あどりぶランド』は、1984年1月25日から1998年3月18日まで毎日放送(MBSテレビ)で放送されていたバラエティ番組。毎日放送アナウンサー室所属のアナウンサーが企画から出演まで携わったレギュラー番組で、番組内ではしばしば、“あどラン”の略称で呼ばれていた。
このページでは、当番組の放送中から続けられている毎日放送アナウンサー室関連の企画・イベント、当番組の終了後に同局のアナウンサーが集結(または交互に出演)する番組および、同局アナウンサー室の企画によって2018年7月13日(12日深夜)から毎週土曜日の1:20 - 1:50(金曜日の25:20 - 25:50)にMBSテレビで放送中のレギュラー番組『コトノハ図鑑』( - ずかん)についても述べる。

概要

日本国の放送局で初めて、正社員(一部除く)のアナウンサーが全員レギュラーで出演した番組。MBSアナウンサー室所属のアナウンサーに話題の現場を取材させたり、コントや時代劇などの企画に挑戦させたりしたほか、ひな壇席に座ったアナウンサー全員で1人のゲストに次々と質問を投げ掛ける「よってたかってインタビュー」を毎週放送していた。
いわゆる「撮って出し番組」で、放送開始から6年9か月間は、水曜日の放送直前に吹田市のMBS千里丘放送センターで収録。本社機能が同施設から大阪市北区茶屋町に移転したのを機に、1990年10月3日放送分から最終回までは、茶屋町本社のギャラクシーホール(後のギャラクシースタジオ)で収録していた。
ちなみに、新人アナウンサーを採用した年には、当番組で自己紹介やレギュラー出演の機会を設けていた。また、アナウンサー室にアノンシスト賞をもたらすほどの企画(後述)を輩出したほか、初期には報道系のアナウンサーによるジャーナリスティックな企画も随時放送。阪神・淡路大震災(1995年1月17日・火曜日)の翌日には、当初の放送予定を変更したうえで、全編にわたって生放送で震災関連情報を伝えた。
当番組はMBS以外に、関連会社のGAORAで2〜3か月遅れて放送。MBSのサービスエリアである関西地方以外でも、CS放送を受信できる環境にあれば視聴できるようになっていた。MBSラジオでも、ナイターオフ期間に関連番組として『ラジオあどりぶランド』『ラジオであどラン歌謡曲』を放送。1986年には八曜社から『This is MBS こちらあどりぶランド』、1988年にはシンコーミュージックから『まるのまんま あどりぶランド』、1993年には放送10周年記念として『マイクもたずにあどりぶランド』がそれぞれ刊行された(いずれも現在は絶版)。

放送時間

時刻はいずれもJST、MBSでの放送時間。GAORAでの放送時間は不明。
  • 水曜 23:25 - 24:25 (1984年1月 - 1987年10月)
  • 水曜 23:25 - 24:50 (1987年11月 - 1989年4月)
  • 水曜 23:25 - 24:25 (1989年5月 - 1989年9月)
  • 水曜 23:25 - 24:50 (1989年10月 - 1992年9月)
  • 水曜 23:25 - 24:25 (1992年10月 - 1994年9月) - 『テレビのツボ』の放送開始に伴い、放送枠が60分に縮小。
  • 水曜 23:20 - 24:20 (1994年10月 - 1998年3月) - 『ニュースステーション』の放送枠縮小に伴い、以後は5分繰り上げて放送。

