やめておけばよかった――
前向きな島村卯月がそう思うことなど、早々ない。
しかし今、心の底から、卯月はそう思っていた。
「う、っぷ……」
タパタパと音を立て、胃袋の中身が汚い路地裏にぶちまけられる。
最初は堪らえようとしたが、収まる気配のない頭痛がソレを許してくれなかった。
初めてレッスンを受けた時でも、もう少し堪えられたように記憶している。
それほどまでに、自らが召喚した悪魔の持つ歌唱力は、凶悪で破壊的だった。
「うう……頭がぐわんぐわんする……」
よくよく考えれば、悪魔と呼ばれる生物なのだ、こうなることは予想できた。
だが、見た目の愛くるしさも手伝って、卯月はついついマイクを渡してしまったのだ。
「……どこかで、横になれないかな……」
ふらつく足で、大通りに出る。
どこまでも凡庸な卯月では、薬局に行ったとしても、何を飲めばいいか分からない。
結局の所、卯月に出来る回復法など、横になってゆっくりする他ないのだ。
「ホテルかどこか……」
勿論、この場合のホテルとは、ビジネスホテルを指している。
他のホテルなんて発想はありませんよ、エロ同人出典じゃあないんですから。
(どこかでゆっくり横になったら、悪魔さんともちゃんと話合わないと……)
あまりの破壊的歌唱力に、思わずCOMPに戻してしまった。
正直まだ少し怖いが――逃げ続けるわけにもいくまい。
怖いイメージを乗り越えて、一歩踏み出してこそ、灰かぶりはお姫様になれるのだ。
「……あ、マイク……」
そういえば、マイクを拾うのを忘れていた。
もう悪魔に渡したくはないし、使う予定もないのだが、それでも自分に与えられたものだ。
拾っておいた方がいいだろう。
吐瀉物がかかってなければいいのだけど――――
(あの時、悪魔さんが消える時に落としたままだったよね……)
そんなことを思い路地裏に引き返した所で、卯月はリズミカルな音を聞いた。
単調すぎて『デレステでレッツリズム♪』とはいかないタイプの音。
卯月の語彙では、その音を例える言葉が浮かばないが、その音を例えるのなら――
――それは、タイプライターのような音だった。
「――――――っ!」
卯月の体が、つんのめるように倒れる。
練習のしすぎで力が入らず思わず倒れた日を思い出した。
その時の経験が活きたのか、咄嗟に腕を差し込むことで顔面の強打は避けられた。
アイドルとして、顔に傷を受けるわけにはいかない。
「痛っ……」
捻挫でもしたのだろうか。
そう思い、視線を足へと向ける。
真っ白でハリのある太腿から、何か生えているのが見えた(脛毛ではない)
「えっ――?」
鈍い光を放つ釘。
それが、卯月の足から生えていた。
勿論、自然に釘が生えてくるわけがないし、気合を入れてもそんなことは起こりえない。
となると、勿論その釘は外部から植林されたということになる。
誰も植林の許可など出していないのに、こんな立派な釘が生えているなんて。
そりゃあ痛いし、血だって流れる。
「っああ……!」
涙だって出るし、表情も歪む。
ここは路地裏、華やかなステージではない。
卯月を無理矢理笑顔にしてくれるファンの皆も、大好きなプロデューサーも、支えてくれる仲間達もいない。
“シンデレラ”でなく“ただの少女”である卯月に、この痛みを耐える力などなかった。
「痛い、痛い痛いぃっ……なんで……!」
決して命に別状があるような深さではない。
しかしながら、慣れない痛みが『立ち上がる』という行動を阻害していた。
足を抑えて身悶える卯月の耳に、靴音が飛び込んでくる。
弾かれたように顔をあげると、学ランを着た2人の少年が佇んでいた。
「……」
無表情なオールバックの少年と、僅かばかり唇を歪めたパーマの少年。
その2人が、まるで足をもいだ昆虫でも見るかのように、卯月をじろじろ眺めていた。
「――――っ!」
今までに味わったことがない寒気が卯月の中を駆け抜ける。
アイドルである以上、卑猥な視線を幾度と無く向けられてきた。
お人好しの卯月をして「気持ち悪い」と言わせるような視線も受けたこともある。
しかし、今感じる寒気は、そんな程度ではなかった。
「…………」
無言で、パーマの少年が手にした釘打ち機を向ける。
先程卯月を襲った釘も、ソレから発射されたものだった。
本来、日本の釘打ち機は、自己防止のため先端部分を“当てて”いなくては発射出来ないようになっている。
しかしながら、2人の少年――桐山和雄と桐山和雄にとっては、その程度のセーフティは何の意味も持たない。
オールバック桐山の知識と、パーマ桐山の加虐に対するワクワク好奇心。
その2つが合わされば、セーフティを解除してアメリカ製ばりに釘を飛ばすなど造作もないことである。
再び引き金が引かれ、大量の釘が吐き出された。
釘は、釘打ち機の改造に使った工具とともに、近くの工務店で手に入れた。
従って、パーマ桐山に残弾数を気にする必要はない。
気の向くままに、目の前の獲物をハリネズミにするだけだ。
「…………?」
しかし――卯月に突き刺さるはずであった数多の釘は、突如現れたピンクの球体へと飲み込まれる。
咄嗟に卯月が召喚した、カービィの口に。
「えっ……!?」
召喚した卯月にとっても、カービィが飛んできた釘を飲み込んだことは意外であった。
そして、自分を庇うよう前方に向けて飛び出したカービィが、そのまま2人の桐山に突っ込んでいったことも、意外ではあった。
しかし一番意外だったのは――ピンクの球体であったカービィが、鋭い棘を生やしたピンクのウニのようになったことである。
“コピー能力・ニードル”
飲み込んだ物の特性を得る、カービィのコピー能力。
その一つであるニードルは、カービィを棘だらけにし、触れるもの全てを傷つける凶器と化す。
勢いよく回りながら突っ込むだけで防御のしようはなくなり、相手は避けるしかなくなる。
そうしてバランスを崩した所を追撃出来るのだ。
「…………」
それが、普通の人間ならば――だ。
無表情の悪魔、オールバック桐山にとって、この程度の飛来物どうということはなかった。
