日本の政治家の生い立ちや経歴についてまとめたサイトです。主に関東の政治家を中心にまとめておりますが、将来的には全国ネットで政治家の生い立ち・経歴をまとめていきたいと考えております。関東の主な政治家、松本文明(東京都)、萩生田光一(東京都)、中谷真一(山梨県)、長崎幸太郎(山梨県)、奥野総一郎(千葉県)、小西洋之(千葉県)、今野智博(埼玉県)、関口昌一(埼玉県)、水戸将史(神奈川県)、三宅隆...など

馳浩氏の生い立ち

富山県小矢部市に生まれる。小学3年の時金沢に移住。
その後中学(金沢市立鳴和中学校)高校(星稜高等学校)と金沢で過ごした。
高校時代にレスリングを始め、高校3年の時には国体で優勝をした。
大学は専修大学文学部国文学科に進学し、国語と書道の高校教員免許を取得している。

馳浩氏の経歴

1984年 専修大学文学部国文学科を卒業し、自身が通っていた星稜高等学校の古典の教諭に就任。教諭をしながらロサンゼルス五輪にレスリングライトヘビー級に出場。予選敗退となる。
1985年 星稜高等学校教諭を退職。ジャパンプロレスに入団。2006年までプロレスラーとして活躍した。
1995年 自由民主党の当時の幹事長であった森喜朗氏にスカウトされ石川県区から自民党推薦無所属で参議院議員通常選挙に出馬し初当選をした。当選後、自民党に所属となった。
2000年 それまで参議院議員(とプロレスラー)として活躍してきたものの、衆議院議員総選挙への出馬を表明、参議院議員を辞職した。同年5月に行われた衆議院議員総選挙に石川1区から出馬し当選。
2002年 議院運営委員会理事、自由民主党厚生労働専任部会長に就任。
2003年 文部科学大臣政務官に就任(2004年9月まで)。11月の衆議院議員総選挙に立候補。小選挙区では落選するも、比例復活。2選目。
2004年 自由民主党国会際作副委員長に就任(2005年9月まで)。
2005年 自由民主党 維持皮県連会長に就任。(20007年6月まで)。9月の衆議院議員総選挙では石川1区に選挙区のみで出馬。無事当選し3選目。文部科学副大臣に就任(2006年9月まで)。
2006年 自由民主党国会対策副委員長に就任(2007年8月まで)。
2007年 自由民主党 副幹事長に就任(2008年8月まで)。
2008年 自由民主党文部科学部会長に就任(2009年10月まで)。当時の福田総裁退任に伴って同年に開催された自由民主党総裁選挙で所属する清和政策研究会で擁立された麻生太郎氏ではなく、それに反発すて中川秀樹氏が擁立した同じく清和政策研究会に所属する小池百合子氏の推薦人となる。その後、麻生太郎氏が自由民主党総裁となったため、清和政策研究会に退会届を提出自したが、受理されず後に返却となった。
2009年 衆議院議員総選挙に出馬するも小選挙区出馬では落選し、比例復活した。4選目。自由民主党石川県連会長、自由民主党総務会副会長に就任(2010年9月まで)。
2010年 自由民主党 国会対策副委員長に就任。
2012年 衆議院議員総選挙石川1区から自民党公認で出馬。当選した。5選目。予算委員会筆頭理事に就任(2013年3月まで)。
2013年 2020年オリンピック・パラリンピック東京招致推進本部本部長就任(2014年9月まで)。自由民主党石川県連会長就任(2015年6月まで)。
2014年 自由民主党稿本本部長就任(2015年10月まで)。衆議院議員総選挙では自民党公認で石川1区に出馬。当選した。6選目。
2015年 文部科学大臣、教育再生担当大臣就任(2016年8月まで)。
2016年 文部科学委員会委員、科学技術・イノベーション推進特別委員会委員、スポーツ立国調査会会長、自由民主党党紀委員会委員 就任。

馳浩氏の趣味特技など

古典解釈。馳浩氏の妻である高見恭子氏に書いたラブレターが漢文だったと言われている。
また、寄せに通いほど落語が好きである。

馳浩氏に関するリンク

トップページ|衆議院議員「はせ浩」のオフィシャルサイト
http://hase-hiroshi.org/

衆議院議員 馳浩 公式ページ | Facebook
https://www.facebook.com/hasehiroshi.kousiki/

はせ浩 オフィシャルブログ「はせ日記」Powered by Ameba
http://ameblo.jp/hase-hiroshi/

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