主な放送内容

レギュラー企画

よってたかってインタビュー
オープニングの直後に放送されていたゲストコーナーで、ひな壇に座る他のアナウンサーたちが進行役からの指名を受け、ゲストへ矢継ぎ早に質問するというものだった。進行役はアナウンサーたちが週替わりで担当。初期には、『アップダウンクイズ』(当時のアナウンサー室長・小池清が長年司会を担当)の「シルエットクイズ」にちなんで、ゲストが登場する前にそのシルエットからゲストを当てさせるクイズも実施していた。
通常は他の企画と同時に収録していたが、ゲストのスケジュールに合わせて、当コーナーを他の企画より先に収録することがあった。
現在MBSテレビで放送中のローカル情報番組『ちちんぷいぷい』では、この番組にアナウンサーの1人として出演していた角淳一が初代の総合司会を務めていた時期に、2度にわたって生放送の中で当企画を復活させている。
  • 2006年1月1日に放送された特別番組『角淳一の大大大正月2006』では、堀江貴文(出演当時はライブドア代表取締役社長兼CEO)を中継先(当日開店したばかりのライブドアオート大阪南港店)から毎日放送のスタジオへ迎えたうえで、番組の途中に角の後輩アナウンサー・上泉雄一の進行による「よってたかってインタビュー」を実施。総合司会の角・宮根誠司に加えて、当日のゲスト(松浦亜弥、桂ざこば、なるみ、ロザン、未知やすえ、トミーズ健)がインタビュアーを務めていた。ちなみに堀江は、同番組へのテレビ出演を最後に、同月23日に証券取引法違反の容疑で逮捕された。
  • 角が『ちちんぷいぷい』を卒業する2011年9月30日(金曜日)の放送中には、「角淳一によってたかってインタビュー」を実施した。インタビュアーを務めたのは、同番組の主なレギュラー出演者(桂南光と未知やすえは公演先からの中継で出演)。角とともに総合司会を担当してきたアナウンサーの西靖が進行したほか、質問の機会はなかったものの、インタビュアー席には同番組でアシスタントやコーナーレギュラーを務めるアナウンサー(山中真・河田直也・大吉洋平・吉竹史など)も座っていた。このインタビューのオープニングでは、角が『あどりぶランド』時代の「よってたかってインタビュー」のエピソードを披露。放送当時のアナウンサーでただ1人小池が「インタビューゲスト」として登場した際に、進行役を務めていたことを明かしている。
あどランタイムズ
番組末期に放送されていた5分程度のコーナーで、1名のアナウンサーが週替わりで登場。特技を披露したり、自身のこだわっていることを語ったりしていた。

シリーズ企画

なんでも実況
スポーツアナウンサーの結城哲郎(後にアナウンサー室長を経てGAORAへ出向、現在はフリーアナウンサー)が考案したコーナーで、アナウンサーたちがさまざまな現場へ赴いては実況に挑戦した。
1984年5月23日の放送では、競馬実況で知られた蜂谷薫が、5日後に控えていた日本ダービーの架空実況を披露。出走予定の18頭の馬名を実況にすべて織り込んだばかりか、結果として、シンボリルドルフの1着やレース展開を的中させた。
1991年には、スポーツアナウンサーの井上光央・馬野雅行・田丸一男が、当時琵琶湖の畔に建っていた通称「幽霊ビル」の爆破解体の模様を実況。当時NHK大津放送局から移籍したばかりの田丸が爆破の瞬間に絶叫したシーンの映像は、当番組が終了した後も、MBSテレビの番組(『ちちんぷいぷい』など)で繰り返し流されている。
激突シリーズ
「新人類vs旧人類」など、意見が二分されやすいテーマに基づく討論・対決企画。
あどりぶサロン
前出の「よってたかってインタビュー」とは別に、少数のアナウンサーが著名人(夫婦)にインタビューを実施していた。
ハジソン博士の○学
近藤光史扮する「ハジソン博士」と、近藤の1年先輩・松井昭憲演じる弟子の「ハジゴロウ」による実験・雑学講座で、1985年7月31日から不定期で放送。白衣姿の2人による軽妙なやり取りで人気を博した。扱ったテーマは、「蚊」「字が10倍うまくなる方法」「コンピューター」「放射能」「半導体」など。
あどランKING TOP10
時代劇企画
小池の後任のアナウンサー室長・藤本永治が「本格的な鞍馬天狗の扮装で立ち回りをやりたい」という要望を出したことをきっかけに、黒田義之監督に10分程の短編時代劇「鞍馬天狗」の制作を依頼。以降も年に1回のペースで、アナウンサー総動員の本格的時代劇を制作・放送した。
第一回 1985年12月11日「忠臣蔵」 - 松の廊下、一力茶屋、吉良邸討ち入りの3部構成。
第二回 1986年12月24日「新撰組」 - 新撰組の成立から、流山における近藤勇と土方歳三の別れまでを描いた正統派時代劇。
第三回 1988年1月20日「水戸光圀」 - 京都ロケを敢行。角がユニークな水戸黄門を演じた。
第四回 1989年1月4日「N・U(ヌウ)」 - 杉田玄白とE.Tの様な宇宙人との触れ合いを描いたSF時代劇。
第五回 1990年1月3日「お祭り提灯」 - 松竹新喜劇の藤山寛美に指導を仰いだ本格的舞台喜劇。
第六回 1991年1月2日「大評判ひつじ長屋」 - 当番組のファンだった舞台作家・香川登枝緒書き下ろしの喜劇。
第七回 1994年1月5日「高津の富くじ」 - 再び松竹新喜劇の協力を得て制作した時代劇で、シリーズ最終作。