彼は、すでに“杉村弘樹”の到達した“真理”を得ている。
それに、合気道というものも、本で読んで知っていた。
回転する棘の塊であろうと、自分にダメージを負わぬよう力を受け流し、遠くに弾き飛ばすことが可能。
弾き飛ばされたカービィは、遠くの建物に突っ込み、相手に当てる筈だった衝撃を一身に受けることとなる。
「あ、悪魔さん!」
悲鳴にも似た声が上がる。
卯月にとって、己の足の痛み以上に、自分が召喚したせいでカービィが傷つくことが辛かった。
しかし――カービィに駆け寄ることなどできない。
カービィが飛ばされたのは桐山達の向こう側、それもかなり距離のある建物だ。
この足で、2人の桐山を振り切り駆け寄ることなどできない。
ニタリと嗤い、パーマ桐山が再度釘打ち機を向ける。
卯月の足から頭まで、ゆっくりとその銃口を動かした。
勿論その行為に意味など無い。
獲物を狩る喜びのために時折非効率的な行動を取る、それがパーマ桐山の悪い癖だった。
「――――ッ!?」
その悪癖のせいで、パーマ桐山は引き金を引き損ねる。
背中に走る激痛。
何が起きたか視界に捉えるより早く、パーマ桐山もショーウインドウのガラスに突っ込み意識を手放した。
その光景を、僅かに興味深そうに、オールバック桐山が見ていた。
淡々と、死体の山を築くのみで、協調性など微塵もない。
守れと命令もされていないし、助けようと言う発想がない。
それが、オールバック桐山の短所。
彼らには、連携という概念などない。
「やっ!」
ただしそれ故に、オールバック桐山和雄に隙が生じることはない。
例えサマナーがどんな目に遭おうとも、何も感じないのだから。
背後からカービィに襲撃されても、何の問題もなくいなせる。
再度オールバック桐山にいなされ、カービィが卯月の前に着地する。
卯月を庇うように立つカービィの額には、鉢巻が巻かれていた。
「……」
その鉢巻を、オールバック桐山は興味深そうに眺める。
カービィの無事に安堵するだけの卯月では気付けなかったが、今のカービィは先程までのカービィとは異なっている。
もう全身を針のようには出来ないが、しかし先程までと違い多彩な技を繰り出せた。
“コピー能力・ファイター”
カービィは、コピー能力に応じて出来ることもファイトスタイルもガラリと変わる。
先程までのニードルは、卯月を守るため、パーマ桐山に向けて“吐き出して”しまった。
星形の吐瀉物はパーマ桐山に直撃した直後に霧散、もうニードルには当分なれない。
それでも――運はカービィに、引いては卯月に向いていた。
卯月は普通の少女であり、幸運でもなければ不運でもない。
早々に桐山和雄に出会った不運の分だけ、幸運な出会いがくる。
カービィが野良悪魔に出会ったのが、まさにソレだった。
野良悪魔を吸い込んで、新たにファイターをコピーする。
取れる手数が圧倒的に増えるファイターは、今のカービィにとって願ったり叶ったりだった。
先程のスピンキックのように、ファイターならば様々な距離で柔軟に対応することが可能。
ボス敵の殲滅という点では、非常に有用な能力である。
「……っ!」
しかし――それでいてなお、カービィは攻めることを放棄した。
そもそもカービィは、悪を倒そうという強い正義の心を持っているわけではない。
自衛や食料のために戦うことはあれど、それ以外では基本のほほんと食べて寝てを繰り返す生物だ。
そんなカービィにとって、オールバック桐山と戦う理由など皆無。
勝てそうならともかく、すでに守らねばならない卯月は怪我を負っている。
まずは逃げて、マキシムトマトを食べねばならないような状況だ。
それに――今までの比較的ワイワイとした悪役との戦いとは違う、もっとどす黒く不気味な悪の存在を前にして、カービィの本能が警鐘を鳴らしていた。
それはもう太鼓の達人おにレベルくらいの速度で警鐘がドドドドドンカカカカドドドドドンくらい激しく鳴っていた。
カービィの体から、ファイターの技能が抜けていく。
それと同時に、実態を伴った悪魔――否、“ヘルパー”であるナックルジョーが現れる。
コピーした能力を放棄することでその能力を使うヘルパーを召喚する、カービィの切り札だった。
「えっ、ええっ!?」
事態を把握できず目を丸くする卯月に、カービィが駆け寄る。
武器を持たないオールバック桐山は後を追うが、ナックルジョーのムーンサルトキックに阻まれる。
オールバック桐山に反撃の隙を与えぬよう、ナックルジョーの嵐のようだジャブの連打――バルカンジャブが炸裂した。
その光景を尻目に、カービィが卯月を軽く吸い込む。
「ふええええええ!?」
圧倒的吸引力により宙に浮いた卯月の体は、カービィへと吸い寄せられた。
卯月の細くて軽い体などあっという間にカービィの胃袋に入れるが、しかしカービィが口をすぼめてソレを阻止。
その吸引力を使って卯月の体を口元に固定すると、カービィは一心不乱に走り出した。
「待って、今の男の子は……!」
卯月は、どこまでも普通の娘だった。
それでいて、普通の娘よりもお人好しで善人だった。
故に、残してきたナックルジョーを気にかける。
「…………!」
そんな卯月を、カービィは真っ直ぐに見つめた。
ピンク色の球体に、細かいコミュニケーション能力はない。
ふわっとした言語なら喋れるのだが、細かい言葉までは喋れない。
出来ることはボディランゲージが主になるのだが、それすらも逃走行為と卯月を口に固定する行為のために行う事ができない。
唯一出来るのは、つぶらな瞳によるアイコンタクト。
はっきり言って、分かりにくいことこのうえない。
ましてや卯月とカービィは初めて出会ったばかりの2人。
正直、これで意思を汲み取れと言う方が無茶である。
だが――
「……わかりましたっ!」
“アイドル”とは、“誰より一番輝こうとする少女”である。
しかしながら、目に映る全てを敵視すればいいというものではない。
時には別のアイドルを立たせ、そのための引き立て役を行うことで、自分の魅力が増すことも多い。
