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岩鉄和尚の臭い尻を最も物語るものが、袴の下に日がな身に着ける褌である。この寺の大黒柱なのだから、きれいなさらしをと、奥さんがときどき仕立てているのだが、和尚は平気で三日も四日も同じ褌を締めている。かわやへ行く数が一番多いことも、尻が拭けていないことも、小便の切れが悪いことも、お構いなしだ。飯を食うとき、座禅を組むとき、畑のくわやかまを手入れするとき、座布団の上にどっかと座る度に、岩鉄和尚の汚い尻の穴が褌の布にこすりつけられる。経を読むときも、和尚は竹細工の椅子を尻の下にはさんでいる。それで、せっかくのさらしも糞や小便で汚れに汚れ、くたびれてしまうので、奥さんも何も言えない。「洗濯は私が。」と申し出たとき、奥さんがまず渋ったのが岩鉄和尚の褌だった。風呂に入りたがらない方だからと言葉を濁したが、私は半ば取り上げるようにたらいを抱えて川へ向かったのだった。そうして初めて嗅いだ岩鉄和尚の汚れ褌は今でも忘れられない。鼻がもげるかと思うほど臭かった。尻に当てる布に、べっとりと糞のカスが付いていた。そこを口いっぱいにほおばったときの、こくのある生臭い苦みは、私の一番のお気に入りとなった。今では褌の臭さに鼻がもげるどころか、すっかり癖になってしまった。朝もやのかかる川べりで一人、洗濯の前に木の陰に隠れて、和尚の褌を嗅ぎ回すときがたまらなく良い。「和尚様あ!くせえよお!和尚様の褌、くせえよお!好きだよ、和尚様あ!」川の音に混じって、布の中でくぐもった私の声が山中に響く。厳しい親父様の、恥ずかしい、尻の汚れ・・・。もう出る、その刹那。「うはあ!和尚様、にげえ!和尚様の糞、にげえよお!うめえよお!好きだよお!」ぼたぼたと草むらに子種を垂れ流しながら、うわ言のように和尚を呼び、糞の苦みに乱心する。和尚の弟子になって、心から良かった・・・。「おい!湯浴みだ!」まだ卯の刻だというのに岩鉄和尚が奥さんに叫ぶ。奥さんが眠い目をこすりながら寝間から出てきて、はいただいま、と言う。和尚が畑に出てから私を見て、すまないね、という目をよこす。風呂たきも私の仕事になってしばらく経つが、和尚は未だに奥さんに指図するのだった。もうすぐ嗅げる。わがまま和尚のくせえ褌が。奥さんはどうか知らないが、私は尻の臭い岩鉄和尚のためなら何でもして差し上げたいのである。和尚の褌を持ち歩く2016/01/05岩鉄和尚の尻は日本一臭いと私は思う。三日も取り替えない和尚の褌には、いつも尻の汚れがこびり付いている。茶色い糞の染みがこってりと幾筋にもなってさらし布の後ろを汚している。前袋もすごい。小便の切れが悪いのか、一面が真っ黄色になる。それは、いつも決まったことなのだ。越中でこれほど汚す岩鉄和尚だが、特にひどいのは祭りのときに六尺を締めたときである。縦回しにごっそりと、糞の筋が染み付いて、それはもう臭いのなんの。あれを手にしたときのどきどきは年にそう多くない。普段は和尚の汚した越中を左のたもとに入れて持ち歩くのが私の楽しみになっている。衣の袖を上げれば、ふわっと、親父の濃い小便と糞の匂いが上がってくる。もちろん、和尚の脂っこい汗の匂いも。その度に、岩鉄和尚を感じるのだ。師匠の最も恥ずかしいものを持ち歩くと、傲慢な師匠に勝ったような気分になれる。和尚様の臭い尻とマラのことは全部弟子の私が知っていますよ、というふうにである。