アナウンサーの挑戦企画

鯖街道七十五キロメートル
1986年10月29日放送。蜂谷・高村昭・三好俊行が、徒歩だけによる鯖街道(総距離約75km)の完全踏破に挑戦。全員無事に歩き切った。
グアムマラソン涙の完走
結城の提案をきっかけに実現した企画で、1987年6月3日放送。アナウンサー室の予選に勝ち残った蜂谷・結城・阪本時彦・水谷勝海・今野秀隆・青木和雄が、駅伝形式でグアムマラソンに挑戦した。蜂谷(1区:7.95km)→結城(2区:11.35km)→阪本(3区:4.175km)→水谷(4区:4.175km)→今野(5区:11.35km)→青木(3.195km)の順に襷をつないだ結果、出場22チーム中15位(合計タイム3時間44分43秒)で完走[8]。
新人アナウンサーの挑戦企画
番組の放送期間中にMBSへ入社したアナウンサーが主体の企画。新人研修の模様や、インタビューの研修企画などを放送していた。
1992年に入社した上泉雄一と武川智美(いずれも現役アナウンサー)は、入社1年目に横山たかし・ひろしへ弟子入り。漫才の稽古を重ねた末に、当時存在していた松竹芸能の演芸場「浪花座」で、一般客を前にコンビ漫才を披露した。

特別企画

旧札vs新札
1984年10月17日に放送。「肖像画が日本の紙幣に使われた著名人6名を現代に蘇らせる」との想定の下に、著名人に扮した藤本・青木・角・野村啓司・板倉俊彦・近藤光史・鎌田正明が、「旧札」と「新札」に分かれたうえでアドリブを交えながら論戦を展開した。ちなみに、藤本は聖徳太子、角は岩倉具視、近藤は伊藤博文を演じていた。
あどラン実験劇場 邦楽とセッション
1986年8月6日に放送。斎藤努による進行の下で、鼓奏者の藤舎呂悦と和笛奏者の藤舎推峰を相手に、高村・蜂谷・高梨欣也が得意分野のアナウンスメントで和笛・鼓とのセッションに挑んだ。ちなみに、蜂谷は架空競馬実況、高梨は架空のニュース原稿読み、高村は『平家物語』那須与一の段の朗読を披露。それぞれのアナウンスメントの合間に、和笛や鼓が鳴らされる趣向になっていた。

その他

秋深し…アナ大喜利
藤本の司会で、高梨、角、野村、板倉などが参加した。
人気芸人の新ネタ披露
角と野村の司会で、やすしきよしなどをゲストに迎えた。角と野村が、前座扱いで漫才を披露したこともある。

テーマ曲

  • 最初期には、フュージョン・バンドメゾフォルテの「ガーデン・パーティ」をテーマ曲に用いていた。
  • 1992年1月から使われていたCM前のジングルは、キダ・タローの作曲に高梨、平松邦夫、来栖正之、千葉猛、水野晶子、関岡香、岩城潤子、高井美紀のコーラスを配したものである。
    • 制作当初、このジングルに「よみうりテレビのスポットCMに使う曲と酷似している」という指摘があり、番組がそれを逆手にとって『MBSナウ』を模した、一放送回分にわたるパロディ映像を作って放送したことがある。キャスター役に平松邦夫(当時の『MBSナウ』キャスター)を持ってくるなどして、それだけ一見すれば本物の『MBSナウ』と勘違いしてしまうほど精巧であったが、よく見るとかなりのお遊び要素を含んだ、明らかなパロディであった。
      • オープニングに流れるテーマソングが一世代前(平松がニュース原稿を読む場面のセットと明らかに世代が合わない)。
      • オープニングの提供スポンサーが全て、キダがCMソングを手掛けた企業である。
      • キダが病院から連行されるシーンで使用されている検察の車が、明らかにタクシーである(ガラスに料金が書いてある)。
      • 裁判のシーンに登場する弁護士を、角が演じていた。また、当番組と同じ放送枠で火曜日に放送されていた『新・たかじんが来るぞ』から、新野新とやしきたかじんが証言者として登場していた。
  • エンディングテーマには、パティ・ペイジの「Hush, Hush, Sweet Charlotte」を採用。この曲をBGMに、放送日までの1週間のニュースを映像で振り返るエンディングがこの番組の名物の1つになっていた。