アイドル業界は、競争社会でありながらも、協調が絶対必須の世界なのだ。
特にバラエティという舞台においては、初めて同じ現場になった共演者相手に、言葉に出さず連携を取る必要がある。
勿論、圧倒的な美貌や、他の追随を許さないエンターテイメント性があれば別であろう。
だが、しかし――島村卯月は、どこにでもいる極々普通の女の子である。
笑顔がちょっぴり素敵なこと以外、取り立てて長所のないアイドル。
それでもシンデレラになれたのは、どんな仕事も一生懸命やってきたから。
売れないアイドルとして出演したバラエティ番組でも、精一杯やってきたから。
誰よりも気を配り、自分も周りも笑顔になるよう動いてきたから。
そんな卯月にとって、カービィの考えを読み取るくらい造作もないことだった。
無論、詳細までは分からない。
だが――この目が、仲間を切り捨て諦めようとする目でないことは、はっきりと断言できた。
これは、後に挽回するために、必死に気持ちを押し殺して堪えている目。
苦境に立つ仲間を信じて、最終的にハッピーエンドになるために、自分に出来る精一杯をやろうとする目。
あの輝かしくも厳しい世界で、何度も目にしてきた力強く信頼できる目であった。
「そこの角を、左に!」
そんな“普通の女の子”である卯月にとって、ここは――渋谷は、庭のようなものであった。
クラスの全員が友人認定するような娘であり、遊びには度々誘ってもらっていた。
クラスの友人だけでなく、事務所の仲間とだって、何度もここに遊びに来ている。
特別仲のいい友人が、よくこの駅に降り立って「しぶりんに到着!」なんて言っては、もう一人の特別仲のいい友人に呆れられていたものだ。
「そこの階段を上がって下さい!」
渋谷を出る必要などない。
要は、姿を眩ませればいいのだ。
慣れ親しんだ渋谷の地理を活かし、身を隠す。
この広大で建物だらけの渋谷エリアで、一度見失った相手を探すことは容易ではない。
常に持ち歩いているハンカチで傷口を抑え、血の跡さえ残さねば、逃走は可能なのだ。
「ここに隠れていれば……」
複雑な駅構内に身を隠す。
釘を抜くべきかしばし考え――やめておいた。
今のままだととても痛いし、抜きたかったが、抜いて血が出たらハンカチでは抑えきれないかもしれない。
それに、下手な抜き方をして、後遺症を残したくなかった。
島村卯月はアイドルである。踊れなくなるわけにはいかない。
「……ぺぽ」
視線を足の傷から正面へと移すと、カービィがどこか遠くを見つめていた。
置いてきたナックルジョーの心配をしているのだと、直感的に卯月は悟る。
何か声をかけようとして――何かが飛来するのが見えた。
「わっ!?」
朝っぱらの流れ星。
それが、一直線にこちらへと向かっていた。
しかし、カービィは特に構える様子が見受けられない。
そういえば、先程卯月を救ったのも、飛来した星であったことを思い出した。
「――え?」
カービィの真横に着弾した星が、ナックルジョーへと姿を変える。
ヘルパーは距離を取り過ぎると、星となってカービィの元に帰ってくるのだ。
なので、ここまでは全て、カービィの想定内。
「だ、大丈夫ですか!?」
ナックルジョーが傷だらけなのも、一応はカービィの想定内。
想定外なのは、全身発光したナックルジョーが身悶えていること。
慌ててスッピンビームをしようとするが――距離がある。間に合わない。
下手を打てば、卯月がナックルジョーの“最期”に巻き込まれかねない。
HPが尽きたヘルパーがどうなるのか、カービィはよく知っていた。
ひょいひょいヘルパーを変え、時に人間爆弾にしていただけあって、割り切るべきタイミングはよく分かっている。
カービィは卯月に向かって駆け出すと、彼女を庇うように飛び上がった。
「きゃ――――!?」
ナックルジョーの体が、小規模の爆発を起こす。
ヘルパーになった悪魔は、最期弾けて消えるのだ。
爆発の後には、何とか直撃を避けた卯月とカービィだけが残された。
ナックルジョーの肉片や血液は残らないのが救いと言えた。
カービィの心に、珍しく焦りの気持ちが生まれてくる。
あの短時間でナックルジョーの体力を削り切るなんて、並のラスボスではない。
スッピンの状態で真正面からやりあうべきではないだろう。
最悪なことに、ナックルジョーが死に際に爆発音を出してしまった。
その音を聞いて、こちらに来ないとも限らない。
早急に卯月を口元に吸い寄せ、移動しなくては。
「あっ……」
そう思った矢先だった。
卯月の顔が驚愕に染まり、背後から靴音を聞いたのは。
「うそ……っ!」
振り返ったカービィが見たもの。
それは、仄暗い目をこちらに向ける、オールバック桐山だった。
この場所まで、普通そこまで早く辿り着く事はできない。
にも関わらず、オールバック桐山は、もうこの場所に現れた。
カービィにも卯月にも、何がなんだか分からない。
こんなことは、想定していなかった。
「…………」
淡々と歩くオールバック桐山にとっては、こうなることは想定の範囲内だった。
相対するナックルジョーがもしも撤退し合流する算段を持っているのなら、それをそのまま使用する。
その予定通り、星となったナックルジョーに捕まって来ただけのこと。
駅に突っ込む直前、高速でコンクリートに突っ込むことを避けるべく、一旦着地してしまったため多少の遅れは生じたが――
しかし、問題はなかった。
道具として狩るべき者は、今、きちんと目の前にいる。
「に、逃げましょう!」
異常な桐山の空気が、そして先程のナックルジョーの死に様が、卯月の心に恐怖をもたらす。
たまらずカービィの腕を取って駆け出して――そしてすぐに、傷ついた足の痛みで、その場に蹲ることとなった。
そんな卯月を前に、特に何の感情も抱かず、オールバック桐山が距離を詰める。
「ぺぽ!」
このままただ逃げ切るのは難しい。
ボス戦という場において、カービィは概ね正しい判断を取ることができる。
