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中村敦夫の地球発22時』(なかむらあつおのちきゅうはつにじゅうにじ)は、1984年10月5日から1988年9月23日まで、テレビ朝日系列にて放送された毎日放送(MBS)制作のドキュメンタリー番組である。
1988年4月からは時間帯変更に伴い、『中村敦夫の地球発23時』(なかむらあつおのちきゅうはつにじゅうさんじ)へと改題された。*1
本項目では、1988年10月10日から1991年9月16日までテレビ朝日系列にて放送された後継番組『地球発20時』(ちきゅうはつにじゅうじ)についても併せて取り扱う。

概要

  • それまで22時台にて放送されていたMBS制作のクイズ番組『世界まるごとHOWマッチ』が21時台に移動したのに伴い開始された、硬軟とり交ぜたジャーナリスティックなドキュメンタリー番組である。
    • タイトルにもあるように俳優の中村敦夫がキャスターを務め、また番組初期には中村に加え女性パーソナリティーのマーシャ・クラッカワー(現:聖心女子大学教授)とのコンビで、ゲストを迎えながらのスタジオでのトーク形式が採られていた。マーシャの降板後は全編ロケーションによるものに移行している。
  • 『20時』時代は原則として固定の司会者を特に設けてはいないが、取り上げる内容によっては当時テレビ朝日野球解説者の野村克也、タレントの山口美江、元テレビ朝日アナウンサーの古舘伊知郎などがナビゲーターを務めることもあった。
  • 『22時』時代に日本の東西南北の端を2週にわたって特集したため、北方領土以外の4地点(弁天島 (稚内市)、沖ノ鳥島、南鳥島、与那国島)に本番組の旗が立ったことがある。また『20時』時代には「世界初公開 KGB」など、世界の軍事、警察、諜報機関などといった、硬派なテーマを取り上げた世界初となる取材も多く放送された。
  • 『22時』時代の大筆頭スポンサーはNTTであり、ネットセールスの『22時』と『20時』は複数社提供体制であった。

放送時間の変遷

  • 放送開始から1988年9月23日放送分までは毎週金曜 22:00 - 22:54(以下、いずれもJST)での放送だったが、以前よりMBSとテレビ朝日の間での懸案だった『ニュースステーション』の開始時刻について調整がついたため、1988年4月1日放送分よりローカル枠となる毎週金曜 23:25 - 翌0:20に移動、これに伴い番組タイトルも前述の通り改められた。
その半年後の1988年10月改編では『地球発20時』と改題の上、月曜 20:00 - 20:54への移動が決定。当時は中村も引き続き出演する予定だったが、度重なる時間帯の変更を不服として、中村が番組を降板するという事態も発生した。

関連項目

  • 北緯35度の風
  • J-WALK - 番組のテーマ曲として「アバロンの彼方へ」を使用。
  • カシオペア - スポンサークレジットのBGMとして「Chandelier」を使用。
テレビ朝日系列 金曜22:00 - 22:54
前番組番組名次番組
世界まるごとHOWマッチ
※金曜21時台へ移動
中村敦夫の地球発22時
(1984年10月5日 - 1988年3月18日)
※同番組まで毎日放送制作
ニュースステーション
※金曜23時台から移動
※同番組よりテレビ朝日制作の報道番組
毎日放送 金曜23:25 - 翌0:20
前番組番組名次番組
23:00 ニュースステーション
※22:00に繰り下げ
同番組までテレビ朝日制作
中村敦夫の地球発23時
(1988年4月1日 - 1988年9月23日)
24:00 不明
毎日放送をはじめとするテレビ朝日系列 月曜20:00 - 20:54
前番組番組名次番組
スポーツキャスト
(1988年4月11日 - 1988年9月19日)
※同番組までテレビ朝日制作
地球発20時
(1988年10月10日 - 1991年9月16日)
※本番組より毎日放送制作
新ビーグル号探検記?
(1991年10月7日 - 1991年12月23日)

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