スタッフ

  • 企画 - 毎日放送アナウンサー室
  • 構成 - 水野重之、越坂哲司 → 藤田智信 → 東野ひろあき
  • 演出 - 渡辺高志 → 小川智 → 高垣伸博 → 田渕伸一
  • プロデューサー - 牧ひろし → 柳川正邦 → 安田公一 → 斎藤努
  • 制作協力 - 大阪東通(現・関西東通)、東通企画、Express ほか
  • 製作著作 - 毎日放送

補足

番組開始までの経緯

MBSラジオでは1979年12月30日に、近藤・松井の司会で『毎日放送アナウンサー全員集合』という特別番組が放送された。1983年5月に毎日放送の社内でテレビ番組の企画を募集した際に、期限の1週間前になってもアナウンサー室から全く企画が出ていないことを憂慮した小池室長の依頼で、近藤と斎藤がアナウンサー総出演の番組を構想。近藤・斎藤が夜を徹して企画を練り上げたうえで、「アナウンサー室の企画」として提出したところ、同年8月に新番組の企画として正式に採用された。その意味で、『毎日放送アナウンサー全員集合』はこの番組のパイロット版と言える。
企画の採用当初は、1983年10月からの放送を目指していた。しかし、「(採用決定から実質1か月しかない状況では)準備期間が少なすぎる」との理由で、結局は放送開始を翌1984年1月にまで延期した。近藤によれば、当時アナウンサー室に所属していたアナウンサー全員から出演の承諾を得るまでに、1か月ほどの時間を要したという。ちなみに、最初の企画案では、著名な作家から出されたミッションをアナウンサーに実行させることを想定していたとされる。
番組タイトルの名付け親は青木で、「アナウンサーの持ち味はアドリブにある」という実感に沿って、「あどりぶ」というタイトルを最初に決定。青木が後年述懐したところによれば、毎日放送が当時使用していた千里丘放送センターがエキスポランド(後のEXPOCITY)の近隣地域に建っていたことから、「アナウンサーが集まる楽しい場所」というニュアンスで「ランド」を後ろに付けたという。

最終回

当番組は、1998年3月で、14年3か月間にわたる放送に幕を閉じた。最終回では放送時間を2時間に拡大したうえで、番組放送開始時の最年少アナウンサーだった柏木宏之(1984年入社)と、番組終了時の最年少アナウンサーだった中村香奈(1997年入社、現在は他の部署へ異動)が進行を担当。出演者全員で過去のVTRを見ながら、番組の歴史を振り返った。

放送終了後

1999年10月11日からMBSテレビで平日の午後に放送中の『ちちんぷいぷい』では、「よってたかってインタビュー」へ ゲストで出演した著名人の訃報を伝える場合に、出演時の映像を流しながら紹介している。
2015年3月25日放送分の14時台「きょうの☆印」のコーナーでは、同年19日に逝去した桂米朝追悼特集の一環として、1989年放送の「よってたかってインタビュー」から、当時新人だった馬野が米朝に質問したシーンの映像を流した。
2019年7月11日放送分のオープニングで竹村健一(同年9日に89歳で逝去)の訃報を伝えた際には、1985年放送の「よってたかってインタビュー」から、近藤光史による進行の下に井上光央と吉田智子(いずれも当時のベテランアナウンサー)が竹村に鋭い質問を投げ掛けたシーンの映像を流した。

毎日放送アナウンサー室のプロジェクト「コトノハ」

派生番組『コトノハ図鑑』

概要
前述した「コトノハ ものがたりの世界」からの派生企画として、毎日放送のアナウンサー室が、『あどりぶランド』の終了から20年振りに復活させたアナウンサー主体の事前収録番組。「人が生み出した最高のコミュニケーションツール『コトノハ(言葉)』を 深く知れば、人生が少し豊かになる!」というキャッチフレーズと、「広大な言葉の世界の取材を通じて『コトノハ図鑑』を完成させる」という目標の下に、毎回数名のアナウンサーがロケの企画・取材・報告やクロストークを通じて「コトノハ(言葉)」の世界を深く掘り下げる。
放送上は、アナウンサー室を「『コトノハ図鑑』の編集部」、所属するアナウンサー全員を「『コトノハ図鑑』の編集者」に設定。2 - 3名のアナウンサーによるロケパートと、ロケパートの内容に沿った(ロケ担当者を含めた)若干名のアナウンサーによるトークパートで構成している。
トークパートの収録には、基本としてアナウンサー室のオフィスの一角(毎日放送本社M館内のフロア)を使用。収録中には、「コトノハ図鑑編集部」という看板を掲げている。ただし、取材先や公開収録イベントのステージなど、アナウンサー室以外の場所でトークパートを収録することもある。