適切な方法でボスを倒せるし、有効な選択肢に気がつく程度の機転は持ち合わせている。
そんなカービィの脳味噌が、走って逃げても無駄だという判断を下した。
傍にあったコインロッカーを吸い込み、星に変換しオールバック桐山へと吐き出す。
特に意に介すこともなく、オールバック桐山は当然のようにこれを回避。
僅かに体を捻っただけで、大した減速にもなっていない。
「すぅ〜〜〜〜……」
こうなると有効打は飲み込むことになるのだが、失敗すると自ら相手を呼び寄せるだけになってしまう。
故に、カービィは空気だけを吸い込んだ。
自分の体を風船のようにして、その下方にちょこんとついた2つの足で、卯月の体をちょんちょんと突く。
戸惑いながらも卯月が捕まるのを確認し、カービィがぷかぷかと飛び上がった。
「わ、わわっ……」
片手で足を掴みながら、卯月が自らのスカートを抑える。
そんな場合ではないのだが、アイドルとして、スカートの中身を安売りは出来ない。
ぷかぷかと、カービィと共に空へ向けて飛んで行く。
「すごい……」
オールバック桐山に遠距離攻撃はない。
先程使ってこなかったのだから、そうに違いない。
故に空への逃走。
これならば、ある程度の高さにいれば、攻撃を受ける心配はない。
もっとも視界から逃れるのが難しいため急場しのぎに他ならないし、高い建物の中に逃げこむなどを繰り返し、見失ってもらわねばならないのだが――
「えっ!?」
しかし、今後どうやって振り切るかを考える必要などなかった。
オールバック桐山の右腕から発射された空気の拳によって、カービィの体がへこみ、その反動で空気が吐き出されたのだから。
「あぐっ……!」
卯月の全身に激痛が走る。
そこまで高く上昇していなかったとはいえ、3階ほどの高さから落下したのだ。
如何にカービィが柔らかく多少のクッションになったとしても、そのダメージは決して軽いものではない。
何せ卯月はどこにでもいる女の子、頑丈さが取り柄でもなければ回復能力に長けたわけでもない。
どうしたらいいのか考えても、何も思い浮かばない。
卯月には、特殊なことなど、何も出来ないのだから。
「い、たい……」
多芸なカービィとて、今の状況で打てる手段などほとんどない。
吸い込みが通じるとはとても思えず、にも関わらずコピー能力を持っていない。
加えて、相手は吐き出した星すら簡単にいなしてしまう。
通常の手段では、もうどうしようもないであろうと、カービィは察してしまっていた。
「……悪魔さん?」
カービィが、大きく手をあげる。
何かをしようとしているようだが、何をしようとしているかなど、卯月には知る由もない。
その結果を見れば分かるのかもしれないが、しかし――
「あ、悪魔さん!」
再度飛来した空気の拳によって、カービィの体が吹き飛ばされた。
卯月には知る由もないが、オールバック桐山がナックルジョーから“コピー”したファイターの技である。
コピー悪魔は、決してカービィだけではない。
(どうしよう……)
再度立ち上がり、カービィが何かをしようとする。
しかしやはり、オールバック桐山のスマッシュパンチが飛んで来て、カービィの動作を阻害した。
(どうしたら……)
カービィが何をしようとしても、おそらくオールバック桐山は見逃さない。
カービィの動作にきちんと反応するために、卯月のことを放置しているくらいだ。
オールバック桐山に油断はない。
ただ淡々と、確実にこちらを殺すことだけを考えている。
(凛ちゃん……未央ちゃん……)
迫りくる死がそうさせたのだろうか。
自然と、大切な友へ思いを馳せる。
渋谷凛。本田未央。小日向美穂。五十嵐響子。神谷奈緒――
アイドルという夢を通じて知り合えた、たくさんの友人達。
彼女達ともう会えなくなると思うだけで、体のどこよりも心が激しく傷んだ。
(プロデューサーさん……ッ!)
そして――どこにでもいる普通の女の子である卯月を、シンデレラにしてくれたプロデューサー。
誰よりも尊敬し、信頼し、ついていこうと決めた人。
どんな時でも諦めず、道を示してくれた人。
その人は、ここには居ない。もう、自分を導いてくれはしない。
それでも――
(私は……まだ……)
それでも、プロデューサーに貰ったモノは、全部心に刻みつけてある。
夢に向かって突き進む姿勢も、何もかも、全部。
「諦めたく、ない……っ!」
心が折れそうになった日が、卯月にだって無いわけではない。
それでも、プロデューサーと友人達に支えられ、ここまで歯を食いしばってきたのだ。
今更、こんな理不尽になんて屈したくない。
ようやく掴んだシンデレラの座を、こんなことで失いたくない。
島村卯月は、どこにでもいる普通の女の子だった。
シンデレラに憧れるような、どこにでもいる女の子。
そして、ようやく手にした宝物だけは、何があっても手放したくない――そんな、極々普通の欲求を持った女の子。
「悪魔さん!」
島村卯月は、どこにでもいる普通の女の子なのだ。
優れた歌唱力もない。目を引く美貌も持っていない。プロポーションも平均的だ。
インパクトのあるエピソードも持っていなければ、強烈なキャラもしていない。
それでも――それでも、シンデレラの座を掴んだのだ。
島村卯月は、どこにでもいる普通の女の子だけど、それでも決してどこにでもいる普通なだけの女の子では決してない。
どれだけ辛い状況でも、どれほど絶望的な時でも、例え挫けてしまった時でも――
最後には、立ち上がって笑顔を作れる。
そんな、誰よりも強い心を持つ、唯一無二のアイドル――“シンデレラガール”なのだ。
「歌って下さいッ!!」
投げ渡されたマイクを手にキョトンとしていたカービィも、その言葉で卯月の意図を理解する。
先程は己の歌声が原因で卯月が悶え苦しんだのであろうと、なんとなく予想はしていた。
今まで散々雑魚を歌声で殺したのだから予想どころかきちんと理解していろ馬鹿と思うかもしれないが、そこはピンクの球体のやることだ、どうか許してやってほしい。
とにかく――カービィは理解していた。
