おことわり
この記事の本文に記載されている事柄には、架空のものが含まれています。
実在する人名・地名・団体名など固有名詞が登場することもありますが、
それら各記事に記載されている事柄は実在のものとは一切関係ありません。
この記述内容に関して、 実在する関係機関への問い合わせはくれぐれもご遠慮ください。

霊感ヤマカン第六感」(れいかんヤマカンだいろっかん)は、1974年10月4日から1984年9月21日まで。朝日放送(ABC)制作・TBS系列局で全国放送された、芸能人対抗によるクイズ番組である。単に「霊感ヤマカン」とも呼ばれた。


概要

  • 初代の司会者は野末陳平だが、参議院議員選挙出馬準備のために降板。1977年4月に2代目司会者のフランキー堺が起用され、長く親しまれた。
  • フランキー堺はオープニングで「世界で一番楽しい番組ですよ!(あるいは「世界はこの番組を待っていた!」)今週の目玉商品!!」と毎回叫び、番組の風物詩となった。
  • 芸能人解答者が「男性軍」・「女性軍」チームに分かれクイズで対戦。全部で4ゲーム(途中5ゲームに増えたが再び4ゲームに戻った)行われる。各クイズで正解すると得点が加算される。フランキーは解答者チームのことを「男性陣」、「女性陣」と呼んでいた。また、賞品等が一切出ない番組でもある。
  • 収録は大阪市北区(当時は、大淀区)のABCホール(2代目のABCホール)での公開形式で行われた。観客席はABCホールに設置されているものに加え、ステージ(スタジオ)部分にも数十席分の観客席を増設していた。
  • 1984年9月にキー局のTBSが秋の番組改編で「JNNニュースコープ」を19:20まで延長することを決定したため、この改編とともに10年の歴史に幕を下ろす事となった。

司会

  • 初代:野末陳平(1974年10月4日〜1977年3月)※参議院議員選挙出馬(2期目)のため降板。
  • 2代目:フランキー堺(1977年4月〜1984年10月3日)

解答者

  • 開始当初は出身地ごとに「東軍」と「西軍」に分かれており、それぞれのキャプテンはロイ・ジェームスと高島忠夫である。
    • 2代目司会者のフランキー堺は番組初期に度々解答者として出場したこともあり、逆に司会のフランキー堺が諸事情により出演できない場合は、ロイ・ジェームスが代理司会を担当することもあった。
  • その後「男性軍」と「女性軍」に変更し、8名の回答者が週替わりで出演した。
  • 大阪製作の番組で、しかも大阪(ABCホール)での公開収録であるが、どちらかというと東京からの出演者が多かったのも特徴。2枠(中堅)に若手のアイドル・タレント(歌手)たちが座り、4枠(先鋒)に上方芸人や関西出身のタレント・女優が座る*1ことが多い。

その他

  • 司会者席背後に設けられた9枚のパネルが最大の特徴。「ヤマカンゲーム」などの一度に多くの画面を使用するコーナーで使用されたほか、オープニングではテーマ曲にあわせてタイトルロゴが表記され、ロゴにズームインした後各スクリーンパネルがスイッチングされ出演者の紹介などを行っていた。
  • 「霊感ゲーム」の途中またはコーナー終了時には、中段左右のパネルにこれまで獲得した男女両軍の得点が表示される。パネルの切り替えは一度消して表示しているが、得点表示のみ一度9枚全部青などの一色に切り替えてからフェードイン/アウト(得点が表示されている際の切り替えは通常のパネル切り替え同様一度消している)。
全てのゲームが終了した際には上段中央のパネルにタイトル、放送終了時に中央のパネルに「おわり」の表示が映る(一部地域ではブルーバック画面で提供クレジットに続けてエンドタイトルが表示された)。
また、各解答者席上部にもスクリーンがあり、「霊感ゲーム」や「第六感ゲーム」などで使われる(スタジオセットの全体では司会者席も含め、合計17枚設置されていた)。
  • スクリーンの縁は、当初は角が大きく丸い四角形であったが、後年のセットチェンジに際して四角形の四辺を緩いカーブにしたようなやや角張ったものに改められ、表示も広くなった。
解答者が正解したときには、後方にある電飾が浮かぶ形で(風車型→セットチェンジ後は、弓道の的型になった)光る。勝利したチームにはそのチームの解答者のところに電飾が一斉に光り、引き分けの場合は、ファンファーレとともに両方のチームに電飾が両軍とも一斉に光る。さらにセットチェンジ当初は早押しで回答権を得たときに使われるだけだったランプも、末期には電飾に連動して点滅するようになった。
  • 色分けは男性軍は赤(セットチェンジ後に黄色)で女性軍は青(セットチェンジ後に緑)。
  • 全クイズで正解したときはファンファーレBGMが流れ、「霊感ゲーム」「ヤマカンゲーム」以外のクイズで不正解のときには、「世界一周双六ゲーム」にやや酷似したブザー(フランキーは「ブブー」と呼んでいた。セットチェンジ後。それ以前は「三枝の国盗りゲーム」と同じものを使用)。なお、BGMはセットチェンジ後の終盤で正解時のファンファーレ(コンガを含まないBGM。各コーナー開始のBGMでもスクリーン切換時にあわせて使用)、霊感ゲーム時のコンガの演奏などがマイナーチェンジされた(ただし、オープニング・エンディングテーマ曲と勝利・引き分け決定時のBGMは番組終了まで変更なし)。
「ヤマカンゲーム」「エイト・ヒントゲーム」の時は司会者席後ろのマルチスクリーンを使用するため、フランキーは司会者席から離れて(立って)、原稿用紙と指し棒を持って進行する。
各席のネームプレートは差し替え式。司会席のみセットチェンジ以降固定(枠なし)となった。