パイロット版

『あどりぶランド』の終了からおよそ20年後の2018年5月11日(金曜日)の24:20 - 25:20(12日の深夜0:20 - 1:20)に放送。「コトノハ(言葉)」にちなんだ3本の取材企画を中心に構成した事前収録番組で、毎日放送が制作する単独の番組としては、当番組の終了以来20年振りに現役アナウンサー(放送時点では35名)の大半(25名)が出演した。
放送時点の現役アナウンサーで社歴が最も浅かった(当時入社4年目の)森本尚太・玉巻・藤林が全体の進行、福島暢啓・松川浩子、河田・武川智美・千葉猛、仙田和吉・玉巻が取材を1本ずつ担当[46][47]。その結果、2018年7月12日の深夜(13日の未明)から、毎週金曜日の深夜(土曜日の未明)に30分番組として放送することが決まった。若手アナウンサー時代に『あどりぶランド』へ出演した後に、パイロット版の収録へ参加した上泉雄一(2017年6月からアナウンス室企画担当部長を兼務)によれば、「パイロット版の企画段階からレギュラー化を視野に入れていた」という。
レギュラー版
毎回1つの分野の「コトノハ」をテーマに、2 - 3名のアナウンサーが1組単位でロケ取材を担当。ロケパートにもトークパートにも出演しないアナウンサーから、1名が持ち回り方式でナレーターを務める。「『コトノハ図鑑』の編集者たちが学ぶ姿を『コトノハ(言葉)』に関する視聴者の発見につなげる」という趣旨で構成されているため、テーマに関連する「コトノハ」の専門家(主に京都学園大学→京都先端科学大学人文学部教授の丸田博之)がロケに登場することや、トークパートのみの参加者にロケ担当者が取材内容に関するクイズや「お題」を出すことが多い。その一方で、あるジャンル(囲碁・将棋・刀剣・弓道など)から派生した意外な日常表現を、取材担当のアナウンサーがミニドラマ仕立てで紹介することもある。
取材する企画については、ディレクターが担当アナウンサーを指名したうえでアナウンサー室へ随時提案するほか、アナウンサー室内でも現職のアナウンサーから企画書を四六時中募集。企画会議には、上泉や河田など、アナウンサー室の管理職も同席している。
開始当初は、レギュラー版のオリジナル企画として、「アナウンサーがあなたのコトノハお手伝いします」という視聴者参加企画を実施。「コトノハ(言葉)」に関して毎日放送アナウンサーの手を借りたいこと(イベントの司会・実況、音声ガイダンス、啓発アナウンス、代理スピーチなど)を視聴者から募ったうえで、番組スタッフによる選考を経て、依頼に見合ったアナウンサーを派遣した模様を随時収録・放送していた。
2019年3月からは、「地方のコトノハ」(日本国内で関西以外の地方の方言を現地ロケを通じて学ぶシリーズ企画)を開始。毎日放送と同じANN・JRN・NRN加盟局の現役アナウンサーから、当該地方の出身者がロケに同行する*1
なお、2019年4月6日からは、放送枠を毎週土曜日の朝(7:00 - 7:30)へ移動。同年9月からは、当番組にも登場するアナウンサーから若干名が出演する予約定員制のトークイベント「コトノハ図鑑 番外!ライブ」も随時開催する。
出演者
毎日放送アナウンサー室に所属するアナウンサー(レギュラー放送の開始時点では総勢38名)から、週替わりで4 - 6名がトークパートに出演。年齢・キャリア・担当番組などが異なる2 - 3名のアナウンサーがロケ取材を担当するとともに、トークパートにも参加する。ただし、出演者の組み合わせや、ナレーションの担当者は毎回異なる。放送回によっては、福島の声による「ことじい」(アニメーションによるキャラクター)が、ナレーターとしてVTRに登場することもある。
レギュラー版を30分番組として編成することや、日常業務の合間を縫う格好で収録することから、現役アナウンサー全員が放送上一堂に会することはない。ただし、アナウンサー室全体で取り組む「コトノハ」関連の挑戦企画やアンケートには全員が参加。総集編を放送する場合には、過去の放送で取り上げた「コトノハ」を対象にあらかじめ「期末テスト」を実施したうえで、正解率に応じて難易度ランキングを算出している。その関係で、レギュラー版のタイトル映像には、放送時点でアナウンサー室に在籍するアナウンサー全員の顔写真と氏名を挿入。エンドロールにも、出演の有無を問わず、アナウンサー全員の氏名を表示している。