卯月や桐山のようなタイプの生物には、自分の歌声は武器になると。
「大丈夫っ……!」
だからこそ、カービィは躊躇した。
己の歌声は、卯月を傷つけてしまうと分かっていたから。
だけど――
「信じて……っ!」
卯月の目を見て――カービィは、理解した。
もう卯月は、守られるだけの少女ではない。
その表情は、怯えるだけのか弱き庇護者のそれではない。
今の卯月は、夢のため、信念のため、そして守りたいモノのため、苦境に立ち向かう強きアイドルであった。
「カービィのピンボォォォーーール♪ 舞っ台っはっゲームボーーーイ♪」
卯月を信じ、カービィが熱唱を始める。
突然流暢に喋り出した気がするが、歌の時は別腹ならぬ別声帯である。
兎にも角にも、あたり一面に不協和音が響き始めた。
「…………!」
オールバック桐山の表情に、僅かに驚愕の色が浮かぶ。
更には、本当に僅かながら、苦痛の色も混じっていた。
さすがの桐山和雄とて、鼓膜を鍛えることはできない。
カービィの歌を防ぐことなど出来はしない。
ましてやオールバック桐山は、神に祝福されたかのように五感全てが秀でている。
聴覚とて例外ではなく、その優秀さ故、オールバック桐山は卯月以上のダメージを負うこととなる。
「…………」
それでも――オールバック桐山は立っていた。
脳味噌を揺さぶられるような音痴によって、視界は歪みかけている。
にも関わらず、オールバック桐山は地に伏せることもなく、ゆっくりとだが、カービィへと歩み寄っていた。
「させ、ませんっ……!」
そして――卯月もまた、立ち上がっていた。
「ライブ、バトル……私が……相手、ですっ……!」
歯を食いしばる。
歪む視界で、しっかりと桐山を睨みつける。
カービィとオールバック桐山との間に入り、そして――戦うことを、宣言する。
相対するオールバック桐山に。守るべきカービィに。そして、震える自分自身に対して、戦うと宣言した。
「島村、卯月……」
もう逃げ場はない。
奮い立て。頑張れ。頑張って――勝つんだ。絶対。
「頑張りますっ……!」
島村卯月のアドバンテージ。
それは、“慣れ”である。
脳味噌を揺さぶる爆音に、卯月は慣れていた。
地鳴りのような歓声と、耳が壊れるくらいの爆音の中、何時間も踊り倒していたくらいだ。
それに、不快な音にも、脂汗が出るくらい足が痛くなることにも、辛さを押して動くことにも慣れている。
完璧超人が故に、このような苦境と縁がなかったオールバック桐山とは、そこが違う。
島村卯月は、どこにでもいる普通の女の子にして、普通ではないシンデレラガールである。
それ故に――この状況下においてなら、オールバック桐山との実力差を、多少は埋める事ができる。
(大丈夫……出来る……)
破裂しそうになる心臓を、無理矢理に落ち着かせる。
緊張なら、もっといっぱいしてきたはずだ。
命がかかった今よりも、皆と積み重ねた日々の全てが問われたあのライブの方が怖かった。
破壊的音痴を前に無理して立ち上がる悪魔の虚ろな瞳より、つまらなさそうにライブを見るお客さんの虚ろな目の方が怖かった。
(いつも通り……私に、できることをっ……!)
足だって痛い。
でも、卯月は知っている。
全身痛くなるような、地獄のようなダンスレッスンを。
足を捻って、なおも笑顔で踊り続けたアイドルを。
どんな時でも、笑顔で踊りきってきた、たくさんの仲間達を。
(私だって……アイドルだからっ……!)
だから、絶対に、屈しない。
どんな相手にも、笑顔をもって立ち向かう。
それが、アイドル。
笑顔しかない卯月の信ずる、シンデレラとしての信念ッ!
(お願い、シンデレラ……)
卯月の体がステップを刻む。
ボクサーや格闘ゲームのキャラクターがするものと比べ幾分動作が大きいが、それでもステップを刻み続ける。
踊り慣れたステップは、卯月に安心感を与えた。
そして、その安心感は、疲労や痛みを忘れさせる。
(夢は、夢で、終われない……)
しかし卯月は、攻めこまない。
不用意に攻めることは出来ない。
何せこちらは素人。
簡単にいなされて、脇を抜かれたら目も当てられない。
(輝く日のために……っ!)
待つのは慣れている。
チャンスが来るまで、辛い気持ちを押し殺し、前を向くのには慣れている。
カービィが、当初狙っていた何らかの案を成功させるまで、いつまでだってこうして睨み合う覚悟があるッ!
(ピンチもサバイバルもクールに……)
全身を包む騒音が、ふと途切れる。
しかし、カービィの方を向いている時間はなかった。
(きたっ!)
音が途切れると同時に、オールバック桐山が迫ってくる。
当然、まだ本調子とは程遠い。
それでも、的確に卯月の顔面へ拳を繰り出してきた。
(リアルなスキル……巡るミラクル……)
それでも卯月は焦らない。
天才ではない卯月にとって、使えるスキルなど積み重ねた日々で得たものしかないのだ。
出来ることなど、焦らず今まで積み重ねてきた練習の成果を見せるだけ。
そうしたら、あとは――ミラクルにでも、期待するしか無い。
「信じてるッ!」
何度も何度も、歌って踊ってきた楽曲。
その動きは、体が自然と覚えている。
どんな状況であろうと、確実に出せるくらい、それは卯月の血肉となっていた。
“お願い! シンデレラ”
卯月の所属するプロダクションにおいて、最もメジャーで最初に通る楽曲。
そのサビ直前のダンスを、迫り来るオールバック桐山の拳に向けて繰り出す。
素早く円形に回された両の腕の動きは、まさしく――
『ここの振り、少し、回し受けに似てますね』
中野有香が口にしていた、空手における絶対防御・回し受けッ!
卯月には筋肉がない。空手の心得だってない。
卯月がもしも“見様見真似”の“廻し受け”を出していたら、オールバック桐山に容易く突破されていただろう。
だがしかし――“偶発的に回し受けになった”だけの“何度も反復練習してきた振り付け”に関しては、尋常ならぬ完成度を誇っているッ!
まさに努力の結晶たるその動きは、空手家の本家廻し受けにも匹敵していたッ!