テーマ曲

  • 効果音も含め、山下毅雄の作曲によるもの(「アタック25」「クイズタイムショック」なども手掛ける)。この番組のテーマ曲は、発売されたCDに収録されている。テーマ曲で、女性のコーラス(伊集加代子)が番組タイトルを歌うのは有名だった。また、テーマ曲中盤に流れる口笛は、作曲した山下毅雄本人のものである。
  • 番組テーマ曲に合わせてマルチスクリーンに出演者名やスタッフ、そして制作クレジットなどと様々な映像が出る。
  • なお初期はOPテーマが3コーラスまであり、1コーラス目は9枚のスクリーンでタイトルを出し、2コーラス目は出演者、3コーラス目はスタッフという構成だった。関西ローカル降格後にテーマが2コーラスに縮小され、9枚スクリーンでのタイトルクレジットは省かれた。また野末司会時代の初期はCM入りの時にアイキャッチが入り、勝敗決定時のメロディに最後に「チンペー」と歌うスキャットが乗ったものを使用した。

スタッフ

  • 構成:足立克己、池田幾三、堀江誠二、秋田千吉、角田直美、山路洋平、新野新、本田順一、杉尾幸正、武枝幸子
  • イラスト:河村立司
  • 美術:邑上謹弥、野村仁
  • ディレクター:森茂、沖中進、松本修
  • プロデューサー:吉田多満子、中務和子
  • 制作:馬場淑郎、辰巳禎男
  • 制作協力:大阪東通
  • 制作・著作:朝日放送*2

放映ネット局

  • TBS系列局のうち、★は日本テレビの「コント55号のなんでそうなるの?」→「カックラキン大放送!!」をネットするため遅れネットの局。
放送対象地域放送局系列備考
近畿広域圏朝日放送TBS系列制作局
関東広域圏東京放送現・TBSテレビ
北海道北海道放送
青森県青森テレビNETテレビ系列
TBS系列
→TBS系列
岩手県岩手放送TBS系列現:IBC岩手放送
宮城県東北放送
秋田県秋田放送日本テレビ系列遅れネット
山形県山形放送
福島県福島テレビTBS系列
フジテレビ系列
1983年3月打ち切り
テレビユー福島TBS系列1983年12月開局から
山梨県テレビ山梨
新潟県新潟放送
長野県信越放送★→1982年4月から同時ネット
静岡県静岡放送★→1979年10月から同時ネット
富山県富山テレビフジテレビ系列
石川県北陸放送TBS系列★→1984年4月〜9月は同時ネット
福井県福井テレビフジテレビ系列
中京広域圏中部日本放送TBS系列現:CBCテレビ
鳥取県
島根県
山陰放送
岡山県
→岡山県
香川県
山陽放送1979年3月までの放送エリアは岡山県のみ
1979年4月の電波相互乗り入れで香川県でも放送
広島県中国放送
山口県テレビ山口TBS系列
フジテレビ系列
NETテレビ系列
徳島県四国放送日本テレビ系列遅れネット
愛媛県南海放送
高知県テレビ高知TBS系列
福岡県RKB毎日放送
長崎県長崎放送
熊本県熊本放送★→1982年4月より同時ネット
大分県大分放送
宮崎県宮崎放送
鹿児島県南日本放送★→1982年10月より同時ネット
沖縄県琉球放送
TBS系 金曜19時台後半
(1974.10.4.〜1984.10.2)
星の子チョビン
(ここまでTBS制作枠)
霊感ヤマカン第六感
(ここから朝日放送制作枠)
三枝の国盗りゲーム
(1984年10月12日〜1986年3月21日)
※19:20〜19:58
各局ローカル
(19:58〜20:00)

コメントをかく


「http://」を含む投稿は禁止されています。

利用規約をご確認のうえご記入下さい

Menu

メニューサンプル2

開くメニュー

閉じるメニュー

  • アイテム
  • アイテム
  • アイテム
【メニュー編集】

どなたでも編集できます