放送時間
  • 2018年7月12日 - 2019年3月28日  毎週金曜日 25:20 - 25:50(土曜日 1:20 - 1:50)
  • 2019年4月6日 - 毎週土曜日 7:00 - 7:30
編成上の事情などから、週によっては、放送時間の変更、放送の休止、過去のレギュラー版の再放送のいずれかで対応。レギュラー版の再放送については、別の曜日・時間帯で随時実施するほか、スポーツ中継のフィラー番組として編成されることもある。
MBS動画イズムでは、レギュラー版の放送済み動画を、放送終了後から1週間にわたって無料で配信する(一部の放送回を除く)。
Sponichi Annex(『スポーツニッポン』のオンライン版)では、パイロット版から放送の前日に当番組の予告記事を配信。スポーツニッポン新聞社大阪本社発行分の紙面でも、その記事が芸能面に掲載されることがある。
2018年の最終放送(12月21日未明)では、「生放送スペシャル」として、放送枠を60分(0:50 - 1:50)に拡大。放送の2日後(23日)に有馬記念(JRAが主催する年内最後のG1レース)の開催を控えていることにちなんだ「競馬のコトノハ」をテーマに、来栖正之と藤林による阪神競馬場での独占ロケ取材企画、スポーツニッポン新聞社大阪本社編集局からの生中継(リポーター:大吉)、競馬ファンが集まる梅田(大阪市北区)の「競馬バー」からの生中継(リポーター:三ッ廣)、「MBS競馬アナ三銃士」(来栖・仙田・河本光正)の自薦による(自身が実況を担当したMBSラジオの競馬中継からの)「マイベスト実況」、MBSラジオの中継で有馬記念を実況する仙田の架空予想実況を組み込みながら、トークパートで(パイロット版を含めても)初めての生放送を実施した。
2019年には、1月2日(水曜日)の8:00 - 9:00に、当番組で初めての『新春スペシャル』を関西ローカルで放送した。2018年12月16日に神戸迎賓館(神戸市須磨区)で実施されたトークパートの収録には、放送2日前(12月31日)に定年で退職した水野晶子・当時産前産後休暇に入っていた豊崎(2019年3月25日付で職場復帰)を除く女性アナウンサー全員(12名)と、男性アナウンサー16名が参加。2019年で年男(48歳)になる西と、収録時点で社歴が最も浅く、同年で年男・年女(24歳)になる辻・三ツ廣(いずれも入社1年目)が和装で進行を担当した[53]。
スタッフ
  • チーフプロデューサー:北野弘(アナウンサー経験者ではないが、制作畑の出身で放送開始時点でのアナウンスセンター長)、横田一
  • プロデューサー:藤原大輔、中口慶三
  • チーフディレクター:阿部淳人
  • ブレーン:高井祥、蔭岡翔
  • タイトル:鵜飼あゆみ
  • アートプロデューサー:前原清花
  • デスク:谷口舞佑子
  • 宣伝:水野愛美
  • 技術協力:放送映画、リベンジ、フィラメント、チョコフィルム、ちゅるんカンパニー
  • 美術協力:毎日舞台、高津商会、堺かつら
  • 製作著作:毎日放送
  • 制作協力:えむき
その他
2013年からは、毎日放送Mビジョン推進局が制作する「MBSアナウンサーカレンダー」を、本社内のグッズショップ、毎日放送が運営するショッピングサイト、関西地方の主要書店などで販売。他の民放局のカレンダーがおおむね女性の正局員アナウンサーの写真だけで構成されているのに対して、撮影時点での正局員アナウンサーを全員登場させているほか、テーマや趣向を毎年変えている。発売年によっては、一部の書店でカレンダー購入者向けの発売記念イベントを開催するとともに、一部のアナウンサーがイベントへ参加。『コトノハ図鑑』の放送開始後初めて発売されるカレンダー(2019年版)には、同番組と連動させたテーマで、36名のアナウンサーが挙げた「(あなたにとって)大事な『コトノハ』」を紹介している。

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