悪いのは、くせえ褌をこしらえる和尚のほうなのだ。そうしていつも私の鼻を楽しませるから、持ち歩いてしまうのだ。和尚の褌を洗う役目は私。だから、川へ行ったときに、持ち歩いていた古いほうを洗う。新しい糞と小便の汚れと、古い糞と小便の汚れを嗅ぎ比べ、ときには一緒に鼻に当てて嗅ぎ回し、最後には古い褌にこってり付いた糞の筋をくちゃくちゃと味わいながら、真っ黄色から茶色みがかり出した小便の臭みにあえぎながら、果てる。すえた苦みがたまらない。我が師匠の尻の苦み。座禅を組む度にこの褌に臭い穴が押しつけられ、苦い糞がこびり付くのだ。どうしてこんなに汚いんだろう。四十男にもなって。糞した後の尻に手が届かないのだろう。ずぼらな方だから、もはや拭いていないのかもしれない。くせえ、にげえ。小便くせえ。そんなことを思いながら、元は白だったはずの茶色くて臭い布に舌をはわせるとき、師匠がとてもいとおしく思える。このくせえ和尚様のために、何でもして差し上げたくなるのだ。汚した褌だって真っ白にして差し上げる。川面に浮かべた褌に薄い黄色と茶色の染みがさっと広がるのを見ているのも楽しいものである。そしてまた、新しい汚れ褌をたもとに入れて持ち歩く。ふわっと匂う、親父の小便と糞。寺の物陰で、本堂の中で、かわやで、そっと取り出して広げて嗅ぐ。ああ、くせえなあ。夜、岩鉄和尚が奥さん相手にばんばんと腰を使う間も、嗅ぎながらこっそりと勇姿を眺める。すげ、マラも尻もくせえよお。畑で草取りをする和尚のでかい尻の後ろで取り出して静かに嗅ぐ。どきどきするし、くせえくせえ。こうして、私は毎日、親父様の恥ずかしい汚れ褌を楽しんでいるのである
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岩鉄和尚の臭い尻を最も物語るものが、袴の下に日がな身に着ける褌である。
この寺の大黒柱なのだから、きれいなさらしをと、奥さんがときどき仕立てているのだが、
和尚は平気で三日も四日も同じ褌を締めている。
かわやへ行く数が一番多いことも、尻が拭けていないことも、小便の切れが悪いことも、お構いなしだ。
飯を食うとき、座禅を組むとき、畑のくわやかまを手入れするとき、
座布団の上にどっかと座る度に、岩鉄和尚の汚い尻の穴が褌の布にこすりつけられる。
経を読むときも、和尚は竹細工の椅子を尻の下にはさんでいる。
それで、せっかくのさらしも糞や小便で汚れに汚れ、くたびれてしまうので、奥さんも何も言えない。
「洗濯は私が。」と申し出たとき、奥さんがまず渋ったのが岩鉄和尚の褌だった。
風呂に入りたがらない方だからと言葉を濁したが、私は半ば取り上げるようにたらいを抱えて川へ向かったのだった。
そうして初めて嗅いだ岩鉄和尚の汚れ褌は今でも忘れられない。
鼻がもげるかと思うほど臭かった。尻に当てる布に、べっとりと糞のカスが付いていた。
そこを口いっぱいにほおばったときの、こくのある生臭い苦みは、私の一番のお気に入りとなった。
今では褌の臭さに鼻がもげるどころか、すっかり癖になってしまった。
朝もやのかかる川べりで一人、洗濯の前に木の陰に隠れて、和尚の褌を嗅ぎ回すときがたまらなく良い。
「和尚様あ!くせえよお!和尚様の褌、くせえよお!好きだよ、和尚様あ!」
川の音に混じって、布の中でくぐもった私の声が山中に響く。
厳しい親父様の、恥ずかしい、尻の汚れ・・・。
もう出る、その刹那。
「うはあ!和尚様、にげえ!和尚様の糞、にげえよお!うめえよお!好きだよお!」