「…………!」
オールバック桐山の目が僅かにだが見開かれる。
卯月の繰り出した回し受けは、確かにオールバック桐山の予想を超えたものであった。
だがしかし、それでもあくまで『少しビックリした』程度のことでしかない。
もしもオールバック桐山に感情があれば、油断していた所で思わぬ反撃を受けた驚愕から、大きな隙が生まれていたかもしれない。
もしもオールバック桐山が殺しを楽しむ性格であれば、隙を突かれて少年マンガで言う『見開きを使ったでっかい一撃』を叩きこまれ、KO負けしていたかも知れない。
だが、現実は、多少怯んだ程度である。
それが、感情を持たない冷酷なキリングマシーンであるがゆえの強みであった。
「わああああああっ!」
それでもなお、卯月は攻勢に出る。
大した隙など出来ていないが、関係ない。
むしろ、不意打ちの回し受けを持ってしても大した隙が出来なかったから、今攻めるより他ないのだ。
おそらくもう、廻し受けが決まることはないだろう。
今後は容易く攻略されるのが目に見えている。
だからこそ、廻し受けで僅かながら隙が出来た今なのだ。
行くべきは、今なのだ。
『うーん、いつ見ても惚れ惚れする正拳突きだねぇ〜〜』
『ダンスに取り入れられたらいいんですけど……』
『私達もやってみる? しぶりん』
ぶっ放す技は、決まっている。
かつて親友の一人が、空手をアイドルに取り入れた少女と話していた時のことを、卯月は思い出していた。
『私に振らないでよ……』
『しまむーは、どう思う? やるだけやってみようよ〜』
卯月は、友達が多い。そして、付き合いが良い。
親友の未央ほど能動的ではないにしろ、未央が作った交流の切っ掛けには基本的に乗っかっていた。
誰かが教えてくれたことは全部真面目に調べるし、本気で楽しみ、その人と仲良くなろうとしてきた。
それが卯月の魅力であり、人徳の所以。
『お、思った以上にキツいですねぇ……』
『空手ナメてたぁ〜〜! 痩せるよこれ!』
『これ以上汗かいたら、痩せるより早く死んじゃうて……』
その辛さを体験してからも、卯月はソレに触れ続けた。
有香との会話の切っ掛けとして。そして交流の手段として。
有香に尋ね、何度も何度も一緒に繰り出してきた。
「お願い、シンデレラッ!」
正拳突き。
中野有香直伝のソレを、狙いを定めてぶっ放す。
「…………」
しかし――その程度では、オールバック桐山には届かない。
何度か反復練習した程度の技術では、オールバック桐山にはダメージ一つ通せない。
手首を捕まれ、一転してピンチを迎えることとなる。
『いい、痴漢とかにあったら、こう――』
だが、卯月とて、ただ黙ってピンチに屈することはない。
かつて元婦警の片桐早苗に教わった通り、護身術でオールバック桐山の体勢を崩しにかかる。
所詮はこれも付け焼き刃。
当然、オールバック桐山には届かない。
致命的なダメージを貰うことは避けられたが、それでもオールバック桐山を追い込むことすら出来ていない。
『おい、オレとサッカーしようぜ! 大丈夫大丈夫、蹴り方教えるからさー』
それでも卯月は攻めることを止めはしない。
立ち止まったらたちまちやられてしまうことを、本能で理解している。
アイドルの時と同じだ。
凡人の自分は、常に走り続けなければ、あっという間に天才に抜き去られる。
それが嫌で、少しでも成長したくて、常にひたむきに頑張ってきた。
いつでも笑顔で、いろんな人と仲良くなって、色々なことを吸収してきた。
サッカー由来のローキックもその一つだ。
『一気にラッシュかけてくよ!』
ライブで、トークで、様々な所で戦ってきた経験を、血肉として、卯月は立ち向かう。
敗れ膝をついた経験が、そこから再び立ち上がるために努力をしてきた日々が、卯月に歯を食いしばらせる。
かつて自分をノした桐野アヤに、次戦う際負けぬようにと、色々と聞いた日々を思い出す。
その動きを持ってして、かろうじて桐山に反撃されることを阻止した。
『ほんと、よく頑張るよね、しまむー』
『そ、そうですか?』
『そうだよ。誰より頑張ってるんじゃない』
島村卯月は、どこにでもいる普通の女の子で、取り立てて才能のない凡人であった。
オールバック桐山のように一目見ただけで動きをコピーすることも、カービィのように吸い込むだけで能力をコピーすることも出来ない。
愚直なまでに何度も何度も反復練習をして、ようやく何かを身に付けられる。
コピーする才能すらも、卯月には欠如していた。
どれを何回反復しても、人より優れて出来るものなんてなかったし、どんどんと器用貧乏になっていく。
唯一の特技である『笑顔』だって、言ってしまえば誰にでも出来る特技であった。
卯月には、普通ではないアイドルたらしめる“非凡なもの”など、何もなかった。
彼女はどこまでいっても、普通の女の子であった。
『うんうん、あれだけ頑張ってヘロヘロになっても満面の笑みを浮かべられるのは、世界でもしまむーくらいだよ』
『だよね。何っていうか……卯月の笑顔を見てると、こっちまで笑顔になるっていうか……こっちまで疲れを忘れるもん』
カタログスペックだけを見れば、質の低いコピーロボット。
オリジナルの武器を持たず、教えこまれたことを時間をかけて吸収する、取り立てて褒める所のない存在。
なのに。
笑顔を絶やさず、絶対に諦めなかっただけなのに。
それくらいなら、誰にでも出来るはずなのに。
『おめでとう、卯月……』
『すごいじゃん、しまむー! シンデレラガールだよ、シンデレラ!』
卯月は、シンデレラになった。
生まれながらのお姫様にはなれなかった灰かぶりが、笑顔を絶やさず、諦めず、ひたむきに困難と戦った末に、お姫様になったのだ。
理屈じゃあない。
アイドル・島村卯月の強さは、書き記されたデータからは推し量れない。
誰にでも出来ることしか出来ないはずなのに。
極々普通のはずなのに。
卯月の歩んできた道は、唯一無二の彼女だけのシンデレラロードとなっている。
誰にも馬鹿にすることなど出来はしない、栄光の道となっているッ!
「ごめんなさい……っ!」
オールバックの桐山和雄は、見たものをそのまま真似出来る。
カービィは、吸い込んだ相手を取り込めるし、好きに吐き出す事ができる。
卯月には、そんな器用な真似はできない。
でも、だからこそ――卯月の“コピー”は、反復を伴い脳と体に刻みつけられた“模倣”は、卯月の血肉となっている。
それは、オールバック桐山のコピーともカービィのコピーとも違う、卯月のコピーだけの強み。
積み重ねた日々が、思い出が、そのままアイドルを高みへ導くブーストとなるッ!
