(71) 近松門左衛門の浄瑠璃「堀川波鼓(ほりかわなみのつづみ)」に歌われた京都の南北の通りを、現在と比較すると( )が抜けている。
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(ア)御幸町通(ごこまちどおり)
(イ)高倉通
(ウ)衣棚通(ころものたなどおり)
(エ)小川通
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《解答》高倉通 公式テキスト[増]??ページ/[新]??ページ
(72) 室町通と新町通の間を三条通から六条通まで抜ける( )は、桃山期の有名な茶人の屋敷があったことにちなみ名付けられた。
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(ア)革堂図子(こうどうのずし)
(イ)相合図子(あいあいずし)
(ウ)了頓図子(りょうとんのずし)
(エ)だいうすの辻子(ずし)
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《解答》了頓図子(りょうとんのずし) 公式テキスト[増]278ページ/[新]342ページ
(73) 豊臣秀吉が聚楽第の周辺に諸大名を集住させ、現在の上京区には武将に由来する町名が多く残る。中でも主計町は( )の屋敷があったことにちなんで名付けられた。
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(ア)加藤清正
(イ)黒田如水(くろだ じょすい)
(ウ)黒田長政
(エ)上杉景勝
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《解答》加藤清正 公式テキスト[増]??ページ/[新]??ページ
(74) 修学院から比叡山延暦寺の根本中堂に至る( )は、延暦寺への勅使参向に用いられたため「勅使坂」とも呼ばれた。
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(ア)雲母坂(きららざか)
(イ)夢見坂
(ウ)台所坂
(エ)無動寺坂
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《解答》雲母坂(きららざか) 公式テキスト[増]281ページ/[新]345ページ
(75) 下京区の悪王子町(あくおうじちょう)は( )の荒魂を祀る悪王子社に由来する。
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(ア)タカオカミノカミ
(イ)イザナミノミコト
(ウ)スサノヲノミコト
(エ)オオクニヌシノミコト
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《解答》スサノヲノミコト 公式テキスト[増]??ページ/[新]346ページ
(76) 鎌倉時代の記録にも残る( )には、今も大西清右衛門家をはじめ専門の職人が住む。
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(ア)釜座通(かまんざどおり)
(イ)鍵屋町通(かぎやまちどおり)
(ウ)竹屋町通(たけやまちどおり)
(エ)上珠数屋町通(かみじゅずやまちどおり)
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《解答》釜座通(かまんざどおり) 公式テキスト[増]??ページ/[新]??ページ
(77) 北野天満宮東門の門前に形成された北野上七軒は、( )の指定を受けている。
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(ア)伝統的建造物群保存地区
(イ)歴史的風土特別保存地区
(ウ)界わい景観整備地区
(エ)歴史的景観保全修景地区
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《解答》界わい景観整備地区 公式テキスト[増]285ページ/[新]350ページ
(78) 京都の地誌・観光案内書である( )には、47ヵ所の辻子や、豊臣秀吉が御所参内の際に必ず通ったことにちなんで御幸町通(ごこまちどおり)と名付けられたことが記されている。
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(ア)京童(きょうわらべ)
(イ)京雀(きょうすずめ)
(ウ)京羽二重(きょうはぶたえ)
(エ)京羽津根(きょうはつね)
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《解答》京羽二重(きょうはぶたえ) 公式テキスト[増]??ページ/[新]??ページ
(79) 円珍(智証大師)が訪れた際に、辺りを案内したとされる動物にちなんで名づけられた( )は、俊寛の山荘があったことでも知られる。
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(ア)鷹峯(たかがみね)
(イ)今熊野
(ウ)鞍馬
(エ)鹿ヶ谷(ししがたに)
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《解答》鹿ヶ谷(ししがたに) 公式テキスト[増]281ページ/[新]345ページ
(80) 西田幾太郎と同様に「哲学の道」を散歩したことで知られ、経済学者でもある( )の墓は、ほど近い法然院にある。
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(ア)波多野精一
(イ)折口信夫
(ウ)川上肇
(エ)佐々木惣一
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《解答》
川上肇 公式テキスト[増]289ページ/[新]352ページ
《関連》
哲学の道、
法然院?