ぼたぼたと草むらに子種を垂れ流しながら、うわ言のように和尚を呼び、糞の苦みに乱心する。
和尚の弟子になって、心から良かった・・・。
「おい!湯浴みだ!」
まだ卯の刻だというのに岩鉄和尚が奥さんに叫ぶ。
奥さんが眠い目をこすりながら寝間から出てきて、はいただいま、と言う。
和尚が畑に出てから私を見て、すまないね、という目をよこす。
風呂たきも私の仕事になってしばらく経つが、和尚は未だに奥さんに指図するのだった。
もうすぐ嗅げる。わがまま和尚のくせえ褌が。
奥さんはどうか知らないが、私は尻の臭い岩鉄和尚のためなら何でもして差し上げたいのである。
和尚の褌を持ち歩く
2016/01/05
岩鉄和尚の尻は日本一臭いと私は思う。
三日も取り替えない和尚の褌には、いつも尻の汚れがこびり付いている。
茶色い糞の染みがこってりと幾筋にもなってさらし布の後ろを汚している。
前袋もすごい。小便の切れが悪いのか、一面が真っ黄色になる。
それは、いつも決まったことなのだ。
越中でこれほど汚す岩鉄和尚だが、特にひどいのは祭りのときに六尺を締めたときである。
縦回しにごっそりと、糞の筋が染み付いて、それはもう臭いのなんの。
あれを手にしたときのどきどきは年にそう多くない。
普段は和尚の汚した越中を左のたもとに入れて持ち歩くのが私の楽しみになっている。
衣の袖を上げれば、ふわっと、親父の濃い小便と糞の匂いが上がってくる。
もちろん、和尚の脂っこい汗の匂いも。その度に、岩鉄和尚を感じるのだ。
師匠の最も恥ずかしいものを持ち歩くと、傲慢な師匠に勝ったような気分になれる。
和尚様の臭い尻とマラのことは全部弟子の私が知っていますよ、というふうにである。
悪いのは、くせえ褌をこしらえる和尚のほうなのだ。
そうしていつも私の鼻を楽しませるから、持ち歩いてしまうのだ。
和尚の褌を洗う役目は私。
だから、川へ行ったときに、持ち歩いていた古いほうを洗う。
新しい糞と小便の汚れと、古い糞と小便の汚れを嗅ぎ比べ、ときには一緒に鼻に当てて嗅ぎ回し、
最後には古い褌にこってり付いた糞の筋をくちゃくちゃと味わいながら、
真っ黄色から茶色みがかり出した小便の臭みにあえぎながら、果てる。
すえた苦みがたまらない。我が師匠の尻の苦み。
座禅を組む度にこの褌に臭い穴が押しつけられ、苦い糞がこびり付くのだ。
どうしてこんなに汚いんだろう。四十男にもなって。糞した後の尻に手が届かないのだろう。
ずぼらな方だから、もはや拭いていないのかもしれない。くせえ、にげえ。小便くせえ。
そんなことを思いながら、元は白だったはずの茶色くて臭い布に舌をはわせるとき、師匠がとてもいとおしく思える。
このくせえ和尚様のために、何でもして差し上げたくなるのだ。
汚した褌だって真っ白にして差し上げる。
川面に浮かべた褌に薄い黄色と茶色の染みがさっと広がるのを見ているのも楽しいものである。
そしてまた、新しい汚れ褌をたもとに入れて持ち歩く。
ふわっと匂う、親父の小便と糞。
寺の物陰で、本堂の中で、かわやで、そっと取り出して広げて嗅ぐ。ああ、くせえなあ。
夜、岩鉄和尚が奥さん相手にばんばんと腰を使う間も、嗅ぎながらこっそりと勇姿を眺める。すげ、マラも尻もくせえよお。
畑で草取りをする和尚のでかい尻の後ろで取り出して静かに嗅ぐ。どきどきするし、くせえくせえ。
こうして、私は毎日、親父様の恥ずかしい汚れ褌を楽しんでいるのである