町幕府将軍であった( 81 )を奉じて上洛し、将軍のために二条御所を現在の( 82 )のあたりに建てた。「本能寺の変」により信長が自刃したあと、後継者となった豊臣秀吉が信長の菩提寺として( 83 )を建立した。秀吉は、京都での政権の拠点としての聚楽第建設をはじめ、短冊型の町割、( 84 )、洛中を囲む御土居の建設など京都の大規模な都市改造を進めた。秀吉は死後、( 85 )に葬られ、その山腹に豊国大明神として祀られた。
 秀吉の側室の淀殿が、父である( 86 )の菩提を弔うため、( 87 )を建立した。のちに焼亡するが、淀殿の妹である崇源院(お江)が夫の徳川秀忠に願い出て再建し、以来、徳川将軍家の位牌所となった。この寺のある杉戸鐚「白象図」や「獅子図」は( 88 )の作と伝えられ、ユーモラスな表現をしている。
 江戸に幕府を開いた徳川政権は、京都を直轄都市とし、( 89 )を京都所司代として、その支配を強めた。また、京都の社寺の復興に努めるとともに、京都産業にも手厚く、特に( 90 )の保護に大いに尽力し、京都は大きく発展するところとなった。

(81) 織田信長は、永禄11年(1568)に室町幕府将軍であった(   )を奉じて上洛し、将軍のために二条御所を現在の( 82 )のあたりに建てた。

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(82) 織田信長は、永禄11年(1568)に室町幕府将軍であった( 81 )を奉じて上洛し、将軍のために二条御所を現在の(   )のあたりに建てた。

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(83)「本能寺の変」により信長が自刃したあと、後継者となった豊臣秀吉が信長の菩提寺として(   )を建立した。

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(84) 秀吉は、京都での政権の拠点としての聚楽第建設をはじめ、短冊型の町割、(   )、洛中を囲む御土居の建設など京都の大規模な都市改造を進めた。

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(85) 秀吉は死後、(   )に葬られ、その山腹に豊国大明神として祀られた。

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(86) 秀吉の側室の淀殿が、父である(   )の菩提を弔うため、( 87 )を建立した。

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(87) 秀吉の側室の淀殿が、父である( 86 )の菩提を弔うため、(   )を建立した。

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(88)( 87 )のある杉戸絵「白象図」や「獅子図」は(   )の作と伝えられ、ユーモラスな表現をしている。

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(89) 江戸に幕府を開いた徳川政権は、京都を直轄都市とし、(   )を京都所司代として、その支配を強めた。

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(90) また、京都の社寺の復興に努めるとともに、京都産業にも手厚く、特に(   )の保護に大いに尽力し、京都は大きく発展するところとなった。

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