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橋本龍太郎氏の来歴


1937年7月29日に東京市渋谷区(現在の東京都渋谷区)に大蔵官僚・橋本龍伍、春の長男として生まれた。

母・春は警視総監、朝鮮総督府政務総監などを歴任した大野緑一郎の長女。母・春は中耳炎をこじらせ、龍太郎の生後5か月後に急死した。父・龍伍には転勤がつきものだったため、武家(旧熊本藩士)の出である祖母の真都に育てられた。
社会人3年目の1962年、父・龍伍が急死した。
会社に出勤してから2時間後に父の訃報を聞いたという。

父の意中の後継者は弟・大二郎であり、龍太郎本人も政界に進むつもりはなかった。のちに橋本は「親父は僕を政治家にするつもりはなかったし、僕も全くやる気はなかった。腕白坊主だったから」と述べている。

しかし、当時未成年であった大二郎は被選挙権を得ておらず、橋本の母・正に出馬を求める声も挙がったが、父と親交の深かった佐藤栄作による指名を受け、龍太郎が亡父の後継者として選挙に出馬することになった

初当選以来、自由民主党に所属し、衆議院議員を14期にわたって務める。また第1次大平内閣で厚生大臣に就任し、昭和2ケタ生まれで初めて入閣を果たしたのを皮切りに運輸大臣、大蔵大臣等を歴任し、所謂ニューリーダーの後をになう総裁候補に目されるようになった。

自身の59歳の誕生日である1996年7月29日に、現職の内閣総理大臣としては11年ぶりに靖国神社を参拝した。

2006年7月1日、東京都新宿区の国立国際医療センターで、腸管虚血を原因とする敗血症性ショックによる多臓器不全のため死去した。68歳であった。

橋本龍太郎氏の年譜

1937年7月 - 東京渋谷区に大蔵官僚・橋本龍伍、春の長男として生まれる

1956年 慶應義塾大学法学部政治学科に入学。

1960年4月 - 呉羽紡績株式会社(現・東洋紡)に入社

1963年4月  衆議院議員西村英一秘書

1963年7月  厚生大臣秘書官 

1963年11月 - 父の後を継ぎ、衆議院旧岡山2区より出馬、初当選

1970年1月  厚生政務次官(第3次佐藤内閣)

2001年 自由民主党総裁選挙に再起を期して出馬するが、小泉純一郎に敗れる。

2005年 政界を引退。

2006年 死去。

趣味・特技など

1990年にベストドレッサー賞を受賞している。
趣味は、剣道、登山、写真など多彩。特に剣道は政界きっての腕前である。
名誉森林インストラクターの称号を持つ。
日本山岳会の会員でもあり、日本山岳ガイド協会の会長を長きにわたり務めた。

橋本龍太郎氏に関するリンク

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