日本の政治家の生い立ちや経歴についてまとめたサイトです。主に関東の政治家を中心にまとめておりますが、将来的には全国ネットで政治家の生い立ち・経歴をまとめていきたいと考えております。関東の主な政治家、松本文明(東京都)、萩生田光一(東京都)、中谷真一(山梨県)、長崎幸太郎(山梨県)、奥野総一郎(千葉県)、小西洋之(千葉県)、今野智博(埼玉県)、関口昌一(埼玉県)、水戸将史(神奈川県)、三宅隆...など

浜田幸一氏の来歴

1928年9月5日に千葉県で生まれた。
日本の政治家、タレントである。

自由民主党の衆議院議員として通算7回の当選に及び、衆議院予算委員長、自由民主党広報委員長、自由民主党副幹事長などを歴任したが、閣僚経験は得られないまま1993年(平成5年)に政界を引退した。

「ハマコー」の愛称で知られ、また、「国会の暴れん坊」「政界の暴れん坊」の異名をもつ。
政界引退後は「政治活動家」と自称していたほかに、テレビ番組 『ビートたけしのTVタックル』(テレビ朝日)では、「悪党党幹事長」を名乗っていた。

中学3年のときに、土浦海軍航空隊に赴き、海軍飛行予科練習生の試験を受けるも、年齢的にまだ早いとのことで不合格となった。このことについて、「もし合格していたら戦後まで生きてはいなかっただろう」と回想している。
富津町議会議員・千葉県議会議員を経て、2度目の挑戦となった1969年の衆議院議員選挙で自由民主党から旧千葉3区で初当選し、川島派に加わった。

1990年の総選挙の際に暴漢に襲われて失語症の傾向が出たため、1993年(平成5年)7月に息子である浜田靖一に地盤を譲り、政界を引退した。

当選7回を数えたが、国務大臣への就任は1度も無かった。

この間、勲2等の叙勲、国会議員表彰、共に辞退している

浜田幸一氏の年譜

1928年 千葉県君津郡にて生まれる

1941年 旧制千葉県立木更津中学校(現:千葉県立木更津高等学校)に入学

1969年 衆議院議員選挙で自由民主党から旧千葉3区で初当選

1973年 中川一郎・渡辺美智雄・石原慎太郎らと共に自民党の派閥横断的な政策集団である青嵐会を結成、マスコミ対応の事務総長を務めた。

1993年 政界を引退した

2007年 第21回参議院議員通常選挙では自由民主党の選挙用テレビコマーシャルに出演。

2010年8月10日 借金の担保として差し出したアドバンスト・メディアの株券800株を勝手に売却し、融資元の会社に2億円の損害を与えたとして、千葉県警察捜査2課などに背任罪で逮捕され、千葉地方検察庁は8月31日に、千葉地方裁判所へ起訴した。

2012年 8月5日、急性心不全のため富津市大堀の自宅で死去した。83歳だった。

浜田幸一氏の趣味・特技など

歌、時代劇、野球が好きである。
時代劇が好きな理由は、「今の時代の中で失われつつある正義感というものがはっきり表現されている」から。好きな俳優として、松平健、高橋英樹を挙げていた。

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