「届いてっ……!」
目潰し。
およそアイドルの取る行動ではないのだが、それでも殺さず相手の動きを封じるにはソレが一番だと思った。
物騒なことに、変質者撃退法として目潰しをアドバイスしてきたアイドルもいるくらい、目潰しには多大な効果が期待できる。
ちなみにそのアイドルの名誉のために、目潰しを教えてくれたアイドルの名は伏せさせて頂きたいと思う。
「うっ……!」
伸ばした手。伸ばした指。
しかしそれは、桐山の整った睫毛を掠めるに留まる。
積み重ねた日々と思い出を持ってしても、桐山には届かない。
島村卯月の“アイドル”は、まだ“悪魔”には届かない。
――そう、“まだ”、届かない。
「……悪魔さんっ!」
卯月の背後から、カービィが現れる。
その身を、精一杯輝く星に乗せながら。
ワープスター。
本来ボス戦後に現れるその移動手段を、悪魔であるカービィは呼び寄せることが出来る。
とはいえボスを倒した状態でないと使えない程度には、召喚に時間がかかるのだが――そこは、卯月が補った。
島村卯月の日々は卯月を“アイドル”にし、そして卯月の“アイドル”は“スーパースター”へと成ったのだッ!
「ぺぽ!」
卯月一人では、オールバックの桐山には届かなかった。
けれども、カービィと2人なら。
1人なら届かない星にも、仲間となら手が届く。
仲間がいるから、ファンがいるから、アイドルはどこまででも高みに行ける。
それが卯月のアイドル道。それが、卯月の見つけたアイドルの星。
「私は……アイドルは……」
カービィの手を、卯月が掴む。
ワープスターの定員2名に、これで達した。
もうこれ以上は乗り込めない。
これ以上ワープスターに触れようものなら――ワープスターに轢殺されるのみである。
「こんな程度じゃ、負けません……っ!」
殺し合いという舞台に、島村卯月は宣戦布告する。
皆を笑顔にするアイドルとして、ここで屈するわけにはいかない。
ワープスターで桐山に突っ込んで、そして、勝利し、この殺し合いも中止に追い込む。
それが、卯月の思い描く未来。
「また皆で笑顔になれるように――」
その未来は、きっととても遠いだろう。
おそらく卯月1人では、何も出来ない。
けれども、仲間がいれば。
これまでのように。今度のように。
きっと、何とかなるだろう。
仲間と共に笑顔になれる。
そんな『パワー・オブ・スマイル』の体現者たる卯月だからこそ、あのオールバック桐山に届こうとしている。
笑顔などなく、ただ淡々と戦うが故の強さは確かに存在していた。
しかし――笑顔のもたらす強さの前に、その強さは今、屈しようとしている。
「島村卯月、がんばりますっ!」
卯月だけでは届かぬ分は、仲間達が背を押してくれる。
卯月だけでは出来ない時は、ファンの皆が助けてくれる。
1人じゃないということが、卯月のパワー・オブ・スマイルに力をもたらしていた。
誰もが立てるわけじゃないステージで戦い続けた体に、託されたモノを宿して。
仲間の想いを乗せて、夢を乗せて。夜を超えて、時空を超えて。
島村卯月の――否、島村卯月と彼女を取り巻く全ての“アイドル”が今、桐山和雄へと届く――!
「…………っ!」
超人的反応で、オールバック桐山が咄嗟に傍にあった自動販売機を、体とワープスターの間に挟み込む。
それでもワープスターの持つ並々ならぬ質量に、自動販売機が切断されていく。
落下して逃れようにも、その圧倒的エネルギーは、桐山を逃がさない。まさに流れ星キセキ。
「がっ……」
ワープスターで低空飛行を続けながら――オールバック桐山を轢殺すべくワープスターは加速する。
ちょうど新宿に差し掛かった頃、一際大きなビルに突っ込み、ワープスターが停止する。
どうやら遠くまでワープは出来ない仕様にされているらしく、役目を終えたらしいワープスターは消滅していた。
崩れたコンクリートの破片が舞う中、周囲を警戒しオールバック桐山へと視線を向ける。
「え…………?」
そこに、オールバック桐山の姿は無かった。
重傷の姿は勿論、無傷の姿すら見えない。
卯月は思った。
ビルに突っ込む直前、オールバック桐山の姿が消し飛んだように見えたのだが、気のせいなどではなかったのだと。
卯月は思った。
死んだのだ、あの悪魔は。
自分が――殺してしまったのだ。
「そ、っか……私が……」
例え悪魔と言えど、殺すつもりなどなかった。
卯月の笑顔に、影が落ちる。
あまり敵に容赦がないカービィだが、しかし卯月が桐山を殺したことで傷ついていることくらいは分かった。
「ぺぽ! ぺぽ!」
必死のジェスチャーで、カービィが場を和ませようとする。
大げさな動きで、大きなトマトと、口移しを表現した。
「……え?」
何が何だか分からずに、卯月はきょとんとしているが、カービィはお構い無しだ。
任せておけと言わんばかりに、自身の胸(ほとんど顔のくせに、胸とかあるんかコイツ)をドンと叩いた。
食べ物で傷が治らぬ卯月には理解が及ばぬジェスチャーが含まれていた(口移しだ、勿論)が、
しかしそれでもカービィが自分を励まそうとしていることと、何かしようとしていることは理解が出来る。
ほんの僅かに、卯月の口元に笑顔が戻った。
「じゃあ……お願いして、いいですか?」
そう言うと、ゆっくりと腰を下ろす。
同時に、足に激痛が走った。
全て終わった今、体中の痛みを思い出す余裕が生まれてしまった。
特に足の状態は悪く、釘を刺したまま全力で重心をかけ、あまつさえ蹴りを放ったせいで、釘は深く刺さりどす黒く変色している。
「ちょっと、動くの厳しいし……薬とか、あったら、持ってきて貰えたらなって」
頷いたカービィに、薬代として多めに10000マッカを渡す。
とてとてとカービィが走り去ったのを見送り、大きく溜め息を吐いた。
命を奪ってしまったということへの精神的疲労は大きく、また体の痛みもどんどん深刻なものとなっていた。
「……プロデューサーさん……」
思わず弱音を吐いているが――卯月には、1つ認識の誤りがある。
オールバックの桐山和雄は確かにどこかに消え去った。
しかしそれは、ワープスターに轢殺されたからではない。
悪魔とサマナーは、一定距離を取っての単独行動が出来ない。
そのルールに引っかかる方が、ワープスターに轢殺されるより早かった。
よって強制的にリターンされただけである。
確かに卯月はオールバック桐山に勝利を収めたが、しかし――仕留めたわけではないのだ。
「あ、おかえりなさ――――」
そして、それに絡むことなのだが――卯月は、一定距離を取っての単独行動を禁止されることに認識が及んでいない。
故に、単独行動をしたカービィが、目の届かぬ場所で強制リターンしていることなど気が付きもしない。
そのせいで、戻りが早いと思いながらも、足音に対して言葉を投げかけてしまった。
人を殺したかもしれないという摩耗が、ステージを降りたという油断が、卯月の緊張の糸を断ち切ってしまっていた。
「――――――えっ」
ぱらららら、とタイプライターのような音を立て、無数の釘が卯月の体に突き刺さる。
驚愕で見開かれた眼は、桐山和雄を――にたりと嗤う、パーマの方の桐山和雄を映していた。
「なん、で……」
パーマ桐山は、意識をとうに取り戻していた。
全身の痛みに加え、すぐ傍に悪魔がいない状態。
普通の者なら――それこそ、合理的判断で殺しを繰り返すだけのオールバック桐山でも、ここは撤退し大勢を立て直すところだ。
傷を押してまで、出来るかどうか分からぬ追撃を行う理由などない。
そう、ないのだ、本来は。
しかしパーマ桐山はソレをする。
パーマ桐山は、殺しを楽しむからこそ、合理性より快楽を優先させる。
例えば、リスクを高めてでも、拡声器で断末魔を放送して遊ぶように。
目を潰されても殺しを優先するように。
鎌で切られた直後に、すぐさま反撃をせずに無傷ですアピールで相手を煽ってみるように。
「あ……くま、さ……」
パーマ桐山もまた、邪悪な笑顔の力で、勝利を手に入れた。
普通の者なら撤退していたあの場面で、殺しという娯楽の誘惑に負けて、追いかけることを選択したから。
自分自身の笑顔のために、こうしてここに立っているのだ。
そう、そんなパーマ桐山こそ、大きな穴が“一箇所だけ”開いているビルを見つける事ができた。
だからこそ、『貫通せず飛び込んできた何かが残っているかもしれない』『外に向けて撃ったのなら、そいつがまだ居るかもしれない』という不確定な情報のため、痛みを押してやってこられた。
「に……げ…………」
その結果が、今の状況。
その結果が、プログラムに志願してまで焦がれた“殺人”を行えるという、至福の時間をもたらした。
まさにパワー・オブ・スマイル。
笑顔を力に変える卯月では、笑顔無き桐山和雄は倒せても、嗤う桐山和雄を倒す術はない。
「っあああああああああああ!!」
釘をグリグリと押し込まれ、卯月が絶叫を上げる。
その声が、カービィの置いていったマイクを通して新宿中に広がる。
くくっ、と楽しげにパーマ桐山が笑んだ。
(じ、かん……かせがなきゃ……)
卯月の脳裏に浮かぶのは、たくさんの仲間達。
その中には、先程背中を預けたカービィも含まれている。
卯月にとって、カービィは仲間だった。
故に、悪魔としてでなく、友人として心配をしてしまっている。
『助けに来て欲しい』ではなく、『リターンさせなくては』でもなく、純粋に『逃がさないと』と思ってしまう。
(ごめ、なさ……プロデュー、サー……さん)
再度、釘が打ち込まれる。
たまらず悲鳴を上げてしまうが――それでも、意識は手放さない。
少しでもカービィを助けるため。
また、悪い人間が有利にならなくするために、今できることを考える。
辛いのに、投げ出すことすら出来ずに、最後まで苦境に立ち向かう。
島村卯月は、死を覚悟したその時ですら、その性質を変えられなかった。
(かえ、れ……そうに……)
釘打ち機の音に紛れさせ、COMPは瓦礫の中に滑りこませておいた。
マッカについても、ワープスターが空けた穴から放り投げてある。
これで、少なくともパーマ桐山が有利になる可能性は下がるだろう。
あとは――あとは、自分の酷い悲鳴を聞いて、少しでも多くの人達が、ここから離れてくれることを祈る。
(まだ……がんばり……たかっ…………)
10センチの背伸びを、プロデューサーの魔法でガラスの靴に変えてもらって。
周りのお姫様達から多くのことを学び取り、彼女達を背負うことで、シンデレラになった。
だけど――――
彼女の魔法は、無情にも解けた。
誰も見てぬ場で、あまりにも無残に。
それでも、その口元だけは、誰もが愛した島村卯月のいつもの笑みを、最後まで形作っていた。
【島村卯月@アイドルマスターシンデレラガールズ 死亡】
【残り 40人】
【新宿区、上層階に穴の空いたビル/1日目/朝】
【桐山和雄@バトル・ロワイアル(映画版)】
[状態]:背中が痛いし、頭痛も激しいし、決して軽傷ではないが、それでもなお、せーのっ、殺し合い、さいこー!(満面の笑み)
[装備]:COMP(いいもん貰ったなァおい型ことハリセン型)
[道具]:基本支給品×2、改造釘打ち機、簡易な工具セット、充電式コードレスマイク
[所持マッカ]3万
[思考・状況]
基本:殺し合いエンジョイ勢
[COMP]
1:桐山和雄@バトル・ロワイアル(漫画版)
[状態]:COMPの中、ファイターの能力@星のカービィを学習、お願いシンデレラの振り付けの一部を学習
※新宿区に卯月の断末魔がマイクで拡散されました
※カービィが入ったCOMPが卯月の死体傍の瓦礫の中に隠されてます
※卯月が投げ捨てた15000マッカが、島村卯月の死体がある建物の傍に落ちています
※卯月がカービィに持たせた10000マッカが、カービィがCOMPに戻された地点に落ちています
※渋谷区で発生した音痴音声やナックルジョーの爆発音は、
渋谷にいた連中が別で爆音出していたり、コンサートしていたり、デパートではしゃいだりしてたので、普通に皆聞き逃してる可能性が高いです」
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055:銃撃:返上 | 時系列順 | 058:にゃんデレラの冒険 |
056:手を繋がぬ魔人 | 投下順 |
010:お願い!ピンクだま | 島村卯月 | GAME OVER |
004:killy killy JOKER | 桐山和雄 | 073:イカれた快楽のために |